【今後するべきこと】
・年長始めまで、療育に注力
・ニガテを将来的にリストアップしておく
・それ以降は専門医と今後の進学先を相談。
下記ライフプランを実行するか、会社の転勤に随伴し通常の学校に通学させるか決断する。
(入学後も中学高校等のタイミングで、下記に以降する可能性アリ)
【今後のライフプラン】
・小学校普通学級に上がれない発達具合であれば、妻と子供達は東京へ引越してもらい、自分は単身赴任する。場合によっては関東甲信越エリアの地域総合職へ変更。(妻の実家近くで)
・以降は、特別支援学級や特別支援学校へ通学し、長男や子供の生活拠点を妻実家近隣にする。
・転勤に伴う家族の随伴は、障害がある長男には負担が大きい。転勤先で受入可能な学校も限定される事情、随伴には困難が予想されると思われる。
・会社側には育休明け時点で療育手帳含めて申告。年長となる年の10月までには、自分達の方針を固める必要あり。幼稚園の内は同伴での転勤も(したくはないが)可能性ありと思われる。
(最低限の申告例「家族は随伴せず、単身赴任希望」)
【デメリット】
住居の問題「東京の家賃や引越費用は多分自費」
生活の問題「自分が同居できる勤務地でなきゃ妻1人で対応(家政婦を探す事)。月に1度位しか帰れない中での子供の躾。」
]]>結構前のことだから忘れがちかも!
先に言っとくと内容的には本当に不愉快だから当事者とかそのご家族の方は読まない方がいいと思うよ。
その子は男の子で、身長もデカいしはっきり言ってデブで、あと汚かった。鼻くそほじってたりヨダレを飛ばしたりするので、席替えで隣になった子はガチで全員机を離していた。これもイジメなんかな〜って今は思うけど、みんな必死だった。
だって嫌でしょ、知らんやつの鼻くそとかヨダレが自分の机につくの。その机は学校の所有物で別に自分の持ち物じゃないけど、毎日自分が使うものだから本当に嫌だった。掃除の度に、みんなその子の隣の机はきっちり少しだけ離して置いてあげていた。
やたら性的なことに興味があったっぽくて、クラスの違うかわいい女の子の後ろをつけて家まで行ったりしてた。これは伝聞じゃなく、実際私の友達の女の子がこのつきまといの被害にあっていたので、私は学校と家との中間地点にその子の家があったこともあり、たまに一緒に帰ってあげたりしていた。一緒に帰っている時、何度か姿を見かけたことがある。確か家は全然違う方向だったはず。
あとは生徒会的なのに投書できる箱があったりしたんだけど、その役員の子がお好みだったらしく、何通も投書を入れていて、お返事コーナーみたいなのはその子の投書で埋め尽くされていた。
はっきり言ってキモかった。まだ性的なことに対して未熟な子供だからこそ、自分たちより大きな体で、生々しい欲を持って接してくるのがありありとわかってすんげーキモかった。
その子のお母さんは毎日廊下に椅子を置いて授業を見学していたんだけど、純新無垢な私たちクラスメートがこんにちは!と挨拶したとて一度も挨拶を返されたことがない。ただ亡霊のように座っていた。私たちは学習して、その後は無視するようになった。本当にいるだけだった。
授業を邪魔するタイプではなかったのが救いだけど、自分を賢いと思ってるタイプだったのか、やたらと人のテストの点数を当てたがったりした。私もやられたことある。「増田さんは〇〇点でしょ?(笑)」みたいなかんじ。
普通にそれより点数良かったのではぁ?となり、穏やかに無視できてよかった。
総合して、マジで支援学級に行ってほしかった。うちの小学校は特別支援学級あったし、その教室は少し離れたところにあったので、私たちはそこに誰がいるのか知りようがなかったし、あえて知ろうともしていなかった。ただそこに通う子達が何人かいて、授業を受けてるんだな、くらい。虐めようとかする子もいなかったと思う。そんな感じでちゃんと支援学級もある学校だったのに、なんで普通学級に通わせようと思ってたのか全然わからない。
