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はてなキーワード: 社会実験とは

2023-03-05

anond:20230305094815

なんの取り柄もないミソジニー男性大金を与えてみたらどうなるかっていう社会実験じみてるよね

2023-02-23

新体制デザインし稼働させ検証する、という学問分野はないが

官僚は様々な新制度をしはじめるのである意味社会実験学者

まれ国会で報告していたりするが、論文も出せばいいのに

ミレニアム以降の随意契約の動向」「コラボ契約からコラボ支援への転換」みたいなやつ

自民共産党や壺の言う通りに設計したら

その制度長所短所や(裏目的も)気づくはず

制度の闇や抜け道がバレるから書けない?

新聞記者法曹忖度して訴追しないから変な制度ができるだな

コラボは発射後に異常値が出たロケットだと思えば分かりやす

そのうちAIリアルタイム組織監視するだろう

で、統一教会コラボ事案でうまく火消しが出来たと考えていそうだが

説明義務はまだまだあるだろう?

宗教信者職業統計をとって欲しい

追記

アラブのような資源国は無料大学が作れるというが

日本国経済的お金持ちの割には格差解消策は割と控えめ

ただ米国サブプライムなど結果的には証券会社の便宜目的で、バブル崩壊が起きて救済にならんかったという例もある

金融事業者と宗教は相当関係あるかな

2023-02-11

オタク社会実験

Twitterで日夜繰り返される、発達障害アスペルガーほかなんらかのスペクトラム障害一種しか思えない、粘着質な一部のオタク系垢の行動を見ていて

しろこいつらが支配立場になったコミュニティを、外からの観察者として見てみたくなってしまった。

放課後クラブとか一企業の一部門程度じゃなくて、まずは市町村レベル行政として組織されてしまったら何が起こるのか見てみたい。

もちろんすごい無責任な願望だとは思ってるけど。

例えば、「プラネテス」っていう漫画に出てくるロックスミスという科学者オタクヤバイ感情移入先になってる、みたいな話を前に見たけど(プラネテスについてはその部分しか知らない)

その漫画の中の評価で言うところの「自分ロックスミス並みに優秀だと思ってる」、痛いとかキモいとかで形容されそうなオタクが、オタク同士のコミュニティではなく一般社会一角あるいはその物を支配した時に何が起こるのか。

簡単に解任できない感じで。

中途半端言葉思想が共有されているけど、何か肝心な部分が共有されてない部分が増幅された社会を感じたい。IQテストは良いかも知れないけどWais3だと凄い谷間を形成をしてるような人とか。

そういう連中を無人島に集めて0から何かやらせるんじゃなくて、曲がりなりにも既に出来上がったこ社会指導層に無理やり接続した時に何が起こるのか。

たとえば世間から見て「幼稚なオタク」が権限を握ったら街中が萌え絵とかエロゲ広告だらけになるのか。

なんかあきらかに男女共同参画みたいなものへの敵視が煽られて「もう平等だろ!あとはお気持ちハイおしまい!」みたいなアスペパワーで押し切られるみたいな。

そしてそういう時に周囲の人間はどう振舞うのかと。

侍女の物語」っていうSFジェンダー小説があるけど、あれって支配側も宗教保守として一応「筋の通った」思想があるからあい描写になるし

実際に大統領になってしまったトランプとその閣僚たちも一応はマッチョイズムを体現していた(厳罰化道徳の強化など)。

そういうものがない人たちの、学校漫研レベルの話と政治レベルの話を直結させちゃったような世界

前に、「コミケというコミュニティを維持できている、これこそがオタクパワーであり真の民主主義でウンヌンカンヌン」みたいな笑ってしまう様なことをいう人を見かけたけど、そういうことを言い出せてしまう人の頭の中を実際に社会に直結させてみたいんだよ。

発達障害とかアスペルガー個人としての素質についてはもう十分に研究の基礎は築かれてるし、被雇用者になった時の悲哀とかもネット上で盛んに発信されてるけど

社会とのコミュニケーションを考える上で、商業活動だけでなく公的機関支配者になった時に、そして彼等の素質が権力として止められなくなった時に、現代社会(ここ重要戦国武将はそうだったみたいな話ではない)に何が起こるのか、残す価値はあるとは思う。

