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はてなキーワード: 独り言とは

2014-10-11

悩み相談

普段あまり喋らないで頭の中で独り言ばっかりしてるせいか、とっさの挨拶とか「この席どうぞ」とかがはっきり発声できないんだけど、どうにかならないかな?

脳内で同時に発声している(言葉を思い浮かべてる)から主観的にはちゃんと発声したように思えるのが問題なのではないかと考えてる。

2014-10-10

クソリプ問題で分かったこと

クソリプ問題で分かったことだけど、みんな見ず知らずの人に結構リプライを送っていることだった。

これってすごくない?例えば外でて独り言つぶやいてる見ず知らずの他人にそうそう話しかけないでしょ?

これと同じことが何故ネットだと成り立つわけ?みんなそんなにコミュニケーションに飢えてるの?

画面の向こうには一人の人間がいるんだよ。手が届かないだけで。ネットって恐い!私がコミュ障なだけ?

2014-09-21

独身男の独り言について

俺は独身

そう、30だ

良い大人だ

彼女もいない

そんな俺がはてぶの辛口批評記事を見て

「いよ!今日も尖ってる!尖ってる!」

とか独り言を言ってみても

虚しいね

合いの手を入れるのは今日でお終いだ

明日からは無言で見てやる

2014-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20140918133628

ハード屋崩れのIT土方独り言です。

LED動かすよりもっと面白い世界がありますAndroid端末のbootloaderからhackはいかが。まぢマンパワーが欲しいわ。ハード叩きまくり世界でごわす。俺Tabletを作るのはどうでしょう

Surface宣伝みて、俺の端末がSurfaceみたいになるぜとかどう?どう?USBだってハードつなげれるようになるよ!

2014-09-16

私は恋をしたことがありません

私は異性・同性を問わず誰かを愛したことがありません。恋に落ちて有頂天になるということがどんなことなのか分からないのです。


私は来年で四十歳を迎えるのですが、恋人というものが居た試しはありません。

そして、それについては孤独感よりもむしろ解放感を抱いているところがあります

独りぼっちで何がいけないんだろう、私がそれで満足しているのならいいんじゃないか、と。

両親にこの話をしても通じないので、「なかなかこれといった女性出会えない」と言ってかわしています


世間では恋愛というものを美しいものとして語ります。人と人とが恋し合うことが当たり前のことのように喧伝されます

それは私のような人間にとって酷く苦痛です。まるで恋愛をしていない人間人間ではないと言わんばかりの風潮を感じます

そんな風潮から逃れたい、そっとしておいて欲しい人間も居るということを忘れないで欲しいのです。


そもそもこの「恋愛理解出来ない」という感情子供の頃からあったように思います中学校修学旅行

お決まりの「誰が好き?」という話になったのですが、私は適当名前を挙げて誤魔化しました。

人は必ず恋愛しなくてはならないんだ、という思い込みはその当時は根強く残っていたので

名前を挙げたその女の子のことを好きになろうと努めました。しかし、結局片思い(?)のままで終わってしまいました。


以来、私の意識の中から「恋をしなくてはならない」という無言のプレッシャーを感じるようになりました。

他人を愛することが出来ない自分人間として欠陥品なのではないかと思ったこともあります

もっとはっきり言えば、人間としてどこかが壊れているということです。


それが、「別に恋愛なんてしなくても生きていけるんだ」と思うようになったのはつい最近のことです。

大雑把な言い方になるので間違いがあれば指摘していただければ有難いのですが、恋愛はもともとは宮廷遊戯として始まったと聞きます

それが大衆化したのが二百年ほど前。しかもその概念日本でも知られるようになったのは明治時代。百年ほどしか経っていません。

これを知ってから別に恋愛」という概念自明のものではないのだな、と思うようになりました。それは一種の救済でした。


これは非モテとかそういうのとは別の問題です。恋愛をするチャンスを虎視眈々と狙っているのが非モテだと思うのですが

私はそういうもの特に狙っていないのです。ひとりで居るということに解放感を感じているというのは前に書きました。


長くなってしまいました。以上、朝からハイボールかっ食らってる男の独り言でした。

2014-09-15

大嫌いなぼく19才

まだまだ休みなので昼からウォツカを舐めながら最高にハイなかんじで若干独り言液晶ディスプレイに吐きかけながらうるさいメカニカルキーボードを叩いているので意味不明なところは勘弁してもらいたい。

