「狼藉」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 狼藉とは

2023-09-14

芸能事務所の件で思い出した記憶、その認識の歪みと気持ちの置き場

まず最初に謝っておくとあんまり事務所関係ない、個人感情の吐き捨て場です

釣られた人はごめんな、他に良い言い方思いつかなくて…

要約するとクソみたいな自分語り

ちょっと生々しい表現あるかも

しかリアル知人の誰にも言えね〜って感情を吐いてるだけなので支離滅裂だと思う、その上長い。読みにくくってごめんな

最近巷で話題の某芸能事務所の元社長(故人)が少年セクハラ、というよりかは性的暴行を加えてたって話

私は小学一年生の頃にFF7主人公クラウド・ストライフ初恋を奪われてっきり

専ら2次元の美形に首ったけだった人間なので、ファンでも何でもなく

正直ゴシップ記事でそういう噂をよく聞くよね〜くらいの認識だった

性的暴行があったと一人の勇気あるタレントさんが告白して、ニュースが騒ぎ立て始めた位の時も私はまだ何処か他人事というか

事実だったら余りに酷い、大人子供にしていいことじゃないだろ…とか、いい年にした大人の正常な感覚として思ってたけど

言ってしまえば対岸の火事くらいに思ってた。

けどそんな酷いことする大人がいるのね、あんまりだねってニュースネット記事が目に入るうち、本当に突然フッと思い出した。

私も子供の頃に大人性的なことされていた、そのうえ相手は実父だった。

正確には忘れてなかったので思い出したというよりかは「あれはそうだったのでは??」という気づきを得た。

幸いにもと言っていいのか、私が受けた被害というのはそこまで深刻ではなかった

いやこういう事に深刻じゃないも何もないけど、所謂最後まで、というのは思い出す限りされてないし男性器をどうこうしろみたいなのも無かったと思う

ただ身体を触られてた、もっと正確に言うならお尻と性器を重点的に撫で回されてた。

親子なのだし、微笑ましいコミュニケーションの一環として子供の頃に一緒にお風呂に入るというのは割と一般的だと思う、その際に身体を洗ってもらうのも。

あと遊んでる最中に頭を撫でられたり抱き上げてもらったり。

私にも父とそうした記憶がある。

そういうことの延長線上に、私の場合1組の布団に一緒に入って身体を撫で回されることがあった、割と日常的に。

当時の私は4歳から7歳くらいで、それが性的な何かということは知らず

頭を撫でられたりお風呂身体洗われたりするのとの違いも分からなかったし

なんならそれはごくごく普通の親子のスキンシップなんだろ、と思ってた

少なくとも嫌!って思ってた記憶は無い

「なんかすごいこの辺触ってくるな…」とは感じてたけど、わざわざ母親相談したり周りの人に言ったりする事でもなかったし、そんな知識も無かった

そして私が8歳とかになると父親身体を撫で回すことも無くなったので、自分の中で掘り返すような記憶でも無くなっていた

それから数年経って、尻だの胸だの性器だのは他人に気軽に触らせる場所じゃ無いと知っても

私がぼんやりした性分だからなのか、その時のことが普通じゃないって気が付かず

エロい事を覚え出す年頃になっても、違和感すら抱かなかった

なんて言うんだろうな、親とエロを繋げる意識がまず無かったんだろうな

私の中でそれは普通の親子のスキンシップの思い出だった

でも中学生くらいになって、セクハラとか痴漢とかがどこかの遠い国くらい遠い出来事じゃなくなって

例えば電車の中でお尻を触ってくる人が居る、みたいな話を聞くと「最悪の変態がいたもんだな」って吐き捨てる気持ちになったし

の子供に性的に手を出す親が居ると知ると「とんでもないロリコン、最低な親だな」って認識してた

恐らく自分がされてたことを知り合いの誰かが同じようにされてたら「それって異常だよ!性的虐待じゃないの?」って(相手感情を慮らなければ)言ってすらいた筈で

社会通念でいうセクハラとか性的虐待認識は割とちゃんとあった、と思う

ただ自分がされてたって認識が全く無くて、それを今の今まで気が付かなかった。

そしてあれから20年近く経って、今気がついた、あれは異常なことだった。

見ないふりをしてきた、とかでは無く本当に今まで気が付かなかった。

そして今漸く気がついた私の心境について。

今まで私はドラマ小説なんかで子供の頃に実父に性的なことをされていた過去の場面や設定を見て

万が一にも自分がそういう目にあったならそれはさぞ強い怒りや憎しみが湧くのだろうと思っていた

しかし実際にはそんな事は無かった。

勿論全ての人がこうじゃないだろう

ちゃんと怒り憎しみ、絶対に許せないという人もいると思う。

そういう人達の方が余程健全だし、私の親しい人たちがもし同じ目にあったならそうあって欲しい、そして二度とそんな目に合わせた人間に近寄らず生きていってほしいと思う

ただ私の場合は、最初に先ず動揺して混乱して、それからずっと困っている。

というのも私の父は10年前に脳梗塞で亡くなっているのだ

もう怒る相手がこの世に居ない。

しまだ父が健在で、のうのうと私の良き父のような顔をしていたのならもっと違ったかもしれないが、父はもう物言わぬ骨になっている

そのうえ私は未だに父にされた事が普通スキンシップでは無いのだとちゃんと正しく理解出来ていない様に思う

例えば他の家庭で同じことが起きたと聞いたら「虐待に決まってんだろ、子供から離れて二度と会うなよ!」と言えるのに、自分父親とになると途端に「虐…虐待……って程のこと……かな??いや、嬉しかった訳じゃないし、同意もクソもなかったけども…………」みたいな歯切れの悪い、どこか言い訳したいような感情になる

