竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。
腹が立つのはフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれにフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。
私は五人兄弟の次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。
その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場を経営し、腕輪やクシを作っていました。
その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区の夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。
工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。
そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。
休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。
その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。
戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。
ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。
星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。
こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。
終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシンの注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。
これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。
ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州の炭坑で二ヶ月ほど働かされました。
石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。
そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。
ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。
日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死の覚悟で日本へ戻ってきました。
一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社を設立し、自転車のハンドルグリップをセルロイドで製造し、販売しました。
以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。
その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会からの資金融資は韓国人業者としては第一号だと思います。
一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています。
私は、金属、木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品は世界のブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています。
一九六〇年頃、日本と韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関の祖国産業視察団の一員として、初めて祖国を訪問しました。
公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。
懐かしい山河の景色、幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。
その感激もさめやらぬ時、町から一キロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気も水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。
《故郷のために何かしてやりたい》という衝動にかられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして
事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木やスピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。
人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れず世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています。
これまで、通産大臣や府知事、税務署長などの表彰を受け、韓国政府からも国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます。
現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売と韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています。
◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイ・スポーツ用品を製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー・水泳用品を主力としたスポーツ製品を製造・販売し、輸出による外貨を稼いで祖国の経済発展に寄与しています。最近は中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています。
兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。
私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金を支給しています。
その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています。
いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。
振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子供夫婦、韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。
三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。
外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。
