はてなキーワード: 相鉄とは
最近の日本のゲームがメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現のリアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCのオンラインゲームなりスマホのゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂やソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械。事実上のネトゲであるソシャゲは難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。
こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在が日本文化の繁栄を実現している場所なのだ。問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。
たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本の人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームはアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカルの拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派からの評価は高いといえない。
アジア諸国の交通が長い間道路に依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国や台湾や中国は鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国はマイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはいい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって「鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化のソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代の存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在を無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。
2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史の位置づけにおいて、バイク文化とキモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向の上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代、キモヲタは1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線と鉄道趣味の人口密度の関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。
ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的なビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者の構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネスの方向性として普遍化してしまうこと。しかし財界の都合はどうであれマイルドヤンキーの割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。
結果的にハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端なサブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージが凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年の宮崎勤ショックや2002年の西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわずか10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。
最近の都市部では駐車場や駐輪場料金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用が原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ。鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。
最近流行っている鉄道不買運動は、田舎や外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高い。しかし難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有の曖昧な道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命にしかないと思う。別に日本の大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイクは都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲で欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然でしかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人も必要悪なので、日本は本当の意味で観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道と車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道の女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客を分散させるのだ。
神奈川県の横浜の郊外はかつて、関東特有の田舎文化があった。昔の相鉄はローカル線同然だった。それが昭和時代の経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東の仙台同然だった横浜の郊外が仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。
電車男でサブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~