自分虐待を受けた、というのがどうにもすんなり受け入れられない

でもじゃあそんなこともあったけど私は元気です!!オールオッケー!と割り切って全てを許せるのかと言えばそうも出来ない、どこかで許せないなとも思う

子供が何も知らないのをいい事に大人性的意図でもって触れる事を許してしまえる社会は嫌だな、とも。

もし私の父が性的な触れ方をする以外にも暴力を振るったり金遣いが荒かったりする、どうしようもない父親なら

そうしたら私はきっともっと簡単に恨めたし「クソ親父」と口汚く罵り、彼の墓に狼藉も働けただろう

けど、確かに物心もつかない年頃の娘の性器を撫で回し、目の前でエロ動画を見て

母親浮気を見て見ぬふりしてもらうようなどうしようも無いドスケベ親父だったけど

それでも陽気で楽しい父親だったと思っている、思いたい自分が居る、未だに。

距離トラック乗りだったから一緒に過ごした時間はそれ程多くないけど、クソオタクの娘にも理解のある

娘の手作りとも呼べないような卵焼きで1日機嫌が良くなるような

自慢でも無いけど悪し様に罵るほどでは無いそんな父親だったのだと。

生きていれば、一言「とんでもないことをしてくれたな」と吐き捨てられたなら、こうも複雑な気持ちにならずに済んだのだろうか

それとももっと苦しんだんだろうか

想像してみるけれど、やっぱりまだよく分からず、気持ちの置き場に困っている。

いつかハッキリスッキリ、私の中で答えが出る日がくるんだろうか、来ない気がするな。



芸能事務所タレントさん達はどうしてもっと早くに被害を訴えなかったのかという声を聞くと

きっとそれぞれの立場や考え、いろんな要因は多々あれど、その中には私のように自分がされたことをどこかで正しく認識できない人もいるのでは無いかな、なんて愚考したりする。

子供大人のことを、決して間違えない生き物だと思っている節があって

自分に近しい大人であればあるだけ、自分を傷つけるわけが無いのだと信じたい

から何か酷いことをされても「無かった」ことにしたい、あるいは本当に「無かった」のだと思い込む

いつか正しく事実認識することがあっても、与えられたもの苦痛だけじゃないと憎みきれなくてでも無かったことにして許しきれるわけもなくて、どうしたらいいのか分からないままずっと苦しむ。

からこそ、今矢面に立っているタレントの皆さんがこれ以上傷つくことがなければいいな、とファンじゃないなりに思うし

大人子供を傷つける、いつか傷つけられたまま大人になった人達のことを黙殺する社会であって欲しくないと願っています

2023-08-28

anond:20230620104704

私は1966年まれ還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。

こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。

しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。

ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球医学部ボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。

そして1989年就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界トップティ企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。

入社後も新人時代飲み会タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員ビジネスクラス出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブル崩壊します...

こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身幸運迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。

と同時に、おそらく今の出生年80万人世代受験就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-07-21

Jリーグにこども家庭庁が5兆円支援デマで露呈した「謝ったら死んじゃう人達リスト

1.泉房穂 元明市長

Jリーグ連携して、子連れ客“優先”の推奨とのことだが、政策の“優先度”も“方向性”も間違っている」という的外れツイートをして、小倉担当大臣コミュニティノートも含めてあちこちから突っ込まれるも、自身勘違い放置して「実際にやっていることが、“子育て層のニーズ”とあまりにもズレているので『違う。そうじゃない』と言っているのだ」と「ただ私は、自分ツイートを『不適切』とは思わない。それだけのことだ」と開き直る。自身の間違いを認めないというパワハラ上司しぐさを見せた。

2.ひろゆき

小倉担当大臣プライベート事情を交えて「これじゃない感」と批判。いや中傷と言っていいだろう。当然小倉氏は抗議するもひろゆきは自らの非を一切認めず文春の記事スクショで張って煙に巻く。ひろゆきも「謝ったら死んじゃう人」の枠に居るということを世間に露呈した。

3.石森愛 練馬区議会議員立憲民主党

泉氏同様集中砲火を食らうも、「何がなんでもJリーグ支援されてない!ってことにしたいみたいだけど、大臣が視察行く時点で税金どんだけ使われてんだよってゆー。」と開き直ったツイートで応戦。「大臣官僚の有限な時間リソースを使うこと」に論理すり替えていた。

4.「R連続MT Ph.D D.H.Sc.」(良く分からん人)

(あまりにもひどいので追加)↓「飢えた子ら 放置サッカー 5兆円」というストレート川柳投稿し、

https://twitter.com/Rrenzokutai/status/1681618845839298563

それに対してデマであることを指摘されたらこう開き直った。

https://twitter.com/Rrenzokutai/status/1682189488980893696

「私は、川柳とは、鬱屈した世情への、一服の清涼剤だと思っておりますので、情報が正しくないとか、チゲーよとか、クソリプされましても、なんとも言えませんな」

こんなのは清涼剤でも何でもない。単なる迷惑クレーマー

デマ解説

こども家庭庁が統括する「こどもまんなか応援サポーター」という枠組みがある。https://www.cfa.go.jp/ouen-supporters/

これはサポーター宣言をした企業や団体、自治体個人をこども家庭庁が公式サイトなどで紹介するというものである。具体的な活動は個々の団体個人に任されており、特にこども家庭庁が資金援助するわけではない。

