はてなキーワード: 短期留学とは
私はもうすぐ結婚する
私は8歳のときに妹を亡くした。妹が生きたのはたった1時間ほど。
高1の夏に祖父を亡くした。
その2週間後、私は短期留学に行った。両親からは良い気晴らしになるだろう、と言われた。1年ほど前から決まっていたことだから、行くしかなかった。
私は人の死と向き合うことが苦手だ。特に祖父は私にとって良い理解者だった。悲しくてしかたなかった。
留学先で彼氏を作った。彼は講師の知り合いで、夏休みを利用して私と同じくNYに来ていた。知り合いもいないし仲良くしてもらえて有り難かった。私よりも歳上でしっかりしてるけど、たまに甘えてくれるところがあってそこが好きだった。何もかもが新しい世界だった。
留学期間が終わって、彼も日本に帰ったけど住んでいる場所は離れているので遠距離になった。でも、移動にそこまでは時間がかからないので彼は休みになると会いに来てくれた。
あまり悲しくなかった。うちはお世辞にも良い家庭とは言えなかったし、離婚が決まっていた。他の家庭に比べれば私は恵まれていただろう、でも、私は不幸だった。お金に困らせなければ良いのだろう、うちはそんな家だった。母からは嫌われていてゴミ以下だと言われ続けていた。父からは見えない存在として扱われていた。夫婦仲も最悪でケンカが絶えず、私はいつも息が詰まりそうだった。私が病気になったのは両親のせいだった。
私を引き取ってくれる親戚はいなくて、留学先の恩師、彼氏の知り合いだ。そこの夫婦が私を引き取ってくれると名乗り出てくれた。子供に恵まれず1人の男の子がやっと生まれたがもっと子供が欲しかったからと私を歓迎してくれた。
新しい両親はいつだって仲良しで、新しく出来た弟はとても可愛くて私のことを慕ってくれた。私が望んでいた、憧れていた家族とはこういうものだった。
でも、幸せはそう長く続かなかった。
受験がやっと終わったが持病が悪化した高3の秋。病気とはそう簡単に受け入れられないものだ。葛藤している私に、彼氏が旅行に行こうと言ってくれた。
彼氏は日本とイギリスのハーフだ。大学生になるまではイギリスに住んでいた。母にも会わせたいからとイギリスに行くことになった。
観光をして、彼のお母さんに会った。彼のお母さんはデザイナーだ。現代を生きるかっこいい女性で、きっと誰もが憧れるような存在のはず。
でも、市街を探索しているとき銃声がすぐ目の前で聞こえた。嘘だ、と思った。私達も慌てたし、周りの人たちも慌てていた。彼は大きな声で逃げろ!と言っていた。そしたら彼がすぐ隣で撃たれた。背後から胸を撃たれていて、彼はそのまま倒れた。私は逃げようなんて思えなくて、まだ聞こえる銃声を耳にしながら一生懸命助けを求めた。圧迫しながら止血をすればいいんだっけ?なんて考えながら自分のマフラーを使って止血した。近くにいた人が救急車を呼んでくれた。
気付くと銃声は止んでいて、私は助けを待ち続けた。彼に声をかけ続けて、眠らないように話し続けた。大量に出血していて、彼はもう意識が半分無くなっていた。彼は助からないと思っていて、愛してるよ、と何度も言ってくれた。
救命士が来た頃、彼は意識を無くしていた。残念ながら、と言われた。やっぱりそうか、と思った。遺体からは離れられなくて、血だらけなのにも関わらず泣き続けた。嫌だ、なんで、愛してる、なんで、散々この言葉を繰り返した。
彼のお母さんが駆けつけてくれて、両親にも連絡が行った。棺に入るには若すぎる死だった。
どうして私の周りの人は死んでしまうのだろう、私だけこんなに悲しまなくてはいけないのだろう。そればかりを考えた。
そこから私は荒れた生活を送っていた。彼氏は作らないことにしていたが、少しおかしな男とつるんで鬱になりかけた。そのおかげで大学は半年で辞めることになった。両親には本当に悪いことをしたと思っているが、許してくれた。真面目にこれからは働くなら構わないと言ってくれた。
それまではただの知り合いだったが、大学に入りたての頃とある男性と会う機会が増えた。母親の仕事関係の人なのだが、少し偽善者っぽいけど面白い人だ。その頃はやたらとテンションが高くてうざかったから苦手意識を持っていた。
仕事の手伝いを頼まれたとき、彼ときちんと話す機会があった。彼はバツイチで、子供もいた。仕事ばかりで奥さんに出ていかれてしまった、後悔していると話してくれた。子供にはほとんど会わせてもらえず、養育費を払うだけだと言っていた。真面目なところもあったのかと失礼なことを考えてしまったが、私も自分のことを話してみた。これまで亡くなった彼氏のことや自分の抱えているものについて話そうと思えたことはなかったのに、彼には話そうと思えた。奔放な生活も止めなくてはいけないと分かっているのに止められない、悲しみの拭い方が分からないと打ち明けると彼はどうすればいいか教えてくれた。
それからはきちんと生活を変えようと思えたし、何よりも心が軽くなった。
亡くなった彼氏とはまた違った部分で彼は新しい世界を見せてくれる人だった。お互いを尊重し合うこと、信じること、対等でいること。1度結婚に失敗しているからかもしれないけど、良い夫婦になれるだろうなと思った。
やっと、亡くなった彼氏は思い出になっていた。
交際期間はたった2年ほど、でも思い出はたくさんあって、愛もたくさんあった。
私の悲しみも全部受けとめてくれるから、彼とは結婚しようと思えた。今日までも、色々なことがあった。でも、私はこの人生を受け止める用意がやっと出来てきた。これからもまた試練が待ち受けているかもしれないけれど、これからは夫ができる。夫婦で乗り越えていこうと思う。
マジレスすると、留学経験無し+ビジネス翻訳している+パートナーが外国人の知人は、別にTOEICでもええって言ってたよ
