はてなキーワード: 異人種とは
ツイッターのフォロワーから教えてもらったエルフ風俗、といってもエルフがいるわけではない(そんなのUNPOが許すはずがない)。実際には耳をエルフ風に整形した人間の女性(男性も稀にいるらしいが)が相手をしてくれるというだけだ。
という話だけを聞いて、大した下調べもなしに予約した。指名なしというギャンブルが出来たのも、この紹介してくれた友人があまりに「エルフ嬢はいいぞ」と激推ししてきた事、エルフ風俗が普通の風俗よりも安い事が理由だ。
この安さはまあ、こちらに精通している方ならご存知だろうが、なんとエルフ風俗が異人種保護協会の支援対象になっているからだ。その支援の実態についてはホームページの支援対象一覧に小さな記述があるのみで詳しくは明かされていない。だが、エルフ風俗嬢の整形費用も、給金も半分以上が異保協から出されているという説さえあるほどである。
数世紀前から数を減らし続けているエルフ達であるが、その減少の一因となったのが、エルフの気位の高さである事はご存知だろうか?エルフと接した事のあるものはわかるだろうが、彼らのほとんどは我々人間のことを見下している。相手にする事はないし、ましてや性行為の相手に選ぶ事はない(文献を紐解けば例外もいるようだが)。だから、他の異種族と比べて人間との交配が進みづらく(全くと言っていいほど進んでいない)純潔かつ高潔なエルフの血を保ててきた。
だがそんな純血の血にも問題が出てきた。純度が高すぎたのだ。もともと人口の少ないエルフの中で、エルフ同士のみの交配を繰り返せばどうなるかは想像がつくだろう。気の遠くなるほど長い年月を欠損を抱えて生きる事、子にそんな人生を与える事をあのエルフ達が許せるはずもない。産声を上げるより先に首を、という行為が繰り返され、エルフの出生率は更に低下した。高慢なエルフ達もとうとう外部の血を求めるようになった。
という事で、エルフ達は今異人種交配をしようと躍起になっている。特に繁殖力の強い人間と。「異人種」保護協会とはいっても役員のほとんどは寿命の長いエルフで占められており(俗に言うアージェンタムオキュペイションである)、「エルフ」保護協会となっているのが実情である。その権力を振りかざしての風俗支援である。無論、UNPOや全亜連は「公的機関が人間の性を売り物している」とこれに反対しているが、権力のないUNPOや短命種族の多い全亜連の声にエルフは聞く耳も持たない様子で協議は続いている。(ここまでは世界史の先生の下世話な余談として聞いた事があるものもいるかもしれない)
面白いのは、本当に下世話なのはここからである。なぜ異種交配を求めるはずのエルフが人間エルフ嬢に身体を売らせるのか。それはエルフの生殖活動の特殊さが一番の理由である。エルフの儀式地味た前戯(エルフ通はこれをもじって前儀と呼ぶ)と、特殊な性器の構造、(そしてこれは異種族にのみに適用されるのだが)あまりに高圧的な態度でのセックスである。エルフは人間の男に不躾態度で中出しされることを望まない。「郷に入っては郷に従え、膣に入っては膣に従え」とエルフ流の性行法を人間に身につけさせようとしているのだ。
ーーーと、ここまでがエルフ風俗の裏話であるのだが、前述の通り俺は全くと入っていいほど下調べせずに行った。だから、その時の俺は「エルフ嬢は耳が長い」ぐらいの情報しか知らなかったのである。
