はてなキーワード: 破壊行為とは
頻発している鉄道テロは、明らかに底辺男性達によるストレス発散として利用されている
弱者女性のストレスや不満の発散方法と違うなと気付いたので、この記事を書いている
男性はテロなどの暴力、破壊行為を行い、現実の不満を外に発散させる傾向がある
→例:今年の京急、小田急、九州新幹線でのテロ、過去の通り魔事件など
女性は陰謀論を展開し、空想上の都合の良い存在や理論を作り出し、現実逃避する傾向がある
→例:ワクチン陰謀論、芸能人のスキャンダルは自民党によるものという陰謀論、CO2による温暖化の環境問題など
単純に見たら底辺男性は底辺女性よりも危険で犯罪に走りやすいことが分かる
(性犯罪者は警察官等でもいるので、ここでは除く。窃盗、詐欺等は低収入を補完する手段として実行されているので同様に除く。)
今回、至った結論としては、
底辺男性は底辺女性と同じようにを陰謀論や環境問題等に傾倒するようにしたらどうか、ということ
陰謀論や環境ビジネスは底辺女性以外も傾倒して、儲けようとしている輩もいる
人と違うことが格好良いと勘違いした金持ちが支援してくれることもある
現に新型コロナに効果のない消毒液をばら撒く装置を売ったり、マスク外そう運動で募金を収集したり、太陽光ビジネスとか
※スマーフとは?
【smurf】素性を偽ること。転じてゲームでサブアカウントを使用して初心者狩りをすること。
さて、今回の命題は「自分が既に初心者でないゲームジャンルの新作ゲームで、自動的にマッチされた初心者をボコボコにすることはスマーフに当たるのか」である。
一つ言えることは、たとえソレが自動的なマッチングだとしても経験者が一方的に初心者を倒すのは初心者狩りだってことだ。
これはゲームの側に問題があるので、初心者狩りをする奴が悪いわけじゃない。
学校のテストでまともな親に育てられた子供が勉強なんてほとんどせずに満点を取り、親がクソな子供がそれと比較されて日本語さえ読めないことを教師になじられるのと同じで何が悪いとあえて言うならそういう状況になってしまったことだ。
これは意見が分かれる所だろうが、やはりスマーフだと考えるべきだと私は思う。
たとえそれが別のゲームであったとしても、そのゲームで有効な経験値に全く差のある同士がマッチされる状況を生み出すならその判断をした経験者はスマーフとなるのは仕方ない。
それは不可抗力のスマーフであり、そこで悪と断じるべきはゲームシステムの側だ。
だが、もしもここで「これはスマーフではない。システムが悪いのであって、俺はアカウントを新規に作って初心者狩りをするクズではない」と言い訳するなら、それは欺瞞というものだ。
たとえ新作ゲームであっても、「自分が勝手をしっているゲームで」「新規のアカウントを作り」「初心者とマッチングし」「経験値の差を利用してボコボコにする」という行為をしたのならそれはスマーフだ。
それ自体が悪質なゲームの破壊行為として通報されることがないと言うだけで、狩られる初心者プレイヤーからすれば起きている現象は全く同じだ。
スマーフとは初心者に対しての迷惑行為であり、迷惑行為の基準は被害者の側から考えるべきものだ。
初心者からすれば相手がシステムの都合でそうせざるを得なかったかどうかは関係ない。
始めたばかりのゲームで初心者同士でマッチングするはずが明らかにそのゲームで何をすればいいのか知っているプレイヤーにボコボコにされるのなら、初心者から見ればそれはスマーフでしかない。
つーわけで何が言いたいかというと。
オトモダチへの利益誘導、隠蔽改竄、国会軽視、閣僚の贈収賄、官僚/メディア/企業に対して人事権等を振りかざした恫喝、検察庁法案etc
それら自民のしているブラックだったりブラックに近いグレーだったりする民主制と法治に対する破壊行為を棚に上げて、こうなったのは野党のせいでもある!って、それ、笑うところだよね。
アメリカ民主党は共和党支持者でも納得する確率が高いバイデンでまとめたぞ。
そしてバイデンはトリプルブルーになっているのに、左派に引きずられることなく共和党支持者にも配慮してバランスを取って政策推進をしている。
分断がこれ以上ひどくならないように努力してるわけだ。
そういうことを野党側がやらないから有権者の選択肢が奪われてると思わないのか?
日々のつらさに耐えかねたのび太は、出木杉くんに相談を持ちかけた。出木杉くんはその協力要請をこころよく承諾し、のび太にこう助言した。
*
剛田武くんは少し乱暴な子として職員室のあいだでも有名であった。しかし、公立小学校には様々な問題を抱えたクラスや複雑な家庭事情を持った生徒が数多く在籍しているため、教員たちは剛田武くんの言動にいちいち構っている暇はなかった。
いじめ慣れしている剛田武くんはひとの目に付かない暴力や強奪がうまく、クラスで大きな問題になることはこれまで一度もなかった。それは彼のいじめっ子としてのセンスのよさであり、また「剛田武は少し乱暴な生徒」というレッテルによって彼の乱暴性を個性として許されてきたところがあった。
のび太くんの声なき声を出木杉くんが拾い上げたのは、彼の中にある揺るぎない正義感に加えて、政治的な意味で次第に声が大きくなっていく剛田武くんに対して個人的に嫌気が差し始めていたからだった。のび太くんはそのことも承知の上で、助かるならなんでもいいという気持ちであった。
「でも、どうすればジャイアンに勝てるんだろうか」と弱気になるのび太に対して、出木杉くんはエリートらしい得意げな笑みを浮かべながら、もうひとつ踏み込んだ助言をした。
「ジャイアンに勝ちたければ学校を動かすしかない。学校を動かしたければ、世論を動かすのが有効だ。そして世論を動かしたければ、メディアを動かすんだ」
*
出木杉くんはあくまでもクラスの内戦に過ぎないこの紛争を、"学校ごと"に格上げさせる方針を示した。
まず出木杉くんは友人である朝日くんに情報提供を行った。朝日くんは学校新聞の編集長で、学校新聞の編集室の中でもっとも発言力を持っていた。
出木杉くんはこれまでの剛田武くんによる悪行をまとめた資料(以下、デキスギ資料と呼ぶ)を朝日くんに手渡した。朝日くんはデキスギ資料に目を通しながら、出木杉くんに対してこう言った。
「確かに剛田武くんの行いは非人道的かもしれない。だけど、これくらいのことはどこのクラスにもよくあることだよ。それに、大きな声では言えないけど剛田武くんを敵に回すことは我々にとっても得策じゃない。我々学校新聞が報道することに意義を感じないね」
出木杉くんはその反応が返ってくることをわかっていたかのようにうんうんと頷く。
「確かに。朝日くんの言う通りだ。5年2組のちょっとした暴力なんて、学校にしてみれば裏庭で起きている猫の諍いみたいなものだろうね」
「じゃあどうして持ちかけたのさ、出木杉くんらしくないぜ?」
出木杉くんはその言葉には応えず、にっこりと爽やかに微笑みながら席を立った。
「とにかく、これからも連絡はするよ。記事にしたくなったらいつでも言ってくれ」
*
のび太くんはこれまで殴られた回数や奪われたおもちゃの数を数えて、デキスギ資料をより具体的な数字で補強していた。それはもちろん出木杉くんの指示であったが、出木杉くんはそんな数字よりももっとセンセーションなものの必要性を感じていた。
出木杉くんはデキスギ資料の改訂版を何度か朝日くんに送っていたが、この日はたった一文だけを載せて送った。
「来週の朝礼で、野比のび太氏が剛田武氏に宣戦布告をします。」
毎週月曜に体育館で行われる朝礼では、校長先生のあいさつと各委員会からの報告が行われる。出木杉くんはのび太の所属する美化委員からの報告時間を巧みにハッキングすることで、のび太に宣戦布告を告げる機会を与える作戦に出た。
校長先生の定型的なあいさつが終わり、学級委員会から順に今月の報告が行われる。美化委員会の順番は最後であることは出木杉くんにとって都合がよかった。続いては美化委員会からのお知らせです、という進行役の声を合図にして、のび太くんが全校生徒の前に立った。
のび太は美化委員として、校舎前の花壇が何者かに破壊されていたことを報告した。本来であれば報告はここで終わりだが、のび太は続ける。5年2組の剛田武くんが教室の備品を勝手に持ち出したり、箒とちりとりを剣と盾に見立てて遊び、すぐに掃除用具を壊してしまうことを報告した。そして、剣のように振りかざされた箒によって、自分の肩や腹に青あざができていることを、お気に入りの黄色いカットソーをめくって見せた。体育館内がざわつく。
のび太の手足は緊張で震えていた。声も震えていた。しかし、出木杉くんにとってはそれも計算済みであった。全校生徒はのび太の震えを見て、緊張ではなく剛田武くんへの恐怖心を連想するはずだと確信していた。のび太の震えは、今まさに剛田武くんから殴られてきたかのようなリアリティを持たせていた。また、のび太の弱々しい外見が同情を引き寄せることも計算に入れていた。
