はてなキーワード: 独り言とは
引きこもってた時期がある
部屋に一人で居ると脳内で会話したりするようになって
独り言みたいな事を言うようになった
街でちょっとオカシイ人が一人で喋ってるのを見かけた事があるけど
あれに近づいていってるのか、と自分でも恐怖を覚えた
1年くらい前にまた社会復帰に挑戦し始めた頃に
そこに小さいおばちゃんが働いてた
ジュディマリのボーカルの30年後みたいな可愛らしいおばちゃん。
そのおばちゃんはやたら話をしたがる人で
俺の必要最小限以下の相づちでも不満そうにする事無く、話しかけて来た
暇な店なりに他のお客さんが来た時には
無職の時期があると全てにおいて自信がなくなる。
友達の数も片手で足りる状態になった
その気持ちはよくわかるけど、寂しい。そして気が滅入る。
おばちゃんはそんなこと無視。自分の話したい事だけ話して来る。
「朝ご飯なに食べたの?」「スケートのまおちゃん知ってるでしょ」「こないだ膝が痛くなってね」「そこに○○医院ってあるでしょ」「スマーホって何が出来るの」「私はね、冬が好きなの」
適当に相づち打ってただけなんだけど
俺にとっては、これがリハビリみたいになってた
目の前の人の言葉を聞いて、気持ちのいい返事をする。それだけ。
ただ揚げ足とったり、メタ視点から「お前も同じじゃね?」なんて返事したり、
誤字やら日本語の間違いばかりに目がいったり、陰謀論にこじつけたり、
そういったネット(大部分は2chだった)での歪んだコミュニケーションで染み付いた悪いクセが
おばちゃんに返事するだけ、って時間を繰り返すうちに抜けていって
同世代の人とも昔と同じように会話できるようになった
全員に効果あるとは思わないけど
鬱っぽいヤツはネット文化に触れてないお喋りなおばちゃんと喋ると
改善するかも知れないよ
もしかしたら小説を書いたりするのも同じ効果があるのかもな、って今思った。
思っただけ。試してない。
どっかの誰かの役に立ったら嬉しいな、と思って書きました
元増田です。
子育てって人生って疲れるけど子どもってたまに狙わずにすごい幸福感くれるよねって話なのが、
すごくずれてしまった。
私が姉に冷たいって数多くのご指摘は否定しない。事実そうだと思うから。
私の人生を姉に捧げる気はない。
こう思えたのが40歳くらいのこと。もう私は十分頑張った。
病名に関していい加減なことを言ったのは私にとっての問題は病名ではないからだけど
いざその病気で苦しむ人には配慮がなかったと思う。申し訳ありません。
酔ってたし感動してたしで長男をいたく美化して書いたが
優しいのは事実だが、まあ年相応に弟にひどい時も多く、日頃は喧嘩ばっかり。
ただ弟はいらんことしつつも兄ちゃん大好きだし、
じゃあ見に行ってやるけど兄ちゃんのジャンプ絶対さわるなよ!みたいな会話を見てて
いいなと思って書き込んでみたら、正直反響の大きさにびっくりした。
長男や次男に理想を求めすぎないようには気をつけてる、でもこれからも気をつけるよ。
子どもが親の顔色見てるのも自分がそうだったからよく知ってる。
例えばあの時、長男にありがとう!!って私が涙なんて流したら、長男は学習してそればっかり言う。
テレビ見て、なんでもないことのことに守ってあげたのにねって言うから
こっちも内心涙出そうに感動したけど、なんでもないことのようにさらっと流した。多分長男はもう忘れてる。
反抗期迎える前の煌めきだし、長男だって次男だって悪い時もいい時もある。
子どもの出す物音がすごく苦手みたい。
機嫌がいいと一方的に話しかけてくるけど、誰かに何か一つでも指摘されると不機嫌になって戻らない。
でも自分はすぐ人をしつこく攻撃する。我慢できずに相手が反撃すると不機嫌になって会話終了。
家族相手には甘えて強く出るが他人には不機嫌になるだけで何も言えない。
5年前に工場の職場で揉めて退職して以来、今はずっと家にいる。
全く姉にいい思い出がないなんてこともない。愛情がないこともない。
だから姉がかわらないかな、ちょっとでもいい方向に行かないかと努力したこともあったが
だから自分が壊れてしまう前に、姉を恨んでしまう前に逃げただけだ。
恨んだり嫌いとかでもない、ただ諦めたのだ。
姉をクズと思ってるとかじゃなくただ途方にくれてる。一体どこに解決する道があるんだろう?
