はてなキーワード: 異端とは
昔、好きで読んでた漫画があった。
それなりに長い漫画で、最後に悪役を倒して黒幕も逮捕されて、一件落着、ってなった時に
突然主人公がスナイパーに射殺されて、そのまま最終回を迎えた。
私は正直呆然とした。
初恋という訳では無いけど、主人公のキャラがとても気に入っていただけに、
最終回で伏線も無しに突然死亡して、主人公を殺したスナイパーは黒幕に雇われてただけの因縁もロクに無い人で
主人公に報復する様なエピソードも無く、本当に唐突で理不尽な展開過ぎて、恥ずかしい話だけどショックで号泣してしまった。
今思えば当時としても古い漫画で、作者の別シリーズ含めて古本屋で安く一括購入した様な代物だったので
(作者さんゴメンなさい、後に出た完結済の別作品はなるべく紙の本を新刊で買ってます)
ネットを見てればネタバレも読めたんだろうけど当時はネットなんてちょっと調べ物ぐらいにしか使わなかったので、
以来それがトラウマになったのか、完結済且つラストのネタバレもちゃんと
読んだ状態じゃないと漫画やシリーズ物の小説を読めなくなってしまった。
最終回迎えてちゃんとオチを読んでから、安心して全巻購入して読んだ。
もちろんハッピーエンドなら良いし、バッドエンドでもちゃんと覚悟して読めるなら良い、
とにかく「最後どうなるのか?」を知ってからじゃないと長い作品を読めなくなってしまった。
トラウマ原因の漫画家の連載中の長編シリーズも、読みたいの我慢して完結を心待ちにしている状態である。
ドラマとかアニメ、映画も同様の理由でネタバレを事前に知らないと安心出来ない。
そんなタイプなので私自身はネタバレは気にしないというか寧ろボヤかさずに
ちゃんと教えて!ってタイプなんだけど、ネットだとネタバレは嫌われるし
続きが気になって読み進めたいのにネタバレを食らって怒る、というのは理屈では分かっている。
けどこういった事を友人や知人に話すと
「オチをちゃんと知った話を見て何が楽しいの?」みたいな反応を度々食らう。
恐らく一般的には自分みたいなタイプの方が異端だとは思うんだけど
・5段階評価:4
・あらすじ
帝国兵に追われる一行を助けてくれたサーカス団のアンネリーエとフリッツ。
助けてくれたことと聖城でサーカスを披露してくれたことへのお礼のため一行はフェスティバルのために一時的にサーカス団員としての活動を始める。
フェスに向かう途中、フリッツが盗賊団をやっていた過去が明らかになるも、アンネリーエは出自や過去は関係ないととく。
過去にアンネリーエが父親から団長の座を継いだ時に引き抜きをかけたライバルサーカス団の妨害、そして彼等の起こした魔獣騒動の後始末などを経て、アンネリーエのサーカス団はフェスを優勝し、団員たちも戻ってくるのだった。
・印象に残ったセリフ
アンネリーエ「人の出自や過去は舞台では関係ないって言ったでしょ?」
部下のフリッツが元盗賊だったことが判明した時、自分をある意味裏切った元団員達が帰ってきた時と繰り返し使われたセリフ。
・印象に残ったキャラ
アンネリーエ。
サーカス団の団長として、ドラゴンテイマーというパフォーマーとして、キス魔の女の子、若くして父親から団長の座を継いだことを不安で自身がない様、と幾つもの顔を見せてくれた可愛いキャラだった。
特に団長としてフリッツや引き抜かれた元団員達を許すシーンは尊大な雰囲気でそれでいて可愛くて好き。
・感想
面白かった。アンネリーエというキャラの魅力を描くこと一辺倒になっているのだけど、それをちゃんと書き切っててとてもよかった。
ドラゴンテイマーというパフォーマーとしての魅力、それから舞台の外ではキス魔で誰から構わずほっぺにキスをするエッチなところ、団長として全員を許す優しいところ、親から立場を継いだことを不安がるところ、どれも多層的なキャラ付けになってて可愛い。
元団員が戻ってくることをあっさり認めるところは特に良くて、自分はこういう時にぐちぐち色々なことを連呼しそうなタイプなので憧れる。
・5段階評価:1
・あらすじ
夢で見たお告げのためにホウライという街に向かう一行は、仙花焔職人のスオウと出会う、
彼は春節のお祭りのために仙花焔を作っていたのだが今年は竜脈泉のマナが枯れてしまったため上手くできないという。
