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はてなキーワード: 男女平等とは

2022-09-12

anond:20220911191430

根本的な理念・目指しているものは「男女平等」でしょ。流石にそこを歪ませるのはフェアじゃない。

「どうもそのように見えない」と思うなら「どうもそのように見えない」と批判すべき。

2022-09-11

家事の分担

あのさー。家事について、既婚女性の夫への愚痴を見るたびにモヤモヤするんだけど。

家計折半の家庭での家事分担の揉め事と、専業主婦または夫が主な家計を担ってる家の家事分担の揉め事は別物だよ。

あと、総合職で実績のある女性出産によりキャリアダウンした際の絶望と、一般職パート職の女性出産後のキャリアへの羨望は別物だよ。

その辺りを強引に一纏めにした、家事育児男性参加要望女性キャリアについての意見違和感を感じるし、憤りすら覚えるよ。

男にも家事育児平等にして欲しいと言うなら、そもそも自分旦那と同等程度には稼げる事が前提じゃ無いのかな?

それと同様に、女性経済力妊娠出産までの)を求めるなら、男性も同等に家事出来る事が前提となるけど。

妊娠出産は女しか出来ないか必然的にそこで女性キャリアダウンや退社するのは仕方ないけれど、そこまでは同等に働けるんじゃないかと思うよ。

稼ぐ事も、タスクに盛り込んで、役割を分担するのが本来の家庭の運営じゃないかと思うよ。

稼ぐ能力を身につけない、家事も一人で完結できない、そんな人が男女平等を語るのは、ちゃんちゃらおかしいぜ。

お前の妻は、お前を養う父親じゃないし、

お前の妻は、お前をケアするお母さんでは無いのやで。

anond:20220910201813

日本で「今活動しているフェミニスト」って言ったらああい人達を指すの

男女平等女性の多様な生き方を目指して活動をしている人は「私はフェミニストではない」と言い出しているの

フェミニズムは男にとっても利益がある

今後日本徴兵制が再導入されると、北欧諸国のように女も徴兵されて戦場に送られる。命の男女平等が進むのは男性にとってもいいこと。

日本近代歴史勉強していると、なぜ戦場に送られるのが男性だけだったのか不満だったが、社会的強者であることの負の側面だということが良く分かってきた。

男性にとっての男女平等とは「男の負担もっと減らせ」ということ。

女性社会進出によって、女性にもその負担を分担してもらおう。

過労死自殺率の男女格差が限りなく小さくなって欲しい。

男性優位社会では「男は仕事をして当然」という価値観であり、少なくない数の家事育児をしたい男性意思無視されていた。

フェミニズムから見ても男性の家庭進出大事なので、両者の利害は一致している。

フェミニズム思想が広がれば広がるほど、逆に男性は生きやすくなる社会になると思う。

2022-09-10

anond:20220909140732

大昔の時代男尊女卑にはほんの一理だけあると思う。

当時の人間現代人間から見たら、ほとんどがバカで未開人で頭が悪くプライド高くて偏差値30以下、全員発展途上国教育を受けてないうるさいアホサル

偏差値30以下のアホでプライドの高いサルに言うことを聞かせるには、話して聞かせるよりも殴る方が効率がいい。殴れば殴るほど相手を上で偉いと勘違いしてよく言うことを聞く。

だったら、子供を産まなきゃいけなくて体が弱く殴り続けるとすぐ怪我をする女より、体が強くて殴りまくっても怪我をしにくい男の方が使いやすいと言うわけだ。

このような世界観からまれ男尊女卑を、体も心も弱い男を守れと主張するために使うなんて情けない。

心も体も強くてバカばっかりだから男尊女卑なのか、賢いか対話できる男女平等なのか、どっちかにしなさい。

今時の男尊女卑男はね、弱くて傷つくのが嫌なだけで、責任もないし努力もできない。男尊女卑から見ても叩くしかないクソガキだよ。男尊女卑はね、弱くてダメな男は叩いて躾けるんだよ。