みんな何も言わなかったけど、それは幼いながらも「何も言っちゃいけないんだろうな」って我慢してただけで、何も問題がなかったわけじゃない。付きまとわれてた私の友達は、「気持ち悪い、どうしよう」って泣きそうになってたのに、先生には言わなかった。私も言わなかった。何事もなく卒業できて、その友達も今は遠い場所にいるけど、それは本当に結果論でしかない。あの時何かあったら、それは誰の責任だったんだろう。
]]>《自衛隊・小銃乱射2名死亡》「キレやすい問題児だった…」執拗に発砲を続けた18歳容疑者“狂気”の瞬間 現役自衛官は「弾をそんなところで配っちゃマズい」
https://bunshun.jp/articles/-/63696?page=2
容疑者の男を知る人によれば、男は「中学時代からキレやすい問題児だった。特別支援学級にいたはず」という証言もある。
こんなの誰がチクるんだろう。
知る人って、絶対好意的な間柄じゃないよね。
といっても、もし本当に配慮が必要な人物だったのなら不幸な職業選択だったと言うしかない。
]]>発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
②公的機関や医療機関などで発達検査を受ける。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
]]>以来、就職まで、祖父(人間のクズを煮詰めたようなDVセクハラジジイ)、祖母、母、きょうだい1人、私の5人で暮らしていた。
私の母親は、昔から「何か他の家のお母さんとは違う」と思っていた。
私が小さい頃、私の素行を注意した老夫婦に「うるせえジジババが」と言い返したり、中学生の時の塾の進路相談(祖父はクズだが金だけはあって塾に行けたのは幸運だった)を、ろくに話もしないで終えてしまい先生を困らせたり、騒がしい近所の家に対し抗議の意として化粧品の瓶を投げ込んだり。
DVを働く祖父に対して「クソジジイ」などと罵り、事態を悪化させるのも困りものだった。
一番印象的だったのは、私が高校生の時の出来事。
当時はまだガラケーの世で、月額315円の占いサイトとかそういう有料サービスがたくさんあった。母親は知らないうちにそれらに多数登録してしまい、解約方法が分からず月に何万も携帯料金を払い続け、それを家族に隠していた(知的障害があると、問題が生じていても誰かに相談できず放置し続けてしまうことがある)。
携帯料金の明細を見た私はすぐに有料サービスを全部解約させ、二度とこういうことがないようにと、有料サービスの誘導画面の説明をした。
「まるで親と子が逆みたいだ」と思った。このあたりからなんとなく「うちの母親には知的な遅れがあるのではないか」と考えるようになった。
また、きょうだいにも、母親より少し重いが軽度の知的障害があった。
しかし、祖父は「障害者が一族から出たら終わり」という考えの上、自分が大学に進学できなかったコンプレックスもあり、きょうだいは無理やり名前を書けば受かる大学に進学させられた。
必修科目をシステム登録できず留年仕掛けたり、コンビニやカラオケのバイトも数日で退職勧奨されたり、見ていられない状況だった。
どうにかきょうだいに療育を受けさせられないか、居住自治体に問い合わせたこともあったが、母親に反対されて断念した。母親は私が通っていた中学の特別支援学級にいたダウン症の子を引き合いに出し、「あんなのと一緒にするのか」と宣った。ちなみに、福祉業界の知人いわく、「障害者が他の障害者を差別するのはよくあること」らしい。
私の就職が決まり、大学4年の終わりになるころ、祖父の経済的・精神的・身体的DVが極まり、家の中はめちゃくちゃだった。
ある日、母親が半ば錯乱状態で「お前らみんな包丁持ってきて殺してやる」と繰り返し叫んでいた。それを聞いた私は「この人はやりかねない」と恐ろしくなり、そこから半年くらい死恐怖症に苦しんだ。このときに出会った禅の思想は今でも心のお守りである。
就職後、結婚したことを期に実家とは縁を切った。
祖父に関しては悩みもしなかったが、母親については何年も逡巡した。母親の知能だと、「なぜ子どもから縁を切られ、会えない状況が続いているのか」、一生理解できない可能性があるからだ。