竜脈泉の様子を見にいくと、たしかにマナが枯渇しておりその影響で魔獣がホウライの街を襲おうとしていた。
そこに街を作ったドラゴンのホウライ様からのお告げを受けて帰ってきた風来坊のクガイと再開する。
彼と共に再び竜脈泉に向かうと、マナを食い荒らすヴァルファレールが復活していた。
ホウライ様と100年前からの仲間であるキリン族のジョフクがヴァルファレールの周辺のマナを仙花焔の技術により取り除くことで打ち倒せると助言する。
ホウライ様とジョフク様の助けにより街は守られ、スオウの仙花焔が夜空を彩るのだった。
・印象に残ったセリフ
・印象に残ったキャラ
特になし。
・感想
色々と設定が出てきたが、スオウの家族にエピソードがどうにも上滑りしてしまい、のめり込めなかった。
故郷は大事なものだから、そこの住む街の人や全部を大切にしようという言いたいことはそりゃ大切なんだけど、もう少しそれを実感が持てるように描写して欲しかった。
スオウ、クガイ、シャオレイ、リンユー、ジョフク、ホウライとキャラが多いせいで、特にシャオレイとリンユーは状況説明セリフしかなく、キャラがいる意味が汲み取れなかった。
ジョフクやホウライといった圧倒的な強者が出てきて解決する展開も、それながらクガイやスオウが人間的な非超越者的な目線で語るところも、対比になってるように感じれず、総じて薄味だったと感じた。
・5段階評価:4
・あらすじ
死を司るタナトスに攫われ彼のためだけに舞を踊らされ続けていたフェリーチャを助け出したドラゴンのファントム。タナトスから逃げる最中にユーディル一行と出会い行動を共にする。
ムムはファントムがフェリーチャを助け出したのは同情ではなく恋心にあると見抜くが、ファントム自身は過去の経験とフォレスティエとドラゴンという種族の差から身をひこうとする。
故郷に帰ったフェリーチャだが、タナトスの手によって壊滅していた。
タナトスの独りよがりな愛を否定し、ファントムとフェリーチャは共に生き続けることを誓うのだった。
・印象に残ったセリフ
ファントム「頼む…… 俺に気づかせないでくれ。愚かな夢を抱いていることを……。」
フォレスティエに恋をしてしまったドラゴンが自身の気持ちに気付きたくないと独白するシーンのセリフ。
ドラゴンとそれ以外の愛はドラガリアロストの根幹だけにそれを悩むのはらしいシナリオでよかった。
・印象に残ったキャラ
ムム。
愛に生きるドラゴンの先輩としてファントムに道を示すところが印象的だった。
・感想
面白かった。大人しそうだけど舞が得意なフェリーチャと、独りよがりでそれを独占するタナトスと、ただただ自由に日の下で踊る彼女がみたいだけのファントムの三角関係ものだった。
何より過去の経験から愛に素直になれないファントムが可愛い。恐ろしい見た目なのに可愛いと思わせるのはまさにシナリオの力だった。
レギュラーキャラも、同じく愛に生きるドラゴンの先達としてムムが大活躍したのも、ゲストキャラを立てるだけでなく、レギュラーキャラもキャラ立ちを補強する良い展開だった。
最後に二人がハッピーエンドなのも好みだし、好きなシナリオだった。
・5段階評価:保留
・あらすじ
異端の異端審判者を名乗るクーガーとその相棒のハインヴァルトが突如村中の人間が一人の少女ラトニーだけを残して消えた事件を追うために聖城近くの禁断の図書館で情報収集を始める。
調査の結果、村の人々は禁断の図書館に本として納本されていた。
呪いを解くために調査を継続した結果、ラトニーこそが全ての元凶であるニャルラトホテプそのものであった。
ハインヴァルトの機転により窮地を脱し、村の人々も解放したが、偏在するもう一人のニャルラトホテプがハインヴァルトと同化する。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
決め台詞を噛みがちなハードボイルドになりきれないクーガーと、魔術の研究のために本を読むのが好きなハインヴァルトのコンビはどことなく仮面ライダーWぽいのが面白いクトゥルフシリーズの初回シナリオ。
ハインヴァルトがニャルに身体を乗っ取られて終わるという、びっくりするぐらい話が途中なので感想の書きようがない。ラトニーに関しても本人としての登場は一瞬で、殆どがニャルによる変身だし。これからシャドウオーバーメイデン、晩夏の使者に続いていくんかな?