2022-09-09

俺は生涯独身なんだけど、もし息子がいたらやはり男らしく育てそう。

男なら泣くな。強くなれ。でも女を殴るな。女には徹底的に奉仕しろ。こんな感じで。

世の中は男女平等を目指すべきだが、男らしさを捨てた男がどれだけ惨めかは明らかになってるからな。

anond:20220909204006

元増田を読んで、このエネルギーはどこから来るんだろう? と思っていた。

慈悲的差別が言われだしたのはここ1、2年だ。

ジレット? だかどこだかの髭剃りメーカー有害な男らしさを打ち立てて話題になった。

はてなでも非モテ論壇というのがあって2012年くらいに傷の舐め合い、をやっていた。

そのエネルギーは、女性たちが手厚く保護される羨ましさからきていると思ってる。

それがアンチフェミによるミラーリングで、男女平等に男にも保護適用するようになった。

ならば、女を大切にしようとするエネルギーはどこから来たのか。

多分、それが本来人間らしさなんだろう。

フェミニズムが、人類史上初めて『人間』を作った。ドロを払い落として身綺麗にしてやったら優しい心が出てきた。

それが『平等』の理念に照らされることで、男性にも波及してきたって感じか。

「警戒されてしまうのは仕方ないでしょ」ってのは全然優しくないし人間的じゃない。

ミソジニーいやさ、社会の歪みの被害者の、ぎこちない悲鳴が『人間』たちの琴線に触れ、ついに賢者を動かした。

男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります

母親や妻についての反応が先述のエントリanond:20220908185524)に幾つかあったので、そこについても書きました。

賛否が分かれやすい「女をあてがえ論」に触れるので、先のエントリに比べて説得力が弱いかもしれません。



過去男性が弱さを晒していいとされてきたのは、母親や妻(この文章の妻は恋人なども含む)に対してだけだったと思います

「男は家の外に出れば七人の敵がいる」という慣用句は、逆説的に家の中にいる母や妻だけは味方のはずだということを示しています

歴史に残る権力者金持ちであっても、愛してくれる女性を求めて身を滅ぼしがちなことに疑問を持った人は多いと思いますが、それは、自分含めて誰からも気遣ってもらえない男性人生の唯一の安息場所としての妻を求めずにはいられなかったからではないでしょうか。

そのような状況について、母や妻に男の世話という役割押し付けてきたという指摘は正しいと思います

ただし、そのジェンダーロールの押しつけを行っているのは男性ではなく、女性も含めた社会全体であることには注意が必要です。

男を気遣ってあげるべきは母や妻だけということは、一般女性にとっても、自分の息子や夫以外の男性の弱さや繊細さを想像する必要はないということですから

社会のいたるところで監督保護を受ける女性と、監督されづらいが保護もされずただ母と妻にだけは保護を期待してよい男性、という構造があったわけです。

母親が息子に対して過保護になりがちなのも、女性ダメ男に「この人は私が面倒見てあげなくちゃ」と考えるのも、社会男性女性男性の味方をしたがらないことを察知しているので、母や妻である自分けが助けてあげられると感じているからでしょう。



それが昨今では、母と妻に負担押し付けすぎだという気づきや、家族解体非婚の増加により、女性社会から監督保護を受けて、男性監督保護も少ないという構造に近づいてきています

これはこれである種のバランスが取れてはいます

しかしこの状況が心身を傷つけられることが少ない強者男性に有利で、弱者男性にとっては厳しさが増していることはわかると思います

そして、フェミニズム的な潮流によって、女性に対する監督は今後減っていくことが期待できるため、「女性社会から保護だけを得られるようになるが、男性監督保護もない」というバランス崩壊した未来を予想する人もいますさらに悲観的なら、男性保護されないのに危険存在として監督だけされるようになると考える人もいます)。

そこで弱者男性からは、男性への保護(と、明言していないが一定監督)を求める声が上がるのですが、それはいわゆる「女をあてがえ論」だという批判を受けやすいです。

私は、男性保護が「女をあてがえ論」に近くなりがちだという点にはある程度頷きます

しかし、「女をあてがえ論」だからナンセンスだし黙れ、という扱いをするのは良くないと思います

「女をあてがえ論」が出ざるをえないのは、男性のせいではなく、社会全体のせいです。

男性ではなく、我々皆が、男性の弱さ辛さを気遣い保護監督を与える存在として、母と妻以外を準備できていないのです。

それは、社会システム面、意識面、能力から説明できます



社会システム面について。

単純に、男性は法や福祉支援を受けづらいということです。

もっと改善が期待できるのはここではあります

個人的好悪ではなく、立法政治的駆け引き職員職務意識が上手く回せれば、改善は着実に訪れるでしょう。

ですが同時に、効果限定的だとも思っています

児童支援女性支援貧困支援障害者支援を見ればわかる通り、現実問題に対して福祉焼け石に水であることは否めません。(それでも水をかけ続けることは大事ですが)



