はてなキーワード: 独り言とは
発信するのが面倒になって「見てるだけの人」になってるか、複数アカウントの管理が面倒になって自分にメリットが感じられないと思う方を放棄したのではないかと思うけどどうだろう?
私は他のSNSで複数アカウント持っていたけど、結局リアルな知人が少なくて投稿してもリアクションが得られない方はかなり放置状態になっている。そっちのアカウントもときどき覗いてはいるんだけど、投稿してもスルーされてる感が半端ないので更新頻度はどんどん落ちている。
Twitterはもはや独り言専用だと思っているので、レスとか帰ってこなくても気にせず思ったことを書いているんだが、ときどき反応があって、「ちゃんと見てる人もいるんだ…」とびっくりする。
そもそもSNSに興味のない人は、日々の出来事やちょっと心に浮かんだことをいちいち投稿するという行為に対して「そんなにヒマなの?」「友達いないんじゃない?」という反応をするので、SNSよりもリアルの世界を大事にすることにしたのかも知れないしね。
メディアミックスされるのをずっと楽しみにしていた。
そしてようやく、動いて喋るキャラクターを見ることが出来た。
徐々に人気も出て来て、ツイッターなどで話題になっているのを見る機会も増え、ファンも増えているのを実感する。
とても喜ばしかった。
こんなに面白い作品なのだから、もっと多くの人に知ってもらいたい、そう思っていた。
今でもその気持ちは変わっていないし、私がファンを辞めたという話でもない。
ただ、自分は作品から求められてはいないのかもしれないと思ってしまった。
そもそもただのファンである自分が、作品に求められようだなんておこがましい話なのだが。
なぜこんな自意識過剰なことを考えてしまったかというと、公式からのレスポンスだ。
制作関係者や、キャラクターを演じる声優が、ファンからの応援を喜んでいる様子が見える。
「イラストを描いてもらえて嬉しい」
この言葉が私を悩ませる。
私は絵が描けない。
ファンレターを送ることはある。
レスポンスが欲しくて応援している訳でも、ファンレターを送っている訳でもなかった。
だけど、同じファンである一般人が、表現の手段を持っているためにレスポンスをもらえることに、無関心でいられる訳でもない。
正直に言って、非常に羨ましい。
時には妬ましくもある。
私もアマチュアレベルとはいえ、絵以外の手段で表現し、それを公表した経験がある。
だから簡単な言葉ではなく、丁寧に練られた文章やイラストなど、時間と手間を掛けて感想を表現してもらえた時は、一際嬉しいということも分かる。
だけど、やっぱり悔しいのだ。
まだ人気になる前から、関連グッズを購入し、イベントにも足を運び、出演者に直接応援の言葉を伝えてきた。
何度も何度も。
今も足繁くイベントに通っている。
しかし、最近その作品を知った人が、絵を描いて応援するという手段を持っていることで、公式からレスポンスをもらえるという事実。
なんだか虚しくなってしまう。
どんなに長く応援していても、一芸を持っていないと、公式の目に止まらないその他大勢の一部に過ぎないのだと。
このSNS時代、人目につきやすいイラストという表現を持っている人は、きっと一般人であっても広告塔になり得る。
確かに公式からすれば、タダで(時にはお金を落としながら)作品を宣伝してくれるファンは、応援していると口で言うだけのファンよりも圧倒的にありがたい存在だろう。
それなら努力して絵を描けばいいじゃないか、と言う指摘は無しにして欲しい。
そんなことは分かっている。
私もそんな下心抜きに、表現する手段を得たいと思う機会はたくさんあった。
絵を描くことは、何度も挑戦はしたものの、長続きしなかった。
だが人に見せるような、ましてや関係者に応援の形として見せようと思えるようなレベルのものは描けない。
その程度の自分の実力に対する落胆と疲弊が、努力しようという気持ちを上回ってしまうのだ。
もちろん、今絵を描いている人達がみんな、自分の実力に満足して自信を持って公開しているというわけではないことは分かってるつもりだ。
思うように結果が出ない苦しさを乗り越えて、また今現在も戦いながら、表現の手段を身につけていることも分かっているつもりだ。
描けないなら描けるようになるまで描けばいいというのも、分かってはいるつもりだ。
ただ、そこに気力や時間を割く精神や環境を、私は持っていない(これも言い訳に過ぎないのは分かっている。だがそういう人間もいる。きっとそういう人間の方が多い)。
この件でその作品の応援を辞めるつもりは無いし、このモヤモヤした思いを糧に、また筆を取ろうと行動するかもしれない。
ただ、ファンとして生きていくにも技術があると有利なのだということを思い知らされてしまっただけ。
今から努力したって、人並みのレベルになる頃には自分が別の作品にハマっているかもしれないし、その作品の展開が縮小しているかもしれない。
公式に喜ばれる存在になりたい、認知されたい、というのが恥ずかしながら正直な気持ちだが、何より、同じファンに過ぎない誰かは喜ばれてレスポンスがもらえ、自分はこの世界で背景に過ぎないという現実への嫉妬が、私にこのようなおこがましい欲を持たせたのだ。
不公平だから公式は特定のファンにだけレスポンスをするな、と言うつもりもない。
久しぶりに絵を描いてみようかな。
「声を上げとかないと」とか言ってブコメ書いて満足してる輩がいっぱいいるけど俺はブコメすらしないけど
そんなんタクシーの運ちゃんに愚痴ってるようなもんなワケでしょ?
もしくはテレビ見ながら独り言言ってんのと同じレベルで影響力なんて皆無じゃん
ブコメで書いてるようなことがちゃんと文句言いたい先に届くようにだれかしてくんないかな
どうにかなんねえかなと思って調べたけど取っ掛かりすら掴めんかったから俺はギブです
頭いい人いっぱいいるんでしょ?
Webに詳しい人いっぱいいるんでしょ?
政治詳しい人いっぱいいるんでしょ?
どうにかしてよ何かそういうの作ってよ誰かやってよ俺は無理だったんだよ何なのお前らクソなのゴミなのチリなのホコリなの霞なの
想像上の生き物なの?
なんで頭いい人が率先してそういうことして導いてくれないの?
【追記】
いやいやいやいや、あんなもん2億回バット振ったら一発当たりましたレベルじゃん
え?そんなので影響力あるとか思ってるの?みんなそんなレベルなの?真面目に考えてくれよほんと
土曜日営業。お盆なので県外からの方や久しぶりの方が多かった印象。思い出せる限り書き出していきます。
1人目、結婚式帰りのお兄さん。お洒落メガネが星野源に似ていたので、伝えてプラスになるのか迷って。ひたすら乳を揉まれる。ちゅーしてもいいですか?ってキス我慢選手権するも敗北。
2人目。結婚式帰りのお兄さん。胸ポケットに向日葵を一輪差している。「エロいの?エロいよね?」エロいですよー。会話ハイライト。延長指名いただく、やったー。
3人目。巨漢。くまさんみたいな雰囲気。緊張しているご様子でしたが、ハグしてそのままお触りへ。楽しいなって独り言みたいにたくさん言ってくれたから嬉しい。
4人目、常連おじさん。香水がきつい。あんまり出勤してないの気づかれていた。
5人目、がちがち緊張お兄さん。ごめんねってたくさん言ってた。前だけ見て、あまり触れてこようとしない。嫌われたかなって思うくらい緊張されていた。ふとももさすさすして終了。
6人目、お洒落お兄さん。同世代のイケメンを前にするとうまく喋れない。お洒落イケメンを前に吃ってしまうので心配された。お兄さんみたいな人苦手なんですよねと伝えると、それをキッカケにいい感じに喋れるようになった。先輩について来ただけなのでお触りはナシ。しかし、会話の途中、不意打ちで来たキス。ときめき初々しさナンバーワンでした。
――ん? 元増田へじゃなく?
ベアプロやってれば他人に問う意味ないじゃんって話かと思ったけど、俺への言及だと別に独り言だからいいじゃん、みたいな感じか?
表現力とweb投稿の動機は、自己対話による整理とは根本的に違うぞ。
甘えがあるかどうかだ。
プログラムはほぼ正解が存在し、それ自体を稼働させるのが目的だが、文章表現は訴えたい内容を伝えることが目的。
web系プログラマは稼働する経緯より結果を重視して目的が得られればいいと考える傾向が強いらしいが、それでも文章表現とは全く異なるのを自覚した方がいい。
正解の決まったコーデックのQ&Aと、表現力が目的なのにそれに悩んで他人に縋るのは違うんだよ。
増してやその部分のオリジナリティで勝負する側面があるのに、匿名だし"読者"の助言がベアプロみたいなものだと誤解させるような言及はどうかと思う。
寧ろ、webに書き散らして顔の見えない誰かのくれたアドバイスが、独り言に自動POSTされた無償のレスだと元増田が思ってしまうようなら、本当に文章書きには向いていない。剽窃が常態化するだけだ。
俺はそう思う。
■はじめに
※初匿名投稿兄貴です。やり場のない不思議な感情を匿名で書き殴れると聞いてすっ飛んできました。優しくしてください。
※タイトル通り、風俗に行ったときの話がこの注意書きの後にずらずらと書かれます。ですが、登場人物や登場する店舗のお名前はボカして表現します。つまり、調べても意味はありません。
※パネマジはしめやかに爆発四散すべき。パネマジが激減するって確証があるならば店舗名を出してもいいとすら思ってる。
というわけで本文行きまっせー!
突然だが、
ここすっげぇ大事なところなので4回も言った。
思えば、3x歳まで純潔を守りすぎた。○ナ○ーをやりすぎた。
白髪が1本、2本…と増え始めても「相席屋やら婚活パーチーよりも数億倍手軽なオ○ニーでええわ」と思っていたのだが、2次元の限界なのだろうか、それとも単純にやりすぎたのか、2018年の春頃から2次元ですら勃たなくなってきた。
「やはりヴァージンループだけでは満足出来ない!女の肌の温もりが欲しい!温もりがあったら勃つような気がする!」
…そう考えた僕は、某風俗情報サイトを漁り、東京・吉原のとあるソープランドを見つけた。
ソープランドは本番アリのエッチなお風呂である。会社の同期と酔った勢いで行った沖縄のピンサロとは違う。
エロゲよろしく、騎乗位でブルンブルン揺れるパイオツを無心にしゃぶりつきながら、時にはディープキスをしながら、夫婦の夜の営みのような何かを展開出来るという夢のようなお風呂なのです。
店によってはケフィア(意味深)を目一杯出せるところもあったりなかったり。
で、見つけたソープランドは、まな板から「マッキンリー山脈かな?」と見間違えるぐらいに大きな山脈を2つぶら下げているお姉様まで選り取り見取りのお風呂屋さん。
「選り取り見取りなら、どのキャストさんでも短小包茎童貞でも優しく筆下ろしをしてくれるん違うか!?」という期待を胸に、同じお店のお姉様キャラで3人まで絞り込んだ。
万が一、これで勃たなかったら本気でどこかのサッカー選手のように本格的に治療に専念しないといけない。
そのためには一挙手一投足が大事や、ここからもう本番始まっとるようなもんやで、と思いつつお店の電話番号をポチポチと押し、予約の電話をかけた。
声が震えているのをよーーーっく感じ取りながら「x月の2x日19時から、○○すぁんか☓☓さんか△△しゃんオナシャス!」と伝えた。その日は僕の誕生日だからだ。記念日大事。
「x月の2x日、20時30分からであれば☓☓さんがご案内出来ますが」
との回答が。
1時間30分もずれるぐらいなら美味い飯食って帰ろか、そう思ったが同じ夜は二度と無い。
しかも☓☓さんはウェブサイトのプロフィールを見て、選んだ3人の中では(申し訳ないが)地雷キャラのかほりがしていたので、出来れば避けたいところだった。
こっちが折れる形になり、向こうの言われるがままに申込を完了させた。
「30分おきに現地からハイエースが往復しているので、20時までに上野駅のファミマ前にいてください」という一言が言い終わるか終わらないかぐらいで電話が切れた。
そして当日。
風俗ライターのブログやら初心者向け記事を見ながら暇をつぶし、19時50分…になったが、そもそもハイエースすら見えない。
雲行きが怪しい。
そのまま林さんになって行こうかと思ったが止めた。
ひょっとして全然違うファミマなんやろか、と思ってお店へ電話。
「今、入谷口目の前のファミマにいらっしゃいますか?恐らくウチのハイエースが見えると思うんですけど」
そして首をゆーっくり廻して気づく。
なんでこの地はファミマが、大通りを挟んで向かい側と、僕が待っているファミマ、そして明らかに人がいなさそうな方面とアメ横近くの合計4店舗もあるのさ。誰かツッコまへんかったのかこれ。
つまるところ、東京、しかも上野という大都会になった途端にこんなにファミマの数が激増するとは思わず、指定されたファミマとはまるで違う「ファミマ」の前で待っていたのである。
ファミマだって、なんとかバーガーだって、雑居ビルだって名前がある。○○店って言ってくれるだけでも調べようがあるのに、なんでこの人は頑なに「入谷口です」としか言わへんのだろうか。
Googleを駆使し、辿り着いた先は街灯も少ない、人も少ない「これ同じ上野なの?」と思うぐらいの入り口の前にあったファミマ。
何か中東系が複数人でタバコ吸っているし、その隣でアジア系が大声で喋ってるし、もうアングラ感ぱねぇっす。ワタシニホンゴシカシャベレナイヨ。
ドライバーさんから「分かりにくくてすいません」としきりに謝られたが、正直あんたに非は無いと思う。
ドライバーさんと雑談をすること10分。どうにか時間ギリギリで現地到着。
お金を支払い、待つこと5分で順番が来た。
いよいよボン・キュッ・ボンのお姉様とイチャコラする時間が来たぞーーーーーー!イェアアアアアアア!!
「初めまして、☓☓です。宜しくお願いします」
そこに勃っていた、いや立っていたのはタマゴ型の人だった。
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ホームページにはそう載っていた。
プロフィールにもマッキンリー山脈()が連なる画像があるし、画像から見えるシルエットはボン・キュッ・ボンのそれだ。
では、僕の目の前にいるタマゴさんはなんだ。TVでお馴染みの○ツ○さんか。北海道で酪農やっている○マ○さんか。
そもそもタマゴ型過ぎてKどころかDもないぞ、この山脈の大きさは。
今の状況になって初めて、風俗業界にはびこる「パネマジ」という悪習の実態を感じ取っていた。
パネマジというのは所謂一つの「合成」で、今回のお相手のように、明らかな「タマゴ型体型」をスレンダーな「峰不二子体型」に作り変えることを指す。ところどころ似ている点を残しているので、明確に詐欺ってわけじゃない。転じて表面化しにくいという点がある。
まぁ、酷い場合は顔すら別人になっていることもあるらしいけど。
誤差はあれど、この店、いや業界全体でこの手の加工は流行っているんだろうなぁ…
酒も抜け、受け入れられない現実に気が少しずつ遠のいていくのを感じつつ、四畳半ほどのお部屋にご案内。
部屋に入ったら、脱ぎ脱ぎから1~2分程度の雑談→即尺の流れ。童貞でも分かるこの作業感。
救いがあるとしたら、この頃には意識が若干混濁していたことだろうか。
汗が腕や脇から出きれず、顔から足からも汗が出まくった末、脱水症状に移行しつつあったのだ。
血流よりも多汗が勝ってしまって全く勃たないが、とりあえず挿れようと健気に頑張るタマゴお姉様。
…早よしてくれ…
ゆっくりとマイ・サンを受け入れ、実に機械的な上下運動をするタマゴお姉様。
…うん、重い。
グラビガってぐらい重い。
AVそのままに「アッアッアッ」って言ってくれるのは気分が高まってええんやが、オットセイが乗っかって僕の上下で「オウッオウッオウッ」って雄叫びを挙げているイメージに早変わり。異種姦?
まぁそれでも自分の意志に反して射精感は徐々に高まりまして、まぁ、出たわけですよ。
一通りの射精感が収まった後、騎乗位でリードしてくれていたタマゴお姉様の体重が僕の下半身に一気に伸し掛かり、膝関節近辺が大きくたわむような、そんな感覚があった。
刹那、激痛が走った。
ふくらはぎ近辺を見ると、数字の1みたいな形に変形しているんですよ。
何回か肉離れになったことはあるけど、比べ物にならないレベルの激痛。天国と地獄。いや地獄の釜の底やな。
痛いリアクションとド素人でも分かる足の変形具合にタマゴお姉様は「こういうの初めてじゃないから」と冷静に言いつつ、マッサージしてくれました。
なにこれマジで。逆レイプってこんな辛いの?そして初めてじゃないだと?なんつった今?
服を着せてもらい、程なくしてドアホンが鳴ったので階段を降りる僕とタマゴお姉様。
伸ばす度に痛みが走って真っ直ぐ立てない状態でも、僕には帰る家がある。家族がいる。
ただ気合で入谷口から改札に向い、山手線に乗り込んだのである。
「どう考えても…あれは別人だよなぁ…」
こちらが議論に応じるつもりはないし、お前は人様の思考に一方的に検索をかけているだけ。
お前がやっていることは知恵袋でまともな回答を期待して質問しているアホと一緒。
やっぱりな。「私がわからないのはお前たちの説明が悪いからだ。本当に頭がいい人はバカにでもわかるように説明ができるはず」といういつものアレ。
他人から無用に時間を奪うだけ奪い、自己利益だけは最大化を図ろうとするクズ
そもそもの話、逃げに走るのは当然なんだよ。お前理解しねーもん。さらに時間の無駄。
議論に応じるかどうかを判断するのは常に相手にあるということも理解せず、ひたすらに議論だの逃げに走るだのブツブツと独り言。
お前がやっているのは正しく「検索」なんだよ。
法治国家を否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。
しかし、日本が人治国家になったら法律は無用=法務を専業とする弁護士も不要となり、自らの存在意義を否定する「矛盾」に陥るのではないか?
オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。
で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています。
・その必要性があり、決して憲法に違反するものではなく、法令に違反するものでさえないのだから。
・日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから。
助けてください。
社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法を確立する必要がある。そこまではOKだ。
しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃんと不具合を修正できるのか?
滝本弁護士の独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃんと回復できる仕組みも併設されているのか?
新規の対応で失敗しないためには、ちゃんと保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。
デリケートな問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか?
万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。
歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)
「前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。
民事および刑事の係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。
なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断と偏見で話を進めていないか?
司法試験の勉強をしたなら、少なくとも一度は日本国憲法を読んだことがあるはずだ。
1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。
そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)
「好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律(ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。
パブリックコメントを発する以上は、他者からの質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言でしかない。結果、他者も聞く耳を持たず、自身が孤立する結果を自ら招くだけだ。)
滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。
「テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。
「日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪は犯罪の計画に合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」
「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。
テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプの法律と言える。日本では、藤木英雄先生が先駆者として有名だ。
藤木英雄(1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。
戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである。
藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任を拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。
危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統的犯罪や交通事犯に対する過失責任の限定を意図していただけに、画期的な転換といえる。
危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者や検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件で採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。
日本ではまだ、危惧感説に基づく国民の合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)
従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断を要求するつもりならば、日本国民に対する説明の義務が伴う。
滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害な前例を作ってしまうかもしれない。
ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。
従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。
どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。
(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さらに法治国家を否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)
まあ「被差別者が排除されるのはマジョリティの側の無知と偏見故で、彼らを無理やりにでもプッシュすれば差別は解消する」っていうのがそもそも夢物語でしかねえんだわな
障碍者の顔を見ると不快な気分になる、変な独り言ばかりして不気味だ、腕力だけはあるのでなんか危ない
そういう感情を直接表に出すことの是非はあるとしても、感情それ自体は簡単にどうにかなるものじゃないから
それに、自分が関わるだけなら体面のために我慢するフリができても、これが自分の子供やら何やらが関わる事態になると、途端に差別感情のフタが開く奴というのもいる
単純に関わる機会を持ちさえすればよいというものでもないだろう