はてなキーワード: 独り言とは
増田は生物学的性・性自認・性的指向すべて女性で、社会人になってからずっとエンジニアをしています。
最近、皆さんもご認識の通り、あるイベントでの発表が物議を醸しています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/logmi.jp/294756
この発表や付随する世の反応(主にTwitter)を拝見してからずっと、心臓がざわつくような感覚を覚えています。
自身の気持ちを整理するため、今まで自分が”女性エンジニア"として生きてきて遭遇した様々な不自由さと、本件に対して思うことを文章にしてみたいと思います。
ただでさえ特定されやすい属性ですから、多少のフェイクが混ざるかもしれません。
初めて、かつ最大の不自由さを感じた出来事は、ある会社で起きたことでした。
言葉にしてしまうと、とてもシンプルでよくあることかもしれません。
どのようなことがあったのかは、思い出したくもないことなので割愛します。
具体性を欠く話になってしまいますが、複数の第三者の告発を経て収束した出来事でしたので、
行きすぎたフェミニストの過剰反応ではない旨、信用していただければと思います。
色々な心情からしてしまったことではありますが、今となっては全く無駄な時間を浪費してしまったと反省しています。
もし子供がいたら、きっとこのまま泣き寝入りしてしまっていたと思います。
結局、様子のおかしいことに気がついてくれた職場の同僚や先輩が、各所に通報してくださり、
Aは社内で秘密裏に制裁を受け、私には謝罪といくらかの示談金が与えられました。
Aとは直接話をしていないのですが、真摯に謝罪をしてくれたと信じています。
ただ、それまでの過程でAの上司から受けた言葉で、もうこの会社にはいられないと思い、転職する結果となってしまいました。
Aは社内でもそれなりの地位にいたため、その上司となると執行役員クラスになります。
上司からは対面で「自分の監督不行き届きだ、申し訳ないことをした」という旨の謝罪を受けましたが、その中の小さな一言に本音が見えてしまいました。
「ただ”この程度のことで”Aを懲戒解雇にはできない」
この一言で、もうこの会社から貰う給料で生きていたくないと思うようになり、できる限りの早さで転職先を探し、退職届を出しました。
仕事自体に不満はなかったため、必要ではあるが不本意な転職となってしまいました。
すぐ転職できる状況だったなら、示談金も受け取って得したじゃないかと思われる方もいるかもしれません。
しかし、この件でしばらくは心療内科のお世話になることになりましたし、最寄駅もAに知られていたため転居の費用もかかりました。
今でこそ心療内科のお世話にはなっていませんが、当時は自力で睡眠を摂ることもできなかったし、
Aに似た背格好の男性を見ると動悸がして動けなくなったりしました。
何より、一度損なってしまったものは回復しても元どおりにはならないのです。
この出来事を境に、自分は心身ともにすっかり変わってしまったと感じています。
本件を通して、一人のエンジニアとして受けた損害は不本意な転職だけではありませんでした。
当時、はてなブログで簡単な技術メモのようなことをしていました。
退職後のことですが、そのブログに「楽しそうだね」とコメントがつきました。
きっと私の考えすぎだと思います。そうでない可能性も十分にあると思います。
それでも、「俺はあんな目にあったのにお前は会社を辞めて楽しそうにやっているな」という、
Aからの恨みのコメントなのではないかという不安にとらわれてしまい、ブログはすぐに閉鎖しました。
それ以来、パブリックな場へのアウトプットは一切できていません。
しかしいまや、公的な場へのアウトプットを求められることは、エンジニアにとって当然の時代となりました。
GithubやQiitaなど、エンジニアとしての名刺代わりになるようなアカウントをプライベートに閉じることは、
エンジニアとして生きる上で大変もったいないことだという自覚はあります。
これももう昔のことですから、今更何かあるなどとは思っていません。
それなのに、なぜだか、アウトプットへの気概のようなものを根こそぎ失ってしまい、それを回復できずにいます。
技術サーベイにパスしたり、リファラル採用を活用することで、今現在もなんとか転職活動はできているという状況です。
これ以降も、女性であるがゆえの不自由さには度々遭遇しました。
エンジニアとして採用されたにも関わらず、顧客の受けが良いからという理由で、業務時間の大半を営業同行にあてられてしまった会社もありました。
再三の改善要求にも応じる気配がなかったため、その会社は短期間で退職してしまいました。
会社を見る目がなかったと言われてしまうと、それまでのことですが…
勉強会に参加すると、結構な確率で司会者のアイスブレイクのネタに使われてしまいます。
ひどい時は、受付の時点で「会場を間違えていませんか」と言われてしまうことあります。
「今日は女性の参加者もいらっしゃいますね、嬉しいですね。どちらからいらしたんですか」など、大半が悪意のないもので、非難する意図はありません。
ただ、自分自身でコントロールできない属性を理由に人々の注目を浴びることは、なかなかに消耗してしまうということも、ご理解いただきたいと思います。
多くの人が問題意識を感じている一方で、何が問題なのかわからない・気にしすぎだと表明している人も少なくありません。
こちらのブログで丁寧な所見が述べられていますが、それでもなお、納得のいかない人がいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2018-06-22_women.htm
問題の記事の「女性エンジニアが少ない問題」を「我々の職場に女性が少ない問題」、「女性エンジニア」を「女性」に置き換えてみてください。
記事としてなんら問題なく、意味も意図も通ってしまうと思います。
「エンジニア」という専門職の女性として論じておきながら、その実、期待する役割は「声や女性らしい立ち居振る舞い」といったジェンダーロールの顕現でしかないのです。
おそらく、「女性エンジニアが少ない」ではなく単に「職場に女性が少ない」問題であれば、ここまで炎上することはなかったのではないかと思います。
(もちろん「女性」でも駄目ですが)
ここまで腑に落ちていただければ、
などといった反論が、全くのお門違いであるとご理解いただけるのではないでしょうか。
私たちは女性という属性をたまたま持っていただけのエンジニアなんです。
エンジニア扱いをしてほしいのです。
それをする気がないのであれば、もしくは性差について論じなければならない状況でないのなら、
わざわざ「女性エンジニア」などとカテゴライズして槍玉にあげないでほしいのです。
こんなことを主張しなければならない状況に、もうずっと私たちは消耗して疲れ果てています。
それでも、もし、次の生をエンジニアとして受けて、性別を自由に選べるとしたら、私は迷わず男性を選びます。
不本意な転職を重ねたといえども、見え始めた自分のキャリアに一定の満足もしています。
こういう書き込みってなんで作品タイトルやキャラを隠すんだろう?女性のオタク界隈にありがちだがそういうのを見て常々思う。何か迷惑をかけるケースがあるとでも思っているのだろうか?そういう発想が理解できない。そりゃ例えば実在のアイドルの二次創作、のような分野だったら別だが、その手のアングラではない、一般的な商業流通上にあるパブリックな作品のことでも必要以上にボカして特定できないような書き方をする人が多いように思う。個人的には、自分の思ったことを匿名ですらハッキリ正面切って伝えられないのは、配慮ではなく惰弱なだけだと思う。偉そうに言うが、それは世の中に微塵も変化をもたらさない。もっと世の中と、他人と、その化学変化を信じろ。他人の善性を信じて、自分の思いも過小評価したり卑しめたりするな。そういう声はきっと作り手にとっても貴重なものだ。具体的な言及がきっかけで、興味を持って始める人がいたり、開発者に届いていったりして初めて、状況が変化し、何かが変わる。その可能性が生まれる。もちろんその変化を望む人と望まない人がいるだろうが、自分の鮮明な声が表に出ることを躊躇う必要はない。なぜなら、自分が発した声というのは所詮たくさんの声のうちの一つにすぎず、実際に変化があったとしたら自分だけの声によるものではないからだ。いい意味で自惚れるなという事だ。自惚れないからこそ妙な自意識を捨て、自我の殻を破って物が言えるようになるのだ。そうやって殻を破って発言する人たちの意見によって、世の中のあらゆる物事はつねにバランス調整がなされている。だから、曖昧な物言いをする人や裏でコソコソ言うことしかできない人というのは、その習性自体によって、自分を世の中とマッチしない生きづらい環境に自ずと追いやっているのだ。それでもそういう人たちの言い分としては、ただボカして一般化した言い方をして、自分の好みはバラさずに「分かる」「あるあるだね」と共感を得たい、それで十分だ、何か干渉したい訳でもないし出来るとも思わない、そんな所ではないか。そういう人がいてもダメとは言わない。だがそれはエゴだ。何かのコンテンツを楽しんでいるという時点で、社会に、コミュニティに、経済に参加している。無干渉な傍観者ではありえない。自分の席はカウントされている。そういう場を仕切っている人たちは、ボカされた独り言をいちいち汲み取りに来ないし、直接言われた場合ですら腰を動かすのが重い、重くならざるを得ない人たちだ。ともかく、人の輪の中で生きている自覚があれば、フィードバックは責務に近いものだということ、その内容は率直なものであれば何であれ大事にされることが分かるはずだ。
主語を大きくして話すならば、日本の女性の社会進出がかなり遅れている原因の根っこには、このような「(思いはあるのに)ハッキリ具体的にどうしろと主張する習慣や発想がない」という、悪い意味の奥ゆかしさがあるせいだと思う。もちろん女性にもハッキリ言える分野はあるのだが(生活態度やマナーなどは言いやすい典型)、「物事をどう進めるべきか」のような思想的・政治的な、言わば男性が主導してきた分野についての主張を適切な場で訴えられる人となると極端に少ない印象がある。まずはネットの書き込みから、声を上げる練習をしてほしい。増田なんてそのためにあるようなものだ。もっとも、この件に関しては普通に運営に要望メールを送るのが最善だけれども。すでにそれをした上で、ここで与太話をしているのだったら申し訳ない。
この人?