しかし、3年、5年と絶縁している期間が長くなるにつれ、「これが私と母親との適切な距離なんだ」と感じるようになった。今では母親のことは「支援が必要な他人」として認識している。何かあったら、行政の然るべき部署につなげることはやぶさかではない。
ここまで書いてきて意外かもしれないが、私は知的障害者が育児することについて全く否定しない。
「子育てをしてはいけない人間」を指すとき、そうである者と、そうでない者の境はなんだろう?明確な線を引けない限り、それを誰かにあてはめることはしないというのが、私の立場だ。私自身苦労は多かったし、支援が欲しかったとは思うが、母親のことは、今となっては全く恨んでいない。
今後知的障害者の子育てについて支援する動きが増えるなら私も応援したい。自分がしてほしかったように。
]]>批判を恐れて、助けを求める誰かを見殺しにすることを選んでいる。
AED問題と同じだね。
悲しいね。
この世界にいる全ての創作者が口先だけの平等を叫ぶ。
そんな世界に舞い降りた一筋の光こそが『特別支援系地下アイドルユニット☆ハッピー障害児ガールズ』(以下、ハッピー障害児ガールズ)である。
気になる人は今すぐ読もう https://seiga.nicovideo.jp/comic/60379
ハッピー障害児ガールズとは、特別支援学級に通う3人の美少女障害児が日本最高のアイドルユニットを目指す物語である。
最終到達目標は126代続くアイドルユニットたる天皇を超えることであり、その未来は実現することが語られている。
あるものは両手両足が、あるものは視覚が、あるものは知能がない彼女たちが障害児でありながら日本の頂点へ到達する物語。
この物語の主役は彼女たちだけではない。
サバトに集うギリギリ健常者たるファン達の捧げる狂気と血税によって帝位簒奪までの道が切り拓かれる超最新型神話なのである。
真の愛国者として日々、過酷な陛下ニーに励むものならば絶対にハマってしまう超ド右翼最右端の特急呪物だ。
最初期はジャンプルーキーで活躍していたが、あまりの危険性から切り離され、今はネットの無法地帯たるニコニコ静画で連載している。
今はまだただの色物漫画だが、きっといつかこの漫画が新時代の進撃の巨人となり、追放したジャンプルーキー編集者の無能は、皇家が、日本が、地球が滅びる日まで語り継がれることだろう。
身長2桁cmの女でしか抜けないペドフェリアも、ヨダレを垂らして暮らす低IQ美少女を求めてやまない葉鍵難民も、障害者というだけでヤバイ奴らに囲まれてしまった可愛そうな美少女でしかシコれない異常者も、もちろん陛下ニーへの理解が薄い世間の風で凍死寸前の極右の皆も、きっとこれを読めば幸せな気持ちになれる!
つまり、全日本国民が読むべき漫画だってこと!!
読もう!
特別支援系地下アイドルユニット☆ハッピー障害児ガールズ!!!!
]]>>日本語わからず特別支援学級に。「かわいそうだから」と判断される外国人の子ども、閉ざされる学び
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbd95a810fd9d8848b446b7c387e98865c45cc67?page=2
>「子どもが知らない間に学校で知能検査を受けさせられた。結果を解説してもらえないまま、特別支援学級をしつこく勧められた」(40代のブラジル人の母親。小2だった娘が特別支援学級に)
知能に何の問題もないのに、たまたま外国人の子どもで、日本語が分からないというだけで日本人教師から「知能が低い」と誤解され、特別支援学級を促されるケースが後を絶たないとのこと。
母語を使える環境で進学していれば普通の大学どころか、難関国立やアイビーも目指せるかもしれない子が、誤解されたまま高校へ入る程度の教育すら受けられない危険がある。
]]>にリプライとブコメしてくれてありがとう。
今、カフェインの離脱症状なのか文章が上手く頭から出て来ないけど、反応があった事が嬉しい。
saori-yamamura 文章上手すぎ読みやすすぎ。「体育の時に近くの体育館までバスで外出するタイプの学校」そんなタイプの学校があるなんて初めて知った。土地がない都会にはあるのか!?!?