男性同性愛の二次創作を好む人たちにヒットしそうなキャラ造形だけど、この辺は当時の熱も込みで楽しみのは難しいなあ。
・5段階評価:3
・あらすじ
フォレスティア達のお祭りスプラウトバンケットに参加した一行。そこでリュカは幼馴染である次期族長候補のララノア、アロマの研究に長けたシャストと再開する。
他種族ヒューマンであるユーディル一行が参加することに難色を示す族長たちの意見を変えるために、お願いを叶えてくれるエッグハントに参加することに。
アートを学びたいフルルと協力しながらゲームを進めていくが、タマゴを魔獣に奪われて困っているドラゴンのシームルグを助けるためにエッグハントを中断する。
無事卵を取り返すも、エッグハントに優勝できるのはただ一人。リュカはエッグハントの優勝によるお願いでの命令で他種族間の仲を取り持つのをヨシとせず、フルルに優勝を譲る。
しかし、シームルグを助けた功績からユーディル一行はフォレスティアに認められることになる。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
シャスト。
研究のためなら族長たちの無茶な命令も聞いてきた、ってくだり、絶対エッチなこともされたに違いない……
・感想
ララノア、シャスト、フルル、リュカと四者四様の願いを、ユーディルの王の立場から差配していきつつ、ドラゴンの問題も解決してて、短いシナリオの中にいろんな要素が詰まってて良かった。
特に他種族に関するお話は今後も出てくる要素だし、ほんわかしたお話の割に結構重要だったのかも。
ただ、要素が多い分薄味なのも事実で、まとまってはいるものの、もう少し濃い味のシナリオの方が僕は好きかな。
「仙境の空へ」
・5段階評価:4
・あらすじ
キリン族が過去に使っていた伝説に道具仙宝を封印して回っているキリン族のサンゾウと弟子のヒューマンのゴクウと出会う。
ゴクウが仙宝の力に飲まれて暴走してしまうも、サンゾウは師匠として何度でも導くことを誓う。
・印象に残ったセリフ
サンゾウ「私は私を信じます。私の…… 私たちの未来を信じます!」
ゴクウとの関係を悩んでいたサンゾウが良い意味で保留して未来を信じると誓う言葉。
・印象に残ったキャラ
サンゾウ。
疑似家族ものが好きなので、親代わりってキーワードだけで好き。
それだけじゃなく、親としての自分と、師匠としての自分の狭間で悩む姿が良き。
・感想
シナリオの構造としていては単純で登場人物もサンゾウとゴクウの二人だけとシンプル。
それだけにサンゾウの気持ちや、ゴクウの気持ちの描写が多くて満足。
特にサンゾウの親代わり兼師匠という立場に悩むくだりは可哀想だった。
二人の関係値は続きがあるみたい。まあ西遊記モチーフなのに堺正章、夏目雅子、おヒョイさんの三人しか登場しないわけないからそりゃそうか。
・5段階評価:3
・あらすじ
ユーディル一行の元で鍛冶屋をするが、地元で決着をつけそこなていたロッカ族のラズリーと鍛冶の実力を比べるため大会に参加する。
三姉妹は熊型のドラゴンアルクトスとのトレーニングでより力を付ける。
ラズリーとの勝負に勝った三姉妹は偉大な父親を超えるため今後も鍛冶の腕を磨くのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
ルジィナ。
末っ子なのだけど、唯一父親から鍛冶の才能を受け継がなかった、と本人が思い込んでる思い込みの激しい子。
実際には鍛冶の水で締める工程の才能を継いでおり、次女と長女の工程の間を繋ぐ大事なポジション。
空回りしてる様が可愛かった。
・感想
三姉妹の微笑ましいやりとりが続くほんわかのんびりストーリー。
特に自分だけ才能を継いでないと誤解して空回りしてた三女のルジィナが可愛かった。
三姉妹それぞれの可愛いを描くのが主題で他のことはおざなりだけど、ソシャゲのシナリオとしては僕はこういうものだと思うし好きだ。
・5段階評価:2
・あらすじ
宝探しに島にやってきたユーディル一行は、宝を守っていたエルモ、それを奪おうとするタコ魔獣のバルバリアと出会う。
バルバリアに宝を奪われてしまい圧倒されるも、歌で魅了するドラゴンセイレーンの強力でそれを倒す。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
ソシャゲあるある夏のイベントは水着実装キャラの紹介になるから薄い、の典型的なシナリオだった。
水着キャラの紹介と状況説明が大半でお話しらしいお話しがなかった。
とはいえ、その水着キャラに僕の好きなジュリエッタがいたのでそこは良き。
ジュリエッタ好きなんだけど、ここで話がほぼほぼ終わりなんだよなあ。
エルフィリスとの関係がなにか進展するエピソードを見たかった…… 見たかったなあ……
「Melodious Summer♪」
・5段階評価:2
・あらすじ
従者であるためと言い訳をして水着で楽しむことが出来ないでいるクラウだったが、セイレーンの歌を楽しむ姿勢に感化し、夏を満喫するのだった。
・印象に残ったセリフ
長い時を生きるクラウは嬉しかったことも忘れてしまっているのだけど、それを思い出す一幕から。
忘れるって寂しなあ。
・印象に残ったキャラ
クラウ。
ヒューマンとは異なる寿命を生きることの寂しさ、長く生きると楽しいことも忘れてしまう寂しさなど、もの悲しいエピソードから前向きになる展開で可愛かった。
・感想
主役のはずのセイレーンを食ってしまうほどにクラウの出番が多く、ドラガリの全体的なシナリオにもかかっている展開だった。
とはいえ、水着ガチャキャラの販促という側面はモロ見えで、シナリオの縦軸は薄く、キャラ萌え全振りなのもそれはそう。
・あらすじ
今までのやり直したい過去に向かうが、度々アスラムと名乗る謎の男に邪魔をされる。
仮面をつけたゼシアのところへタイムスリップしたところでクロノスが本性を表す。
アスラムが時間移動した起点である未来へ飛ぶも、そこではユーディルに全てを殺されたと語るナームがいた。
クロノスを倒すも、この未来で何があったのかはわからないままだった。
・印象に残ったセリフ
本編中ではずっと敵でほんわかエピソードがないのでこう思ってたんだなあとしんみりした。
・印象に残ったキャラ
アスラム。
時を巡って孤独な戦いに身を投じるの、格好いいけど悲しい。
その後の時系列がキャラストーリーで描かれてるんだけど、めっちゃ鬱いシナリオでかわいそうだった。
・感想
正直よくわからんかった。
ユーディル達が負けた未来からやってきたアスラムとクロノスとが交差するんだけど、この未来の話が何かあったことしか分からずモヤモヤする。
普通にメインストーリーと時間軸も繋がってるしで、イベントストーリーだけどこれ単品でどうこう言うエピソードじゃない感じかな。
アスラムのキャラエピソードとも絡んでるしで面白いけど、複雑だ。
・5段階評価:3
・あらすじ
突如姿を消したラトニーを追って不老不死の村ティンソムの村へ向かうクーガーとハインヴァルト。
村に向かう途中でラトニーを回収し、むらに宿泊することになる。
クーガー達は彼女の目論見がラトニーの内に眠るニャルを使った何かであることを見抜き、暗躍を阻止する。
・印象に残ったセリフ
クーガー「辛くなったり、悩んだりしたら、とりあえず笑っちまえ。」
直球でベタなメッセージだけど、まだ何も悪いことは起きていないという前置きありきなのが印象強い。
・印象に残ったキャラ
ハインヴァルト。
・感想
https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434
https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592
WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。
https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium
あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitterに投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。
この点はあとで少し詳しく書きます。
「いま国民的議論の対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査をざっと見たところ、日本と韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本のマスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます。
萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本のマスメディアは、社会主義的な思想をベースに、自分たちの役割を
と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治が政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府反権力的な言論を展開しましたが、政府が世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見を封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。
アジェンダ設定のような能動的行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズムの重要な役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要度認識が低いのはそのためです。
この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちのメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます。世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。
「政治リーダーの監視と精査」 「時事問題の分析の提供」 「人々の政治的決定に必要な情報の提供」については、それらへの重要度認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実をありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます。
特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たちの重要な仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。
全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます。
はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズムの歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、
という感じでしょうか。
それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実をありのままに伝える」トップにならないことの異常性です。
この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。
いわば、「あなたはジャーナリストとして最も基本的な動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。
と問うような質問なのです。
「勝つことだけが重要ではない」「ほかにも大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。
まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実をありのままに伝えることはジャーナリズムがジャーナリズムであるための最も重要な要件」と学びます。
別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います。
たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズムの学科はジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現は客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。
そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想的政治的干渉を受けたとしても「事実をありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要な仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。
「日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないから・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダーを監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮は必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本のジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。
そういう思いから、日本のジャーナリズムを「異様」と書きました。
それは情報の誤読です。「事実をありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。
・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。
それは情報の誤読です。この調査は「あなたは事実をありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。
さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習もサボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習をサボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。
これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本のジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます。
現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。
ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います。
これらの評価(罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論を喚起し政策アジェンダを設定していく役割、もっとあからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割をジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズムは本来そのようなものではありません。「事実をありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価の対象になること自体がもっと減るだろうと考えています。