URLを見ればわかるがさかなクン、霧馬山関、ヤクルト村上宗隆などがサポーター宣言をしており、ちょっとググればわかるがいろんな自治体宣言してるし、企業では日本生命ファミリーマートなどが宣言して個々に活動している。

今回、その宣言団体Jリーグが加わり、Jリーグ公益財団法人でもあるので小倉大臣訪問ヒアリングしただけという話に過ぎないのだが、なぜか「5兆円をJリーグに投入」という話にすり替わり(これはそういうように読み取れる報道をした産経FLASHにも大きな責はあるが)、あちこちインフルエンサー活動家(政治家とは言えない連中)が釣られたという構図だ。

速攻で小倉大臣デマを指摘し、それを受けて謝った人も中にはいるが、青汁王子れい新選組長谷川ういこ氏らを筆頭に指摘に対してスルーしている連中が大半だ。スルーならまだよいが、開き直っているという最も悪質度が高い輩としてこの3人を紹介しておく。

Jリーグが叩かれた本当の理由

面白いのは今回、デマの発端となった産経FLASH批判する声が彼らの中から一切出てこないこと。そして、既にサポーター宣言をしているスポーツ選手自治体企業に対する批判も一切出てこないこと。

まりJリーグだけは叩いて良い」という深層心理がこの人たちの中にあり、その格好のネタが出てきたので叩いて悦に浸りたかった、というのが今回の一連の騒動の真因であると推察する。

実際、Jリーグに対する批判ネガティブ報道PVを稼げるのだ。例えば19日に横浜F・マリノスセルティック親善試合を行ったが、その試合結果の記事Yahoo!ニュースアクセスランキングではランク外。しかし同試合観客動員が2万人でしかなくスタジアムガラガラだったという記事アクセスランキング5位まで上がっていた。メディア関係者の中でも「Jリーグ記事は売れない。ただし不祥事ネガティブ系は売れる。それこそプロ野球関連の不祥事ネタより売れる」というのが定説だ。そういう「Jリーグ関連のネガティブ報道に対する需要」が引き起こし事象と言えるだろう。

そうでないというのなら、今から他の「サポーター宣言」してきた企業自治体個人批判してくれ。そうでないとダブスタだ。

余談だがJリーグに5兆円もつぎ込めたら世界一金満リーグになれるということも付記しておく。今のJリーグ全体の年間収入の45年分だからなあ。

追記:今回「釣られた」こと自体はある程度仕方ない。問題デマ指摘を受けた後の行動

今回はマスコミ2社の報道や、タイトルに「Jリーグに5兆円」というフレーズを使ったキュレーションサイト炎上の起点となった。これだけのチャネルが同じように報道すればそれなりにリテラシーが高い人も釣られる。

しろJリーグクラブサポーター結構な人数が最初は釣られていた。特に浦和レッズサポーターが多く釣られていた。これはここ数年来の浦和レッズ関連の不祥事(主にサポーター狼藉)に対する多数の処分があったことに不満を持っている浦和サポーターの中に、隙あらば野々村Jリーグチェアマンを罵倒したいという思いを持っている人が少なから存在していたのが原因。泉氏のツイートに反応して「野々村、そんなことやってる場合じゃねえだろ」と騒いでいる浦和サポーターは1人や2人ではない。

ただ、彼等はデマに釣られたと気づいた時点で態度を改めた。開き直ることも、スルーすることもなく、釣られてしまたことを認め、静かに拳を下ろしていた。少なくとも増田観測範囲では。

今回問題にしたのは「開き直った」「スルーした」連中の事である。それを勘違いしないで欲しい。

2023-06-22

anond:20230620104704

私は1966年まれ還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。

こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。

しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。

ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球医学部ボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。

そして1989年就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界トップティ企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。

入社後も新人時代飲み会タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員ビジネスクラス出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブル崩壊します...

こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身幸運迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。

と同時に、おそらく今の出生年80万人世代受験就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。

2023-06-12

総理息子の官邸狼藉問題報道を止めないで欲しい

総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。

だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいか報道もっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。

 

官邸総理大臣の実務設備だけにあらず

例を挙げよう。

やまもといちろう鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。

この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。

この時に参加していた会議名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?

更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?

これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず

 

そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。

 

官邸建替えによるキャパの増加

現在官邸2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事造作替えが続いていた。

この工事付近地上げ造成を含む大がかりなもので、2005年くらいか付近ゴーストタウンとなって、誰もいない宅地警察官が立哨しているという変な光景が見られた。

それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸屋敷だが今のはビルである

Wikipediaフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg

それだけであれだけの床面積を使う訳がない。

各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンション工場、高層オフィスビルだけだった。

 

そして重要なのは第一安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂友達問題だ。

 

友達会議汚職の苗床

第一安倍内閣はお友達内閣マスコミ揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸政策会議も然りだったのだ。

そして誰が出入してるかについてはマスコミちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。

前述の通りに官邸オフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテ調理産廃什器の購買廃棄、清掃など、設備管理要員、営業マンが多数出入する。

官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣自由化によってこれらの人員派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。

すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。

因みに、第一政権安倍総理病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。

 

また第二次~第四次安倍政権では汚職が次々に問題になった。

ところでこれらの問題安倍氏自分利益になる事があっただろうか?

桜を見る会自分選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。

 

例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長総理総理夫人明惠に接近している。

この公人への接近と距離が詰まるスキーム校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか

 

桜を見る会では反社勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。

ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議メンバー経由ではないのか?

