はてなキーワード: 生存権とは
→自殺を肯定的に語るフレーズも、断固否定するフレーズも、びっくりするほど画一的ですよね。自分の人生という超個人的な話なのに。
これ、覚えやすくて使いやすいフレーズだから流行ってますけど、根拠がなんにもない上に論理的に破綻してますよね。
いや、文字通りに自殺って人を殺すことですよね、という話ならそのとおりですけど。でもだから他人を殺すのと同様罪深いですよ、って詭弁ですよね。普通に。殺人が罪なのは人が他者の生存権を侵害しているからでしょ。自分の生存権を放棄することでしょ。なんでわざわざ大変な思いしてる人をあえて傷つけるような言葉の暴力振るうんだろう。無神経だな。
これも詭弁ですよね。あなたの家族が死んだ、だからあなたは傷付いた、だから自殺はすべきじゃない。
交通事故でも、他殺でも自殺でも家族の死は悲しい。当たり前です。それなのに自殺のときだけことさらに「だから自殺は良くない」それがどうしてか。他の死因と自殺の差は「自分の命を立つほど思いつめた気持ち」。それが辛いからことさら自殺は辛いというのなら、その辛さのぶんは、本人が生きている間耐えた重みとイコールでしょ。じゃ、その間にできなかったことの方を悲しむべきでは?
死者の家族に文句言ってるわけではもちろんありません。本人を救うことなんてだいたい周囲の人間にできない。でも、死因が自殺であることの辛さイコール死ぬくらいの辛さが死因であること、ということをすっとばしてあっけらかんと「家族はこんなに辛いから自殺するな」って、それ思考停止も甚だしく、まさしく死者を鞭打ってないですか。
○私も昔は死にたかった。けど、年をとったら...
これも、意味がない。自殺の理由は年齢、持って生まれた性質、社会状況によって様々で、私も、十代、二十代、三十代、各タイミングで全く別の質の死ぬしかないという確信を持ってた。
そんなのファッション雑誌の「この服はこのカラーがおすすめ」程度にしか一般性のある話でしかない。いやいや、ひとそれぞれ何色かは違うだろうよ。
本人か周囲が宗教を持ってたらその説明で納得かもしれないけど、無神論者の人がそれ言ってもお笑いです。いやいや、大体の宗教、信者じゃなきゃ救われない、って設定だから、自殺しなくてもあんた自身が地獄行きだよ?人のこと言ってる場合じゃないだろう。
自殺はよくない、を既存の論理で説明するのは無理なので、上記反論をしたとしても、結局「だめなものはだめだ」「そんなの理屈でどうこういう話じゃない」ってセリフになり、しかも言った方が正義。いや、さっきまで理屈で論破しようとうだうだ言ってたの自分でしょうが。なんでこんな時だけ、子供を言いくるめられると信じ込んで無茶な理屈を振りかざすカーチャン状態になるんだ。あなたは普段からそんな失礼な議論をしてるの?仮にも生きるか死ぬかっていう本人にとって一番大事な決断を本気でしようとしてる相手に対して。ちょっと顧みてほしい。でもこんなセリフを厚顔にもいっちゃう人は多分人を自殺に追い込むことに抵抗がない人なんだなとは思うから、自分を顧みてはなんて言ったとて、何言われてるかさっぱりわからないんだろうなとは思う。
世の中にはびっくりするほど、自殺は良くない、この理由からだ、的な議論にあふれていて、それが、しかもでたらめな論理構成なのに、そしてそれを言われてわけもわからず傷つけられている人がたくさんいるのに、ノストラダムスの大予言みたく市民権を得ている。
ホームレスの話で何故すぐああいう中身の無い偽善的結論がまかり通るのだろう
収入の無い者にも生存権や文化的で健康的な生活を送る権利はある
それが生活保護であったりホームレスシェルターであったりするわけだろう
ここまでは当然だ
しかしそこから何がどうなったら路上や公園を占拠する権利なんか発生するんだ
しかしホームレス支援のやつらの話は明らかにそういうことではない
永続的に公園を占拠してわがまま放題好き放題やらせろ当然の権利だと来る
そんなわけねーだろいい加減にしろ
