はてなキーワード: 甲状腺とは
ヨウ素入ってるらしいので
すなわち甲状腺ホルモン合成が抑制されて、甲状腺機能低下を招きます。
多くの人は一過性ですが、元来甲状腺に病気を持っている人や一部の健康人においても
甲状腺機能低下症を招くことがあります。甲状腺ホルモンを作るために、1日に摂取すべきヨードは、0.15mg程度です。
日本人は、元来、海藻を料理に使うため、ミネラルとしてのヨードは多く摂っています。
また高血圧や高脂血症に効能があると、根昆布水が宣伝されており、それらを習慣的に摂取していることでもヨード過剰になります。
吐き出しです。
退職届を提出した私にいい放った一言は「キミは元々戦力外だから」だった。
地元で期待されて上京し、そこそこいい大学と職を得て、仕事が大好きで一番に優先させて、同僚にそこそこの信頼を得ていた筈の私は、ある日突然無能になった。
退職後検査をしたところ、鬱と糖尿病と甲状腺異常患っていた。毎日喉の渇きと倦怠感と眠気が酷く、体を起こすのに気力がいる。退職して半年経過するのに、毎日14時間以上眠っている。まだ眠い。私は本物の無能になってしまった。
残業時間が過労死ラインの2倍を超える。研修無し。管理せず責任をとらない管理職。社長室に呼び出されたら最低30分は怒鳴られて人格否定される。1年間で離職率は50%を越えた。ここには書けないことが山ほどある。
会社としての体を保ててない。
私が社会人として甘かったことと能力が低かったのは確かだが、それでも前職場がおかしかったということは分かっている。
思うに私は突然無能になったわけではない。元々無能だったのだ。そして、私が無能になってもおしまいにならないのだ。
不思議だ。わたしが死を選ばない限り人生が進んでいく。あの日睡眠以外は全て仕事に費やしていたわたしと、今のわたしは同一人物なのだ。無能は無能なりに人生を歩んでいくしかない。
今日はせめて午前中は起きておきたいな、がんばろう。
私も似た感じで『出来ない状態なのにストレスでさらに出来ない状態』になって
結果鬱でもないしでも症状は鬱に似てるしって精神科に通院してたんだけど、
1年後くらいに鬱っぽい状態なのは甲状腺と自律神経だったってことがわかった。
状態が良くなって『出来ないことがさらに出来なくなった』って思い込んでたんだけど
出来ないことは元々出来なかったし、今まで出来てたって思い込んでたのはミスしないように対策してたのに
病気が悪化して対策する余裕なくしてたので対策するようになってマシになったよ。
マシになったんで「理解してないのに理解してるふり」も自然としなくなった。
上手く仕事もできなかった時は一生このままかって絶望感が酷かったけど
状態が良くなった今は、なんとかなる(なんとかしよう)みたいに前向きになれたし。
なんかおかしいな?って状態は妄想や勘違いじゃないからきちんと病院行かなきゃって思った。
あと、病院に行ってもよくわからなかったってこともよくあるっていうのも知った。
生活がうまくできない。
部屋が片付かない。週末に片付けて翌週金曜日にはぐちゃぐちゃ。机に書類、ソファに衣類、床に髪の毛、シンクに食器。
家事ができない。ロボット掃除機も電気調理器もあるのに、ボタンを押す元気がない。シーツ替えも玄関風呂トイレ掃除も数か月できない。
健康管理ができない。昔から体調が悪く、改善のため運動しまくった結果体を壊し、体に良い食事を追い求め、ストレッチ、ヨガ、マッサージ、整体、鍼、ダイエット、睡眠の質向上、婦人科や甲状腺の検査を受け、いろいろ原因を探ったけどとにかく体が弱い。わけわからん。いつも寝不足で具合悪くて泣きたい。瞑想はよかったけど習慣化できず。
時間管理ができない。スマホ依存から抜け出せない。1日の終わりには仕事でイライラしてるのでスマホで意味ないものを限界まで検索しまくってしまう。読みたくもないものを血走った目で読み続けて廃人のようだ。
体調が思わしくない時、病院へ行くか否かどうやって決めたらいい?