おれはまた男の娘と寝てしまった。ある街のラブホテルで,朝気が付いたらかわいい男の子が隣に寝ていた。その前夜はオフ会居酒屋に行ってた。無くなりかけの記憶の鱗片を掴みとるに酔った勢いで連れ込んでしまったらしい。stayは前払いなホテルだったようで財布からは一万円が消えていた。給料日からといって奮発しすぎなのではないかというちょっとした後悔はある。相手は心は女の子だが体は男の子だ。正確に男の娘と呼ぶのかどうかはわからない。男の娘という言葉を示す範囲については沢山議論されているだろう。ただ俺の主観による解釈では男の娘だと認識しているしおれは男の娘という言葉が好きでとても興奮するし股間が反応する。

この記事を相手に読まれたら少し恥ずかしいような悲しいような気持ちになる。ただおれは後悔していない。またしたい。

おれは男の娘とも女の子とも寝るのが好きだ。いちゃいちゃするのが好きだ。セックスするのがすきだ。男の娘えっちするのはいけないことなのだろうか。かわいければナニがついてようがついていまいがかわいいである。一緒に寝たいのであるホモセクシャルバイセクシャル性同一性障害?は?なにそれ?ちなみにバイセクシャルである公言している女装子さんと致したこともあるし,バイセクシャルのひととも,性同一性障害の相手ともしたことがある。しかし至って普通におれはノーマルなのだ。おれがおれのことをノーマルだと思ってるからノーマルなのだ。古のオッサンの言葉を借りるに我ノーマルだと思う故に我ノーマル,だが本当にそうなのだろうか,実際のジャンル分けでは何なるのだろうか。あと一つきになるのが何故他の男連中はナニの有る無しで相手を選ぶのかということだ。可愛ければそれでいい的思考に何故ならない。最近はほんと磨けばかなりかわいくなれるような男の子がたくさんいる。一方いくら磨いてももう対象として見れなさそうなクソマxコもたくさんいる。男の娘のほうがどうされれば気持いいかわかってて優しくやってくれるしかわいいし最高だ。女の体もやわらかかったりメリットがあるがそれと同じほど男の娘メリットがある。みんなも視野をひろくもっていこうな。

ともかくおれは男の娘女の子が好きだ。寝るのが好きだ。寝るのがすきなので行きあたりばったりで遊べるだけ遊んでる。若いから仕方ないのだろうか。偶然にも今までの相手は割と簡単にさせてもらえた。おれの顔とスタイルセンスはマシな方なのだろうかもしれない。今回ついに経験人数が4bitの上限を超えた。セックス依存症なのではないかと自己嫌悪していまう。酒を飲んで酔っているときとだれかを抱いているときしか気持ちが存在しない。それ以外の日常は無のまま過ごしているような気がする。クソみたいな18歳だ。客観的にみて自分はクソだ。本当にクソだ。自己嫌悪しかでてこない。死ね自分小学生のころにみた某深夜アニメOP歌詞のように,大嫌いな僕19歳になってしまうのか。おれはバイセクシャルなのか,一体なんなのかというのも若干疑問に感じている。

でもどうすればいいのかわからない。

からぼくは今日現実逃避だ。

この瓶が空くまで録り溜まったアニメを観て

寝よう。

2014-09-13

さっき起こった出来事


さっき起こった出来事。

父親と母親と私で私に関する話をしてて終わる。私は私の部屋へ。

父親が思いついたようで、私の部屋に来て

父親「(私の名前)、明日おじいちゃんおばあちゃんに報告にいこう。いいやろ」

私「別にいいけど」

父親が居間に帰る

母親「(私の名前)が断らないからって自分の思いつきを勝手押し付けるのやめてほしい。パワハラや。普段は先祖がどうとか一切何もしてないくせにおかしいやろ。(私の名前)の心は中学の時に傷ついてて、一緒や」