文章を褒めてくれて、ありがとう。
うちの高校はグラウンドも体育館も無かったから、体育の授業をやる日は同じ市の体育館を借りたり、どこか山の方にあるグラウンドまで遠出してた覚えがあるよ。結構珍しい学校なのかもしれない。
stack00 読みやすい文章だから、そっちならいいんじゃないかとも思う。
ありがとう。そっちって何処だろ?
Galaxy42 本人じゃなくてきょうだいが書いてる? webマンガサイトと確定申告のステマ? 本人なら、どうやってますだをみつけたんだろう
本人が書いてるよ。兄弟は子供が生まれたばかりだし家庭が忙しくて増田で長文書いてる暇ないんじゃないかな?
増田は確か個人的に気になる話題を調べていた時に検索サイトでヒットして、他のコミュニティから離れる感じで流れ着いたような気がする。
toro-chan 何かしないと能力は判定不能。紙のテストなんて能力の一部しか測れない。やる気しないバイトなんて発達障害関係なくほぼ無駄。能力を判定するのはもう少し視野を広げて「ついうっかり」できることは何か探してから
自分に「ついうっかり」出来る事って何だろう…そう言えば最近、自分は自分が考えていた以上に何にもできない事が分かって衝撃だった。今だったら、下手したら小学校レベルの紙のテストさえやりたくなくて出来ないかも?
ikebukuro3 行く先々が悉くブラック企業ばっかなのはなんでなん?まともそうなの(ただ判定できないだけだが)最初しかねえじゃん
自分でも行けそう、ここでなら働けそうと思った場所がそういう所だったから?今まで行った所で本当の意味でブラックだったのは、派遣会社に紹介してもらった外国人労働者を現場リーダーがいじめてた食肉工場だけな気もする。
正直、どこの工場でも現場だとああいう外国人いじめはしてるんだろうな、とも思う。自分が行ったのは○○ham Foods Inc.だったけど。
kjin 人と継続的に関わるとそれが役割ぽくなって縛りになって、でもさっさとその席別の人に譲った方がいいのでは?て不安はあるなあ“暇を潰せて生きているけど、こんな自分は主観的にも客観的にもさっさと死んだ方が世の
自分が無駄に浪費しているリソースを、自分よりもっと相応しい誰かが使った方が良いんじゃないろうか、とはずっと思ってるかもしれない。だから、自分が死んだ方が家族は幸せになるんだろうな、ってもう何年も思ってる。
mutinomuti “そこで支給されるエプロン?ナプキン?が体に合わなかった”材質が合わないのか、体型が合わないのかどっちだろうか(´・_・`)
体型が合わなかった。「体育嫌いで女子に嫌われてるキモい男子」と言えば何となく分かると思う。
ko2inte8cu 文章が長すぎだから、診断を受けたのもさもありなん。親が過保護で、子離れしたくない。働けというが、その台詞を言ったり言われたりする状況に陶酔している。本気なら、家から叩き出すね。造作もないことだ。
親が子供の時からずっと過保護なのは、自分と兄弟を比べても幼児の頃から分かってた気もする。本気で働かせたいなら確かに家から追い出してると思う。もしある日家から追い出されたら、自分は間違いなく何か犯罪するけど。
Spica7788 自分の長所、好きなこと、得意を生業(仕事とは敢えて言わない)として生きていけたらいいね、と思う。向いてないことに飛び込んでは砕けて、って生き方だとそりゃ立ち上がれない。ちなみに他人は助けてはくれないよ。
最近絵を描いたり文章を書いていきたい、と思ってる自分と同じような無職をネット上でよく見かけるのはそういう事なんだろうな、と思う。自分は絵を描くのも文章を書くのも下手だけど。
他人は助けてくれないけど、何故か家族はこんな自分を何十年も助けてくれている。親兄弟に負担と迷惑をかけてるだけだし、他人は助けてくれないし、自分一人じゃ何も出来ないから、もし生きていけなくなったら楽に死にたいな。
