はてなキーワード: 社会一般とは
※この記事の内容は俺の半生に基づくサンプルデータ1つのめちゃくちゃ主観的な話になります。ので、皆さんの半生をもとにこの記事に賛成もしくは反論して欲しいと思っています。
学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的に他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています。
そしてそういった心の在り方を美しいとも思っています。
こういった善意を良しとする考え方は社会一般で言う"正しい正義感"だと思っています。
(これが正しいかどうかは皆さん各々思うところがあると思いますがとりあえずそう定義してしまいます。なんせ全部主観の話なので)
この正義感がどこで培われたのかと考えました。
漫画に限らず、アニメやゲーム、ドラマなども同じような効果を及ぼすと思います。
こういった娯楽は「肯定的に共感し、追体験できる」装置なんじゃないかなと思います。
とりあえず"漫画"で通しますが、漫画を読む際、否定的な気持ちで見る人はそういないでしょう。
漫画は主人公を中心とした物語が形成されていて、ようは「他人の人生を追体験できる」装置になっています。
その追体験には「好意」と「共感」を伴っています。そうなると影響されることは容易いでしょう。
とどのつまり漫画を読むと「正義を成した主人公の人生に好意と共感を感じて、自分もこうありたい」「正義を成すことで人は結果的に成功する」となんとなく思うようになるわけです。(少なくとも俺はそうでした)
「ミステリーだと大体こういうこと言うやつは死ぬよな」の延長のようなものです。
少年誌というのは数多くの漫画が掲載されており、何人もの主人公の人生を時間をかけてじっくり追体験できるわけです。もはや洗脳じゃないのか?って感じです。
某少年誌は「友情・努力・勝利」を掲げています。つまり、明らかにこの仕組みを意識しているんじゃないかと思ってならないんです。
立派な教育じゃないかとさえ思ってしまいます。(オタクはそういう所がある)
なんか話がうまくまとめられなくて無理にしめちゃいますが、
結局のところ何が言いたいかって、子供を育てるときにジャンプとかサンデーとか読ませないと自分たちで倫理観を植え付けないといけなくなるよ?って事です。
ちなみに俺はガッシュで育ったのでガッシュの正義感を宿してます。ガッシュ2も始まったから皆読もうね。
結構自分の中でもいい線いってる論じゃないかなと思っていましたがやはりこうやって皆さんの意見をいただくとなるほどそうでもねえなとなるものですね。
非常に参考になりました。
嘘をついたとして、それがばれたとする。
・無視する
・素直に謝る
・屁理屈で嘘じゃないと言い張る
みたいな方法が考えられると思うんだよね。
でも、これはいずれも『嘘はよくない』って倫理観を共有できてるからこそ成り立つんだよね。
まさか、「敬意がない!」「歴史を知れ!」「部外者が!」となるとは思わなかったよ。
『嘘はよくない』って倫理観を共有できてないと対話は成り立たないと思うんだけどね
(追記1)
嘘って表現に引っ掛かってる方がおられるようなので「ウソ・大げさ・まぎらわしい」(JARO)に訂正します。論旨は同じです
(追記2)
ここでいう倫理観ってのは、心底それを内面化しているという意味ではなく、社会一般に
嘘はいけないことになっていて、それを表面的にも大多数の者が受け入れていることです
(追記3)
他の例を持ち出して、「そもそもそんな倫理観なんて崩壊している」ってリプ・ブコメがあった。
でも、例えば国会なんかでも、嘘を指摘されたら屁理屈いったり、人のせいにしたり、誤解だとしたり、たまに謝罪したりするんだよね。それは、「嘘はいけない」って倫理観を共有しているからね。
安倍でも誰でも、「君が私の嘘を指摘するのは敬意が足りない!」とか「君は私に寄り添ってない!」とか言ってこなかったでしょ?
(追記4)
奴隷が当たり前の時代では奴隷が当たり前だったように、差別はその社会の構成員には当たり前すぎて、不当なことをしていると思わないものだ。
言及先のように、現在の社会一般に受け入れられている傾向を観察して、「○○は差別だけどしていいよ」と広く周知することは悪魔のささやきだ。
現代という時代は、現状追認の思考停止した人々の選択が、イジメから気候変動まで様々な問題を引き起こすからだ。
人間の認知能力には限界があるため余談や偏見を抱えたまま判断をするしなく、誰しも誤りや差別を犯してしまう宿命にある。
だから「みんながしているから、正しいだろう、失敗しても叩かれないだろう」に流されるのだけど、
それは「最初から責任回避を用意していて、悪事を成すことに無関心、悪事を成した後でも無関心」という、倫理的にも問題解決的にも最悪な態度じゃないか。
少しでも正義や平等を大事にする気持ちがあるなら「自分の責任で正しいと思うことを判断して行い、人間の宿命的にしてしまう差別には寛容かつ誠実に向き合え」としか言いようがない。
「身長を基準に相手を選ぶ→差別じゃない」という世間の風潮に疑問を持ったなら、なぜそう思ったのか自分なりに深掘りしてみてほしいよ。
警戒しろとも警戒するなとも「言われたくない」のでは?