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/frothmouth/
kowyoshi
絡んでくるんじゃねーよ、今は亡きビリマイみたいできめぇ/最近、意味不明のIDコールをするようになっていて、正直気持ち悪い。死んでも惜しくない存在なので死ね、キモい
dd369
anigoka
MermaidSong
主張があればどんなネトウヨでも非表示にはしないが、無主張にただ嘲笑と思われるコメントを残すだけなので非表示でいいや。しかも無言コールも多用するようだ。無言コール何度もされた人は通報した方がいいでしょ。
white_rose
zyzy
特に主張がなさそうなので、ただのメモ用でidコールしてしまっているだけの人かと思ったら、なんかたまに物凄く雑な差別発言吐いてた。なんだこれ?
possesioncdp ああ、なるほど。IDコール連打してくるからナンだと思ったら以前から同じようなことをしてたけど全く反省なく繰り返し続けてきていると。結局独り言言って逃げるしなんなのこのひとは。さすがに腹立った
私はとある大阪にある空港からアクセスが便利な三つ星(正直星も付けられないほどですが)のホテルで働くアルバイトスタッフです。
ある日お客様に頼まれて加湿器を持っていこうとした際に、私は加湿器の水を入れる部分にカビが生えているのを発見しました。本当ならば清掃さんの仕事なので私が掃除すべきか迷ったので、上の方に「これ洗った方がいいですよね?」って言いました。
じゃないと、部屋中にカビが飛び散る(飛び散るという表現が正しいかは分からないが体にも悪影響だと思う)し、もしお客様が発見したらクレームに繋がるから。
そしたら「どうせ気付かんからそのままにしといて?」ほんま清掃使いもんならんわ〜業者変えた方がええやろ〜。とフロントに程近い場所にも関わらず大声で独り言を呟いていました。そんな人間が上にいる環境で、誰がやる気と誇りを持って仕事が出来るのか。
私はそれからホテルという清潔さが必要な部分を蔑ろにする点や、様々な点でこのホテルに嫌気がさし、最初のやる気に満ち溢れていた頃よりはバイトに出れなくなりました。
他にも、新人スタッフに教育をまともにしない所(見て覚えろ、教えてと言ったら私に聞くなとあからさまにイヤな顔をするなど)や、ある中年男性スタッフからのセクハラ(仕事の事もあるし電話番号を教えてと強要され教えると二人きりでの食事の催促など)、シンプルに口臭が酷いスタッフが多い(勤務中に何度も吸いに行くタバコの臭いと胃が腐ってる様な悪臭が混じった史上最悪の口臭)、お隣と大陸からの団体客を「アホ、頭おかしい、病気を持ってる」などの差別発言、私自身へも「在日韓国人?」と言った外見的な差別、聞こえる様にスタッフへの悪口を言う(上の立場の人間が)、少しでもミスをすると上の立場の人間に「アホとちゃうんか!」と言われる始末。さらには「VIPのお客様だけは絶対におもてなしを徹底して、他はどうでもええから」と平等に対応すべきであるスタッフから飛び出す驚きの迷言。この方は「インバウンドの対応したない、あいつら変な病気持っとるんや」と何の根拠もない事での差別発言。言い出せばキリがないほど、お客様の事は考えない、アルバイトスタッフはゴミ扱い、差別は日常茶飯事、部屋にベビースターのカスが転がってる(清掃があまりにもテキトー)、壁は剥がれていて老朽化が進んでいる、そんな現実がある中、スタッフの対応だけは口コミで評価されている。心では上の人間から言われる言葉に泣きながら、お客様の前では笑顔で対応しているのがフロントのアルバイトスタッフなんです。悲しいです。
だから「すいません、今日は休ませて頂きたいです」って言いました。
ごめんなさい、話題の松井珠理奈さんのインタビューをお借りしました。
早く潰れればいいのに、こんなホテル。
ただの愚痴。
見ている方がイライラする
独り言であれ嫌とか言ってる程度ならともかく公式にクレーム入れるとかやめさせるべきとか言ってるのは何様だと思う
文句言ってるのはごく一部のネットユーザで、問題ないと考える多くの人は一々何も言わないし、関わりたくないからクレーマーに対してそうじゃないとか言うことも少ない
「問題無いと思うから謝罪しません、気に入らないなら見なくて結構です」という対応をするところが増えてほしい
面倒だからとりあえず謝罪はクレーマーが満足するだけで次から次へやりはじめるだけ
何を発言しようが自由で嫌ならそれを見なけれればいいだけなのにそれができない人が多すぎる
馬鹿なクレーマーを満足させるより、あれやったらクレーマーが出るとか考えるせいで無難な面白みもないものばかりになる方が問題
http://president.jp/articles/-/25434
早稲田大学の教授のセクハラ問題が記事になり、またまたハラスメント界隈が騒がしくなっている。
私もこの場で、私が受けた屈辱をネットの海に流して忘れようと思いこの増田で日記を認めることにした。
もう10年も昔の話だからもう時効だろう。私は10年間秘密を守り続けてきた。
本当はもっと早くに公開すべき情報だったことはわかっているが、自分はずっと研究を続けている身だったから、
どうしても言い出せずにここまできてしまった。
私は当時早稲田大学の学部の4年生で、院進することに決めていた。
第一志望を東京大学、第二志望を早稲田大学の内部進学にして院試の勉強に励んでいた。
ちょっとややこしいのだが、私が学部時代に指導を受けていた先生の所属が翌年度から他大に移るということで、
他の研究室を受験する必要が生じた。詳細は避けるが、院試では早稲田の同じ学科内の他の教授の研究室を受験することに決めた。
院試は英語と選択形式の専門科目、後日研究発表形式の面接だった。専門科目は確か7問くらいから2問を選択して回答する形式だったと思う。
過去問を見る限りでは学科のそれぞれの教授が1題ずつ出題する形式のように思われた。私は自分が比較的得意な教授の専門範囲に絞って院試の勉強をしていた。
院試の2週間前くらいだっただろうか。私の受験先の研究室のボスから、「来年からのテーマについて話がある」と呼び出された。
彼の研究の話はいつも刺激的だから、私はワクワクして教授室に行った。ひとしきり今の研究の進捗などを話した後、
彼がふと、「君はどの先生の選択問題を解くか決めた?」と聞いてきた。私はなんでこの質問を?と思いつつ、「あー、はい、今この科目とこの科目をやっています」と答えた。
彼は「ふーん、あのね、僕、今から独り言言うからね。メモは持ってるよね?」と言った後、その二科目の問題を全て読み上げたのだ。
何が起きているかわからなかった。でも、私は愚かにもそれをメモに書き取ってしまった。そして呆然としながら教授室をでた。涙が出てきた。
私が聞いてしまった問題のうちの1題は、当時のボス(受験先ではなく、学部時代の指導教員)が考えた問題に違いなかった。研究室に戻ると、彼がご機嫌で話しかけてきた。
涙が止まらなかった。ボスは教授室に私を招き、どうしたのか聞いてくれた。私はことの顛末をボスに打ち明けた。
