はてなキーワード: 猿回しとは
https://anond.hatelabo.jp/20210106220207
🐵も添削するけど、基本的に添削するのは他人なので「人に」の部分は必要ないウキ
正直文章を書いた時点ではそれが一番いいと思って書いているので、「この部分が読みづらい」とか指摘されてもいまいちピンとこない。
🐵いきなり書くが一文に2回あるウキ
🐵指摘されてピンとこないのはどうかと思うウキ
🐵ならこう書くウキ
文章を書いた時点では、それが一番いいと思っているので、「この部分が読みづらい」と指摘されてもいまいちピンとこない。
前段で既に書いたことを「これが書いてないからわかりにくい」とか言われることもあり「ここに書いてありますけど?」ってなる。(多分書く位置が悪いとか目が滑る文章になってるんだろうけど)
🐵ならこう書くウキ
前段で既に書いたことを「これが書いてないから分かりにくい」と言われることがある。「ここに書いてありますけど?」となるが、多分書く位置が悪いとか、目が滑る文章になっているんだろう。
色々なオタクがお気持ち表明しているのを見るので、VTuberを追っかけてる自分も長文お気持ち表明と言う奴をしてみる
誰かの仕事や活動について、キャバクラ呼ばわりするというのは、普通に考えてセクハラだと思うんだけど、違うだろうか?そういうコメントをした人や、それに対して☆を押した人の中の倫理ではOKな行為なんだろうか?どうです?
キャバクラ嬢の人としても釈然としないのではないかと思う。恐らく専門的な技術が少なからず必要な仕事だろうし、実際にVTuber達がキャバクラで働いても多くは上手く行かないんじゃないだろうか、どちらにも失礼な話だ
また、矛盾を感じるというのもある
「キャバクラ的である」という揶揄が揶揄として機能するのは、キャバクラが女性をモノ化し商品化するものであり、かつそれが悪い事だと考えるからだと思うが、揶揄するあなた達はそう言う価値観をちゃんと持てているのだろうか?
もし持てているのなら、VTuberにセクハラして平気な心性とどのように両立するのだろうか?矛盾していないか?
それとも持てていないのだろうか?ではどういう根拠で「キャバクラ」を揶揄として用いるつもりなのだろう?
もしや、他者を揶揄する際に、その前提となる価値観がどのような物であるか、考えた事が無いのだろうか?それは少し、浅くないか?
他者を人格を持った人間扱いしないという事が「キャバクラ」の揶揄の要点であるなら、他者にセクハラしつつそのような揶揄を行う様に、風俗に行きつつ風俗嬢に説教する様な無様なこっ恥ずかしさを感じるのは自分だけであろうか?
今回VTuberのスパチャ額が話題に上がるきっかけとなった以下のランキングにある通り、VTuber以外も含めたスパチャ累計額の世界一位はホロライブ所属の桐生ココである。
https://gigazine.net/news/20200824-youtube-superchat-runking/
で、桐生ココがキャバクラ的なVTuberであるかどうか、彼女の活動を追っている者ならすぐに分かる
彼女を一躍有名にした代表的なコンテンツと言えば「あさココ」であるが、その内容は毎朝6:00からニュース番組形式でホロライブ内の出来事を面白可笑しく紹介したり、ホロライブのメンバーによる英語や裏社会に関する知識を紹介するというもの
まぁ普通に考えて「キャバクラ」という言葉に還元できる様な活動ではない
また桐生ココが世界一位となった大きな要因は、海外視聴者からの人気であろう。redditでのmeme化とそれを自分の配信で取り上げた桐生ココの活動に起因する人気まで「キャバクラ」と形容するのは、些か「キャバクラ」と言う言葉の意味を拡大し過ぎではないだろうか?そこまで広い意味にとった時、果たしてあなたの仕事や活動は「キャバクラ」でないと言えるだろうか?
