はてなキーワード: 病欠とは
うちの会社はインフルエンザとノロウイルス以外の当日病欠を認めません。有休取得ももちろんダメ。
38度の熱があろうが、ひどい生理であろうが、当日朝の病欠は全て却下されます。
前日の時点で体調が悪いことが分かったら、他の従業員と休みを交代出来れば休めます。
その時点での有休行使も、ダメ。職場の人数が減ってしまうから。
高熱を出して当日始業前に「全く身体が動けないので、有休取得します」と電話して休んだ奴は異動させられた。
朝家の中で怪我をして、整形外科に通院→病院が混んでて午後から出社した派遣社員の契約は切られた。
(もちろん朝の定時前には電話済み、病院が混んでて遅くなることも電話済み)
急性胃腸炎で一日だけ病欠はしたけど、それは有給が発生する6ヶ月よりも前のことで、普通に減給された。
今のところ病気になる気配はないし、普段からめったに風邪もひかないので、今年度分の有給は消化せずに終わりそうだ。
ただでさえ、授業振替があって、もともと休みの日に授業が入ると、他の仕事もあるため休まざるを得ない。
これは規定の出勤日ではないから、減給にならないから給料面では問題ない。
けど、休むとなると、自習にしろ授業にしろ代わりの先生にお願いしなくちゃならなくて、なかなか気まずい空気がある。
ただでさえクソ忙しい専任に余計な仕事を押し付けるな感がある。
あちこちに連絡いれなきゃいけないし。
それに屈する人は無給休日出勤してると思う。
あとは生徒への責任感とか。
わたしだって責任感はあるし基本的には全部最後までやりとおしたいけど、自分の休日をなくしてまでってほどじゃない…。
出勤したら放課後は無給でも個別指導してるし、休日くらいはくれよって感じ。
有給もらって何がしたいってわけじゃないけど、持ってるはずの権利が当たり前のように、使うことは悪みたいな雰囲気なくなってほしい。
残業代が一円も支払われないし、有給も病欠以外認めないし、連年成長を続けているのに一度も賞与はないし、退職金もないそうなので会社に対する信用とやる気を失った。先日退職の意志を伝えた際に返ってきた言葉たちがこちら。
・これまで良くしてきたのに裏切られた思いだ。
・完璧に引き継ぎが終わるまでは辞めさせない。
・引き継ぎが終わったと判断するのは俺ではなくて君。しかし早く辞めたいから出た嘘ではなく、心からそう思わなければならない。
・君が心からそう思えれたのならば、俺も自然と認められるはずだ。
・退職日の希望を認めることはできないが、目標として持つのは良い。(世間一般で言っても余裕を持った退職希望日だった)
・少なくとも俺は成功した人間。そういう人間の言うことに間違いはないので君は余計なことを考える必要はない。
あまりにも退職日決定を渋るので、さすがにこちらも腹が立って「残業代も払わない会社の代表が言うことは信じられないので法律という外部の約束事として保証するべき」と伝えた。すると、
・それについては申し訳ないが、今の言葉は自分の意志を押し通すための脅迫だ
・これまで良くしてきたのに裏切られた思いだ(2回目)
中学生のころ、僕には友人がいて、名をHといった。
他にKとTがおり、4人でグループを作り、僕かKの家で日々スマブラに打ち込む青春を送っていた。
Hは大柄で、漫画とゲームに造詣が深く、学校へ顔を出すよりは休んでいることの方が多い男だった。出会ったころはごく普通に登校していたのだが、年次が上がるにつれて徐々に休みが増えていった。
いじめられていたというわけでもなく、たまに3限ごろになってふらりと顔を出してはクラスメイトと挨拶を交わし、4限の前には帰るのである。原因というか理由はよくわからなかったが、病欠明けの登校しづらさのようなものが慢性的にあるのだろうと思っていた。
そんなわけだから、Hは学力的には周囲についていけなかったようだが、それでも会話の端々に聡明さを覗かせていた(例えば彼はチョッパーが海賊団入りすることを級友の中でいち早く看破していた)。
Hの兄も不登校であるようだった。会ったことはないが、イラストがめっぽう上手で、Hがそれをよく僕らに誇らしげに見せていたことをおぼえている。
卒業にあたり、4人の進路は分かれた、僕とKは同じ高校へ進んだがTは別の高校へ、Hはそもそも進学したのかさえわからずあまり連絡を取らなくなっていった。それでも、僕とKとTは相変わらずKの家でマガジンやまほろまてぃっくを回し読みし、ゼクンドゥスをエレメンタルマスターでなぎ倒し、交友を深めていた。
そんなある日、地元の最寄り駅でHに会った。3人で黄泉がえりを観に行った帰りだった。
中学の頃のHは、決して太ってはいなかったが全体としてふっくらしており、長さのそろった前髪からは朴訥な印象を受けたが、久しぶりに見た彼は、短めに切りそろえた頭髪を整髪料で逆立て、頬骨がうっすらと浮かびあがった精悍な顔つきに変わっていた。
僕らはそんな風に言って再会を喜び、また近くKの家に集まろうと約束をした。
その次の週の日曜日、早速4人でkの家に集まった。ハガレンを回し読みし柿の種をつまみながら宴もたけなわ、僕はトイレに立った。
戻ると、なんだか空気が怪しい。僕のいない間に、Hから二人へ話があったらしい。