行動改善を指示するのは、「お前の行動には不足がある」と不可判定してるという事だから嫌がられるのは当たり前だろう。
追記で増田は「お前らこの社会は警戒すべき社会だと思ってんのか、すべきでない社会だと思ってんのか」と聞いてる。
夜道で警戒しながら生きてる人の集合と、ソロキャンプに行く人の集合の重なりはそう大きくないと思うので、「お前ら」の大部分は該当しなさそうだ。
警戒が何に対するものか、も個人差バラツキがある。増田は社会一般の話をしているようだけど、夜道で警戒する人は状況+他人の存在を警戒しているように思える。それはおそらく個人の経験や見聞きした情報から、警戒するかどうか決まるのだと思う。人間の想像力や情報収集能力や危険に対する対応能力には個人差があるから、「この社会は警戒すべきか」という問はあまり実用的でない。屈強な人が、ソロキャンプでは警戒すべきと思い夜道では警戒の必要を感じなかったとしても、ダブスタとも思えない。
何をどこまで一般化するかの感覚にも個人差はあるだろうから、もし増田が「この社会は警戒すべきか否か」を一律一貫した態度でいるとしても別に問題はない。ただ、少なくとも私はそんなん別に一貫したもんはないし人によるし〜と思うし、他人と増田の感覚は違うかもよ、別の人だから。とは思う。
勝手にツイッター覗くワイもたいがいなんやけど、いいね欄がまぁ青識とか見るからに名誉男性か青識のなりすましかな?みたいな女(と思われる)アカウントの「多様性の押し付けで女のコは困ってるの」みたいなのがいっぱいでビビる。
ワイ、大学の時からそっち系の問題を専門に学んできて今でもそういう分野の本読む程度に関心高いから余計に気になっちゃうんだろうけど、理系の大学院まで言った兄もこんな反知性的な発言にシュバババ!と乗っかって気持ちよくなっちまうのか、と。
まぁ理系は属性的には男ばかりで多様性のなさそうだからそうなるんかな。
娘(ワイの姪っ子)を育てていながらこの感性か〜娘がこれからどんな社会で生きていくのか考えたほうが良くない?と思うが以前から(今でも)オープンで兄嫁も見れるアカウントでおっぱいぶるんぶるんな二次絵にいいねしまくってる(月曜日のたわわとかもちろんいいねしている)ような兄だしそんなもんかな。
姪っ子のこととなると「子煩悩で過保護で娘ちゃんが可愛くてしょうがない俺!」を演じているがその様がもう自分に属する女に対してだけ発揮されてて、
「家父長制」ってのをビンビンに感じさせておもろいんだよな。
自分の配下にある女(妻、娘)がなにかされると所有物に手を出されたみたいにキレてなんか女性に優しい男性的に見えちまうんだけど、社会一般にいる女は馬鹿にしていくスタイルが見え見えなんだよ兄ちゃん。
しかも「また俺なんかやっちゃいました?」系な素朴な疑問装った風の言説に乗っかっちまってるのもそこまで兄ちゃんのリテラシー低かったっけと思って悲しいし痛いしでさらにいいね欄を遡って覗いてしまう原因になっている。
コロナでこの夏も会えないまま今年2歳になるんだったかな、姪っ子は。
どんなふうに育っていくのかなぁ。
男女平等はあり得ない。
恋愛において男は率先して動き、女には考える手間を与えず、スケジュール調整から有りとあらゆる苦労を一身に受ける。この際、女は何一つ考えていない。
しかし女の言うところに依ると、化粧品が高い上に、見た目を磨いているから許される…とのことだ。
さて、こんなものが世間で恋愛する人間の普通の仕草ならば、男女で仕事の能力に差が出るに決まっている。要するに平均的には労働力で男≧女になるのは当然だ。
というのも調整力、会話力、その他諸々、男が恋愛をクリアーするために必要なものは、社会人になって役に立つ能力ばかり。これらを磨くのは人類が参加する恋愛というコンテンツを攻略する男が圧倒的に有利。これは明白だ。
ならば、社会一般の女は一体どうやって「普通の男」に勝つつもりなのか。
「男らしい」「女らしい」を一律で無くそうとするからおかしくなるんだよ
らしさ、を心の拠り所にしている人もいるわけで、
その人たちまで否定するのは間違ってない?って思うんだよね
真にあるべきは個人それぞれが「らしさ」を追求できる世の中ではないの?