子供相手に姉の文句を言うこともない。そもそも会話に上らない。
ただ、なんでおねえちゃんは挨拶しても無視するの?って聞かれたら
おねえちゃんは子どもの立てる物音が苦手みたい、あなたが悪いわけじゃないからそっとしておいて。って答えてる。
姉と私は一緒に遊ぶわけでも電話するわけでもない。いくら子供でも仲良しと思う方がどうかしてる。
会話にならないんだからもちろん長男や次男が姉を救えるはずなんてない。
大人になって親は親で大変だったろうなと思えた。
私に普通の娘像を求めるのもまあわからんでもない。お姉ちゃんをなんとかわかろうとして頑張ってた。
そこに親の気持ちを察した妹が顔色見てピエロになってくれたら助かるのも無理はない。
今も無職の姉を老いた両親はなんとか社会復帰させようと支えてる。
あなたがお姉ちゃんの人生に責任持つ必要はないって言ってくれるだけまともだ。
みんなが姉であり長男であり私であり、色んな角度から手厳しいコメントをくれたように本当に家族って難しい。
正解はどこにあるのかわからないけど、子供たちが幸せになってくれるように
長々とすみません。
自分との約束を守れない。締め切りがあったとする。数日前には終わらせる計画を立てるし、実際に取り組みもするも、終わらせられたためしがない。良くて締め切りギリギリで、しばしば締切を破りもする。心の底からコンプレックスで、自己嫌悪の大本なので、改善したい。
そう思って時間管理術からGDTまで手を出してみたがうまくいかない。そもそも、事務処理的な書類に関しては締切を破ることはないので、単純に計画性や自己管理の問題ではないのかもしれない。書けないのは大学のレポートやエントリーシートのようなまとまった文章だ。受け入れがたいが、私は物事を考えることが苦手なのかもしれない。
文章をだらだら書く事自体は好きだ。常にノートに独り言を書き連ねているタイプの人間だ。しかし、人に見せる文章を書けないようでは全く意味がない。
正確には「可愛い子が自分に向かって話しかけてくるゲーム」が楽しめない.
どういうことかと言うと,自分はボイス機能をONにしてゲームを継続できたことがない.
ギャルゲでも乙女系でもシミュレーションゲーでもソシャゲでも.
理由は簡単で,どうしようもなく恥ずかしいから.
恥ずかしいと言っても「二次元キャラの会話を真面目に聴くとか(笑)」みたいな恥ずかしさではなく
「自分が好意を寄せている子が話しかけてきてるどうしよう」という恥ずかしさ.
だから,自分があまり興味が無いキャラ相手ではそんなことはないし
好きなキャラが他の子と話してる音声なんかでは全く問題ない.むしろどんどん喋って欲しい.
「好きなキャラ」が「自分に向かって音声を発している」という状況が多分ダメなんだと思う.
おかげで,あぁダメだって思った瞬間からもうボイスはOFFにして進めざるを得なくなってしまう.
で,今日ふと悲しくなったんだ.艦これのケッコンカッコカリ実装の知らせを聞いて.
艦これを普通にプレイする分には平気.可愛い子の独り言は好きだし,戦闘シーンも問題ない.
ケッコンしたい子はいるし.ケッコンカッコカリシステム自体は嬉しい.
でも,きっとボイスは聴かず仕舞いなんだろうな,と思うとすごく悲しくて,あぁもうケッコンもしなくていいやって.
