はてなキーワード: 矮小とは
とりあえずそういわれたときは
”適当な話の流れでどうとでも誤魔化せる雰囲気”
じゃなかった。
二人きりで、別に俺にゴマをする必要なんてない状況だったし。
「実は俺に憧れてた」って言われたりもしたよ。
別に好みのタイプの子じゃなかったから、事前に告白されても困っただろうが。
そういう事をいわれたのは一人の奴じゃないし、
悪い冗談で言った奴なんて絶対いない!とは言い切らないが
一応底辺だった俺が気持ちよく付き合えた人たちではあるんで
基本的に性格は良いし、そういう度の過ぎた嫌がらせをする相手とは思えない。
それに、そんな性質の悪い嫌がらせを何年も経ってするか?普通。
何年もかけ、無関係の人間が何十人もかかって作り上げた
俺が言いたいのは、底辺は底辺なりの強さと自由があるって事だ。
けど一度上を見ちまうと、それを失いかねない。
元増田は死ななくてもいい強さを持てると思うんだ。
友人たちとは今でも付き合いがあるし
みんないい奴だと思ってる。
けど、心を許せない相手でもあるんだよな。
http://anond.hatelabo.jp/20100326142631
個人的には以下のように考える。
この問題の本質的な気持ち悪さの所以は、男尊女卑思想が入り込むところ。
何故、女性がモノ扱いされてしまうのか?
それは、ほんの数十年前までは、まだそういう時代が続いてきていたから。
もちろん、現状が平等であるとはいえないが、女性がモノ扱いされる時代からすると、確実に平等化しているといえる。
リアルが充実せず、社会的に認められず、矮小な男性ほど、何もせずとも男性であるだけで、価値があった過去の時代を切望するのは道理だ。
よって、女性の中古発言や処女廚の裏には、男尊女卑時代を懐古したいだけの輩が非常に数多く含まれている。
もちろん、現代的な男女の平等性を担保した上で、趣向性としての処女廚はありえるし、趣向性としての女性は若い方がいいというのはあり得る。
しかし、男女の平等性を担保しない上で、処女廚や中古発言をする男性については噴飯物の汚物を垂れ流している下郎と思って、一笑に付すのが正しいリテラシーと言えるだろう。
統失の人から付きまといメールを貰っている。ずいぶん長い間なのでだいぶ手元に溜まった。
彼の中で私と彼は愛し合っていて、だけど私は自分の過去を恥じて身を引いたらしい。
引いたにもかかわらず、毎日無言電話したり窓の外から監視したりしている…そうだ。
彼の周りの人間と私が通じていて、逐次彼の行動を把握しているのだとも。
彼にはその状況が苦痛なので、一切の監視行為を止めてくれ、と懇願された。
そして、私の苦しみを救う為に一度会って話をしたい、とさ。
当然、愛し合った事実も、私に恥じるような過去も、監視の事実も勿論一切ない。
統失患者の妄想に、監視されている妄想ってのはわりとポピュラーなものらしい。
彼に限って言えば、その妄想は彼の願望が誇大化したもののように思う。
気にかけられたい、注目されたい、構われたい…寂しい心が生み出したモンスター。
統失の監視妄想って、根底にはそういう、認められたい自我があるんじゃないかと思ったよ。
あえて攻撃を加えて存在を脅かさなければならないほど、周囲に影響力を及ぼす人物か?
電波で行動を流布されるくらい、他人が興味を持つ存在か?
冷静に考えればわかる事でだけど、自分の矮小さを認めたくないんだろうね。
そんな歪んだ自我が、病気というフィルターで生み出された妄想を受け入れ、巨大化した
妄想に怯える…。
そんなメカニズムなんじゃないかな?