「男らしい」女の人がいても、
「女らしい」男の人がいてもいい
そして、同時にジェンダーフリーを押し付けることもしてはいけない、ってことが分からない人が多い印象
ジェンダーフリーに則って性同一性障害は個性だから治療する必要ない、っていう人が時々いるけど、
個性じゃないし、そもそも人格は精神によるものなんだから、それはその人の人格全否定してるに等しいんだってことが分かってない
トランスジェンダーのことは知らない。
わたしが性自認が女だ、という根拠は社会一般の女性と好みや考え方が似通ってる上に男性の考え方や好みにどうしても馴染めないから、っていうところなんだけど、
社会によって作られたイメージであったとしても、精神性が同じなら社会がどう形作られても流れ着く先は同じところなんだろうな、と思う
最近の Twitter では過激なトランス女性排除派が跋扈している(ように見える)んだが、
この手のトランス女性排除派が見えて無い現実について、雑多に書きたいと思う。
あくまで「トランス女性を女性用スペースから排除する」と言う事を肯定している人間を指します。
これは「は?何言ってるんのお前?」と言われそうな話なんだが、単純な算数と比率の問題で、
例えばある女性用スペース(A)を利用する人間が 10人いたとして、この内1人がトランス女性で、残りは9人普通の女性一般だったとする。
この前提でこの女性用スペース(A)で2名性暴力の被害を受ける事案が発生すると、仮に1名のトランス女性が被害に合った場合、
そのスペースを利用する女性で被害に合い得るのは残りの 9名で、この場合だと性暴力に合う人間はトランス女性が1名、女性一般が1名となる。
しかしこの女性用スペースからトランス女性を完全に排除し、女性一般しか利用できない様になった場合、
前例と同じ様に2名性暴力の被害を受ける事案が発生すると、今度は確実に女性一般の2名が性暴力の被害に合う。
つまり、ある女性用スペース(A)からトランス女性を排除すればするほど、その女性用スペース(A)の女性一般の比率は上がって行き、
トランス女性の完全排除が成された場合には、その女性用スペースで性暴力の事案が発生すれば女性一般が被害に合う比率は 100% になる。
こう言う理屈から、トランス女性排除派は「女性一般の安心・安全」を守ると言うことを目的(だよな?)としてトランス女性排除を訴えるが、
実際には女性用スペースを利用するトランス女性を排除すればするほど、女性一般が被害者となる確実性が上がってしまう。
なのでこの辺りがトランス女性排除派が見えてないか、あるいは都合良く無視している事の一点目だと俺は思う。
次にトランス排除派に取って都合が悪い、と言うか分かってないだろうと思われる事は、
「女性一般を安心と安全を守る」と言う名目でトランス女性の排除を肯定し続けると、
「トランス女性の排除」が女性の身を守る解決策だ、と言う思い違いが発生し、
本来解決すべき問題から目をそらす結果に繋る、と俺は思ってる。
まずそもそもの話として、なんで女性用スペースからトランス女性を排除するのが肯定的に捉える向きがあるか、
と言えば、トランス女性の出生時の性別、つまり「男性」から性暴力を受ける身の危険などがあるためで、
これは性暴力の多数が男性一般からのケースが多い、と言うのが理由になっていると思う。
そしてその上で、だ。
まずトランス女性(出生時には男性)と男性一般の比率を考えると、これはどうがんばっても男性一般の方が比率が多い。
まぁ具体的なデータを持っている訳でも無いんで常識的な範囲での考えだが、社会一般でトランス女性が男性一般より数が多い、
なんて事は、当事者会の現場でも無いかぎり、まず有り得ない、と考えても良いだろう。
となると、社会に多い「出生時男性(トランス女性・男性一般の合計)」の内、「女性一般を安心と安全を守る」、
と言う目的を達成するために干渉しないとダメなのは本来であれば男性一般の方で、トランス女性ではなく、
性暴力を振ってくる様な男性一般から身を守られなければ、女性一般の性暴力の被害は減りようが無い。
そして先にも言った様にトランス女性と男性一般の数としてはトランス女性の方が数は少なく、
女性に性暴力を振ってくる「出生時男性(トランス女性・男性一般の合計)」の内、
つまりトランス女性の排除を「女性一般の安心・安全」を守ると言う観点から見た時、トランス女性と男性一般の比率から、
トランス女性の排除「だけ」を熱心に行なうのは「女性一般の安心・安全」を守ると言う目的からしてみれば焼け石に水で、
少数のトランス女性犯罪者をなんとかするより、多数派の男性一般の犯罪者をなんとかする方が効果的だろう。
さらに補足すると、Twitter に跋扈する様な過激なトランス女性排除派は、トランス女性こそが女性一般を襲ってくる犯罪者だ!
