はてなキーワード: 矮小とは
行きすぎたシンプル礼賛は人類をいとも簡単に破滅に導く。いわゆる逆立ちした新プリズムである。正しいシンプル志向をここにお教えしんぜよう。
正しいシンプル志向とは無駄がないことである。逆立ちしたシンプル志向とは矮小化である。例をあげようか?腹痛がする。治したい。
原因は何だろう?働きすぎか?じゃあ休もう。治った。なんだ過労か。これである。過労はあくまで引き金。本態は内臓の異常なのである。
逆立ちしたシンプリズムに浸かりきった老年世代にありがちな推論錯誤であーる。つまり表面しか見てない。しかも一部。実に狭視野、実に矮小。
そして面白いことに、逆立ちしたシンプリズムの矮小性は、正しいシンプリズムから見れば「無駄」なのである。畢竟するに両者は相容れない。
そこに早く気づくべきなのだ。間違った簡潔さを狂ったように行使し続けた結果が現代社会であり、あなた方の心のありようなのだ。
それは正しい簡潔さから見れば、複雑怪奇なシロモノであって。簡潔にして簡潔ならず。似て非なるものなのだ。いったい誰がシンプルは善なんて
言ったんだ!善にして善ならず。それはもう今や取り返しのつかない事態なのである。繰り返す。正しいシンプリズムは無駄がないことであり、
究極的にはそれはありのままに認識することなのだ。であるからして、ある種の現実平面からの逃げの一手段として矮小化した認識を
「わざわざ」生み出すことは、表向きは有意義に見えたとしても究極レベルではそれは「無駄」なのである。早い話が、正しいシンプリズム
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
うん、まぁ言いたいことは分かる。
ただねぇ、その魚研究の教授さんを擁護したいあまりファビョって工学、農学、医学、薬学あたりにまで矛先が向いちゃってるのよ。
具体的には
「文明というものは人間の純粋な好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物でしかない。」
「真理を追究していたら、偶然にも文明がいっしょにぽろっと現れて、それの恩恵を人が受けている、それだけである。」
「はっきり言って人の役に立つなんて事は、真理を明らかにするという事に比べたらあまりにも矮小」
この辺ね。
ここまであからさまな実学ディスも珍しいからどこの理学部出かと思ったんだけど、ド文系の詩人さんだっていうからビックリよ。
基礎科学の例として化学が挙げられてるけど、あれは"金儲け"を念頭に置いた錬金術を始祖とする学問だからね。
どうもステレオタイプなイメージだけで語られてる気がするなぁ。果たしてどこまで理系の研究事情に精通してるのやら。
"人の役には立たないが、張本人らが楽しいからやってるんだ"という共通項を持った基礎科学研究者に詩人であるご自身を投影して自己擁護しているようにしか見えないのですよ(ただし、一口に"役に立たない"とは言っても前者は長期的に見れば人類に多大な恩恵をもたらす可能性もありますわな、ご指摘通り)。
まぁそれはそれで結構ですが、その過程で自分らとは相容れない人々、つまりは実学をやっている人間をも蔑むのはどう考えても勇み足。
まともに実学やってる人間は基礎科学(研究者のうちのほんの一部が残した偉大な業績)から多大な恩恵を授かっていることを日々痛感していますから、わざわざ基礎科学マンセーの実学sageされたところでねぇ。
んで引用した文言にツッコミ入れていくと、まず一個目ね。「文明は糞でしかない」と。言いますなぁ。あなたがその文章を綴るにあたってカチャカチャやったキーボードとそれに繋がってるパソコンね、そいつらを開発するのに一体どれだけの人間が汗水流したのかと。そもそもだよ、文明が芽生えるにあたって必ずしも"知的好奇心による真理の発見→実生活への応用"というプロセスが成り立っているわけではないんだけど。例えば熱力学ね。どこぞの文系さんがよ~く飛びつく"エントロピー"っつー概念、これは熱機関(エンジンみたいなもの)の研究から生まれたものなんですわ(カルノーサイクルでggってね)。機関車やらなにやらを動かすための動力、つまり実学無しでは基礎科学の一端を担う熱力学は発展しなかったわけ。
んで二つ目、「偶然にもぽろっと」… 力学の基本法則を押さえたからといってテキトーに金属片ガチャガチャやってるだけでロボットが作れるかっての。
そして最後の「矮小」 これねぇ、本気で人の役に立とうと頑張ってる人間に対してフェイストゥーフェイスで同じこと言えるの?
あなたが何をしたいと思おうか、何に力点を置こうが、自分は一向に気に留めませんが、その趣向を一般化しちゃいけんわなぁ。
ヒスを起こして無害な、というよりも有益極まりない人間に対してまで攻撃性を見せてしまう人間の方がよっぽど「暴力」的だと思う。
25 歳、未婚。昨年の春、社会人になって、今年頭に転職した。
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ということに初めて気づいたのは、大学に入って二年ほど経ったときのように記憶がある。
甘さというのは、例えばお金(管理、人から出してもらうこと、など)や、
今の自分の立ち位置(学生時代なら「学生としての」、今なら「社会人としての」)に加え、
様々なことにおいて「自分は(君は)甘い」という自認や指摘が多い。
そして厄介なのは、それがまったく解消されていないということ。
おそらく必要最低限の「少し下」くらいまでは来ているのだろうけれど、
そもそも「甘い」のは「求められている必要最低限を満たせていない」からであって、
最低限に至れていないという事実からくる「甘い」という評価は、
もはや能力以前の欠陥として、私には捉えられる。
「甘い」と言われてしまえば、もちろん「なんとかしなきゃ!」がまず最初に来て、
意識的にそのような「甘さ」が出ないようにしようと思う訳だが、
これも「甘さ」の奥深いところで、そもそも意識できていたら「甘い」行動を取ることはない。
つまり、私の矮小な意識では及ばないところで「君は甘い」となっている訳で、
「甘い」の一つ前に「そんなことにも気づいていないのか」があるこの二重構造が、
「甘さがなくなるようにがんばって成長します」という宣誓を、
「気付き」を持てていないから「甘さ」という欠陥が生まれることに、
どのように立ち向かえば良いのか。
もっと言えば、欠陥がある自分を克服し、大人になるにはどうすれば良いのか。
そしてこのような文章を安易に書いてしまう「甘さ」をどうすれば良いのか。
もう発言できる場所なんて、自分の意思を表明できる機会なんて、
やってこないような気もしてくる。
http://twitter.com/hbkr/statuses/13862013553872897
もっと目立ちたい、有名になりたい、女にもてたい、そんな感じが滲み出てるところが、えがちゃんの好きなところ。人にもよるけど、そういったこんにゃろ精神がベンチャーには必要でしょ。ロックみたいなもん。なんでみんな隠すかな。
今どき、有名になるって何(笑)?