manamanaba 遺族年金しかないなら増田自身の確定申告はいらんのでは…?/"カッとなっても暴力を振るわないよう、最近はもうしばらく口を利かない方向にしている" これができるってことは進歩はしてるんじゃないの
自分はいい歳して確定申告って何なのかがさっぱり分からないんだけど、先日年老いた母が机で数々の書類と数日くらい戦っていたような気がする。
喧嘩になりそうな時は、顔を合わさないよう口を利かないのが一番だと分かったけど、自分の場合はそれが一週間くらい続くし、口を利かないと母が凄く不機嫌になって向こうも喧嘩腰になってくるので色々しんどいなあと思う。
natu3kan 学校行く日が少ないと気まずいとかもあって、休み癖つきやすい。断続的に持病で病欠するのもあって親も気に掛けるし。職歴ない人には自活できるくらい食える賃金がでるまともな仕事ってあんまない。
そう言えば、昔休み癖付いた時は仮病を使って平気で数日休むとか当たり前の子供だった。その間家でゲームばかりしていたけど、お陰で学校では友達が出来ないし勉強も付いていけないの悪循環だったかもしれない。
食べていけるだけの賃金が出るまともな仕事がもう無いなら、このまま親の貯金を食い潰して死ぬまで家に引き籠るのが一番なんだろうか。
spiro_bi 本人が書いたという前提で。個人作業系単発バイトをやって向いてそうな分野を探すのは? 言語処理ならランサーズのテキスト作成とか。あとプログラミングや筋トレなどの達成感がありそうなもの中で合うものを探す。
本人が書いてるよ。個人作業系単発バイト、履歴書だけなら良いんだけど参加する際に何かの派遣会社に登録しなくちゃいけないのが面倒臭いなって昔思った気がする。大体近場に無くて家からも遠いし。
昔、中学校時代の友達と一緒にそういうバイトに行っていた時、引っ越しのアルバイトでミスしてヤクザっぽい人達に金出さねえぞ!って叱られたのが怖くて、その後行かなくなった事思い出した。
アドバイス、ありがとう。プログラミングは無理だけど、筋トレは昔本当に一瞬だけダンベルしたリプロテイン飲んだりするのにハマってた時期あったよ。プロテイン高かったけど。
sds-page eスポーツ選手育成の名目で障碍者雇用枠で雇った人に一日中ゲームやらせてる所があると聞いたがそういう枠組みでうまくハマらないだろうか
障碍者でもTVゲームに特化した人とか滅茶苦茶上手いんだろうね。自分は漫画読んだりアニメ見たりして時間潰してるから、一日中ゲームするのはそれはそれで大変そうだなって思う。
kwsktr この増田のためにも、安楽死が早く認められるといいな。長生きしないほうが幸せなことはあるはずなんだ。
早く死んだ方が良い、どうせ死ぬなら楽な方が良いと分かってるのに、いざ自分が死ぬかもと思うと滅茶苦茶怖くなる。長生きしてもどうせろくな事ないし、他人に迷惑をかけるだけなのに。赤木しげるみたいに死にたい。
いまは漢字変換されるから
書けなくでも薔薇という漢字はうてる
読む方は結構行けるけど、自分で書くのは無理なんだよね。
7日でなんかできないからって逃げるのはメンタル弱すぎて弱者男性に入れていいと思う
普通の人はもうちょい長持ちする物なのかな。
一人暮らしして生活保護受けよう。
この文章が書けるなら生保の書類はなんとか書けるだろう。一週間ならバイトできるなら手続きもなんとかこなせるだろう。水際作戦回避方法はpcで調べよう。
生活保護の事はちょっと考えてたけど、生活保護 水際作戦で検索しただけで面倒臭そうでこんなの絶対自分には出来ないな…って気持ちがまず第一に来ちゃった。バイトも単純作業だったし。
文章を書く能力と書類仕事の能力は別なので…
低学歴でも漫画や小説などをよく読むならそれがよいトレーニングになってるんだわ
好きこそものの何とやらだね
学生時代は本当小説と漫画ばっかり読んでた気がする。中でも菊地秀行と夢枕獏が大好きで愛読してた。今だとああいうエログロ物は自分から読もうとは思わないけど…