警察を交えて今後動く予定。
病気持ってなくても、そんな乞食根性な自我丸出しの人間なんてお断りです。
さっさと入院してください。
アニメ?もういいよ!という人は読まない方が吉。
知ってるよ。あの衝撃を彼らも感じるのかな?受けるといいね、と答える人もいれば、もうネットで流出しているんだよね。と答える人もいると思う。
それはそれとして、いまさらながら、なぜヱヴァ破が評論家ウケしなかったのだろうか。気がついてみれば、なんてことはない非常に単純な理由だった。評論家は、ショッキングな作品を評価する。それだけ。芸術作品と同じで、(時代的文脈における)事件性が重要。
ただ、今の世間の雰囲気的に、もうショッキングなのはいいよ!という気がしている。
世間の流れが早すぎて、逆に、落ち着ける場所が求められているというか。火を囲んでお年寄りの昔話を聞いているような感覚。どこかで聞いた事があるのにライブ感を感じる語り口。物語本来の機能。
私は私。あなたはあなた。と、興味や属性でどんどん細分化され、砂粒の様にバラバラになってく個。進めば進むほど視界が悪くなる、どこへ向かうか分からない世の中。信じられるものは何もない。自分さえ矮小。
その点、増田やニュー速はテーマが決まっていないから、はぐれた個人、バックボーンを持たない人達、信仰を持たない人々が集まれる心安らげる場所かも。
個人的には、ヱヴァ破のテーマは、テクノロジーと老人達に殺されないためにどう稼いでいくか、の方法論だったと思う。
サービスはコピーできない、最後のコンテンツは人間、とは言うけれども、人間、やはり、生まれた時代に捕らわれるし、侍当人としては鉄砲を持った民兵に刀で立ち向かっていくしか選択肢はないのではないか。
ただし、出来るだけの事をやるために、用意は周到に、作戦は綿密に。
必死であがくほか選択肢が見えない。
殺されると分かっていても全力でダンスするしかない。
では、出来るだけ楽しく踊ろう。多分、それが後悔しない生き方。
大学入って暫くくらいまでゲーム業界ワナビだった。一番こじらせてたのは高校の頃で、グラフィックがやりたくて美大受験の勉強をしていた。上の兄弟が病気して、自分が働き口のある分野を専攻する必要に迫られたのでアトリエをやめて受験の方向転換をしたらさすがに諦めがついたのだけれど、それでも大学の専攻をなんとかゲーム業界につなげられないかと悩んだりした。それも、過去の話。熱が冷めるにつれ全然ゲーム業界にはこだわらなくなり、別の夢を追い始めて、やっとこさ少しだけ日の目を見るようになった。
ところが最近恋人が出来た。ネットで知り合ったその人はゲーム会社でばりばりやっている人だった。
私はその人がゲーム業界の人だから好きになった訳では勿論ないし、その人のどこが好きかという意味じゃゲームと関係のないことばかりだ。でも、姿の見えるなれそめで知り合っていたら、ゲーム業界の人だと知っていたら、今なら敬遠しただろうと思う。
その人の仕事に関わる話題になるとどうしようもなく胸がざわざわする。忘れたはずのルサンチマンがよみがえってきてきて落ち着かなくなる。大好きな人のはずなのに。その人が業界に入ったルートが「学生時代にとあるゲームをものっそい勢いでやりこんで攻略サイトを公開していたら、攻略サイトの文章のウマさを買われてスカウトされた」なんていうシンデレラストーリーだからだろうか。たとえ恋人であろうと仕事上の名前を明かせないとかの守秘義務が「本当に業界の人なんだ」という実感を沸かせてしまうからだろうか。
多分全部だ。大まかには把握しているけれども勤めているメーカー名すらも明言してくれたことはないし、オフィスがどこなのかも知らない。過去に情報漏えいで騒ぎになった部門らしく、その名残を受けてセキュリティでがちがちなのだという。恋人は、仕事帰りに待ち合わせて食事をすることすら嫌がる。まぁ社員証とか書類とかを手元に持ってる状態で会いたくないんだろうと理屈では分かるのだけれど。
恋人のことはすごく尊敬しているし、いい作品を世に送り出してほしいとも思っている。でも、自分が夢を諦めた人間であることが恥ずかしくなる。自分がどうしようもなく矮小な人間に感じて(私には私の専門の技能があるのだけれど、恋人はその分野にも多少造詣があって、私が圧倒的にぬきんでているとは言えない)、自己嫌悪でドロドロとした気持ちになる。
結婚の約束がある恋人。恋人は結婚に先立って転職をする。先細りのゲーム業界にいて結婚生活を維持するのは不安だから資格を取って資格職になるのだと。私との結婚をそこまで大事に思ってくれているのかという喜びもある。もう一つ、もやもやしないで済むようになる!というどす黒い喜びもある。あと、結局仕事のことは何一つ教えないままで通そうとするんだろうな(当たり前なのに)というあてつけがましい怨嗟がある。
そしてまた自己嫌悪。ごめんなさい、感情で物を考えてビキビキしててごめんなさい。私は私の技能を磨きます。そして、結婚したらいい嫁になり母になります。だから、もう少しだけ自分の子供っぽい部分と戦う時間を下さい。
なるほど。それでは反論いたします。
>具体的な経験談をただ羅列しただけ。
その通りですが、何か不都合がありますか?