とりあえずなんでも良いから超基礎的な単語力と文法理解は無いとどうにもならんからなんでも良いって言ってた
そして、TOEIC900点+フィリピンに短期留学の元同僚は、留学経験有り+米国本体で勤務経験有りの上司にクソダメ出しされてたよ
TOEIC900くらいじゃ海外動画など日々見ていてもそんなレベルのようだ
英語が微塵も出来ないワイ的は元同僚は崇め倒したい存在なんだけどな
ほんで実務的なことを言えば、下々の者である我々はライティングさえ出来れば良い
説明求められた時だけ答えりゃいいし
なお、ワイはそのどちらも出来ないのでトランスレータがいないと無事死亡する模様
チャット用の英作文集作っとるわ
"大人でも難しいのに小6で「TOEIC 980点」" を YouTube で見る
あと、小学校で英検準1級合格の人もいるので、飛び級は認めた方がいいと思うんですよね
小学生で英検準1級に合格するような優秀な人には、公立中学校1年で「This is a pen.」とか習わせるのは時間の空費で苦痛だろうね
小学校6年間で足踏みさせられる学童が多い現実を考えると、飛び級は必要だろうね
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義務教育費用1・5兆円 教育制度6・3・3制の改正の必要性(飛び級も含め 提案)→義務教育は12歳まで
知り合いで英国の大学に16歳で入学した人がいたので、日本の飛び級制度について考えてみました。
ちなみに麻生太郎大臣は「義務教育12歳まで」を提唱したことがあります
教員の働き方改革推進=義務教育費1.5兆円-文科省:時事ドットコム
文部科学省は、公立小中学校教員の人件費に充てる義務教育費国庫負担金として1兆5200億円を2019年度予算案に盛り込む方向で調整に入った。教員の働き方改革を推進するため、小学校で英語を正式教科に位置付ける新学習指導要領に対応、専科指導教員の確保などに重点を置く。児童生徒の減少に伴う自然減や教員の若返りによる給与減などを背景に、同負担金は前年度比27億円減となる。
19年度予算案では、教員の働き方改革の一環として、外部人材の活用も強化する。部活動指導員を4500人増の9000人、教員の授業準備を手伝うスクール・サポート・スタッフを600人増の3600人それぞれ配置するため、135億円を盛り込む。
新規施策では、高校を地方創生の核とするモデル事業と、学校教育に先端技術を取り入れる実証研究にそれぞれ3億円を計上する。
一方、学校施設の耐震化や老朽化対策などをめぐり、柴山昌彦文科相は17日、麻生太郎財務相と折衝する。19年度予算概算要求では、公立学校の危険なブロック塀対策をはじめとする施設整備費2432億円を要求。今年度補正予算を含め、概算要求を上回る額を確保できるかが焦点だ。
現行の6・3・3制は、進駐軍(GHQ)のうち教育制度を担当した兵士の出身州が6・3・3制だったということに起因します
米国ではK12と呼び、高校卒業までが12年間教育であることは固定しているのですが、中学高校などの修学期間が異なります。
日本の公立小学校6年で習得している内容は、優秀な生徒であれば4年間で習得できる内容です
日本の公立中学校3年間で習得している内容は、一般的な中高一貫校であれば2年間で習得できる内容です
また高校3年間の学習内容を2年間で習得できる生徒もいると思います。
小学校4年生の終わり(または小学5年生の終わり)に「学力テスト」を行い、小学6年生までの内容(小学6年間の学習内容)を理解できているか否かの試験を行い、合格した生徒は、飛び級する学生だけがあつまる新設公立中学校に進学できるようにするべきと考えます。
学年と年齢の違いに関しては、
(1)小学4年末で合格した学生(10歳)が進学する公立中学校
(2)小学5年末で合格した学生(11歳)が進学する公立中学校
(3)小学校に6年間在籍した学生(12歳)が進学する公立中学校
の3通りに分ければいいと思います。
また、小学校6年修了時に、卒業試験(小学校6年までの国語・算数の学力試験)を課し、小学校卒業の学力に満たない小学6年生は再び小学校に留年するという制度を採用すれば、読み書きもできないのに公立中学校に進学してくるような事態は回避できます。
現在の「公立中学校」で正常な授業が行われていないのは自明であり、公立中学校の荒廃を回避するためにも、読み書きもできないのに公立中学校に進学してくるような生徒を卒業試験でブロックすることは非常に有益です。
中学受験で進学した12歳は電車通学で異なる都道府県の学校に進学するということが日常的に行われています。
(もちろん私立小学校に通学する小学生も7歳から電車通学をしています)
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① 12歳で入学できる公立高校(小学校を4年間で修了し中学も2年間で修了した場合:要は小中で6年間かかった場合)
② 13歳で入学できる公立高校(小学校を5年間で修了し中学も2年間で修了した場合、および小学校を4年間で修了し中学は3年間で修了した場合:要は小中で7年間かかった場合)
③ 14歳で入学できる公立高校(小学校を6年間で修了し中学も2年間で修了した場合、および小学校を5年間で修了し中学は3年間で修了した場合:要は小中で8年間かかった場合)
④ 15歳で入学できる公立高校(小学校を6年間で修了し中学も3年間で修了した場合:要は小中で9年間かかった場合)
もちろん中学3年時には学力テストを課し、合格できない場合は留年(中学3年をやり直す制度)も必要です。