とは言え、フォロワーのべた褒めを常日頃聞いていたので、これと入った不安もなく意気揚々と店へ向かった。店といっても、歓楽街にあるような汚い雑居ビルではない。場所は伏せるが、高級住宅街とされている街の豪邸の一室が店である。こうも、6時間1万2000円という低価格で遊ばせていただいて良いのかと戸惑うかもしれないが、更に驚くことに最寄駅まで車で迎えが手配されていた。はじめての高級車、はじめての豪邸、はじめての吹き抜けシャンデリアにたじろぎながらも、重厚なドアを開け、部屋に入ると彼女がいた。エルフである。誰だ、耳が長いだけの人間と言ったのは?白く細っそり長い手足、透けるような銀に近い金髪。吸い寄せられるように顔を見れば、切れ長な目に長い睫毛、零れ落ちそうな翡翠色の瞳、上品な唇にすっきりとした小さな顎。いつしか教科書の隅で見つけ、何度も見返したあのエルフがそこにいた。子供の頃に一度だけ、動物園で日傘をさしたエルフにすれ違ったことがある。あの時に嗅いだ忘れ得ぬ澄んだ花の香り、エルフの香りが漂っていた。茫然とする俺に、少女のようでそれでいてエロティックな小さな唇が言った。「近寄るでない。跪け」
そこから先を詳しく書くのは気がひける。俺のように「耳が長いだけ」と騙されたままホイホイと行って衝撃を受けるのもまた一興だと思うから。でも、レポを書く以上きちんと書くべきことは書いておこうか。
はじめの1時間は、講義だった。まさかとは思うが講義だ。あの、女教師ものの序盤のx+5=10なんて代物ではない。エルフへの声のかけかた、身体に触れて良い順番、前儀の執り行い、ピロートークならぬピロー主祈文の暗唱、正しい腰の振り方なんてものもあった。みっちり1時間、大急ぎの1時間であった。(なんでも本物の男エルフはこれを80年かけて習得し、本番に臨むというのだ。そりゃ少子化になるわけだ。)さっきはエルフらしく「跪け」なんて言ったお姉さんだったが、ここにかけては手取り足取り優しく教えてくれ、「心配ならベッドの前に貼ってありますからカンニングしちゃっても大丈夫ですよ〜」と言ってくれて、やっとの事でベッドに移れた(シャワーは入室前に済ませるシステムである)。
で、
そこから3時間の前儀(舌がつるかと思った)。手順はラミネートされたポスターが壁に貼ってあったとはいえ、なんともややこしく、間違えるたびにお姉さんにこっぴどくなじられた(エルフ口調で)。はじめは講義が終わった、やったぜ!やるぜ!と意気込んでいた俺の息子も、しぼみ始め、とうとうピクリともしなくなったため、途中お姉さんの口淫を受けた(あ〜大丈夫ですよ、はじめはよくあることです、と人間に戻ってくれてどれほど安心したことか)。残りの1時間で本番行為をし、これは腰の振り方の指導が厳しかったが前儀に比べると普通であった。とはいえ、エルフお姉さんとのセックスがめちゃくちゃ興奮したのはいうまでもない。マゾ気質の奴はハマると思う。ちょっとなじられながら、でもよしよしされながらエルフを抱く、いや抱かせていただく。絶世の美女なんて生易しい、絶世のエルフだった。正直この先生きていてお姉さん以上の人間女性に会うことはないだろうと思った。耳が長いだけなんて軽々しくいうが、長い耳はエロい。長い耳はエロいぞ。
んで、残りの時間で終わりの儀をテキトーにやって(人間モードのお姉さんがテキトーでいいよ〜初心者だし疲れたでしょ〜って言ってくれたのだ。お姉さん、惚れる)。30分ぐらい余ったので、お姉さんと和気藹々と雑談。耳だけ整形なんか大嘘で、全身3年かけて工事済みらしい。人間でも美人を引き抜いて、さらに大金渡して整形手術を施し、エルフに仕立て上げる、らしい……お姉さんパネエ。お姉さんはスカウト(大学の入学式直後に声をかけられ1ヶ月とただずに辞めてエルフ嬢になったらしい)だが、もともとエルフに憧れて入店する娘もおおいとか(意外にも選定基準は顔よりも髪重視らしい、エルフらしい細い直毛は手術では作れないから)。講義は2回目以降は30分で済ましてくれると聞いた。80年が30分だ。んで、ちょっといちゃいちゃしたり、さっきのエルフ店の裏話とかも聞いたりして、帰ってきた。