私もそう思います。世界の一般的なジャーナリストにとって「報道の自由度が低い」とは「事実をありのままに伝えることや自由な表現を阻まれる」を意味します。日本のジャーナリストは世界の一般的なジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成を重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論が形成されなかったりするのを「報道の自由度の低さ」と勘違いしていると思います。
これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実をありのままに伝える」というジャーナリズムというものの普遍的な存在意義にかかわる話は、法律等の要請やメディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本のマスメディアがよくやる両論併記は政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います。
https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434
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WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。
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あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitterに投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。
この点はあとで少し詳しく書きます。
「いま国民的議論の対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査をざっと見たところ、日本と韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本のマスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます。
萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本のマスメディアは、社会主義的な思想をベースに、自分たちの役割を
と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治が政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府反権力的な言論を展開しましたが、政府が世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見を封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。
アジェンダ設定のような能動的行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズムの重要な役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要度認識が低いのはそのためです。
この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちのメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます。世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。
「政治リーダーの監視と精査」 「時事問題の分析の提供」 「人々の政治的決定に必要な情報の提供」については、それらへの重要度認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実をありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます。
特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たちの重要な仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。
全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます。
はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズムの歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、
という感じでしょうか。
それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実をありのままに伝える」トップにならない』の異常性です。
この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。
いわば、「あなたはジャーナリストとして最も基本的な動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。
と問うような質問なのです。
「勝つことだけが重要ではない」「ほかにも大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。
まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実をありのままに伝えることはジャーナリズムがジャーナリズムであるための最も重要な要件」と学びます。
別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います。
たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズムの学科はジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現は客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。
そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想的政治的干渉を受けたとしても「事実をありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要な仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。
「日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないから・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダーを監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮は必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本のジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。
そういう思いから、日本のジャーナリズムを「異様」と書きました。
それは情報の誤読です。「事実をありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。