VTuber界でホロライブと双璧を成すにじさんじから件のランキング10位以内にランクインしているのは男性ライバーの葛葉のみである
その後も15位の叶、17位の加賀美ハヤトと男性ライバーが続く
業界王手のにじさんじがスパチャ累計額において必ずしもトップではないというのは、そもそもVTuberにおいてスパチャが収入源として最重要視されている訳では無いという証左と言えるだろうし
しかもにじさんじ内のスパチャ累計額トップスリーはいずれも男性なのである。「キャバクラ」という言葉が如何に実態と乖離しているか、あなた方が自分に頑張って言い聞かせない限りは分かるだろう
代わりに「ホスト」という言葉を使いたくなるかもしれないが、彼らは男性の視聴者も多く抱えている。私も最近は男性VTuberの視聴がメインになってきて久しい
性的な魅力のみを頼みに活動しているVTuberは実のところ少ない、と言うより、そう断言できるVTuberを私は知らない
(ちなみに、にじさんじの象徴的なVTuberである月ノ美兎はなんと60位。彼女はスパチャどころかボイス等による収入も重視していない。恐らく収入の多くは企業案件やライブイベントが占めている。何度も聞くが、これが、キャバクラ?)
要するに、「キャバクラ」等と言うのは所詮一部をいっちょ噛みして知った気になっているか、または何も知らずにイメージだけで語った人々の脳内にある幻想に過ぎない
程度が知れる
ところで、先程ホロライブとにじさんじを「双璧」と言ったが、それは規模や登録者数という尺度で考えればの話で、VTuberという文化全体をそれら企業勢のみを見て判断する事には多くの反対の声が上がるだろう
個人勢や、登録者数の少ないニッチなVTuberもそれぞれ魅力を持ち、また業界の幅を広げている
そうした幅を「キャバクラ」という言葉に還元して無かった事にしてしまうのは、一体何の為だろう?何の役に立つのだろう?何が嬉しいのだろう?
ひょっとして、ただあなたが嬉しいだけでは?それ以外に何の役に立つのか、考えてみ・・・なくて構わない、時間の無駄だから
「キャバクラ」という形容については他にも色々ツッコミ所が有り過ぎてキリが無い。今まで挙げた物もほんの一部である(気が向けばいくつか更に追記するかもしれない)
そもそも「キャバクラ」という言葉を敢えて使いたがる人はVTuberの双方向性に夢を見過ぎである。実際に配信を見れば分かるが、「キャバクラ」と言えるほど視聴者とのやりとりは無い
例えばゲーム配信ではゲームをプレイしながらコメント欄を確認すること自体難しい。1万円以上のスパチャ(所謂「赤スパ」)も特に気付かれずスルーされる事はざらであり、それでいいのだ
気付かれたり、名前を呼ばれる事が目的では無い人は恐らく少数派ではない、そもそもスパチャをしない視聴者が大半を占める(これをキャバクラに置き換えて考えてみる事が可能だろうか?)
実態を知れば知るほど、むしろ「キャバクラ」との共通点を探す方が難しい
まぁ、別に反論したいならすればいいのだけど、ブコメの文字数ではこれまでの指摘それぞれに反論する事は不可能だろう。トラバでやるにしても結構な労力だ
これまで挙げたツッコミ所はそれぞれ独立している為、1つ2つ反論した所で意味が無く、他が残っている限り結局「キャバクラ」は的外れという事に成る
全てのツッコミ所に反論する、それだけの労力を払ってまで「キャバクラ」と呼びたいなら、むしろその熱意・欲望がどこから来た何なのか考えたほうがよっぽど有益だろう
どうしてあなたはVTuberを「キャバクラ」と呼びたいのだろう?
もし本当っぽい答えを思い付いたら、是非教えて欲しい
追記:
どうしても「キャバクラ」と呼びたいならでびでびでびるの3D披露配信を見ると良いと思う
あれを「キャバクラ」と言われれば・・・違う、気はするが私は強くは否定できない
追記2:
猫カフェもキャバクラっていうのは割と同意を得られそうって事は分かった(ブコメ等で)
そこで提案なんだけど、どうしても言いたいなら「VTuberはキャバクラ」じゃなくて「VTuberは猫カフェ」にしたらどう?