私たち韓国人は、税金も人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というものは生存競争のなかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。
私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。
何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。
]]>そもそも今の状況では人間が銃でも戦車でも核でも使えば一方的に犬を絶滅させられるので、生存競争の点でも人間は犬に勝った状態。
この人間と対等に戦争できるような武器を犬は作り出せないほど知能のポテンシャルが本当に低いのか?身体の問題なのでは?と思ったわけ。
]]>生存競争や
]]>血が濃くなると様々な障害が発生するのはご存知の通り(ハプスブルク家がいい例)
成体になっても集団生活する動物は、「近親者への欲情を抑制する機能」がある。
そうでない者は、障害持ちの子孫を残し生存競争に敗北したからだ。
では、どうやって近親者を判定するか?
匂いでわかる動物もいるらしいが、人間の場合は「第二次性徴期の前に、長い時間一緒にいた」というのが判断基準になる。親やきょうだいがこの判定に入る。
姉妹持ちの男が「姉妹モノは無理」というのは基本的にこの判定によるもの。姉妹という関係がいかに萎えるか体感しているためである。
逆に「一緒に育たなかった」場合、近親者判定が発生せず、恋愛する可能性が高まる。
確か幼い頃に生き別れの父娘が大人になって再会したとき、付き合うパターンが何件かあったはず……
ちなみに野生で集団生活しないような動物は平気で近親交配をする。
猫なんかはいい例で、餌だけやって去勢せず放置すると父親が発情期の娘を犯しまくる。猫屋敷が発生する原因の一つである。
猫(の祖先は)は本来単独で生活する。野生生活の場合、親は子の成熟が近くなるとイラつき、子供を縄張りから追い出す。そのときオスは放浪を始める傾向にあり、親子は離れる。結果として近親交配が避けられる。
しかし都市生活(≒人間にメシをもらえる)の場合、メシの場所に生存圏が固定されるため、オスは出戻りしてしまい、結果として近親交配が起きやすくなる。
猫は家につくのではなく、メシの場所に居着くのだ。
それとトラなんかは面白くて、親(メス)が子育てする期間が子供の雌雄によって異なる。オスの子供のほうが短く、メスの子供のほうが長い。明らかに近親交配を避けるためである。(猫もそうかもしれんが知らない)
とにかく、人間は成体になっても集団生活する生物だから近親交配を避ける「判定基準」が存在するからということです
]]>童話の内容って結局現代社会の縮図だ。
我々は生存競争と銘打って実はみみっちいことに日々命をすり減らしているだけなのかもしれない。
]]>はっきり言って教え方が悪いと言わざるを得ない
anond:20240108094200のような白が囲っているとも言えるし黒が囲っているとも言える!という疑問はある種当然と言える
===============
盤上にある石は絶えず攻め合い(HPの削り合い競争・どちらが先に取られるかレース)をし生存競争をしている
生き(二眼、攻め合いの勝利、セキ)を確立できなかった石以外は全て死に石となる
(ゲームの進行上、生きを確立できなかった石は最終的に必ず取られてしまう詰みの状態なのでそれがわかった段階で諦める)
図1 △が死に石
終局を確認したら死に石を取り上げ、次は空点に注目する。
死に石を取り上げると、空転の連続したグループは必ず、
「黒石のみに接しているグループ」「白石のみに接しているグループ」「両者に接するグループ」に分かれる。
図3
◯はグループに隣接する色が黒のみ、□は白石のみ、△は接する色が2色
記号の中の色は連続した空点のグループを色分けして図示したもの
連続した空点が一方の色のみに接する箇所がその色のプレイヤーの地である
(セキの空点は2つの色に接するので自動的に除外できる)
中国ルールなら「地+盤上に残った全ての自分の色の石の数」が得点となりwell-definedな説明が完了する。
日本ルールならここからさきほど取り上げた死に石、およびアゲハマ(ゲーム中に取った石)を
相手の地の中へ返し、残った空点の数のみが最終的な地(得点)となる
これで「地」の概念を混乱を与えることなく説明できる。
ただしこのシンプルでwell-definedな説明だと眼ありセキの眼の部分が地になってしまうので
日本ルールの場合はセキ部分は眼があっても0目という例外対応が必要
一言でまとめると「自分の石だけが生存できる領域」が自分の陣地となる
純碁から入ると冒頭で言ったような誤解は生じづらく、最初からこの説明の世界観から入れるのでオススメである
]]>なんでたたないだけで生存競争に負けるんだよ
]]>可処分時間少ないんだからその分セックスの時間も減って少子化になるに決まってんだわ
性欲のバケモンと専業主婦させるハイスペしか子孫残せんやろ
生存競争に負けて辛い
]]>一般推し活女性が責められる ⬅︎ イマココ
↑ ↑
↑ 男性アイドルたちが被害
↑
男性オタクがフェミに責められる
↑
フェミが性的消費に怒る
↑
女性が男性オタクに性的消費される
↑
女性が男性オタクを無視する(非モテ男性の誕生)
↑
女子にとって近寄りがたい男子になる
↑
普通の男は男同士で遊ぶ
↑
女子は野球部の部長みたいなオラオラ系男子ばかりに目が行く
↑
メスは強いオスを求める
↑
動物の生存競争
↑
生命の「多様性」という生存戦略
]]>「優秀な遺伝子が生まれたら、そいつが永遠に繁殖し続ける」というのも悪くない気がするけどなあ
それをやると結局は寄生生物が防御機構を突破して、一度突破しちゃうとあとはフリーライドされ放題になる。
だから優秀な遺伝子であろうとも、変化し続けなければ生存競争で勝ち抜けない。
これが言葉としては有名な「赤の女王仮説」ってやつだね。
]]>日本の女性の「何か」がこうしたコンテンツへの消費に駆り立てるが、それは韓国・台湾を始めとするアジア圏の女性へさえもリーチできない日本社会に特殊な要因なのだと思う。そうした特殊要因で消費されるコンテンツは、日本社会でも一部でしか消費されないような固有の安っぽさがあるが、景気動向に左右されにくい一定の集客力はあるので、コンテンツ業界・エンタメ業界等々で影響力が増えて、気がついたときには日本社会でコンテンツやエンタメが供給される構造の重要な要素となってしまっている。
その「何か」は何なのだろう
etc
良く分からないが、そうした日本の女性社会の特殊要因はある程度特定していったほうが良い気がする。特に、形成される競争が、嫉妬を基調として、ゼロサムゲームになりやすいので、日本社会でこうした層の集客力を使う場合は、注意したほうが良いと思う。
宝塚が海外公演で成功しないだけでなく、世界的な女優を生み出してこなかったのは、費やされたエネルギーが女性の表現力向上というよりは女性の組織内部の競争にあることを示唆している気もする。「応援」されることは、そのコンテンツの魅力への評価というよりも、今後生み出すコンテンツを特殊要因へと引きずりたいというような意思表明と捉えても良いのかもしれない。バレーボールもジャニーズを使って集客は出来たが、競技人口も増えないし、世界ランキングもあまり変わらないし、地道にバレーボールの魅力を伝える努力をする方にリソースをさいたほうが良かったかもしれない。
ところで、「高学歴」「高収入」「社会で一定の地位」な日本の女性が増えているが、ジャニーズや宝塚でコンテンツ消費したり、(新興)宗教の布教をしたりすることに、時間を費やす方はどれくらいいるのだろう。
]]>やっぱ資金力って神だわ。
まあモンスターヴァースってストーリーはあってないようなものなんだけど、ゴジラ-1.0はぶっちゃけストーリーもマイナス評価みたいなもんじゃん?