・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。
それは情報の誤読です。この調査は「あなたは事実をありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。
さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習もサボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習をサボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。
これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本のジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます。
現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。
ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います。
これらの評価(罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論を喚起し政策アジェンダを設定していく役割、もっとあからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割をジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズムは本来そのようなものではありません。「事実をありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価の対象になること自体がもっと減るだろうと考えています。
私もそう思います。世界の一般的なジャーナリストにとって「報道の自由度が低い」とは「事実をありのままに伝えることや自由な表現を阻まれる」を意味します。日本のジャーナリストは世界の一般的なジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成を重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論が形成されなかったりするのを「報道の自由度の低さ」と勘違いしていると思います。
これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実をありのままに伝える」というジャーナリズムというものの普遍的な存在意義にかかわる話は、法律等の要請やメディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本のマスメディアがよくやる両論併記は政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います。
世の中のあるあるなんだろうけど、結婚~妊娠~子育てで、あまりにも義父母と自分の考え方が違って辛すぎる。
ここで吐き出させてください。
私(夫)は父親が中学の頃に家を出てって、実質的にシングルマザーの家庭で育った。
別に母子の仲が悪いわけではないし、それで寂しい思いをしたことはないし、まったく気にせずに過ごしてきた。
妻もそんなに裕福ではなさそうだが、家族は仲良い様子だった。ご両親と義姉の4人家族。
入籍は、私と妻が共通で好きな某ミュージシャンの誕生日にでもしようか、という話をしてた。
覚えやすいし、結婚のきっかけとなった人だし、クリスマスとか2人の誕生日とか行事ごとの無い月でプレゼントを買ったりするのにもちょうどよいと思ったから。
が、妻から「義父母に『その日は仏滅だからやめろ』と言われた。今年の11月22日・いい夫婦の日は大安だからその日にしよう」と提案があった。
妻の誕生日は12月なので、それでは短い期間に結婚記念日と誕生日とクリスマスが連続してしまう。
なにより私は仏滅とか大安とか気にしたこともなかった、というかその存在をほぼ初めて認識した。
でも、義父母のいうことなのだから、まあ聞いたほうがいいのかな…と11月22日にすることに決めた。
結局その日は大雨、役所もとても混んでいて、あまりいい思い出にはならなかった…。
ここから少しずつ、義父母のいいなりになることに後悔としんどさを覚えるようになっていった。
妊娠して数か月、お腹のふくらみも目立ち始めてきたころ、妻が「義父母から『家族みんなで某県のお寺に親戚の七回忌に行きたいんだが、一緒に来てくれ』と言われた」と告げられた。
世の中はコロナ禍の真っ只中だ。
妻は妊娠中の大事な時期で、しかも(これは私が悪いんだろうけど)我が家には車がないので、60代の義父の運転で行くという。
義父母の家族は全員喫煙者なので、申し訳ないが非喫煙者の私にとっては車の中はとてもタバコ臭くて苦手だ。
タバコ臭のする高齢者の運転する密な車内に、妊娠中の妻を載せて往復4時間以上…、おなかの子供が心配だ。
結婚式やお葬式ならまだしも、7年前に亡くなったご親戚のために侵すリスクではないのではないか、と反対したが、妻は「義父母が、あなたを親戚みんなに紹介したがっている」と譲らない。
そういうものなのだろうか…、親戚づきあいや冠婚葬祭に無頓着な家庭に育った私には判断がつかない。
また、これも私が悪いことなのだが、冠婚葬祭に無頓着かつ幸いなことに社会人になってから身内に不幸もなかったので、喪服というものを持っていない。
会社も私服勤務なので、フォーマルな衣装は結婚式用のもの一式のみ。
革靴はウィングチップなのでどうやら葬儀にはダメらしい、シャツもネクタイも柄物なので当然着ていけない。
なので結局、会ったこともない7年前に亡くなった義理の親戚のために、数万円かけて喪服一式と革靴を新調して某県へ向かった…。
七回忌後では、マスクもろくにせずに十数人の親戚と会食をした。
「これで万一クラスター感染して妻が流産しても、世間からは『自業自得』と言われるだろうな…」と、みじめな気分になった。
子育てのことを考えて、義父母の家から車で数十分のところにした。
これならいざという時に妻は義父母のことを頼れるし、妻にも子にも良い環境だと思ったからだ。
そして時は立ち、妊娠が発覚してしばらくしたころ、義父母が引っ越したという。
私たちのマンションからさらに近くなり、バスで1本、歩いても行ける距離だ。
近くなる分にはそりゃあ嬉しい気もするけど…、なんの相談もなく、なんだか、急に距離を詰められた気がする。
そして。
我が家には猫がいるのだが、品種的に人懐っこいタイプじゃなく、こちらから撫でようとしても撫でさせてくれない、なんならひっかいてくるような猫だ。
人と猫、お互いあまり干渉せず程よい距離感、たまーにデレるのがかわいいタイプなのだが。
こちらからちょっかいを出さなければ基本的にひっかき癖は顔を出さないし、もし何かのきっかけで興奮してひっかいてこようとしても、おもちゃで遊んであげて気持ちを鎮めれば大丈夫。
上手い距離感で遊べるように躾けていた(まあ、猫に躾けは無理なので、そういう習慣付けていたというのが正しいか)、のだが…。
週一でやってくる義母はそんな思惑など関係なしで、素手で猫にちょっかいを出す。
私がいるときは「遊ぶときはおもちゃで遊ぶようにしてください」とやんわり注意するようにしてるのだが、不在の時はどうしようもない。
猫は当然興奮して、人の腕をひっかいてよいものだと認識するようになり、お行儀もどんどん悪くなっていく…。
猫は何も悪くないのに、時にはゲージに閉じ込めなくてはならなくなった。
つらい。
そんなモヤモヤが少しずつ積み重なっていきながら、ついに妻が出産を迎えた。
コロナ禍で出産に立ち会えないどころか、出産後の2週間、妻の入院中も面会はNG。
スマホのビデオ通話でしか赤ちゃんの姿に会うことはできなかった。
そして待ちに待った退院の日!