と言わんばかりの勢いで RT なり Like なりを飛ばしまくっているが、先にも言った様に現実に女性一般を襲ってくるのは男性一般の方が多い訳で、
トランス女性の排除の排除を徹底したところで、男性一般をなんとかしなければ、女性一般の被害は無くならないし、無くしようがない。
そう言った意味ではトランス女性の排除を徹底したところで、女性一般を男性一般の性暴力から守ることは出来ないだろうし、
トランス女性の排除の完遂をしたところで、女性一般の身の安全を守れる訳もない、と言うのは明白だろう、と俺は思う。
ここまでで書いて来た様に(真面目に読んでいれば)トランス女性を女性用スペースから徹底的に排除することは、
女性用スペースで女性一般が性暴力に合う確実性を上げるし、さらに男性一般と比べ少数でしかないトランス女性の犯罪者だけに目を向けることは、
性暴力を振ってくる男性一般の犯罪者から身を守る手段になり得ない、と言うのが理解できると思う。
つまるところ、女性用スペースからトランス女性を躍起になって排除したところで、
トランス女性が云々なんて事が一切関連しない男性一般の犯罪者を放置すれば、
無論、トランス女性が股間の手術をしないで風呂に突っ込んでくる、と言う様な事例での排除はまぁ当然としても、
それ以外の場面、例えば多機能トイレが無い場合での女性用トイレの利用だとか、
あるいはトランス女性の性別移行度に合わせた社会的サービスの利用の場面なんかで、
と言ったところで、実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ちだけで、 実際の安全はほぼ確保されない。
そしてこの記事を書いている俺としては、トランス女性の排除で「実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ち」だけ、
と言う現実を放置することは、女性一般の安全を守る意味でも、かなり好ましくない状況だと思ってる。
さっきから何度もこの記事で書いてるが、女性一般の安全を守るためには、大多数の男性一般の犯罪者をなんとかする方が先だ。
しかし少数しか居ないトランス女性の排除だけにこだわり、「実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ち」を得られるだけの行動が優先されると、
今度は実際の防犯対策がおざなりにされ、「実際に女性一般の身を守るために必要な事」が見逃されるんじゃないか、と言う危惧を俺は持っている。
分かり易く言うと、今回見てきた様な「トランス女性を排除すれば身の安全が得られる」と言った主張は、
と言った勘違いを発生させ、これが跋扈すれば男性一般の犯罪者にとって都合の良い状況が作り上げられかねない。
しかも性質の悪いことに、この手の「充実感」だけを得られるに終わる社会運動は、実際の社会の向上にはさして影響を持たらさず、
勘違いと自己満足、あるいは倒錯した市民社会が実現される、と言った恐れさえ有る。
これは例えば表現の自由関連の界隈だと有名(?)な韓国の「アチョン法」と言うのがあるが、
この法律は「現実の性犯罪」よりも「ネット上での創作のエロを見たとか作った」と言う方が刑罰が重い、
と言うトンデモになっている法律で、これがあるせいで現実の性犯罪を取り締まるよりネット監視が優先され、
現実の性犯罪の被害者の方たちが「私たちの方を見ろ!」と言う声明を出さざるを得ない状況になっている。
そしてこれを今回のトランス女性の排除、と言う文脈で言えば、「トランス女性の排除」の徹底が社会合意とされ、
「トランス女性の排除」を目的とした法律、あるいは実務運用が成されてしまえば、
「男性一般の(犯罪目的の)女性用スペースの侵入」より「トランス女性の(正当な)女性用スペース利用の発覚」の方が重罪とされる、
と言う様な、倒錯し現実の被害者を軽視する様な馬鹿げた市民社会の実現にも繋りかねない。
無論、こんな馬鹿馬鹿しい話が出来上がるとは思いたくもないが、参議院選の前に立憲民主が「女装男性から女性を守る」と言う様なことを公約に書いていた事案や、
自民党と癒着していた旧統一協会が反 LGBT を掲げていたりすることから、こう言った「トランス女性排除の過激派」が政策決定の意思に関与する接点が増えると、
こう言った様な現実の脅威を無視し、倒錯し馬鹿げた法律が出来上がる可能性が無い、と言う保障はない。
なんで俺はそう言った意味で、トランス女性の排除「だけ」にこだわり続けるトランス女性排除過激派は、
かえって女性一般の安全を損なう行動を取ってるんじゃないか、と思ってるし、女性一般とトランス女性の共通の敵である、
「男性一般の性暴力を振ってくる犯罪者」から身を守ることへの協調を妨げ、単にトランス女性との分断と、
現状の犯罪行為の放置が続くだけなんじゃないか、と思ってます。
以上。
楽なのは絶対に意地の張り合いとかチキンレースのない人間関係なのにな。
『規範から外れたアウトローな俺』がかっこよくて、そういう自分を見せつけて他者から承認を得たい、だから他者に加害して『規範から外れたアウトローな俺』を演出するのか?