猫カフェもVTuberと同じ理由で(愛嬌を振りまいてお金を稼ぐからとか?)「キャバクラ」ならば、「キャバクラ」の代わりに「猫カフェ」と呼んでも問題無い筈だよね?
勿論これまで説明した通り、「VTuberは猫カフェ」も同様に的外れなんだけど、ただ嫌な気分になる人は減るだろし、反発も少ないと思うよ
それでも何故か「猫カフェは嫌だ、どうしてもキャバクラと呼びたい」と言うのであれば、それは「キャバクラ」呼びでないと実現できない何らかの拘りや欲望(侮蔑的な意味合いを込めたいなど)が有るって事で、
それはあなたの心の問題なので、VTuberどうこう言う前に自分の事を一回見つめ直した方が良いと思うよ
あと、スパチャの実態についてはVTuberを追ってない人は想像しにくいんじゃないかな?とも思った
その辺りはこの増田が詳しく書いてくれてるから読むと良いと思う
https://anond.hatelabo.jp/20200825103218
で、スパチャによる収入の高額さがVTuberに馴染みの無い人には目に付くと思うんだけど
まず想像力を働かせてみて欲しい、スパチャによる収入と言っても、その収入は当然配信によって波が有る
高額に到達する為には、特に高額スパチャの多い配信があった、という事に成る
で、そういう配信の様子をイメージして貰いたいんだけど、高額スパチャが大量に飛ぶって事は、そのスパチャが埋もれる、って事でもあるんだよね
実際、そう言う配信っていうのは大きなコラボ企画型の大会だったり、3Dお披露目等の記念配信だったりするんだけど、みんなスパチャするからまず目で追える速度じゃないの
つまりそういう高額を得られる配信であればあるほど、スパチャはVTuberに読まれないし、スパチャする側もそれが分かった上でスパチャするんだよ(後で読み上げとかはあることもあるけどね)
なので、よく言われるVTuberに反応して貰う為のスパチャって言うのは、実の所無視される前提のスパチャに比べると一部に過ぎないと思うよ(この辺りは自分の観測範囲にも依るので、推測でしか言えないけどね)
こういう部分はやっぱり実際に配信を見ている人じゃないとイメージ出来ないんじゃないかな?と思ったので追記してみた
で、じゃあ何の為に?って思うと思うんだけど、まぁその人がVTuberを続けられるよう支援のつもりだったり、記念のお祝いだったり、ライブイベントを見て良かったと思ったからチケット代代わりに、ってのが多いんじゃないかな
追記3:
ブコメ見て思ったんだけど、猫カフェじゃなくて「猿回し」でも怒らない人は多分居るよ(怒る人もいるかもしれないけど)
追記4:
ごめん、VTuberに馴染みの無い人に対しては一番重要かもしれない情報に今気づいた
スパチャ累計額世界一位の桐生ココは累計額が約8820万なんだけど、チャンネル登録者数は約56万なんだよね
8820万円÷56万人=157.5円/人
一人当たり200円も行かないのよ。トップでよ?
当然実際はスパチャをしないもしくは少額の人が大半で、一部の人が高額スパチャをしてるんだが
「スパチャをしないもしくは少額の人が大半」のコンテンツの不健全性を高く見積もり過ぎじゃない?と思うし、そんなキャバクラある?と思う訳です
追記5:
「キャバクラを見下しているのでは」というコメントがいくつかあったので返答しますが、見下していません
何故見下していると思ったのか教えてもらえますか?そしてその条件にあなた自身も該当してはいないか、確認してみて下さい。
また、そもそも「他の職業や活動を「キャバクラだ」と形容するのは、対象とキャバクラ双方に失礼」という話です
キャバクラ・キャバクラ嬢は他の職業や活動に置き換えられない固有性を持った職業であり、それを他の職業を形容する為に用いるのは、キャバクラの固有性を無かった事にする行為です。分かりますか?
まして他の職業や活動を揶揄・侮蔑する目的で「キャバクラ的」だとした場合、それは明確にキャバクラへの侮辱です
さて、あなたは揶揄・侮蔑する目的で「VTuberはキャバクラだ」と言いましたか?