そのHの話をまとめるとこうなる。
今、この世界からは信仰心が失われておりそれに伴いさまざまな災厄が起きている。例えばSARSや鳥インフルエンザもそうである。これらは仏法によって防ぐことが可能である。ついては君達も一緒に信心を養うべきである。
当然僕達は首を縦には振らなかった。Hは頭がおかしくなってしまったのではないかと考え説得を図った。Hも聞き入れなかった。今度は偉い人を連れてくると言った。彼らの話を聞けばわかるからと。
その日以来Hには会っていない。
もともと彼の家族はそういった信仰を持っていたが、中学卒業を機にHも入信させたということらしい。また、Hが僕達以外の元同級生相手にも勧誘を行っていたというのは、後からわかったことだった。
1.顕正会
2.立正佼成会
3.創価学会
4.日蓮正宗
両親と三人で暮らしてる。
父は高校を卒業後、東大に入れないなら働くと言って結構な大会社に入社して定年まで務め上げた。
50年近く働いて、病欠すら2、3回だと思う。
同じ会社で出会った母は寿退社して、その後も半日だけのパートをしていた。
病弱な人だが、やはりこちらも本当に動けないギリギリまで休むことをしなかった。
私は朝起きて、なんとなく会社に行きたくなくて両親に
「どこかに遊びに行きたい」と言った。
通常会社に行きたくないのは、具合がわるいかだるくて後10時間は寝ていたいって時くらいだけど
別にトラブルも抱えてないし、嫌なやつもいない会社にその日は行く気がしなかった。
「会社は?」「休む」
「どこに行きたいの?」「コストコに行ってみたい」
の会話だけで、車で2時間程度の場所にあるコストコと、その手前にあるOUTLETに行くことになった。
コストコは年会費5千円が必要だわ、OUTLETは欲しいものなどなにもないわ
そもそも私、物凄い車酔いする体質だし。
でも、なんか知らんが凄く楽しかった。
今でもあの日みたいな天気の日には、口から「どこかに遊びに行きたい」と出そうになる。
でも、あの日以来言ったことはない。
担任とのやり取り
先生にはいじめの多い人の名前を教えましょう→上から目線ですね
もう死ぬ場所は決めてあるんですけどねwまあいいか…→明日からの研修楽しみましょうね。
父親「知っていれば学校には行かせなかったのに」
やり取りの前者は去年の担任とのやり取りであり、
ボクがいつ消えるかわかりません。ですが、先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もう少しがんばってみます。ただ、もう市ぬ場所はきまってるんですけどねwまあいいか…
それに対して担任の返事が
時系列順に並べてみていく。
少年は中学一年生の頃もいじめられていて、その時は別の担任だった。
『上から目線ですね』、『どうしたのでしょう、最近イライラしているようですが、自分で、ストレスを解消できるといいね』
昨年9月中旬、父親の相談を機に、生徒と部活顧問、嫌がらせをしていた生徒が話し合いをして、いじめは解決したようだ。
しかし、二年にあがって4月上旬頃から父親に「ちょっかいを出されてウザい。学校に行きたくない」と話すようになった。
(同級生の親が少年が泣いて帰宅していたこと、いじめられているということを父親に話していたそうだが、これがいつの話かはわからず、一年生のいじめの時の話かもしれない。しかし父親も少年が学校生活に問題を抱えていたことは知っていた)
4月中旬頃からノートにも孤立やいじめの内容についての記述がはじまり、6月8日まで出る。
ニュースでおった限りでは月2回程いじめについて書かれていたようだが、その他にもあったかもしれないので頻度はわからないし、この間担任とそれについて話をしているかはノートからは見えてこない。
しかし同級生の話では少年が担任に泣きながら相談をしていたり、担任がいじめている生徒たちを別室に連れて行き叱ったりもしていたようだ。
6月中旬頃には、昨日は話ができてよかったです、という教師のコメントがある。
それ以降主にテストについて書いていたようだが、6月28日頃に何かあったらしく
ここだけの話、ぜったいだれにも言わないでくださいね。もう生きるのにつかれてきたような気がします。氏んでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)
と書いた。それに対して
と担任は返している。
どうしたの?じゃねーよ、とネットで言われたりしていたが、一度話をして落ち着いた後にまたいじめの話が再開したので、どうしたの?というのは不自然ではない。
また、その頃書くことはテストについてが多かったこと、一年生の時は部活顧問と話し合いをしていることから、問題はテストなのか、クラブ活動なのか、クラスでのいじめなのか聞くことも自然だし、死にたい、という子に元気を出そうと言うのも自然である。
そして翌日の29日には、先生には希望をもらいました感謝しています、と少年が書いているので、おそらく何か話をしたのだろうと思われる。
そこで死にたいというような話もたくさんしたとすれば、7月1日、2日の研修に向けて前を向いてもらおうと、研修楽しみましょうというコメントをしたことも納得できる。