「私、先生が院試で出題する問題を知っています。今、〇〇先生から聞いてきました。」
いつもはヘラヘラしているボスだがこの時は「なんで彼はそんな余計なことを?何もしなくたって君なら受かるでしょう?」と声を荒げていたが、
その後ひとしきり黙った後で「この話は、なかったことにしよう。君は普通に院試を受けるんだ、大丈夫、試験問題を知ってても知らなくても君なら受かってたから。こんなのバレたら大ごとになる。」と説得された。
私はもう何も考えたくなかった。ボスの指示に従うことにした。それでいい。私が黙っていれば丸く収まる。早稲田の院試の1ヶ月後には東大の院試がある。それに受かればいい話だ。
自分は自分が、カンニング行為を行うことがどうしても許せなかった。そんなことは私の人生で一度もしたことがなかった。
一度はもう早稲田を受けるのすらやめようと思った。でも東大一本に絞るのは、院試とはいえとてもリスクの高い選択に思えた。私は結局院試当日の試験会場にいた。
問題を漏らされてから2週間で、私は7人の教授の残り5人の研究範囲を勉強し直した。漏らされた問題は解かないと決めていた。これで落ちたら仕方ない。そう思った。
かくして専門科目の院試が始まり、そこには、私が教えてもらった通りの問題が一字一句違わずに並んでいた。
私はその2問には手をつけず、残りの5問から2問を選択して解いた。2週間の付け焼き刃だ。よくできたとはお世辞にも言えない。
後日の面接では、面接官の教授の一人に「これで東大受けるの?頑張ってね」と嫌味を言われた。悔しかったが黙って聞き流すしかなかった。
結局、私は早稲田大学の研究室に合格し、運よく東大の方にも合格し、未だになんだかんだアカデミックと細々とつながりを持ち続けている。
あの会場で、私は院試問題を知っていた。(おそらく、あの研究室を受けた全ての学生が知っていたと思う)。
その事実はずっと私を苦しめてきた。
もっと早くに、言うべきことだった。
院試の前に、言うべきことだった。
でも言えなかった。ずっと、後悔している。今も、後悔している。
もうすぐ院試の季節だ。彼はまだ学生に、問題を漏らし続けているだろうか?
ずっと言えずに居たから、こうして匿名ながらも辛い経験をシェアできて少し気が軽くなった。
それと同時に、「自分も漏洩された」「院試ではよくあること」というコメントが散見されるのは悲しくもあった。
私は潔癖でも真面目でもない普通の人間だ。どんな試験であれ、一部の人間だけが問題を知っている状況というのは許されてはいけないはずだ。
院試の形式でバレてしまうんだね、これは理工系研究科の院試で起きたことだ。
年度も言いたいところではあるけどさすがにこれ以上は勘弁してほしい。いや、もうこの時点でバレてしまうかもしれないけど。とにかく約10年前に起きた出来事だ。
私ともう一人、その研究室を受ける奴がいた。院試問題をバラされた日、私が教授室に入るのと入れ替わりで、彼が出て行ったのを覚えている。
私は、彼とはそんなに仲が良くなくて聞かなかったけど、なんとなく彼もあの日に院試問題をバラされたのではないかと思っている。
なんであの教授がそんなことをしたのか、それは本当のところはわからない。
教授はすごく神経質なところがあって、教授室の鍵が閉まっているかを何度も確かめたり、officeファイルのセーブを異常なほどこまめにとったりする人だったから、
念には念を入れて私が落ちないように問題を漏らしたのかもしれない。
あるいは、自分の研究室を志望する学生に好成績をとってもらって、自分のところの学生が優秀だと自慢したかったのかもしれない。
私の現在の幸せを祈ってくれた人たち。本当にどうもありがとう。
結局あの院試のあと、私は当然、早稲田を蹴って東大に院進した。
研究分野は当時とはだいぶ離れて、その教授を目にする機会も滅多にない。
今は、自分の良心を裏切らなくても良い場所で、同業者の伴侶とともに細々と研究している。
早稲田大学は、いろいろ言われてはいるけれど、私に科学者としての第一歩を踏み出させてくれ、
でもこれは問題提起とか解決してほしい問題として投げるのではなく、私の心の中のもやもやを吐き出すため、そして誰にも聞かれることなく消える独り言ではなく、誰かに聞かれる可能性のあるネットの海への投稿として吐き捨てたくて書いているので既出だとかはひとまず置いておきましょう
生きる意味が見いだせない。でも死ぬのは手間がかかるから仕方なく生きている。
生命保険がかかっているので後2年は生きるけれどそれ以降何をモチベーションとして生きるか決めていない。決めていないので現状2年生きるのに最低限必要なラインでしか頑張れない。それ以上生きることになったとき苦労したくはないが、生きるかどうかもわからない時間のために努力できるほどできた人間でなかった。
こんな生とは死とはとか考える時間があったらまず何かしら行動したほうが百倍マシというのは頭では分かっています。でも趣味なんです。露出狂みたいなものです。タイトルと冒頭数行で時間を無駄にすると確信した方はブラウザバックしたほうが良いです。この記事に意味はありません。
有り難いことに悪くはない人生を送らせてもらえたと思います。それでも積極的に生きる意味がわからない、そして積極的に生きる意味が無ければ生きるための努力をしたくないと思っている。しかし積極的に死ぬのは面倒なので、今のところ消極的に生きている。
これの問題は生きてるだけで迷惑という点です。積極的に生きていないので、生産性が低い。生きるためのタスクがあり、しばしばそれはチームプレイになる。その時私のパフォーマンスは低い。締切ギリギリにしか手を付けない、準備期間があってもサボる。
他に頑張りたいことがあるなら(他人に迷惑をかけるという点でアレかもしれないのですが)まだマシだというのが私の評価です。でも私には頑張りたいことが無い。それなのにしない。私が足を引っ張っている。生きてるだけで赤字です。即刻操業停止すべきです。
他の人にもこれ(消極的に生きているのは無駄だから今すぐ操業停止しろさもなくば生きがいを探せ)を適用するわけではありません。多分。してないはず。他人に迷惑をかけるのはどうなのと思うし、何とかしたほうが周りとしても助かるよねと思うけど、その人のための解決策は人生の操業停止じゃないです。過激すぎる。
でも私は解決策を探すためにまずは生きる意味を求めるのでそれが見つかるまでは操業停止路線で行きます。私は意外と頑固なようです。
Twitterでよく「生きる意味 ない」「死ぬ 面倒」などで検索するのも趣味の一つなのですが、多分、何で生きているのかなぁと、ライトな感じで思考しているであろう人も見かけます。私もライトに考えてます。
手首を切ることはしていません。相談室に電話をかけたこともありません。人生が嫌で嫌でたまらなくて、という方には遠く及ばない、何なら贅沢(「辛い境遇」でも無いのに「大切な命」を捨てようとするなんて)とも言えそうな考えです。