YESならキャバクラを見下しているのはあなたです、これは明らかですね
NOなら、では何故「猫カフェ」や他の例えではなく「キャバクラ」を用いなければならないのでしょう?
既に私は「猫カフェ」で代替する事を提案していますよね。では解決ですね。よかったです!
(尚、「猫カフェ」を用いた場合も今度は猫カフェの固有性を無視する事には注意が必要です。そもそも、ある職業を別の職業で例える事は、双方の職業に対して失礼だし的外れなんですね、それだけの話です。なので、そういうことはやめましょう)
(まぁただ、例え表向きとは言え、「キャバクラ」という形容を揶揄や侮蔑を意図しないものとしてしか出来なくなったなら自分からすると進歩ではあるので、それは良かったです。そうですよね、揶揄なんかしていないですよね。良かったです)
幼少から続けているヴァイオリンにまつわる、悩ましい話である。
ヴァイオリンという楽器は、ピアノに次いで西洋音楽では今なお抜きにできない、重要な楽器に含まれる。
これは現在まで残っている楽器の中では最も歴史があるものの一つであり、加えて発展の過程で弓に劇的な近代化が施され、結果演奏上の制約が殆どない、豊かな表現力を持つようになったことが理由に挙げられる。
なので、ヴァイオリンの問題は楽器ではなく、奏者の問題に帰結すると。
どういうことかというと、象徴的な話として、曲を弾くときに最初からほぼ最後までツッコまれるのが音程、指が回ってないことだったりする。
というか、指の適正位置はもちろん、そもそもの楽器の構え方や弓の持ち方動かし方まで、「ここは絶対こうする、しなきゃ許さん」みたいな、まさに箸の上げ下げレベルで超細かいマイクロマネージメントの洗礼が、毎回のレッスンで待っている。
そしてそういう「基礎」と見なされるような訓練と並行して音楽的表現、つまり「曲の弾き方」も習うわけだが、これは先生の言う「ここはもっと大きく」「ここは突然弱く」「ここは弓たっぷり」「こっちは弓の毛3本で」といった指示を覚え、実践する作業に終始する。
つまり音楽的センスや解釈力を養う目的でやってるはずのことが、往々にして「先生の劣化コピー」育成以外の何者でもない状態になっていることが大半なのだ。
そういうレッスンを幼稚園保育園の頃から受けてきた結果どうなるかというと、プロアマ問わず多くのヴァイオリン弾きが歌わないで演奏しているのだ。
言い換えるなら、手先指先のコントロールばかりに注意と集中の殆どを費やすようになってしまい、それが演奏だと勘違いしている人が多い。
少しでも音楽やったことある人には信じがたい話だと思うが、事実である。
まあ自分の知る限り、そんなことが起きているのはヴァイオリンだけなので無理もない。
これが管打楽器やギターとかだと「歌ってはいるけど、歌い方のセンスが(ry」で残念賞というパターンがある。
しかしヴァイオリン弾きはそういう一般的な「下手くそ」以前のレベルで止まっているのだから頭を抱えてしまう。
それでよくあるのが「上手いけど、つまらない演奏」というやつである。
聞く所によるとその昔、某大物歌手と海外の某有名ビッグバンドが日本でコラボしたとき、日本人弦楽器奏者のレベルの低さにバンドマスターがブチ切れて、本国から奏者を呼び直したなんて話もあったり。
つまらないだけならまだいい。
これに奏者の自己顕示欲が加わって「上手いけど腹が立つ演奏」なんてのも存在するのだ!
しかもそういう演奏をする奴は高確率で「上手くなるのに百万回さらった」みたいな苦労話をひけらかす。
それ自慢になってないどころか、全然楽しく見えないんだけど。音楽、楽しくないの?
てか、小手先の微調整だけで弾こうとするから、百万回さらわないと弾けるようにならないってだけじゃんか。
そんなんで偉ぶること自体どうかしてる。
とどめは、こうしたヴァイオリン奏者の傾向は洋の東西を問わないということ。
と、35年の半生を振り返って思う。
私がまだ中学生だった頃、数歳上の人達の就活情況があまりにも悲惨で、教師をはじめとする大人達が焦り始めていた。でも彼らは焦るだけでどうしたらいいのか分かっていなかった。
とにかく私達子供をシビアな社会を生き抜ける強い人材に育てようと大人達が暗中模索し始めた。そんな学生時代だったと思う。私達はほとんどモルモットだった。
思うんだけど、それまで大人達はまともに子供を教育する意識がなく、子供達の数の多さに甘えてるか圧倒されて何もして来なかったのではないだろうか?