 

三浦瑠璃の夫の疑念

三浦瑠璃旦那がソーラー発電関係詐欺逮捕され、瑠璃自身も失脚状態にある。

これを旦那犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当判断だ。

だが気になる報道がある。

旦那会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイト送電接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。

 

ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道コクド)だ。

東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。

そして正確なルートが発表されて国鉄地上げ交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである

・「競走馬練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近線路用地をピンポイント西武の堤が取得していた。

伊豆箱根鉄道という三島ローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイント新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道西武鉄道の子会社である

上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。

 

この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣関係が怪しいとされている。

 

さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?

無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類交付されたかが全く判らないか官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。

 

民主党政権殆ど業者パージ

第一安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。

民主政権は更に徹底していて出入り業者殆ども変更した。多くの業者仕事を切られたのだ。

また官邸に常駐する秘書官も多くを入れ換えた。

 

自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。

その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である

 

立憲の泉さんさぁ

立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理世襲任命責任情報漏洩のセキュリティ問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。

前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。

安倍明惠がV系入れて階段耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。

そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。

から政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。

オフザケ写真漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである

2023-06-11

anond:20230212221336

共産党失望した三十代オタクだけど、今回の水着撮影会中止騒動で「流石にダメだろ……」としか言えなくなったので、共産党に入れないを超えて共産党議会から追い出すべきだと思うようになった。もちろん民主的手段で。

同意を得た上での未成年水着姿の撮影自体は現状ではまったくの合法なのだから(そうでなかったら旅行先での家族写真友達と海に行ったとき記念写真すらも撮れなくなる)、たとえばガッツリ違法行為である未成年との淫行などと違って「行為が判明したので即座に許可取り消し」のような処分が許容されるとは思えない。「今月から禁止になったから、きちんと年齢確認やってね」とか、「今回は許可出したからやっていいけど、今後は貸さないから」のようなもっと穏健な手段はいくらでもあった。

未成年水着姿の撮影キモいキモくないかでいえばキモいし、無理強いのようなことがあってはならないが、たとえば性行為と違ってそれ自体身体的な健康を害する行為ではない。だってただの写真撮影であり、隠すべき部位も隠れているんだからである以上、性行為と同列の厳しい規制を行うことが適切とも思えない。ピアス穴を開けたりするのと同程度の自己決定権未成年にも認められていいんじゃないだろうか。まあ俺はピアス開けたことないけど……)

(というかこの手の話は、10歳と17歳を「未成年」と一括りに論じているのがおかしい。小学生ピアス児童虐待が疑われるので校則禁止するのも妥当性があるかもしれないが、高校2年生がピアスをつけるのは、小遣いやバイト代範囲勝手しろ、体育の授業や工業高校の実習では危ないから外せ、程度の介入で構わないと思う。セックスのような重大事項ならともかく、たかだか水着での写真撮影程度のことにピアス以上の重みを与えるのは賛同しない。というかほんと、そこまで言うなら子役禁止も主張しろよ、と言いたくなる案件が多すぎる。まあはてなーの多くは子役禁止すべきと考えているのかもしれないが……)

そもそも主催団体が「県の許可条件に反した写真は弊社ではない」って言ってるんだけど、そのへんちゃん確認したんすか? 条件守ってるところまで一律で排除されるのはどう考えてもおかしい。ある音楽団体が県営ホール狼藉を行ったから、二度と県営ホール音楽家には貸しません、というのが乱暴な話なのはだってかると思うんだけど、どうして撮影会排除してオッケーということになるのか。ホワイトリスト制で貸し出すこともできただろう。民営ならともかく、公営なんだからそこは偏見対処しちゃいけない領域でしょうよ。

(「タトゥー入れてるやつはろくなやつじゃないから入居を断る」といったような偏見に基づく対応ができるのは民間大家だけで、公営住宅はそんな差別をすべきではない、っていうのと同じ話。もちろん本来民間でもタトゥーの有無で差別されるべきではないんだけど…公衆浴場タトゥー禁止ふつう人権問題でしょ)

とにかく規則後出しが最悪。一度は許可を出したものを、直前になって撤回させるよう働きかけるとか、行政のあり方としてそれでいいのかという話だよ。「今回のことは仕方ないが、二度と許可しないように」みたいな穏健な働きかけじゃダメだったのか? 弁当を注文されてたご飯屋さんも困ってるじゃん。市井の小さな飯屋の仕入れ台無しにするのが共産党正義なのか? 俺はそういう市井の人々のささやか暮らしを守ってくれそうだから共産党に入れてたのに、撮影会を中止させて、主催者や出演者や飯屋の商売邪魔して、カメコをガッカリさせる、それが共産党の目指す社会なのか?

ゾーニングだの公共の場だのといった言い訳が出てきていることがもう本当にここまで来たかという感じ。ゾーニングされてるよな? 最近日本では6月前半からプール開きするのか? 気候変動の影響ってやつか? プール営業してない時期に開かれる撮影会なんて完璧ゾーニングできてるだろ。水遊びに来た親子連れがそれを目にする可能性はゼロに等しい。ゾーニングされた県営公園公共の場から挑発的な催しはけしからん、と言うなら、入場券を買わないと入れない愛知芸術文化センター挑発的な展示をすることも許されないだろ。バカなのか? あいちトリエンナーレ河村たかしみたいなクソ野郎弾圧されたときには俺は津田大介応援したけど、今回の件では、津田大介は「少なくない人が顔をしかめるようなイベントが「堂々と」開催されていたら、そりゃその範囲を狭めましょうって動きは必然的に出てくる」とか言ってるんだよな。卑劣裏切り行為だろ。俺は表現の自由戦士からこんな連中の展示も制限されるべきじゃないって言い続けるけど、そこまで自由主義コミットしてないふつうオタクがこいつらの展示に敵対的になるのは責められんよ。あなた……『覚悟して表現弾圧しにきた人』……ですよね。人の表現を「弾圧」しようとするって事は、逆に「弾圧」されるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね……