私も本気で富士の樹海に行きたいとか言っているわけではなく、生きることに理由を求めてしまう、面倒なバグにこだわってしまってるだけだと思います。周りの人が優しい(/甘い)ので「あなたにとって生きる意味は何ですか」と言う問を酒の席で投げると本気であれ軽い感じであれ返してくださるのですが、そんなものなくても生きるという人がいます。社会に対して何かしら功績を残して/貢献をしてからでないと死ねないという人もいます。何であれ、理由がなくても生きれる人たちです。なぜ生きるのかを問うて答えが出なかったとしても生きるために頑張れるのが、私の理想とする人間でした。そういう人間として生きる中で、生きる積極的な意味を見つけるのが小中高で夢見た人間でした。無理でした。
私は私の嫌なことが嫌いです。やりたくない。逃げたい。逃げ方として社会的に死ぬだとか、人生操業停止するだとかも選択肢としてあがることでしょう、この先。多分。そうした分岐点でいちいち生きるか死ぬかから考えるのはコスパが悪い。時間の無駄。そういうのは趣味としてやる方がいい。
ですので、分岐点で生きるに自動的に行けるように、仮でも人生の意味を作り、自己暗示し、思い込み、それのために頑張るのが目下の目標です。最低限2年は生きないといけないけれど、その後も生きて、できれば私に投資された分くらいは回収したいから。
権威に流されたい。規律に縛られたい。これを信じれば正解だという唯一の答えがほしい。
小中高までは楽でした。勉強さえして、テストの数字が良ければ、私には価値がある。私には生きている意味がある。と思い込めていた。(実際にはスポーツや芸術等その他の分野で創造するのもすごいことです。更にテストの点を、学校の試験レベルの中途半端さで追求したところで、それは手段(知識を得て、そこから何かを生み出したり発見したり研究したりする)が目的に完璧にすり替わってるのでどうなのって感じです。)
現実社会はケースバイケースで、その時時のベストはあっても導き方はそれぞれでしょうし、ベストは誰が決めるのかという話ですし、ベストを求めるよりベターを求めるべきときもありますし、一筋縄じゃ行かない。そして人生のテンプレートが無い。(昔はあったかもしれませんが、今の社会で実現可能な「中流階級」(平均値ではなく中央値的な……)のテンプレートってありますか? 何歳で結婚何歳で貯蓄何万みたいな)更に人生のテンプレートに私が魅力を感じて、この幻想に人生を賭けたいとなるかわからない。
権威に従い人生脳死プレイな人間は今の時代求められてないことは知ってます。もしくはヤバイ案件に関わらせていざとなったら切り捨てられる人員か。組織の一員であっても自分で考え行動する創造力ある人がほしいんでしょうね、すみません。
就活という、来年以降自分の身分が定まらない今の状況が嫌です。来年以降の身分を自分の責任で選択しないといけないのも嫌です。私の能力と性格を何とかして判断して勝手に職場配置してほしい。そういう経済圏に移住しておけば良かった(そう簡単に国籍変えられるかわからないんですが)
私が頑張るべきフィールドとやることを示してもらえれば頑張るので、という気持ち。
何とかして生きて、何とかしてどこでもいいから職場さえ決まれば、そこで何とか頑張れそうな気がします。そのために今頑張る理由を何とかつくりだして自分を洗脳できれば少なくとも数カ月は生きられるはずです。
そんなことをうだうだと考えながら、保険証裏のドナーの1.に丸をつけました。
人生を閉店するための仕事が面倒なので、無気力に(しかし娯楽は享受し)生きています。積極的に生きるために職を見つける、職を見つけるためにやる気を出す方法を見つけるのが今後の人生の方針です。せめて生きる後2年は、他人に迷惑をかけないように生きることだけは最低限頑張ります。もうすぐ深夜2時。夜ふかしをしない理想の大人に私はなることができませんでした。
以上
おまえアホだろ。と思う。
会社の席の前にいるひと。
「AかBってどうなの」ってこと聞かれてるのに
聞いてないこと説明する。
びっしり書いてある。
親切丁寧だと思っているのか。
みんな時間がないのに。
一番言いたいことは何なのか、直感的にわかるように箇条書きとかにしないと。
人の話が、単語ひとつも言い終わってないのに「はい?」って聞きなおす。
ずっと独り言しゃべってる。
本人気づいていないかもしれない。
電話とか、笑いながら話す。
人あたりが良い、という笑いではない。
それに何もおかしくない。
「なんでだろう」と良く言うけど、それを解明しようなんてちっとも思ってないだろ。
仕事って
これは何を聞かれているか
何をすべきか
とかでしょう。
でも、そうじゃなく
自分が何を話したいのかってことに重点を置いている。
自分は物事を知っている。把握している、ということをまずアピールする。
60過ぎてるひとなんだが。
60過ぎてるから?
昔のホームページにしろブログにしろ個人が好きなもの載せたり書いたりするところで、何を置くかはその人の好みで好きにすればいいところだ
来る人に優しいコンテンツでも一見さんお断りな感じでも好きにすればいい
怖い画像のブラクラみたいなのだって見る側の自己責任で作る人には問題ない
脆弱性ついてPCを壊すとかになれば別だけど通常のウェブブラウザで許可されてるもので何しようが自由だ
そうしたウェブページを公開してるのは、自分の部屋を一般公開して見に来る人に見せてるようなものだ
見に来る人はわざわざ訪問してきて部屋の中を見てるわけで見たくなければ帰ればいい
わざわざ見に来て文句つけるような人は筋違いだし相手にする必要もない
独り言で言ってる分にはどうでもいいけど正式にクレーム出してるとかまである
PCの知識のないライト層まで使うことになったせいで前述のような考えがなくなってる気がする
ウェブサイトは自分の気に入るコンテンツを提供するためにあって気分を害するものは全て許されないものとでも思ってるのだろうか
昔はもっと一般に普及して当たり前のようなものになったらいいなーとは思っていたがその結果がこれなら、面倒なライト層のいない昔のアンダーグラウンド感もあるくらいのウェブのほうが居心地のいいものだったと思う
前にも緑が増えたけど気づいたらなくなってて
ついに初代の黒いやつがいなくなった
別に買わなくてもいいし
なんでもおそろいにすんな気持ち悪いって思われる普通の感覚の人もいるだろうけど
当方おたくなもんで推しと揃えられるなら揃えたいんだよばかーーーーー
じゃあなんで1月に買わなかったんだ
2つともお揃いにしなかったんだ
それは本題の筋になるので
これからその話と
いよいよ白色を買わねばならなくなったわたしによる、わたしのための、独り言をします
注意書きしとくと
以下全てどんちくしょうに頭がかたいおたく個人の考えですので、この推しさんや、推しさんのいるバンドや、そのファンの方方とはいっさーーーーい関係ないので、「なんだこいつうざいわ〜」とかなっても、その矛先を向けるのはわたしだけにしてください。
まず、なんで買ってないかという話
さ、買っちゃお〜となるところで
デザインをよくよく見ると
え、これ、ガチのヤツやん(語彙力)
なんかこう、今までのライブハウス大作戦よりこう、ガチよりのガチなやつやん(語彙力)
え、これ、そんな、推しとおそろーーーいキャピみたいなノリで買っていいやつ?
いや、だめじゃね?