え?私よりも歳上の、氷河期世代の一番歳上の世代以前から苛烈な詰め込み教育とか教育ママとかそういう問題はあっただろう?って。
確かにそうやって子供を猿回し的に追い込んで追い詰める風潮はあったけどそれは本当に教育と呼べるものだったのだろうか。
大人達は子供達に色々強いてはいたけれど、子供達の人口があまりにも多かったので、脱落者も多かったがしばいてもしばいても必ず少数(これがかなり多いんがが)は立ち上がり着いて来るから、自分達のやり方が適正かどうか振り返って来なかったのでは。
私が子供の頃、大人達はそれ以前の調子で子供達をしばき上げ、着いて来れた者だけを優遇するような事を普通にやっていた。
教室で行われていたのは「教育」というよりは「篩落とし」だ。成績の悪い子供には落ちこぼれのレッテルを貼って非難するだけ非難して、あとはほっぽっておいた。
上の世代の子供達はそれでもよかった(いやよくない)。何故ならすごく数が多かったから、優秀な生徒も数はいるし、落ちこぼれは落ちこぼれで数の暴力で大人達に反抗しまくっていたから。
私の世代は数が少ないので、簡単に大人達に制圧されてしまっていた。
上の世代が滅茶苦茶荒れまくっていたところから急に大人しい子供達になった(単に人数が少ないだけである)から、大人達はちょっと調子に乗っていた部分があるんじゃないかと私は思う。
何を言っても従順に言うことを聞くからって、大人達は私達にいろいろやり過ぎた。それなのに私達は主体性が無いだの自分が無いだの目が死んでいるだのと謗られながら大きくなった。
全部自己責任って言われて来たけれど今思えばそれは違う。大人が過干渉だったせいだ。
子供の数が少ないのを言い訳に、児童会を形骸化したり地域の子供達主導でやって来た活動に大人が手を出すようになったり、そんな事もあったな。
私達の目標となるすぐ上の先輩達は、私達を前に戸惑い、大人達と後輩の間で板挟み状態だった。彼ら自身は過酷なしごきを耐えて来ていたのに、後輩は部活に1人とか二人とか、そんな極少数しかいない訳で、そんな貴重な後輩を逃したら顧問から怒られるし部が自分の次の代で潰れたら先輩達に顔が立たないので、とても困っていた。
それでどうしたらいいのかわからないので、それまで後輩に押し付けていた雑用を全部自分等で引き受けておいてあとはほっといた。後輩がちんたら遊んでても居るだけマシだと無視をする。言いたい事は山程あるけれど、数の暴力の弱いもの虐めになるのを恐れて何も言わない。でも優しかったし親切だった。
私達が見てきたのは先輩方のそんな背中だ。
そういう風に育った子供達が、下の面倒を見るべき年頃になった。これが問題を起こさない筈はないと私は思っている。
ところで話は変わるんだけど進撃の巨人を読んだ。ウトガルド城~トロスト区奪還戦の辺り。主人公世代の目標になるべきすぐ上の世代の兵士がどんどん死んでいく。特にナナバとゲルガーが死ぬ辺りが刺さった。新兵なんか軍隊においては基本使い捨て要員なのだろうがそれを守って死んでいくナナバ達に自分の先輩方の姿を重ねてしまう。さすがアラサーの書いた漫画だなあと思った。
「あそこの先生の生徒さんは皆同じ弾き方をする」
また、youtubeで教室の生徒さんが演奏している動画を見ると、国内/海外、あるいは洋の東西を問わず
「お前そこのフレーズ、先生にそう弾けって言われたからその通りに弾いてるだけだろ?」
のが常態化していると言っていい。
別の言い方をするなら、口が悪くて恐縮だが、
「学習者の個性や解釈力の涵養は無視して、まずは立派な猿回しの猿になってもらう」
教育をしているわけだ。
でもそれってさ、
「じゃあお前、先生がいなかったらなんにもできねえのかよ」
って結果になるだけだと思うのだ。