意識面について。

母と妻に負担押し付けすぎだと現代人は気づいたと書きましたが、しかしその一方で、男の弱さを保護するのは母か妻だという意識は、実は大して変わっていません。

現代の「ジェンダーロールから解放」を表現する物語であっても、大抵は、男性が辛さを吐露して受け入れてくれる相手は妻や疑似配偶者であることに、端的に表れています

「母や妻に男の気遣い押し付けるのは良くないよね。でも男なんかを気遣ってあげられるとしたら母や妻だろうね」という歪な感覚現代意識なのでしょう。

そしてじゃあ母や妻以外に誰が? となった時、誰も適切な答えを返せません。まるでNIMBY問題のようです。

ここに「男性同士でやればいい」と答えようとすると、次で説明する能力面の問題に突き当たります



能力面について。

母と妻以外に男性の弱さを気遣う存在として、男性があげられることはあります

しかしそれは能力的に困難です。

先述のエントリで書いたように、男性は様々な場面で粗末に扱われる人生を生きていくためには、自分に対しても他人に対しても気遣う能力を退化させざるをえません。

多くの男性ケア能力は既に鈍麻し退化させられているのですから男性同士が集まったからといって気遣いあえるわけがないのです。

から男性の集まりは、競い合うライバル関係、お互いの得意分野を見せ合う趣味の会、外部に発見した敵と戦うことで一体感を得る集まりなどになりがちで、弱さへの気遣いをしあうことができません。

ならばケア能力を退化させずに生きてきた人たちが手を貸すことが望ましいですし、男性能力を失っている以上その中心は女性になるでしょうが、それは「女をあてがえ論」だと言われてしまうわけです。



男性にも社会から監督保護ケアを与えようとするのであれば、女性が、自他を気遣う能力師匠をやる時期がしばらく必要だと思います

師匠存在は、「ずっと女に押しつけておけ」というものではなく過渡期として必要施策であり、悪しき「女をあてがえ論」だと否定するべきではないでしょう。

100年後くらいに、気遣う能力を潰されずに中高年になれる男性も増えたら、男性同士での気遣いも、気遣い能力教育可能になり、女性ばかりが師匠をやらなくて済むようになるはずです。

(私個人は、先述のエントリで書いたように基本的には男女ともに監督保護も少ない男女平等の方が実現可能性が高いと思っていますが、男女ともに監督保護が増した世界を目指すならこのような考え方がいるだろうという思考です)



このエントリは、前のエントリに比べて同意を得られないでしょう。

特に、一番同意されないのが、男性自分たちを気遣う能力喪失しているか能力のある他者が助けなければいけないという部分だと思います

しかし、そこがもっと男性能力のなさ、即ち男性の弱さと助力の懇願を赤裸々に書いたパラグラフのはずです。

男性の多くは、この分野(自他を気遣うこと)においては自分達の面倒を見る能力喪失させられている」までは前のエントリで書いたことと同じであり、一定同意を得られたはずです。

ですがそこから「なので、能力が鈍磨させられづらい人々が助ける必要がある」というSOSになると、一転して反発され、助けなくていい理由や、他者集団を頼らず自分たちの中で何とかすべき理由が沢山考えられる。

プライドなんか捨てた方がいいというアドバイス世間に沢山あるけれど、いざプライドを捨てて金の無心を始めた人間に対してはみんな冷たくしはじめる、という状況を連想させます

男性の弱さが世の中に認められづらいという傾向は、このような抽象論のうちは同情されても具体論として実際に助力を求めだすと拒絶されるという現実にも強く表れており、それが男性たちの「結局弱い男なんて誰も許さないんだよ」などの捨て鉢言葉に繋がってしまうのではないでしょうか。

anond:20220909185638

まさにまーーんさん割だな

男女平等に五月蝿いフェミさんもこういうのにはダンマリ

anond:20220909140523

男だけが奢れるほど稼げていたのは昔の話し。

今は、男女ともに稼げなくなった。

男女平等観点から、等しく貧しくなったのが現実

anond:20220908185524

これ去年も見た増田anond:20210505162132)じゃん。でも丸コピかと思ったら結論部分変えてんのね。変わった結論には賛成。俺も「女を男並みに自由だけど粗末に扱う」方向で行くのがいいと思う。これは去年レスした通り(anond:20210505191016)。