のが5ヶ月前な。それから月2で通ってる。1回目の後はちょっとどうかな、長すぎるし疲れるしwとか思ってたけど、一度行けばわかる。いいから行け。ちなみに通い詰めると、エルフ膣に工事済みのお姉さんも指名できるようになる。それはもう、オナホとかめじゃないぞ(はじめはめちゃくちゃ痛いけど)。俺のオキニはダークエルフ嬢お姉さん、意外にも沖縄出身w。といっても肌の色は地ではなく、薬剤で変えてるらしい。ダークエルフらしい絹のような銀髪、高圧的なエルフ口調、蔑む時の冷たい目、踏みつける時の容赦のない脚、に、対比して事後の砕けた沖縄弁がたまらない。あと初心者はバイアグラは必須。途中で萎える。店で薬も出してもらえるけど(法律いいのか?)効き目がやばすぎる、成分が不明、依存性がある(?)らしくて界隈では、シャブ堕ちしたら終わり、と黒い噂の絶えないので、服用は自己責任で。
って感じでエルフ種付け要員としてすっかり調教されちゃってるわけだけどさ、この指導の賜物が本番、本物のエルフ相手に発揮出来ることはないの。なんでかって?この種付け要員養成プロジェクト(仮)って400年後にやっと第1段階完了らしいよwそりゃ、少子化になるわけだ。
男性エルフに抱かれる女性の方はそれほど教育がいらないそうなので、こちらのプロジェクトも同時進行中らしいが、不浄な人間の腹から生まれた子をエルフとは呼べない、と反発の声も多いそうで難航しているようだ。
最初に、私はミソジニーもミサンドリーもどちらも好ましいとは思いません。思想の自由があるから好きじゃないとだけ。あとはだらだら長くて単調な文章です。
今までの人生を振り返ってみると初対面では「得体の知れないもの」扱いを受ける事がとても多かったと思う。コミュニケーションを深めていけばそういった事もなくなるけど、そこに至るまでは年齢性別問わずまるで宇宙人のような扱いを紋切り型にされるので面白い。
私は175cm・52kgと女性にしては珍しい容姿をしていてそれのせいで先述のような扱いを受ける事が多いのかなと自分では思っている。身長は遺伝で勝手に伸びただけ・体重は毎日3食しっかり摂取していてダイエットはした事がない。まぁ気付いてないだけで頭とんちんかんでそういう扱いを受けているだけなのかも知れないけど…。
人が他者とコミュニケーションを取る時に相手の容姿から推測する人となりで対応を無意識で変えると思う。イケイケオラオラのEXILE系の男性、ナチュラル志向の女性、マッシュボブの黒縁眼鏡の男性、胸にチーターを飼っている女性など本来その人と話してみないとどんな人が分からないはずなのに今までの経験からこういう容姿はこんな人が多いなみたいな経験則。
「身長が異常に高い女性」の経験知識がみんな一様に少ないようで身構えられてしまう事が多い。初めて異人種を見たみたいな目を向けられる事も少なくない。
LGBTやジェンダーレスの言葉が知られるようになってからは何故か最初にそう思われる事が増えた。知ってる何かに置き換えて考えたいのかなぁとぼんやり考えたりしてるけど。
得体の知れないもの扱いされる事に正直なところ、迷惑どころかメリットしかないから有難いなと思ってる。なぜか良くも悪くも女性としての扱いを受けない。得体の知れない「人間」扱いをされるから。
自分が見えてる世界なんてとても狭いし、それが全てではなくあくまで個人の雑感でしかないと前置きした上で自分が受けて面白いなと感じる「女性」扱いされない事を挙げると
・私より背の低い男性は何故か異常に萎縮した態度を取る
自分より高い人はそんなに出会った事がないから比較は出来ないんだけど、他の女性に対して強く当たったりセクシャリティに関する事を揶揄する男性でも何故か私にだけはそうならない。ならないだけじゃなくて何故かちょっと気が引けてる様子がある。知らないだけで身長カーストってあるの…?ないよね…?