といわけで、黒と(いつの間にかいなくなっていた)緑とは違ってファッショナブルではないと感じられた、結構重めの感じに圧倒されたわたしは買いませんでした。買えませんでした。
こう、ノリでぴゃーーーっとつけていいもんでもないなぁと思ってしまったので。
否、きっと黒も緑もそうだったんだろうけど、そのファッショナブルさから、考えることを避けてきたんだなわたしは。
しかし、やっぱいうてもただのお揃いにしたいおたくなので事情が変わると変わりますわ。
黒いやつどこいったん?推しさん?
ちぎれたのか、なくしたのか、つける気がなくなったのか、知らんですけど、おたくにとって大切なのは「白色だけになってしまった」という事実。
買わなきゃ。
でも上記のように何も考えずにお揃いという目的のみでつけてしまう事に引っかかりを覚えてしまった。
普通の人よりも少しばかり知名度はある自分が、このラババンをすることで、知ってる人が増えればいいなって考えてる
的なことを言ってなかっただろうか。
これはちょっと幻かもしれんけど。
知ってるって、単純に知ってるだけでいいのか。
少しは考えてみることも必要ではないのか。
というわけで、白色ラババンさんのことについて考え、ここに書き出すことで、わたしが白色を買って、お揃い〜〜と浮かれぽんちにラババンをつけていくことを許されたいと思った次第。
視認した限りでは
中2の3月で付属の高校が卒業式でわたしは家にいて、生まれて初めて起震車以外で経験した揺れに泣きながら机の下に入ってたのはなんとなく覚えてる
んまぁ揺れた揺れたといっても東京の西の方だし、本棚とか食器棚は詰まりすぎてて落ちることも割れることもなく、水槽の水が溢れるくらいで、家族もすーぐ帰ってきたし、すんげえ揺れたわ以外はなーーーんにも変わらなかった
でも、ニュース見れば、大変なことなってるし、たくさんたくさんこわい思いして生きてる人亡くなってしまった人いるんだなぁと思い
え?それだけ?何もしてないの?って
してないよ。
大変なんだなぁ大変そうだなぁ
こわかったんだろうなぁ
そんなことを思ってただけの7年よ。
ボランティアもいってないし、この先行くか行かないかと言われれば9.5割行かないだろうし
寄付も〜してきなよって言われたら〜とかなんとなくお財布の中で半端にいる小銭はちゃりんとするくらいよ
だって行ってる人がやってる人が1番正しいきっと
そこに暮らし続けてる人が1番偉いもん
でもさわたしもわたしを生きるのに割りと必死というかそんな気を回せないよね
だから身をもって分かってないことに自分の手と時間を使えないんだよね
娯楽の時間を削ればいいじゃんてまぁそうなんだけど
行きたい人がやりたい人が、行けばやればいいじゃん?って思ってしまうよ。
あとはさ、これはほんとにただのひねくれた考えなんだけど、
“自分の学習のために”とか“人生経験のために”とかそういうので手を出すのは違くない??って思っちゃうから、
お前の学習、人生経験のために被災地は被災地になったわけではない人もまた然り。って思っちゃうから、
ただただ、出来ることがあるならやりたいっていう思いの人だけがやってくれと思うんだよ。
ま、そんなん言ってないで手を貸せという話かもなんですけど。
こういう、考えと姿勢と何もしてこなかった過去があるからきっと白色を買うの躊躇ったんだな。
そんで、自立支援という話に戻ると、
わたしも、年齢的に来年には社会人になるので、そういった部分に直接的にも間接的にも関われる機会というのは今よりも格段に多くなるんでしょう
それに、昨今ニュースを見ていて、被災地に限らず、自立したいけどできないみたいな現場をみて、どうにかしてどうにかすることはできないの?という風に考えることもできるようになったのでわたしが、
と、なるとやっぱ行政に関わるのがはやそうなんだけど、わたしの就職先なんっっも関係なくて笑えてきた
まー「住」には関わるお仕事だしどっかで関われるのかな
とりあえずはやっぱり自立支援の微々たる足しにしかならないけど、ちゃりんとすることくらいしか今はできないのかもね
…ちょっと今月はドリンク代がすでに支払えるのか分からないので、道のりは遠いっすね。
ま、こんなか。思ったより長くなったけど
これは読んでもらうとか発信するとかではなく、わたしがわたしを許すための記録だからおっけーおっけー
よーーーーしじゃあ
後ろから急に後輩が「一緒に入れてください!」と大きな独り言言うから
何だ?と思ってスルーしてたらまた「それ本社に送るんですよね?」と
言うからもしかして自分に言ってるのか?と思いながら振り返ったら
こっち向いて言ってて、「送りたいものあるんですけど一緒に入れていいですか?」
と言ってくるので、スペースはまだ余裕あるし「いいよ」と言って
後輩が渡してきたファイルを詰めて、送付伝票書いて荷物を出しに行ってきたのだが、
ちょっと待てと
「集荷の電話しますね」とか「荷物俺出してきますよ」とか言わないか?
こっちが荷物出す準備でうろうろしてても普通に自分の仕事してるし
先にさっさと帰る準備して帰っていくし……
え、先に帰るんだったら帰りに出して行ってくれても良くないか?
俺この後も残業なんだけど?って思うじゃん
もう次は言おう…
「入れてじゃなくってお願いしていいですか?だろ?」とか
「せめて伝票書くなり集荷の電話するなりしてくれよ」とか
うっぜーって思われても良いから言っていこう
なんか途中で寝てました。本当にしんどいのでもうどうにかしてほしいです。つらいつらいつらい。もう駄目です。どうにかなってしまいそうです。嘘です。そんなどうしようもない苦しみはありません。どうしたらいいのかわからない、いえ、もうこれ以上身動きできないというつらさがあります。もうどうしようもありません。それは錯覚です。どうにでもしようはあるのです。よくわかりませんけれど、きっと普通に手はあるんです。つまりさっさと就職すればいいわけです。それだけで今の不安感は解消されます。売り手市場、年齢などを考慮して、今がチャンスなわけです。それを考慮して動くわけですがもうどうしようもないと、やはりそう思うのです。もうつらいです。何もしたくありません。しかし何もしないというのを選ぶのは30歳を超えてからでも遅くありません。せめて20代のうちはがんばってください。まだ客観的に、社会情勢的に見て十分やり直しがきく時期ならがんばりましょう。もうどうにもならなくなったら引きこもりましょう。それも僕はつらいと感じるでしょう。もうどうにもなりません。つらいつらい、という気持ちがつよいです。スーパーに行く途中でも辛い気持ちがむくむくと湧いていました。僕はこんな田舎で終わってしまうのかと不安になる気持ちがありました。別に社会的なあれこれなんて僕はどうでもいいと思っていますし、田舎に住んでいることを誇りに思ってすらいる節まであるのですが、スーパーに行くときだけそんな風に感じてしまうというのはよくわかりません。定期的に都会と田舎を往復するような生活ができたらいいのにと思っています。つらいですね。もう何もできないですよね。つらいつらい。つらいままです。結局は自分でがんばるしかないのです。もうだめです。がんばるしかないのです。世界は自分で引き受けねばならないのです。ある意味では僕は今この瞬間にも世界を受け入れてはいるのです。この何もせずに無為に生きている時間に焦燥感を覚えているわけですが、何もせずに無為に生きてきた結果としての未成熟、経済苦、労働スキルのなさ、社会性の欠如、焦燥感や不安感、すべてを僕が引き受けるしかないからです。これは僕以外の誰にも引き受けることができないものです。当たり前の話ですけど。このつらさをそのままにぶつけていいんだと思います。今そう感じている、原因がどうあれつらいという気持ちを切実に感じているならばありのままにぶつけるしかないのです。はー。定期的にやってくるこのつらさをどうにかせねばなりません。プログラマ怖いですけど、何とかなるとは思えないですし、つらい仕事なんてしたくないですけど、それでもみなさんわりとそれなりにやっているようですので、まあ何とかなるんではないでしょうか。