タレントみたいにテレビにでる?ホリエモンみたくなる?で、、、その先に何があるの???
そういうものに対してのカウンターカルチャーとしてソーシャルメディアみたいなものが隆盛してきたわけで、
そのど真ん中にいる風なあなたが何を言ってるのと。女の子は実はみんな「坂口」やら「はあちゅう」みたいになりたくて、
男はみんな実は、「えがちゃん」やら、あるいは「悪ふざけ社長()」になりたいと本気で思ってるのかと。。
(もうむしろ「僕は実は寄付や起業を通じて若者のちょい悪風なカリスマになりたい」とか「隠さないで」正直に言ってくれればまだ気持ちいいんだけど笑)
この人は色々格好つけてるけど結局矮小版ホリエモンみたいになりたかったのかな??とマジで思ってしまう。
じゃあ自分もずっとそういうモチベーションでペパボをやってきたのかと。
モチベーションを高めることには多いに賛成だけれども、ベンチャーやってる人間がそんなアホばかりだと思われたら心底困るだろうし、
百歩譲って「女にもてたい」とは思っても「もっと目立ちたい、有名になりたい」とはいま(30超えて)全く思わんな。
むしろそういう男の下世話な欲望から解放される唯一のことがクリエーターとして作業に没頭することだったりするもんだと思う。
30超えていまだに「もっと目立ちたい、有名になりたい、女にもてたい」がモチベーションだとしたら男として不幸だとしかいいようがない、と思う。
(バンドであれネットのクリエーションであれなんであれ男にとって最初のDT的な欲望がモチベーションになる事は全く否定しないけど、
プロのクリエーターならDT的欲望を満たすためにクリエーションするじゃなく、いつか自分がクリエーションしてる間にDT的欲望から解放されて、
そういう承認欲求を上回る快感を得ているることに気づくはずだよ。切込隊長の返信はやや固いけども、言ってることは全く同じ。)
ベンチャーやってる社長は背が小さくて、そういう人に限ってパーティーで背が高い女を連れたがるってイベコンの友達が言ってたけども
なるほど、よほど「もっと目立ちたい、有名になりたい、女にもてたい」人にばかり囲まれてるのかな。
(あ、そういう「有名になりたい、女にもてたい」だけのベンチャー社長が上場と同時に持ち株の大半を売抜けたりしちゃうわけか、、、笑!)
そういう「若い頃全然モテなかった」コンプレックス抱えた人だけがベンチャーやクリエーションやってると思われるとほんと恥ずかしいわ。。。
そんなのロックでも何でもないし、ロック本気でやってる人に失礼。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20120529094039
業の深い欲を持った人が羨ましく思えることがある。その先に何があるのかは本人が判断することであって、外野が慮って否定するものではない。
それは分かるよ。その最たる例がホリエモンでしょう。
ただ件の発言が気持ち悪いのは本人、一丁前のクリエーター面しながら「(そういう欲望を)なんでみんな隠すかな」
と言外にそれが皆の隠された本当の欲求みたいに上から目線でいうから気持ち悪いわけ。
ホリエモンみたく稼ぎまくったあげく「稼ぐが勝ち」とか素直に言ってるならまだ分かるけど。
(関係ないけど、そのアナーキーなエゴを徹底して最後はブタ箱まで行ってるんだからホリエモンはロックだと思うが)
そんなの関係なくクリエーターやったりベンチャーやってる人はほんと死ぬほどいるよ。
というか、ぶっちゃけ、上にいけば行くほどそういう人しか結局残らない。
なんでかって、はずかしげも無く言えば、他人からの承認欲求なんかではなく、最後は自分と戦わざるを得ないから。
基本的な承認欲求むき出しにして「クリエーション」だの「起業」だの言ってるのは昔から六本木か汐留付近でしか見ないよ(笑)
百歩譲ってもしこれが若い人に向けたメッセージなんだとすれば
「とにかく死ぬ気でものを作れ、会社やれ。知名度やら金やら女なんか、必死にやってればそんなの後からいくらでもついてくる」
いやいや、こんな都合のいい格好のエサ、ありえんだろw
↓
http://anond.hatelabo.jp/20120405165414
オタクが醜い争いしてることにしたいんだろ?
しかも、「俺はそこまで酷いオタクじゃない」とか言っちゃう矮小なクズにしたいんだろ?