日系上場企業総合職を2社、外資系1社しか経験がないけど(全部正社員)スカート、ヒール、メイクの強要を受けた事がない。服と靴に関しては物理的に手に入りづらいからってのもあるかもしれないけどメイクも特に何も言われない。最低限の身だしなみに留めてる理由はちゃんとすると身長も相まって強そうに見えるから。
友人知人の話とかネット上で見るような扱いを受けた事がないから相手見てやってんのかなー嫌だなーと思う。ちなみに女性同士でのいざこざにも何故か巻き込まれない。どこまでいっても異物。
そんな自分が色々とネットでの話を見ていて強く思うのが「男性だから女性だからって分けて考えるのはそろそろやめませんか」という話。型にはめられない女性を人間扱い出来るなら全男性・全女性も人間扱いしましょうよと。
電球の交換も料理もやり方を学んだ人だけが出来るのであって性別は何も関連しないし男だから女だからってのはちょっと違うかなと思います。
ツイッターとかでよく目にする話しで
例えば男女50人ずつ計100人居たとして性別A50人から性別B5人に対して批判があった際に、B45人が同じ性別というだけで自分の事を言われた気になって「違う!」とA50人と喧嘩してるのもおかしい。共闘してAB95人でB5人に立ち向かうのがみんな幸せなんじゃないのかな。今のままじゃ悪いB5人だけが得して悪くないAB95人が損してるじゃん…。
自分自身も他人も性別だけで人格が決まる訳じゃないからもっと自由になれたら自由に考えられたらみんな幸せになれるんじゃないのかなと思います。
のような反応を大多数の日本人が示すことになるんだろうな。
黒人の日本人選手がオリンピックで今まで日本が取ったことのない競技でメダルを取ったとして。
日本人がメダルを取る意味は、明らかに生まれつきフィジカル弱者のチビでガリのアジア人が、その中でも最も神に愛された肉体を持つ個体を見出して鍛え上げて、
それでも足りずに、マラソンのような勝ち目のある競技に狙いを絞ったり、バトンパスのようなチームプレイを極めたり、ルールの隙間を突くような道具やフォームを編み出したりして、
フィジカル強者の黒人や白人に知恵と努力と絆で勝つところにある。
黒人が日本代表として勝ったところで生まれつき恵まれた肉体を持った者がそれゆえに勝ったというだけのことで、
大多数のチビでガリのアジア人に過ぎない日本人はそこになんの共感も感動も覚えないだろう。
「金メダリストが凄いのであって、たまたま同じ日本国籍なだけのお前が凄いわけじゃないんだぞ?」
と腐したがる人々は、短距離走で日本に初の金メダルをもたらした黒人選手へ大多数の日本人が冷めた目を向けるのを見て深い満足を抱くのだろうか?
最近の日本人異人種選手の活躍を見るに、最短で次の東京オリンピックで、実際に世間がどういう反応を示すのか見られそうで、ちょっと楽しみにしている。
で、『仮面ライダー』のショッカーも、『宇宙戦艦ヤマト』のガミラス帝国も、『機動戦士ガンダム』のジオン公国もナチス(ファシズム)のイメージだった。
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21世紀の現代、Twitter見てりゃ「アニメや漫画の好きなウヨ」は目立つけど、いかにもウヨが好みそうな
って作品ってある?