心がつらいですね。もうどうしようもありませんね。はやく楽になりたい。いえ違いますね。過去に戻りたいですね。安穏で安全で何も憂いがない状態でこの世界を満喫したいのでしょう。これが本音です。しかし僕がさっき憂いと呼んだものの実態をも包含しているからこそこの世界は豊穣であるわけで、それらから自分だけ逃れようとするのはよくありません。つらいですね。もうどうしようもないですね。いえどうしようもないっていったらウソになるというかいくらでもやりようはあるんでしょうが、それをする勇気がありません。気力がありません。病院に行ったら何とかなるのかもしれませんが健康保険がありません。だいたい何を話したらいいのかわかりません。カウンセリングとか言っても、何を話したらいいかわかりません。まさかこれをプリントアウトして持って行くわけにもいかないでしょう。こうやって書いてもまともな文章になんてなったりしませんし、そもそもまともな文章を書いてやろうという気すらないんですけれども、でもなんかこれを誰かに見られることを想定はしているんですよね。それは文章のクオリティではなく僕という人の社会的立場から参照される性質を誤魔化すために浸かっているみたいな感じです。意味わかんねえですね。もうこうやって延々とわけのわからん、読んでも仕方がないような文章書いてればいいんじゃないでしょうか。それができたら幸せでしょうか。別に幸せじゃないですね。どうでもいい思考をシャットアウトするとめっちゃ脳がクリアになるよーってふろむだ先生が言ってましたがこれはあれですね、すごいどうでもいい思考ですね。これをシャットアウトしてもっと生産的なことに活かせば僕はもっといい方向にいけるんではないでしょうか。でもこのだるい感じがある以上僕は頑張れないですね。高校のときは体は十全でしたがやる気はなかったですよね。ぜんぜんダメですよ。ネットでよいアドバイスがもらえるかもしれませんが、今の僕には彼らの容赦ないレスに耐えることができません。弱っているところに匿名インターネットはきついです。今ぼくはすごい弱っています。助けを求めるのはネットではなく身近な信頼できる人です。あと医者です。しかし僕には身近に信頼できる人とかいませんし健康保険ないですし医者で何を話したらいいのかわかりません。作業も進んでいません。時間は待ってくれません。言い換えれば時間は平等ということです。なんということでしょう。こんなものを書いている暇があったら脳内妄想彼女を書いてればよかったのです。それを小説として書いていればいいのです。なにもきっちりした小説の形にしなくてもいいです。今やってるようにすごい適当な感じで書きなぐってやればいいのです。しかし僕には致命的な欠点がありまして、台詞を考えるのが苦手だということです。会話ができないのです。脳内会話すらできないのです。僕ができるのはひたすらに独り言です。何かの刺激を受けてそれに対して返事をするということが苦手です。今やってるのを見ればわかりますが、自分のうちから湧き上がってくる何かを拾い上げるというのはまあできるんですが。だったら何か刺激を受けて何か湧き上がってきたものを書けばいいじゃんという話です。もしかするとここにブロックがあるのかもしれません。つまり自分が思いつくようなことは大したことのないものだ、というブロック。あるいはこれの方が大きいかもしれませんが、どういう感想だったら〇がもらえるか、というのを優先して考えている回路の存在です。これのせいで自分が純粋に思ったことを拾い上げるのが難しくなっているのではないでしょうか。まずはすべてをとっぱらって素直な気持ちを救い上げるのです。ってそれは今やってることですね。そのための練習でもあるわけですね。後いい加減僕は誰かに見せるための文章の書き方というのを練習しておくべきです。読書感想文とかね。日記とかなんでもないですし。文章書くのがそもそも好きじゃなかった自分に今無理やり文章を書くという存在のありかたをインストールしようとしている段階ではないかと思います。20過ぎてからですよやってるの。さすがに遅きに失したという感じです。来世でがんばってください。もうだめですね。何もできません。早くどうにかなってほしいです。もうだめです。疲れました。早く楽にしてください。小説書けるようになりたいな。素敵な世界をこの手で無限に紡ぎだせるようになりたいな。無意識プログラミングすればできるよ。どうやったらできるんだよ。母親を見ろ。何かできているように思うのか。わかんねえ。聞いたらいいんじゃないか。家庭はぐちゃぐちゃだけどな。何を求めているんだ。自分の幸せしか僕は求めてねえもんな。でも仕方ないじゃないか。自分が不幸せなのにどうして他人の幸福を祈れるってんだ。それができる人は聖人か馬鹿のどちらかだ。みたいなうんちみたいなラノベみたいなことを言うつもりはないです。こういうレトリックは不純物というか回答、真実に迫るには有害ですらあります。僕が他人の幸福を祈れないのはそもそも他人に興味がないからでしょう。自分だけがよければいいのです。そしてそれがデフォになっています。他人のこととか考えたことがないのです。自分さえよければよいのです。そしてそのことのまずさを頭ではわかっていても体ではわかっていないのです。腹に落ちていないのです。そのくせ自分は他人から何かをしてもらって当然と思っています。何という汚物。醜悪ですね。そしてそれが本当に汚物であり醜悪であることが本当にはわかっていないのです。なんだかタブレットが熱くなってきました。正確にはタブレットじゃなくて2in1なんですけど。熱はパソコンにとってよろしくないのでちょっと休ませてあげた方がよいかもしれません。本でも読みますかね。目隠しを取ったらいっきに明るくなりました。どうだ明るくなっただろう。めっちゃ明るくなりました。すげえ。別にすごくはないです。しかしこの時間帯になっても昼みたいに明るいというのはなかなかです。フロントガラスの銀シートを外したらもっと明るくなるでしょう。それにしてもおなか一杯です。小食がいいらしいですがどうしても食べてしまいます。ファミレスに行けばよかったんじゃないですかね。でも行くのに罪悪感があります。どうせ他に人いないんだしいいじゃないですか。駄目なんですかね。なんだか申し訳ない気持ちがどうしてもありますし。長居するのやっぱりよくないですよね。でもどうしてもやりたいんです。疲れました。父親について行くだけならすごく楽だったのに。つらいですね。面倒ですね。もう僕は本当に疲れました。疲れ切っています。もう何もしたくありません。でも世界は放っておいてはくれません。僕は本当に疲れ切っています。ぐったりしています。しんどいです。何もしたくありません。だるさが取れません。いい加減にしてほしいです。これは何とかならないんですか。これが諸悪の根源なのです。これをどうにかしないことにはどうにもならないのです。早い所なんとかしてしまわなければ人生が台無しになってしまいます。もうけっこう壊れてますけど、底が抜けてしまいます。早くなんとかしなくちゃいけません。そしてIT技術をフォローしていかねばなりません。それが未来を生きる道です。もうどうしようもありません。早く死にたいです。早く殺してください。助けてください。僕に安穏をください。安逸の中で生きていたいです。しんどいです。つらいです。体が重たいです。誰か助けてください。もうどうにかなってしまいそうです。助けてください。つらいです。しんどいです。体が重いです。このままでは何もできません。しんどいですよ。もうどうにでもなってしまいます。うんちという感じです心がうんちですね。正しく排泄物です。トイレットペーパーが必要です。ガソリン高くて死にそうです。二年前なら110円台とかだったじゃないですか。何でこんなに高いんですか。ふざけてるんですか。いや別にふざけてはいないでしょうけど。それにそんなにしょっちゅう乗るわけでもないですし長距離運転をするわけでもないですし貯金は十分あるのでまあそんなに気にする必要はないんですけどね。心理的な問題です。140ウン円という値段を見てうへえーとなるわけです。もう勘弁してくれという感じです。僕がいったい何をしたんだという話です。何もしなかったからこんなことになっているんだといういんたーねっと小話があります。ランタンは明るいです。お茶のペットボトルは転がっています。これ何日前からあるんでしょうか。たぶん2か月くらい前からあります。すごいですね。時を駆けていますね。別に時を駆けてはいないでしょう。この車がデロリアンとかだったら別ですが。カエルの装飾をすればケロリアンですよ。パクりですね。パクりはよくありません。インスピレーションを受けるのはよいです。所詮すべてパクりです。足がだるくなってきました。パーカーで雨を拭いていますがそろそろ洗濯したほうがいいかもしれません。けっこう長いこと放置していましたし。しかし車のあっつい中に放置していたのであればどうなるんでしょうか。細菌とかにとっては案外これが快適な温度だったりするんでしょうか。今ネット使えないから調べられねえですけど。いえ使おうと思えば使えるんですよね。テザリングすりゃいいだけの話です。僕ずっとこれデザリングって読んでました。