母親と父親の強い口調の会話が私の部屋まで聞こえる。

私としては、思い付きだけで行動する父親も大嫌いだし、混同された言葉上の論理だけで生きてる母親も大嫌い。

ここで夕食の準備が終わる。父親が私を呼びにくる。

父親「明日報告にいくの嫌か?先祖がいてお前がいるんやから。一人で生きてるわけでない」

私は別にどうでもいいという気持ち。

父親「俺にとってはパソコン見てるのとかいつでもいい。」

私が居間に戻って、母親「さっきの話どうなった?」

父親「別に嫌じゃないやろ?」

私「別に母親あいまいな返事はやめなさいって言ってるやろ。後からホントは違うかったって言われるのが嫌だ」

(それは言葉誤用であり混同されてる感じ。)

以下、独り言。


親は私に興味があるとは思えない。私がどうしてるかなんてネット見ればわかるのにね。まぁこれは私の願望が強いけどね。

私はパソコンで何をしてるのかって、思うことを表現してる。

思えば、思うことを表現できない小学生時代虐待しかなかった中学生時代

高校生になって、携帯を持った。私は毎日脳内毎日ライブドアブログ投稿してた。

思ったことをデジタルに吐き出すのは高校生からの習慣だったね。


私は親に長文メールを送り付けたことがあるが、その結果としては、親が私を理解する気があるとは到底思えない状態。


親は子供幸せになってほしいという。

私が人間人間だと信じてる視点から言えば、それは正しいのだけども

私の親が私に対しては、よくそんなことが言えるなという気持ちを思い出し、殺意も思い出す。

苦しみの涙なのか、殺意の涙なのかがわからない。



子供を育てる時に、子供必須能力は、表現能力である。私は本当に言葉が大嫌いで言葉が分からなかった。


2014-08-31

痴漢被害と勘違い

痴漢をされたことがある。

初めて被害に遭ったのは18の頃。

某大型古本屋立ち読みをしていた時だった。

集中して読んでいたところ太ももに人が当たってきた。

本屋なので邪魔だったのだろうと少し横にずれ、そのまま漫画を読み進めた。

するとまた太ももに当たってきた。

何度かずれる、当たられる、ずれる、当たられるを繰り返すうちに、もうずれるのも面倒になってそのまま漫画を読んでいた。

それにしてもなぜ何度も手がぶつかるのか。そういえば太ももだけである。なにかがおかしい。

まさか痴漢なのでは。

一瞬頭によぎった。

しかし、当時の自分の服装というと短髪、Tシャツカーゴパンツスニーカー

自分の中の「痴漢される対象からは程遠かった。

少し自分容姿の話になる。

小さい時から、男に間違われることが多かった。

スカートを履いていても「ぼくいくつ?」と言われることも幼稚園に入る前はザラだったほど。(母談)