なんでああいう道理も合理性もない滅茶苦茶な主張をするのかさっぱりわからない
ホームレス自体はともかく支援団体の思惑については推測できるところがある
要するに彼等は世間や官憲に嫌がらせをして闘争ごっこを楽しみたいだけだ
だからなるべく人に迷惑がかかる、迷惑の規模が大きい「解決策」を好んで採用する
あなた、わたしが「議論するのが面倒くさい」と言ったら「議論出来ない」(anond:20180927135356)と勝手に読みかえたよね。
議論を「面倒だ」と思う=「議論に足る精神力すらない」=「議論できない」
そのくせ、LGBTの人たちの批判を、「相手の論を曲解している」(anond:20180928120547)とLGBTの批判を無効化している。
LGBTという概念を知らないで、LGBTを批判するのは「曲解」どころの話ではないし、
そもそもLGBTとは一般人の世界に入り込もうという闖入者であり、
その概念すら知れ渡ってない存在が自意識過剰・被害妄想な曲解で杉田議員を攻撃することへの問題提起が小川論文。
「LGBTそのもの」ではなく「連中の振る舞い」を否定するのに理解はいらないし、理解の強要は一般人へのセクハラ。
まあ、そもそも新潮45が(あなたの定義で言う)「批判」をしたLGBTは「生存権」のある人で、表現ではないから、新潮45に対する「批判」とはまったくレベルの違う話なんですけどね。
LGBTへの批判は生存権を脅かすものではない。ここで生存権を持ち出すこと自体があなたの論理的でないことを表してる。
「犯罪だから」は、あの器物破損、たぶん新潮社の看板について言ってるのだと思うけど、あれは犯人捕まってないし、その属性も、思想もわからない現段階でうんぬんするのは早計。
デモは違法ではないし、暴言って具体的に何よ? もしLGBTの人の内に暴言、犯罪する人がいたとても、それを「LGBT」という属性に帰結させて語るのは、
相手の発言をことごとく「差別」と断じて封殺を図るのは「暴言」と呼ぶのも生易しい。
そして今回の件で多くのLGBTやその支持者が杉田議員や論者たちに暴言を吐き、ヘイト呼ばわりしてるがそれをいさめる良識あるLGBTはほぼいない。
これはLGBTという属性の人たちの大多数が優遇をもとめ被害妄想に走っている証左と言えよう。
このようにあなたの「批判」「排除」「差別」という言葉の使い分けは、あなたのお気持ち次第なわけで、そこに一貫した論理はないわけだ。
あなたこそ、LGBTが一般人にしてる「排除」「差別」を「批判」「犯人は分からない」などと正当化してる。
つまんねぇ返しだな。
わたしたちの話がすれ違ってばかりなのは、あなたがわたしをバカにして聞く気がないからだと思う。
あなたは、わたしに論理的な話ができないって言うけど、あなたこそ出来てない。
あなた、わたしが「議論するのが面倒くさい」と言ったら「議論出来ない」(anond:20180927135356)と勝手に読みかえたよね。
そのくせ、LGBTの人たちの批判を、「相手の論を曲解している」(anond:20180928120547)とLGBTの批判を無効化している。
自分は「わたしの言葉を書き変える」のに、あなたはLGBTの人が「相手の論を曲解する」ことを許していない(これはわたしが「LGBTは『相手の論を曲解する』と主張しているわけではない」)。
このあなたのお気持ち次第な振る舞いは論理的な振る舞いと言えない。矛盾し、一貫性のない振る舞いだ。
わたしが、LGBTが行なう批判は「排除」するのか、それは差別ではないかと言ったら
あなたは、LGBTの批判は「曲解だから」「犯罪だから」、「批判」の範疇ではないと言う。
なるほど、ではまず
「新潮45」10月号の86ページを見てみよう。
LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい。
と言っている。その前にはえーっと何か、共産党やマルクス主義が人類に多大な犠牲をもたらしたうんぬん、と書かれている。
LGBTという概念を知らないで、LGBTを批判するのは「曲解」どころの話ではないし、
ついでに言うと、左の人の「安倍政権」という言葉を目にした瞬間、右の人が機械的に発する言葉「陰謀論」と同じである。
あなたの論理で言うと、これはLGBTに対する「批判」の範疇を超えているよね。
まあ、そもそも新潮45が(あなたの定義で言う)「批判」をしたLGBTは「生存権」のある人で、表現ではないから、新潮45に対する「批判」とはまったくレベルの違う話なんですけどね。
「犯罪だから」は、あの器物破損、たぶん新潮社の看板について言ってるのだと思うけど、あれは犯人捕まってないし、その属性も、思想もわからない現段階でうんぬんするのは早計。
デモは違法ではないし、暴言って具体的に何よ? もしLGBTの人の内に暴言、犯罪する人がいたとても、それを「LGBT」という属性に帰結させて語るのは、
このようにあなたの「批判」「排除」「差別」という言葉の使い分けは、あなたのお気持ち次第なわけで、そこに一貫した論理はないわけだ。
総合して、あなたの論はとても矛盾と勝手な理屈、お気持ち次第で溢れていて、まったく論理的ではない。
なんかすごいショックだった。
もちろん頭ではわかってたんだけど、心のどこかで、セックスは生存権であり、セックスという結果が保障されるべきと思っていた。っぽい。セックスできない俺は弱者で、なぜならそれは炎天下にクーラーがない部屋で生活を強制されてるようなものだから。
クーラーがない生活保護者にクーラーを付けよという理論なら、俺にだって女の体が与えられるべきなはずだ……と…つまり……申し訳ないけど相手の人には俺のために体を差し出してもらうべきである、という状況があるというか……いやこれ突き詰めたらレイプの正当化になるから勝手すぎるけど、どっかでそういうもんだと思ってた。なんかすごいショック。俺の勝手な思考にもドン引きだが、正直なところ、セックスという結果が保障されていないという絶望感がすごい。部屋にクーラーがないのは仕方がないから耐えてくださいと言われて見捨てられた気分。。
あなたやそのお友達がそう思うと、LGBTの権利が守られるべきか否かはまったく別問題ですし、
LGBTの方に共感できない、と、ここでわたしに言われても、「へーそうっすか」としか思えないです。
とりあえず青識亜論氏が「LGBT」とラノベ表紙を置換可能としたのは論理的におかしい、
なぜならラノベ表紙は表現の自由の話だが、「LGBT」は表現の自由の話ではない。
もしかしたら「LGBT」は、性的指向つまり内心の話であり表現の自由だ、という主張はあるかもしれないが、
「LGBT」の「T」トランスジェンダーのインターセックスは、内心の話ではない身体的特徴を備えている。
よって青識亜論氏の「LGB『T』」とラノベ表紙は置換可能は論理的におかしい。
ということは証明されたということでよろしいですな。
「LGBT」は便宜上という使ったというのも、相手のミスにつけ込んだ搦め手だというのは自覚していますが、
青識亜論氏がさんざんそういうことやってきた人だからね。
別にわたしはこれで「論破!」とか思ってるわけではなく、「LGBT」の生存権の筋はちゃんとこれからも考えていきますよ。
とりあえず妥協的に、ここまで。
(わたしはこの点を調べときます。そちら様も議論に勝ちたいだけじゃなくて本当に興味があるのなら調べてみてください)
主体のあるLGBTという存在は「表現の自由」よって保障されているのではない、は納得されてるんですか?
納得されてないんなら以下をお読みください。
LGBTのT、トランスジェンダーの中でも半陰陽(インターセクシュアル)というのがあってですね。
「気持ち悪い」って表明すること=生存権を脅かすっていう論理が現代において飛躍してるって言うのがこっちの意見で
歴史持ち出すなら表現によって弾圧投獄処刑されてきた例なんて世界中いっぱいあるし、男色が武士のたしなみだった日本でも筆禍事件おきてますよね?
あとイラストに描かれてるキャラに人権がないというのは当たり前の話で、むしろ架空のキャラクターを「女性や子供」といった実際の人間と同一視して問題視してるのは規制主張側であって
そこの分別ができてるならそもそもこの問題は発生していないんですよね
ただの絵なので
LGBTに対する嫌悪感情が、その属性にいる人を殺してきた歴史があるからですよ。
ロシアや中国などの社会主義国家も、思想教育や投獄してきた歴史があります。
人として、生存権を持った存在として扱われてこなかった歴史がある。
それに反対するために、LGBTの人たちは団結して、自分たちが存在していい文脈を作り上げてきた歴史があるんです。
もちろん、オタクという属性に対して、嫌悪感情もつ人物が独裁者になれば、オタクの生存権は脅かされるんですよ。
あなたはそんなバカなとお思いでしょうが、ユダヤ人はそれでナチスドイツに大虐殺されています。
LGBTとオタクには、「キモい」という発言によって「差別された」と差別を受けとる主体があります。
しかし、ライトノベルの表紙、そこに描かれたキャラクターは架空であり「差別された」と思う主体は存在しません。
LGBTを気持ち悪いということ=生存権を脅かすってのがそもそも意味不明なんですが
気持ち悪いって言われて生存権脅かされるんならそれこそオタクなんてもう全員生存してないと思うんですけど
キモLGBTって言葉は知らないですけどキモオタなんて言葉はありふれてるわけで
普通に黙って生きてたら誰も気づかないですよね?外見に現れるわけではないので
を同じ気持ち悪いと言うことは同じ「表現の自由」の話だから等価だ
という主張があるけれども、
それは大変な勘違いです。
ですので、気持ち悪いということは、その生存権を脅かすヘイトスピーチになります。
ですので、それを気持ち悪いということは、そのキャラクターを描く自由、つまり表現の自由を脅かす行為になります。
青識亜論氏が、LGBTとラノベの表紙、つまり「生存権」と「表現の自由」を侵害する気持ち悪いを等価(あそこでは置換可能な概念と言っていましたが)に論じることはおかしいと主張するために、
(ここに「殺人を表現する自由」を加えることによって主張がぼやけたという件の社会学者の落ち度はもちろんありますので、件の社会学者は反省してください)
「殺人する自由」に対する嫌悪という極端な例を「LGBT」と「ラノベの表紙」に対する嫌悪と並べることで
「LGBT」と「ラノベの表紙」は「生存権」と「表現の自由」の話であり、これらも等価ではないということを示す為ですね。
すると青識亜論氏らは、その意図に気づかず、もしくは意図的に、
「LGBT」と「殺人」に対する嫌悪を等価とあるかうなんてどうかしていると
本来、件の社会学者が、皮肉表現で指摘しようとした論点とは真逆、つまり皮肉ではなくそのままの表現として受けとられ、
そもそもこの話は「表現の自由」を侵害するラノベ表紙への「キモい」は正当なものかという話で、
青識亜論氏の「LGBT」を持ち出したエクストリームなラノベ表紙擁護により、話がややこしくなっている状態です。
(ちなみに「LGBT」は生存権ではなく、表現の自由によってその存在が保障されていると読めてしまう《なぜなら等価のように並列しているから》
青識亜論氏のTweet自体がそもそもヘイトスピーチなのではないか、という懸念をわたしは持っています。
しかしわたしには性別という概念がどのような法体系で規定されているのかが、わからんのです。
「LGBT」は表現だと言って差別してきた歴史がある、というソースがあれば、ヘイトスピーチだよと言えますが、
そこまで調べきれていませんので、誰か教えてください。)
ラノベ表紙に関しては、あの表紙のキャラクターがあのようなポーズを取ること。
「彼女は自らが女性として生きること、現在の女性規範の頂点に立つことを誇りにする存在だから」