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上記の公立高校の形態から考えると、高校(や中学)を2年で修了できる場合もあると考えて
大学1年に進学できる年齢は
14歳(4・2・2と小中高を8年で修了することに成功した場合)
15歳(4・2・3)または(4・3・2)と小中高を9年間で終了することに成功した場合
16歳(4・3・3)または(5・2・3)または(5・3・2)または(6・2・2)と小中高を10年間で修了することに成功した場合
17歳(5・3・3)または(6・2・3)または(6・3・2)と小中高を11年間で修了することに成功した場合
18歳(6・3・3)と小中高に12年間を費やした場合
となります
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ちなみに現在の大学受験制度では、千葉大学、京都大学(医学部のみ)など6大学が飛び級で受験生を受け入れています
参考:
先進科学プログラム | 飛び入学 | 国立大学法人 千葉大学 先進科学センター
先進科学プログラム ― 高2から大学へ ―「先進科学プログラム」は、高校2年修了後、通常より1年早く大学に入学できる制度です。入学後は、所属する各学部・学科の授業科目と並行して、本プログラム生専用カリキュラムに基づいた少人数教育を受けることができます。
1年次または2年次の夏休みに、英語学習を目的とした約1ヶ月の海外研修を実施。3年次以上の学生には研究目的の海外短期留学を支援するなど、大学の費用負担による研修制度を設けています。
入学料は免除されます。また、授業料も選考のうえ全額または半額が免除される制度があります。海外研修の際も個人的に使う経費以外の負担は必要ないため、経済的な心配をすることなくチャレンジできます。
参考:
京大が飛び入学制 16年春から、医学部に高2生 :日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG26054_W4A320C1CR8000/
京都大は26日、2016年春入学の試験から、医学部医学科に高校2年からの「飛び入学」制を設けると発表した。高校3年次を履修せずに大学1年になれる。国際科学オリンピック(数学、物理、化学、生物)の日本代表として世界大会に出場した生徒が出願の対象。英語力や小論文、面接の成績を総合判定する。募集人員は最大5人。医学部の飛び入学制は全国で初めてという。
しかし、上記の現行制度だと高卒資格が得られないことになっており、また京都大学(医学部)では飛び級合格者がでていません
しかも上限5名しか合格できないのであれば、米国英国における飛び級と同一視することが出来ません
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国民の生命に関わる福祉予算は3兆円、国防費4兆円という重要な出費がありながら
義務教育費になんと1・5兆円が浪費されており、警察官の給与より公立学校教員の給与が高いという逆転現象が放置されています。
麻生太郎氏が提言したように12歳から賃金労働できるようにして、義務教育を12歳までにすれば、いわゆる単純労働分野での外国人受け入れをする必要がありません。
教育への支出を増やしたところで教育の質は改善しませんしむしろ劣化します
公立高校教員・公立中学校教員は学力が低く、むしろ学力が低いゆえにその職業を選んでいるという現実もあるわけですが、毎年学力テストを課して基準に満たない教員は会食する制度は最低限必要だと思います。
私は私立中学校高校一環だったのでわかりませんが、公立中学校教員は内申書(高校受験に必要な書類)に際して保護者に金銭を要求する行為が横行しているとよく伺います。
そもそも田中角栄の時代に設定された(公立学校)教員給与が1クラス50人を前提とした給与水準なので、1クラス30人となった現在では、給与は6割に言及するのが正鵠を射ていると思われます。
どう思う?
数年前貯金でイギリス短期留学してきたけどスイスは渡航経験なし。
普段2ちゃんやがるちゃんで人生に疲れた系のトピ見てることが多いんだけど、スイスいって安楽死したいって人多くて、それじゃ通訳やってみるかなと思った。
外国人を受け入れてるのはDIGNITASってところだけど、イギリスやドイツではスイスまで同行する団体がいるらしい。
もちろん誰でも受け入れてるわけじゃなくて、向こうでかなり慎重な問診や調査があるらしい。
精神疾患は受け入れまでにかなりかかるとかで、本当に死ぬ意思があったかについては十全なチェックは取られてるっぽい。(後述)
懸念は、家族とちゃんと合意取れてないお客さんの依頼を受けたらトラブルに巻き込まれそうということと、関係ない第三者に叩かれそうということ。
それでも検討している理由は、まず需要がありそうだということと、実現できそうだということ。
ただことがことだけに事後にトラブルが発生した場合かなり大きな問題になるだろうし、かと言って「事前に必ず家族の同意を取って下さい」といっても天涯孤独な人とか親類と疎遠な人もいるだろうし悩む。
あるいは家族の同意が取れない人は申し訳ないけどお断りするか。
※DIGNITASによる自殺幇助ができる条件は
死に至る疾患(末期疾患)、および/または
のどれかが必要で、医師の診断書も必要みたいで、精神疾患はNOとは書いてないものの、ほとんど受け入れられないみたい。
Q:精神疾患や心理的問題を抱えています。ディグニタスで自殺幇助を受けられますか?