永遠の0みたいなのを現代価値観でやられてもそれってもう当時の日本人に対しての冒涜じゃん?
「馬鹿で洗脳されやすいから天皇陛下サイコーでカミカゼしたアホの集まりですよ」みたいな事言われてもソレは違うじゃん?
日本という島国があの時代を生き延びるための本気のハッタリじゃん。
生存競争の中でビビって完全に諦めた奴にはもう負けしか無いっていうか。
麻雀でオーラス3位のときに「4位になったら最悪だからガード固めておこ」とかやってたらもう一生カモにされるだけだから攻めるしか無いみたいな。
未来からやってきた人間の価値観を昭和に逆流させてそれで当時をぶった斬るのやっぱ違うと思うんだよな。
ゴジラVSコングはそういう狡っ辛いの全部無いから。
ただ怪獣がブンドドして終わり。
潔い。
]]>いつだって相応しいないだの下品だのとクレームを受けてきた。
それでも回避しながら新しい笑いを探してきたんだ。
あらゆる芸術は、表現 ➡︎ クレーム のプロセスを通ってきた。
きっと時代にそぐわない分野は、細って途絶えてしまったものもあるんだろう。
感想は人間の自然なあり方だ。弱肉強食の生存競争は甘くない。
でも、未来ある本物のエンタメは、必ず道を見つける。
萌えとかエロでこれを言うと、何故か突然知能が劣化して理解されないんだけどね。
多分、自分たちの愛するサブカルチャーに自信がないんだろうね。
]]>学校って、ほとんどの人間が経験してるけど、複数を比較することは難しい
そういう話題ではみんな自分の経験が全てだと思って語りたがる
]]>https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2246254
この記事を見て思い出したんだけど、アイドルや声優に
「腐営業(腐売り)」
「百合営業」
といった概念があって、それは何かというと、アイドルや声優が仲の良い同性のメンバーや友人としきりにイチャイチャしてみせる言動のことである。
なんでそんなことをするかというと、メイン顧客である異性ファンにウケるから。
アイドルや声優に夢を見たい人たちは、異性のパートナーの発覚を恐れている。ゆるく同性愛っぽさを演出することで、そういう余計なノイズ(隠れて異性の恋人や伴侶がいるかも?)が浮かびにくくなるのだろう。
「この人は熱愛とか結婚とかの報道が出ることはないに違いない。だって○○の事が一番大好きなんだし!」
と純粋なファンをだまくらかすことができるのだ。もともと本当に仲が良いからできるというのはあるにしても。
百合営業が行き過ぎたのか、エイプリルフールに二人でウェディングドレス着て「結婚しました」というファンサ投稿を行った乃木坂のアイドルたちは一部で炎上してしまった。(それで炎上する是非はわからん)(そもそも本当に愛し合って結婚した可能性も)
そういうカモフラージュ(?)抜きにしても、女性であれば男性同士が、男性であれば女性同士がイチャイチャしているのを見るのが楽しいというのがまずあるだろう。ぜひそんな世界があってほしいという願望がある。
専門用語では「わちゃわちゃ」というらしい。ぬいぐるみがじゃれ合ってるみたいな感じだろうか。わからない感覚では決してない。
ちなみに似た路線で「非モテ営業」というものもあり、「俺(または私)はいつも女(または男)に相手にされないんだよ~」「モテたいよ~」とアピールしたり、非モテエピソードを連発することで、やはり異性ファンを安心させられる効果がある。
超人気声優の神谷浩史が毎週ラジオなどで絶妙にイメージを落とさない程度の非モテ営業を行い、女性ファンから「神谷は本当モテないんだから可哀想w」「安定の非モテw」と支持を集めていたが、
実はこっそり女性漫画家と結婚しており、子供までいたという事件もあった。非モテを心配してたファンは良い面の皮である。
いや非モテでも結婚してて何もおかしいことはないのだが(大半の既婚者は別にモテない)、異性人気で売っている既婚者が既婚であることを隠して、異性ファンへのサービスとしてやることではない。
(本当にガチの非モテのアイドルなり声優なりも中にはいると思うけど、今どきそれをファン向けの持ちネタにするのは感心しない)
で、こういうのって、必ずしも別に仕事だから「だけ」でやってるとも言い切れないんだよ。
人間は異性の目を意識した「演出」「サービス」を無意識に行うことがあるじゃん?