正直な日記を書いたら(バレ防止はしてあるが)
おっさんとか釣りとか言われるけど、実際そんなことないんだけどな。
ってムキになって反論するのもここでは野暮だしやめておく。
ずっと思っていたことを書いてみた。
いっぱい反応が貰えて嬉しい。
こうやって皆どんどん増田にはまってゆくのかな。
匿名だから、皆何のためにやってるんだろう?って思っていたけど
人前で言うのも憚られるようなことを相談できて嬉しいな。
本心かどうかわからないけれど、優しい言葉をかけてくれる人がいるというのは嬉しい。
厳しい意見も嬉しい。
皆さんありがとう。
ウェアラブル端末が今後のトレンドとなりそうだけれど、数年の後に「ハード」と「ソフト」の境界は更にぼやけていきそう。
ただし、Google glassもiWatchも「身につける」という行為の「不自然さ」に慣れるのが難しいように思う。
とすると、やはり「身体」に「直接」デバイスを組み込む方が合理的。僕らの体の中で「破損」を繰り返そうとも比較的代用が容易いのは「歯」だと思う。音声通話の類いも奥歯から音声を交換しあう。こちら側の音声は器官を通した空気と吐き出す際の空気の振動を信号に変換。相手側の音声は歯茎を通じて音の振動が耳の付近に伝わる。端から見れば「腹話術」あるいは「やたら目立つ独り言」を話すひとに見えるだろうか。
やがて眼鏡はコンタクトに、コンタクトはレーザーメスへと視力矯正の技術も変遷していることから、ウェアラブル業界もその手の方向に進むのではないかなあ。密かに期待。期待しながらどこか恐ろしげ。「写真を撮ると魂を抜かれる」と信じていた時代のひとたちもこんな気持ちだったのかな。
行きつけの飲み屋が周年イベントで食べ放題飲み放題企画をやるという話があったんだよね。
常連の飲み仲間やその友達の酒飲み友達と何人かで事前に話が盛り上がってて、
「みんなで行こうぜ!」
「何時に集合しようぜ!」
とネットで盛り上がっていたわけよ。
そしたら、それを見ていたおばちゃんが、誰に向けてというわけではなく独り言。
真意を問いただすべく聞いたところ、
「私はお店をやっていたから知ってるの。そういうイベントの時だけやってきて食い散らかしていくけちな客が必ずいたわ。大っ嫌い!」
こっちはお店に結構な割合で通っていて、自分でいうのもなんだが客単価的には毎回相当の飲食をしていて、今回のためにお祝いの一升瓶を用意して、誘う飲み友達もお店が気に入って今後通ってくれそうな人だけに声をかけて、なによりイベントは混雑するだろうから飲み直しはあっちのお店でという計画まで立てて気を使ってたんだけども、そもそも実際に会ったこともなく、そんな背景を知らない上に、お店の常連でもないどころか、
「あのお店は私が理想とする店とは違う」
と吐き捨てる外野のおばちゃんにそんなこと言われる筋合いないわな。
そんなモヤモヤを引きずっていたある日、おばちゃんの発言。
「ネットで公開していることなんて実生活のごく一部のにそれが全てだと思っちゃう人っているのね。馬鹿みたい」
いや、それあんたのことでしょ。どれだけ特大のブーメランだよ。
一般的に言う「女の子と話をする」の「話」って、実は具体的な意味があったんだな。
ようは「これから恋人になる事を前提に相手の事を探ったり自分をアピールしながら話す」って事。
友達グループにいる女の子とか職場の女の子とか普段から話してるけど、そういうのとは明らかに違う種類の会話。
それに気付いた瞬間「あーこれ確かに無理だわ」ってようやく認識できた。そういうの気にしながら話をするのって、何か物凄く汚い感じがして好きじゃないし居心地が悪い。拒否反応がキツすぎる。
ナンパは悪い事だと少年時代に漫画から教わって育った結果がこれ。
29歳にして処女を失って思ったのは、やっぱ早めに失っとく、経験しておくべきだなあって事。
法律を堂々と無視して言うのもなんだから、まあ20歳前後くらいで経験しておきたかったなぁって思った。