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まあ『スターウォーズ』みたいな「話の発端では弱小勢力の主人公が、強大な帝国に立ち向かう」ってな図式は娯楽の作劇として常道だろうけど、それはそれとしても、ウヨの理想に合致するエンタメってほとんど見あたらない気がする
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たとえば『ONE PEACE』は海賊だから、主人公は国家権力には反抗する立場、巨人族や魚人などの異種族に差別的な奴は悪役と決まってる。
つか、『デビルマン』から『亜人』まで、エンタメ作品じゃ人外の怪物(差別されるマイノリティ)の側の視点に立った作品の方が多い気がする。
ヒラコーの『ドリフターズ』も力による征服や支配を肯定する男性原理全開なのに、エルフとかドワーフとかの人外被差別種族には優しい。
『攻殻機動隊』も『PSYCHO-PASS』も主人公は警察官ながら国家権力に忠実かと言えば、国家権力の方が悪者みたいな描き方だった。
主君への忠義を描いた『忠臣蔵』だって幕府権力には逆らってるから切腹させられてるし、逆にそのせいで江戸の庶民には人気があった
『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』でも警察権力より泥棒のが格好いい。
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職業軍人が外敵と戦う『進撃の巨人』はウヨに受けが良さそうだけど、主人公が属する軍隊組織の中枢はずっと腐敗してて、憲兵隊は正義ではなく、敵の巨人は異民族異人種ではなく同じ人間というオチだった。
まあ現在は右派の方こそ「自分ら=少数弱者/サヨク&外国=巨大な権力悪」ってイメージなんだろうけど、それって完全に左翼の世界観じゃね?
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じゃ、ウヨに人気ありそうなミリタリ系はどうか。『艦これ』の深海棲艦は連合国か人間ではない異種族なのかといえば、じつは死んだ艦娘らしいと暗示され、のちには連合国艦艇が味方キャラで出てきた。
ガルパンでは、帝国陸軍らしい知波単はアホの子扱いで、米英とかの連合国をイメージした他校も悪役っぽくない。日本のウヨ的には、知波単が最高に格好いいヒーロー役で、プラウダとか卑劣な最低のクソ学校じゃないといけないんじゃね?
臆面なく日本の軍隊バンザイを全面に出してる作品て、『ゲート』ぐらいしか思いつかん
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追記:戦前の亜細亜主義みたいな多民族連帯型右翼や、三島由紀夫や戦前の皇道派みたいな反体制的な尊皇思想の存在は知っとるけど、現代ではマイナーな潮流なのであえて省いた。
ここでは話を簡単にするため、ウヨ的とされる要素を、現代のアニメアイコン保守論客のなかでの多数派の特徴っぽい「国家権力(つか自民党政権)バンザイ」「排外主義」に絞った次第。
200時間プレイして個人的に感じたのは、セクハラオッサン臭というか、女性蔑視。
具体的にはいろいろあるんだけど個人的にまったく納得いかないのが、
ゲルド族(腹筋もりもりの屈強な女性だけの民族、町は男子禁制)と、
大妖精(装備を強化してくれる)の描き方。
●ゲルド族
女性だけで政治も経済も防衛もやってるのになんで「恋愛」だけはとことん無知に描くのか……。
制作側の「だがそのギャップがいい」みたいな価値観が透けて見えてキモい。
例えば、ゲルド族の恋愛講師(35歳、男性経験なし)主催の恋愛学校での会話:
・「どんなリクエストにも笑顔で応えるのがステキヴァーイ(ステキガール)になる一歩」
・Q「男性が近づいてきたらどうする?」A1「さりげなくハンカチーフを落とします」A2「足をくじいたふりをします」
・「豪華で手の込んだもの(料理)を作れるよりも残り物でパパッと作れるほうが好感度 UP」
・「ヴォーイ(ボーイ)は完璧なヴァーイ(ガール)を求めつつちょっとオッチョコチョイなのがいいらしいぞ」
・「妖精さんに憧れ清い身を守り続けて35年、そろそろ妖精さんからのお迎えがきてもおかしくないのである」)
ほかにも詳細わすれたけど「守ってくれる強いヴォーイをみつけるんだぞ」的なセリフもあった(町の入口付近)
いやそこは自立した女性を描けよ任天堂。世界のゲーム業界をリードしてくれよ。
女しかいないんだから、むしろ男がいなくても全然 OK でよくね?
恋愛要素入れるにしても、「男は全員狼」的なスタンスでもよくね?