その上で、重箱の隅として。

フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別問題視されづらいのです。

これはまったくフェミニスト側の言い分が正しい。国や社会個人に過剰な口出しをするのは控えるべきで、可能性を狭める方向の「保護」や介入は言語道断だ。

からコロナ禍で女性自殺率が上がったと騒がれていても、なお男性の方が多く自殺しているのだから女性自殺率の上昇は国や社会として気にすべきではない(男女平等に向かっているだけ)ということになるはずなんだけど、なぜかフェミニストはこれに騒ぎ立てたんだよな。あいつらわけわからん

(男女問わない包括的自殺防止プログラムはあってよいという意見もあるかもしれないけど、著名人自殺報道に関してWHOガイドラインとやらを振りかざして表現規制しようとしてくる連中が大勢湧いてくる現状ではどう考えても過剰な自由の統制にしかならないので反対。経済好転とか、闇金の取り締まりとか、学校教員を増員して各学級に副担任を必ず配置するとか、学級を固定せず流動的にすることでスクールカーストの発生を抑止するとか、そういう間接的に自殺を減らす方向での対策を行うべきだ)

しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります

個人が何を警戒するかはそれこそ自由なので、男を警戒する女がいてもよい。もちろん、それに対してこちらが配慮する必要もないので、男は堂々と夜道を歩けばよい、というのが俺の結論

俺は夜道で前を歩くのが男か女かで対応を変えたりしない。向かっている方向が同じならそのまま後ろをついて歩くし、歩くの遅いなと思ったら追い越すし、目の前でエレベータが閉まりそうになっていたら「待ってください」と声をかけて同乗しようとする。これらはすべて前を歩くのが男なら当たり前のことなのだから、女に対しても同様の対応をするだけだ。

そこで女側の言い分を聞いて「怖がらせてしまうと申し訳ないな」などと思うのがアホらしいと思う。何を怖がるかは個人勝手だが、普通に歩いていただけで怖がられたとしても怖がられた側に一切の倫理的責任はない。「私は青いシャツを着ている人が怖いんです」という弱者がお前の街にいたら配慮するのか? バカバカしい。そんな感情は怖がる側の責任でどうにかしろ、以外の言葉がない。

なので、

私の主観的意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っている思想なので、保護よりも自由安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています

という結論には大賛成だ。俺は男女平等を強く信じている。女は男並みに扱われるべきだ。一人前の人間に対する過剰な保護は要らない。もっと自由平等社会にしていこう。

2022-09-08

セックス出来ない女に金を使うべきじゃない

当たり前の話なんだけど

セックス出来る女にだけ金を使って

セックス出来ない女は男と同じ扱いにするべきだと思うんだよね

これが一番シンプルで世の中上手く回るシステムだと思う

セックス出来ない女は男と同じように普通にボコるしパシリにする

セックス出来る女は金を使うし大切にする

それじゃないと何故か女なんだからってことで特別扱いされて当たり前、暴力は振るわれるべきじゃないって思い込むんだよ

男と男の間では当たり前のことじゃん

力のないやつは虐げられるし利用される

ちゃんと女も同じように扱うべきだと思うんだよね

セックス出来る“かも”で優遇するのは間違ってると思う

これを法律では無理でも慣習やモラルとして普及して実践していかなきゃ

いつまで経っても男女平等とか成り立たないと思う

男性が受ける差別とは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです

男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。

男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります

同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。

から世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています

それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています

保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。

家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。

それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴無視される差別として働いています



若者が遭遇しやす実例として、バイトサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。

男性は帰り道の安全心配されることは少ないです。

これは、男性の方が不安心配事が少なく、お節介干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます

しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります

実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。

でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分不安や恐怖に気づけなくなります

しばしば指摘される中高年男性自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分苦痛不安認識する能力社会破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。



他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます

たとえばトイレ

男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキング海釣り森林浴を想定してください)

