はてなキーワード: 磁気とは
うちの自治体でも、全庁を挙げて必死に個人番号カード、いわゆるマイナンバーカードを推進しています。
出張所なので、可能な手続きはもともと限られているのですが、いま来るお客さんはほぼマイナンバーカードの「新規申請」か「引渡し+マイナポイント獲得の手伝い」です。
どいつもこいつも…
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
https://togetter.com/li/2007424
とか
とか書き散らかしててゲンナリ。
『児童ポルノを「性欲を興奮させ又は刺激するもの」と定義』したのは
「表現の自由を守るため」だよ。
おまえら表現の自由が大事だと常日頃から主張してる立場じゃねーのかよ。
まず、なんで「児童を守る」のに買春とポルノの規制から入ったかって、そりゃ当時の日本が児童買春・児童ポルノ大国だったからだろ。
単純に規模がでかくて根が深かったからそこから始める必要があっただけ。
この神崎ゆきという人間の年齢を知らないが、多分まったく当時の日本を知らないんじゃないの?
1998年当時の日本じゃ、ブルセラとか援交とか盗撮とかの名前のついた中高生のポルノビデオは簡単に購入できた(※1)し、中高生を一部被写体とする写真誌(いわゆるエロ本)やら盗撮写真集やら(※2)が普通にコンビニ売りされてたんだぜ。
さすがにローティーン以下はマイナーだったけど、その手の書店に行けば普通に並んでた。大学の近くの古書店にも大量にあったな。
もちろん中にはスナッフビデオ(虐待記録物)もあったんだろうけど、そんなニッチなところより、まず被害がでかい児童買春(援交)と、市場が成立してて識別も容易なポルノから取り締まろう、というのは普通の感覚だと思うけどな。
次に、なんでこんな限定(「性欲を興奮させ又は刺激するもの」)を付けたかって言えば、既存の表現を萎縮させないため。
もともと公衆浴場や家族風呂の文化のある日本では子どもの裸への許容度が高くて、当時は二次性徴前の低学年くらいの子どもであれば、テレビのニュース映像に出てくることも普通にあったんだよ。感覚も緩かったから、ティーンエイジャーでも作品内で必然性があれば裸や半裸の子が出てくることは珍しくなかった。(※3)
だから、多くの表現者、作家、ライター、写真家、ジャーナリストは反対の声を上げたし、こういう制約つけたわけだよ。
ただ「子どもの肌が出てた」ってだけで既存作品が廃版になったり、報道が出来なくなったら困るからね。
※『性的虐待記録物という表現にしてたらポルノも取り締まれたんじゃないの?」という声については、これは個人の感想だけど、当時の感覚ではブルセラとかを「性虐待」で定義するのは難しかったと思う。
ちなみにそれだけじゃまだ限定が足りないと言うことで、2014年改正では単純所持禁止と引換に、以下の限定が追加されてる。
これも「表現の自由」を訴えた運動の成果であって、絶対に「ポルノを眼の敵にする矯風会の仕業」じゃない。
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀でん部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
既にインターネットの片隅以外の児童ポルノ市場は消え去った今、スナッフビデオもターゲットにしてこーぜ、という議論をするのは良いと思うよ。
たださ、歴史改変はやめるべきだし、識者を任じてる人間が乗っかって騒ぐのはあまりにも恥ずかしいし見苦しいだろ。
※1 トラバで突っ込まれてたので補足。さすがに援交ビデオとかの一般店頭売りはなかった。ただ、チラシ通販やそこらの中古屋なんかで簡単に買えた(と聞く)。自分は購入していないのでここは伝聞で申し訳ない。
なお、販売業者の摘発はあったと思うが、買う側が捕まったという話は記憶にない。
※2 トラバで言及されてる「乳首なし」は英知出版等のお菓子系の話かと思うけど、少年出版社のとかは普通にヌードやモロの投稿写真あったと思うぞ。
※3 トラバにもあるように芸術写真路線での少女ヌード写真集は「性欲を興奮させ又は刺激するもの」の文言がなければ間違いなく即回収コースだったはず
去年の夏頃から片耳にfaxの受信音のようなダイヤルアップのようなピーヒョロロ~ヒョロロ~みたいな高音の耳鳴りが続いていた。
耳の穴に指を入れて1部を押さえると強くなったり弱くなったりする。朝起きた時に聞こえて会社や外に出ると消える。が、段々日中でも耳をすませると聞こえるくらい頻繁に鳴っていた。
日常では困らない程度の音なのでそこまで気にしてはいなかったが少しずつ強くなっていったのでずっとこのままなのか、もっと酷くなるのかと段々不安が増えていった。不安でパニック症状が出始め今年の春からメンタルの薬を飲む羽目になった。
そんな中部屋の掃除で昔買った磁気ネックレスを見つけた。肩こりに悩んでいた時に購入して効果が分からなかったのでしまい込んでいた(肩こりはジョギングと筋トレで治った)それを何となく装着して眠った。
そしたらなんと翌朝に例の耳鳴りが消えていた。
磁気ネックレスのお陰だと思うが絶対にそうだとは言えない。ただネックレスを付けて1週間だが耳鳴りはごく稀に鳴るくらいで落ち着いている。
あんなに悩んでいたのが嘘みたいだ。
アインシュタインって科学者として一番賢いというかもっといえば最も頭がよくないとできない難しいことをしたみたいな人物像で定着してるじゃん?
でもそういう担保ってどうやって得てるわけ?
たとえば俺はテレビで太陽の磁気をプログラミングしてのシミュレーションから太陽風の予測する研究してる様子を見て、そういうプログラムってどうやってするんだろうととても難しそうな研究に見えたし、アインシュタインのした研究とどっちが難しいなんて素人目には判断つかないんだけど、この手の人間は各専門分野にいくらでもいるわけでなんでそれらの誰よりもアインシュタインのほうがすごいって言い切れるんだろうって思う。
mRNAワクチンの開発とかよりも相対性理論の構築の方がすごいのか?
こういった人たちから自分自身でアインシュタインの研究は自分には成し遂げられなかっただろうもはや言うことはないけどさ、全員がそう考えてると思う?
科学者に最も賢いことが要求される研究をしたと思う科学者をあげてもらって(それは多分アインシュタインだろうが)、さらに自分の次に賢い研究をしたと思う研究者をあげてもらうという六次のつながり的なことを繰り返していって、あるところで最も賢いと思う研究者と自分の次に賢い研究者が一致したという、アインシュタインを頂点とするトップダウン式の構図になったならば、確かにアインシュタインが科学者の間でも一番賢いという一定の担保にはなるだろう。
しかしどこかで今聞いている科学者から最も偉大な科学者や次に偉大な科学者として、スタート地点からその直前の科学者までの誰かの名前があがるという3すくみ型というかウロボロス型の構図になるかもわからない。
こうなってはもうアインシュタインが一番賢いという認識が嘘だったことになる。
別にアインシュタインじゃなくてノイマンとかでもいいけど、とにかく研究ってこれはこれより賢い人じゃないと出来ない研究だみたいな点で絶対的に優劣をつけられるようなものなのかと思う。
何の研究が難しいかって研究者との相性にもよるものだと思うから、たとえばアインシュタインの研究なら当時僕が生まれててもできたわけで今の自分のやってる研究の方が全然目が出ないから難しいと思うという人だっていると思うわけ。
そういうわけで少なくとも上記のような手順を踏まえずアインシュタインとかの研究が絶対的に賢い研究だとみなしてるのは少なくとも科学的ではないと思う。