アイドルでも声優でもない一般人でも、半ば無意識に「異性へのサービス込みで、同性とイチャイチャ(またはわちゃわちゃ)してみせる」という行動はあると思う。
あるいは女子のいる前でだけ普段の何割か増しで、友人に対してやや乱暴に馬鹿っぽく振る舞ってみせるとか、その逆パターンも見かける。
ここでようやく最初の記事に戻ると、ブコメで「共学だけどそういうのあったけど」というのは、むしろ「共学だから発生していた」という面もあるのではないだろうか?
そしてそれをパッケージ化してビジネスにしているのが、「仲間の普段の関係性をそのまま見せる」系のグループ型YouTuberだと思っている。
「(異性向けのやや過剰な演出が入った)普段の関係性」を出し物にしているというか。
「女子が期待する男子校のリアル」「男子が期待する女子校のリアル」ね。例の漫画家氏もそういう感じするんだよなぁ。女性読者をターゲットに「これが男子校のリアルな実態です」と売り込んでいる感じ。
例えば「女子校の実態を描いた漫画がとてもリアル」と称してきらら系萌え漫画か百合漫画みたいなふわふわしたエピソード披露されたら、オタク男子向け百合漫画みたいな会話が描かれていたら、
女子校出身者も「いや、女子校のリアルな実態は主語でけえわ」「そんなん見たことも聞いたこともないわ」ってならんか。どっかにそういう学校が実在するにしても。
余談として、ジャンプラで大好きな漫画に「正反対な君と僕」という作品があるのだが、
・男子だけでゲーセンではしゃぐ様子を動画にとって「マジ?撮ってるの?www」といった茶番を女子に送る
・女子が修学旅行先の風呂で友人の胸の大きさをうらやましがったり、触ったりする
といった描写があり、「こういうのみんな好きなんだろうな」と少し引いた。
俺はヤンマガやスピリッツみたいな男性向け漫画誌に載ってる「男子学生の友情や会話」に違和感持ったことは全くない。
が、女性が好んで読む漫画における「男子学生の友情や会話」には「ええ……」と違和感持つことが多い。
別にフィクションなんだからなんでもいいんだけど、それを「リアルな実態」みたいに標榜されるとね。こういうの、性別反転したら急に理解してくれる人増えるんじゃなかろうか。
男ってこういうの好きなんでしょ?女ってこういうの好きなんでしょ?と提供される異性描写コンテンツに対して。
そういうの好きだけど、あからさまに狙って提供されると引いてしまう感覚。
>id:WinterMute 正反対な君と僕で描かれるそれは普通に実際ある。そういうのがない文化圏もあるし、別に矛盾しない。◯◯営業はファンサービスの一種。自然にやってる場合もそうでない場合もある。増田は現実の多様性を見失っている
ある・ないの話はしてないんだよ。「異性受けする友情描写」の例として挙げたに過ぎず、別に実在を疑ってない。男性に好まれる「女子同士の関係性」像として描かれることが多く、こういうのが受けるんだろうなと思っただけ。矛盾ってなんの話?何と何が矛盾?
○○営業については「自然にやってる場合もそうでない場合もある」のが当たり前であり、全く異論はない。主観の話なのはわかってるが、「明石家さんまはたまにパワハラっぽい」とかと同じ程度の感想だよ。
>id:te2u 仲がいいことを営業に見立てるという捉え方がわからないので、それらの言葉は周りが勝手に言っているだけにしか思えない。その上で、当人の仲の良さを言葉通り営業と見做して批判するのはもっとわからない。
俺もわかんねえよ。仲がいいのは単に「仲がいい」だろ。そういう次元の話じゃなくて、意図的に同性愛を匂わせるような、過度なイチャイチャがあるんだよ。
例えば同性の友人を「嫁」と呼び、季節のイベントごとにプレゼントを渡し、泣きながらハグ。それらのイベントはSNSを通じてファンに向けていちいち全部発信する。リアリティショーに近く、明らかに「コンテンツ」として供給している。
またそれを享受するファンもいて、需要と供給が確立されている。それが全部「素」だと思ってる方がピュア度が高いと思うが。
営業という言葉じゃなくても、タレントが「こういうキャラで売ろうとしている」っていうのは実際に「ある」ことだろ。「おバカキャラ」「キレキャラ」とかね。
テレビのバラエティとか見てると、学校とか会社とかではまず見かけないレベルの過度なキャラ作りってあるだろ。その一環でしかない。
「単に仲の良い二人」ってレベルなら営業なんて言葉生まれねえし、普通の学校とか実社会で見かけるレベルの友人関係を営業とか言わんだろうよ。
>id:eringix 芸能人は知らんが一般人にまで全ての行動は異性を意識してするものであるって当てはめるのやめて欲しい。
「全ての」ってどっから出てきたのかわからん。俺は言ってないよな。なんで勝手に自分で前提を足して、その足した部分に対して文句言うんだよ。自己完結してくれ。
>結婚とモテは全くの別物ですぞ。
???俺もそう書いているじゃねえか。常識ですぞ。
> 異性づきあいがダメ、同性もダメっていうなら一体誰と仲良くしてみせれば...