なんでゲルド族の女に「男って実はバカだから恋愛テクで簡単に落とせる」みたいなことやらせるのか。
ゲルド族は完璧な女性に見えても実は……というギャップを作りたいのは理解できる。
でもそのギャップを「恋愛に無知」って設定で表現しちゃうのが……。
●大妖精
各所に防具を強化してくれる大妖精(ケバいキャバ嬢みたいなやつ)がいるんだけど
ケバく書くのは別にいい。時オカ・ムジュラ(N64)時代の名残だから。
でも今回はよりケバくなった上になぜか"ふくよかさ"と"オバサン感"が足されてる。
これもまだいい。
問題は、防具強化のときの演出で、なぜかこのふくよかおばさんキャバ嬢が
参考:https://www.youtube.com/watch?v=9A1-FDokSMo
おばさんって若い子と大胆なスキンシップとりたがるものだよねーってことなの?
リンクが半裸になると女キャラが恥ずかしがるという定番の演出も、
(https://www.youtube.com/watch?v=P9o1tBtNr9k)
リンクがなにを言っても受け入れてくれそうな幼馴染キャラ(異人種)の存在も、
若くしてゲルド族の長を任された幼女キャラの存在も別にいいから、
マジでこれなんとかしてくれ。
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
春は理由もなく侘しさを感じる。積もった雪が道端に僅かに残る程度になり、日々を包んでいた寒さも柔らかい日差しであたたかくなってきた。学生は春休みに入り朝の電車に乗る人もすっかり減ってくる。冬は雪があらゆる音を吸収して静かな日々を作り出すが春はまた別の静けさがある。生き物が目覚めて植物が芽吹く前の静かな力強さ。ここは田舎だ。昼間に家にいると子供たちの元気な声が聞こえてくる。自分が子供だったころを思い出す。友達の家に電話して約束をすることが大半だった。たまに約束もせずに友達の家に行くと留守のこともあった。そのようなときも数人は集まった。それでもいつもの面子は集まらず何となく寂しさを感じていた。意味もなく町内を自転車で回っても町は静かだった。鳥の鳴く声とわずかな車の音だけが響いていた。今地元で一番発達している駅前に行くと大勢の人混みに紛れることが出来る。春になると心なしかあらゆる人が笑顔を身に付けているように見える。自分もその人混みを構成してる一員なのだけど何となく場違いな気がしてくる。逃げるように家に戻るとラジオをかけて本をよんだりする。ラジオにしてもテレビにしても自分とは全く別の世界いる人間がしゃべっているような気がしてきて昔から持ってるCDをかける。そしてあのときの彼はどうしているだろうか、あのときこうしておけばよかった、この辺りも変わってしまったなあなどと思いを馳せる。いたたまれなくなった後に通帳を見たり冷蔵庫の整理や掃除をしたりする。そうなるともう夕方でスーパーに夕食を買いに行く。店内にいるのは家族連れやカップル、学生などでやはり自分とは異人種だなあと感じてしまうけど昼間よりは馴染んでいると思い何となく気分が落ち着いてくる。家に帰って手早く夕食を作り深酒にならない程度に飲みながらBSでやっている映画を観る。そうこうしてるともはや11時を回っている。さて風呂に入って寝るかと湯船に浸かる。リラックスしていること、寂寥感に負けてしまわないようにとふと歌を口ずさんでしまう。口ずさむのはtake on me。サビにさしかかり、テイクオンミーと歌っているとどこからか復唱する声が聞こえてくる。それはとなりの家から聞こえてくる。さっと窓を開けると隣の家の窓も開け放たれていた。そこにいるのは妻子供に逃げられた隣の親父。わざわざシャンプーボトルを口にあてて熱唱していた。負けじと声を張り上げる俺。窓枠をリズミカルに叩きながら合わせてくる隣の親父。歌い終えるとこちらにむかって静かにしかし力強く頷いてきた。そうだ、夜はまだ更けてきたばかり。この一帯には俺と隣の二軒しか家はない。