中学高校時代は友人から中性的な顔をしている」と言われていた。

女の子からきゃーきゃー言われることも少なくなかった。

服装も制服以外でスカートを履くことはなく、前述したようなTシャツカーゴパンツジーンズというようなもの。男物を買うこともあった。

公園公衆トイレなどを利用すると入ってきたおばちゃんに「あら!?ここ女子トイレよね…?」と独り言を言われ外まで出て再確認されるくらいだった。

そんな容姿自分が、まさか痴漢被害に遭うだなんて考えてもいなかった。

なにが起こっているのかわからずとりあえずそそくさと逃げた。

なんで被害に遭った側がこそこそ逃げなくちゃいけないのだろう、などと思いながら。

それから数年経ち、何度か他の本屋でも被害に遭った。

そのうちの一件は逃げる途中でカバンを掴まれたりされた。

そのどれも声を出したり店員に言うことはなかった。

最近電車でも痴漢被害に遭うようになった。

本屋とは違い、揺れ動く車内。

さら判断は難しくなった。

太ももやお尻などを触られている、時には前を触られることもあった。

そのどれも本屋同様なにもせず、ただ逃げた。

つい最近、また被害に遭った。

それはいままでの満員電車と違い、乗客もまばらで全員が座っている車内だった。

座ったまま少し居眠りをしていた。

太もも横に人の手が当たったので横にずれた。

おじいちゃんやおばちゃんなどはわりとぶつかってくるからだ。

ずれたにも関わらずまだ手が当たる。

太ももと座席の隙間に手を入れられそうになっていた。

小さい子どもかもしれない、そう思い少し目を開けると隣には大人の影があった。

次の駅で電車を降りると、同時に加害者も席を立ち他の車両に移っていった。

その日に考えたことがある。

ポスターなどでよく見る、痴漢です!など声を上げられる人はなんて強いのだろう、と。

痴漢の手を掴んで、なんてことをよく聞くがそんなことできるわけがない。

痴漢を突き出すために自分時間を奪われたくない。

痴漢に声などかけて相手の声を聞いてしまったらしばらく耳からその声が抜けない、そう考えるとこちらから何か言うのも嫌だ。

相手の手を掴むなどもってのほか

そんなやつに触りたくもない。

そもそも自分なんかが被害に遭う意味がわからない。

勘違いだと言われるのが関の山だろう。

性犯罪を減らす機会を潰しているのだろうな、次の被害者が出るのだろうな、と考えつつも結局なにもできず逃げるのはどれくらい罪に問われることなのだろう。

最近はそんなことを考えながら過ごしている。

2014-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20140825161637

余計なお世話だとかそれ以前に、

・俺はそれを願って、トラバ飛ばしたんだよ。今のままでは糞個人的意見過ぎて面白くない。

これこそ「お前がどう思って書いたかなんてどうでもいい」

けどまぁ、反応が斜め上でこんなただの独り言よりは百倍面白かったけどもw

2014-08-15

文章が書けなくなりました。

「ここに書いてるやんけ」と思うかもしれませんが、それはここがほぼ完全に匿名から

正確に言うと「自分ブログ更新できなくなってしまいました」ってことです。

ネタがないわけじゃない。

時間がないわけでもない。

書こうと思うといやな気分になる。

なんでだろうか。

以前はもっと楽しんで書いていたはずなのに。

「ここ変えたらもっと面白くなるんじゃね」とか独り言言ってました。

完成した文章を見て一人で笑っていました。

ええ、とても痛い子でした。ほんとうに。

でも面白かった。

自分で楽しんでいたころの文章は今見ても面白い

他人が見て面白いかどうかはよくわからないけど、知り合いには好評だった。

でもある時期からぜんぜん面白い文章がかけなくなった。

記事の没が増えた。

記事を書いていても楽しくない。

書いた記事を見ても面白くもなんとも無い。

ブログを書くことが苦痛になってしまったのだ。

理由はわかっている。

痛い子じゃなくなったからだ。

自分は大人だと主張するようになったからだ。

そんな文章面白いか?

いや、もちろんそういう文章でも面白くすることはできる。

はてなにはそういった文章が日々集められているじゃないか。

じゃあ自分との違いは何なのか?

おそらくは文才なのだろう。自分には間違いなく無い。

ただの紹介文なんかが面白いけがない。

以前はそれを痛い解説をつけることでなんとか面白くしていた。

だがそれができなくなって文才で勝負しなくてはならなくなった。

それが今の状況。それはわかっている。

そして解決法もわかっている。文才を上げればいいだけだ。

だが、はっきり言ってそれは無理だ。

いや、無理というより文才がつく前に心が折れてしまうと言ったほうがいいか。

ここまで読んでいただいた方には感づかれてしまったであろうが、自分には文才以前に語彙力が足りない。

語彙力は日々の積み重ねだ。

他人と会話し、小説を読み、映画を鑑賞し、自分還元していく。

そういった基礎的な行為自分は怠ってきてしまった。

漫画ゲームでも多少は語彙力はつくだろうが、やはり状況説明が画として示されてしまうので、どうしても差がついてしまう。

内容も子供向けになってしまいがちだから、なおさらだ

(もちろん大人向けのマンガゲームもあるが)

もうすでに遅いのかもしれない。

いや、もう遅いのだろう。

から多少小説を読んだくらいでどうもこうもならないのは間違いない。

だがブログをやめたくはない。

もうすでに自分アイデンティティひとつになってしまった。

アイデンティティがこれ以上減るのはもういやなのだ

さて文才がつくのが先か、心が折れるのが先か。

どうなることやら。

実は

「もうアイデンティティなくしちゃえばいいんじゃない?」

かいうのもいいかもしれないとちょっと思った。

人間何にもなくなったほうが強く生きれるってもんです。

吾妻ひでおみたいに失踪してしまおうかね?すぐ帰ってくるタイプの失踪ね。

本いっぱい持ってどっか行ってしまおうか?