でもって、やっぱりこれは共産党議員を送り込んで権力を持っているからこういうことになるんだろうな、と。とにかく、市井の人々のふつう暮らしを守ってくれる共産党は死んだんだと思うしかない。歪んだイデオロギーに染まって俺たちお前たちの自由暮らしに制約をかけようとしてくるのが共産党だ、と認識しないといけない。俺はこれまで他人支持政党に口出ししてこなかった。俺の友人には自民党支持者や公明党支持者もいるし、そいつらと政治の話もしたりするが、お互いに意見を述べつつも説得や勧誘はしてこなかった。だが共産党は別だ。もしも友人に共産党支持者がいたら友情の許す範囲共産党に入れるべきではないと説得しようと思う。やるやる詐欺で十年も棚晒し憲法改正なんかよりも、今目の前にある弾圧の方がよっぽど危機なのだから

選挙権を得てからこのかた、自民党(+維新)にだけは入れたことがなかった。ずっと民主党解党後は立憲民主党)や共産党、たまにれいわに入れてきた。なぜなら自民党への拒否感が強かったからだ。けど気づけば、自民党への拒否感を共産党への拒否感が強く上回ってしまっている。憲法改正やるやる詐欺で、圧倒的多数を握っていながら発議の気配すら見せない自民党と、現在進行形で色んなことにクレームを入れて潰そうとする共産党温泉むすめ、戸定梨香、月曜日のたわわ、そして撮影会。どちらがより差し迫った危険かなんて、少し考えればわかることだ。俺がずっと入れてきた一票がこんな連中に権力を与えていたなんて。EU離脱で後悔してるイギリスブレグジット派の気持ちがよくわかったわ。俺のこれまでの投票は間違っていたんだ。ようやく気づいた。

加えて。近年の国際情勢に対する態度がありえなさすぎるというのもある。ロシアウクライナ戦争での岸田文雄外交日本外交の枠内ではパーフェクトだった。安倍晋三菅義偉といった無能どもが外交をかき回すのを見た後だと、岸田のウクライナを支持するという一貫した姿勢は敬意に値するものだと思えるし、戦後日本平和主義体現だとも思った。だが、侵略戦争防衛戦争とを「反戦」の名の下に一緒くたにし即時停戦を求める連中には心底呆れ返る。戦争への反省ってのは侵略戦争への反省ってことなんだよ、知らなかったのか? 大日本帝国侵略大日本帝国に対する中国人民の抵抗は、同じ「戦争」でも倫理的にまったく別物だろう。だが彼らにはこんな簡単なことがわからないらしい。

沖縄左翼に関しては、正直同情する。沖縄人は防衛という名目自国軍から集団自決を強いられたのだから防衛戦争にすらアレルギーを起こすのは当たり前だろう。少なくとも沖縄戦に関しては、日本軍がさっさと降伏していればあれだけ多くの沖縄人が死に沖縄文化歴史が壊され沖縄土地が奪われることはなかったのだから……)

これまでは、共産党の国際情勢への認識おかしくても許していた。地方議会でなら外交防衛関係ない。地域住民暮らしを守ってくれていれば、ふつう民衆自由権利擁護してくれるなら、多少外交安保への認識おかしくたって許せる。だからずっと共産党に入れてきた。自分生活を良くするために。だけど彼らが自分たちの自由を奪おうとするなら、もう彼らに入れる必要なんて何一つなくなる。それどころか打倒すべき対象だろう。

とにかく選挙共産党地方議会から追い出さなければいけない。モリカケサクラみたいな疑獄の追及用に国会に数議席ある程度で十分だろう。自分にできることはなるべくやってみる。共産党には入れない。知人が共産党支持者だったら可能な限り説得する。地元共産党フェミニズム関係の催しがあるなら、行政クレームを入れられる材料を探す(もちろん本来はそういうのも自由であるべきなんだけど、流石にそろそろしっぺ返し戦略適用しても許されるでしょ……)。そうやって彼らに対抗していかないと。こんな連中に議席権力を与えてはいけないのだから

追記

公共施設過激ポーズグラビア撮影女子中学生水着撮影してた事を法律違反してないから良い、そんな事言ったら家族写真も取れなくなるで通すのは無理だって。。こんなチキンレースは止めようよ。。

直ちに法律違反してはいない、のだから、ここまで直前になっての中止要請正当化しづらいだろう、というのはいい? 今後は年齢に関する新しい規則を厳格に適用しますよ、というのであればともかく、去年未成年を出してたから、今年作った規則違反です! なんていうのはおかしいよね? これが「未成年との性行為」であれば問答無用でお取り潰しに遭うのも仕方ないけど、それほどの悪行ではないでしょう。「今月から新しい規則未成年NGにするから年齢確認ちゃんとやれよ」程度の話ならここまで言わないよ。

っていうか、「過激ポーズ」って何? どういうポーズ過激なの? 俺はグラビアとか見ないからまったくわからん健全ポーズ is 何? 何が過激で何が健全かを誰が判定するのか? 公共施設過激ポーズはよくない、なるほど確かに、では公共施設過激アートを展示するのもいけませんね、と言われたらどう返すのか? 「過激なのはけしからんですなぁ」ってのは保守派オッサンの決め台詞だろう。未成年云々の話には、未成年がまだ判断能力が未熟であることを考えると首肯できる点もあるが(たとえば「ドラマ映画で18歳未満の役者を使ってはいけない」という主張をする人が撮影会を叩くのは理解できる)、なんら具体性のない「過激ポーズ」はまったくの理解不能。「ならぬことはならぬものです」ってやつですか?