6日に警察からノートの返却があり、7日にマスコミがノートについて報道、父親はインタビューにこたえた。
マスコミは少年のノートから担任への感謝の言葉や、誰にも言わないでくださいという言葉を切り取り、担任のコメントがないものには無回答と報道した。
話し合いが行われていれば無回答のケースがあるのも自然であるが、話し合いがあったかのような報道はしなかった。
一年のノートと二年のノートをごちゃまぜにして、一人の担任という悪役を作り上げた。
訂正:7月8日時点で別の担任のコメントであるという報道があったそうです。情報ありがとうございます。
父親はいじめについては知っていたがノートの存在を知らなかった。
もしノートについて知っていれば、と答えたのに、まるで父親は何も知らず大人は担任だけがいじめを知っていて見殺しにしたかのような報道がされた。
本文ではそう書いていてもニューストピックでは省略されていたりして誤解が起こりやすい記事も多かった。
また2ちゃんねるや、2ちゃんねるのまとめでも作為的な報道とそれを受けてのひどいコメントやバッシングがあった。
単に刺激的なニュースになればいいと考えていなかっただろうか。
しかし少年は希望をくれた担任がこうやって責められることを望んでいただろうか。
追記:できるだけたくさんのニュースをおって、真実を求めたつもりですが、間違いがあれば指摘してください。
マスコミを妄信しないことも大事だが、マスコミを敵対視しながらマスコミの情報を引っ張ってくるのも自ら歪ませる行為なので難しい。
子供に学校を休ませて家族旅行、あげくにはディズニーランドなどに行って笑顔でクラスにお土産を配る家庭まである。まったくもって信じられない。
学校を休んだからといって勉強が遅れるとは言わない。いくらでも復習はできる。そうじゃなくて、学校は集団生活で規律やルールを学ぶのも大事な目的なのに、平然とズル休みを子供に取らせるその神経が理解できない。
学校を休めるのは、体調不良(病欠)、部活動や課外活動の公欠、忌引き、などの理由のみである。それ以外はただのズル休みだ。こういう事を言うと、「旅行も大事な勉強だ」とか「子供の休日に合わせて休みを取れない親はどうなるのか」とかワケの分からない反論をしてくる人がいる。
「旅行も大事な勉強」、それは間違いない。行けるならなるべく行った方が見識も深まる。しかしズル休みをしてまで行く事を子に教えるのはいかがなものか。
「子供の休日に合わせて休みを取れない親はどうなるのか」、知らん。子供の休日に合わせて休暇を取れないような職業についたあなたの責任でしょ。あなたが休みたければ有給をとればいい。それは法律でも社内規定でも認められたれっきとした「お休み」だ。しかし、学校を旅行に行くために休むのは、どこにも認められていない。単なるズル休みである。
親が平然とズル休みを子供に教えたりするから、欠勤の報告をメールでしてきたり、平然と会社に遅刻したり、就活で親を引きつれてくるような常識外れな若者が育つのだと思う。個性や経験は大事だが、それを大義名分にしてルールから外れていいというわけではない。社会や属する組織には、集団生活を送るためのルールや枠組みがある。それを守って、その上で個人を表現し、経験を重ねるべきだ。
百歩譲って休んで旅行に行ったとして、せめて子供に「本来は褒められた行いではない」という事を教えられない親は、親失格だと思う。丸々一週間くらい休んだ後に、何の遠慮もなくクラスメイトにお土産を配りドヤ顔で思い出話をするような、そんな子供は、育てないようにしよう。
会社勤めを始めて4年目の冬、今日どうしても辛くなり、今まで初めて会社を病欠した。
連休と連結したりとかで有給は使ったことがあるが、今日みたいに病欠するのは初めてだった。
朝起きた時、体は元気だった。
ふと、自分が休んでもいい状況か、何かこうなった原因があるのかが気になり、Evernoteにメモしているタスクリストを眺めてみた。タスク的には休んでも影響が無かった。やることでイライラすることが多く、並んでいるタスクは数は多いが、1つ1つのタスクの難易度自体は重くはなかった。
簡単に言うと「すこし頑張ればこなせるもの」だった。
これまでも、鼻風邪をひいたり頭痛とか腹痛で遅刻したことはあったものの、会社には行っていた。それで効率は多少落ちるものの、仕事は問題なくこなしていた。
「辛い」「会社に行きたくない」「毎日苦痛だ」「辛い」「休みたい」「プログラマ特有の面白いと思ってやってるクソみたいなジョークとか聞きたくもない」「行きたくない」「何も考えたくない」「辛い」「会話ができない人を相手にするのはもううんざりだ」「vimなんかもう見たくない、とか増田に書いたらどうせ『じゃあemacsにしよう』とかいう意味のわからないコメントがつくんだろうな、みんな死ね」「苦しい」「苦痛だ」「みんな死ね」「毎日辛い」「悲しい」「会社のメールボックスなんか見たくない」「もう嫌だ」と、労働を拒否していた。
「心の底から本当に辛いし、逃げ出したい」という感情がここ数週間前から最近芽生えていた。
大学受験以来忘れていた感情だった。そして、その感情は当たり前で、甘えであるとして蓋をして向き合わず愚痴を言いつつも黙々と仕事していた。