本当にしんどくて病院へ行くんだけど、検査とかしても何も異常が見当たらなくて「精神的なものでは…」って空気になるのが怖い
というのも、前に息苦しくて胸の辺りにも違和感があって溺れてるみたいな状態になった時に病院へ行ったら甲状腺の検査しようって言われて、また別の日に結果を聞きに行ったら看護師さんから「まだ症状あるんですか?」って訝しげに見られたのが地味にトラウマで…
その時は結局何の異常も無かったから、面倒くさいヤツと思われてしまったのか…とか色々考えてしまった
こんなことでウジウジ被害妄想してる時点で精神的なものなんじゃないかと思うけど、ここのところまた苦しくて胸がズキズキするから不安でたまらない
タイトルのとおり。
不妊症だった。正確には不妊になりやすい別の病気なんだけど面倒なのでここでは不妊になりやすいということだけ伝わればいいし不妊だったって表現にする。正確じゃないけど許してね。
不妊ってわかって最初に思ったのは正直安心感だった。だって子供が欲しいと思って、そういうことを期待して色々な努力をしてきて2年、一度たりとも妊娠検査薬は陽性すら見せなかったから。当然一年経ったくらいで夫婦共に検査に行った。別にお互い不妊原因はなにもみつからなかった。検査費用は高かったけど原因がないといえことだけわかって、更に頭を抱える羽目になった。
明確な不妊原因はない、でもその時点で約1年半陽性にすらならない。周りの友人たちはどんどん妊娠し出産し父や母になってTwitterやInstagram、Facebookで子供の写真や子育ての愚痴を呟きまくっていた。自分はそこまでにたどり着けていない。でも閉ざされているわけではない。子供が欲しかった。だから頑張るか悩み続けた。悩んだ末に仕事も変えた。やりがいのない仕事になった。休みは取りやすかったから排卵や生理に合わせて検査や注射するために直前申請での半休を使ったりすることもできた(不妊治療をしてるなんて言いたくなかった。まわりが産休目前だったり、育休明けで時短の人が多かったのもあるし、「子供はいいよー」って飲み会でよく言われてたから、それを封殺するのが申し訳なかった。)
立場が変わったのは今年の健康診断だった。会社で受ける普通のありふれた健康診断。あれで引っかかった。もう30も過ぎたし不摂生がたたったかストレスかななんて思っていたら、甲状腺疾患だった。しかも割と進行してた。甲状腺疾患の薬は女性ホルモン薬。症状が落ち着くまではホルモン量の調節に時間がかかる。病気が分かってからは病院通いが増えた。結果はあまりよくなかった。生理が10日ではじまったり、かと思えば50日経っても来なかったり、とにかくボロボロだった。当然排卵なんてわからない。というかこの時点で子作りなんて難しかった。
この状態はいつ治るんだろうとふと考えて医者に聞いたら、一生付き合っていくものですね、とか言われた。定期的にホルモンバランスなんかを確認して薬の調節をして…という感じらしい。えっ。それどういうことなの。安定したら綾香みたいに幸せになれるかもしれないけど、それって今30すぎた私からしたら何年後の話?
そろそろ義実家や実家に帰省するたびに孫を連れて行けないことについて罪悪感が強くなっていた。どちらの両親もとてもいい人で何も聞いたらしなかった。でも孫は見たかっただろうと思うことは結婚当初に言われたことがある。それを知っているから申し訳なさで泣けてしかたなくて、帰省の日が近づくと胃がどうしようもなく痛くなった。
色々考えて、我々夫婦は子供を諦めることにした。もういいよね、と、お互いに思っていた。正直疲れた。そして、2人の生活も楽しかった。だけど孫を見せられないこと、まわりが子供の話をすること、それを目にしたり感じた時だけは未だになんとも言えない罪悪感で潰されそうになってしまう。少子化問題云々の話を見るとチャンネルをかえたくなる。会社で時短や育休の人の話が出るとなんとなく気まずくなる。仕事中も他の部署の人から「子供ができるとわかりますよー」とか言われたら勝手に傷ついてそのは一日中陰鬱な気持ちになってしまう(トイレで泣いたり吐いたりすることもあった)。気にしすぎだと分かっていても気になる。
子供ができない。別にもはや欲しいわけではない。でも子供がいないということによる圧力を勝手に感じてしまっている。夫に対しても「本当は子供欲しかったんだろうな」とふとしたタイミングで思っては許しを乞いたくなる。いっそ殺してくれとも思う。
産む機械にすらなれず、仕事はドロップアウトしてしまい、何事にも精力が出せない自分が嫌で嫌で仕方ない。もうどうしたらいいかわからない。不妊様という単語も知っている。不妊様にはなりたくない。もうどうしたらいいのかわからない。とりあえず辛い。だれか助けて欲しい。
自分も生来無気力で、30手前になって死ぬ気力も失せかけた頃ネットで「甲状腺機能低下症」という病名を目にし、症状がいくつか当てはまったので近所の内科で検査してもらったらまさにそうだった。
2ヶ月くらい量を調整しながら薬を処方してもらったら、安定して一般人と同じように行動できるようになった。部屋の掃除や料理のような、日々やるべきことができるようになり、仕事もあまり滞らなくなり、休日に外出しようという気持ちが生まれるようになった。
5年くらい薬は飲み続けたが、今は飲んでいない。緩やかに無気力な自分に戻りつつあるのを若干感じてはいるが、もしまた死ぬ気力も失せたら病院に行くかそのまま餓死しようと思う。