未来の俺だ……。でも俺周りから発達障害扱いされるけど精神科で検査したら発達障害じゃなかったから元増田より詰んでんだわ。はよ死にたいね。
未来の、って事は今現在はそうじゃないって事だろうか。周りにそういう事を言ってくれる人が居るのと、精神科の検査でそう診断されなかったって事は社会に馴染めてるって事、なんだろうか。辛い時はもう早く死にたいと思うね。
アドバイスが2つある
①薬を変えよう
自分に合ってない薬でたまにしか飲まないのは勿体無い
せっかくのドーピングなんだ、合うまで何度も変えてもらえ
②売る仕事をしよう
雇われるのが向いてないのはしょうがない
パソコンで何かを作って売ればいい
どれだけ馬鹿でも話す機会がなきゃバレないし、BOOTH等で電子資産を売ればいい
媚びる必要もなく、作りたい時に自分のペースで作って、買う奴が勝手に買う
今ならAIを使えばスキルがなくても大丈夫だ
①のアドバイスについて、これまで出してもらった薬はコンサータとストラテラで、コンサータは調べたらまんま覚醒剤と言うのもあって飲んだらテンションが滅茶苦茶上がって24時間寝れないとかもあって怖かった。
今出してもらってるのはストラテラだけど、こっちは飲むと気持ちが極端に落ち着くというか、はっきり言えば鬱状態になるからあんまり飲みたいと思わなくなる。何もかも面倒臭くなるから、暴力性も抑えられるのは良い事だと思うけど。
でも、診断して薬を出してくれるお爺ちゃん先生と、こういう薬を出してもらえませんか?って話をするのが面倒臭いし、ストラテラ以外に良い薬があるのかも分からないから、せっかくのドーピングだけど有効活用出来る気がしない。
②のアドバイスについて、家から出ないで、何か適当に作った物がネットで売れたら良いなあ、とは自分も前から思っていた。ただ思うだけで何も行動してこなかった結果、今の自分があるけど。
パソコンで何かを作ってそれをネットで売っている人達って、本当に凄いなって思う。酷評に晒されたりもしているけど、それでも何かしら世に出せているというのはそれだけで何もしないという事には遥かに勝ってると思う。
アドバイス、ありがとう。
ダウン症や重度知的の子も重複障害で幼少期に命に関わる手術歴あることが多い
本人や家族が幸せならいいけど
そうじゃないのを見ると
医療福祉って誰のためにあるんだろう...と暗い気持ちになる
何かしら医療福祉の力を借りなければ、幼少期に死んでいた筈の子供は、本来は長生きすべきではない、生まれてくるべき子供では無かったんじゃないだろうか、と最近では思うようになってきた。
物心が付く前から体が弱くて何回も死にかけてきた、という自分の記憶にも無い生い立ちを家族から聞かされる時、その時延命治療しないで死なせていれば今の自分は苦しまないで済んでいたんじゃないだろうか、なんて思う。
お前に必要なのはケイゾクして仕事をつづけることだな
普通に働くのが無理なら作業所いけよ
作業所ってキーワードが一度も出てこないのが不自然すぎる
このトラバを見て初めて「B型作業所って所で働いてみない?」とこれまで母親に何度か言われた事を思い出した。ひょっとしたらつい最近も言われたのかもしれないけど、個人的に嫌な話題なので言われてもすぐ忘れてたのかも。
完全なイメージで悪いんだけど、ああいう作業所は…特別支援学級に通っていた子供達が大人になってから行くような場所、というイメージがあって、そういう所に自分も行け、と言われる事にとてつもない反発が自分にはあった。
自分は発達障害・アスペルガーでひょっとしたら軽度知的障害かもしれない、なんて何度も何度もバイトを短期で辞めて、やっと諦めて精神病院に行こうとするまでこれまで考えた事も無かったくらい、自分はプライドが高かった。
父親も母親も兄弟も、何かしら精神を患っていたけど、自分だけはこの家の中でまともな人間なんだと、何の根拠もなく何十年かは思えていた。馬鹿は自分が馬鹿である事に気付かない、と言うのは本当の話なんだと思った。