20代半ばの時に、これはやばいんじゃないかと思ってネットで色々検索すると処女の重要性を叫ぶ人が多い印象受けて、
まだ体を許せる相手が現れてないんだなあ、早く現れて、え、処女なの?って喜んでもらいたいなあワクワクとか呑気に思っていた。
で、実際最近彼氏というものができて処女を告白したら、珍しがられて、嬉しいみたいな事を言っていた。
なるほど…これが自分の彼女が処女だった時の男の反応か…なんて冷静に思ってたんだよね。
でもそっからの進展がなかなか難しい。
基本受け身になる。
騎乗位も、してみてって言われてしてみたけどクソ難しくて、相手もあんまり気持ちよさそうじゃなくて
なんか申し訳なくなって焦って「いつものでいいよ」って言って降りてしまった。
フェラも、してみる?って言われて、冗談っぽく聞こえたのでえぇー嫌だよーって笑いながら返すっていうやり取りを2,3回した後、
おもちゃも、使ってみる?って言われたけど「ええーw」って笑って返して流れてしまった。
目隠しも、お風呂でも、云々云々……。
恐らく一般のカップルなら当然のようにしている事を突っぱねてしまった。
ここで問題なのは突っぱねるのも問題なんだけど、自分が、知識もあって本当はしたいけど
なんかあんまりノリノリですると処女のくせに知識ばっかあるエロい人間みたいに思われるんじゃないかと思って
今まで性的なことに全く興味がなかったというキャラ付けをしてしまったことだ。
あー私処女を拗らせちゃったんだなあと思った。
もっと何も知らないうちに相手がいる状態で、いろんな知識を身につけていったなら、こうはならなかっただろうなと。
そう思ったところでどうしようもないんだけどねー。
まあ彼氏は彼氏で最初から前戯なしでゴムのローションで適当に濡らしてすぐ挿入するような人だったんだけど、私がもっと積極的だったら違ったんだろうなあと思う。
適当に書いていきます。あくまで適切で当たっていることで、雑って訳じゃないぜ
しかも独り言だから。俺は増田の用語とか分からないし、今までの俺の投稿にもたくさんあったけど、結構悲しいこと言ってくる人がいるのよね。2ちゃんねるやっていて耐性が少しはついたけど。
んまあ前振りはこのくらいにしておくよ。
そーだな。思った事といえばやっぱり大学進学の事かな。
俺って河合模試の偏差値50とか言ったことない、バカでございまする。
とか言って志望校はMARCH以上。普通に考えたらふざけてるよな。
MARCH以下の大学は行く意味がないとか思っちゃっている自分がいるからかな。俺の周りは頭がいいし。
世の中で結構有名な人って、いい大学に行ってるじゃん?(僕の中での”良い大学”ってのは早慶上智難関国公立とか言われているやつ)
俺って割りと本読むのが好きなんですよ。んで本屋さんで著者の紹介の文章とか見てるのこの”いい大学”に行ってるのね。
ヤンキーがたくさんいる高校を卒業した人でも慶応大学卒業だったら周りの評価も違うもんね。
少なくとも日本は最終学歴が良ければええんや、終わりよければ全てよし!
さあ今の僕を見てみましょー。偏差値はどうかな?いい大学は入れるかな?
えええ? 50もいってないじゃーん。平均以下じゃーん。NEETにでもなりたいのかな?
進学校と呼ばれている高校に入って僕は何していたんだろー。あははははは。
ああ昔に戻りたい。少なくとも3年前に。けいおん!にめちゃくちゃハマっていたあの頃に戻りたい。
高校に入ってこらアニメとボカロとかは封印したからまったく今のはわからない。えるたそ〜
さあまもなく新年だー。はっぴーにゅーいやー
この選択によって俺の将来もずいぶんと変わっていくんだよな。
結婚して、子供を二人くらい作って、俺の両親とは違って仲の良い夫婦で楽しい生活を過ごせたらいいな。
学歴と富と名声もほしいけど。
2年後、俺がこの文章を読んだとき、笑って今の俺を振り返られたらいいぜ。
2年後の俺よ、どーよ?留年してないよね?アニオタじゃないよね?彼女いるよね?童貞は卒業してるよね?
