はてなキーワード: 登場人物とは
江藤さんは、仕事で新しいプロジェクトを担当することになった。しかし、その分野の知識が全くないため、情報収集に追われていた。
ある日、江藤さんは田中さんと久しぶりに会った。江藤さんは、情報収集で困っていることを田中さんに相談した。
田中さんは、江藤さんに「はてなブックマーク」を紹介した。はてなブックマークは、ユーザーが興味のあるページをブックマークして、共有できるサービスだ。
田中さんは、江藤さんに自分のアカウントでブックマークしたページをいくつか見せた。江藤さんは、自分が探していた情報だけでなく、興味深いニュースや記事もたくさん見つけることができた。
江藤さんは、はてなブックマークを使い始めてから、情報収集の効率が劇的に向上した。また、これまで知らなかった情報や、新しい視点に触れることもできた。
江藤さんは、はてなブックマークを使い続けることで、知識を増やし、自分自身を成長させていく。そして、いつか誰かに「賢者の贈り物」を渡すことができるようになりたいと思っている。
江藤さんは、はてなブックマークを通して、多くの人と出会い、交流するようになった。そして、はてなブックマークは、江藤さんの人生を豊かにしてくれる大切なツールとなった。
当人から見たらはるか未来のガジェット(今で言うスマートフォン)を見て、
なにこれ!使い方どうやって使うの!って困惑するシーンあるじゃん。
オレたちがもしそんな状況になったら、
本当にそうなる?
全く分からんってことはなくない?
そう言うの大袈裟だよね。
いよいよ今日楽しみにしていた
スプラトゥーン3のダウンロードコンテンツの新しい遊びの「サイドオーダー」の解禁の日よ!
まえまえから楽しみにしていたので、
やっとね!って言う感じでもあるし、
この間一応情報が小出しに解禁されて動画とか配信されるじゃない。
私あれまあ見ちゃうけど見たくないのよね本当は。
最初のこれやります!って言うときの初発の情報は知るきっかけとして必要だけれど、
以降のこう言うことができます!こう言う遊び方ができます!って動画の配信、
ネタバレという意味でまあそんなに本筋にはバレてはいないけれど。
あとさー
それの余波というか
いや腐るって言うのは
ハードディスクの中の録画領域が物理的に腐るって言う意味を言っているんじゃなくって、
浮世絵のあるじゃない、
「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」の波の一番うえでサーフィンしている人!
ノリに乗ってるわよ!って力一杯言うわけでもないけれど、
自分からはそんな言って自らマウントを取りに行こうって言う意味では無いんだけど。
なので、
そのいまのこの瞬間に
その時のコンテンツを
つまり新鮮にいただく!って言う感じのそう言った心意気でいたいのよね。
何の話しだっけ?
そうそう朝ドラのたくさん録り溜めているのを見なくっちゃって話しで、
朝ドラのこと登場人物とか相関図とか検索ウエブでしちゃうじゃない、
そうするとコンビューターのインターネッツのウエブのサーバーのエイアイが
え?あなた朝ドラ好きなの?ほら好きでしょ!こんな情報もあるよ!みてみて!朝ドラの情報!
見ていない話数の話をされてもネタバレになりまくりまくりすてぃーなのよね。
だから
気になるけれど
情報網から逃れている術を身に付ける努力を怠らない技術が必要なのよね。
もう1回いや何回も言ってるかも知れないけどここで、
購入したあとでもコンビューターのインターネッツのウエブのサーバーのエイアイが
ほら!バケツ好きなんでしょ!バケツたくさんあるよ!ほら!いろんなバケツがあるよ!
って私はバケツを買った後なのでバケツテンションは一切のゼロなのに、
ぐい飲みで飲むよりもグイグイいっちゃうほどのワンカップ王関の大盛りを調子に乗って呑んだら頭が痛くなるような感じ。
何の話しだっけ?