妻ははじめての出産でとても疲れていたが、私は嬉しくて仕方なかった。
家に着いて、母と息子と父と猫、3人と1匹きりのはじめての時間…、ゆっくり過ごして嚙みしめたいな。
義母は、どこで買ってきたか、ペラペラの子供用布団とシーツ・キッチンに置き場の無い大きくて安っぽい哺乳瓶ケース・すでに我が家に用意してあった哺乳瓶を洗うスポンジなどなど…、何の相談もなしにたくさんのベビー用品を我が家に持ち込んできた。
もちろん、私たちもお店やネットでたくさん候補をリストアップしていたのだが…、Amazonプライム会員なので、注文すればすぐ届くのだが…、そんな言葉を飲み込んだ。
妻が妊娠してから皿洗いは私の当番なので、モチベーションを上げるためにコツコツと自分なりにお洒落なキッチン用品を買いそろえていたのだが…、統一感のない安めのプラスチックのグッズがキッチンに並んで一気に台無しになった。
皿洗いや哺乳瓶洗いが、視界に入る100均製品のおかげで全く楽しくなくなった…。
また、私の母は衣料品の工場勤務で、ちょうどちょっと高級なセレモニードレスやおくるみを作っており、お祝いに送ってくれた。
大変ありがたかったのだが…。
我が家に何があるかなど全く気にせずものを買ってくださる義母、もちろんセレモニードレスもおくるみもある日突然、何の相談もなしに持ってくる。
デザインもよく似た、父方と母方から贈られたセレモニードレスが2着…、行事ごとでどちらを着せるか胃が痛い。
そのほかにも、裁縫が趣味である義母は、自作のベビー服やおくるみをたくさん持ってきてくれる。
ありがたいとは思うけど…、いつ買った布なのか、白かったであろう生地部分が少し黄ばんでいるように見える。
義両親の家は全員喫煙者。
不安だ…。
前述の、私たち夫婦が共通で大好きな、結婚のきっかけになったミュージシャン。
そのミュージシャンの名前から取った、2人とも気に入っていた名前があったのだが…。
画数が良くない、言葉の響きが大昔の隠語を連想させる?といった、腑に落ちない理由で難色を示された。
その名前を書く命名ボードも、自分たちなりにモダンなものを買おうと思っていたのだが、結局は退院日に義母が勝手に(おそらく100均あたりで)用意してきたもの…。
その命名ボードを見るたびにモヤモヤしてしまう事が、子供に対して本当に申し訳ない。
例えば生まれて一か月の「お宮参り」、100日後の「お食い初め」、女の子ならひな祭り、男の子なら端午の節句、そして大きくなったら七五三。
私の実家では、そういったことはあまり無頓着だったし、やったとしても親子でしか祝ったことがないのだが、義父母にとっては「祖父母や親戚も含めて行う行事」らしい。
お宮参りも義父母家の近くで行ない、写真館で祖父母込みで写真を撮り(はじめて知ったけど、子供の写真を撮るのにこんなにお金がかかるとは…)、その後はコロナ流行真っただ中でも会食。
うちの母は遠くに住んでいて高齢だが今でも工場勤務をしているので、お宮参りのためだけに往復4~5時間を日帰りだ。
お食い初めも、もちろん食器も料理も私は選ぶ権利を与えられなかった。
そんなに行事ごととか親戚づきあいとか縁起を担ぐのって大事なのかな?