家族写真おっさんが群がる水着撮影会混同して語るとか30代オタクの評判が悪くなるだけなので自称しないでほしい。

感覚的にはまったくの別物だけど、法的に禁止できるか? っていうと、いや厳しいでしょ、って話になるやつなので。友達水着写真を撮ることや子役が出演する映画子供の出るスポーツ大会典型的には甲子園など。池江璃花子日本代表入りしたのは15歳、宇野昌磨世界ジュニアで優勝したのは17歳ときだっけ?)の中継はよくて、撮影会ダメ、というのは、感覚としては納得がいくけど理屈で考え出すと根拠がわからない(映画スポーツ大会撮影会ダメ、という立場理解できる。子供には十分な判断能力がないから全部禁止、は、賛成反対は別として納得がいく見解)。

子供判断能力を考えるなら、17歳グラビアより、10の子役の方がよっぽど強制性高くて悪質でしょ、という判断になると思う。17歳でも未成年未成年だ! グラビア撮影なんて認められん! という立場もあり得るけど、そうすると、たとえば16歳の高校球児は無理やりやらされてるんじゃないんですか、みたいな話になってくる。まあでも最近は、高校球児が投げたいと言っていても無理やり休ませるべきだ、という話になりつつあるようなので、未成年アイドルが脱ぎたいと言っていても無理やり止めるべきだ、という話になるのもわからなくはないけれど。

撮影者が性的に興奮してたらアウトなんだよ…。 不特定多数が集まる撮影会ロリコンだけ弾く方法があるのかな?

えっ!? 撮影者の性的興奮が基準なの!? そうすると、たとえばノンケの友人に頼まれ女子水着姿を撮影しにきたゲイはセーフで、イケメン球児に興奮する女子アナや女子カメラマン甲子園の中継や取材から外されるべきなの!? そんな馬鹿な! もっと真面目に考えてください。

こと規制後出しやら突然の一律中止を決定したのは施設行政という理解なのだが?共産党がアレコレ言っても規約や法に従って粛々と対応すべきだったと思うけどな。イレギュラー対応した背景は気になる。

こういう見解には一理あると思っていて、とにかく役所側が何でもかんでもクレームに屈するのは、真っ当なクレームを入れようとする一部の人を萎縮させ、クレーマーを勢いづかせるだけなので、基本的には役所の側ももっとスルースキルを鍛えるべきという話はよくわかる。「自分クレームですぐに変わったりはしない」と思えば少しはクレームを言いやすくもなるだろう。ただやっぱり、地方議会議員さんは地方政府から見れば権力者でしょう、普通に……。

ところで、都議会自民党都教育委員会に圧力をかけた結果、障害児向けの性教育が大幅に縮小されたとしたら、それは都議会自民党じゃなくて都教育委員会の責任ってことでいいですか? 自民党クレームを言っただけで、屈する行政が悪いんですもんね? 俺のようなリベラル派は、んなもん自民党が悪いに決まってんだろ、って思っちゃうけれども。

まあ勝手失望していればいいんじゃないかねえ。ところでいくらでこんなクソみたいな駄文書く仕事請け負ったの?

完全に無料で、私的時間を費やして書いていて、当然一銭の得にもならない。安倍晋三こき下ろす増田無償で書いたし、東京五輪への反対も無償で書いたし、それと同様に、これも無償で書いたということ。勝手に期待して勝手失望しただけです。まあ所詮根無し草無名リベラル派ですので。

愛知トリエンナーレに毎年通ってたタイプの人な気がする。

吉良よし子に投票したり自民党支持者の友人の前で共産党への投票公言したりしててもこんなふうに嘘認定されるんっすね~~~~~~。

まあ、国政や首長選では立憲やれいわに入れたりもしてたから、忠実な支持者ってわけじゃないけど、地方議会選挙マジで欠かさず共産党に入れてたのに党からも支持者からもこの仕打ちよ。

こういうタイプの支持者がいるんだって知らなかった? 共産党投票する人はみ~~~んな同じ考え方の人だとでも思ってました? 熱心に活動する人たちだけが票田だって思ってましたか? 違うんだよなぁ! 俺みたいに「外交安保ゴミカスだけど福祉の充実や雇用の安定では頼りになるから比例と地方議会共産党に入れとくか」って思って入れてた人もいたんですよ! そういう人からの支持は要らないみたいなんで、もう入れませんけどね!

2023-05-03

昔読んだ劇画残酷時代劇もの)を探してる

自分が読んだのは15年ほど前だが、劇画なので作品は当然何十年も前

・おそらく『シグルイブームで、「南條範夫原作」か、それに類する「残酷時代劇もの」として復刊されていた

作者名は覚えていないが、復刊されているので有名な作者なはず(平田弘史とみ新蔵クラスだったかもしれない)


ストーリー

とある貧しい夫婦がいて、女房の方が山賊に連れ去られてしまう。

夫は家も仕事も捨て、ひたすら女房の足取りを追い続ける。

純朴な夫はその道中で山賊に襲われたり、騙されたりと、いくつもの酷い目に遭う。

ボロボロになりながら、もう会えないかもしれない女房を何年も探し続ける姿に、行く先々の人から呆れられる。

途中で知り合った浪人

「いろんな山賊たちに犯された女房を何故そこまで必死に追うのか?もう昔のままでは無いかも知れないぞ」と聞かれ、

「獣の肉を食べたからと言って、人間が獣に堕ちる訳ではない。山賊に犯されたからと言って、女房自体が変わることはない」

と返すセリフが凄く印象に残っている。


数年後、夫はついに女房を見つけるが、女房は良家の侍に救われて再婚していた。

今の生活を捨てたくない女房から他人扱いされ、夫は、狼藉ものとして切り捨てられてしまうのだった。


という話だったと思います


作品をご存知の方がいたら教えてください。

2023-04-13

言葉って何処で覚えるの?