でも、ここまでいっていても休む勇気が無かった。
どの程度で休んでもいいのか明確な基準がなく、サボるのが怖かった。熱があればもちろんそれは別だが、体は元気なのだ。タスク自体はできないものじゃないし、もしかしたら月曜だから単にベッドから出たくないだけかもしれない。
そう、この気持ちを掘り下げるとただ1つ、ただ「行きたくない」だけなのだ。
毎日毎日、仕事は辛いと感じている。だが仕事は死ぬほど辛いからお金がもらえるし、その金で土日に美味いもの食ったりできるわけだ。
大学時代に学んだ労働経済学でも労働は苦役だと教わったし、実際に大半の日本の会社員もそう考えていると思う。
だから辛くて当たり前だし、辛いから休むのは甘えだと思って休めなかった。
でもそれはなかなか無いし、ある人にとっては仕事は楽しいし好きなことでお金がもらえて嬉しいとしても、同じ仕事をしている別の人はそうではないことは多いし、だいたいそういう時は「仕事が好きな人」はそうではない人に「仕事は楽しい」ことを前提に話をしてくる。
身体は元気、仕事はきつくはない。だから休むべきじゃないし、無理にでも起き上がって着替えて電車に乗るだけで全てが進むはず、難しい話ではない。
でもなぜか本当に辛かった。
思えば今まで病欠したことがなかった。中学生や高校生(中高一貫だった)のときは6年間壮絶ないじめに遭い、鬱病になりながらも実は休んだことが無かった。もちろん休むべきだった。
中1のとき「6ヵ年皆勤賞とるぞ!」と意気込んでいたのでそれを曲げる勇気が無かったのと、休んだことで皆勤賞が無くなるのが怖かったのだ。
結果、6ヵ年皆勤賞は取れたが、その時は精神的にボロボロで失ったものは大きく、今も生きる上で大きく足を引っ張っている要素になっている。
子供の時は病気以外で休んだことが無いし、今も年末年始や夏休み、インフルエンザとかそういった「休め!」と強制されるもの以外で、自分の判断で休んだ経験が無い。
だから今でもどれぐらいのレベルから休むべきかがわからなかった。
仕事自体も、辛いという事に対して誰も理解してくれなかった。一番身近な相談相手であるはずの同期は全員が意識が高く、好きでこの仕事をやっているという感じだった。その中で「仕事だから仕方なくやっている」という大変低いモチベーションでやっている自分には、辛いという感情自体が許されなかったのだ。
「仕事が辛い、辛くてたまらない」ということを同期に漏らしたら
「それはお前のワクワク度が足りないんだ」というアドバイスを貰った。正直意味がわからなかった。自分の意識が低いのが一番悪いのは知っている。だが、それ以前に同期に仕事の悩みを相談するのは間違っていた。
そんなこんなで、休もうと思ってもなかなか踏ん切りがつかないので、休む根拠や休んでも問題ない保証が欲しくなった。さっきも書いたが、タスクリストを見ると、今日休んでも明日十分巻き返しが効くレベルだった。
東京都のこのページ(http://www.kenkou-hataraku.metro.tokyo.jp/mental/self_care/check.html)を見て自己診断してみたらその1は36点、その2は9点。総合判定は7だった。一番悪い奴だ。そういえば常にイライラしているし、最近はよくモノに当たるし、どうでもいいことで松屋の店員にクレームをつけて怒鳴っている。
色々休むための根拠や自信をつけるためにやっていて、気がついたら、目を閉じ勇気を振り絞って体調不良で会社に休むメールの送信ボタンを「うりゃー!」と言いながら押していた。
見事会社を休んだ瞬間、それまでの重くのしかかっていた気持ちがふっと一点の曇も無く晴れ上がって、ベッドから出た瞬間清々しい気持ちになった。
「こんなんだったら休まないほうがよかったのでは…」と罪悪感を感じた。でも多分休んだから気が楽になって元気になったんだろう。
ふと外を見たら、綺麗に冬空が晴れていた。
久々に心の底から綺麗な気持ちで
「ああ、空が綺麗だ」と感じ、それを実際に声に出した。
「うわー空が綺麗!」という感情や表現は、フィクションの中だけの現象だと思っていた。空を見て綺麗だと思う余裕が、子供時代以来に久々に生まれていた。どうやら、物質的なものや、性的なもの以外で気持ちよさを感じる事は、フィクションの世界だけの現象じゃなかったらしい。
その後は、一日じゅうラーメンズの動画を見たり、平日しかやってないようなテレビ番組を見ていた。
そんなことをしながら夜(ちょうど今ごろ)になると、
「明日から仕事がんばるぞ!」という、なんだか根拠のないやる気が数年ぶりに湧いてきていた。そう考えることってあるんだな、と思った。
結論としては、休んでよかった。多分休まずいつものように会社に行ってたら、今頃は耐えきれず1人トイレで泣いていた。
熱があろうがなかろうが、辛い時は勇気を出して休むべきだ。
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その後
なんかいつの間にかホットエントリー入りしてたので、その後の報告も兼ねて追記。
昨日は↑みたいな感じで休んだけど、今日起きたら「あー会社いやだなー」とは思った。
でも、今までの「嫌だ」は
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ仕事辛い仕事辛い仕事辛い仕事辛い」って感じだったけど、
今日は「あーめんどくせー」って感じだった。
「辛い」が「めんどくさい」に変わった。
普通(?)になったのでよかった。これは大きい。
皆様のブコメは1件ずつ読みました。今後は辛い時はスパッと休んで、無理せず仕事頑張ります。
あと、「松屋の店員がかわいそうだろ」っていうコメントがちらほら見られますが、自分も全く同感です。
ただただ申し訳ないし、以来自分の人間の小ささを痛感してます。自己嫌悪しかない。
あとは「根本的な部分を治さなければまた再発するのでは」というコメントもいただきました。その考えは昨日休んでハイになった時に完全に抜けてました。とりあえず、会社内、あるいは社外に「何でも相談できる人」を見つける所から始めようと思います。
色々書きましたが、自分がここで言いたかったのは「大人はサボってもいい」ということに気がつくまで本当に大変だったけど、実際休むのは本当に簡単でメリットがありまくりだったので、同じように悩んでる人は一緒にサボろうぜ!ということでした。
「辞めさせる」というのは、ちょっと大袈裟かもしれません。ただ、本当に、仕事をしない後輩に苦労しているので、この扱いをご存知の方にアドバイスして欲しいという気持ちです。法的なことも含め、現実的なことを。そして私の愚痴が少し混ざることにも、お許し頂きたい…
後輩というのは、今年30歳になった入社8年目の女性です。東京の有名私大卒です。会社はIT系制作がメインの業務ですが、Webキャンペーンを受注すると、キャンペーン事務局の代行もします。
彼女は最初、HTMLで画面制作する部署に配属されました。しかし7月から3ヶ月、病欠しました。病名は「うつ」。一旦復帰しましたが、2年目と3年目の二年間を、やはりうつ病で休職しています。
休職を明けて4年目からは、彼女の希望で品質管理セクションに異動となりました。現在も品質管理に在籍しています。
病気を抱えて働く人を「辞めさせたい」というのは、人道的にも法的にも、あり得ないとは思います。だから会社も、彼女の上司たちも、彼女に「仕事して欲しい」と言えずにいます。もちろん、私も。
彼女が私に話したところによると、うつ病を発症したのは中学生のとき。医学部を目指した中三の夏、伸びない成績に悩んで「壊れた」のだそうです。受験に失敗し、隣の県の私立に通ったそうです。県下一の公立進学校に進んだ兄に劣等感を抱いたそうです。
大学受験にも失敗しました。行きたい有名女子大への学校推薦が取れませんでした。あまり行きたくなかった大学へ、推薦入学しました。ただ私からすれば、その大学も充分に有名で歴史も深く、卑下するようなことではありません。有名女子大とのブランド力に、大差があるとは思えません。
大学3年のとき、薬を大量服用しました。いわゆる自殺未遂です。薄れていく意識で、自分で救急車を呼んだそうです。このときに飲んだ薬が、どんなものかまでは話しませんでした。処置と入院費用で30万円したとのことですが、このとき本当に命の危機にあったのかどうかは、彼女の話からはわかりません。
田舎から母親が上京し、自殺未遂するまで放置した大学教授に抗議したそうです。関連があるかはわかりませんが、彼女はスレスレの成績で、どうにか大学を卒業したそうです。大学4年のときは精神科に通院しながら、就職活動もしていたわけです。
私がこの品質管理セクションに異動してきたのは一年弱前です。当初は彼女のことを「愚痴っぽいし話が長い人だなあ」としか思っていませんでした。彼女の愚痴に付き合わされてる私に、同僚たちは冷ややかでした。あとでわかったのですが、彼女は既に、みんなに自殺未遂した過去を話し、病気を口実に仕事をせず、同僚たちを困らせていました。同僚たちは彼女と関わることを避けていました。「めんどくさい」という理由ではありません。彼女に仕事を任せると、納期まで手を付けず、納期が近付くと病気を理由に休みがちになり、納期当日には出社したためしがなく、同僚が慌てて代行しようとしても間に合わないのだそうです。みんな何かしら、彼女に「痛い目」に遭わされていました。それくらいなら自分で仕事した方が良い、そういうことです。別に全員で無視などの、イジメのようなことはしていません。出勤すれば挨拶もするし。挨拶を返さないのは彼女の方です。
休職明け当時の上長だった人によると、彼女は通院中であることを会社に申告していませんでした。仮に申告していたとしても、それを理由に採用しないというのは法律違反ですよね?
復帰したあとも、彼女は会社で薬を大量服用し倒れたことがあるそうです。命に別状なかったようで、フロアの隅で休ませたそうです。会社に医務室はありますが、運ぶには人目の多いところを台車に載せて通らなければなりません。それは忍びない、という判断でした。彼女が立てるようになると、上司が付いて、通院している病院までタクシーで連れて行ったそうです。彼女はそのときのことを、「タクシーで行くくらいなら最初から救急車を呼んで欲しかった」と言っています。しかし、同僚として言いたいのは、初めから会社で自殺を試みる彼女に問題はなかったのでしょうか?