正直にはいちまえよw
最初に言っておくと、私は中学生でも高校生でもない。大学生だ。もひとつ言うと、ハタチもとっくに過ぎた大学院生だ。
なんだけど、将来を思って動けば動くほど、「大人になりたくない」という今更な幼稚な悩みがどんどん大きくなっていく一方だ。
楽しく人生を過ごしている自分が見えない、というのが唯一で最大の原因。仕事に追われてプライベートの時間がどんどん削られて、仕事から帰ってきたらてきとーにネットみて寝るだけ、休日もやりたいと思っていることは一杯あるけど寝て体力を回復するのを優先させてしまう。そんな姿が容易に思い浮かべられてしまい、このままでいたいと願ってしまう。
身の回りやTwitterなんかを見ていると、大人も大人なりに今を楽しんでいるように見える。楽しいことがひとっつもないなら、きっとみんな生きていけないはずなので、もちろん大人でも楽しいことはあるだろう。けれど、昔ではなく今が楽しいと言う人はおらず、あの頃がよかった、昔の方が楽しかった、と言う人ばかりのように思える。きっと自分もそう思ってしまうんだろう。
とすると、大人(社会人)になるより大学生の方が楽しいっていうんなら、やっぱり大人なんかになりたいと思えない。今のままでいたいし、今にしがみついていたい。
「楽しくなくてもいきていかなくちゃないんだ。みんなそうやって生きているんだ」と言うかもしれないけど、それを否定しているの。それが嫌だって言ってるの。そんな社会おかしいじゃん。そんな社会になんて出たくないよ。
でも、そんなことはできるはずもなくて。できたとしても、それは「社会不適合者」でしかなくて。
だから私は、まあ、大人になるしかないんだと思う。これは仕方ない。今は、大人か社会不適合者かのどちらかしかないんだから(違う道もあるにはあるが、それは才能か運に恵まれた人しかなれないものすごく狭い道でしかない)、私は大人になるんだと思う。とっても嫌だけど。
今の私たちには、楽しくない大人になるしかまっとうでいられる道は提示されてないんだから。
でも、できるなら。できるなら、私たちよりも後に大人になる人たちには、こんな「楽しくない大人なんて」って思って欲しくない。今の私たちではダメみたいだけど、これからの人達にもそういう思いはして欲しくない。こんな思いをする人なんて絶対少ない方がいい。
だから、私は、大人になるしかないんなら、「今が楽しい」って言ってあげられる大人になりたい。
一番だとは言えなくとも、「今が(今も)楽しいよ」「だから安心して大人になっていいよ」って言える大人になりたい。
狭い窓から社会を覗いてみているだけだから、これから実際にどうなるかわからないけれど、今の情勢やそこから推測される未来を考えると、きっとこれからの人たちは私たちよりもさらにつらい世の中を生きていかなくちゃなくなるんだろうと思う。
そんなつらい世の中で、さらに楽しさが少なくなる大人になりたいだなんて、だれが思えるだろう?
すくなくとも、私は無理。今でだって躊躇しちゃうもん。絶対無理。
希望持てない上にさらに辛くなるっていうんだから、そんなの逃げるしかないじゃん。最悪(究極的には)死ぬしかないじゃん。
だから私は、そういうこれからの人達のために「今が楽しいよ」「安心して大人になっていいよ」言わなくちゃないんだと思う。言えるような生活をしたいと思う。
ここで改めて言っておかなくちゃならないのは、私は未来に希望を持てないでいる、ということだ。失望と言っていいと思う。
世の中をよくするためには、世の中を悪くしないためには、これからの人たちのためにはどんなことができるんだろう、ということを考えた時に、失望に失望を重ねて、撤退線を繰り返した結果、私個人でもまわりの10人くらいの人達のためにすぐにでもできるだろうと思ったことが「今が楽しいと言うこと」だった。(これを読んでいて「どうしてそうなるの?どうしてそれしかないの?」と思われたところがあるかもしませんが、それはこれに起因することではないかと思われます)
どんな職につこうが、現在の世の中やこれからの世の中に対して自分ができることなんて、きっとたかがしれているんだと思う。
少なくとも、大規模な改変をするには数十年かからなきゃできないだろう。現在の生活水準にしがみつこうとしている中年以降の人々の抵抗もあるだろうし。
大人にならなくても多くの人が社会不適合者にならずにすむ道を作るのは、他の人に任せたい。
政治的、または社会的システムを改善させるのも、他の人に任せたい。
経済をうまく回していく仕組みを作るのも、他の人に任せたい。
技術的な面で世の中をより生きやすくするのも、他の人に任せたい。
歌や小説や漫画やアニメや映画やスポーツや、というような大くくりでの「エンターテイメント」でみんなの心をなぐさめたり希望を持たせたり楽しませたり癒したりするのも、他の人に任せたい。
こういうのは、結局(ちょっとタイムリーなアニメのことばをつかうと)「きっと何者にもなれない」自分には多分無理だから。そういう人になれるという夢は、もうない。
そんな矮小な自分でもできることが、多分「今が楽しい」って言ってあげることなんだと思う。
少なくとも、私がまわりの「何者にもなれなかった」大人たちにして欲しかったこと、言って欲しかったことがそうだったんだと思う。まわりの大人たちみんながそう言ってくれていれば、こんな風に社会に出ることにおびえなくてすんでたはず。
これからの世の中に対しては悲観的だけど、それでも楽観主義者でありたい。
「昔も楽しかったけど、今もちゃんと楽しいよ」「多分きっと、これからも楽しいよ」「だから、君たちも安心して大人になっていいと思うよ」って言ってあげられるようになりたい。
だからというかなんというか、その、感情が爆発しそうになって勢いで書き始めたから具体的な方法なんて考えて無くて、さらにどんな展開と締め方にするかもまったく考えていなかったので、論理性がない上にこんなオチになってしまうのは我ながら不服なんだけど、
別に「独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、
まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK?
でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。)
まず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。少しはググれ。多数決というのは、民主主義の本体ではなく、言ってみれば糞のようなものだ。生きていれば必ず出る。それが糞。だが、それはものの本質ではない。やむを得ず出す余剰や排泄物を本質だと言ってみるのは、スカトロプレイに人間の真実がある、というSM愛好家の口吻と同じ程度の説得力しかない。要するに一種の自己弁護と詐欺である。
政治とは意思決定だ。その意思決定の主体を、どこにおくか。大昔は神に預託された巫女が、あるいは神権をもった王がもった。しかし、徐々に一人の意見の過誤を防ぐ意味から、多くの頭脳による方法が用いられるようになり、君主制(一定の中からトップを選ぶ)、寡頭制(複数で決める)、貴族制(階級全体で決める)、あるいはそれらを組み合わせることで意思決定がなされるようになった。古代に一度行われていた民主主義は、近代に入り、社会や経済の成熟と歩を並べ、自由主義・資本主義社会の進展とともに、「みんなの意見を合わせると、おおむね正しい結果になる」という知見の下、選挙による間接民主制という形で、多くの国で採用されることとなった。(余談だが、間接民主制をとる場合、大前提として、投票する大衆は、現下に起きている事態について、必要かつ十分な知識をもつ必要がある。そこで、間接民主制をとる集団では情報を適切に配分する方法が必要となる。多くの近代国家では、そのために民主制とセットで、権力から自由なメディアを発達させてきた。自由なメディアの無い国に、民主制は成立しない。)
で、「みんなの意見」をまとめるために、民主主義はどのような方法を取るか。それは「話し合い」である(というより、それ『しか』方法はない)。集団での意思決定であるから、理でもって他者と交渉し、協調の精神で話し合いをすすめながら、最終的に合意を得て決定する。その際、たとえ少数であっても、その少数意見を尊重すること無しには、集団で合意の形成などできない。特に、間接民主制の下では、たとえ一人の意見であっても、その一人の背後には膨大な人間が存在しているため、軽視することは許されない。少数意見を採らない場合、反対を主張する多数派には「採らない理由を合理的に説明する」義務があるのは当然だ。
ただ、もちろん政治は現実のものであり、現実の人間は不完全なので思想・信条や見解の相違がある。時代の要求する文化によっても、物の価値は変動する。その変化の前後で人の価値観は異なるだろうし、そうなると、どれだけ理を尽くしても最終的に対立が解消しない、という事態は起こり得る。だがそれでも、もちろん政治は決断をくださなければならない。だから、理を尽くして越えられない壁がはっきりしたときには、それを越えるため万やむを得ない解決手段として、『多数決』が用いられることになっているのである。
本来、とにかくひたすら話し合うのが民主主義である。だから、決定を多数決に持ち込むような事態は、民主主義が敗北するときと言ってもよい。だが、民主主義が敗北しても我々は民主制を放棄するわけにはいかない(それよりマシな方法が存在すると知られていない)から、その場合に意思決定を行う最終手段として『多数決』は許容されているに過ぎない。多数決とは民主主義の糞だというのは、つまりそういう意味だ。現代日本の民主制は、理と協調の精神による話し合いを通して多くの素晴らしい意思決定を行っているが(与野党がケンカばかりしていると思っているお子様は、日本の色々な法律がどのように成立しているかちゃんと確認すべき)、不完全な決定のいくらかを多数決という糞としてひり出してもいる。それだけを見て、多数決は素晴らしいなあ、とか思ってる人間は、スカトロジスト(糞尿愛好家)と呼ばれても仕方ない。そう呼ばれることに誇りを覚えていて、一緒にするなと怒る人もいるかもしれないな。すまん。
さて、以上を踏まえ、比喩として、もう一度言う。多数決は糞だ。少数意見を最終的に「採らない・採れない」ことはもちろんある。それでも、一定の合意を得るための様々な譲歩や協調のための配慮は必要なのであって、それは民主主義のコストなのではなく、民主主義による意思決定を可能な限り正しいものにするために絶対必要な手続きだ。だから、多数決をタテにして少数意見を圧殺する人間は、そもそも民主主義者ではない。数の暴力を振りかざして権力を握る人間は、端的に言って独裁者である。
最初に【矛盾】と言ったのは、「少数意見を尊重する」ことこそが民主主義のルールそのものであり、少数意見を尊重しないのは単なる独裁(あるいは数の暴力)であるにも関わらず、「民主主義のルールを守る」と言ったその口で彼が「少数意見を尊重しない」と述べているからだ。少数意見を尊重しないなら、それは民主主義ではない。彼は法律家であり政治家であるのだから、そんな初歩の初歩をしらないわけがない。
あるいは、彼は「ここで民主主義のルールとは選挙のことを言ってるのだ」と言い逃れるかもしれない。だが、「選挙」とはあくまで「間接民主制」を成立させる手続きの一つに過ぎず、民主主義における意思決定システムの本質とは無関係であることもまた、言うまでもないくらい当たり前のことだ(首長が選挙で通ったからといって、その主張が議会の全体合意もなく自動的に「承認」されるような詐術が成り立つなら、最初から議会は必要ない)…これもまた、政治の初歩の初歩であり、法律家であり政治家である彼が絶対に知らないはずはない前提だ。ではなぜ、彼は平気でこういうことを言うのか?
それは、選挙民のほとんどが「民主主義とは多数決のこと」であり「多数決=選挙のこと」である、と二重に勘違いしていることを知っていてそれを都合良く利用するためだ、としか解釈できない。その二つの勘違いを利用することで、「選挙に通ってしまえば独裁してもよい」という思い込みを形成し、支持者がそれを支持する「空気」を作りだして、反対する良識派(というか当然起こる反対)を封じ込め、本来通るはずのない法案を作成し議会を通過させようとしている…それが、目下彼がせっせとやっていることではないか。そして、そういうところがヒトラーの手口と酷似していると指摘されているところであり、彼に警察権や軍事力、立法権があるかないか、ということが問題なのではない。まあ、個人的には彼は、ヒトラーの尻尾というより劣化矮小版のコイズミジュンイチローだと思っているけれど。
以上を踏まえて、彼の言っていることはシンプルに嘘だと私は考えている。嘘から発生する利益を享受する人間をなんというか。その呼称は各自に判断に任せるが、いずれにせよ、民主主義の破壊者が、口先だけ民主主義を唱えながら権力の位置にあるという現状を、どのように見るか、これは呼称なんかよりも重大な問題だと考えている。
これは、彼個人が善意の人であるか悪意の人であるかという問題ではない。民主主義のシステムそれ自体にそもそも脆弱性があって、その脆弱性がまさに攻撃されており、ウィルスチェッカー(メディア)も、そのウィルスがまさに自己の中から(メディアが創りあげたスターとして)誕生したために有効に機能していない、という状況をどう見るかという問題である。
以上、簡明に反論してみたつもりだが、随分長くなった。反論があれば伺う。
なんかまたいつものように、宇野常寛と東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフェミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。
例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。
私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小な帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいかに対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない
というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味の隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的に煮詰まっちゃった昔の活動家の人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。
さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている
「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。
というのは言ってみれば典型的なプチブルの思想だ(東浩紀がプチブルの権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間が帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚で通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会の根本的矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから。
これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。
http://goo.gl/5Qnzg 自己啓発セミナー 自己否定 内省を強要 の検索で
http://goo.gl/kI9qO ACの定義の酷さ 会社が行かせる自己啓発セミナー の検索で
http://goo.gl/ylcyO AC 特徴 の検索結果一覧
http://goo.gl/dfA2j アダルトチルドレン 特徴 検索結果一覧
特殊な人だから、決め付けてよいのだろうか?普通の人にあなたはこういう人でこのような特徴があります、といささか失礼な人間観察を含めた洞察を語ったら、ふざけるな!で終わる。脛に傷持つ身の人は、気になったり、真に受けたりするのではないだろうか?