ありがとう。独り言のつもりでつぶやいたので反応あると思いませんでした。うれしいものですね。
母は、同居していた父方の祖父をボケじじい扱いしてたし(認知症ではなくそれなりに問題ありつつも元気でした)、自分の親の面倒は弟に押し付けて、認知症になってからは見舞いにも行ってなかったのに、自分はもうすぐ死ぬんだから優しくしてよ~!と叫ぶ(ほんとに電話口で叫ぶ)んですよ。なんだかなぁと私が思うのは許してほしい。なるべく適当にやり過ごします。
に、ついて悩んでいます。
質問サイトとかに書くべきなのか、リアル知り合いに相談すべきか悩んだのですが、結局まとまりきらなかったので匿名のこちらで。
長いです。
ざっくり言えば、ネットで個人相手に買い物してお金払ったけど物が届く前に連絡取れなくなっちゃった、的な話です。
界隈に迷惑かかったら困るので、物については若干ふわっとさせたりフェイク入れたりします。
まず自分はその相手の方の作っているお品物(ハンドメイド的なものとお考えください)がとても好きで、基本その方は作ったものをオークションサイトなんかに出していました。
でもたまにフルオーダーも受け付けていて、自分はそのフルオーダーのが欲しくてオークションには参加せずにいました。
その方はリアルの都合で体調を崩しがちになっていたようで、なかなかフルオーダーの募集するのも難しい、と言っており、それも理解していました。
ある時「ちょっとまだ不調でどのくらいかかるかわからないけど、それでも良い、という方のみフルオーダー受付します」と発表がありました。
受付先着順がそのまま製作順になるとのことで、急いで受付したら1番に滑り込めました。
その後受付の人は増え、自分の後ろにあと10人くらい待ちが居る、という状況になりました。
相手の方からもすぐにメールが来て、やり取りを行い始めました。
フルオーダーはメールでの結構しっかりしたやり取りが必要で、参考画像を送り合ったりしながらメールのやり取りをしました。
メール間隔は当日~3日おきくらいで、やり取りは頻繁かつスムーズだった、と思います。
一度10日ほど間が空き、心配になってその旨メールしたところ、翌日に「少し体調を崩していた」旨のメールが届きました。
その後オーダーの内容が確定して実作業が開始され、また少しメールの間が空くようになり始めました。
1ヶ月ほど間が空くことがありましたが、待っていたらまたメールが届いたので、何度か体調を崩しているのだろう、心配だけど急かしたくもないしあまり催促のようなメールはしないでおこう、と思いました。
(元々筆不精というか、こういう独り言みたいな文章を書くのは好きなのですが、人と会話するのが苦手な性分なのもありました)
その後も作業が続いていたのは知っています。メールでオーダーの進捗確認をするために現物の写真が送られてきていたので。
作業自体にも時間がかかるだろうし、天候にも左右されるものなので、土日に雨が降ったら今週はもう作業出来ない、とかあるだろうとも思っていました。
あるメールを境に、連絡がなくなりました。
前は10日待ったら返事来たし、この間は1ヶ月だったし、少し間が空くのかな、と思い待っていました。
……そのまま連絡がないまま、うっかり1年ちょっと経ってしまいました……。
元々、待つという行為にあまり頓着がないというか、急がないタイプすぎたのが災いしたのか、すっかり……。
というかもうオーダー受付から見れば1年半?くらい?経ってるかも……。
流石に動揺したのと、自分が丁度引っ越しをしたのもあって、オーダー受付からちょうど1年経ったころ一度メールをしました。
住所が変わった旨と、また体調を崩したのか心配である、もし読んでいただけたら空メールでもブログでもツイッターでもいいのでお返事をください、と。
(確認はしていますが、もしも迷惑メールに分類されたなどで向こうが送信しているのに受け取れなかったとしてもブログとツイッターは見ているので)
その方のブログは、実作業が開始されたあたりに「(自分のHN)様のオーダー作業に入ります」という旨の業務的書き込みがされたっきりです。
以前のオーダーでもこの業務的書き込みはあったようで、どうやらほぼ完成になったとき最終確認で画像を貼るような運用をしていたようです。
自分のオーダー品はその最終段階まで(少なくともメールの報告では)完成していないので、不自然に途切れている、という感じではないと思います。
ツイッターアカウントもフォローしていますが、あまり呟くタイプではないらしく、オークションでの出品時に宣伝ツイートをする程度の運用でした。
こちらも前述の「(自分のHN)様のオーダー作業に入ります」のブログ記事を更新した旨のツイートと、その日にいくつかRTをしただけで止まっています。
その方のアカウントは自分をフォローしておらず、またフォロー外からDMを送ることは出来ない設定のようで、DMすることは出来ません。
リプライを飛ばしたことはありませんが、リプが返って来る望みは薄そうに思います。
いいね欄なども動いていないので完全に停止していると思われます。
また、その際に送付するものがあったため、相手方の住所と本名と携帯番号はわかっています。
オーダー確定の際に届いたということも画像で確認できていますので、少なくともオーダー確定時(1年ほど前)にそこに住んでいたことは確定だと思います。
なので、あと出来ることとすればこの住所に手紙を送るか、携帯に電話を掛けるくらいしかないのでは……と悩んでいるところです。
しかしネットで出会った相手に対してリアル方面で連絡を取る、という行為はマナー?違反のような気がして何だか気が引けています。
というか商品取引用に教えて頂いた住所などに手紙を送るというのも個人情報の不正利用?みたいにならないか……とか……。
もう一度だけメールを送ってみて、そこに「返事がなければ手紙を出します」と書いて、返信がなければにしようか……とか……。
自分としては、どれだけ遅くなろうがいつかは完成するというのなら一向に構いません(元々そういう約束でしたし)。
ただこの状況だと、もしかしたら体調を崩しすぎて入院とか……もしくはその先とか……を想像してしまいます。
その方にはブログの文章からしてお子さんがいらっしゃるようだったので、恐らく配偶者の方か、ご家族の方が同居とかしているんじゃないかと思っています。
なので手紙を出せば、ご本人に何らかの事情で届かなくてもどなたかは見てくれるのでは……とか。
でもその方ってこのハンドメイド活動をご家族の方の理解あってやっていたのだろうか……あまり万人受けするジャンル?ではないので、自分の手紙のせいで家族バレして迷惑を掛けたらどうしよう……とか。
しかし自分の後ろに10人くらい、恐らく何の連絡もなく待っている人が居るんだろうし、その人たちの為にも連絡を取るべきでは……とか。
待っている方10人ほどはブログにHNが記載されていますが、それだけでは探しても見つかるかわかりません。