彼女は東京を引き払い、田舎の病院にかかっていました。どういう経緯かはわかりませんが、田舎の男性と結婚しました。結婚生活は幸せではなかったそうです。相手の男性からは、家事をしないことなど責められたと言います。
休職中は、組合から傷病手当金が出ます。当時は、基本給と同額が支給されていました。働いても働かなくても、収入があったのです。満了の2年終了間際に、医師から会社復帰しても良いと診断されました。そのとき、結婚相手の収入より、彼女の傷病手当金の方が多かったそうで、彼女は復帰を決意しました。この時のことを彼女は「結婚したら養ってもらえると思ったのに、旦那の収入より私の収入が多かった、見当違い。この人と居ても楽な生活はできないと思った。私は誰かに依存していきていきたいんです」と言っています。「愛がなくても結婚できます」とも。
会社復帰するまでの3ヶ月の試用期間、彼女はウィークリーマンションを借りました。結婚相手に、この住所は教えていませんでしたし、電話にも出なかったと言います。正式復帰してからは会社から徒歩3分のところにマンションを借りました。結婚相手にも、会社にも、この住所は教えていませんでした。会社は休職前の住所に住んでるものと思い、交通費を支給しました。
連絡がつけられない結婚相手は、上京して会社の前で彼女を待ち伏せました。最後の手段だったとも言えます。それを彼女は「ストーカーまでする人とは、結婚は続けられない」と言います。暴力を振るわれていたのかと聞いたら、それはなかったとのこと。
近くのファミレスで話し合い、離婚することになりました。田舎の住居を引き払いたい彼からは、荷物を取りに来るよう再三催促があったそうですが、彼女は応じず、ついに借家契約の最終日が彼から通達され、ようやく母親と行ったそうです。部屋には彼女の衣服などがダンボール2箱に詰められてたほかは、何もなかったそうです。この時のことを彼女はこう言います「勝手に人の服を触るなんて気持ち悪い。家電類はうちの親が費用を出したのに全部運び出されていた。持っていくなんてセコい男だと思う」。私は、彼こそが常識人で、彼女の方が気持ち悪いと感じます。
離婚が成立したのは、どうやら彼女が会社復帰してから3年後、2年前のことです。なぜそう言えるかというと、彼女はどうやら東京に戻ってすぐ、頼れる男性を見付けたようだからです。彼女曰く、現在の彼です。今の彼女の悩みは、自分が離婚したのに、彼からプロポーズが無いことです。自分から聞いてみないのかと聞いたら、「彼は私が結婚していることを知っているのに、3年も我慢してくれた。だから私も、彼に3年の猶予をあげたい」と答えました。「猶予をあげる」は、本当に彼女が使った言葉です。私は本当にその相手の男性が世間でいう「彼」なのかを疑いました。彼女は「浮気ができるタイプではない」と言いますが、会うのはいつも彼のマンションで、彼女の部屋には一度も来たことが無いそうです。友達と一緒に会うこともないし、彼女に食事を驕ることもないそうです。それと…会社をすぐに休む彼女は、給料で生活するのはギリギリで、生活費を彼に借りるのだそうです、月に2〜3万円。二人がどういう関係なのか、本当にわかりません。プロポーズを待っていて良い相手には思えないのは私だけでしょうか?
会社に復帰してから5年になる彼女ですが、タイトルの通り、仕事をしません。5月に有給休暇が年間20日間支給されましたが、彼女はこの11月現在、使い切っているようです。有給休暇だけでなく、朝は眩暈がすると遅刻してきたり、午後4時くらいには気分が優れないとか顎関節症が痛むとかで、早退してしまい、会社には半分ちょっとしか居ません。大切な仕事が任せられる状態ではないけれど、干すわけにもいかず、会議の議事録を取らせたり書類のファイリングを担当させたりしますが、議事録は録音したテープから会話をまるごと起こしてあり、意味不明です。会話というのは主語がなかったり、述語もどんどん展開していくものです。会議の決定事項は必ずしも言葉で発せられるとは限らず、「じゃあ、そういうことで」ですむこともあります。だからこそ議事録は必要なのに、彼女の議事録は会話のままですから決定事項が書いてありません。
上司は私たちにこっそり言います、「彼女に重要な会議は任せられないから、議事録の担当は残りのメンバーで回す」。
彼女が仕事をしないのを、そうやって他のメンバーが埋めます。それはそれで、リスク対処で、不満を言う社員がいるはずもありません。
困るのは、彼女が足を引っ張ることです。
最近の例です。ISOの継続審査を控え、文章類が最新状態になっているか確認しました。全て整っており、取得部門でも教育が終了していました。そこへ彼女が、とある本部が内部監査の結果を放置してあり、社長印の必要な重要文書を改定しなければならない、と言い始めました。うちの部署は慌てて、全部門に文書の変更があることを報せ、必要に応じて教育する時間を確保することを指示しました。しかし、審査の二週間前になっても、彼女から変更した旨の連絡がありません。確認すると、対象部門と話もしていませんし、スケジュールも立てていませんでした。仕方なく私が代わりに内容を聞きに行くと、なんと、その内容は一ヶ月前にもう改定が済んでいました。それは上司含め、全員がメーリングリストを使って確認済みです。全部門に改定お知らせしたのは無駄だったということです。しかもその段で発覚したのは、改定が必要なのは、彼女が言っていたのとは違う文書であったことです。彼女の勘違い、確認ミスでした。彼女に原文を出してもらおうとしたところ、例の如く、午前は休むとのこと。午前に休むと、午後になって午後休の連絡がくるのが彼女の常です。翌週は社長が海外出張に出てしまうこともあり、急を要しました。他のメンバーで文書を修正し、なんとか社長印をもらうことができ、それから全部門に改定お知らせと教育指示を出しました。審査直前の文書変更に、約300人の社員が翻弄されました。