そうそう、
ありありとリアルタイムにその時のものを楽しむのは大事なことよね時代を感じるって言う意味でもって言う意味で。
最初敵かと思ってたら仲間になって一緒に8人で戦う!みたいなこと言いたい時ってあるじゃない。
それとか
新幹線が止まったときにテリーマンか!ってみたいなこと言いたい時ってあるじゃない。
そのなになに例えをするがためにそれら作品を今から全巻壮大なマンガのサーガを読むには大変だって言うこと。
そういうのはリアルタイムにそれらを摂取してきた人が例えられる特権だと思うのよ。
だから私もそれ男塾の「直進行軍」じゃん!とかって背伸びして言いたいけれど
その世代の人じゃない人が急にそんなこと言ったら、
周りはビックリするわよね。
なので、
リアルタイムのことをリアルタイムで積み重ねる!って言うことが大事なのかなーって。
その時だとたぶん川に流れているものをすーっと得たり見たりして
だからあと
こち亀例えとか、
美味しんぼ例えとか
そういうのしたいじゃない。
クッキングパパって作中ハンバーグしか作ってないじゃん!とかって言う感じの。
ある意味良い意味で言うと意味はあるのかも知れない意味になるけど、
きっと、
そう思うわ。
観たい映画もたくさんあるというのに、
贅沢な話しよね。
タイパとはよく言うモノだわ。
でもそれでタイパよく取り入れたとしても
日頃の日常でその魁!!男塾例えができないと全く意味がないように、
取り入れても使わないと全くタイパもなにもないわよね!っていうべきでもあるし、
取り入れたら取り入れたままで
アウトプットがないとそれは最終的に取り入れたことにはならないと思うわ。
まあ要は
私は録り溜めている朝ドラを一気観したい気持ちはあるけどスプラトゥーン3で遊んじゃうって言う悩みなのよ。
こんなにコンテンツに溢れているって贅沢な世の中よね。
うふふ。
これタマゴのリッチ感をセクシーにヤミーに感じる罪深さがあるわ。
とても美味しい!って言う意味で。
かつてのコスト増の影響で薄くなったタマゴサンドのタマゴの弾幕が薄いのよ!って言うのとは裏腹に
パンの部分よりもタマゴサラダの方に振り切っている感じがしてタマゴタマゴしているのよ!
いよいよ電気ポットも終盤にさしかかっているのかしら?いやまだまだよ!
黒大豆茶も消費しなくちゃ!ってホッツ白湯を飲んでから気付いたのよ。
気付いたときは時すでにお鮨!アガリで飲みたい黒大豆茶もたぶん美味しいと思うわ。
また冷え込んできたり油断は大敵で油を切らしている暇は無いわよね!
気を付けて。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
冴えない童貞がカッコーの親子や社会に人生を徹底的に搾取されてるだけの話。
もちろん子供に罪はないんだけどあれシンプルに嫌な話じゃないか?
あの童貞がああいう顔とああいう人格とああいう人生の女だとして考えてみても
やっぱりすげー嫌な話っていうか主人公が男の時以上に嫌な話に感じる。
赤ん坊抱いて困り果ててるとことか
自分の子でもないのに苦労して苦労して必死に子育てしてるとことか
見てるだけでたまらない気持ちになるし、しかもいきなり押し付けられたんだぜ?
冴えない奴が周囲みんなから「こいつならいいだろ」って感じに押し付けられて
とにかくあの世界全体があの冴えない主人公に対してアンフェアだろ。
なのにいい話っぽくまとめられてるところが強烈に嫌。
魅力的な人間達に人生丸ごと利用されて搾取されてもええやろみたいな
どうせお前の人生なんか冴えないんだからありがとうございますっていっとけよ、それできれいな話になるんだよ、
みたいなメッセージを感じるというか。
去勢された生涯奉仕者・おじろくおばさを見せられてるみたいな感じと言うか。
俺の感覚が歪んでるのか?
もしくは俺はなにか『たーたん』を誤読しているのか?