なので、その方たちに訊いてみる、というのも難しそうです。
現状、料金を払っているのは自分だけだと思います(一人の作業が終了したら次の人に、というシステムだと受付時に説明が記載されていました)。
第一希望:相手方が製作続行可能である旨を確認でき、その後どれだけ時間がかかってもいいのでオーダーが完遂し、自分の手元に来る。
第二希望:相手方が製作続行不可能である旨を確認でき、製作途中のお品を送ってもらう(メールで届いていた途中経過まででもいいから欲しい)。
第三希望:相手方が製作続行不可能である旨を確認でき、払った料金を返金してもらう。
という感じです。
また、可能であればブログやツイッターを更新してご本人がどういう状況かを書き込んで頂けたらと思います。
そしてオーダーを待っている残りの方にも連絡をして頂けたらいいなと思います。
(ご本人ならオーダーの際にメールアドレスを受け取っているはずなので連絡が出来るはずです。ご家族だとパスワード等の問題で難しいかも……)
ご本人がご無事でないかも……と思いながら手紙を書くのも非常に失礼なことかと思います。
もしご無事でなかった場合、ご家族に上記のような要求をつらつら述べるのもまた失礼な気もします。
手紙にも何をどこまで書けばいいのか……単純に「連絡取れないので心配です連絡ください」だけでいいのか……。
あまりに長く待ちすぎたのが悪かったのかもしれませんが、本当に、何年でも待てると今でも信じているのです。
連絡さえあれば、お元気だと確認できれば、本当にいくらでも待てるくらい素晴らしいお品なのです。
最初のお約束通りどれだけかかっても大丈夫だと、文字通りに信じていたらこうなってしまったんです……。
もしここまで読んでくださった奇特な方がいらっしゃいましたら、どう思うか聞かせて頂けると嬉しいです。
ただの愚痴です。
とあるツイートがとてもバズっていました。そのツイートは、わたしとしてはあんまり賛成できない内容のものでした。
私はtwitterをいわゆる情報収集アイテムとしか扱っていなくて、アカウントもそんなにツイートしてないし、有名人や私の好きな人のツイートを見たいがためのものでした。やり取りをするのは、数人くらいで、バズってるツイートにリプを送ることもありませんでした。だけど、数ヶ月くらい前から共感したツイート等には引用リツイートを送るようになりました。もともと私は自分の気持ちを書いたり想いを書いたりすることが好きなので、ちょっと楽しいな〜と思うようになりました。引用だと、引用のところまでいって返信するような人ってなかなかいないし、独り言みたいだなーって思っていたのでよかったんです。私は根っからの小心者なので、引用リプでも同意する意見しか書いていませんでした。
つまりバズってるツイートに対して、思うことはあってもリプを送る勇気はない、だから引用リツイートくらいが私にはちょうどよかったんです。本人に直接みえるリプには書いたことはなかったのです。
そのバズってるツイートは、猫や犬、おもしろ動画等ではなく、考えさせられるものでした。考えさせられるものって、そのことについてあーでもこーでもないと、頭の中で色々と自分なりに考えてしまいますよね?そうして、結論が出た後にはそれを伝えることもせず、おしまい。それでは、考えた意味がないなぁと思って、勇気を出してリプを送ることにしました。
そのバズってるツイートは、バズって日数が経ってるしリプ欄で議論が出尽くされている感があったので、ツイート主から返信が来るとは思いませんでした。
だけどその次の日、返信が来ました。
どうやら私がツイート主の言いたいことをうまく読み切れていなかったようで、ひどい文言と煽るような文章がそこには書いてありました。
ショックのあまり、呆然として家で読んでいたのですが、泣いてしまいました。
ぐさっと心に刺さりました。
そんなこと、言わなくてもいいじゃないかって。
そんなひどいこと言わなくてもいいじゃないかって。
私の文章を、最後まで本当に読みましたか? 「結論〜〜だ」としっかり書いてあるのに、そことは全く関係のない最初の文章をあげつらわれたように感じました。
ただ、たしかに私のリプは最初、的を射ているようなリプではなかったと思います。そして、私自身、この人のツイートも共感するところもありましたし、余計にショックでした。
そして、さらに数日後経った後にDMも来ていることに気づきました。その人をミュートにしていたので、通知が遅れて気づかなかったのです。
内容はリプをそっくりそのままの文書でした。あと、「リプ、消さなくていいですよ」と言われました。
リプを消すかどうかの判断はわたしにあるので、云々と返信しようかなとも思いましたが怖くなったので、その人をもうブロックしてしまいました。
ただのリプ初心者がびびっただけの話です。しかし、結構ショックで、思い出しても泣けてくるのでここに書いてスッキリさせようと思いました。
結局は、私は静かにリプ欄を眺めていれば平穏は保たれるのだなと消極的な考えに終着しています。twitterは結構好きで、毎日いじっているのに、とても疲れました。今も少し思い出すと怖いです。
こんな精神状態なので、もしこの文章を見ていて、コメントを打ちたいのなら、追い討ちをかけるようなコメントは控えていただきたいです。
昔から独り言が多い方で家にいると常に何事かをつぶやいている。特に多いのが「帰りたい」「疲れた」「眠い」「だるい」などのネガティブなワード群なわけなのだけどこの間ふとつぶやいた言葉に「無限に休ませろ」というものがあった。完全に無意識の発露でありなにかを意識してつぶやいた言葉ではなかったが、自分で言っておきながら自分は何を言っているんだろうという、まあよくあることかもしれないが、一度口に出した言葉の意味を自分の中で反芻していた。確かに無限に休みたいという思いはある。ありすぎるほどにある。無限に休みたい。休めるものなら無限に休みたい。でもそれって結局死んでるのとおんなじじゃんと、それもまたまったく新鮮な考え方ではないけれど思ったものは思った。死んだら死ぬほど休めるから、生きているうちは可能な限り動くべきだ、というのはこれもまたよくある言説で、結局俺ごときが思いつくような考えなんて他人の模倣でしかない。そもそも自分というものはどこに存在するのだろうと思う。結局自分の話す言語や文体やしぐさやなんやらコミュニケーション手法なんてすべて他人のマネではないか。言語が思考を規程するというのもよく聞くことだし、思考の流れも含めて俺の考えなんて全て先人が規定したものの模倣なのではないか。っていうと決定論ってやつになるのだろうか。ラプラスの悪魔じゃん。でもあれは量子力学の世界で否定されているってのも聞いた。なにがなにやらわからんが。大学時代に久々に高校の同級生とあったとき波動関数について3時間ほど語られたて辟易とした覚えがあるが、なんかそういう変数多すぎなものについて語られてもふわっとしすぎて全然イメージが湧かない。俺はイメージが苦手なので、できれば一日中本物のなにかを触っていたいな思う。phaあたりが言ってたような気がするが、やっぱり手に触れられるものを触れるってっとても人間的に正しいと感じる。あんまり形而上的なものをうんうんうなって考えたってうつ病になるのが関の山じゃないかしら。わからんけど。ただ、こういった無責任な言説はやべえ糞眠くなってきた眠い寝るおやすみ。
おお、愚痴みたいな独り言に真摯に解決策を見出してくれた貴方はええ人や…
そうなんだよねえ
仕事だったら、代わりにできる人を育てたりとか仕事を少しずつ周りに割り振るようにするとか、
何かあった時にわかりやすい場所に諸々を配置しておくとかするよね
普段パートもしてるけど、そういうのあんま頭になかったよーありがとう
そうなると、私が使える人的資源が、激務の夫オンリーというのが問題なんかなあ
少しずつ日常の生活で、「もしこれを誰かにおねがいするなら?」を意識してちょっと生活してみようかな
そしたら、やりたいことが子供いるから無理ってなっても、「でも私も今やりたいことできるようにすこし準備してるし」と思えるし、前向きになれそう