…と、ここまで完全に悪口を書いてきてしまったが、これ難しい問題だよね多分。
など、子供の躾に近い大変さがあると思う。
では、音楽教育の素人である自分がなぜ言及するかというと、生徒さんの演奏で心底がっかりする経験ばかりというか、
「その曲、ちゃんと弾けたら本当に良い曲なのに、なんでそんな音で『弾けた』ことにするんだよ、頼むからこの曲が本来持ってる素晴らしい時間を台無しにしないでくれ!」
と思わされることが多すぎるのと、自分の仲間で先生に「ここはこう弾く、ここはああ弾く」のお仕着せで多少は上達してるっぽいけど、それ以上に苦しめられている人が何人もいるから。
ちなみに自分は幼少~高校まででいったんレッスンを辞め、数年前に別の先生の所でレッスンを再開したクチ。
確かに例によって先生に苦しめられてはいるが、再開前は腕が荒れまくっていて「音を出したら睨まれる」レベルだったのが、再開後半年で「別人のようになった」と言われ、今では「増田さんは凄く上手なので、ここに来て音を出してもらえれば、あとは何も心配していない」と事情を全く知らない共演者に言われるくらいにはなった。
これは本当に先生のおかげで、自分にとっては「アドバイスの内容は面倒だけど、逃げるわけにはいかない」という感じであるし、その先生の人格はともかく、指導内容はまっとうなのだと思う。
そして指導内容は
「これは私の好みだと思ったから言わなかったけど、何度か色んなフレーズを弾いてもらって、やっぱり○○の部分は直さないと奏者として先がないから言うね」
「結果的に××が●●にならないといけなくて、そこで重要なのはこの部分だけど、でもそれは奏者によって腕も手も指も大きさ・長さがまちまちだから、適正位置は奏者が体得するしかないんだよね…だから申し訳ないけどセンチ・ミリ単位では教えられない所です」
すまんね、30~40代って議会だよりに載ってたグラフではその年代だけ傍聴者0なんでまとめて0人って係れていたという事。僕の書き方が悪かったよ。僕は僕と同い年が、その学年だけがピンポイントでダメで異常だと思っている。
僕は1982年生まれの35歳なんだけど、卒業大学の教授の話しだと、大学が創設以来最も勉強しなかったのが僕のひとつ上の学年で(しかし活動的な人達が多かった)、最もダメなのが僕の学年、という事だった。二学年から下になるとまた様子が違っていて、勉強や就活に熱心な人が多い印象だった。
どうせ僕の思い込みだと切り捨ててもらっても別にいいし、皆が皆ダメとは言わないが、僕の年代の覇気の無さは異常というのが僕の考えなんだ。
酒鬼薔薇とかバスジャックの犯人とかあと親をバットで撲殺した奴だっけ?凶悪犯罪者とほぼ同い年というので「キレる17歳」などと呼ばれた世代だった。秋葉加藤もたぶん同い年だと思う。
僕達は、大学の教授には学年丸ごと見離されていたが、高校時代までは非行が少なくて拍子抜けって言われていた。
今「キレる17歳」でググってみたら、Wikipediaに"1982年生まれのある女性は、酒鬼薔薇事件が起きた際、学校で「同級生の犯罪」について作文を書かされたという[6]。"https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%8B17%E6%AD%B3 って書いてあったけど、その作文書かされたの僕も覚えているよ。確か文部省から教育委員会に書かせろってお達しが来て書かされたんじゃないか?作文っていうか反省文だったな。自分がやった事でもないのにどう反省しろっていうんだって思った。
最近、ベテラン保育士である知人から聞いた話だけど、僕の世代が子供だった頃は幼児教育がかなり厳しかった時代で、まるで猿回しか軍隊みたいに子供達をしつけていたそうだが、そういうのが何か関係あるのかな?