「ダメ」ってどっから出てきたのかわからん。異性とも同性とも仲良くすりゃいいだろ。まったく文句ないぞ。ただただ微笑ましいわ。
俺の文章の中に、良いとか悪いとかいった価値判断や何かへの批判があるとしたら「既婚者の非モテ営業は感心しない」ぐらいしかないぞ。
ただまあ、あえて持論を言うと、アメリカみたいに、男女問わず現役アイドルも普通に現役のまま恋愛・破局、結婚・離婚しまくるのが当たり前になればいいと思うよ。ももクロの人が現役のまま結婚したのなんかは良いモデルケースだろう。
アイドルオタクや声優オタクの異性愛アレルギーはなんかそのうち事件とかになりそうだし、売る側も是正していってほしいね。過度な営業行為はそこに逆行してる。
よくバズった人が「一定以上に広まると全く文章を読めずに食ってかかってくるクソリプばかりになる」と言うが、容易に想像がつく。キリがないんだな。
>id:tasknow こういう人ってホモフォビアをこじらせてるだけで、眼差しの全てがヘテロノーマティブに極度に固執してるなあと思う。
む。これはどういうこと?むしろ同性愛者の方が、こういうヘテロによるビジネス同性愛みたいなもんに怒ってるのをよく見るのだが。乃木坂が炎上したのもその文脈だと理解している。
「営業じゃなくて本当に愛し合ってるかもしれないだろ」という意味なら、たしかにその可能性はあるな。その点までカバーは全然できてない文ですまんね。しかしファンが求めてるものは作り物のビジネス同性愛じゃないかね。
補記:俺の好きな某アーティストは、「自分はバイセクシャルだ」と自称しながら長年いろんな異性とばかり付き合っており、ひょっとしてキャラ作りかファンサービスで言ってみただけなんじゃないかと邪推している。クィアベイティングとかになるのか。→https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196 これ読むと水星の魔女も該当しそう。マジョリティによる搾取と盗用というか、つまみ食い?
>id:kalmalogy ”この人は熱愛とか結婚とかの報道が出ることはないに違いない”このオタクの知能をバカにした前提が完全に嘘(そんなピュアじゃない)なので読む価値なし。関係性の物語を楽しんでいるだけ。プロレスに近い
ピュアじゃないオタクもいればピュアなオタクもいるだろう。プロレスだってガチガチの真剣勝負だと思ってるファンはいるわけで。そういう意味ではあなたも主語がでかいんじゃない。
先日、なにわ男子メンバーの熱愛報道が立て続けに2件出て、トレンドにジャニーズファンたちの怒りと失望の声が大量に上がっていたんだが、
彼女らは(今このタイミングで)「ジャニさんの言葉を噛み締めて反省してほしい」とか言ってたんだよね。それでそのジャニさんの言葉ってのを見てみたら「恋愛するのはアイドル失格。恋愛したければアイドル辞めてからやれ」みたいなこと言ってんだよ。
AV女優を先輩アイドルと奪い合うのはダメなのに、ジャニー喜多川のレイプは良いの?という疑問がまず湧いたけど、思うに「女とセックスするのは許せない」「女と付き合うのは許せない」という話なんだよね。相手が男なら何してても気にならないという。
これは無論女性オタクだけじゃなくて、男性オタクも「相手が男なら許さないが、百合ならオッケー」みたいな奴が多いんじゃないの?