今後、もし…無料のアニメや漫画に触れる事に飽きて、何かの気紛れで働きに行こうかな、と思った時はB型作業所に行くのも良いかもしれない。自分は障碍者なんだと認めるだけで数十年かかった馬鹿な中年だった。
リスキリングできてんだからもう社会でやってけるはずだよ
リスキンングってワードさえこれまで生きてきて一度も聞いた事ないから無理だと思う。
]]>そもそも生まれた時から体が弱かったのか、小学校入学までに7~8回ほど命に関わる手術を受けたらしい。
自分にそんな記憶はないのだけど、母や歳の離れた兄弟の話を聞く限り恐らくそれは事実なんだろうな、と思う。
すぐに体を壊して学校を休む、というだけでなく家でTVゲームをやりたい、体育の授業を受けたくない、いじめられたくない、というほんの些細な事からよく学校を休む子供だった。
そんな自分が好き好んで学校に行っていたのは、小学校から高校までの12年間で、同じクラスの子に恋をした中学校三年生の一年間だけだったと思う。
その子と同じ高校に行きたい、とその時は真剣に思っていたけれど、何せ学力テストでの全教科の合計が150点前後、一教科平均で30点ほどしか取れない馬鹿だったので、好きな子と同じ学校には進めなかった。
この時点で自分は同学年の子と比べても頭が非常に悪い事を自覚しておくべきだったのかもしれない。最近の言葉で言うとギリ健、いやもしかしたら本来なら特別支援学級に通った方が良い子供だったのかもしれない。
まあ、そんな馬鹿でも入れる高校となると自分の名前が書けて小学生レベルの問題が解ければ入れるだけの所謂バカ高しか無かった。そう呼ぶのはそこで働いていた先生や、真面目な同級生たちには大変失礼だとは思うけれど。
そんな馬鹿でも入れて、小学生レベルの問題が解ければ入れるバカ高でも、自分は付いていけなかった。幾つか…簡単な、馬鹿でも取れる資格だけは取れたけど、勉強には付いていけず早く家に帰ってゲームしたい、と思っていた。
後輩の不良が怖くてトイレに行けず、先生に相談して綺麗なトイレが使える近所のデパートまでの外出許可を貰っていた。三年間同じクラスだった同級生とも結局仲が良い友達は一人も居なかった。
隣の席の女子からは本当にこれ以上は無いというくらい嫌われていた。体育の時に近くの体育館までバスで外出するタイプの学校で、その席も固定で隣の女子から本当これでもかと嫌悪感をぶつけられた。
そうなると、ただでさえ嫌いな体育がもう授業そのものより参加する段階から自分にとっては苦痛でしか無かったので、体育のある曜日は絶対に休むようにした。隣の席の女子もその事に満足していたのではないだろうか。
友達が一人も居ない、女子からは毛嫌いされている、勉強が出来ず授業態度が不真面目なので当然先生から好かれる訳もない。三年間通った学校を卒業した時も、中学校の時と違い満足感や寂しさのような物は一切無かった。
ただ、唯一嬉しかったのは卒業式の後家族が外食に連れて行ってくれた事だった。そこまでの18年間の人生でも本当に家族には迷惑かけっぱなしだった。もし、自分が逆の立場だったらこんな奴すぐ見捨てていると思う。
高校を卒業してからは…基本的にずっとニートを続けている。
中学校時代の友人がアルバイトに誘ってくれたり、新しく生まれた親類のために少しだけほんの少しだけバイトをした事もあったけど、長続きしなかった。バイトを即効で辞めたため、結局家族に大きな負担をかけただけだったと思う。
学習性無気力というのか、今度こそバイトを続けるぞ、と思って考えなしに行動しては痛い目に遭うという事をこれまで4回か5回ほど繰り返して、もうバイトしたくない、痛い目に遭うだけだな、と悟った気がする。
サポステに斡旋してもらう形で紹介してもらった食肉工場では、そこで支給されるエプロン?ナプキン?が体に合わなかったという事で、さあ働くぞ!と思って出勤するも、出勤初日から現場に入れずに泣きながら当日辞めた。