もちろん酷い話やアンフェアな話がダメってことは無いんだけどな、表現の自由だし。
ただ『たーたん』に関してはあれがいい話っぽく消費されてるとこがたまらなく違和感あるんだよ。
あくまでも俺の耐性パズルと相性がよかっただけなのかもしれないけど
前提として、思ってたより鬱じゃなかったし、心沈まなかった。
というのも鬱ゲーム紹介みたいなやつとかをたまに見るけど、それを見終わったあとつらすぎて何もできなくなることがしばしあるからだ。
確か8巻くらいまではゲラゲラ笑いながら見ることができた。なんというか、俺には登場人物の気持ちみたいなものが一切理解できなかった。
早々に諦めて理解ができない人間っぽい化け物が住む地球っぽいところのとある村で繰り広げられる日常化け物バトルストーリーなんだよね。
登場人物の行動や発言がヤバすぎて途中から怨霊にしか見えなかった。実質呪術廻戦だよ。
第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
暇空茜に訴えられてる者の1人である高遠るい、はぐれアイドル地獄変の連載再開するってよ
はぐれアイドルの第一部(?)は、登場人物の1人の結婚式に主人公が参列するところで終わった
主人公は元来はノンケ女性であるが、押し切られやすい性格であるためレズビアン女性に迫られるまま肉体関係を結んでいる
相手は性欲は強いが優しく思いやりのある女性であり、主人公に色々あった時も支えになり、次第に主人公も彼女を愛するようになり体だけではない恋人になった
才媛である恋人は東大法学部生で、海外の弁護士資格取得も目指している
同性婚は日本ではまだ遠いため、いつか海外で挙式をあげることも視野に入れ海外生活にも対応できるようにだ
高遠るいは同性婚に関するニュースを引用しながら「ノンケの結婚式でお茶を濁してる場合じゃないな」みたいなことを言っていたので、
第二部(?)では主人公と恋人の同性婚がゴールになったりするのかなと期待している
主人公は琉球空手の使い手であるが、術を教えた父親の死には謎の存在が関わっているようなので、そこらへんの解決編もくるのかな
あと、「日本の漫画はロシア人はよく出るがウクライナ人はあまり出ない」と言われたりするが、この作品にはウクライナ人がメインキャラに出てくる
ウクライナ侵略よりも前に登場し、ウクライナ人キャラはチェルノブイリ被爆二世であることが大きなアイデンティティになっている
時事ネタをけっこう取り入れる作品なので、ウクライナ人キャラがせっかくいることだし、ウクライナ侵略についても取り上げるのかな
既婚 バイト
どちらもオタク
Aが会うたびにお金がないお金がないと言ってくるので、バイトに入ってないの?と聞いたら、繁忙期が過ぎたから全然入ってない。もう一つバイトを増やしたいけど増やしたいと思ってたら一ヶ月が過ぎた。とのこと。
学生時代にやってたバイトに近いものを探してみたら?→うーん…そうだね…嫌で辞めた仕事だから気が進まないけど慣れてると言う点ではそれが良いかも…(やらない)
今やってるピッキングのバイトを辞めて、週5で入れる時給の高いバイトを探してみたら?→せっかくピッキングの仕事覚えたし、良くしてもらってるから辞めたくない 掛け持ちの方向で行きたい
もう旦那に養ってもらおう!→家賃含めて生活費旦那持ち、自分が働いた分は遊ぶお金に使ってるけど足りなくて困ってる
ファッション系の専門だったから、そのバイトを探してみるとか→学生時代からずっと関係ないバイトをしてて職歴がないから厳しい。