オタクがそんなだからタレントも腐営業とか百合営業とかを隠れ蓑にするというのはあると思うよ。オタクの知能とかいう話じゃないんだよ。どんな物語を欲しているかという話。異性愛がタブーになってんだよね。でも恋愛要素は欲しいみたいな。
プロレスで言うなら、ファンの前では真剣勝負のふりしていてほしいし、そのためにいろんな安心できる材料(コンテンツ)を提供してほしいという感じじゃないかね。
>id:kagecage 正反対の君と僕は「みんなの見たい男子像/女子像」というより「みんなが体験した(又は見聞きした)青春像」を提供しているので人気がある。そういう意味では全てのコンテンツは(臭みの有無はあるが)営業的ともいえる
そうだね。俺もだいたい同様の認識で、「あるある」の精度が一般的なあるあるよりも細かすぎて伝わらないような心理の機微、その描き出し方、毎回すげえと思って読んでるよ。
「あるある、けどその心理があるあるであることを、これ読むまで意識してなかったわ」ぐらい微妙な心理描写があの漫画の良さだと思っている。人間関係の距離感とかすごいよね。アズが「鈴木の友達」であったナベとサトと、自分の友達として一緒に買い物に行く回なんか泣いちゃうわ。
しかし、例え好きな漫画でも、長く読んでりゃ誰だって「ん?これは安易だな」「ステレオタイプだな」とかなんとか思う瞬間はあって当然だとも思う。好きな作品や好きなアーティストでもなんでも、「最高傑作で大好きだがこことここはちょっと合わんな」とか。まあない人はないんだろうが。「正反対~」は違和感ポイントが皆無に近い部類だけどね。
女性が目にしている「ちょっと乱暴な口調で、男同士乱暴にスキンシップし、バカ騒ぎする男子グループ」は、ある種のサービスなんだよ。本当に男しかいない時より、ちょっとサービスで盛ってるの。「殺すぞ(笑)」という率が上がる。
どうも、出発点が見失われがちなので、もっかい問題のまとめのタイトルを貼ってやるよ
男子校の”姫ポジ”の実態をその姫本人が描いた漫画がとてもリアル「定位置はみんなの膝の上」「生存競争がとても過酷」
「男子校の“姫ポジ”の実態」「姫本人が描いた」「とてもリアル」「定位置はみんなの膝の上」「生存競争がとても過酷」
↑これらに対して突っ込んでるんだよね。たまにふざけてちっこい奴を膝の上に乗せたことがある、ってレベルの物言いじゃないんだよ。
定位置とか生存競争とか、俺は「狙って盛ってる」と感じた。
]]>専門家が、きのこは胞子を運んでもらえて共存共栄なのではないかと解説してたけど、今朝続報のニュースを見たらエゾシカも毒キノコを食べる様子が映像に残されたって話だった。
毒が人間以外には効かないとしたらのこキノコはなんのために毒を持ってるんだ。
そんなに人間に食われないことが生存競争に有利だったのか。
]]>生命は全部増えることを目的としているので結果なにかを殲滅することはあっても殲滅が目的の生物はいない
3種目以降はその殲滅目的のものが出来てしまう
LGBTなんちゃらもそれが問題
別に誰が何を名乗ってどの性別が好きでも問題は全然ない むしろ全員まじってつながるなら最高
どれが嫌いだれが嫌いといって自分の増殖行為を阻害されてるわけでもなく増殖する気もなしに攻撃を始めるのは生物として異常
害を与えるためだけに生まれてくるものなんていないはずなんだけど性別を3種目以降にすることでそれになってる人が現にでてきてもいる
【追記】
殲滅は前提なしに出す言葉としては不適切だった
基本的に取り込まないからの排除からの「接触すると徹底排除」が殲滅だと言いたかった
LGBTQ+も話題の範囲に近かったので手っ取り早くあげてしまったのは不適切だった
イカでもエイでも宇宙人でも「人間」という種別として取り込んだときと言及するに面倒だった
単純な話3種類目以降が別の生物の生態系だと考えてみてほしい
形がヒトのそれだから なまじっか言葉が理解できるからという形のものから人間そのものまで
みんな分かり合えるとおもうのだろうけど 現状でさえ宗教が違うというだけですら人間でもニンゲン扱いしないんだよ
創作の話でいうと超能力をもった人間と旧来の人間とかスターウォーズとかスタートレックとか
なぜみんな交配しあわないのかなってまず思ったりするのならば人間ほどの複雑さをもってしてもmRNA生物並みに生存競争してるのかって驚異的ではあるけどね
複雑さが増すほど差異は境界としての意味をもたなくなり寿命は長くなる
社会という単位で言うと性別は2種を内包するが地球上でも200とか300とかの単位で寿命は1000年も2000年もある
地球という単位だと億という年単位で生命という分類をがざっくり水上と水中くらいにわけれもする
単純になっていけば短い期間でどんな生物にも結合して変化し次の世代を残していく
人間という生物が基本的にそういう構造をしているというだけで人口的に生命を生み出せば人間の観測範囲においてはそんな境界線はなくなるかもしれない
男性が好きな高校生の漫画とかゆるい百合とかジャンプの漫画がホッテントリに時折あがる時でさえ性別がと
LGBTQ+の記事もあがるけど性別がと 関係ないのだからほっとけばいいし好きにさせておけばいいのにそれですら「当事者でないところからの干渉」をしてるよね