はてなキーワードの、ACはAC業者への懐疑が書かれていたが、wikipediaでも業者丸写しの部分がほとんど。
無条件の受容より、ただほど高いものは無い!!と覚えておいた方が生きやすいかもしれないのにw
生き辛さという言葉の意味がわからなかった。それぞれの精神的な症状を総合して生き辛さという言葉で現すのは、生きるという事を卑屈で矮小なものとしているとも言えると思った。色々な生き方があるのに、生きるという事を一面的に動物的に捉えすぎである。生き辛さを言うAC業者が生きることとして定義しているほとんどの事は、”しなくても良い事”なのである。しても良いけどしなくても良い事、それなのに、しなくてはいけないと思っている人がいる、またはしなくてはいけないことと思わせられた人が居る。それにつけこんで、あなたの生き辛さをわかってあげますよ~ 一緒に努力していきましょうねぇ~ 一緒に”治療”して行きましょうねぇ~ などと持っていくのではないか?
いや、そうじゃない、生き辛さというのは、昔のつらかった記憶が絶えずフラッシュバックして来る状態だ、とか かまってもらえないと自殺未遂してしまう、とか その他色々を挙げる人もいるだろう。
そういう状態があるのは、否定しない。だから、それは、昔のつらかった記憶が絶えずフラッシュバックしてくる状態、であったり、かまってくれる人がいないと自殺未遂してしまう状態、であったりするのではないのか?
なぜ、そこで生き辛さという言葉を出すのだ?!充てはめるのだ?!
極端な話、生きなくてはいけない、事はない。 生きてる人は、生きなくてはいけないと思っていきてはいない。生きたいから生きている。
こちらの予言通り
在日や中国人から駄目だしくらってもそこはシカトではてサのせい
一顧だに値しない言動はある
についてまったく反論ができないようだね。
そんなんでよくカキコしにこれたもんだ。羞恥心を知らないってのはすごいな。
>卑しい豚だの豚小屋で鳴けだのとidコールで執拗に差別発言を送りつけてくれましたので、ブログ名を豚小屋と一時変更致しました。
豚のように卑しい発言と考えたのでああ書いた。馬鹿に馬鹿といったり、豚に豚といったらどこが差別なの? 君の書いたものはどういわれても仕方のないくらいひどいものだったが、あんなゲロ臭いものを人前にさらしておいて、罵倒されたら「それ差別」って、どこの特権階級様?
あのな>馬鹿
僕がチミに対して、いかなる社会的・集団的カテゴリを否定的に使って罵倒したね?
僕はチミのタワゴトにふさわしい形容をしたにすぎん。
差別について少しでもまともに考えた者は、持論を罵倒されて「差別だ」などとはいわないのだよ。チミが差別についてまったくなんにも考えたことがない、ということを、チミはまた自分で証明してしまったね。ホントに馬鹿は可哀想。
チミはね、差別発言をしておいてそれを糾弾され「差別者を差別するな」とか抜かす、無知にして無恥な連中の手垢のついたやり方から一歩も抜け出せていない。
>一般人の目から可及的速やかに遠ざけ、喧伝を成功させないよう無力化すべきであることに変わりはありません。「画像を複製して広く一般に拡散してしまえ」とはなっていません。そんな差別の拡散は断じて許しておりません。
上書きうんぬんの議論は理解できなかったのかな?
それとも、都合の悪いことは理解する気がないのかな?
>あなたが「こいつの考えは全然定説を踏まえていない」と感じることこそ、俺がまともに考えた証拠です。あなたが「こいつの考えは全然定説を踏まえていない」と感じることこそ、俺がまともに考えた証拠です。それをあなたが「まともではない」と認定し、それゆえに「まともに考えたことはにゃー」と糾弾するのはトートロジーでしかない。
>「差別についてまともに考えたことはまったくにゃー」のは、あなたではないのですか?
で、チミ程度の馬鹿による「ぼくのかんがえたさべつ」に何か意味があるとでも思ってんの? ナニを自惚れてるんだ>この豚が
差別についてどう対応するかの「定説」は、基本的には被差別者が運動の中で試行錯誤しながら練りあげてきたものだ。それくらいのことは、最低限の想像力があればわかるはずのこと。それもわかんないで「あなたが「こいつの考えは全然定説を踏まえていない」と感じることこそ、俺がまともに考えた証拠です」だあ? テメエのような自意識で豚のように肥え太った馬鹿のタワゴトが、被差別者の試行錯誤しながらの運動からもたらされた方法論と比較にすらなるわけねえだろうが! 恥ってことばを知ってるか?>自意識豚
>差別落書きがtwitterで一瞬で拡散するといった、マニュアルの想定していないリスクについてまるで答えられていない。
差別落書のメディアとしての特殊性には触れてあるだろうが>馬鹿
ネットをつかうことの危うさについても述べてある。
>その副作用が告発によって獲得される利益より十分に小さいから、告発すべきである「とされている」。そうなのですね?
僕の書いたこととはちと違う。
>ですが、だからこそ、負の面には常に心を配らねばならないのですよ。「告発は正しいのだから負の面など差別主義者のいちゃもんである!」という態度は、弱者をふみつけにするものです。手段のために目的を忘れるものです。
チミがここでいっている「弱者」って誰だ?
チミのタワゴトは当の在日や中国系に駄目だしをくらったということを何度書けばいい?
「弱者を踏みつけ」にしているのが誰のタワゴトか、当人がどういっているかくらい参照しろよ。それをしないで自我肥大で肥太っているから豚といったんだよ>この豚。
うーむ、味わい深い。
どうして苦しいことを認められなかったのか。
「かわいそう」でした。
人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。
彼等は学校に行けません。
彼等は人を愛せません。
彼等は私たちと同じじゃありません。
だからかわいそうでした。
皆大体同じことを考えたと思います。
今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています。
そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。
違うのです。
周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。
「苦しい」と言えば、
「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、
「死にたい」と言えば、
「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。
そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。
私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブでスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。
理由は私の兄にありました。
私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。
少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。
実践してみれば簡単なことでした。
変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分の価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。
今思えばここが間違いだった、と感じています。
道化は見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です。
そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです。
人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまいます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです。
私はそれを苦痛だと考えませんでした。
周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。
ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。
私はそれを見ているのがとても嫌いでした。
笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。
それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから。
私は本当にうれしいのか?
中学生になり、地元の学校だったので小学校のほとんどの生徒が同じ中学校に入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達に部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。
そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです。
わたしは結論しました。
部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。
こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです。
何故なら、私はその私しか知らなかったからです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。
中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。
勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。
私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです。
一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。
ただの暴力は一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。
彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。
なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。
彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです。
限界はどうしても来てしまうものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです。
そして学校で面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。
しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。
勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分を日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。
人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです。
何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。
私なりの結論でした。
そしてそれは正鵠を得ていました。
教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快な感情と同時に、安心できるのです。高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのです。しかし絶望もします。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます。
この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです。
高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学に希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。
全てが嫌でした。
惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。
こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。
死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべき感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです。
私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです。
二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。
学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰をします。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。
私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員です。おかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです。
しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇的であるためには。
生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです。
結局これが私の思春期の全てでした。
大学生になりました。
冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立の大学に入り、親の前での面子を保たせました。
大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分の学力で行ける範疇の大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。
大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。
しかし確実に私と違うところがありました。
彼等は正常でした。
彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです。
彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです。
思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。
苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。
自分の苦痛を認めずに、自分をいじめた人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。
苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。
使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去の苦痛に相変わらず縋りついています。
行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようです。しかしその症状は殆ど昔からあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。
私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です。
結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。
しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。
こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。
私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。
でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。
なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。
大學入試で努力が出来なくて、偏差値上位の大学に入れなかった人間をゴミ扱いするのは別に構わんけどさ。
「努力をしない・成功できない奴はゴミだ」っていう考えを突き通すなら、あらゆる人間はゴミだろ。
例えば、早慶上智東大京大の日本一の大学を受験し、日本一の職(大企業の会長?政治家?)になったとする。
でも、それは日本内での話だ。
鶏口牛後とは言うが、それは妥協の証だろ。
そして、お前の言うとおり日本一で妥協をしてそれ以上を望まない、努力しない、成功出来てない人間はゴミだ。
あらゆる学問、人文科学、社会科学、自然科学、基礎から応用までの学問。
あり得ない存在だろうな。
1年で数千万人もの人間が生まれたり死んでいくこの世界じゃ、あらゆる人間がピンからキリまで勢揃いだ。
出来が悪いのも出来が良いのも沢山いるだろうが、それらをゴミとか天才という言葉に分類する事に何の意味があるだろうか。
少なくとも、俺はお前の書き込みから「人の上に立ちたい」という意思しか伝わってこない。
十把一絡げで人間を見るお前は、同じように誰かに見られる事を覚悟しなければならない。
お前に張られるレッテルは「ただの変わり映えのしない愚かで矮小な学歴偏差値による差別主義者」だ。
さぞや、現実世界のお前は成功のない人生を送っていて、それを恥じているんだろうな。
「多少の上下はあるにせよ、大体同じ程度の人間だ」という思いがそこにはある
相手といて心地いいから、楽でいいから、愉しいから、理解してくれるから
全て、同等だから成立することだ
ロリコンの心理に似ている
自分を脅かすような、自分の自尊心を傷付けるような相手が怖いから
自分と同等か、自分より低度か、自分より少しだけ上の人間としか関われない
最低だと思う
自分を保つために他者を利用しているようで、気分が悪い
卑屈な人格に穢れを見る
許せないという事は、それが今現在においては変わらないという事で
自分に対して持ってるそれらを、あたかも友人が持っているかのように思い込んで
友人を攻撃することで、自分の中の気持ち悪さを間接的に攻撃する
やっぱりそれも、最低な行為だ
北でも南でも西でも東でも国外でも、ビビって逃げたならせめて黙ってやがれ。
てめぇが不安で逃げてんのに、自分の街から知り合いが消えて行く不安がどうしてわかんねぇんだよ。
被災地に実家を持ってる人間や、逃げたくても逃げこむ場所がないやつの気持ちなんて察することも出来ないくらい矮小な感性しかねぇんだな。
俺は超優しいハイパー出来た人間だから、友人が一人でも残っている限り実家には逃げないし、ここを離れないぜ。そもそも東京は平和、俺達は幸せもんだっつーの。
ビビって逃げた臆病者は、せいぜいどっか遠くではした額の募金でもしてガリガリの正義感を満たしてくれや。親しい人間も安心させることのできないその糞パブリックマインドでな。
「人の不幸」ってのは、悠長&矮小すぎる捉え方じゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20110307012310
を書いて一夜明けて、まぁ結構早めに帰って来れたハッピーだクソ喰らえ、という気分なので色々反論っつーかウンコ投げつけてやろう。
http://d.hatena.ne.jp/sadakiyo/20110307
まずこれ。えーと、さ。食いっぱぐれない、なんてのは当たり前なんだよね。
何やったって食える。そんなことは当たり前。そんなの誰だって出来る。しかし、食って寝れる生活に幸福を感じられたのは貧乏のズンドコだった学生時代までで、もうムリ。貧しい生活、というのは人の性根をグネグネに捻じ曲げるし、人格も矮小にするし、チンコの勃ちも悪くする。しかし、それはそれとして、もう一回あのドブ底のような風呂なし四畳半に戻るくらいなら俺は死ぬ。学生時代の四畳半はまだ良かった。大学に入る資金を貯めてた頃のあの時期は、もう二度と戻りたくない。つーか、俺は誰かを見下してないと死ぬ病気に罹ってんだよ。自分より上の人間が一人でも存在するのが気にいらねーんだよ。
金が無い、保証人もいない、学もない。それはクビがないのと一緒で、誰にも人間扱いして貰えない。誰一人、俺を真っ当な人間としてみてくれない。あれは心底クソみたいな日々だ。だから俺は底辺が大嫌いだ。あのドブ底でなんかヌルヌル生きている高卒って生き物は余すところなくゴミだ。つーわけで、あんたはそこでそのまま死んでろ。あんたの生活は俺から見ると死んでる。終わってる。
http://d.hatena.ne.jp/sadadad54/20110227/1298757508
んでこれ。「遊ぶ」かぁ。そういや、俺遊んだことねーなぁ、サモしい人生送ってんなぁ、と色々思ったんだけども。酒も飲まないし煙草も吸わないし車も持ってないしなぁ。
考えてみりゃ、俺の人生で一番面白かったことは上昇そのもので、人間以下のゴミ虫からここまで来る過程は遊びだったなー、とか思う。足りない要素を組み合わせて勉強して、カネをひり出して、金持ちを妬んで嫉んで憧れてってのが実は楽しかったんだなー、と。いやまぁ、文句つけようがなく楽しかったな。要するに、人生を上昇ゲームの形で構築してしまったから、停滞期に入って面白くねーんだ。18才からの8年ノンストップだったもんなぁ。一年、ドカタやって配管工やってキャバクラのボーイやって風俗店の店員やって、それから東京出て学生になって就職して、平行して働いて勉強して資格取って。
しっかしさぁ、「遊ぶ」って観念に対して思うんだけどもさ。何かに対して目的論的に取り組むとしたら、「遊び」なんて観念出て来ないと思うんだよね。仕事に対置される「遊ぶ」なんて観念が出てくるのは、結局のところ食うに困ってない、ってだけの話なんじゃないのかね。もし、何某かの目的に向かって進んでるとしたら、それは遊びなんて風に表現されないし、仮に表現されたとしても「仕事」とは全く関係のない話なんじゃねーのかね。仕事の話で「遊び」が出てくるとしたら、そんなのただの逃避なんじゃないの。逃げんのが悪いわけじゃないだろうけどさ。
こーさ、そういう話じゃないんだよ。
だってさ、つまんねぇじゃんよ。確かにこのまま真っ直ぐ行けば、次長とか局長とかなれるのかもしんないよ?
でも、それってたかだか年収1500とかそういう話だろ。俺は結婚する気もなけりゃ家も欲しくない、趣味も無い、友人もいない。年収1000万と1500万の間にどーいう違いがあるんだかわかんね。ここまでの人生は頑張ったら頑張った分だけ世界が変わったんだよ、ところが会社で20年頑張った見返りって、それっぽっち?って話なんだよね。そりゃ、カネや地位が全てってわけでもなくさ、ガラでもなく「やりがい」とか「貢献」とか考えたりもするんだけどさ。コッチコチに完成しきった大企業のどこにそんなもんがあるのかさっぱりわかんねぇ。そりゃ、功績ある、とされている人もいるしベタボメされてる人もいるけど。じゃあ、その功績って「家のドアノブをプッシュ式にしました」とか「トイレを全面洋式にしました」レベルにしか見えないんだよね。ええー、東大出たハゲが30年かけてこのザマですか?って思う方が自然じゃないのか。
今期は四つもの科目を落としそう、っていうか落とす。
いつもなら一日二教科だったから何とかなっていたが、今回はその倍、四教科。
今期は二年の後半。
正直だらけてた。家を出る時間を守らないことが恒常的になって、その日の初めの授業を受けないことに慣れてしまって。
かといって授業途中で教室に入るのは嫌で、サボった分のノートを補完できるほど交友関係ちゃんとしてなくて。
昨日は一日中遊ばずにプリントに向かっていたはずだったのに、ぜんぜん予定通りに進まない勉強が、深夜になるにつれて焦りながらもぼんやりしてくる頭が、効率とはかけ離れた学びの喜びのかけらもないただの苦行が。結局、眠らないまま終わらないまま、朝のラッシュに捕まり吐き気を催しながら二時間かけて行く、名前を口に出すのさえ最近嫌な我が母校。
あー、あー、あー。
その他色々もう生きてるのが辛い。
なんで君はこんな遅くになって、こんな手紙をよこすのか、そう君は思うのだろうね。理由は単純だ。君が自己満足の為に僕に書いて、僕によこしたように、僕も自己満足の為に書いて、君に送る事にするよ。それにあたって、ただ一つお願いがある。どうか返事を書かないで欲しい。僕にとって君との関係はキラキラとした美化され、風化された思い出というよりはむしろ、呪いや呪縛に近いのかもしれない。僕は君との関係を思い出す度、罪悪感に苛まれるんだ。この行為は別の言葉に変えるならば、償いに近いものかもしれないと思う。無論、こんな自己満足の手紙を送った程度で、僕の行いは贖われるとは思わない。
最初に謝っておきたい。僕が非常識な行いを行ったのは重々に承知しているし、そのことを忘れた事なんて一度もない。あれは責められるべき事だったと思うし、君がそう判断するのももっともだと思う。君は疑問に思うだろう。なぜ何もしなかったのかって。率直に言うと、君の中に抱いている僕と、実際の僕自身の落差に驚き、その砂上の楼閣を維持すべきか逡巡したあげく、何も選び取ろうとしなかった、つまりは自分が傷つきたくなかった、そして君に対して臆病だった。
僕は確かに、友情以上の意味を込めて、好きだ、と言った。そんな言葉を言ったのは生まれて初めてだった。その時の君の表情の移り変わり、春の穏やかな周りの風景、部屋のオブジェ、机に彩られた食事。全てを色鮮やかに思い出すことができる。君の手を握ったときの、ちょっとひんやりとして、僕よりも小さな、可愛らしい手の形や、僕の一挙一動にあたふたしてこじんまりとした小動物のようにコミカルでコケティッシュな君の仕草は、今でもまるでそこでの一部始終が8ミリビデオで撮られていたかのようにを鮮やかに思い出すことができる。そこで僕は確かに好きだと言った。しかし、本心では無かった。僕はしばしばそういった必要もないのに、そういった類の愚かな過ちを犯す事がある。しばしば、僕は人に嫌われたくないと思う余り、本心から乖離した行動をとってしまう事がある。そしていつも後悔する。学習しないのだ、僕は。それにしても僕はあまりにも軽率だったと思う。
君との関係を継続していく気がなかったと責められていても仕方がない。僕は君が思うほどに倫理的な人間でもない。君が思うほどに、自分が何か価値のある人間だなんて今の際まで思ったことは一度もない。世界からある日突然僕が消え去ったとしても、多分何の変哲もなく世界というものはそれまでと変わらぬ歩みを続けるのだろう。君はそんなことないって言ってくれたのは、とっても嬉しかった。それでもこの考えは変わらない。でも、あんなにたった一人の人について想いを巡らせたのは、初めてだったと思う。僕の周りの人間は、喩えて言うのであれば旅の途中にふとすれ違う、街角の風景みたいなもので、人生の短い時間を共有しては、時間という川の流れに押し流されるような、刹那的な存在だった。僕はそのまま、生涯孤独のままに生きていくのだろう、そう思っていたし、君に会うまではその考えは揺らぎすらしなかったんだ。それは僕の土壌の中に大きく根を張って、巨大な木へと成長していた。
君みたいな人間は初めてだった。君とのメールでのやりとりはとても楽しかった。君からメールが来る度に、思わず口笛を口ずさむほどに嬉しかったし、この時間が永遠につづけば、なんて今考え直すと陳腐な事を考えた。傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。でも僕にとって君と僕との関係は、それこそ実存をかけた問題だったし、真剣だったし、真摯にとりくまねばならないことだった。君みたいな素晴らしい理解者を得られた事は、多分神様の贈り物だったんだって心から思うんだ。なんでそんな得難い関係を保っていた君から僕は離れていったのだろうか。聞くに耐えぬ理由だと思う。君はそれを聞いたら怒るどころか呆れるだろうから。無論、なんの矛盾も抱えていない人間は世の中にはいないだろうけど、それにしたって限度がある。僕は矛盾した人間だとこの時ほど思ったことはない。
僕はあれほどまでに苦しめた僕に対する過剰な信頼と、敬意と好意と愛情を・・・失うのが怖かったんだ。だから僕は結局言うに言えなかった。だってあんなに手酷い別れになったにも関わらず、最後にこんな綺麗で美し過ぎる手紙を受け取っては、返そうにも返事が出来なかった。それを行う事は、恐ろしく酷いことのように思えたんだ。知らなくて良い事もある。もちろん、率直な想いを打ち明けるという選択肢もあったけれど、僕はそれを選べなかった。これが君に対するせめてもの償いなのか、それとも病的な利己心のなせる業なのか、僕には分からない。ただ君はとても悲しんでいるに違いないだろうし、その上に辛辣な言葉を浴びせる事は、もはや暴力であり、君に対する最大級の冒涜なんじゃないかと躊躇してしまったんだ。
君の言動に違和感があったわけじゃないんだ。君はメールのやり取りを介して、僕が想像した以上に君らしかった。どこか、違うだなんて違和感を感じた事は一度たりとて無かった。ああやっぱり、まさか君はそんなことで僕が君を諦める、なんて思わなかったんだろうね。だからこそこの言葉を言うのが辛い。一年以上もの間、君に返事の一通さえも出せなかったのは、とりかえしの無い事をしてしまったという罪悪感と、なんて空疎な事に時間を費やしてしまったんだろうという虚無感から逃れるためだった。
誤解しないで欲しい。君が空疎だとか、薄っぺらいとかそういう意味じゃない。むしろ逆だ。無邪気で純粋な君に接しているうちに自分のどうしようもなく矮小な部分や目を覆い隠したくなるような恥部を覗かれる恐怖に怯えて、逃避しただけの哀れな男なんだ。
恐ろしく動物的で、独善的で醜い。僕は自分自身のそういったどうしようも無く、醜くて矮小な自分自信を受け入れることができなかったんだ。だから僕は君との関係を拒否した。逃避した。切断した。逃げ出した。
僕は君と付き合う、その可能性ももちろん考えた。それは一見とても素晴らしい事のように見えた。だって僕の短い人生の中で、これほどまでに心を通わせる人なんていなかったから。君を失ってしまう事はとても辛いことのように思えた。でもそれは出来なかった。僕の心が拒否していた。君は僕といつまでも過ごしていたかった、そう言ったね。でも僕はそうじゃなかった。あの空間がとても-そう、とても重苦しいものに思えたんだ。心に重石が乗っかったようだった。いつまでこの狂った芝居を演じなければならないんだろうといっぱいいっぱいだった。帰りの電車の中では今までに経験したことのないほどの疲労感が襲った。
君がセクシャルマイノリティであることや、君の家庭環境とかに、違和感を感じていたわけじゃない。そういう人間がいたって可笑しくないとは思うし、僕はそこまで差別的思想に凝り固まっているわけではない、と信じたい。理由はもっと別のところだ。多分、僕がもっと思慮深く、善良でもっと本質的に物事を考えられるのであればこんなことにはならなかったと思う。しかしながら実際の僕は君が考えているほどには素晴らしい人間ではなかった。
しかしながら、結局のところ差別主義者と誤解されざるを得ないような酷い最後になってしまった事については、釈明のしようもないと思う。君を尊重すべきと考えるならば、それは絶対やってはならない類の行動であったし、今でももっといいやり方があったんじゃないかって思ってる。結果が似たようなものであれ、それに至るまでの課程が全く違うものであれば、たぶん、君もこんなに傷つくことは無かっただろう。
君がとても辛い人生だったのは察するに余りある。出来ることなら傍らにいて、君といつまでも一緒にいられれば良かったのだけれど、恐らく僕では分不相応だったのだろう。あのときは悲しみに暮れていたかもしれないけれど、僕なんかよりきっと素晴らしい伴侶が見つかる事を確信している。君の本質に触れれば、君ほど繊細でピュアな心を持ち、尚且つ魅力的で素敵な人間なんて早々いるものではないということを理解できるだろうから。この手紙が自己満足なのは言うまでもないが、君の幸福を祈る気持ちだけはどうか理解してもらえたらと思う。君の存在は唯一無二のもので、僕にとって特別であることはこれからもずっと変わらない。これからの君の人生が幸溢れるものでありますように。
(8/9 追記)
最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分が処女を守るに至ったか経緯を書くか。
色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。
私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女は海外に留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。
それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。
多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。
それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。
乗馬はやってたけど、一つ上の女の子が落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分の教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア。
なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。
ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。
まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値、財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。
祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉かキモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。
そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃん。イケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通にお坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。
「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」
はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。
その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。
男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。
それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。
セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。
大学を卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。
医者、イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女は事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい。
それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。
でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックスを結婚してもしたくない自分がいる。私の価値が結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分が馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。
処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ、処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。
私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。
「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。
なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。
言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小な自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面の価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。
ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。
でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性の幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様を完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。
「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。
全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供に押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。
たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想の処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。
私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。
「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女を幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。
本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する
生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。
しかも同じ退屈な考えで。
「ぼくの哲学」アンディ・ウォーホル