観客と歌手が一体になったショーの始まりだ。マイケルジャクソン、デヴィッドボウイ、エアロスミス。往年の名曲を二人で歌い上げていく。どこから持ってきたのか親父の手には菜箸が握られていた。めちゃくちゃ、しかしなぜか調和を感じさせる菜箸風呂桶ドラム。俺はトリックスペシャルで仲間由紀恵が風呂の蓋を壊して息をしてしたのを思い出した。風呂のふたをぶちこわし息を吹きはじめた俺。情けない音を立てる風呂のふた。しかし隣の親父はニヤリと笑うとさらに激しく菜箸を叩きだした。負けじと強く息を吹く俺。ふたの先に手をあてわずかに音の違いを作り出す。即席のジャズセッションが始まっていた。そうだ、俺たちはどこでだってブルーノートを作ることが出来る。セッションを始めたその場所がニューオリンズだ、ステージなんだ。初春とはいえ夜の空気は寒い。しかし俺たちのセッションはそのような寒さなど吹き飛ばしてしまうほどだ。膝下の湯も俺たちの熱気をさらに上げる。隣の親父が頭を強く振り始めた。同時に肩も更に激しく揺れる。そうか物事には必ず終わりがある。この熱いセッションもいつかは終わってしまうのか。一瞬頭に淋しいが通りすぎる。だがしかしそのような感情に押し負けてこの一瞬を台無しにしてはいけないのだ。最後を美しく飾ろうと鼻から最大限の息を吸い込む。そして体を反らせながら思い切り息を吹き込んだ。窓の外に見える空には明けの明星が輝いていた。俺の息が途切れる瞬間親父の菜箸も終わりを迎えた。息を切らせながら向き合う二人。親父の顔には不思議な満足感が浮かんでいた。きっと俺も似たような顔つきなのだろう。言葉もなく、頷きもなく二人は窓を閉めた。男には無駄な装飾など必要ない。ただセッションした、という事実があればいい。携帯を取りだし会社に仕事を休む旨を伝える。そうだ、俺たちは一人じゃない。一歩踏み出せば必ず心の同士と出会えるのだ。
えーっとちょっと質問が曖昧だったかもしれないんだけど、「思わない」っていうのは、「異人種間の結婚が禁じられてる場合でも、異人種間にパートナーシップを導入して同等の権利を認めれば問題は解決する」っていう理屈をokとする、ってことでいいかな。異人種、は例だけど、要は「同性愛」が問題なのではなく、伝統的な結婚観がぶれてほしくない、という立場。
そういう立場の人がいることは理解できるし、伝統的にそれが多数であることも理解できるよ。逆に、たとえ自分が「思わない」という立場であっても、そうでない考え(つまり、そもそも区別する意味がないんじゃないかという考え)のいる人がいることは理解できるよね。
そのうえで、「あなたの考えもわかるが、私の結婚観とは相容れないし、同じように考える人も現在は多数であるのだから、妥協点としてパートナーシップで今は手を打たないか」っていう話をするなら、そこが出発点かなあ。
これはIDに出自、人種、民族などが表記されていないから起きる問題だ。
単一民族国家である我が国では問題はより一層大きく、近年のハーフタレントがあたかも日本人顔して跋扈してる昨今の状況をみるに事態は予断を許さない。
例えば結婚の際、相手のルーツに日本人以外の血筋が混ざっていないか確認し、非日本人以外の血筋を持つものと純粋な日本人との結婚に一定の注意喚起を設けるシステムを公的に導入すべきではないか。
もちろん愛しあう異人種間の結婚を制限するという全近代的な法規制など人権の見地から問題外だが、望まずに自分の家系が純粋な日本血統ではなくなってしまうことを避ける事ができ、よって我が国における日本系日本人のマジョリティー的立場を堅持できるのではないだろうか。
特にここ最近は安倍政権の成果として在日朝鮮人に対する特権排除が進んでいるが、一方では帰化する在日が増えているという。
私は偏狭な人種差別主義者ではないので天皇陛下と我が国に忠誠を誓い、愛し、国籍を得ようとするものを拒むことは全くないのだが、異国にルーツを持つ国籍保有者が増えるということは、我々の純血を保つ上では大きな脅威となりうる。