周囲にも、絶対に媚びたり迎合する人間は現れてくるだろうし、そういうメンタリティの様子を丸ごと見てみたい。

2023-01-24

anond:20230124012347

現代科学をもってして感染症を完全に抑え込むのは難しいということを調べるための壮大な社会実験だったね

この世界規模の社会実験がなされるまではいけると思ってた人も多かったし、ワクチン自粛人類限界を知れたという意味では大きな成果を挙げたよ

anond:20230124012347

現代科学をもってして感染症を完全に抑え込むのは難しいということを調べるための壮大な社会実験だったね

この世界規模の社会実験がなされるまではいけると思ってた人も多かったし、ワクチン自粛人類限界を知れたという意味では大きな成果を挙げたよ

2023-01-13

anond:20230113074723

シングルマザーが爆増して、事実上一夫多妻制になる

ちゃんとした育児」も担保できるとは思えない

社会実験としてはリスクが大きすぎる

2022-12-15

日本は既に他国国連に実権を握られてて、

自分たちの今後をシュミレートする社会実験に使われている。

って言われても信じるかもしれないくら最近政治は訳分からんわ。

2022-11-28

anond:20221128184153

正しい認識だ。

インターネットの影響で人類全体が狂暴化した。

幸福度指数が高かったブータンインターネットが開通した途端不幸になった、というのがまさに社会実験として表している。


インターネットオタク親和性が非常に高過ぎた。

昔は小さなコミュニティで、金儲けも絡まず、自由ディープオタク空間だった。

それが今では世界迷惑をかけ、金儲けのためなら何でもやり、社会混沌貶める「真性の悪」になってしまった。

「金儲け」といっても儲けよりも社会に齎す害悪のほうが大きすぎて社会としては損失しかない。


紙と鉛筆だけの時代に還るべき。そのほうが間違いなく幸せだろう。

2022-11-12

anond:20221112134723

労働基準法 では?

自活するのに生活費足りないのでは?という指摘なら概ね同意

 

けどまぁ世の中には病気障害で長時間働けない人や

人は労働のために生きるにあらずと社会実験している人もいるからな

anond:20221112003051

既に経済的自由約束されているとかならばともかく、単純に増田が自立する気がないだけだぞ

 

ただ、障害病気が原因ならそれは無理せず休んだ方がいいし、むしろ負担になりにくい仕事を選んだ方がいい

あと社会的な意義があるが極端に給与が安い仕事しょうがない。むしろ社会が何とかするべき

それから労働を是とする社会おかしいと社会実験してる場合面白いので応援したい

2022-10-20

anond:20221020154315

行き過ぎた左翼政策の反発で第二次世界大戦時の極右を源流にする政党政権を取ったり

アホな社会実験できる点では優れてるかもな

2022-10-07

インボイス制度ってさ

なんかの社会実験みたいだよね、これがいけたら名前を変えた兵役もいけんじゃないか?みたいな

2022-09-27

世界は汚れている

コロナのお陰で世界想像以上に汚染されていることを知った。

空中にはコロナウイルスだけではなく無数の病原体が漂っているらしい。

ドアノブに、水道蛇口に、食品に、ウイルス細菌微生物が付着している。

それを無意識のうち体内への進入を許してきた。

人間免疫対処してくれるが免疫ミスった時に、あるいは曝露量が多いと処理が間に合わず発症する。最悪死ぬ

発症しなくても病原体は体内に蓄積される。

一部の病原体消滅すること無く細胞の中、神経節やリンパ節、体内のどこかで潜むことができる。

例えば日本高齢者の2-3割は結核菌を持っている。

若い頃はまだ国民病結核蔓延しており菌が体内に入ると発症しなくても生きたまま何十年も冬眠を続けている。

老人になり免疫力が落ちたところで突然発症する。

ヘルペス国民罹患率は5割程度と推測されている。

これも一度感染してしまうと発症しなくても体内から消えることはない。

 