でもやっぱりへたれなので、やるとしても暖かくなってからにしよう。

2014-07-22

どもる。

どもりがある。

どもりっていうレベルじゃない。

自分でも気がつかないんだけど、ずっとしゃっくりのような音を立てているらしい。独り言を言っていることもあるらしい。

どもりがあることは自覚があるけれど、ずっと音を立てていることには本当に自覚症状がない。

人前で話すことがとても苦手だ。

一言目がぜんぜん出てこない。

なので面接があるっていうだけで就職はする気になれなかったし、じゃあ高校卒業したらどんな道があるのかっていうと、名前を書くだけで入れる専門学校があった。

そこに行った。

担任は喜んでいた。一応国家資格が取れるような学校だったんで。

そのとき国家資格ちゃんととって、その道で職人として生きていこうと思っていた。

でも卒業してもどこにもいけなかった。

就職するには面接しなきゃいけない。面接するっていうだけで話せない自分想像できるし、そんなみじめな自分を見せるくらいだったらって、就職したくないに丸をつけた。

先生方は喜んでいたように見えた。一応担任心配したふりなのか少しは本音なのか何度かチャレンジを進めてきた。

でもだめだ。

どもりがなかったらって思う。

人前で流暢にしゃべることができたら自分人生はぜんぜん違っていた。

どうしてこうなったのだろう。

何も考えずに話していたころは普通に話できていた。

両親に申し訳ない。でもこうなったのもあの人たちのせいだと思う。

どもりがなかったら。

電車での携帯電話

この前某私鉄に乗っていたら珍しくごっつい黒人がいた。

首都圏では別に珍しくもないかもしれないが、関西圏では見かけることは多くない。

ビジネスマンか?もしくはバックパッカーか?と黒人について一人思索にふけっていると

黒人がごそごそ仕出して服から何かを取り出し始めた。


携帯である

おそらく日本の独自ルールである電車の中でのケータイ禁止」を知らないのだ。

英語で輸入がどうとか数量がどうとか話し始めたので恐らくこの黒人ビジネス

わざわざ日本まで来たのであろう。私の謎はここでとけたわけだが一つ気になったことがあった。

いつも携帯で話していると「携帯止めろ」といううるさい車掌黒人に注意するのだろうか。



10分経っても黒人はまだ電話で話している。

車掌はまだかまだかと待っていると、ついに車掌列車のドアを開けて登場した。

狭い車内でアジア人ばかりの列車にごっつい黒人が一人、しかも大声で話している。

気づかないはずがない。

車掌は歩き始めてしばらくたつと立ち止まって思いっき黒人に目を合わせた。

黒人車掌目線など気にせずに延々と話をしている。

私は車掌黒人にどのように注意するのか楽しみに待っていた。


しかし、車掌は3秒ほど立ち止まった後、何も無かったかのように立ち去った。

いつもは「携帯を切れ」とうるさいのに黒人に対しては特権を与えたわけである

私は非常に納得がいかなかった。車掌に一泡吹かせてやりたい気になった。


恐らく車掌最前列車までまた戻ってくるはずだと思い。

私は座席を移ることにした。車掌が出ていったドアから一番遠い位置に移った。

ここならば車掌が入って来てからアクションをとるまでに時間的な余裕がある。


待つ事10分、車掌が折り返して戻ってきた。窓に車掌のシルエットがうつった。

ラッキなー事に黒人はまだ大声で話している。

私はすばやく携帯電話を取り出すと、大声で話し始めた。

車掌は今度は黒人を見ることもなく、ツカツカと歩き始め黒人座席を通り抜けた。


そして私のところまで来て小さな声でこう言った。「電車の中では携帯通話はご遠慮ください。」

私は言い返した。「あそこのごっつい人さっきから大声で話してますよ。」

車掌「あの人は、、、外国人ですし。」

私「日本語分るかもしれないじゃないですか。どうして注意しないんですか。」

車掌「恐らくわからないでしょう、後ほど英語の分るものに注意させます

とにかく携帯通話はご遠慮ください。ペースメーカーにも影響がある可能性がありますので。」