不安羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまます

たとえば「男の人がいれば安心だね」という言葉

この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります

一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性感情最初から考慮されていない。

このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります

そうならなければまともに社会生活ができませんから

夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。

最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性区別することは本人にすら困難です。

この論法は「たとえ当事者男性差別否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。

ネットでは、男性セルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性セルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。

セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人セルフケア能力を育て直すため、社会反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。

しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています

男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。



男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。

ホルモン文化的影響による男性の特徴は色々あります

腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力共感能力の低さ、など。

しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。

統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります

そして、フェミニズム弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。

性犯罪男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズム弱者男性論は真っ向から対立しています

統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います

もっとも「社会運営するにはマクロ視点統計的差別必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。



今までも男性差別については、男性加害者として認められやす被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨セクハラ暴力事件がほとんどです。

それも由々しき問題ですが、男性差別根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。

特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います

フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別問題視されづらいのです。

女子供は弱いか保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。



この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係恋愛経済ジェンダーロール面の困難や、弱者男性存在自体不条理否定される、などの論点対立しません。

警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係恋愛関係ハードルを上げます

経済的貧しさについては、一般的貧困問題に加えて、男性公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります

男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。

弱者男性自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。



また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。

現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。

少なくとも私は、男の乳首露出NGしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人ちんちんポロリシーンやハゲネタダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。

男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性女性くらいに保護する方向と、女性男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。

細かな調整が必要問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。



あくまで私の主観的意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています

人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性ケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります

エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!



追記

母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。

男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因がありますanond:20220909191646)』

anond:20220908103115

正しい

から男女平等という誤った思想を広めようとする差別主義者はきっちり叩いていこう

2022-09-07

anond:20220907221325

女が男と同じだけ下方婚しなければ男女平等にならないのはわかりますか。

anond:20220907112557

実際そうだと思うし、そういう男女差別主義者がいてもいいと思うんだけど

なぜかそういう主張をする人って別の場面では反差別男女平等主義者を名乗ったりして、その場に応じて仮面を使い分けたいと思ってるみたいなんですよね

2022-09-05

anond:20220905152040

uberでもuber eatsでも、男性より女性の方が稼ぎが少ないことが証明されている。

時間当たりの稼ぎでも、女性の方が少ない。

道路ハンバーガーが不当に女性差別しているからだ。

建築会社ハンバーガー屋は、男女平等道路ハンバーガーを作るべき。

2022-09-04

anond:20220904195852

普通に男女平等価値観を持っている世代ほど、古臭いパターナリズム要求するフェミニズムに反発している」ってだけだと思うんだけど

2022-09-03

anond:20220903151002

それは認知の誤りってヤツですね

金と権力があるヤツ、金があるヤツ、飛び抜けた能力のあるヤツ、異様に世渡り上手orガッツのあるヤツ、

この順番でいなくなる。世界中どこでもな

 

増田の注目すべきポイント男女平等徴兵制度

ノルウェーとかスウェーデンとかイスラエルとかまだまだ少数派だから

anond:20220902231107

あんたみてーなのが足を引っ張ってるから男女平等指数いつまでも上がらねえのよ

専業主婦を志願する輩は国の恥だと自覚して欲しい

国際社会に顔向け出来ない

2022-09-02

人間って動物男女平等のほうがあっているのでは?

最近思うのだが、

動物として男女別役割が正しいそうすべきのように言っている人がちらほらいるが、

人間には構造男女平等のほうがあっているんじゃないだろうか。

家事育児男性進出社会への女性進出での成果をみると能力的には男女差が少ないような気がする。

2022-08-31

魅力のハードルを超えられる男性は少ない

魅力的な男性は魅力的な女性と比べて絶対数が少ない。

この自然状態の中で、女性たまたま好意を持った相手男性が既婚者である確率はかなり高い。

既婚者と恋人関係になるのは許されないという意見は、現在法律に従っているのは分かるが、あまり自然状態無視した酷な言い方ではないか

そこに愛があるのなら、少なくとも一夫多妻婚を認める方向に進めないか

形だけでも男女平等体裁を揃えるために、多夫一妻婚も認める必要があるが。

anond:20220831133407

オマエ絶対引くなよ

セクハラとか言っとけば「勝てる」と思ってるクソまんこをきっちり型にはめろ

男女平等の元にきっちり詰め上げろ

泣こうがわめこうが絶対に許すな

オマエがリスクを背負わされてることを理解しろ

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