おなかすいた
勝手にでき婚をして勝手に離婚をして子ども3人を連れて帰ってきた兄。
子どもの世話は夜寝る前に寝転がってパズドラをして話し掛けてくる子どもの返事をするだけ。
他は全部父と母と私。
弁当を作るのも、洗濯をするのも、学校で必要なものはないか部屋は寒くないか暑くないかと気にかけるのも、
夕飯が出来るまで遊ぶのも、休日前に子ども用のDVDを借りてくるのもその他諸々数えきれないほどの細かい事を父と母と私がする。
その間兄は独り身になった気軽さから、同じ離婚した友人と遊んだり、新しくできた彼女とデートをする。
父と兄はそりが合わないので、兄は来年には家を出ていくと言っていた。
田舎にログハウスを建ててそこで子どもと、彼女と彼女の連れ子と一緒に暮らそうと思っているらしい。
子どもの貯金さえ母に言われるまで何もしてなかったこの兄が、再婚して家を建てるなんて可笑しかった。
けどそれでも構わない、早く田舎のどこでもいいからログハウスとやらを建ててこの家から出ていけばいい。
再婚して幸せになるならないは気にならない、幸せになっても不幸せになってもいい。どっちでもいい。
この家から出て行ってくれればそんな事は全く気にならない。
父と母は母親のいない兄の子どもたちを不憫に思い気にかけているが私はこの子たちが大嫌い。
母親のいない子ども達より、その子どもたちに振り回されてへとへとになっている両親の方がよっぽど不憫だと思う。
離婚原因は元嫁のカードの使い込みという事になっているが、もし直接の原因がそれだとしても
嫁がカードの使い込みを始めるきっかけは絶対に兄にあったんだと思う。
「初経験はいつ?」「お義母さんって男性経験どれくらいですか?」など無神経に聞いてくる女で大嫌いだったが、
離婚原因に関しては同情する、兄がいない間、知り合いがいない中あの狭いアパートで子ども3人に囲まれていたんだから。
父と母はもう60手前で、本当は自営の仕事も少し抑えてゆっくりしていこうとしていたのに、
私も父と母に子どもの世話を押し付けるようで夜の外出は控えるようになった。
汚したトイレの床を拭くのも嫌だ。
作ったご飯を捨てられるのも嫌だし、食事の際のマナーを注意するのも嫌だ。
子どもに気をかけている両親を見るのも嫌だし、兄にびくびくしているのも嫌だ。
兄と子どもが大嫌い、早く出て行ってほしい、出て行かないなら死んでほしい。
家の前の道路でも、どこか知らない所でも、どこだっていい、死んでほしい。
兄に言えばいい、両親の育て方が悪い、私が悪い、色々考えたんだよ。
友人には言えないね、こんなの恥ずかしい事だし、言われた方だってコメントしづらいもん。
疲れた。
私が死んでもいい、でも私が死んだあと子どもの世話をするのが両親だけになってしまう。
それは嫌だ。
死んでほしい。
さっき軽く抜いて賢者モードで書いてるからそんなに興奮してないんだ。
賛成か反対かで言えばもちろん反対。 普通に怖いよ。
でもSNSとか友達の間でもあんまり反対の意思表明はしなかった。
もっと言えば「反対」って言えば言うほど、意見の違う人との距離が離れていくような気がしたから。
そこには意見が異なる人たちを揶揄する言葉がたくさん並んでいた。
この人たちと僕は完全に分断されているような気がした。
ぶっちゃけこいつらに何言ってもつうじねーよ。みたいな。
でもそれでいいのかな?