人間一年間に4,5回風邪にかかる。感染すれば発症しなくても10日前後ウイルスをばらまく。

まり普通生活していたら年間40日ウイルスをばら撒いてたことになる。

相手マスクをしていなければ簡単に体内への進入する。

風邪ウイルスは200種類。

コロナ禍以前はマスクをせずこれを当たり前と思ってた。

というか知らなかった。無自覚だった。恥ずかしい。

 

そもそも風邪で人が死んだり後遺症があることに無知だった。

後遺症は無く体は完全に元通りになると勘違いしていた。

 

間違いだった。

ただの風邪でも人は死ぬ後遺症話題にならないだけでたくさんある。

実は年間10万人以上が風邪で死んでいた。

 

風邪だけではなく様々な病原体が人を殺してる。

一番多いのはガンで40万人だけど、ガンを発症するメカニズムは多様だが半数は病原性、つまりウイルス細菌が原因と分かっている。

20万人は病原体のガンで殺されていることになる。

昨今話題になったヒトパピローマウイルスHPV子宮頸がんもこれ。

死亡診断書統計では年間老衰死14万人だけど

実はその半数の7万人がウイルス細菌が原因であることは医学にわかっている。

死者全員を病理解剖するわけではないので見つかってないだけ。

 

肺炎球菌だけで5万人、これも空気感染する。マスクしてりゃ防げる。

 

目をつぶってきたのが異常だと思わない?

自分には関係ない、その程度のリスクは受け入れなきゃしょうがない?

 

コロナ初期、西浦教授が「なにもしなければ42万人が死亡」と予想し、我々は恐れて対処した。

出自要請に従い人流制限成功した。

マスクや消毒、手洗い。徹底することにより2020年の死者は1万人を切った。

西浦教授の42万人が何年、何ヶ月の時間レンジを想定したものかはわからないが

2022年現在まで累計すれば4万人の死者となったものの、それでも予想の1/10

人流制御に失敗した諸外国日本の10倍の被害が出ているのだから予想の精度は高かったとわかる。

 

壮大な社会実験だったと言える。

我々人類は大きな知見を得た、人類病原体と戦える、抑制する価値がある

 

行動制限し清潔を心がけるだけで年間数十万人の命が救える。

ガンは最初のがん細胞ができてから死亡するまで数年かかる。

今後コロナ対応による行動自粛と消毒によりガン患者は激減する

統計として見えてくるのは1,2年後ではないだろうか。楽しみだ。

 

ともかくやらないよりやったほうが良い、やるだけの価値がある。

mRANは成功した、ならばコロナだけではなく我々が脅かされている多くの病原体対応した混合mRANワクチンを開発し全国民強制接種すればよい。

その上で消毒、行動抑制マスク、これらも徹底して続ける。

それで多くの命が救えることを我々は知ってしまった。

知っているのにやらないのは罪ではないか

人殺しと同じ。未必の故意

 

ワクチン無意味、すぐに効果が切れると宣うアホォがいる。

三ヶ月で切れるなら三ヶ月ごとに打ち直せばよかろうに、なんでそんな簡単算数もできないのか。

新しい技術ワクチンから持続期間は不明だった。

おおむね1年と予想していたが予想よりも短かった、三ヶ月だった、それだけの話。責められる話ではない。

三ヶ月は重症化率も死亡率も後遺症も減る。統計上明らか

ならば三ヶ月ごとに打てば良い。バカでもわかる。

科学は一歩一歩進めていくしか無い。

 

まれから死ぬまでマスク

従来の常識からすれば異常な社会かもしれないが、微生物ウイルス細菌をこの世から撲滅することは不可能なのだから物理的に防衛するしかない。

 

一人二人の命を救う話ではない。

ほんのすこしの我慢で年間数十万人の命が救える。

 

それでも行動制限をなくし、マスクを外し、消毒を辞めて年間数十万人を殺す生活がいい?

 

日本民主国家なのだから民主的に決めれば良い。

国民一致団結して続けるべきだと合意されたら従ってもらう。

嫌なら海外移住して不潔に死ねば良い。

そりゃ止めない。

 

そろそろこういう議論を始める時期だと思う。

2022-09-05

anond:20220905155801

近年より近日に至るまで、世界の全人類は、かつてない未曾有の転換期を迎えようとしている。

それは、グロバリストと呼ばれる一部の富裕層により人口削減、グレートリセット新世界秩序と称して、

共産化社会主義化し、世界を一つにまとめ、支配階級奴隷階級に分け、人々はAI監視管理される完全独裁世界に向かっている

信じられない事であろうが、毎年行われる世界経済フォーラム(ダボス会議)がそれである

そこには、日本国の行先は無く、消滅させられることであろう。

世は亡国の様相が強くなり、政治家行政司法警察宗教団体企業個人に至るまで利益追及に明け暮れ、貧富の差が広がり、逆に国力を失いつつある。

資本主義終焉民主主義の末路を感じる

その中で弱者に対する人権侵害行為虐待虐め嫌がらせ蔓延し、組織的に人を追い込み

社会実験として善意の人を悪用し法を利用し集団的ストーカー行為最新科学技術電磁波マイクロ波等未知のスパイ技術兵器によるサイバー拷問と言う人体実験が行われている。


真実を知り、真実を見極め目覚めましょう。

高い民族性倫理道徳観、歴史文化が育んだ価値観未来日本国民の為に守りましょう。

二千八百年続く稀有日本の歴史の中に答えはあります

2022-09-02

まーたハフポストフェミやらかしてる

この記事ね。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手男女差別体験させる授業をしたって話。

そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差差別体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、

リボンありからは「クオリティを上げればいい」「倍作ればいい」というアイデアも出る。」



いや、こんなこと言う奴いる?

俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。

明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。

「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?

そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体感想の羅列に過ぎない。

それもそのはずで、この記事論文でないだけでなく、そもそも体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。

それを、あたか科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストかいうクソ媒体なわけ。

かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。

こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」

いやこれ感想お気持ち!「印象的だった」だけ!

地方紙に載ってる「●●小学校豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。


この教授さんはさ、ただ「差別体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!

明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこ原稿OK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。

ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい


要点をまとめるとだね。

・この体験授業にあるような男女差別存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃん論文とかもあると思う。

・この記事はクソ。この体験授業では男女差別存在も、種類も、何も明らかになってない。



ここから先は余談。

フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたか科学であるかのように塗り固める(でも科学であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。

「たわわ」の件もそうだった。

フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百もっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯しか言いようがない。

この記事ね。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手男女差別体験させる授業をしたって話。

そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差差別体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、

リボンありからは「クオリティを上げればいい」「倍作ればいい」というアイデアも出る。」



いや、こんなこと言う奴いる?

俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。

明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。

「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?

そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体感想の羅列に過ぎない。

それもそのはずで、この記事論文でないだけでなく、そもそも体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。

それを、あたか科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストかいうクソ媒体なわけ。

かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。

こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」

いやこれ感想お気持ち!「印象的だった」だけ!

地方紙に載ってる「●●小学校豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。


この教授さんはさ、ただ「差別体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!

明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこ原稿OK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。

ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい


要点をまとめるとだね。

・この体験授業にあるような男女差別存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃん論文とかもあると思う。

・この記事はクソ。この体験授業では男女差別存在も、種類も、何も明らかになってない。



ここから先は余談。

フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたか科学であるかのように塗り固める(でも科学であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。

「たわわ」の件もそうだった。

フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百もっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯しか言いようがない。

この記事ね。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手男女差別体験させる授業をしたって話。

そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差差別体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、

リボンありからは「クオリティを上げればいい」「倍作ればいい」というアイデアも出る。」



いや、こんなこと言う奴いる?

俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。

明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。

「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?

そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体感想の羅列に過ぎない。

それもそのはずで、この記事論文でないだけでなく、そもそも体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。

それを、あたか科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストかいうクソ媒体なわけ。

かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。

こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」

いやこれ感想お気持ち!「印象的だった」だけ!

地方紙に載ってる「●●小学校豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。


この教授さんはさ、ただ「差別体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!

明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこ原稿OK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。

ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい


要点をまとめるとだね。

・この体験授業にあるような男女差別存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃん論文とかもあると思う。

・この記事はクソ。この体験授業では男女差別存在も、種類も、何も明らかになってない。



ここから先は余談。

フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたか科学であるかのように塗り固める(でも科学であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。

「たわわ」の件もそうだった。

フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百もっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯しか言いようがない。

2022-08-15

anond:20220815103953

はじめから風邪に対抗するための社会実験です、っていうべきだったんだよな

無理だったから諦めます、でいいやん

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-11

anond:20220811123828

"物価上昇を通じて経済の好循環をつくるという「リフレ論」は幻想だった。大々的な社会実験の結果、そのことが明白になった。"

"「近年、多くの経済政策実施されてきたが、結果として過去30年間のわが国の経済成長は主要先進国の中で最低レベル」「初任給は30年前とあまり変わらず、国際的には人件費で見ても『安い日本』となりつつある」

安倍氏はこれをアベノミクス批判と受け止めた。「安い日本という表現おかしい。アベノミクスをなんだと思っているんだ」。安倍氏はそう漏らしていたという。(朝日新聞2022年6月3日

 この報告書は最終的に、安倍氏からの強い申し入れで次のようなくだりが盛り込まれた。「我々は平成24年末に政権を取り戻し、『アベノミクス』によって(中略)革新的政策を実現した」。それに続いて、GDPが約560兆円まで増加して史上最高水準となったこと、雇用も約440万人増加したこと、史上初めて有効求人倍率が全都道府県で1を超えたことなどが詳しく記された。

 とりわけ雇用改善安倍氏が「アベノミクスがもたらした成果」として強いこだわりをもって明記を求め、盛り込まれものだった。"

"安倍氏が昨年来、講演のたびに「日銀政府の子会社。紙とインクコスト20円で1万円札がどんどん刷れる」とややセンセーショナル表現リフレ説明を重ねていたのも、アベノミクス路線は健在とアピールたかったのだろう。"

"20209月首相を退任した安倍氏最初に受けた単独インタビュー読売新聞20209月20日)で、「政権レガシー政治遺産)を何と考えるか」という質問を受けた安倍氏があげたのは、今もこだわり続ける「400万人超の雇用を作った」実績だった。

さらにもう一つ、意外なテーマを挙げた。それが「2度の消費税率引き上げを行った」ことだった。

 あれほど消費増税をいやがり、財務省を遠ざけ、2回も異例のかたちで消費増税を延期してしまった安倍氏が、みずから消費増税を「政権遺産」にあげたのである。その理由として「伸び続ける社会保障費に対応し、国の信認を維持するため」とも述べている。"

2022-08-01

歩行者妨害、取り締まり撤回

お先にどうぞ」で歩行者妨害は不成立 道を譲られたドライバー交通違反撤回警察謝罪

バズっており弁護士ドヤ顔不愉快

 

大手メディアにも取り上げられ警察は面倒な議論を避けるために火消しに回っただけ

そこまで含めて弁護士活動によってクライアント利益は守られたのであり弁護士としては勝ちだ

弁護士としては

弁護士社会正義の実行者でも庇護者でもない、

クライアントを守るためなら言い逃れ余地のない殺人犯でも弁護する。

そりゃそれが仕事なのだから

 

妨害の客体が誰であるか。

法学的には具体的な歩行者のみを指すのだろうがこれを言い出すとあらゆる交通取締り整合性を失う。

スピード違反の取締を行っているがこの場合保護主体は誰であるか、

国民全体であることは議論余地がない。

スピード違反をしてそれが原因で事故を起こしたときだけ処罰すれば良いことにはならない。

まり社会政策、道路交通全体の秩序を守るために取締をしている。

敷衍し、38条の妨害の客体は具体的な歩行者のみならず道路を歩くすべての人が対象になる。

手を降って通過を促した歩行者男だけではない。

 

社会自動車優先社会容認し続けるか、欧米のように法律通り(道交法道路条約の縛りがあるのでどの国も内容はほとんど同じ)歩行者優先に転換するか。

 

簡単思考実験

歩行者が先に通過するようなジェスチャーをし車が動き出したにもかかわらず歩行者は止まらずに車と接触した場合

さぁこれ法的にどう処理する?

このように考えればこの事案で無違反主張するのは筋が悪いのがわかるだろう。

自動車が100%悪い、ドラレコ出そうがムダ。簡単に言えばダメものダメ

歩行者妨害してるじゃん、としかならない。

 

車はルール通り停車し歩行者へ先に通過するように合図し待ち、それでも歩行者が頑なに動かない。

なるほどこれが数十秒も続けば期待可能性の議論になるだろうが、あの動画を見る限りそんな時間は経ってない。

まだしばらく停車し歩行者合法的挙動を待つことはできた。

 

さて、警察が今回どのようなロジックで取り締まり撤回したのかわからんが、

ドライバー違法性が認められないとはどのような理屈なのか。

説明すべきだわね。まぁ答えないだろうけど。

可罰的違法性あたりで有耶無耶にするだろうが、これは警察は負けてほしくなかった、司法できっちり処理して判例を残すべきで。

警察ネットの力を過大評価しすぎ、ポピュリズムに呑まれてほしくなかったねぇ。

骨がない。

面倒な議論を避けるためにあっさり取り消ししたのが非常に残念。

 

さて、次の問題

歩行者違法に立ち止まって自動車に通行を促したというならば、改めて歩行者検挙すべきだ。

 

ん?

歩行者違法に立ち止まり

 

あれ違法なんです、道交法76条4項二

歩行者はあそこで立ち止まってはならない。法律規定がある。

そっちはどうするのだと。

警察はこっちやるの?

やらねぇわね

 

76条4項

二 道路において、交通妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。

 

今回ゴネてる自動車運転手側は改めて歩行者告訴すべきだろう、歩行者違法行為によって取り締まりを受け弁護士を雇って警察交渉などと煩わしい目に合わされている。

あれれぇ

なぜこれ怒らないのぉへんだねぇ

 

ドライバーはそこまで主張するのは筋が悪いのは自分でも分かっているのだ。

 

さて、76条にも「妨害」という単語が出てくる。

さぁてこっちの条文の妨害はどのように解釈するかねぇ。

 

ちなみに38条は

横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。

 

件の弁護士歩行者自らが通過を促したのだから「妨げ」になっていないと主張している。

筋が悪い。俺には無理やりな解釈しか思えない。

 

まり歩行者が先に通行するように促すということは

歩行者がそのまま進行すれば自動車干渉することを歩行者自身認識しており、動画をみてもその位置関係から明らかであり、

「妨げ」ていることが証明されている。

妨げるは本人のお気持ちではない、形式犯規定なのだからその通りに解釈すべきだ。

 

道交法理念は円滑で安全道路交通の実現であってそれには歩行者も含まれている。

 

外国比較して日本が極端に歩行者事故が多いのは戦後モータリゼーション国策誘導によって自動車を過度に優遇したツケであり、それをいい加減に転換しましょうという世相にも逆行する。

 

ちなみにG7交通事故で死んだ人数が 歩行者 > 乗用車

なのは日本だけ

国際比較がある2016年のデータを見ると、

日本は歩行中(1644人)と自転車(712人)の死者が2356人に対して乗用車の死者が1046人

アメリカ 7000人 対 13400人

ドイツ 900人 対 1500人

フランス 700人 対 1800人

 

おおむね歩行者の2,3倍乗用車側が死ぬ

日本だけ歩行者の方が多い。

異常な国。

 

信号のない横断歩道自動車優先が当たり前に代表される社会通念が結果として歩行者を殺している。

止まるのが当たり前であれば歩行者は平然と通過したであろうし、欧米は実際そうなってる。

から歩行者の巻き込まれ事故を減らすことができてる。

 