2人とも今年で30なんだけど、30にもなって学生の時みたいにお金ないよね〜って言えない。派手な生活はできなくても、フルタイムで働いて地道に自炊とかしてれば趣味も楽しめるくらいにはお金はある。
お金がかかりそうな場所とかディナーとかは別の人と行くようにしてるし、遊びに誘われてもできるだけお金がかからなそうなプランを提案してる。
それでも会うたびにお金がないお金がない言ってくるし、お金がないのに◯◯の限定グッズ買いにいくのに付き合って!とか、今度推しの俳優に会いに大阪に行くとか話してくるのがだんだんストレスになってきた。
働きたくないのは分かったからお金がないって言うのをやめるか、ちゃんと働いてから言うかどっちかにして欲しい。
最近は、旦那にも罪があるのでは?お金がない状態で放浪するな、働かせるか遊ぶ金を渡せ。と見たこともない旦那にまでイラついてきた。完全に八つ当たりである
Aの性格的にお金の無心をしてきてるわけでは絶対ない(人に奢ってもらったり絶対しないし、被ったからあげるね、みたいなものにも絶対お金を払う)から本当にはたらきたくない、でも金がないという話なんだけど会うたびにされるため疲れてきた。
色々提案してもなんだかんだ言ってやらないし、よく考えたら専門卒業して正社員になる!っていいながら30までバイトのままだった人がそんな能動的に職探しできるわけないか…と下に見てしまい自己嫌悪
文章読む限りでは、どこにも発達障害の要素が見当たらないけどな?
それはそれとして、状況が自分とよく似ていて驚き。(ついでに言うと私も三十路)
公募じゃないけど、とにかく書きたい小説があって、でも書けなくて、苦しくて……ついネットを見たり、本を読んだりしている。
そのくせ頭はいつも小説のことでいっぱいで、恋愛とか婚活とか現実のこととして考えられない。別の世界の話題みたいに聞こえる。
書かなきゃ、書かないと何も進まない。でも書けない。を繰り返しながら、5年もかかって40万字まで来た。
自意識を排除して、ただ登場人物の気持ちだけを考えて物語を綴る生き物になりたい。けどなれない。
増田さんは苦しいことから逃げているんじゃないの? 楽しいことからも逃げてるの?
苦しいことから逃げるのは仕方ないです。時々体をつねったりして立ち向かうしかないです。
あ。音楽を聴くと少しやる気が出ることがあるよ。小説のテーマにあった音楽を繰り返し聴いて、よしっと書き始める。
連れて行かれた
登場人物がヤバいほど喋らない、コミュ障というか寡黙な老人というか、いや人間の真似してる宇宙人みたいな感じ?
そして世界観が明らかに1970年代、とんでもないアナログ世界
あれ?時代設定っていつ?って思うんだけど、ラジオから流れてくるのはウクライナ戦争だし、カレンダーは2024年
脳がバグる
作家性が強いな
でも向こうの建物って絵になるんだよね
侘び寂びみたいな映画だな
なんだかんだ面白かった
じゃあ誰が見れるんだろう感はある
サブカル好きかな
作中の歌が良かった
ラストは少し笑えたが、皆笑えるんだろうか?
まず、嫌な奴っていますよね。あの人、四天王みたいに周りに威圧感を与えるタイプ。でも実はね、彼らも労働者階級の一員なんですよ。ワーキングクラスシテンノウ。時には彼らも相談所に行きたいと思うことがあるんだろうな、と思うとちょっと哀れになりますよね。
さて、話は変わりますが、私のアパートには古いコンロがあります。10年以上経っているんじゃないかと思うくらい古い。使い物にならないし、修理するのもめんどくさい。それってまるで、やる気をなくす言葉みたいですよね。ああ、もういいや、となってしまいます。あ~あ、やんなっちゃった、あ~あ、驚いたッ!