3番目以降の生態系が干渉を抑制や排除ではない方向で扱われる状況を目の前でみることができるのは寄生生物みたいなものがあるけども
人間があれを許している領域はほとんどないといっても過言ではないほどに狭いのではないか
人間がもっと蕩けて一つになるくらいならばより広い範囲になるかもしれないしより人間的であろうとするならばどんどん性別は減っていくというかすでに2種なんだがというところだろう
【さいごに】
コメント等ありがとうございます
排他的になる第三というのは「日本語でOKとかまったくわからんとか正しい生物学の」と付けていただいた話のそれです
なぜ融合してどうなるかわからないにしても結果を生産しようとしないのでしょうか
ご自身の持っている定義に合わないから「排除」を開始するのですね
自己の確立と存続のために
わからないから理解しようとしない 種が違うから結びつかない
わからないなら関わらなければよいのになぜ共存しない目的で関係をしようとしてくるのかということです
生命はこれまでそのおはなしにならないものをバクテリアの時代から分解し吸収し融合して生物が進化してきました
増殖したり進化したり共存を試みようとしなければ関係をせず離れていくだけで済みますし結果離れて存在はなくなっていくわけです
だれとでも何とでも溶け合おうとするなら性別は数えきれない対象と結びつきをもつでしょう
その関係を性別とするなら多すぎて意味を成さなくなります
認めた相手と共存を求めることやそれを守る事のために他者を排除しようとする結果が人間の男女2種なわけです
人間の種類が少ないということは転じて人間という定義がそれだけ幅のせまいものだという事です
イルカも熊も人間だとオスとメスがあるので人間と認めるのかと言われたらどうでしょうか
今回はこの話題で三番目が存在したとして
主観とそこからみた利用する他者の2者関係以上になると第三者はその関係性に対し自己の保持のために積極的に取り込まないという行動をとる例が見れたと思います
わからないからまず攻撃してみるというのはSF映画でも定番になるほどあります
例として多くありますし攻撃的になることが悪いわけではなくその構造に従った一般的なものなわけで
より複雑で優先度が高いために得るための確度をあげようとして攻撃的になることもいたしかたない部分もあるかと思います
人間には3番目の選択がもう取れないところまで進化してきているのではないでしょうか
種の規模で見ると全体の破綻を導いてしまう自己否定的なものは1者でも2者でも発生はします
性別という個の状態で見る規模でいえば人間の関係性で似たものが垣間見れるという事です
実際今回の状況を話題をはさんで双方という2つにおいて1つの議題という目的を持った状態に対し関係をもってくる第三者は基本的に破壊的だという話でした
]]>①宗教がなぜ対立するのか
②ユダヤが勢力として話題になるのはなぜか
これを説明するに足らない話で歴史みたいなものを語ろうとしても言ってる本人も聞いてる側も全くさっぱりだろうよ
第一に宗教がなんでそんな闘争の根幹になるのかって生活基盤だから習慣や財産の定義そのもの生きていくうえでものさしだからそれを曲げられたり折られたりする危険についてはまじで根絶やしにしてそれを正義の証として代々伝えて守るべき定規の目盛として刻んでいくからだよ
日本人にはお家が根絶とか忠臣蔵が近いものだろうけどそれでさえ風化するほど安全で平和だからだれも理解できないわけだけどフィギュア捨てられるとか人生否定されるの種族レベル版というか、容認したら歴史から消えて白紙どころか紙そのものも残らないからただ生き抜くということのためだけに定義をもったものが宗教でそれを基準に生きるためにそれ以外と共存する方法が相手の殲滅と自分の歴史に刻んであげることだけだからこれはまじで種が安寧な日本人にはどうしてあんなに猟奇的になれるかわからないものだろう
ロシアウクライナの話ですら降伏したらとか気軽に出るからな
じゃあ宗教が死ねって言ったら死ぬの?と言われたらまじで死ぬんだよ
アニメみれなかったら死ぬの?と聞かれてまじで死ぬやつの心境にちかいだろうよ
そこに大義がある、自分の歴史を白紙にされず残しておくためになら消えて無として生きながらえるよりって選択かもしれんね
まず宗教って言い方じゃいいきれない人生の定義、財産とか自分の記憶のすべてがそこに定義してあるそれをまもるためだから戦争にもなるんだよ
陸続きの国の歴史はそんな否定と肯定の血の歴史でどの宗派がどうとかじゃない
一度ぶちあたったら最後まで殺し合って生き残ったものが殲滅もしくは勝利の証明としての贄として取り込むかしかない
話せばわかるなんてことは日本ですらありえない話だが日本はどこにいっても日本人と誰でもおなじ習慣と定義をもつ日本人どうしだからそこまでしなくても生きていけるし死ぬわけでなし否定されてもいいじゃないとか考える
厳密にいうと宗教が原因というわけではない
宗教という単位で種の生存競争になってる
解釈とか定義とか神学とか文化でどうにかなる話じゃない
第二にユダヤ人がどうのというはなしはしょっちゅう出てきて皆おなじみだからユダヤ人といっとけばなるほどと思うんだろう
じゃあなぜユダヤ人がと毎回話題になるんだ?