なら『規範から外れたアウトローな俺』っていうのが死ぬほどダサくて竈門炭治郎みたいな誠実なやつのほうがかっこいいぞ、みたいな感覚が社会一般に浸透したほうが良いのかな。
保育にちょこっと関わる仕事をしてたことあるけど女児でも意地の張り合いや私のほうが○○だもん!みたいなのはあったけど、誰かにちょっかいかけたり加害行為をしてそれを自慢気にする、というのはほとんどなかったな。男児だけ。
知らず知らず男らしさ、女らしさ、みたいなものを大人が態度で示したり、いろんな表現物に落とし込んでいて、それを摂取していった結果なのかね。
ヒーロー物を見て強さに憧れるのは分かる。自分もそうだったし。
ただヒーロー物や仮面ライダーを好む女児もいるしプリキュアだって戦ってるし。
規範から外れたものをかっこいいと思う感覚がどこからくるのか、それを実践しても良いと考えて行動に移し、さらにそれを互いに競い合う、みたいなことになんでこうも男女差が出るのか不思議。
はてなブックマークや増田見てると、今回の安倍元首相暗殺から端を発した、統一教会-自民党の結びつきバッシングを受けて、自民党一強政治が終わりそうな予感を感じている人が多そうだけど、多分そうはならないと思う。
今回の政治スキャンダルで、左派野党の政権担当能力が向上した気がしないし、自民党の各得票数のうち統一教会依存で得られていた票数がそんなに多いとも思えない。
多くの有権者は、少数の霊感商法被害者が地獄を見たところで、それによる害が自分に及ばない間は、現状の維持の投票行動を続ける気がするんだよなぁ。
その選択が愚かであるかどうかは別として、はてなユーザーの認知は結構社会一般からずれていて、今後も社会に対する恨み言を綴ることしかできない、そんな気がするんだよな。
はてなブックマークや増田見てると、今回の安倍元首相暗殺から端を発した、統一教会-自民党の結びつきバッシングを受けて、自民党一強政治が終わりそうな予感を感じている人が多そうだけど、多分そうはならないと思う。
今回の政治スキャンダルで、左派野党の政権担当能力が向上した気がしないし、自民党の各得票数のうち統一教会依存で得られていた票数がそんなに多いとも思えない。
多くの有権者は、少数の霊感商法被害者が地獄を見たところで、それによる害が自分に及ばない間は、現状の維持の投票行動を続ける気がするんだよなぁ。
その選択が愚かであるかどうかは別として、はてなユーザーの認知は結構社会一般からずれていて、今後も社会に対する恨み言を綴ることしかできない、そんな気がするんだよな。
元増田だが、昨日は怒りに任せて感情をブチ撒けてしまったのと、
あと俺に対して言ってもいない主義主張を推察している人もいるので、
その辺りも含めて追記しておく。
まず第一に、俺自身は「トランス女性は女性です」と言う考え方を支持しない。
と言うより、「トランス女性は女性ではない」のだからその現実に苦しむのだし、
そこへ「トランス女性は女性です」と言うイデオロギーを無理矢理押し込んで、
無理にトランス女性を女性扱いさせるのは当事者である俺自身も含め、
次にトランスジェンダリズムとして呼称されている「女性と言う言葉と意味を無くす」だとか、
あるいは「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼び掛けについても、俺自身はほぼ支持していない。
まず「女性と言う言葉と意味を無くす」と言う考え方は、女性へ性別移行したい人間にとって、
移行する先の性別を無くすことを意味するし、「女性とすべての子宮を持つひと」と言う呼掛けも、
男性に例えるなら「男性とすべての前立腺を持つひと」みたいな呼掛けになる訳で、
ただとは言え子宮癌とか前立腺癌への健康診断を呼び掛ける文脈で、
「女性とすべての子宮を持つひと」とか「男性とすべての前立腺を持つひと」
と言う呼び掛けを使わずに健康診断を受けろよ、と言う呼掛けを出来るのかどうか、
って言うところには、俺自身は回答を持ち合わせてはいないのが現状。
まず最初に言っておくと、世間一般が懸念している(とされている)、
俺は女だと名乗ったら、どうみても男でも女性として扱わなければならない
みたいな考え方も俺は支持しない。
と言うより、生活実態として中身が伴わない状態で俺は女だ、とか言っても誰も相手にするべきではないし、
そんな行為が罷り通る社会を実現したいか、と聞かれたら、「は?何言ってんのコイツ」としか思わない。
ただな、ルッキズムにはなるけど、生活実態として女性にしか見えないトランス女性に対し、
「チンコが付いている限り、男性用トイレだとか男性用設備しか使うな」って言うのは、
流石に無理があるだろ、とは思ってる。
まずトイレについてだが、どう見ても女性にしか見えず、どう頑張っても男性だと認識させられないトランス女性に対し、
男性用トイレ使えって言うのは、「お前は男性用トイレに入ろうとした女の不審者になれ」と言うのと同義なんだよ。
逆のバージョンを考えれば分かるが、どうみてもオッサンにしか見えないトランス男性が女性用トイレ使おうとしたら不審者にしかならんだろ?
次に Twitter で良く例として上げられている風呂とかの入浴設備の問題なんだが、俺個人としては、SRS でチンコを取らない限り、
トランス女性が女性用浴場に無条件に入るのは、建造物侵入と公然わいせつで男性刑務所にブチ込まれたくないなら止めとけ、とは考えてる。
ただこの問題は一個やっかいな点があって、トランス云々とはまったく関係ない文脈で、
ごく一部の DSD 女性(性分化疾患を持つ女性)がとばっちりを食うんだよな。
と言うのも DSD 女性の中には外性器として男性器も性発達している人もいて、
チンコが付いているなら女性用を入浴設備を使うな!と単純に主張すると、
こういった DSD 女性たちも無条件に排除されてしまう訳で、
そう言った意味ではこの人たちを無視しないで欲しい、とは思ってる。
を見てくれたら助かる。
俺個人としては、トランス女性を女性競技に無理矢理突っ込むのは互いに不幸にしかならんから止めてくれ、と思っていて、
どう言うことかと言えば、例えば競技でトランス女性が不断の努力を以ってして優勝を勝ち取ったとしても、
「あいつはトランス女性だから勝ったんだ」と後ろ指を指されることに繋がってしまうし、
逆に女性側からしてみれば、「あいつらトランスは私達から活躍の場を奪った」と言う認識にしかならん訳で、
こう言った面からトランス女性を女性競技一般に無理矢理ブチ込むべきではない、とは考えてる。
とは言えその反面、今の今までトランス女性が「女性として」のプロスポーツへの参加方法が一切無かった、
と言う現実は直視すべきで、この点はルールを決める側の競技連盟が無い知恵絞ってどうにかしろよ、とは思ってるし、
無論これはトランス男性でも同じことが言えるんじゃないか、とも考えてる。
ただこの手の問題でいくつか思うのは、現状のルールに基いて競技に参加したにも関わらず、
トランス女性選手であると言う「だけ」で、その当事者やトランス女性全般へ増悪を向けるのは止めろと思ってるし、
元々が女性一般とトランス女性を問わずの競技大会(確か自転車だったか)でトランス女性が上位入賞したケースを、
「女性の競技での活躍を奪ってる!」と言うのは、流石に御門違いもいい加減にしろ、とは思う。
なんでそう言う競技の不公平云々は大会設営者に言えよ、と言うのが正直なところではある。
keshimini 差別主義者と一般社会とLGBT当事者で、どこまでが「おかしなLGBT活動に対する批判」でどこまでが「当事者の苦痛を踏みつけにする行為」の認識のラインがまず違うんだよな。そこが合わない以上、揉め事はなくならない。
と言う指摘があり、これについては元増田を書いた以上、返答する義理があると思うので、
それについて言及してこの話を終わりたいと思う。
まず俺が思うのは、
ついで、
と考えてるのがまぁ社会一般かな、と思う。
で、最期問題なのがトンチキな LGBT 活動家と当事者集団で、こいつらは、
みたいな事を言っている印象がある。
それで、この問題の根幹にある、
については、これはもう文脈に依る、としか言えないと思っていて、
例えば「トランス女性は女性ではないから○○は当然だ」みたいなのは当事者の苦痛の踏み付けだと思うし、
「トンチキ活動家と当事者はそう言うけど、こう言う場面では不都合が出るよ」みたいな懸念の表明は穏当だと思ってる。
とは言えこの辺りはグラデーションで、ある面では穏当な懸念を示していたとしても、
ある面では苦痛の踏み付けをやってしまっている面もある、と思っていて、
人間の読解力に限界がある以上、ある程度これは許容しなければならない、と個人的には思ってる。
ただ Twitter だと特に顕著だけど、トンチキ LGBT 活動家も、それを批判する側も、お気持ち当事者も、
全員が全員、イナゴの群れか何かか、と言う勢いで安易に個人の発言に群がってる面があると思っていて、
これがネット上でトランス女性への増悪を増幅させたんじゃないか、と個人的に思うところはある。
なんでインターネット老人会じゃないけど、いわゆる炎上案件でのネットイナゴが Twitter で大量発生し、
それがどんどんどんどん増幅して相互に憎悪を撒き散らした結果、
今のネットでトランス女性への増悪はあたり前、みたいな風潮になって行ったんだろう、と俺は思ってる。
正直なところ、俺が昨日ああ言う感情剥き出しの記事を書いてしまった理由としては、
今のネットでトランス女性への増悪はあたり前、性別違和への苦痛の踏み付けは無視当然、
と言う態度への我慢が出来なくなったからで、まぁ感情を剥き出しに書いたのは俺の未熟だったとしても、
会社や家族の中ではだらしない、うっかりしている人間だが、社会一般的にみればまぁ真面目な人間の部類に入ると思う。
地方の四大卒、新卒で就職した一応全国に支店がある大企業でもう十年以上働いている。独身恋人なし結婚予定ももちろんなし。
二十代なかば頃に結婚相談所で知り合った人と結婚前提に付き合っていたが、どうしても一線を越えられず、そのことについて相手と腹を割って話すこともできず、悩むのに疲れて破局。未だに清い体。
自分は人間を好きになる才能がらしい。典型的なオタクなので二次元キャラは好きになれるが、どうにも恋愛を我が事として受け取れない。
結婚願望があるわけじゃないが、これまでずーーーっと正しくあるよう生きてきたから、どうしてもいい年で独身の自分を
やるべき時にタスクをこなせなかった人間という否定的な目で見てしまう。
今は結婚も絶対的な価値観じゃないのにな。きっと自分に自信がないんだと思う。
これまで大体のことを模範的というレベルではないけどきちんとやってきたから、それをできないことに対する負い目。もはや呪いのようなもの。今の自分は正しくないという恐怖。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7
この辺の問題疎いが、未成年女子を性的に強調して扱うコンテンツを社会一般に広く広告として開陳は、現実の社会問題解決に程度の差こそあれ有害なのは間違い無い。社会における女性の心理的安全性優先が吉。
このマンガの設定からすでに容認できないと思っている。未成年を性的に見ることが公に許されている社会ではいつまでも成熟できない。恥ずかしいことだと認識してほしい。
専門家のアタイから言わせてもらうとこれは女子高生な点がアウト。妙齢のおねいさんなら良かった。未成年を性的な目で見る社会もうやめようよ。少なくとも陰でこっそりやる趣向であるべき。
仮に「未成年」であることが問題だとするなら、もう18歳から成年なんだから制服着てる女子高生だろうが「性的に強調して扱」っても「性的に見」てもいいんじゃねえの?
ついでに
「他人の体を見ると目の保養になる」とかいうやつは、それを売り物にしてる人間の体でやろうね。別に売り物にしてるわけでもない人の体でやっちゃダメだよ。未成年・成人関わらず。
まさに「売り物にしてる人間の体」でやったら怒られが発生してるんじゃが……。
元増田のお母様は、集団ストーカーと呼ばれる犯罪の被害者です。
日本全国に大勢の被害者がいますが、まだ社会一般に周知が進んでいません。
説明が非常に難しい手口であることと、証拠を確保することが困難なため、警察に訴え出ても取り合ってもらうことが難しい状況です。
また、全国の被害者がこの犯罪について声を挙げ始めていますがマスメディアはいっこうに取り上げません。
このような現状を打破するため世論に訴えかけようと、当事者である被害者が自ら草の根で周知活動を行っています。
普段ニュースで報道される事件の中には、一見理由が曖昧でその後どのような理由で当該事件が発生したのか判明しないまま社会から忘れ去られるケースが散見されます。
職場においては都合の悪い社員を辞職に追いやるため陰湿ないやがらせが行われているケースがあると聞きますし、学校においてはいじめが原因と考えられる理由で自ら命を絶つ子供が後を絶たないばかりか、
学校や教育委員会がいじめの存在を否定し、教師が子供の心を傷つけるような行為を行っているケースまで報道されています。
これらのニュースの多くは真実が判然としないまま他のニュースにかき消されていきます。
集団ストーカー被害者の地域生活においては、誰かに都合のよくない発言や行動をとったことがきっかけでまるで「村八分」のような扱いを受け始めたという報告があり、
日常生活の中で見ず知らずの不特定多数の人たちから不自然に不愉快な思いをさせられることがあるようです。
これらの不愉快な出来事は偶然とは考えられない確率と頻度で経験させられており、驚くべきは被害者の個人情報が前記のような行為に使用されています。
このような現状を鑑みれば、報道される一部のニュースの裏で声を上げられずに苦しむ人々が存在し、決して表面に現れない真実が隠されているのではないかと憶測せざるをえません。
現在多くの被害者がインターネットを通じて情報を公開していますので、議員や報道を業とする方々の一部はこの事実を把握しているはずです。
多くの被害者によれば、加害行為を実行している者たちは、公務員をはじめ様々な業種に携わる職業人や一般社会人とみられる方々まで、
高齢者から学童まで幅広い年齢の人々が加担している様子が報告されています。
更には、この犯罪には非常に高度な技術が用いられている様子がうかがえることが大きな特徴です。
お母様が盗撮被害に遭われているように、刃物や拳銃など常識的に想像ができるような凶器ではなく、ヒトの視覚や嗅覚で知覚することができない技術を応用して被害者に苦痛を与える手段を持ち合わせているようです。
携帯電話や人感センサー、GPSなどはすべてヒトの目に見えないもののはたらきによって作動していることを考えれば、決してありえない手段でないことはご理解いただけるのではないでしょうか。
しかしこのようなことを訴えても、一般の方々にはにわかに信じていただけません。
私たちのように取るに足らない一般庶民に対して、なぜこのような大掛かりな加害を実行するのか何一つ理由が見あたらないからです。
加害の手口が常識から遠くかけ離れているため、家族や友人などの身近な人たちに現状を訴えても被害者の身に起こっている事実を信じてもらうことが非常に困難です。
被害者の中にはご自身の被害の実態から加害実行者を特定している方々もおられますが、個々の被害状況も様々であるため不明な点が多いのも事実です。
確実にいえることは、加害の手法には一定のパターンがあることから、加害者側は非常によく統制されたシステムで成り立っており、
専門知識を持ち合わせた人物を含む信じがたいほど多数の加担者を利用して、加害の実行も厳格な取決めのもとに行われる様子がうかがえることです。
いったん被害が開始されると短期間で止むことはなく、長い方々では何十年と苦しんでおられます。
被害者は、それまで持ち合わせていた常識からかけ離れた状況に追い込まれてパニックを起こし、残念ながら精神科への入院を勧められたり、最悪の場合自ら命を絶つ方もおられます。
幸いインターネットの普及により「集団ストーカー」と呼ばれている事実について、被害者がおびただしい数のブログ、ホームページやSNSを利用して情報を公開しています。
一方で非常に残念なことに、被害者を執拗に揶揄する者が存在し、この事実を隠ぺいするがために偽りの情報を拡散することで一般社会に誤解を与えるような記事が多数公開されています。
しかしながら昨今、冷静な視点をもって、デモや街宣をはじめ周知用のチラシを配布するなど、身近な方法でこつこつと周知を行動に移しておられる被害者が全国で増え始めています。
中にはこの犯罪の事実を地方議員や国会議員に直接訴えかけている方々もおられますが、解決に乗り出す動きがみられません。
被害者の多くはこの被害により生活や職を追われたり社会的に孤立に追い込まれています。
深刻な社会問題ですが、第三者による介入はいまだかつて行われていません。
ブログ主が主張するメリットの一つがウーバーは働く時間を自由に選べることらしいのだが
オフィス街では会社の昼休憩どきに注文が集中するだろうから、結局社会一般が活動してる時期に合わせて動かないと稼げないわけで、
多少の裁量はあってもどうせ月〜金の日中から夕方で働くのだから、そんなに自由に働けねーだろと思った
更に月収例・年収例が掲載されていて、サラリーマンと遜色なく稼げるぜ!しかも自由に!と主張していたのだが、
サラリーマンには福利厚生があり、保険料を折半して貰っており、更に退職後は厚生年金と退職金を受け取ることもできるので、
その分を加味するとどう考えてもサラリーマンより貧困と言わざるを得ない
まさか60歳、70歳になってもウーバーイーツで働き続ける人生設計なの?病気や怪我してもウーバーは保証してくれないけどそんな余裕ないよね?
まあ人生は個人の自由だし、本当に美味しい話は内緒なのかもしれないし、その人の価値観には合致した魅力がウーバーにはあるのかもしれない
強烈な他人の才能に相対すると、畏怖の念を抱くのはもちろんだけど、自分の実力のなさにも衝撃を受ける
ごめん大仰に言いすぎた。俺の実力なんてのははなからカス程度だろうとの見積もりがあるので、自分の実力の無さにはそれほど衝撃は受けていませんでした。
でも本当にすごい人というのはこの世に存在するものでして、その衝撃たるや、同じ時期のこの日本に生まれ、彼の生み出す卓越したコンテンツを日本語で摂取することができて、私はこのコンテンツに触れるために生まれてきたんだなぁという、心の奥深く腹の底の底までを充填する納得かんに沈んでいるわけです。
なんかすごいものに相対するとなんかすごい以外の何も感想が出てこないってのが問題で、私の知能が元々低いので、なんかすごいみたいなとても交渉で語彙力の高い洗練された感情表現しか出てこないってのもあるけど、なんかすごいものを見たら、なんかすごい以外の感想はやっぱり出ないんだなーと思いました。
アニメ化もされて割と有名な作品だけど、それにしても社会一般での評価は良作止まりなんだよなぁ
俺からしてみたら今世紀最大の傑作って言っても過言じゃないくらいすごい作品なんだけど、ファッション感覚で消費されているような感じはちょっと寂しいです
までも、社会一般に浸透することなくエタってしまった作品に比べりゃ超弩級タイトルでもあるし、まあいいか
俺がこの作品のヤバさを頭の天辺から我慢汁の先までよーく味わって、理解できてるだけでいいという意見もありますよ?
あと好きすぎて多分この作品にことを他人と語ることしんどい感じもする
好きすぎて誰と喋ってもお前如きがこの作品の感想を語るんじゃねーよ!みたいなめんどくさいDV彼氏みたいな境遇に陥ってしまっている感覚もあります。
どうでもいいこととかは話題にできるけど、自分が極めて心身を研ぎ澄まして相対している概念とかを語るって、すげー難しいんだなというめんどくさい世の中は多分どうにもならないのでしょう
とにかくすげー作品がこの世にはあって、作者の脳みそを見てみたい気もするし、いくら作品が好きだからと言ってもそこまでやるような変態であってはほしくないと言った家族の声が散見されます。