どんなに歩行者が先に行けと促しても自動車側も頑なに歩行者の通過を待ち

警察もやはやり法律文通り厳格な取り締まりに転換すべきで、

そうすりゃ歩行者の死者は減る。

社会実験はとっくに結果出てる。

 

せっかく昨今道交法運用が転換しつつあるのに

一人のドライバーワガママで何十年か変化が停滞するだろう。

 

道交法運用の転換過渡期であるから従来の常識と不整合が起きて理不尽と感じる取り締まりも出るだろうが。

うまく転換できれば死者は万人単位で減らせた。

この流れを止めた。

警察は同様事案の取り締まりを後退させるだろう。

それが世論でもある。

あーあ

 

自動車は止まるのが当たり前、歩行者は我優先と渡るのが当たり前。

何年遅れることになるのか。

 

件のドライバー弁護士は間接的に被害者を増やしたと自覚して欲しい。

 

メディアネットに屈して横暴な警察が決定を覆した、溜飲下がるわぁ、じゃねぇよ、

ちった自分の頭で物事を考えなさい、愚かな国民どもよ

車に轢き殺される歩行者はオマエの愛する人かもよ

2022-07-08

司法機能してたら安倍総理は殺されていたか

タイトルの通り。

俺は反アベだが、こんな終わり方はやるせない。

しかし起こるべくして起こった事件のようにも感じる。

安倍総理が在任中に起こした数々の疑惑スキャンダル問題発言、はぐらかし、忖度した人間達は出世して、逆らった人間自殺に追い込まれた。それが明るみになってもなんの自浄作用もなく野党は騒いでるだけと上手く印象操作され対抗勢力になりえず、マスコミ東京新聞望月記者NHK関西支局記者以外に本気で戦った人を知らない。

森友学園は籠池が捕まり学校放置され、加計学園は何食わぬ顔で営業している。桜を見る会はなくなったが今になってサントリー酒類提供していたことが明らかになったり、赤木さんの裁判は前代未聞の国側の白旗賠償金満額支払いチャンチャン。

あべ本人は歴代最長政権記録を更新してからコロナ対策お腹が痛くなってリタイヤ。党内では権勢を誇り、噂ではまだ返り咲くとの評判もある。国家予算日銀を手中に置き無限国際発行という人類史上始まって以来の近代先進国による社会実験を我々国民財産担保に戻れない所まですすめてきた。

他にも色々あったと思うが、色々追求があった時にまともに司法機能してアベを逮捕取調べ裁判をして情報公開されていたらこんな事件は起こったのだろうか。

日本には1億人いるのでキチガイは沢山いる。俺だってアベは嫌いだ。でもやるべきハードルを乗り越えてきていたら殺されることはなかったと思う。田中角栄の方がヘイトは集めていたと思うがちゃんとミソギをしたのでキチガイの標的にならない。アベはあまりにもノーダメージだった。記者会見は懐柔されてるし、国会しか追求されないが国会野党バカにされるシステムが完成している。検察はお友達トップに据えてるから無敵。

経営者だったり株とかやってたらファンになってたかもしれないが、批判的にテレビ新聞を見てる層にとっては純粋に悪である凡庸しか無能だけどシステムハックした異世界転生の主人公並の絶対的存在といえるかも。

ソイツに「無敵の人」が一撃チャンスがあるとするなら実行する可能性は十分考えられる。歴代総理を思い出しても殺されるべき標的になりうるのは安倍晋三が一番の候補にあがるだろう。

別に殺されて当然とか言うつもりはないし、殺人されるべきではないと思うが、あまりにも安倍総理ノーダメージ過ぎたし、証拠だらけなのに司法がまともに機能してなかったとしか思えない。だからなんの禊もなく標的になるべき存在になってしまったのだと思う。

アベがすごかったりすごく悪かったんじゃないがあまりにも何故か誰にもわからないが強すぎた。それが原因のひとつなのだとおもう。

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