A:これは非常に難しく、多くの障害を伴う長く複雑な手続きが必要であり、YESと言える保証はありません。(クライアントの)主治医による診断書によります。病気の明確な診断、その原因と経過の説明、試したあらゆる治療法の結果(成功問わず)に加えて、判断力と識別力に関する詳細な精神医学的評価、また精神疾患の症状による希死念慮ではなく、十分に考慮された末の自己決定であることを確認します。
※追記です。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712?page=2
>日本では他人がサポートすることは自殺幇助罪にあたる可能性がある
とのことで、そもそも通訳することだけでも法に抵触している可能性がありそう。
色々調べていくうちに
・ディグニタスが受け入れてくれるのはほぼ末期や回復不能な疾患のみ
・日本では緩和ケアが発達しており上記疾患があっても苦痛を和らげることは可能
とわかって、最終的に「これクリアしてる人って緩和ケアと尊厳死でいいのでは…?」という思いになった。
歳を取るたびに人生が負債になってきて、いずれ動けなくなった時、財源の乏しくなった日本で公的扶助が受けられるかもわからず野垂れ死ぬのを恐れている人にとっての心のお守りみたいなものにはなりえないんだな。
それにたとえこの条件をクリアしても、医師や団体による対話でちゃんと伝わるよう訳せなかった場合、意思疎通の齟齬で結果的に望まない死を選ばされたなんてこともありうる。
がっつり本職にしないと回っていかない気がする。
残念だけど
・幇助を受けられる層が限られている。
・通訳とはいえかなり責任が重い。依頼者の考えてることが不明瞭な場合うまく訳せないかもしれず面接までによくよく意識をすり合わせておかなくてはならない。それでも伝えきれず幇助が果たされた場合法に触れる可能性もある。
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185794479111860224
@kazukichi3110
君ら数百程度のエンジニアじゃあね。
超少数派でしかない。
その中で君らが標榜する、「年収いきなり1千万」を狙える椅子はいくつあるんだろうねって。
現実はこれだよね
@Rorome15Nikomu
プログラミングと英語を勉強しているアラサーです。既婚。SES(事務職)4年→フィリピン短期留学→SES(インフラ系)1ヶ月で退職→無職期間にウェブカツで猛勉強→3月よりWEB制作会社でアルバイト中。
https://twitter.com/Rorome15Nikomu/status/1184446949107236865
AKB系列、ジャニタレの適当なダンスとは比べものにならないぐらい上手い。昔の指原のこの発言には本当に幻滅した。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/8159790/
当然整形で治してるわけだから、その甲斐もあって顔は整っているのだと思う。(個人的な好き嫌いは別として)皆同じ顔という批判もあるし、実際そうだが、ファンには区別がつくならまあ整形成功だろう。
個人的には5人ぐらいがベストだと思うが、AKS系列のように48人もいないところは良いと思う。人数が多いの、キモい。
東アジア文化の最先端、という虚構で見事に若者を騙せたと思う。カンナムスタイルの再生数詐欺は有名だが、そこまでして「流行っている」と押し切って実際にそれなりに流行らせているのだから、まあ勝ってると言っていいだろう。短期留学に何度か行って思ったのだが、白人国家に住むマイノリティアジアンにとってKPOPスターは、アジア人の自尊心を満たす拠り所なのではないだろうな。東南アジア、オーストラリア、アメリカ、中国人と薄い関わりを持つ機会が点々とあったのだが、どの国の人の中にもにもKPOPファンがそこそこいた。日本のアイドルは世界展開する気も、する能力もないが、そこに成功している点は素直に凄い。国内市場の狭さ故なのだろうか。
大東亜共栄圏のような夢をアジア人ファンに見せている気がする。
日本にもダンスの上手い世界進出アイドルはいる。ハロプロだ。しかし、ハロプロはもう一般知名度はない。あそこにはドルオタしかいない。また、AKSも若い女の子ファンはそこそこおりファッション誌でモデルもやっているが、実際に金を出している層はおっさんである。おっさんから金をむしり取るビジネスとかした日本のアイドル文化より、かっこよくて可愛い韓国アイドル(という虚構)に若者が心惹かれる気持ちもわからなくはない。
KPOPファンの友人がいるので、なんとなく内情を把握してはいるが、実際に名前と顔が一致するアイドルはいない。KPOPファン、armyとかonesとか名乗ってる彼女らは独自の(韓国から発信されてくる)文化を受け取り、再発信している。「ハングルが可愛い」「韓国語はわからないが発音が可愛い」など難解なコンテキストの上でガラパコス化した可愛い文化を築いていて、まあ理解不能なんだが、凄いと思う。水を差す奴らがいないので、加熱されやすいのだろう。好きじゃない奴にとっては微塵も興味を持てない対象であるが、好きな奴にとっては神様、という分断を少し感じる。
若い子のトレンドはkpopっていうのが嘘で無くなってきていると思う。日本の文化のリバイバルが韓国の最先端と一致したのと、「かっこいい西洋」がアジア人賛歌への立ち還りによって「かっこいい韓国」への移り変わりが起こったのが上手く言ったのかなーと思う。
若者間でも左翼と右翼のように「kpopが好きで親韓の人々」「普通に日本のポップカルチャーが好きな保守的な人々」っていう分断が起きているのが、なんとなく怖いところだと思う。kpopファンはkpopファン同士固まるからそこでヒートアップしやすいのだよな。
個人的にはkpopファンは妄信的でうざいので嫌い。「日本文化sage、韓国文化age」が彼女らには根付いてて、ジャニオタなどとの軋轢を生んでいるところも頻繁に目にしてきた。
まあ政治には全く関係ないが、かつてセーラー服を着ていた頃に見てきて思ったことを書いてみた。田舎者なんでこれでも韓流オタク少ない方だったと思う。都会はみんなオルチャンメイクとか地獄かよ。椎木里佳みたいなのがインフルエンサーなんでしょ。きついっすわ。
優秀な先輩は大企業行くし、優秀でない先輩は零細に行くけど
人事って何見てそれ判断してるの?