議論を重ねるってのは異なる意見をミルフィーユみたいにかさねて、それから考えて、また話してまあ言葉を尽くした後にまあじゃあ採決しますか?ってな流れだと思うんだけど今の議論てのはAの山とBの山を別々に盛って異なる意見同士がすり合う感じがしない。
まあ実際は色々やってるんでしょうけど。
だれかが言ってたけど、原発の可否と特定秘密保護法案て反対の人は反対だし賛成の人は賛成で分断されてしまってるよな。
イシューごとの国益のとっての善し悪しもあると思うけど分断されちまってるのが一番国益?を損ねてるような気がするよ。
半分が反対だったら国のパワーも半減するような気がして。単純な話じゃないっすよね。
そんなに生きてるわけではないんだろうけど、それでもいろいろあったものだとは思うのです。
で、その結果が、今の、周りに信頼できる人が誰も居ないという状態。
私が悪いのはわかっていても、何が悪いか分からないし、それを治してくれそうな人も居ないのです。
昔は、いっぱいひとがいて、そのなかでずっとのんびりしていられました。
そのうち、幾らかの人ともっと近くなりました。
でも、近くなるとそれだけ相手の嫌な部分とかも分かるのだとおもいます。
それでも私は一緒に居たかったけれども
だとしてももうこれ以上いてもきっと向こうが嫌な思いをするだけ、っていうのがわかってしまって。
こんなことをしていたら、さいしょのひとたちとも、もう誰も話せなくなりました。
正確には、近くで話せない、でしょうか。殆どの人は本当に見えないですけど。
これで問題なのは、私が生きていて、人を求めているところなのです。
もう已にサンプルはたくさん存在するのですから、私が居てもマイナスにしかならないのはわかっています。
それでも、私は人と関わっていたいようなのです。最後に悲しむってわかっていても。
私のこの願望は消すことができるのか、それとも満たすいい方法が存在するのか。
正直後者はもう無いとは思っているので、どうにかしてこの願望をなくしていたいとは思うのですが
それがあってこその人間というものか、みたいなイメージもあるわけです。
ただ、それならどうしてこの世界の人間は人と一緒にいられるのでしょうか。
つまり、近くでも一緒に居ることができる方法があるということだと思うのですが
私にはわからないのです。
近すぎてもだめ、というのは聞いたのですけれども 私がそれほどまでに求めすぎているのでしょうか。
でもそれって向こうが満足していてもこっちは満足してないわけで。
要は本当に満足した関係、は私にはできないのでしょう。
私はそんなに特殊なのでしょうか。
寧ろ私のような求めすぎる人同士なら合うということもあるのかもしれませんが
きっと求めている距離感というのは人それぞれ違うもので、完全に合う人なんて存在しないのだと思います。
世の中で過ごしている人たちのほとんどは人との関係を妥協しながら生きているのだと思います。
それは正しいし仕方ないことだとはおもいます
でも私はもう少し、自由でありたいとか、満足していたいとか、思ってしまって。
私の異常な部分はどこなのでしょうか、何が原因でそこまで人から離れてしまうのでしょうか
それは治るのでしょうか、また昔の人たちと一緒にいられる希望はあるのでしょうか
きっと、答えてくれる人なんて、誰も居ないのです。
・・・こんなところに書いているなんて、矛盾しているようなものだとは思いますが。
私が何を欲しているのかすら自分で把握できないのです。
わかっているのは、私が自分勝手で、何かに苦しんでいるということだけ。
自分でもマイペースな性格だと思ってるけど、対人になるととにかくペースを乱されやすい。
コンビニ店員の僕は、
お客さんが怖そうな人だとすぐ乱れる。
一度に多くの用件が入るとすぐ乱れる。
顔を赤くしたり、手が震えたり、頭が真っ白になったり、、、
そんな感じで、ほんとに些細なことですぐ乱れる。瞬間的に焦る感じ。
お客さん側から見ると「当たり障りのない普通の店員」ではなく「変な店員カテゴリ」に入ると思うし、
僕がいつも不安な気持ちで接客してるから、「お客を不安にさせてる」と実感してるくらいです。
こんな僕はたぶん「あがり症」で、
一人でいるときはマイペースだけど、対人では「人に合わせようとするタイプ」かな。
そんな性格が原因なのか、いつまで経っても「コンビニ店員」として慣れない。
乱れからくる他の悩みといえば、
コンビニ店員になると「接客用語を会話っぽく話せない」のも悩み。
「店員」としての立場になると「録音された言葉を話すロボット」みたいになる。