>なぜこの具体例を挙げたのかをきちんと説明しないと意味が無いぞ。
>なぜ具体例を求められたか理解できていない。
具体例を挙げてください、と求める人に向けて具体例を挙げました。
それ以上の意味はありません。
またわたしは、あくまで自分の職場のごく一部の男性の事例を挙げました。
具体的に人数を言うと3人です。
同じ人が繰り返し登場していることをそれとなく示したつもりだったのですが、貴方には伝わらなかったようで残念です。
言葉が足りなかったことを、お詫び申し上げます。
したがってわたしは、男性一般に向けてこの矮小な事例を拡大して適用するような狭い視野は持ち合わせておりません。
ところで、「典型的な女性の文章」「典型的な女脳」という貴方の表現にこそ、女性に対する過剰な一般化があるように
思えてならないのですが、いかがでしょうか。
「あなたの陰口が流れてるよ」
というようなことを言われた。
その子とは仲がよくもないし悪くもないけれど
もし善意でいったのなら、わざわざ本人が知らなくてもいいことを
知った時のことを考慮してほしいし
悪意でいったのならばなかなか効果的だった
とはいえ、へこんだのはほんの少しの時間、それにそんなことは些細な問題だ
そもそもノリのよくない私がよく思われていないということは、彼女たちの一挙手一投足から伝わってきたし
陰口を言われてショックを受けるほど、彼女たちとは親しくないのだ
しかし、今回のことで私はむしろ彼女たちのことを好ましく思えるようになった
いつも機械の如く見え透いた善意を振りまく彼女たちが実は苦手だった
たいして親しくもないのになれなれしく、お互いのことなんてこれっぽっちも知らないのに友達呼ばわり
それこそ毎日チューイングテストでもしているかのような気分だった
そんな彼女たちが、たいして情報もない私について陰でこそこそののしっていた
まるで、意地汚く、矮小で、醜い私のようではないか!
なんだか仲良くなれそうな気がする
http://anond.hatelabo.jp/20090613035026
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090612/1244774693
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090611/p2
この一連の話で、誰も
「O嬢の物語」 http://ja.wikipedia.org/wiki/O%E5%AC%A2%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E
の話を出さないのが不思議ですね。
全人類がこの文学を楽しめなくなるという重大な問題を、陵辱ポルノ規制派はなぜそんなに矮小に考えられるのでしょうか。
レディコミ等を見ても、女性による陵辱ファンタジーというのは、決してマイナーなものでもないのですが。
ファンタジーはファンタジー、リアルはリアル、普通の人間はファンタジーはファンタジーとして消費する、
スーパーマンの映画を見たからといって2階の窓から飛び出す人間はほとんどいない、というだけなんですが。
メディアの影響を受けて犯罪を触発されるのは、最初からおかしい人間だけ、ということがどうしても理解されないんですよね。
結局、脳の中のプロセスを解明して証明できない以上、
間接的に、統計で証明するしかないのでしょうか?
A/人間が人種差別的な作品を読むことにより、人種差別的な言動をするようになる確率。
A'/人間が人種差別的な作品を読むことにより、人種差別的な言動をしなくなる確率。
B/人間が、残虐ゲーム作品をプレイすることにより、暴力的になる確率。
B'/人間が、残虐ゲーム作品をプレイすることにより、暴力的でなくなる確率。
C/人間が、陵辱ポルノ作品を読むことにより、レイプをするようになる確率。
C'/人間が、陵辱ポルノ作品を読むことにより、レイプをしないようになる確率。
Aに関しては、
統計はないですね。
そもそも何が差別表現か、というのもなかなか難しいですが。バイオ5・ちびくろサンボ・009のピュンマ・ポケモンのタケシ...
Bに関しては、
この研究では、統計的に残虐ゲームには暴力性を喚起する作用はないという結果が出ました。
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20373140,00.htm
Cに関しては、
何百万冊もの陵辱系アダルトコミックが出ていても、その読者たるオタクは、ほとんどそういった犯罪を犯していないこと、
陵辱ポルノ作品が規制されている国(米国等)でのレイプ率は、陵辱ポルノが規制されていない日本よりずっと高い
という事実で証明されていると思いますがねえ。
イランのガスはパキスタンから中国へルートが確定、米国勢は敗退
そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。
中東から南アジアにかけての資源争奪戦争は冷戦後新しい局面を迎えていた。
「ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治的コネクションが薄く、主流のメジャーは共和党系が多いため、ユノカルは民主党を頼った。
出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。
クリントン大統領はホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。
後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁でクリントンは危機を切り抜けた。
そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。
要件はなにか。
トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。
米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。
ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。
クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアのメジャー「ユノカル」はトルクメニスタンとアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。
インドも工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。
これをトルクメニスタン→アフガニスタン→パキスタン→インドの頭文字をとって「TAPI」という。
直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。
クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホーク・ミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。
当時、カブールでタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国の企業だった。不発弾のトマホークを中国はタリバン政府から買った。
もちろん1560キロのパイプライン・プロジェクト[TAPI]はご破算になった。
01年9月11日、NY貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。
旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。
米本土からは長距離爆撃機がウクライナ上空をかすめ、NATOはトルコの基地から旧ソ連イスラム諸国家の上空を飛んだ。
そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンとキルギスンは空軍基地を米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地、パキスタンも四つの空軍基地を貸した。
グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦、ゲリラ戦の抵抗をかるく想定してしまった。
仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的で米軍とNATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。
そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタンが誕生した。
ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンとアフガニスタン、パキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。
これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。
密かな反撃が準備された。
イランは中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イランが中国からえるものは武器と核技術である。
中国は上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イラン、インド、パキスタン、モンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。
解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国とグルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。
プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国とウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。
同時に欧州がロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルートの建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート、黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。
とくにオーストラリア、ブルガリア、ドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。
トルクメニスタンは砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシアへ流通を依存せざるを得ない。
だからこそニヤゾフ前大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワは不愉快である。
直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。
そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。
いや、というよりも投げやりになった。
(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。
トルクメニスタンは変心した。
イランはこの機会を待ち望んでいた。
もともと内陸部のトルクメニスタンとアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。
だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。
地図を凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。
すでにパキスタンのムシャラフ前政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路を建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。
つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインでパキスタンの西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン、中国、パキスタンの利害は完全に一致した。
パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国の契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。
中国が最終ユーザーとなり、中国、パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。
パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国の資本と技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。
げんに中国の六隻の軍艦はアラビア海、ソマリア沖の海賊退治に参加している。
パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。
中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプラインを建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。
中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。
パキスタンはこのパイプラインの通貨料収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。
イランとパキスタンとの正式調印はイランの大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)
敗者はインドとアフガニスタンと米国、勝者はイランとパキスタンと中国。
ほくそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界の現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。
矮小区間での譲り合い、特に地方都市の抜け道では当たり前の行為なんだけどね。
マナーの悪いDQN車でさえ守る。だっていつまで経っても動けないし、脱輪するからね。
閑話休題、最近近所に出来た全国チェーンの宅配ピザ(まあそれほどの田舎とも言う(笑)。
田舎だけにバイクではなく自動車なのだが、全く道を譲らない、車を待避させる場所があってもどんどん進んできて、車幅ギリギリの道を500mバックさせられた事もあるw
ホーン等は鳴らさないが、「譲る」と言う行為はみじんも感じられない。
まさに、地方在住者にとっての初めての体験!