学部卒だとGPAとTOEIC・TOEFLぐらいしか思いつかないんだけど、GPAとか見るものなのか?
修士卒の場合、研究成果を見ると聞くが、研究室の教授次第で、研究の質って大分変わらない?
自分がお遊び研究のようなのをしていた頃も、結局実験にゴーサインが出るかは指導教諭次第だったし、半分ぐらい彼のアイディアで研究してるようなものだった。
院生がどれぐらい自由に研究してるかわからないが、研究成果で研究力を評価できるぐらい自立して研究してるものなのか?
兄は学生時代貰ったテーマで言われた通りの実験をしてデータを出しただけと聞いたのだが、兄が特殊なだけだったのか。
急に就職に不安になってきて、調べてるんだが全然わからない。短期留学めんどくなって蹴ったんだが、蹴らない方が良かったのか?
教員は就職強い自慢めちゃくちゃするし、パンフにも大企業省庁ズラリしてるけど、適当にやっててそこに仲間入り出来る気もしないし、そんなの予備校の宣伝みたいなものだよな?信じて怠けてたら失敗するパターンだよな?
田舎の公立高校に通っていた。ある日の全校集会に外交官の女が来て、講演を開いた。
外交官の女は、父親も外交官。小学校から東京のお嬢様私立で中学生で留学。高校も私立金持ち高校に進み短期留学を繰り返す。大学もお嬢様大学に進み、1年の海外留学を経て卒業。今は父と同じ外交官として世界中を飛び回っている。
というような話をして帰っていった。田舎の高校で、東大京大帝大駅弁大という進路希望に洗脳されていた我々にとって、私立一本のお嬢様の話は衝撃的であった。
都会の高校生は恵まれていると思う。予備校なんか田舎にはない。伸び伸び自由に育てる立派な私立学校もない。田舎の私立は滑り止めで行くところだ。外交官なんか遠い遠い遠いところの仕事だ。
やっす。底辺ってこんなことしとるんやな。
依頼主も文章書けない馬鹿で、請負人もこんな低賃金に飛びつく馬鹿なんやなあ。
工場勤務、夜勤、警備員、底辺派遣…彼女なし昇進なし、見えない敵と戦わなきゃ押し潰されちゃうよなあ。
こいつらがもう少し教育に恵まれてたらもうちょいマシな人生やったろうに。頭が悪くても、勉強する機会さえあれば視界が広くなっただろうに。夜学とか大学のオープンの講演会とか社会人の短期留学とか、そういう機会もないんやろうか。社会人教育って誰も支援してくれないもんな。自発的にならな学べないもんな。こんなのアメリカの貧困白人みたいだ。可哀想だ。
一生ネットでファミと戦うだけなんやなあ。アカデミックな経歴ないと、議論にすら参加できねえもん。酔ってるから泣けてきた。こういう人に何か支援できないんやろか。
こんばんは、ヨーロッパにホームステイしながら、とある国立大学に短期留学してる私大理系大学生です。
只今、短期留学の仮学生証で大学の図書館に宿題をやろうと思って来たんだけど、率直に言って、海外の大学ってすごいって思った。
といっても、今まで見てきた自習室なんて予備校の数校舎と今通ってる私立ぐらいで、大したことはないと言えばそうなんだけど、だからこそここに書いて、他の人から見てもすごいのか知りたい。
まず、席の数、5mぐらいの広々とした通路にも机と席が点在するから正確には数えられないんだけど、一階あたり150席ぐらい、一応、一つの机には3席がならんでそれが向かい合う形で計6席なんだけど、1席あたり結構広い。具体的には都心の予備校の○台が採用してる机の1.5倍ぐらいある。
それが3階建て、計450席ぐらい?その殆どが電源と有線LANを装備してて、机に向かい合う学生は資料やパソコンで黙々と作業に向かってる。
うちの私大ではそんなに自習室に席はない。精々200席ぐらいじゃないかな。
国立はどうなんだろ?