私「私ペースメーカー使ってますよ。6年前から入ってますがまったく影響ありません。」

車掌「。。。」


車掌はその後無言で立ち去った。私は大声で独り言を再開し、勝利の余韻を味わった。

意味不明規則がなくなるのはいつの日だろうか。

2014-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20140721234740

リア充の仲間にも、オタクの仲間にもなれない

一匹狼というより群れからはぐれた羊の

増田独り言でした。

2014-07-13

喪女

三次元の異性に相手にされないので二次元の異性に優しくされてる。

三次元にもクイックセーブとクイックロードが欲しい。

あと好感度アップ、ダウンのエフェクトなんかも見れたら最高。

喪女独り言でした

2014-07-10

からずもはてなーの特徴を表した反応

http://anond.hatelabo.jp/20140710042820

一般的なやり方する奴は肝が据わってない、に一般的なやり方しないとバカにされるのか、と返す。

最初からなにか特殊フィルターの掛かった人間同士が、他人意図をおかずに独り言を繰り返しあってるだけ。

2014-07-07

はあ

気がつけばお前は死んだほうがいい、俺は死にたいということばかり考えている。

交差点を見ると轢いてくれないかなと思うし、階段を見ると滑って頭を打たないかなと空想する。でも最近線路を見ても吸い込まれそうにはならなくなった。進歩かもしれない。

人と喋っていても(俺は会話できないから一方的に話される)ほとんど頭に入ってこない。言語能力問題以前にコミュニケーションする気力が無い。人の話にそんなに興味が無いのが原因である気がする。俺は自分が最低なゴミだと認識しており口を開くと良くない言葉を発してしまうのでなるべく口を閉じるようにしている。能動的に発話する機会があるとあとで非常に後悔してもう二度と話さないぞという気分になる。

自称友達のいない人間自称コミュニケーション障害人間ツイッターの俺のタイムラインで仲良く会話している。非常にエモい気分になる。俺のツイッター自分でもなんだかよく分からない独り言をつらつらと書いているだけなので読んでも気持ち悪くなる作用しかない。

いつから死にたいと考えていたか、遡ると小学校の頃からだったような気がする。その頃から俺はどうしようもないクズ人間底辺だと日々自分に言い聞かせていたような気がする。楽しかったはずの記憶は直近のも含めて大体忘れてしまったり、俺が体験したのだという感触を失ってしまった。

大学入学した直後、本当に死にたくなってさすがに不味いと思って適当施設に駆け込んだ。尋問によって強迫性神経症?と診断されて薬を渡されて飲んでいた。飲んでいる間は確かに死にたい気分は失せていた。その代わりに何も考えていない自分が残った。半年程で通院を辞めた。死にたさは薬を飲み始めた前後で別の質感を持つようになった。薬は余っているけど今は飲んでいない。蓋しあそこは俺みたいな中途半端人間が行ってはならない場所なのだろう。医者も快方に向かっていると言っていた。良いことだと思う。たまにDMが来て電話しろと言われるが電話が怖いのでしていない。

趣味はあったけど興味がだんだんなくなってきた。中学生高校生の頃はプログラミングに傾倒してゴミみたいな能力しかないのに承認を貰うなどしていた。音楽とかも好きだった。今も気が向いたときに続けてはいるけど最近は何が楽しいんだか分からなくなってきた。技量もそんなに伸びなかった。新しく何かを始めてももう何にも熱中できないんだろうなと考えると絶望的な気分になる。これから人生楽しいことや運命的な出会いをすべて素通りして生きていくのだと思うとどうしようもなさしか感じない。

死ぬ方法はおおよそ考えている。どっかのYouTube自殺阻止を喧伝する動画で、コンセント電線を指して胸に当てて死んだというのが大変参考になった。今は死にたさのライン苦痛ラインを超えてないから当分は死なないだろう。でも将来も何も考えていないので早いうちに死んだほうがいいと思う。

本当はもっと書く予定だったけど書いたら安定してきた。プレビューを押すと全然行数が無いので驚いた。俺は普段から何も考えていないんだなと思った。

2014-07-05

親父が、ちょっと不安なことあると、ふーふーうーうー、独り言(相当悲観的なもの)言っていてうるさいんだが。

元々病的な性格プライドが高くて、思い込みが強く、高圧的)だったが、最近特におかしい。

精神安定剤みたいなのはもらっているようなんだが、あまり効果が内容だ。

こちらが

「何がそんなに心配なんだ?」

と親父に尋ねると

親父は堰を切ったように一気にしゃべりだす。こっちの理解がおっつかないが、親父は一方的にしゃべり続ける。

なにがどうなってそんな悲観的なのかよくわからないので、

「まず『問題点はなに?対処はどれだけあってそれぞれのメリットデメリット対処しないと最悪どうなる』とか紙に書いて整理してみたら?」

といってみると

「そんなの紙に書かんでもわかっとる」で一蹴。

なにがしたいか知らんけど、他人意見聞く気がないなら騒がず自分で解決してくれよ。

病院はいっているようなんだけど効果ない。

こういう場合家族ってどういう対処したらいい?

2014-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20140701120439

どこかのまとめサイトで、すれ違う時に「アチッ!」って独り言を言う、というのがあったよ。

2014-06-30

魔術の福音

民俗学の先輩が言うには魔術や呪術の類いは人の願望の産物なのだという。どうしても欲しいけど手に入れられないものがある時、

人は魔法でも使えたらと独り言ちる。中には本当に禁断の書物を繙いて(ひもといて)しまう人もいるのだから驚きである

日本では言霊という概念があるね。これは西洋には全く見られない独自の思想というふうに言われるけど、根っこは一緒なの。

どうしても呪いたい人がいる時オンソワカ~フンヌラバ~と呪い言葉を繰り返していると相手にダメージが与えられないかなと願うわけ。

そういう血なまぐさい思想技法体系は何も陰陽師さんに限ったことではなくどこの国にもある。シャーマンだってそうだ。


ただまあ現代ではそういうのは流行らない。原初的人間文化形態ではあるが、成熟した文化は魔術性を封印していく傾向にある。

いわゆる土俗的な文化であれその例外ではないのだよ。原住民というといつまでも魔術とかまじないとか信じてると思ったら大間違い。


なぜ流行らなくなるかという時に科学進歩するから胡散臭い文化排除されるというふうに説明する人がいるね。これも矛盾した説明なんですわ。

最初に言ったでしょう。人の願望の産物だと。願望がある限り魔術は生き続ける余地がある。けれどもその願望というもの自体流行らなくなったら?

そういうことを考えてみたことはあるかね?文化成熟して利便性が向上することで泥臭い願望というもの自体流行らなくなる。そういう話なんですわ。


魔術と混同されがちなのがスピリチュアリズムである。これは似て非なる代物と言って良い。魔術は欲望モロ出しのおっぴろげなのに対して

スピリチュアリズムは着衣エロティシズム略して着エロでね。着メロじゃないぞ。表向きは隠すの。つまり魔術が人の願望が生み出したモンスターだとすれば、

スピリチュアリズムというのは願望をうまく手なずけ善い生き方をしようという思想(これもまた願望ともいえるのだが)が生み出したモンスターといえる。

しばしば現代スピリチュアリズム元ネタとして言及されるのが19C前後西洋神秘思想(occultism)であるが、なるほどそこまで遡ると

確かに多分に中世からの魔術思想に源流が認められるところはある。まあ似てるんだけど、そもそもの発想が違う。

魔術は願望の成就を目指すのに対してスピリチュアリズムと来たらどうだ、願望のコントロールを目指すのだ。スピリチュアルやね。


で、権威的な話をすると魔術とスピリチュアリズム関係は、支配者と奴隷関係に似ている。魔術のほうが支配者ね。魔術を使って支配するのではない。

魔術っぽさがここでは肝心なのね。何も魔術なんか実在しなくたっていい。それっぽさに一部の人々はカリスマ性を感じるわけ。ここに芸術の魔術性がある。

時代音楽家たちに影響を与えた書物、ピーターバスティアンの『音楽霊性』に書かれていたことも結局はそういうことだった。

支配と芸術関係性を理解しているかどうかは重要よ。支配者は魔術師でありながら奴隷たちには魔術ではなくスピリチュアリズムを勧めるの。

結局これって権力というもの普遍的に語る1つのフレームワークだと思うんだけど。プロレタリアートブルジョワジー関係だってそう。

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