勿論、生活道路の使用に関しては万人に共通の権利があるので、新参者だからといって糾弾するわけにはいかない。
あくまで話し合いの末、双方納得のいく落としどころを見つけるべきだと提案。
近所の人たちも似たような体験をしていて地方都市必殺技の一つ、回覧板回しでも、その姿勢は全く変わらない。
それもそのはず、働いている人もまた、地元の人なのだから。
雇われていると言う立場なので、方針に逆らえない結果なのだ。
問題はドライバーのモラルではなく、現場を理解していない指導、命令なのだろう。
でも、絶対譲り合った方がお互いに早く目的地に付けると思うよ?
間違っても合法的にギリギリのスペースだけ空けて、11時間車両を放置しようとは思わないが、そのうち誰かがやるんじゃないかな。
ここまで穏和に話し合いの場を提示しても、全く応じない対応だとね。猟銃持っている人のロードレイジ炸裂したらと思うと・・・くわばらくわばら
都会だとその辺の問題、どうなんでしょう?
~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~
動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。
当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。
全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。
現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。
このため,人は衣類を着用する。
衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。
あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物しかいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?
いま貴方はどんな部屋にすんでいる?
頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。
しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。
他人という存在を知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。
他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。
動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。
従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。
能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。
人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。
動物と人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。
だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。
結論をいうと,人間は犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪(違法行為)をする。
動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。
従って,動物同士には,窃盗も強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。
しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。
他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。
相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間の前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。
言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。
「他人と連携するため」に。
だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。
単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。
だから,人間社会は言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。
(ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)
動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。
さて,以上までは社会科学の立場から論じた。
自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。
事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類の起源そのものをかえてしまう発見がポルトガルであったことだ。
人間(サピエンス)と,旧人(ネアンデルタール)の混血化石が発見されたことだ。
2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルトン博士が,人類の常染色体の10座標から,原人,旧人の血統を発見した。
2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。
混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧,中央アジア,東アジア,の順となっている。
ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子どもや妊婦を殺して食べる。
感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。
ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジーの母親となんらかわることはない習性を持つ。
言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。
旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。
遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。
進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人は進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。
勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。
だが,考えてもみてほしい。
人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。
人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史と時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。
確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。
歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。
もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。
あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞やニュースの伝聞で聞いているはずだ。
犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。
しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間の言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。
「異常」とあなたは感じるだろう。
なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。
参考までに,一つの「事実」を示そう。
「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。
そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。
従って,原則,アフリカとユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。
イギリスや日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。
以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。
ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。
人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。
一方で,神などの知的な存在が人間をデザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論もID論も物証がない。
「彼らが,次の旧人ではないか」と。
次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類と形態的にも試行的にも異なる。
専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸の人類は頭示数が86以上であり,サピエンスと形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。
もはや,目でみて「大陸の人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。
ここで私は考えた。
もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。
恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。
愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。
この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。
こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。
動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。
能力の高い人間は動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。
つまり「人間性」を。
朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。
彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。
退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルをおせんだのではないか。
ここで一つの答えがある。
どうして,プレ・ネアンデルタールは人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタールは人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。
このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。
なぜ退化したのか。
そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。
彼らは知能の問題から,人間と動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。
退化した。
それが生きる術だった。
島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。
協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。
アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーとランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。
それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。
ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本,イギリス,台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。
自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。
そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。
私は,旧人を殺すことが正しいと思う。
それは私の生育環境に人間が多かったことが原因していると思う。
私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。
あにたは私の意思に共感するだろうか?
もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。
それがあなたの利益になるのだから。
一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?
「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。
これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人・原人を皆殺しにすることだ。
最近は「DISりたい奴の文章を勝手に増田に転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。
http://anond.hatelabo.jp/20090202064637
むしろ私は科学を学ぶ内に創造主としての神を信じてやっても良いような気持ちが生じて来た。
カオスとしてのこの宇宙の構造を生み出す見事な法則を定めた奴は誰だ。
重力定数や光速、各素粒子の質量や電荷その他パラメータを与え、
また宇宙の始まりにおける初期条件を与えたのは誰だ。
だがこの宇宙を支配する法則がどこまで解明されようとも絶対に解らないことが判っている、
それはこの世界への親愛の情を通して増幅され、
そいつは、私を極とした私が知り得る限りの私の球座標世界を r→1/r と裏返したような
知覚の埒外の世界の∞の果てに居る、矮小な私自身の荘厳な虚像にして、
体しか求められてないんじゃないかってすごく不安になってしまう瞬間て、あると思うのね。世の女子の皆さんは。いやきっとこれはヘテロでもゲイでもビアンでも共通した不安の種だと思うんだけど。
「それはパートナーを信頼していない証拠だ!」とか「そそそそそんなことないよおっぱいおっぱい!」とかいろんなご意見ご感想があると思うんだけど、私の場合は結局の所それって、私自身が、自分の価値をそこにしか見出せてないってことなんじゃないかなって。思ったの。
私はそんなことだけじゃないです。自分の作品作りに打ち込んでいます。家庭料理が得意です。お菓子はもっと得意です。掃除もできます。ここぞという時には異常な集中力を発揮できます。人を笑わせることができます。喜んでもらうことができます。私の言葉に救われたと言ってくれた友だちがいます。ピアノが弾けます。歌が歌えます。タイピングめっちゃ速いです。身の回りの人たちおおむねみんなを愛しています。今挙げた以上に欠点がたくさんありますが、できることもまだまだたくさんあります。
そしてなにより、周りの皆さんにこんなにも愛情深く接して頂いてるワタクシという人間を、自ら矮小な存在に貶めてはならん!と、強く思った次第です。視野を広げるのだ。そんなせせこましい世界に閉じこもってちゃ、だめだ!
だから大丈夫。彼氏が「しばらく忙しい」とかてきとうなこと言うのは、本当に忙しいからだよ。一回やったあの日から、ピル飲み始めるまで嫌だやら生理やらで一度もやらせてあげてないからじゃないよ。メールの返事が来ないのだって、もともとそういう人だったじゃないか。不安の種を勝手に育てているだけだよ。大丈夫。大丈夫。
大事にしたいあまりに、どこまで我が儘を言っていいのかわからない。どこまでが私の勝手な被害妄想なのかわからない。嫌われるのが怖い。そんなことで嫌う男は振ってしまえと思うけれど怖い。恐ろしい。嫌だ。さみしい。
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つーかあれだよな、ちょっとずつ好きになってきたとか彼はのたまうけれど、私のどこが好きなのかわかんないんだよな。だから体ぐらいしか価値ない気がしてくるんだ。かといって「私のどこが好き?ミャハ☆ミ」なんて訊ねるのはあまりにスイーツ(笑)。もっと話がしたい。セックスじゃなくて。
すれ違った赤の他人に、
素晴らしいな、自分は全然だな、って思う気持ちが同じなら
敗北感を感じるのも、恋愛感情(あこがれ)を感じるのも、
プラスになるほうがいい。
惚れてまうやろー!って人なら、
その人に近付きたい、学びたいって気持ちでプラスになる。
井戸の外の人間から見たら、愚かで矮小な存在かもしれないけど、
井戸の中から見上げた小さな空の青さは、外の人間からは想像もできないものだろうから。
外と比べたらほんのわずかな井戸の中の世界は、蛙にとって、沢山の重要な意味を持つから。
空に恋してもいいと思うんだよね。
井戸の中だと知ってても。