でも、そんなときに思い出すのがご当地キャラの存在です、ナッシー。彼らは地域を盛り上げる存在で、私にとってはちょっとした女神のような存在です。アリストテレスが言ったように、人は善き終わりを求めるもの。本当に言ったのかは実は知りません。でも、彼らの姿勢は本当に尊敬に値します。たまたま遭遇したら一緒にジャンプしちゃいます、ナッシー。
さて、話はまた変わりますが、最近私は自問自答する時間を持つようにしています。選択肢が追放されたような、静かな空間で。選択肢が追放って何なんでしょうね? 自分でもよく分かっていません。そこで思い出すのが、昔読んだ漫画の中のエピソードたち。彼らは私にとっての良き助言者です。赤髪のシャンクスは私の師匠です。とりあえず、みんな失せろ! ……失礼致しました。ペッコリ78度のお辞儀です。
というわけで、嫌な奴も四天王も、私の中ではちょっとした漫画の登場人物みたいなものなんですよ。彼らも労働者階級の一員、時には相談所に行きたいと思うこともある。でも、やる気をなくす言葉に負けず、ご当地キャラのように頑張っていきましょう!ありがとう!アディオス!
ラノベって、くだらない登場人物同士の馴れ合いみたいなやりとりに文字数使いすぎるのが好きじゃない
https://www.amazon.co.jp/dp/B0105IZB0K/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/be2845943550e365ecaab1f3a04e42db0c01e260
作品は関係ないやろ!って声もあるけど原作改変してもはや別物なんだから原作者が嫌悪すればお蔵入りは当たり前でしょ。ハガレン一期(映画は除く)の配信だって滅多にないでしょ?パヤオも断罪されないとな。
これまでのインタビューで散々不仲否定してて実はこの作品嫌いだったと今更言われても困るよ留美子先生。もしフジが現在のアニメに影響がとか言って文句だったら迷惑だが
先日の別記事コメントを見る限り古参ファンの間でも認識が二分している作品をこのタイミングで配信すると原作者・関係者に無用なトラブルが発生する懸念あり、みたいな理由なのかな。勝手な想像ですが。
これが登場人物含めて原作の世界観を徹底的に毀損した愚作であり、愛読者は昔から怒り心頭だってことを知っているスタッフがアマプラにもいたってことなんだろうか。
原作改変は許されません!でも出来上がった作品が高評価だから(自分は好きだから)許されます?アホか。/理由は知らんけどさ、これを機に原作ものなんて止めにすれば?オリジナルこそ至高やん。アニメも、ドラマも
小学館や東宝がNG出したので無ければ、原因らしきものは高橋留美子しかおらんし、前者はそもそもイヤならそういう話を最初からしないってのはある。高橋留美子への忖度かもしれんけど、どのみち留美子しか原因がない
別にこの作品自体が揉めているというよりも原作改変問題で世間が喧々諤々の最中に原作改変の金字塔をぶっこんで火に油を注ぐ必要はないという運営の判断では
狂った世界を作り出した張本人。目を見るだけでキチガイだと分かる顔に全てのキャラクターを書き換えた怪物。設定もメチャクチャ情緒もメチャクチャ。ストーリーは意外とまとも。
自分の作品が滅茶苦茶にされているのを笑ってみてる異常者。作品が改変されてんのに何ヘラヘラしてんだよ!いわゆる寝取られフェチとかなのかな?
チー付与が改変されまくっているのを面白おかしく楽しんだくせに、他の作品では原作改変許せねえ!と叫んで回る多重人格者。チー付与のキャラかな?
狂ってる奴が多すぎる。時折正気に返るのがまた怖い。お前、狂ってた頃の自分を思い出して頭おかしくなったりせんのか?まあ既に頭はおかしいんやが。
この狂った状況を作り出した責任を一身に引き受けているはずなのに気配も見せない連中。縁の下の力持ちっていうか、人身御供として既に埋められとるんか?
「チー付与が売れていて羨ましい」「作画ガチャ当たりやん」みたいな感じで受け入れてる。凄いな。お前の作品が同じ目にあって耐えられるってことかよ。みんな頑丈だぜ。
チー付与単行本の表紙が発表されるたびに「全員悪人」みたいに言われるが、作品の外もヤベー奴らばかりやんけ。みんなおかしいよ。みんな狂ってるよ。