自分が管理する文書が午前中に改定されたことを、昼休みすぎて出社して知った彼女は、夕方には「やはり具合が悪い」と早退しました。
顎関節症。発症は小学校のとき。来客の直前に痛みだし、会議室でうずくまるほどです。1時間ほどで治まるので会議室に留まります。周囲からは寝ているように見えます。通院はしておらず、一年以上前(彼女の話から判断すると、学生時代)に作ったマウスピースをはめています。マウスピースが痛くて頭痛がして欠勤することがあります。マウスピースを作り変えないのかと聞くと、6000円が惜しいので直さないとのこと。
腹痛。ストレスで空腹を感じ、一日に4食も摂ってしまうほど。そのため胃が荒れてしまった、医者には「食べ過ぎ」と言われたとのこと。この腹痛のせいで早退もするし、自席でもよく伏せています。
血尿。彼女曰く「トイレが真っ赤に染まる」。医者に行ったところ、場合によっては腎臓を傷めることもあり、背中が痛くなったら要注意と言われたとか。その医者からは30分で帰って来ました。その後、通院はしていません。
他にも、朝から大病院に行き、30分待ったので疲れてしまった、という理由で早退することがあります。わりと多い早退理由です。
彼女が普通より病弱であるのは確かであり、仮病だとは言いません。
しかし、それだけ病気で、仕事はほとんど出来ず、任せても欠勤するため周囲のサポートが必須という状況になっているのに、なぜ彼女は病気を治すことに専念しないのでしょうか? 会社は「また病欠して、ゆっくりしてみたら?」と言えません。パワハラとか、そういうことになるでしょう。
彼女の精神科の主治医に「会社では戦力外ですよ、それがストレスみたいですよ」と訴えることもできないでしょう。イジメか法律違反かでしょう。
彼女とは関わりたくないと思っても、挨拶はしなきゃいけないし、会議での発言を無視してもいけないでしょう。彼女が「出来ない」と言えば教えてあげなければならないでしょう。
今でも彼女は、薬を大量に飲んでは、みんなを困らせます。この自殺未遂もどきがやめられるくらいには、元気になってから会社に来るべきではないでしょうか?彼女のめんどうをみるのが私たちの業務の一つになっているのは、健全な企業活動と思えません。
直接契約になって3ヶ月目です。
以前の勤め先(昔からある中小企業とか)で女性とトラブルになったことがあり、
面接時に「うちは人間関係で病むようなことはぜんぜんないから」と言われたので入社しました。
実際そのとおりで他の会社のように気難しい性格の人もいないし、
研修中から直契約になってしばらくは、快適に過ごしていました。
それでも「いままで派遣で何人も来て、何人もやめていったよ~」
「派遣から直雇になったすぐとかでも辞める人いるよ」みたいな話は聞いていて、なんでかなっと思ってました。
で、気づいてしまいました。
ある一部の先輩が特定の新人の悪口を四六時中言っていることに。
新人は本当になんにも社会経験のない人だったのでしょうがない面もありつつ、
やられるかなあ?くらいは思いもあったり、でも「まあ、そのときはそのときで」と流していたら、
やってきました、私の番。
会社で仕事は出来るけれど、ほとんど毎日誰かのあら捜し・根回しをしている
先輩のターゲットになった模様。
なんというか、態度など細かいところを率先して注意したり、
自分が悪人になってまでも部署をよくしたいのだなあっという気持ちは伝わります。
まじめで責任感が強く、いい人なんでしょう、きっと。
でも、悪口・文句が多すぎてうんざりです。
さらに長く勤めている人にミーティングでつめよって泣かせた挙句、
休憩のときに「からかってやった、おもしろいね~」と言ったり、
わざわざ席をはずして「今のメンバー嫌だ、もう辞めたい」「◎さん、辞めないかな」
「妊娠したい(で、辞めたい)」「子ども産みたい(で、辞めたい)」
「疲れた」「誰かいい新人来ないかな」などとずっと言ってます。
先日は他の先輩に「◎さんはこういうところがあってダメだと思います、そうですよね?」
「Xについて、◎さんに注意したけど当然ですよね?」と同意を得ようとしていました・・・。
(◎さんというのは私のことです。)
相手の先輩は「みんなそういうところあるよ・いまさらなにいってるの?」と言って流してくれていました。
私も至らないところがあるのは自覚しているので、
最初は余裕で「あー、、言ってるな~」と流してたけど、
最近は、挨拶も返ってこない~無視される~注意のときの声が半ギレ~
行動を目で追われたり(業務で離席したらこっち見てる・・・)もして、
辞めてもいいかなあ。
日本だと社内でもスキル低いほうで、毎日ゴミ同然の扱いうけて精神的にもまいってたんだが、
半年前にオーストラリアのIT企業に転職して就労ビザとって以来幸せになれたので書こう思う。
・残業したら怒られる
・休み取らないと怒られる
・バカンスがあって、とらないと怒られる
・ブラックの代表格であるプログラマはオーストラリアでは全然ブラックじゃなかった
・年収は1.5倍になった
・仕事こそ人生っていう考えの奴はエリートだけでその辺の会社にはいないし、上司も求めてない
・仕事は食事や睡眠や風呂と一緒でただの生活の一部。食事、睡眠を犠牲にしてまで仕事をするアホはいない