教員たちが異常事態に気づき、近くにいた教員がのび太の近くまで駆け寄ってくる。だらだらと演説している時間的な余裕がないことを察したのび太は、演説の最後に剛田武くんを象徴する3つの行為「モノを奪う行為」「モノを壊す行為」「人に暴力をふるう行為」をまとめてこう呼ぶのだと強く訴えた。
「これはジャイアニズムだ」
*
朝礼は中断され、それぞれのクラスがぞろぞろと体育館を出て教室に戻っていく。その道中、全員が校舎前を通る。つまり、破壊された花壇を見るのだ。そして全員のこころの中で先程の言葉がリフレインされる。
「ジャイアニズム」
実際に花壇を破壊したのは出木杉くんであった。しかしあの朝礼が終わったあとに全校生徒が目撃する象徴的なものを壊すことによって、それが剛田武くんによる破壊行為であるかのように印象づけられる。それに、一見は百聞にしかずという言葉があるように、報告を耳で聞くよりも実際に破壊されたものを見てもらうほうが印象に残ると考えたからだ。
次の日には、学校新聞がのび太の演説をトップ記事として伝えた。ジャイアニズムというキャッチーな見出しもさることながら、これまで出木杉くんがデキスギ資料として学校新聞に送っていた剛田武くんの悪行が記事内容に厚みを持たせていた。のび太の演説と破壊された花壇は全校生徒が知っている。それ以外の皆がまだ知らない情報が載っていることにニュース性はある。新聞が貼られた廊下の前で、あれもこれもジャイアニズムだったんだと誰もが語り出した。メディアが動いたことで学校の話題は剛田武くんの悪行に一気に傾くのをのび太は感じた。
「ジャイアニズム」という言葉はあっという間に一人歩きをし出した。具体的な事実であろうがなかろうが濫用され、よくある単なるケンカではなく、ジャイアンという特別な力による暴力であると印象付けることに成功した。
剛田武くんは怒りに震え、一度教室でのび太の胸ぐらを掴んだことはあったが、周りの目が明らかに自分を悪者として見ていることに居心地の悪さを感じ、それ以降はのび太を無視するようになった。クラスだけでなく学校中から悪のレッテルを貼られた剛田武くんが廊下をとぼとぼ歩いていると、教頭先生が「剛田くん。放課後、校長室に来なさい」と声をかけた。しょんぼりしながら小さな声で返事をする剛田武くんの背中はこれまでにないくらい小さく見えた。
のび太はその様子を遠くから眺めていた。気が付くとのび太の隣には出木杉が立っていて、ふたりで剛田武くんの背中を眺めていた。
最初にのび太に助言したときのように、出木杉くんはエリートらしい笑みを浮かべながら言った。
「でも間違った情報もあった。ぼくがジャイアンや妹の悪口を言ったがばかりに殴られたこともジャイアニズムとして処理されてしまったし、それに、花壇を破壊したのは出木杉くんだろう?」
「花壇を壊したのがジャイアンだなんて一言も言ってないよ。君の読み上げた原稿にも書いてないし、学校新聞にも書いてない。みんなが勝手に誤解したんだ。でもまあ、実際に剛田武くんが花壇を踏みつけたり蹴り飛ばしたり姿を見たことがあったんだ。後日誰かがきれいに整えたので、ぼくは破壊されたときの様子を忠実に再現した。つまり演出したんだ」
「危なっかしいね」
「そうさ。情報の誘導の仕方次第では、世論はどちらにも傾く可能性があったんだよ」
「でもきみは上手に情報を操作することで、クライアントであるぼくを勝利に導いた」
「ジャイアンに勝つにはそれしかないんだよ。ジャイアンが実際の暴力を行なってくるのであれば、きみは虚構の拳を振るわなくちゃならない」
「虚像の拳か。情報は武器になる、っていうのはこういうことなんだね」
感心するのび太の顔を見ながら、出木杉くんは微笑んでこう言った。
「いいかい、のび太くん。情報を武器に仕立て上げる何者かが、その背後には常にいるんだよ。仕掛ける必要のなかった戦争、次世代通信規格の主導権争い、あるいは新型コロナウイルスのワクチン接種まで、情報を武器に扇動する者がいることを、もっと意識しなければならない」
<おしまい>
※この記事はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。のび太やジャイアンといったキャラクターたちは実在しますが、記事中のような人格ではありません。ジャイアンお誕生日おめでとう。
選手の皆様、関係者の皆様、ついに私たちはこのオリンピックの日を迎えることができました。新型コロナなどで1年の延期を余儀なくされましたが、こうして開催できたのは大変喜ばしいことでございます。先ほど総理からの挨拶でも述べられたように現在日本国内での新型コロナの市中感染は未だ終息していない状態であります。そこで私からは特に海外から日本にいらっしゃった皆様に、日本で滞在する際の注意点などを述べさせて頂きたく思います。
新型コロナ感染防止のため、競技中以外の外出時にはマスクの着用をお願いします。また各所に設置しておりますアルコールで手の消毒をこまめに行ってください。なるべく密集を避けて周囲の人とは間隔を開けることを心掛けてください。気分の悪くなった時はスタッフへの声かけや連絡を行ってください。検温を行う場面では従ってください。毎朝検温や体調の確認を行い、異常がある場合はスタッフに伝えて下さい。PCR検査をお願いする場合がございますのでご協力を宜しくお願い致します。選手やスタッフ、その他様々な人種やルーツを持つ方がいらっしゃいます。お互いを尊重して差別的な発言などはお控えください。国内では人が密集している観光地、飲食店などへ行かれるのはなるべくお控えください。公共施設でもマスクの着用やアルコール消毒を求められたら従ってください。公共交通機関やタクシー内での飲食、スマートフォンでの通話、化粧、大きな声で騒ぐなどの行為はお控えください。路上では歩きスマホ、横に広がって歩く、道にゴミやガムを捨てる、唾を吐く、喫煙可能な場所以外で喫煙をする、飲酒をする、公共物や文化財を蹴る、落書きをする、傷をつける、動かす、座り込み、列の割り込みなどの行為はお控えください。大きな声で騒ぐのはお控えください。立ち食いはお控えください。路上の看板を持ち帰る、持ち主が近くにいない自転車を運転するなどの行為はお控えください。通行人への迷惑で執拗な声掛け、ナンパ、服や持ち物を引っ張るなどの行為はお控えください。許可を得ない人物や個人の所有物を撮影、SNSに投稿する行為はお控えください。公園での焚火などの迷惑行為はお控えください。自撮り棒での撮影は周囲の安全を十分に確認できない場合はお控えください。刃物や火薬などを持ち歩く行為はお控えください。滞在ビザを超えての滞在はお控えください。トイレは注意書きなどを読み適切に使用してください。設置されているトイレットペーパーを持ち帰るのはお控えください。トイレは使用後に流してください。トイレにゴミを流さないでください。立ち入り禁止の場所や民家への許可なき立ち入りはお控えください。表示のある所では靴をお脱ぎ下さい。未成年の方の飲酒、喫煙や、未成年の方に飲酒や喫煙を薦める行為はお控えください。踏切に入り込むのはお控えください。購入前の商品を開封するのはお控えください。誰かの忘れ物を拾って自分の物にするのはやめてください。ホテルで他のお客様に絡むのはお控えください。温泉ではマナーを守って入浴してください。国内での売買春はお控えください。未成年や同意のない相手、泥酔している相手との性行はお控えください。免許のない自動車・バイクなどの運転はお控えください。体調不良の場合はオリンピック実行委員が病院を手配いたしますが、それ以外の国内の病院で診療を受けた場合に診察料金を払わずに帰国するのはお控えください。窃盗はお控えください。暴力行為はお控えください。強姦はお控えください。破壊行為はお控えください。詐欺はお控えください。殺人はお控えください。テロはお控えください。日本国内での法律や条例に違反した行為を行った場合は注意、刑事罰、氏名の公表、国外退去などの処分を下すことがありますがご了承下さい。駅員や警察などの指示には従い抵抗や逃走などはお控えください。皆様1人1人が自国の代表であることを常に自覚し節度ある行動をお願い致します。
日本は皆様を歓迎いたします。オリンピック終了まで何事もなく過ごして頂き、良い思い出を祖国に持ち帰って頂ければと思います。
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
東京オリンピック2023が中止決定された1週間後、政府は多額の賠償金の支払いを国内のスポーツ団体にも分割で負担させる声明を出しました。
元々自転車操業だった団体は完全にトドメを刺される形となりました。
同時に、オリンピックがなくなったことで多くの競技でスポンサーが辞退したため、日本国内においてプロアマ問わず多くのスポーツチームが解体を余儀なくされました。
路頭に迷った選手たちを待っていたのは、オリンピック開催失敗の責任は選手個人のアピール不足にあるという政府声明を信じた一部国民による執拗な人権侵害です。
たとえば、元スポーツ選手を雇ったコンビニでは、玄関前にマイルドヤンキーが仁王立ちしたり、トイレでうんこをしてわざと流さない客が急増し、その選手はバイトをクビになりました。
そういったことが各地で起こったことで、食い扶持を失ったスポーツマンが流れ着いたのは反社会的勢力でした。
元々格闘技系の人たちは就職先として反社を選ぶこともあったため、そのコネからまずは格闘家が、更にはそこからスポーツ選手つながりで他の競技の選手も次々反社に取り込まれました。
その後、元スポーツ選手による半グレ組織が各地に乱立し、政府や国民に恨みを持った彼らは積極的に日本という国を滅ぼそうとしています。
彼らの中には利益追求のためでなくこの国に対して破壊行為をすることが目的となってしまった者も多く居ます。
先日も東京都庁に大量の野球ボールが降り注ぎ窓際で働いてた職員が2名亡くなりました。
人通りの少ない道を歩けばサッカーボールを頭にぶつけられ気絶しているうちに財布を抜き取られるのが今や日常となっています。
お願いです。
I’d like to begin by addressing the heinous attack on the United States Capitol. Like all Americans I am outraged by the violence, lawlessness and mayhem.
まず初めに、合衆国議事堂へのあの凶悪な攻撃について述べたたいと思います。すべての国民の皆様と同様、私はあのような無法と騒乱に怒りを禁じえません、。
I immediately deployed the National Guard and federal law enforcement to secure the building and expel the intruders. America is and must always be a nation of law and order.
私はただちに州兵と連邦の法執行機関を配備して議事堂の安全を確保し、侵入者を排除しました。アメリカは常に法と秩序の国であらねばなりません。
To demonstrators who infiltrated the Capitol: you have defiled the seat of American democracy. To those who engage in the acts of violence and destruction: you do not represent our country. And to those who broke the law: you will pay.
議事堂に潜り込んだデモ隊に言いたいことがあります。あなたたちはアメリカ民主主義の議席を怪我した。
暴力や破壊行為に走る者たちにもいいたい。あなたたちは我々の国の代表ではない。
法を破った人々にもいいたい。あなたたちはかならず報いを受ける。
We have just been through an intense election and emotions are high. But now, tempers must be cooled and calm restored. We must get on with the business of America.
我々は選挙戦を激しく争い、感情的にも高ぶっています。ですが今は、冷静になり、穏やかさを取り戻す必要があります。我々はやるべきことに取り組まねばなりません。
My campaign vigorously pursued every legal avenue to contest the election results, my only goal was to ensure the integrity of the vote. In so doing, I was fighting to defend American democracy.
私の選挙キャンペーンは選挙戦の結果に異議を申し立てるためのあらゆる法的手段を徹底的に追求しました。私の唯一の目標は投票における整合性を確かめることでした。私はアメリカの民主主義を守るために闘っていたのです。
I continue to strongly believe that we must reform our election laws to verify the identity and eligibility of all voters and to ensure faith and confidence in all future elections.
今後のあらゆる選挙における信頼と信用を確かなものとするためにも、すべての有権者の身元と資格を確認するように私たちの選挙法を改革しなければいけないと、私はこれからも強く信じ続けます。
Now, Congress has certified the results. A new administration will be inaugurated on January 20. My focus now turns to ensuring a smooth, orderly and seamless transition of power. This moment calls for healing and reconciliation.
さて、議会は選挙結果を確定させました。1月の20日には新しい政権が発足するでしょう。私は今や、円滑で秩序ある、シームレスな政権移行に注力することに気持ちを切り替えました。この瞬間にも癒やしと和解が求められています。
2020 has been a challenging time for our people, a menacing pandemic has upended the lives of our citizens, isolated millions in their homes damaged our economy, and claimed countless lives.
2020年は我々にとって困難な年でした。おそろしいパンデミックは市民生活を脅かし、数百万の人々を孤立させ、経済を破壊し、数え切れないほどの命を奪いました。
Defeating this pandemic and rebuilding the greatest economy on earth will require all of us working together. It will require a renewed emphasis on the civic values of patriotism, faith, charity, community and family.
このパンデミックに打ち勝ち、世界で最も偉大な経済を再建するためには私たち全員が一致団結することが必要です。そこにおいてより重視すべきは、愛国心、信仰、慈善の心、コミュニティ、そして家族です。
We must revitalise the sacred bonds of love and loyalty, that bind us together as one national family. To the citizens of our country, serving as your president has been the honour of my lifetime.
私たちは愛と忠実さの神聖な絆を再び取り戻さねばなりません。その紐帯は私たちをひとつのひとつのナショナル・ファミリーとして結びつけます。市民の皆さん、あなたがたの大統領を務めさせてもらったことは、私の生涯の誇りです。
And to all of my wonderful supporters. I know you are disappointed, but I also want you to know that our incredible journey is only just beginning.
私のすばらしいサポーターのみなさん、あなたがたが失望しているしているのはわかっていますが、私たちの素晴らしい旅がまだまだ始まったばかりであることも知っておいてください。
ありがとうございます。神の御加護を。そして、アメリカに神の御加護があらんことを。
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フツーに読めば「シームレスな政権移行をやる」っていってるんだから大統領選の結果を受け入れた=敗北宣言である。
ところがヤフコメや twitter には「マスコミは英語がわからないのか、敗北したとも政権移行するとも言ってない」と吹き上がっている人がたくさんいる。
おそらく" I also want you to know that our incredible journey is only just beginning." の部分を拡大解釈しまくってるんだろう。ここも普通に読めば、支持者ビジネスで食っていくのでこれからよろしくね、というファン向けのメッセージなのだが。
この寄る辺のない世界
何もかもバーチャルな、手応えのない、砂糖菓子のような、現実感のない、コミュニケーション不全の世界で、我々は希薄なリアリティに苦しんでいる
仮想・架空の舞台の上で、我々は自分の感情すら他人の作り上げたものを借用し、あたかも自分のものかのように錯覚する
何もかも本物ではない、偽物ばかりの世界で、それでも本当の感情を、真実の動機を、確かなる自分を実感したい
今、この世界はコロナウイルスによって、道端に死が転がっているのが見えるようになった
元々、死はそこにあった?そんな筈はない
もし、死がもう少し近くにあり、この社会が漂白されていないのであれば、私の真綿のような苦しみはもう少し鮮烈さを確かなものにしていた筈なのだ
そう、すぐ隣まで死の香りが漂っている、今この瞬間ですら、本当の感情を覚えることができないでいるのだ
世界と今私が生きている現実が全くリアリティをもって繋がってこない、この不全
地に足のつかないのであれば、浮き足立つくらいなら、いっそのこと現実が見えるまで堕落し、生きて、そしてまた墜ちていきたい
人は、足場のない天国よりも、例え地獄だとしても足場のある所を望むのである
その日に生きることに精一杯になりたい
「被膜越しのような手応えの現実」を終えたい
どこまで進めば自己一致なのか分からないこの世界を終わらせたい
目の眩むような生々しい現実から帰還した人々は、必ず自分の世界という碇をこの世に垂らし、自己一致をしてこの現実を塗り替え切り裂いていく
その輝かしさに、我々は常に惹かれるのである
第二章へ続く