計算できて頭がいいからなのか?
他の民族がそんなに話題にあがらないのはなぜだ?
それは宗教の形態からだろう
ユダヤ人の強みは組織力
パソコンやGPSが出回る前から聖地を地球規模で配置してワールドマップで組織化してる
どこに散らばっても結束できるから機動力が全然違う
同じように侵略しては教会を建ててそこにマップを開いていこうとキリスト教が構成されたが基礎構造が全然違う
固定の聖地でセントラルキッチン方式でウォーターフォール式に組織があるのと点在して暖簾分け方式で同じ屋号だけ点在しているチェーンでは回帰の精度が全然違う
モスクに通っていれば組織に利用してもらえさせてもらえる
もちろん生活レベルで証明が必要なので生き様をもってして共存共有できる
この歌とか愛とか心が一つになればなんとかみたいな組織化の理想形を生き方を縛ることで可能にしたというのがユダヤなわけ
インターネットに散ったデジタルタトゥーをどうやったら対処できるかみたいな話のようにどこのどんなユダヤがと話をしてもそんなものは意味がない
宗教として出来て完成してそこにある宗教組織を否定する方法を同じ手段で構築されたほかの組織が持ち得るわけがない
それを言い出せば自分の存在も否定せざるを得なくなるのは当然
より大きい方だけが勝ち残ることになる
ただの2つの要点だけとりあげたがこのほかいくつもの前提に加えて地域や情勢のほかにいくつもの条件が絡んでバランスを保とうと足掻いてる
金がないパレスチナがなぜ巨大な精鋭を手に入れたのか、それがどこからか透けて見えるところはわざわざ顔を出すわけがなくどこなが仲介してる事くらいは想像に易く、また普段はどこにも重い腰だった国がやたら高い機動力で高度に対応をするだのし始めただのといえばうまみがどこにあるかは隠しきれないだろう
猿が理解するのはそれをふまえた上でだ
]]>建前上やってはいけないことになってるからモラルに欠ける人間が有利になるという
糞みたいなスクリーニングになってるんだよね
オリエンテーションで明言してみんなが効率よくいじめる戦略を立てるべきなんだよ
バトルロワイアルだって殺し合いですって最初に説明したし
]]>たとえばインボイス制度。
「納税という手段が目的になっている」みたいに言われてたりするけど、これを考えた税務署からしたら納税こそがまさに目的そのものなんじゃねえかな。
納税そのものが目的だから、その作業が結果的に日本の国力を下げることになろうが、将来的な納税額を下げようが、直近の納税額さえ伸びれば税務署は仕事の目的を達成したことになると思うんだよな。
少なくとも直近の10年ぐらいを逃げ切ってその間の評価で退職金が決まる税務署トップの人達にとっては。
集団全体で見たときの手段が、それを担当する小さな集団の中では目的そのものになりがちなときにこういうのは起こりやすいんじゃないかな。
コストカット部門にとってコストカットした実績こそが目的だけど、組織にとっての目的は利益を増やすことでコストカットは手段でしかないはずなのに、とかね。
同時に組織の利益追求は投資家にとっては利鞘を得るための手段でしかないから、無理にそれを進めた結果その組織が崩壊しようと彼らはさっさと売り逃げればいいだけと思ってたりする。
そういった生存競争を煽っているのは個々人の消費者の集合体である市場経済なわけで。
そしてまたそういった個人はそれぞれの組織の中でそれぞれの組織目標を達成するための構成員でもあって。
こうやって順繰りに見てくとグルグルとループしているのかなと。
ある集団にとっての手段はそれを達成することを目的とした小さな集団によって行われ、それがある程度小さくなってくると今度はそれらの目的意識がマクロな集合として機能していく流れ。
主語(主体)を少しずつ変えながら手段の目的化が行われるのはそうした循環における当然の帰結なのでは?
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