・日本と取引のある海外の企業で日本語が話せるのは大きなアドバンテージ
・毎日夕方には必ず帰るから、仕事後に趣味で開発できるようになった
・
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日本だと社内でもスキル低いほうで、毎日ゴミ同然の扱いうけて精神的にもまいってたんだが、
半年前にオーストラリアのIT企業に転職して就労ビザとって以来幸せになれたので書こう思う。
・残業したら怒られる
・休み取らないと怒られる
・バカンスがあって、とらないと怒られる
・ブラックの代表格であるプログラマはオーストラリアでは全然ブラックじゃなかった
・年収は1.5倍になった
・仕事こそ人生っていう考えの奴はエリートだけでその辺の会社にはいないし、上司も求めてない
・仕事は食事や睡眠や風呂と一緒でただの生活の一部。食事、睡眠を犠牲にしてまで仕事をするアホはいない
・日本と取引のある海外の企業で日本語が話せるのは大きなアドバンテージ
・毎日夕方には必ず帰るから、仕事後に趣味で開発できるようになった
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学生。嫌なのに抜け出せない。
大学は二ヶ月くらい行ってないし、やらなきゃいけないことが全く出来てない。
バイト週一~週三くらい行ってあとは寝て起きてご飯食べて一人で繁華街をぶらついてる。
文字通り本当にぶらつくだけだから、誰かと遊ぶわけでも何かが楽しいわけでもない。
ずっと家にいると怪しまれるから、ひたすら憂うつになりながら歩いてるだけ。
何かしなきゃいけない焦燥感はあるけど、いざやろうとしても結局何も出来ずに終わる。
元々は病欠以外で学校を休んだことないし、大学の単位も必要+αを詰めすぎだろってくらいとる人間だったんだ。
ビビりでチキンだから、サボるなんて怖くて出来なかっただけかもしんないけど、
授業だって楽しかったし、サークルもお遊びながら役職もらったりして、積極的だったと思う。
今は正反対。
もう授業取る必要ないから直接問題があるわけじゃないけど、行かないって行為が負担かかってる。
なのに行けない。気付いたら電車途中下車してて、そっから進まない。
就活しなきゃいけないけど、ちょっと履歴書書いたり説明会行くだけで丸一日寝るくらい疲れる。
このまま決まらなかったらヤバイし焦ってるんだけど、遅々として進まない。
生きてるのがしんどいけど、かといって具体的に死ぬ気も起きない。
前は生きる目標なんかなくても楽しくやる気があったのに、今じゃ何にも見えない。
かくっと箍が外れたみたいに何も出来ない。
こっから抜け出すにはどうしたら良いんだ。
誰か教えて欲しい。
>いざ失敗したら、担当者の代わりに処刑される役目を引き受けるのだ。
営業さんには営業さんの苦労がある。
それは分かっている。
その上で言わせてもらうと。
「いざ失敗」に至る過程の中で、関わった「担当者」たちは処刑されるまでもなく虐待死しているのだと、分かってくれ。
「代わりに処刑」とか、何か悲壮な覚悟でもしてるつもりかもしれないが、
担当者は自分がしたわけでもない安請け合いを何とか実現するために、生活や健康を犠牲にさせられる。
「今日中に富士山に登頂してきてくれ」と言われた方がマシなレベルのスケジュールが延々と続くのが失敗プロジェクトだ。
一つのプロジェクトが失敗に至るときの現場は、地獄以外の何物でもない。
リーダーが出社拒否し、若手がうつ病になった挙句に転職先も決めずに退職し、中堅が代わる代わる病欠しながら週末も昼夜も問わず現場に居つづける、
そういう状態にならなければプロジェクトは終わってくれない。
一つプロジェクトが失敗すれば、関わった担当者の半数はその先の人生が変わる。
それがプロジェクト失敗だ。
そうなったときに、あなたがどう「担当者の代わりに処刑」されて、どう「リスクを引き受け」てくれるというんだ?
担当者たちが休出しはじめたら、「ああ、こりゃ無理だ」とそのプロジェクトをさっさと終わらせてくれるのか?
辞めた人に次の職場を世話してくれんのか? プロジェクトの赤字を補填して、担当者たちが蒙った精神的苦痛に対して慰謝料を払ってくれんのか?
あなたが本来の意味で処刑されずに生きているのなら、そのプロジェクトで一番つらい思いをするのはあなたじゃない。
処刑されなくていいから、2倍の納期か2倍の予算を勝ち取ってくれ。
それ以外に、担当者に対して示せる誠実さはない。
ここだろ。
入学式を欠席して息子の入学式にいっていたそうだが、この教諭の態度はクラスの生徒に対しても、息子に対しても失礼で心を傷つけるものだと思う。
「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことは残念です。
私は息子の入学式に出たい/出てあげたいので有給休暇をとってそうします。そうすることは、ずるいことでも悪いことでもありません。
みなさんのご両親にも、とても大切な仕事がありながら休んでみなさんの入学式にきている方もみえます。仕事を優先してこられない方もいます。
それはどちらであっても、みなさんを大切に思っていないとか、大事にしないということではありません。
私はクラスのみなさんのことも、息子のことも同じように大切に思っています。
もし私がいないことで心配になったり、不安になったりしたことがあったなら、またひとりひとり私に話してくださいね。」
とでも私ならいうだろうか。
少なくとも「おわびします」みたいに、自分がしていることを悪いこととしている言い方はよろしくないと思う。