予備校でもそれぐらいの自習室の席を完備してるところもあるけど、あそ、生徒をすし詰めにするんだもん。狭いし近いし、受験のストレスでペン回し、貧乏揺すりにイライラする、それに比べると遥かに快適。
流石に450席全てが埋まってるわけではないけど、2/3以上は埋まってる感じかな。
それに加えてPCルームにはうちの私大なんか目じゃないぐらいズラーとPCが並んでる。全部同じだと仮定すると、Win10、メモリ8GB、CPUはi3、HDDの有線デスクトップで動作は快適そのもの。
たぶん図書館内に計150台ぐらいはあると思う。
そこにも様々な人種のたくさんの生徒が作業に取り組んでて、正直うちの大学の生徒らの取り組む姿勢は雲泥の差。普段は自習室はガラガラでテスト直前、最中にようやく7割方埋まるぐらい。
いい環境に居ればモチベーションが上がるのは当然の帰結だよね、なんとなく日本人の生産性が低い云々は環境にも一因があるんじゃないかと思った。
外国語がすごく苦手で、滞在期間は残り一ヶ月を切ってる今はかなりヘトヘトだけど、この自習スペースの為にここに残りたいとか思えるくらい。
なんとなく、明治維新に海外へ出ていって日本とヨーロッパとの違いにショックを受けた日本人みたいな気分になってる。イメージだけど。
毎月発行される学校だよりをホームページで読めるのだけど、唯一の生徒「Aくん」の活動報告と化している。
例えば学校だよりの第1号なんか、時候のあいさつのあと、「さて、Aくんの義務教育も残すところ1年となりました。」なんて文から始まるのだ。
全校集会や授業参観、持久走大会など、通常の中学校で行われるイベントも大抵行われている。
でも授業参観ではAくんとその両親の早解きレース、持久走大会では島の郵便局員なんかも呼んでいっしょにレースしている。
ほかにも、国際交流でAくんがアメリカに短期留学したり、合唱コンクールは本土の中学生と一緒に出たりしている様子がわかる。
こんな中学生活にも憧れる。
元々眠りが浅く、夢を見やすいほうではあったが、好きな人の夢を見ることはまずなかった。
年甲斐もなく夢占いなどというものを紐解いてみたが、いずれも大した意味はなく(単に仲良くしたい願望が夢に表れただけ)、しかも大半の夢占いは女性視点でしか書かれておらず、どう解釈したらよいのか微妙な感触。
その人とは知り合って1年ほどになる。
顔を合わせればとても楽しく話ができるが、LINEのやり取りは9割こちらから、返信はほぼ必ずあるがラリーは1,2回しか続かない、そしていまだに2人だけで出かけられたこともない。
あるときやけに距離感近いなーと思ったら、またあるときはちょっと距離を置いている感じがして少しがっかりしたり。
追いかけても手が届かないが、追いかけるのをやめれば少しだけむこうから近づいてきて、今度こそと手を伸ばすと、絶妙にかわされ、以後ループ。
この1年間でほんのわずかだけ様子が変わったことがうかがえるが、劇的な進展というにはほど遠い。
近々3ヶ月程度の短期留学に行くそうで、留学の話は前々から聞いていたものの、何か金品を奪ってやろう的な悪い雰囲気などもまったく見られない。
先日出発前最後となる会う機会があり、こちらとしては「心から応援する」旨伝えるのが精一杯、ドラマチックな展開はなかったし、まだそこまで持ち込める空気ではないと諦めざるを得なかった。
ただ、以前から共通の話題として上がっていた本を貸してくれた。
彼女としてはそれを私に差し上げてもよいと言っていたが、私としては3ヶ月後に再会するために使える貴重なツールだ。
この本を読み、共通の話題を深めながら、借りた本を返すという体で、「おかえり!」と彼女を温かく迎え、これまでのように細々と薄くではあっても接触を続けることが、残されたわずかな可能性ということになるだろう。
いずれにしても、自分が楽になるためだけの告白やアタックはしない!
経験上、それはうまくいかないばかりか、そもそも全然楽になりゃしない。
吐き出した瞬間は楽になった気がするが、間違いなくあとからくる。
先日、昔、バイトしていた中学受験塾の人たちと飲み会をしていたときに出てきたのが
という話でした。
ご承知のように、東京オリンピックにあわせて、大学生たちのボランティアという名前での学徒動員が既定路線になっています。会期にあわせて試験シーズンを変えるとか何とか。お国に貢献しようと大学当局も大変です。
となると、大学生たちに依存してきた産業にも、大きな影響があるんですよね。
塾産業なんて、まさに夏休みが最大のかき入れ時でして、その先兵たる大学生バイトたちが五輪で招集されてしまうと、現場が回らなくなる。
自分の行っていた塾なんかは時給がそれなりの額だし、学生依存度が低いので、まだなんととかなるとの希望的観測があるようですが、それでも徴兵令に引っかかりそうな大学2年生(2年後には4年生)あたりには予防線をかけているとのことです。
本当に大変なのは、学生依存度の高い個別指導塾とか家庭教師とか、そこらの業界。今から心配しているようです。
類似の話は、他にも聞くんですよね。夏休みにヒマしている学生への依存度が高いのは、
あたりは今から頭が痛いようです。
他にもそんな業界、あるんじゃないですか。
タダ働きの学徒動員で、広告関係とかメディアとかスポーツ関係とか宿泊関係とかは潤うのでしょうが、学生関係の産業は総崩れする可能性は大。
趣味に関するブログで知り合いになった方がいる。私の母親でも全然おかしくないような50手前くらいのお歳の方。ちょくちょくコメントをやり取りするだけの仲で、たくさんいるブロガーさんの一人という認識だった。
ある日LINEできますか?と言われて、何も考えずLINEを交換した。今考えると仲良くもないのになぜ?って感じだけれど。LINE交換して、なんとなく私に対してネガティブなことを言う人だな…と思った。わたしが「狡猾」だとか「性格が強い」「○○さん(他のブロガーさん)もたじたじ」「顔出ししたら炎上するわよ」などなど…意味不明。私のブログなんてアクセスもないし、攻撃的な事を書いたこともないし、炎上するはずがない。後、大学が忙しいって言ってるのに「彼氏は?欲しいでしょ!?」とか「結婚して初めて自立できたと感じました」とかしつこく結婚を勧められてウンザリ。その人40後半で初婚なのに…それまで自立してなかったんか?と疑問だし。
「ネガティブな言葉を使われるので驚きました」「結婚願望ありません」
とか正直に言ったら
「ブログ上の私はキャラクターを演じていたの!disappointedさせてしまったらごめんなさい。ブログでの私のイメージってどんな感じ?」
と返ってきた
「たくさんいるブロガーさんの一人、というイメージしか持っていません」
と言った。彼女はたぶん他の言葉を期待していたんだろうと思うけれど、嫌な気分にしてくる相手にどうして相手が望む言葉をかけなきゃいけないのだ、と思った。
後、「したいことをできなかった私のようにならず~~として将来は生きてください!」(なんかもっと長かったし、文法もぐちゃぐちゃで論理破綻著しかった)とか言われてなんかもうイラってきて
「将来のことは自分で決めるし、20以上年下の相手に向かって『狡猾、性格強い、炎上間違いなし』とか言う人間になりたくないしなれません」
と返してしまった。
向こうは朝5時になる前だったのにすぐ返事が返ってきた
「途中で席を外すなら。普通はちょっと時間をください。と言うべきでしょう。こんなに長く相手を待たせるのは、それこそマナーの外れた人よと言われますよ💓ボキャブラリーの選択には日本との温度差があるでしょう。どっちにし…」(原文ママ)
通知欄でこれ以上見れないし、私は短気だから全文読んだらイライラするだろうし未読のまま放置している…
そもそも私はレスポンス早い方じゃないし、ポンポンやり取りしていたわけでもないのに、普通「席外します、どうか時間をください」とかへりくだって言わなきゃいけないの?大体日本夜だったのに待ってたの…??
あと『ボキャブラリーの選択…』とか書いているけれど、私は現在進行形で5年くらい海外にいる。相手の人はずっと前に短期留学したことがあったとは聞いたけれど、普通にずっと日本にいると思う。
相手の人が私にむかって「狡猾」とか言ってきたことについて意味不明な釈明をしてるのか、私のボキャブラリーに文句をつけているのか、主語がないから分からない。
若者だからマウントとれると思ってコンタクト取ってきたの?文の一部だけ英単語突っ込んできてカッコつけるくらいなら全部英語で書けよって感じだし、なんで私の倍くらい生きてて句読点すらちゃんと使えないのか意味不明だし、あーーーーどうでもいいおばさんにイライラしてる子どもな自分にイライラする。イライラ
三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗の僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄(767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。
目次 [非表示]
1 概要
2 平安初期の仏教界
2.1 法相宗と徳一
3 論争の経緯
3.1 論争の発端について
4.2 南都教団への対抗
4.3 中傷者徳一に対する怒り
4.4 蝦夷征討との関係
5 その後
6 注・出典
7 関連項目
8 参考文献
「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗と一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便。真実を理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗・三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗の根本経典である『法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗は一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗(声聞乗・縁覚乗)・大乗(菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗と仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこそ真実であると主張した。このように三乗・一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。
ただし、徳一と最澄の論争は三乗と一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経の正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作を執筆しており、これは徳一からの批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗の空海(774年 - 835年)への論難である『真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である。
いずれにしろ論争は著作の応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。
奈良時代に興隆したのは、法相宗や華厳宗・律宗などの南都六宗である。本来、南都六宗は教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである。
この時代の日本における仏教は中国と同様、鎮護国家の思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度が施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇(737年 - 806年)が平城京から長岡京・平安京に遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設を意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家の宗教として最澄の天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教を牽制する意図もあった。
日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国後飛鳥法興寺でこれを広めた。
徳一は一説には藤原仲麻呂(恵美押勝とも。706年 - 764年)の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国で布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。
前述のごとく、徳一の著作はほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。
天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教の理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。
最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇に天台宗の学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇は最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年(805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年)帰国した。
帰国後、最澄は桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗は正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである。最澄はさらに同じく入唐した空海に師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇の設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗の菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗の鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教の既得権益との対立を深めていた。
論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判・法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。
ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国で活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身は鑑真の弟子で、律宗の僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄が東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁(794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要な役割を果たしていた存在であった[6]。
筑波山を開山し、会津を拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的に東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在を最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。
三一権実諍論に関する著作としては、
≪徳一側著作≫
『法華肝心』2巻
『法華権文』1巻
『中辺義鏡』20巻
『慧日羽足』3巻
『遮異見章』3巻
『義鏡要略』7巻?