自分たちの好きな日に、親子でささやかにお祝いして、スマホで写真を残せば十分なんじゃないかな?と妻に言ってみたことがある。
すると妻には「我が家はずっとそうだったし、それが一般的だよ。そういうのが嫌なんだったら、結婚前に言っておいてよ」と返された。
だってそういうものがあるということを知らずに育ってきたから…。
まるで、私と私の母親は一般的じゃない異端な家族…そういわれたようで悲しかった。
十分、幸せだったけどなぁ。
この後の端午の節句も、七五三も、私や私の母の意向は関係なく進められるのだろう。
親子水入らずで何かイベントをするということは今後なく、義父母と一緒の写真がアルバムに並ぶんだろう…。
ずっと後悔としんどさを抱えて子供を育てていかなくてはいけないこと、そして自分の子供時代が否定されてるような気がして、寂しい。
言いたいことは、
「ふと思っただけだが、女性の一人称に昔は俺とかオラがあったはず、今でも一部地域の老人の中にはいるはずだ。
なぜ女性だけ一人称が集約されていったんだろう?20世紀半ばの女は家に引っ込んでろ的な期間の影響」
みたいなことを思ったが…
それだけなので…
ネットですら男言葉が標準と見なされていて、女言葉がある日本語だと異端として敵対視されがち(攻撃を受ける頻度が高くなる)、結果オカマの人たちしか使えなくなった、
的な研究を読んだことがある
標準=男、男=標準、なのはやっぱりおかしいと増田に同意するよ
ただ蛇足を1点、
俺って男の一人称だよね。昔はともかく。
俺を使うと、増田の主張は「女性の一人称が私しかないのはきつい」から「女も男の一人称を使えるようにすべき」にねじまげられかねないかなと思った。
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
一応前書きとして、これは一個人の話であって4世皆がそうとは限らないし、内容は割と愚痴。
当方宗教4世、母方の曽祖母から始まった信仰の連鎖の末端にいる。
よくニュースで取り上げられるような宗教2世の人たちほどは苦労はしてないと思う。親がやる献金は最低限、厳しい縛りもあんまりなかった。他の神社仏閣で手を合わせるなってくらい。
でも、4世となると割と根深い問題もあって今は割とこれに悩まされてる。
起点は曽祖母で、彼女は熱心な信者で人望もある人だった。宗教2世の祖父はボケても尚、曽祖母と宗教の話だけはハキハキとよく喋る。
たまたま同じ宗教を信仰していたことをきっかけに祖父は祖母と結婚。その二人から生まれた母は立派な宗教3世。宗教に無頓着な父(家にほとんどいない)と結婚して4世の自分が生まれた。
生まれた時に勝手に加入させられ、物心ついたときから決まった方角に手を合わせることを習慣づけられてた環境で育ち、幼い頃は違和感もなく献身的な信者をやってた。
運動をやることよりも、勉強するよりも、手を合わせてお経読む方が何よりも喜ばれるから幼い自分は褒められたくてそりゃもう熱心に手を合わせた。小学校4年生くらいまでの話だけど。
祖父が信者すぎて、テストでいい点取っても神様のおかげ、試合に勝っても神様のおかげって言われまくるせいで見事に反抗期突入して中学生あたりで完全に目が覚めた。俺の努力じゃボケ!!!って感じで。
それで高校生くらいには無神論者になったけど親にそれを仄めかしたらブチギレられた。扶養に入っている子どもは親に逆らえないのですぐに撤回した。結局、今も伝えられていないし、誰にも相談できていない。
恐ろしいことにここまで代々引き継がれていると、交流のある親戚全員信者しかいない。
信仰してない者は異端扱いどころか、そもそも信仰を否定する奴が親戚に誰一人としていない。ガチの孤独。
生まれた時から洗脳教育されてきた信仰猛者に囲まれてる4世だよ。
選挙権得たら「うちの宗教が応援してるここの党に入れてね、皆やってるからね」って強制されたりね。
当たり前のように恐ろしいこと言ってくるんだよ。
「〇〇さんの息子さんは選挙行ってくれなかったらしいよ」
「親不孝だよね」
みたいな会話が平然と祖母と母で行われる。
育児のリターンが親が望む党に票を入れることになっていてドン引きした。人権とは?
世代を超えて長年引き継がれてると、こういう常識として日常と宗教がかなり密接になってるからなかなか目が覚めにくいっていう状況。
自分の言動や思考の根底に宗教があるんじゃないかって、不安はまだちょっとある。