以上のことから僕は、
「人に合わせようとすると上手くいかない。むしろダメになるマイペース」になるのかな。
相手に不快な思いをさせないように「対等に話したい」「普通に話したい」って気持ちはあるんだけど、結果的にダメ。
唯一の取り柄としては、「マジメそう」って思われてるくらいだろう。
多くの人に共感されそうな悩みじゃないと思うけど、
僕だったらこんな店員、危なっかしくて絶対に雇わないと思う。
いきなり話しかけられると「あ、はい。」で始めちゃうし、幼少期の関係で「人を怖がってるところ」もあるのだと思う。
しかも最近、「相手に空間を支配されてしまっている」という感覚がある。
対人では「自分のペースを失う」というか、すごく「みっともないなー」と思います。
■追伸
ググってみたら、確かに僕は「対人恐怖症」の症状がいくつも当てはまっていました。
症状を知れただけでも大きな収穫になったので、ここで吐き出してよかったです。
みんな一人で何かを考える時ってどうやっているのだろうかとふと気になった。
私の場合は一人で考えるときは、常に誰かに語りかけるように考える。具体的には壁のない(認識できない)空間の中で、椅子に座ったマネキンのようなものに向かって、ぐるぐる歩き回りながら演説したり語りかけたりする。マネキンの顔には知人の写真が貼られている感じかな。マネキンが何かを話してくることはない。私が一方的に何かを常に話している。ときにはマネキンは複数人固まっているケースがある。まあ実際には個々で説明したようなビジュアルが本当に視覚的に浮かぶわけではないけど、自分の頭のなかの有り様を変換するとこういう表現がしっくりくる。意図してこうしているわけではなくて、その考えを話す他者を想定しないと一人で考えをまとめることができないので自然とそうなる。本当に誰かと会話しているときはそうならない。
なんでこんなことを書いたのかというと、こういうスタイルは他の人も普通にやっているものだと思い込んでいたのだけど、そうとは限らないのではないかという疑問が湧いてきたからだ。もしかしてそういう他者を想定することなしに一人でものを考えられる人もいるのだろうか。あるいは、もっと特殊な形式で考えている人もいるのではないか。そいういう考えが脈絡もなく湧いてきたからだ。
上で書いたような思考方式が他の人も普通にやっていることだったら安心するので、そう指摘してくれると嬉しい。もしそうでなければ、大変興味があるので自分なりの形式について表現してみて欲しい。
追記
はてブやトラバで教えてくれてありがとう。いやあ、考えるスタイルは人によってぜんぜん違うんだな。ざっとみてみると、文章で考えるタイプと声で考えるタイプと、イメージ(妄想)で考えるタイプの3種類に分けられるようだ。私は声で考えるタイプなんだろう。ただ、誰かに話しかけるというスタイルより、独り言として完結するスタイルのほうが声タイプのなかでは多数派かな。いずれにしろ予想以上に面白い反応が得られのはありがたい。ひきつづき教えてもらえると嬉しい。
「オナニー以下の独り言ブログ」「意味が無いどころの騒ぎではない文章」「どっちが意味のない記事か聞かれても、はてなブログと答える程度にひどい」「オナニーなんてレベルでもない」「twitterで事足りる」と延々と記事の質に文句を付けておいて「僕は記事の質ではなくスパム行為を問題視しているんです」?
http://anond.hatelabo.jp/20131030030638 の続き
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/31/102349
言及ありがとうw
「オナニー以下の独り言ブログが量産されて」る事はどうでもいい。勝手にやれ。
はてなブログという場所がそういう客層だというイメージになる事を勝手に心配しているだけで、正直関係ないので勝手にやれ。
こっちも勝手に「あそこはクソだ」と言っているだけだ。お互い様。
問題はこっちだ
そもそもspamの排除すらできてないはてブのシステムが悪いという意見があったが、その通りだ。
だが、お前らのやってる行為もspamと同じである事実は変わらない。
もう一度言うぞ。
俺達は勝手に文句を言っている。
おあいこだ。とやかく言われる筋合いは無い。
アナタに読んで欲しいから書いている訳でも、アナタに読ませたいから書いている訳でも無く、アナタに読んで欲しいと頼んでいる訳でも無い上に、アナタから何の見返りも受けていないし、アナタの意見も求めていない。
そっくりそのままおまえに返してやる。