『法相了義灯』11巻
『通破四教章』1巻
『照権実鏡』1巻
『依憑天台集』1巻
『守護国界章』9巻
『決権実論』1巻
『通六九証破比量文』1巻
『法華秀句』5巻
などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、
徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論。
徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論。
最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。
となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄の反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論、結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。
一連の論争の内容は難解で、一乗・三乗の権実のみならず、教判論における法華経や天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解の先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論そのものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。
天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗の空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。
下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。
最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海に師事することになる。
最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年)から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年(806年)に帰国していた。最澄は空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海の高雄山寺において灌頂を受け、正式に空海の弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。
しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さらに最愛の弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり、密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。
天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的な姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗は最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。
最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国に拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗を代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇の設立など、天台宗を確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗の理論家である徳一を説き伏せることは、天台宗の南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。
徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義そのものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。
宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。
最澄が東国に下った際に活動の拠点としていたのは亡き道忠が活動の拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野・上野両国から陸奥・出羽両国に対しては国司からの課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗や東国の鹿島神宮・香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院や神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗の公認を得たばかりの最澄も東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄の東国行きに随行した弟子の円仁(下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野・上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。
これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原は最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<
お前の故郷をクソって書いたって読んだんやったら、確かにそれは私が悪かったよ、謝る
謝ってくれているのなら、横じゃなくね?本人じゃね?
あと、注意されてるんじゃないと思うよ。煽ってるだけなんじゃないかな。
お前が腹の底でそういう考えを持っているということを見抜かれてるからや
醸し出してるも何も、大きな荷物持ってタクシーに乗っただけで言われたし、
晩ごはんにカウンターだけの店に座って、お酒を注文しただけで言われたりするよ。
こちらの人じゃないですか?地元の言葉じゃないから分かりますよって言われて、大抵は方言じゃないからってところがスタート
旅行で遊びに来てますって言っただけなのに「東京は高くて人が多くてろくなもんじゃないでしょ、こっちで美味しいものたくさん食べてって」から始まって
なんかずーっと言われ続けたりする。
私は、タクシーに乗ったりビール注文しただけで、いったい何を醸し出したの?おでこに「田舎馬鹿にしてます!」とでも書いて出かけたのか私は。
10か国もうろうろするなんて、すごいですね!お仕事でですか?マウント返し乙です!
この間、母が亡くなり、久しぶりに兄に会ったら、離婚していた。
「お嫁さんには、いい人ができたみたいで、何もいらないからと出て行ったのよ」
と言われた。
兄は、3度結婚したが、いずれも若い、10歳以上年下の相手ばかりを選んでいた。
楽な生活をしたい、金目当てな女性が寄ってくるので、何度も結婚できるのだろうと思っていた。
3人の妻は、いずれも、外車を乗り回したり、短期留学したりと、派手な生活をしたがっていたようだった。
そういう価値観のすれ違いから、愛想をつかされて、妻たちに逃げられた………と私は思っていた。
この間、3番目の前妻、元姉に会うまでは。
偶然会った元姉に近況を伝え、甥の成長を聞いているうちに、話がはずみ、聞いた離婚の理由。
このままでは、息子ともども生きていけないから。
いっしょに行けば、買い物の代金は払うが、食料品や生活必需品以外は絶対買ってくれない。
仕方なく、母と姉に預けて、朝と夜とパートを掛け持ちして働くしかなかった。
話を聞きながら、羞恥心と怒りで、目の前が真っ暗になった。
以前はこう思っていた。
元姉は、結婚してからも、子どもが産まれてからも、働くことを止めなかった。
母や姉からは
「働かなくても食べられる生活費はもらっているのに、意地になって働いている」
と聞いていて、私も子どもを母に預けてまで働く元姉を軽蔑していた。
なぜ、そこまで、金が欲しいのか。
思い返すと、その前の妻、そのまた前の妻、どちらも、
「お金がない」「お金がない」と文句ばかり言っていると、母がこぼしていた。
そう、私は、思っていた。
恥ずかしい。
「いつか変わるかと思ったが、まったく変わらないので、もう、待てないと思って家を出た」
申し訳ない、本当に申し訳ない。なにも気づいてあげられなくて、申し訳なかった。
恥ずかしさと怒りしかないのだが、母の遺産を相続するために兄には会わなければいけない。
兄からは「現金で1000万円ぐらいでいいだろ?」と打診されていた。
実家の土地建物、アパートや駐車場を考えたら、安過ぎないかと思って保留にしたが、
やはり、きっちりとって、彼女に少しでも援助した方がいいのか。
いや、断られるか。
連絡をとってもいいものか。
こんなクズの弟が。
菊川怜の夫に婚外子が4人いた、しかも、養育費もまともに払っていないというニュースを見て、
“なんてクズだ”
と怒りがこみ上げて書いた。
クズが肉親で恥ずかしい。
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頑張った結果なのに納得出来ないのわかります
月収12000なら年間 144000ですね
まだまだいけます。
もしエンジニアで日本で同程度稼げるなら、西海岸では3千万以上は硬いとこっちでは感じます
リスクは家族です。貴方が海外に適応できても家族ができるかはわかりません。子供は適応力が高いので、辛くても短期留学と割り切る考え方もあります。日本の富裕層には子供を短期留学させるために年間数百万支払う人もいるそうですから、これがおまけと考えられます。
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あとは給与は エンジニアなら 自分を売り込む力×市場のニーズ×運×技術力です。技術力勝負だけだとチャンスが限定されます。
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