さっきはてブ狼藉って書いてあって

こんなんどこでおぼえんだろーって気になってる。

仮に読めてもとっさに出なくない?

2023-03-11

NHKによる言葉狩りが許せない

ジェンダーニュートラルの風潮に乗って様々なジェンダー語が言い換えられている。

中でも男性配偶者意味する「旦那」「亭主」「主人」はもう絶滅種と言っていい。

アナウンサーは、インタビュー婦人に「旦那様はどんなお仕事を?」とは訊かない。

今やNHKアナウンサーでも「夫さんはどんなお仕事を?」と訊く。

「夫さん」なんて呼び方、聞いたこともない。

 

今日東日本大震災のあった日なので、震災関連の報道が多かった。

老齢のご婦人インタビューに答えて「津波で亡くなった主人の遺志を継いでいきたい」というようなことを語った。

しか字幕スーパーは「の遺志を~」に書き換えられていた。

当事者自分自身配偶者を主人と呼ぶことすらNHKは許さないのだ。

この老婦人にとって夫は主人と呼ぶべき人物だったのであろうし、この世代の人々にとって「人前で自身男性配偶者を呼ぶ場合自分がへりくだる」というのは当たり前の価値観である

たとえ家庭内ではカカア天下であったとしても、ともあれ人前では、自分は夫を立てる身だというポーズをとることが彼らには自然であるはずだ。

 

世の中が家父長制を否定しつつあるという風潮と、ある一個人が家父長制を受け入れているかどうかは、まったく別次元の話である

耳の聞こえない人がこの報道を見たとき、「ああ、このご婦人は主人とは呼ばず夫と呼んだ」と思うだろう。

夫という言葉には、主人という言葉に込められていた思慕や崇敬の念が抜け落ちている。

主人と呼んだか夫と呼んだかで、在りし日の夫婦関係性のニュアンスの受け取られ方が変わってきてしまうはずだ。

主人って呼んだのに。

 

世の趨勢に合わせてNHKが言い換えを進めるのは別にかまわないと思う。それを迎合とは思わない。

だが、現実市民が発した言葉を、ニュアンスを捻じ曲げてまで編集してしま権利はないと思う。

個人生き方価値観踏み込むような狼藉は許せない。

2023-01-29

鈴木邦男と朝まで生TVネット団塊叩き、三島切腹関係

鈴木邦男が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りする。

鈴木陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである

また風桶式に鈴木が居ねばネット団塊叩きも無かったんであるちょっと説明しようと思う。

 

新興宗教2世六本木道場

鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動学生運動に身を投じ、全共闘左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題宗教二世だったのだな。

この道場乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6

今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。

日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後右翼運動胎盤みたいな場所なんである安倍政権日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会安倍政権日本会議関係問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。

この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家教祖谷口雅春の著書を出版して思想教義を広める為に設立された出版社だ。しかフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。

 

余談だが防衛庁(当時)の庁舎2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである六本木赤坂物価より安い上に生長の家道場防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。

ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者売店使用することは出来なくなった。

六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格パンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。

 

盾の会と森田必勝

1970年三島由紀夫市谷駐屯地東部方面総監部占拠割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。

この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞退職してしまう。(デモでの狼藉解雇されたとの話)

鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。

 

余談だが、小泉政権時代男性女性判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女学生時代右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動プリンス立場だった森田との交際の噂もあったとの事である

1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。

 

黒塗り街宣車軍歌最初に止める

鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれ新左翼に対抗する為に生まれ政治権力癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手新左翼自体が、日本共産党暴力路線放棄する事に反発して生まれもので、要するに暴力vs.暴力

最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車旭日旗日章旗軍歌を流すというスタイルが定着した。

鈴木代表を務める一水会も黒塗り街宣車軍歌を流して通行人威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。

という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バス国防色止めたのも同じ動機だ)

すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。

 

ただ、話を聞いて貰えないスタイル流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くとき相手が折れてやり易い訳だ。

更に活動費というのは支持者の寄付機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。

するとシノギ手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼スタイル模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンバスの方がいい。こういうのを警察用語右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。

 

激突全共闘新右翼から朝生

鈴木はこういう威圧じゃなくて議論対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。

そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である

 

この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想ポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。

 

そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。

そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。

それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗テレ朝に持ち込んだ企画朝生だったんである

当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNN放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。

 

こういう経緯だから最初の頃の朝生体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原最近朝生は最早保守左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘新右翼討論会成功で行けると踏んだのが朝生なのだから

そしてこの討論会鈴木の左右を超えた交流議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから鈴木存在朝生を産んだと言って差し支えないんである

 

元気になった全共闘上がりへの反発

こういう風に鈴木活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立て必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書である

この動きに対し、同世代松原隆一郎文藝春秋社の雑誌諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者全共闘叩きをする記事を寄せた。

まりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代増田もそう)の日本支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイル確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人プライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代わがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。

 

些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。

 

鈴木赤報隊

最後現在統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件赤報隊に関して。

1990年代新右翼を名乗る男の脅迫柳美里サイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木SPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。

すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである赤報隊情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊情報は二度と官憲提供しないと書いてそれきりになってしまった。

結局赤報隊鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである

 

ヤクザ人権デモ

ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介鈴木ヤクザ人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトロー人権とは笑止」などと言われてしまった。

2023-01-08

anond:20230108151236

汚い言葉かい言葉尻よりも言われた「内容」について考えてみれば?言葉尻なんてただの過去狼藉に対する怒りの発露でしょ。

嫌な事をされたら怒りを持つのは当然の権利ですよ

2022-12-15

anond:20221214103746

元増田の内容とは関係ありませんが「本来なら喧嘩両成敗で同罪」などとデマを流している人がいるので指摘しておきます

浅野による殿中抜刀事件被害者の吉良が喧嘩両成敗は勿論のこと、処罰自体を受けなかったことは過去の事例にも沿った極めて妥当措置です

戦国時代における各国の法令江戸時代における慣習法としての喧嘩両成敗は喧嘩を仕掛けられても応戦を禁止するものであり、一方的狼藉喧嘩区別されるものでした

事実江戸時代殿中抜刀事件において喧嘩両成敗で被害者処罰されたのは「刀を抜いて応戦した」事例に限られており、鞘に収めたままの刀で受け止めた後に自ら取り押さえた事例であっても処罰されていません

他の理由による処罰では被害者が逃げ回ったことで周囲に被害が及び死傷する人間が出た事例が挙げられますが、赤穂事件ではその場にいた人間が速やかに取り押さえたことで吉良の他に被害者はいませんでした

狼藉を止めず傍観した人間処罰された事例もあるので、その場にいた人間浅野を取り押さえるのは当然ですが、あっさり鎮圧されず止めに入った人間も負傷させていた場合は吉良が処罰された可能性はあります

2022-12-11

anond:20221211082129

錦の御旗を掲げて狼藉三昧の連中が賊軍に落ちればみんなこぞって石を投げるもんだ。人間社会普遍的メカニズムで異常な風潮でも何でもないからな。奴らはヘイトをまき散らし過ぎた。

2022-10-11

怒りは何も生まないっていうけど

今回ひろゆき狼藉を色んなジャンルの人らがめちゃ怒ってて、それを見て安心したというか、逆に誰も怒らなかったらと思うとそっちの方が怖いと思った。

まあ私個人の感想だけどね。

2022-09-18

anond:20220918131258

やっぱ密な飲食店とか満員電車とか阿波踊りリスクしかないんだねってコロナが教えくれたってはっきりわかんだね

2022-09-18

道徳犯はどこに棲息するのか

飲食店の座敷や座席やテーブル子供おむつを替えるようなおかし感覚の人って、インターネット世論比較して現実には普通に多くてビックリすることってありませんか?

ネットでは賛否両論どころか100人中99人はありえないと否定しているはずなのに、リアルではなんか普通にみる。トイレに捨てていく人とか座席放置していく人とかも。

ネット上でも目撃談はしょっちゅう語られる。主に不快感を抱いた同席者が投稿してる。まあ衛生関係の注意って相手汚物扱いするようで勇気がいるし、それが相手の命より大事であろうお子さんのシモのことならその場で言いにくいのはわかる。自分我慢すれば済んでしまうなら尚更である

でもその数に対して、別にそのくらいOKでしょって意見や、私はやってるよって声はほとんどと言って見ない。

たまに少子化危惧過激派のおじさんが猛烈な勢いで擁護してることはあるけど、当本人の親御さんらしき擁護意見ほとんど見たことない。何故なのか。

予想

スマホを持ってない

機能文盲情報が入ってこない

・都合の悪い言説は脳がミュートしている

・劣勢になる話題には面倒なので参加しない

・本当は悪いとは思っているので後ろめたさから発言しない

日本語ユーザーではない

育児で忙しいからあまりスマホを触らない

この辺りなんだろうか?

この話題では未婚子なし勢以上に子持ちが強く怒っているのを見る。狼藉者の連帯責任で子持ち出入り禁止風評被害を被ることが多いからだろう。

故意のぶつかり魔とか、借りパクする人とか、特定の子にお世話係を押し付け教員、上映中に喋る人もその被害ばかり語られて、やる側の発言全然出てこないよね、ネット

まだ明らかに違法犯罪者の方がピンク板に集結して可視化されやすいくらい。

anond:20220917083948

2022-08-10

ぶっちゃけ統一教会よりも浦和レッズとそのサポーターの方が危険だよな

ノーマスクで密集して大声出すと言う観戦ガイドライン違反の繰り返し

https://www.jleague.jp/news/article/22898/

アウェイ戦で障がい者専用シャトルバスに乗り込んで乗客を威嚇、他多数の狼藉

https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/49985

対戦相手サポーターへの殺害予告

https://twitter.com/grapodotnet/status/1556998289454960641

これ、ここ1か月くらいのトラブル事案。なんか統一教会の方がまともだよね。世の中のルールには違反しないよう気を付けているっぽいし人に危害加えないか

2022-06-07

はてなってテレビ番組にたとえるとサンデーモーニングみたいな位置

同好の士』が集まって言いたい放題。敵と見なせば舌鋒鋭く批判するが、身内の狼藉には甘い。加齢臭

2022-05-13

anond:20220512135148

今までフェミニズム一人一派だって言ってたじゃない

これもまた一人一派なだけでしょう

過去フェミニストが働いたあらゆる狼藉を野放しにしていたくせに成り済ましにだけ過剰に反応するのはなぜ?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん