一つの病原体に対して常時抗体を生産することになんのリスクもないとは思わんで
コロナワクチンの接種回数とインフルのかかりやすさ、梅毒のかかりやすさに正の相関があったりするんじゃねえの?
しらんけど
イベルメクチンが万能でないようにコロナワクチンが人体に与える影響が全てポジティブなものだとは思わん
まあ2回くらいは受けてもいいとは思うけど
適当
しらん
人体システムはまだ完全に解明されてない
全てに疑問を持て
]]>関連ブクマ: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20230822/k00/00m/040/214000c
アメリカと日本の大学における理系の研究で、盛んな分野のトップ5をそれぞれ箇条書きにしてお答えします。
アメリカの大学で盛んな理系の研究分野は以下の通りです。
日本の大学で盛んな理系の研究分野は以下の通りです。
一般的に言えば、アメリカの方が日本よりも大学の研究が経済に与える貢献度は高いと考えられます。その理由として、以下の点が挙げられます。
アメリカでは、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが整っており、特にベンチャー企業の創出や成長につながっています。例えば、スタンフォード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などは、シリコンバレーやボストンエリアといったイノベーションの中心地に位置し、多くのハイテク企業やスタートアップ企業と連携しています。また、大学発ベンチャーの成功事例としては、グーグルやフェイスブックなどが有名です。
日本では、大学の研究成果を産業界に移転する仕組みが十分ではなく、特にベンチャー企業の創出や成長につながっていません。例えば、日本の大学発ベンチャーは、アメリカや欧州と比べて少なく、また規模も小さいです。その原因としては、日本の大学の知的財産管理やライセンス交渉の能力が低いことや、日本の産業界が新技術や新製品に対する需要が低いことなどが挙げられます。
以上のことから、アメリカでは大学の研究が経済に与える貢献度は高く、日本では低いと言えるでしょう。もちろん、これはあくまで一般的な傾向であり、日本でも優れた大学発ベンチャーは存在しますし、アメリカでも大学の研究が経済に貢献しない場合もあります。しかし、日本はアメリカから学ぶべき点が多いと思います。
アメリカと日本において、お金を生みやすい研究の分野は、それぞれ異なる傾向があります。
一般的に、アメリカでは、医学・生命科学、コンピュータ・情報科学、工学などの分野が研究開発費の多くを占めており、高い経済効果や社会的影響力を持っています1。
日本では、自動車やロボットなどの製造業に関連する分野が研究開発費の大部分を占めており、国際競争力を高めています。しかし、日本の研究開発費は、GDP比で3.3%と先進国の中で低い水準にとどまっており、基礎研究や新領域の研究に対する投資が不足しているという課題があります。そのため、日本では、エネルギー・環境、生命科学・医療、人工知能・ビッグデータなどの分野において、イノベーションを生み出すための研究開発費の拡充が必要とされています。
]]>いやその子が寝てただけかもしれん
俺がするしかないのか、何教えれば良いんだろう
避妊、法律、海外の事例、男女差、妊娠
動物のこと、人間のこと、生命科学
価値観の違い、クズの特徴、
]]>書いている人は24卒MARCH理工学部機械科。
文学部の増田がバズってて興味深かったので、理系の話をしてみようと思います。
まず前提として共有しておきたい話ですが、「理系」といえどもその領域はとても広いです。総合大学では大抵の場合、国公立では理学部と工学部、私立では理工学部で理系が全部まとめられてしまいます。
ちなみに理学部と工学部の違いですが、「学問が世の中に役立つか」という基準で(おおまかに)学問領域が別れています。
例えば増田が所属する機械科の場合、機械は世の役に立ってナンボなので工学部判定。電気系、情報系、土木系もこれにあたります。逆に、理学部では研究が必ずしも世の中の役に立つ必要はなく、学問として追求するのが目的となります。ニホニウム誕生の際、研究者がインタビューで「世の中の役には立ちません」と発言したことが話題になっていましたが、理学部的にはこれでOKなんですね。しかし、最近は理学部であっても世の役に立たない研究は予算がつきづらく、苦労されているらしいです。
増田は機械科なので、工学部の話をベースにお話しします。
さっそく就活かよ!と思われるかもしれませんが、工学部は様々な産業に技術者を輩出するのが大きな役割の一つ。「大学は就職予備校ではない、研究機関だ(キリッ)」なんて言う人がネットにちらほら居ますが、工学部の場合この限りではないんですねぇ。
結論としては、世間で思われている通り工学系の就活はかなり楽です。
日東駒専、4工大以上の入試難易度の大学であれば東証プライム上場企業を十分に狙えます。旧帝国大や早慶のような難関大学は言わずもがなですが、MARCH/地方国公立クラス以上であれば(就活ガチれば)優良企業を選び放題です。
機械科の場合は特に引く手あまたで、増田の場合ESは通って当たり前。場合によっては書類選考が免除、という状況でした。人手不足&コロナ明けで企業の採用意欲が旺盛、という情勢の追い風もありましたが、文系24卒増田と比べて大変な優遇っぷりでした。
とりあえず手に職付けたくて根性があるなら、機械科はマジでおすすめです。
そんな就活最強完全無欠の工学部ですが、憐れポイントも存在します。その一つは皆さんご存知の男女比です。
ご存知の通り男女比が酷いです。増田の機械科では多く見積もっても9:1で男子ばっかりです。増田は同じ学科の女子の友達いないです。
そして技術職で就職する場合、工学部の男女比がそのままスライドするので、男女比問題が就職後も続きます。増田の就職先では四季報に乗ってる男女比が9:1です。特に女性は人事部など文系総合職に片寄るので、実態はさらに男ばっかりでしょう。
本当に出会いは無いです。増田は生涯彼女なしDTなので、大学時代に何とかしないと本当にヤバいので焦っています。
しかし、これは学科によって大きく事情が違います。例えば化学系、生物系の場合は比較的女子が多く、実験も多いので異性と出会う場は多いです。しかし、化学系と生物系は就活市場での需要が少なく、機械・電気などに比べ就活の難易度が上がります。これは完全に偏見ですが、就活難易度と男女比はトレードオフにあるように感じます。
また、片寄った男女比なので女子の肩身も狭いでしょう。そういうの気にせずガツガツいける女子であれば、出会いが多くていいんじゃないすか。知らんけど。
一番の憐れポイントはこれでしょう。実験や課題、研究でシゴかれるため非常に忙しいです。具体的にどれだけ忙しいかと言うと、過労死ラインを普通に超えたり、倒れる学生が出るほど酷いです。
増田の場合、学部1,2年ではバイトは不可能なほど忙しかったです。土日潰せば何とかバイトもできますが、それだと本当に過労でヤバい状況になると思います。
特に学部2年の時が一番キツかった。土曜にも授業が入り、授業時間と課題に取り組む時間で過労死ラインを超えました。これは増田の頭や要領が特別悪い訳ではなく、同期の友人たちも似たような状況でした。
そしてブラックな研究室も多いです。増田の大学ではパワハラの話は聞かないものの、過労がヤバい研究室の話はよく聞きます。生命科学系では「ピペット奴隷」なんて呼ばれたりするそうですが、どの領域でも似たような状況になっている研究室は必ずあると言って良いでしょう。
特に、優秀な学生ほどこの沼に嵌まりやすいです。自分からガンガン研究を進めますし、教授も期待してどんどん負荷をかけてしまうため、ある日突然、リミットを超えた学生が倒れる、なんてことが起こります。
多くの研究成果を出しており、優秀な学生が集まる研究室は要注意です。教授が学生にかける負荷(タスクの量)が強く、学生も優秀でやる気があるので無理をしてでも負荷に応えてしまいます。また、そういった研究室はもれなく人気で人数が多く、教授が学生の面倒を見きれない→放置気味になって過労、というコンボが起こります。
逆に、地味で人数が少ない研究室はユルくて安全です。特に、教授が積極的に手を動かして実験するような研究室は優良です。ブラックな教授は、実験を学生に丸投げしますからね。
あと、課題をバカスカ出す教授の研究室は黄色信号です。もちろん例外もありますが(増田の研究室は例外だった)、少し気を付けた方がいいです。
あとあと、工学系のサークルはもれなくブラックです。ロボット作ってコンペ出たり、エコランや学生フォーミュラやってるようなサークルね。こういうサークルはもれなくやる気で優秀な社蓄予備軍が集まるため、そのへんのブラック企業が裸足で逃げ出すほどブラックです。過労で肺に穴空いて入院とかフツーに聞きますからね。本人たちは好きでやっているんでしょうが、体壊してまでやることじゃねえだろと。
っていうか、普通にヤバいこと起こってるのに当人はそういう体質を全く改善しようとしないのがマジで終わってます。大会で結果出すために平気で健康を犠牲にしますからね。
そして全然上手く回っていないにも関わらず新しい大会とか始めてさらにブラックを加速させたりするので、本当に目も当てられません。アホかと。睡眠不足で脳みそ壊れたんか?
しかし、彼らが教授連中や就活で評価されることはあれど、ブラック体質が問題視されることはないんですよね。
そして彼らは研究室でも頑張ってしまうので、過労ブラック研究室が滅びない。マジでやめてほしい。
他にも大学院進学の話や就活の詳しい話、入試の話など色々ありますが、長くなるため割愛します。
人気エントリに入ったら追記で書くかもよ!?
というわけで、コメント・ブクマよろしくお願いします!
]]>それとも、理性と哲学がテリトリーをディーフェンスし切るのか
フランス啓蒙思想近代(高校の世界史で習った)を信奉する身としては、後者を応援したい
]]>これからは少子化してないイスラム教が覇権を取りにくるし、
人権思想の変わりにAIが政策立案する時代になるよね。
思えば、基本的人権は第二次世界大戦後のプロパガンダでしかなかったね。
]]>さすがに歴史の一種といっても文学部じゃないだろうし…。
]]>何度かの転職で、製造業で今でもラボワークをしたりする。
ラボワークといっても、開発や研究ではなく生産寄り。
キャリアプランとして、どうやって成長できるかを考えたい。
英語は出来たほうがいいんだろうけど、そのために時間を使うのもなんかなぁっと。
数学は、普段、仮説検定や推定は使ってるので、出題範囲を見る限り、統計検定2級は全て知ってる単語なので、少し頑張ればとれそうな気がする。
準一級は知ってる単語が7割くらい、単語として知ってるだけで使ったことがないものがほとんど無理そうだ。
統計や機械学習でPythonとRは使ったから、PythonやRをつかって資格でもとったら、少しは転職に役立つ?
今でも、Excelで描けないグラフやExcelじゃ難しい仮説検定はPythonやRでやってるし。
アプリ作ったりは出来ないけど。
Python3エンジニア認定データ分析試験は取れるんじゃないかなぁと。
データベース使わないんだけど、書いてあることを読むくらいはできる。
内部結合外部結合、直積やら射影やら、ちゃんとリレーショナル代数を勉強したわけじゃないけれど、Pandasを使ってたら代表的な演算くらいは出来るようになった。
OSS-DB技術者認定取れないかなと思ったり。
製造業で役立つのかようわからんけど。
生産士とかQC検定とか。
会社も金出してくれそうだし。
3シグマとかQC7つ道具とかいまさら言われてもだが、取るだけなら簡単そうだし。
お前はなにを目指してるんだ?と言われそうだけど、知ってたほうが便利そうだし。
会社が出してくれるならばだけど無理。
時間的にも子育てと両立できない。
無理だし。
これも無理。修士以前に
学士取得は無理っぽい気がする。150単位くらい必要だし。
でも、いくつか科目履修させてもらって(現実的には放送大学くらいか)単位取得するだけでも、なんか箔がつかないか?たぶんつかないんだろうけど。
放送大学だと45分の授業15回で1万円、社会人向けのセミナーって、一日4~5万くらいあたりまえだから、コスパすごい。
今の業務内容とわずかにかぶるが近くもない、という感じでいくつか単位を取り、自分の見識を広げつつ、業務にも役立てるように、くらいの感じがまあ現実的。
発酵や醸造の授業をとって、食品に転職とかも考えるか。
それと、コンピュータ系やプログラミングの資格を取る前に、大学の授業の形態で、アルゴリズムの知識や、データベースの基本設計などなど、実務より先に基礎知識を叩き込まれたら、資格試験の勉強もはかどりそうだし。
]]>ヒト胚ですら倫理規定が鬼厳しいのに、中絶は誰でもできるようになってるから。
女に異常ともいえる生命支配の権利が与えられている。
]]>確かに、例の日本学術会議の騒動をきっかけに少し調べてみました海外のアカデミーで活躍するひとは文系の人思います。
ただ、それだと、中国、アメリカには勝てないんです.. だからヨーロッパも口だけ文系教授とともに沈みゆくとは思いますよ。
(でウクライナを当て馬に適当な人権発言してグリーンエネルギーとかいってますw
あと女性研究者が多いですね(生命科学など)、しっかりデータは出せないですが日本より多い気がしました。
私はヨーロッパで働いてて、ITの業種では全然女性いなかったですが。ここは何らかの見習う点ありそうだなと思いました
]]>「“高度理系人材”を獲得せよ〜令和の金の卵 争奪戦〜」
こちらを見て、正直いって、25%ぐらいはいいこといっていたが75%が酷すぎたと思う。
【前提となる自分の背景】
松尾豊さんの研究室にも少し出入りしていた元東大理系
海外でエンジニアをしている
===(Nスペ目次)=====
===(Nスペ目次)=====
もう、10年何をしてきたのかという諦めの気分。いま目次を書いてみると、たしかに1時間で
まとめるとこうなるのもやむ無しという気がしてきたが。結局 so whatが無いんよ。
自分が思うso whatは個人単位の戦争をすればいいので「日本で勝負するのは辞めよう」
未だに海外に行かない日本人研究者層が歯石のように積もり積もって自分の首を締めていると思う。
so whatを提言します
特にドン引きしたのが、ネパールの人材の青田買い。何をしているかというと、「早めに内定を出して日本語教育をしている」
ということ。インド人エンジニアには見向きもされないから、更に安い国としてネパールを選択し、その安物エンジニアを供給
しようとしているようだが、はっきりってその見向きをされていないインド人にどれだけお金を払うかの方が大事。
安いエンジニアは誰も要らない。
わざわざ日本語を勉強してこようみたいなモチベーションのネパール人が使えるわけがない。SIerの下請けにしかこない。
私はカンボジア人のエンジニアと仕事をしていたが、当然英語だし、たしかにコストは安いし、その割に国のトップみたいな
人材だが、その人がわざわざ日本語しかできない人と働くとは思えない。
そういう楽をした内向きの戦い方が全ての元凶だろう。
自分さえどうとでもなればよいという考え方の方が実は日本を救うと思う。いま一時帰国して、この番組を見て
理系人材の扱いが自分の卒業した12年前時点と1bitも変化していないことにショック。
日本の若者がむしろ自分の内向き志向をコロナ等で深めている気がしていることを憂慮する。
※もう挽回不能だが
松尾豊さんが言っていた「兵站がない」っていう言葉、日本人はとても好きなんだけど、兵站って無限にないんすよ。
僕は国力を上げるにはもう中国化するしか無いと思う。権力への批判機構みたいなのが多少弱まろうが、兵站がない以上
選択と集中を理系に投下するしかない。
ただし、理系においてはITのような【今トレンドである】ようなものやAIのようなチャラチャラした学問ではなく
、生命科学、物性、宇宙、ITのすべての学問に戦力的集中を行う。
その代わり文系人材、F欄大学などは廃止する。申し訳ないが、これをやらない限り、日本全体が沈下する。
しかし、そしておそらくみんなそれでいいと思っている。なので、そりゃ無理よ。
阪大生命科学の人がオートファジーみたいな研究は芽が出ないから選択と集中を行われては困るというような
言い方をしていた、それは本当にそのとおり。しかし、選択と集中を行わないために選択と集中を行う必要がある。
シャープが選択と集中を進めた結果潰れたのではなくて、選択と集中をしても潰れる流れをせき止めれなかった。
そのぐらい選択と集中は大事。
文系の教授のウクライナ情勢での解析の体たらくを見ていてもドン引きする。置きにいったコメント。自分は専門外だからと
すべてを拒否する、たこつぼ専門家。意味ありますか?
小泉特任講師のように画像解析など普通にするべき理系的アプローチも解析もできず、歴史というわかりにくい概念でけむにまくだけで、
この千載一遇の研究結果を元にissueを提言するべきところで何もできていない。
はっきりいって文系という学問がそういう性質があるのはやむをえないがそういう置きに行くことをしていると、当然
なりふり構わない、中国などに勝てるわけがない。日本人全体が苦手なので、玉虫色にしたがって、その結果兵站が
尽きる。当たり前のことである。
]]>とにかく好奇心がない。
言われた仕事は真面目にやるし、データや作業手順が整っていなければ効率的に作業できるように整えるくらいのやる気はある。
しかし仕事に対する好奇心というか、探究心はない。
プライベートでも家族のことは大切にしているつもりだし、家族仲もよいが、趣味という趣味も特にない。
本屋に行って興味のある本があれば買って読んだりもするけど、表面上のことだけ読んで済ませている気がする。
読み終えてから内容を振り返ろうとして「結局何が書いてあったんだっけ」となることも多い。
掘り下げて考えてみようとしても、何をどう掘り下げればよいかわからない。
答えのあるものに取り組む、答えのあることを知るのは好きだけど、答えのないものを探究する意欲がない。
例えば理科の話、生命科学の話は好きだけど、すでにわかっていることを知れば満足してしまう。
まだわかっていないことを研究する意欲がないことに気づいて研究者になるのは辞めた。
好奇心に溢れ、探究心が強い人はビジネスでも研究でも強いと思う。
うらやましいけど何をどうしたら好奇心や探究心を持てるのかわからない。
]]>ん?て思っただけでスルーしてしまった自分が恥ずかしい
生命科学の修士持っているのに
一応デノボ変異は突っ込んだけど
平均への回帰はう~~~んそりゃ巨大な遺伝子プールから配偶者を選んだら平均にそりゃ近づくやろうしそういうこと言う人もいるかな~~~みたいな
穴があったら入りたい
]]>国立研究法人量子科学技術研究開発機構>量子生命科学の推進に関する提言 量子でヒトを理解する
]]>とくに生命科学系にこういう文章が多いすね
]]>セミの最期は澄んだ空を見ることさえできない
土の中に何年も潜り、一夏で子孫を残す
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稲垣 栄洋 : 静岡大学農学部教授
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2019/08/25 6:20
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一方、活動量が大きく、子孫を残さなければならない成虫は、効率よく栄養を補給するために篩管液を吸っている。ただ、篩管液も多くは水分なので、栄養分を十分に摂取するには大量に吸わなければならない。そして、余分な水分をおしっことして体外に排出するのである。
セミ捕り網を近づけると、セミは慌てて飛び立とうと翅の筋肉を動かし、体内のおしっこが押し出される。これが、セミ捕りのときによく顔にかけられたセミのおしっこの正体である。
夏を謳歌するかのように見えるセミだが、地上で見られる成虫の姿は、長い幼虫期を過ごすセミにとっては、次の世代を残すためだけの存在でもある。
繁殖行動を終えた成虫に待つのは…
オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。そして、オスとメスとはパートナーとなり、交尾を終えたメスは産卵するのである。
これが、セミの成虫に与えられた役目のすべてである。
繁殖行動を終えたセミに、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである。
『生き物の死にざま』(草思社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。
そして、その生命は静かに終わりを告げる。死ぬ間際に、セミの複眼はいったい、どんな風景を見るのだろうか。
あれほどうるさかったセミの大合唱も次第に小さくなり、いつしかセミの声もほとんど聞こえなくなってしまった。
気がつけば、周りにはセミたちのむくろが仰向けになっている。夏ももう終わりだ。
季節は秋に向かおうとしている。
反論するためにぐぐっただけの結果コピペしただけのニワカだったら笑う
生命科学修了したので
]]>あと、匿名性は低いです。匿名ダイアリーなのにごめんなさい。
2011年の3月11日に、私は茨城県の博物館の中にいた。高校の卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震のとき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。
実際にはガラスの耐震性能が高かったので、館内にはけが人はいなかったようだった。
信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。
私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島の原発がやばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。
私が高校生の頃、世界の原発事故のドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達に気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。
当時、特にJCOの臨界事故のNHKのドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。
私は地震が起きて、一、二日後にはリビングのこたつを占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中のシャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。
私は震災の年、福島県の大学に入学した。私の地元の同級生にも福島県の大学に入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学の入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。
しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。
しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。
私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質がたっぷり含まれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。
私は、大学で特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚で放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。
私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから、原子力という「科学技術がコントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要なことなのである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。
3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。
最近、原子力、ひいては(科学)技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの、技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類の幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビのCMでIT系の企業がたくさん広告を打っていて、ITの企業に勤めていることが一種のステータス(少女漫画に出てくる男性がIT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイケドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなのである。今でなら炎上やむなし発言なのである!しかし、このアナロジーを単なる面白おかしいアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用の危険性をかなり早く認識できた。
ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学)技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)
そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学は計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。
「科学は考えない」
これは、理系の立場で仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないか。しかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか。
彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学は進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガーは技術を批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味、矛盾の中を生きなければならない。
私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。
私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近、哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。
でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系の研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養がほとんどないのだ。
「哲学を最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。
以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だから疎まれる。
しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガーが批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学や技術を信じて、生産、生産、生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか。
昔の時代、原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。
今の時代も同様に、情報技術や生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能な社会が実現できる」とも信じられている。
もし、「なぜ地震大国に原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。
ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。
]]>……人文的に見えても人文じゃ無い
……そこまで人に興味が無い
]]>女性の方が倫理観が低い証左ですね
https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/life/haihu26/siryo2.pdf
9ページ
”現在の生命倫理の難しさは、ひとえに、生命科学と技術の予想を超える展開に我々の倫理的判断基準が追いついていないというところにある。”
生命倫理の問題に触れず”必要最低限の精子さえ培養できれば、男性なしでも繁栄はできます”と言えるのは倫理という観点を持っていないと言わざるを得ません
”そもそも現在日本で横行している犯罪の殆どは男性に起因するものです。
痴漢をはじめとした猥褻な事案、暴力的な事件はほぼ全てが男性加害者によるものでしょう。”
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_1_1_1_2.html#h1-1-1-08
殺人の2割は女性ですね。赤子殺しになると9割が女性と大逆転します。
女性だけの社会になっても弱い者への犯罪は減らないんじゃないでしょうか?
]]>