派遣会社に派遣してもらった次の食肉工場では、一日目にサイズの合わない作業靴で親指を痛めたり、現場リーダーが口が利けない外国人のお爺ちゃんを作業中にニヤニヤ笑いながら殴ってる所を初日に何時間も見せられた。
その派遣会社と結んだ契約なんて知った事か、ともう次の日からその現場に向かう事を拒否した。自分で絶対に現場に行かないという勇気が無かったので、親に代理で電話をかけてもらった。凄く情けない大人だと思う。
その次、タウンワークで自宅の近場にあった倉庫での作業は一週間だけ続いた。大した面接も無く働かせてもらえる事になって本当にラッキーだと思ったし、そこで働いてる人達も親切そうで良かった、と初日は思った。
ただ、リーダー格的な頼りになるおじさんがある同僚一人を露骨に虐めていたり、最年長の仕事が出来るベテラン爺さんが自分の仕事を全てやり直したり、凄く簡単な仕事さえ自分にはスピーディーに、丁寧にこなせない事が分かった。
初日から足を棒のようにして7時間働いただけでもうくたくたになってしまった。それで時給が800円前後だと、もうここで働くのは自分には無理だなあ…と、前回の工場と比べれば天国のような環境にも関わらず7日で辞めてしまった。
親に「何でも良いからとにかく働け」と言われたり、自発的に何か贈り物を挙げたいという動機でアルバイトを始めても早ければ当日、長くても一週間で辞めてしまう人間である事が4~5回の経験で分かった。
アルバイトに出てもどうせすぐに辞めるし、辞める度に自分ではなく親が代わりに辞職を願い出て自分は隠れて震えている、という事を何度も繰り返してここ数年はもう簡単なアルバイトに出ようとさえ思わなくなった
親は「とにかくアルバイトでも良いから何かしてみろ」と言うのだけど、実際にサポステやタウンワークを利用して働こうとすると「よく考えろ。考えなしに動くな」と矛盾したような事を自分に言った、と思う。4~5回、それを繰り返した。
ここからは本当に恥ずかしい事なんだけれど、倉庫でのアルバイトを辞めた後親に「何でも良いからとにかく働け」と言われると、怒りのままに物を壊し親兄弟に暴力を振るった事が数えた事は無いけれど数十回はあると思う。
自分より非力で、もう体力もない親や兄弟に暴力を振るう事に、自分は何のブレーキも無かった。普通なら、自分の家族にそんな事出来る筈ないだろうに、自分は出来てしまった。自分は、正常な人間では無いのだと思う。
心療内科・精神科医の先生に自分が発達障害だ、と正確に診断を受けたのはここ数年の事だった。それも、ADHDだけでなくややアスペルガーの気もあるらしい。通りで自分には空気が読めない訳だよなあ、とやっと理解出来た。
自分の家庭内暴力も、自分より強い父が生きていた頃は母親や兄弟に向かう事は無かったので、自分は「群れの中で自分より強い父」と言うブレーキが無ければ家族に全力暴力を振るえる動物なんだろう。人間と言うより、動物。
最も、母親や兄弟に向かなかっただけで飼っていた犬や猫には苛立っている時には八つ当たりで暴力を振るうような人間だったので、それは今更なんだろうな、とこれまでの自分の行動を振り返って見てみると思う。
お祭りで金魚を釣って来ても愛情を一切注がず、母親と兄弟に世話をさせていた。兄弟が飼っていたリスの籠を蹴ってしまい、リスを恐怖させ早死にさせてしまった。動物への行い的に、もし地獄があるなら死後は地獄行きだろうか。
この自分の精神的傾向は、父方の祖父にも、父にも、兄弟にもあるし、方向性は違うけれど、母も異常な所が無いとは言えない。ただ、社会に適応出来た両親や兄弟と違って、自分だけが落ちこぼれなのは、やはり原因がありそう。
新しく生まれた親類、つまり自分の甥姪もこの父方の精神性を受け継いでいるのだろうなと思うし、高齢出産という事もあり、もう今の段階で知的障害や発達障害の傾向が見られるので、この先苦労するだろうな、と悲しくなる。
自分は今、母親の不動産収入と父親の遺族年金と両親が一生懸命貯めた貯金を食い潰して生きている。それが無くなるタイムリミットは…正直、分からない。数十年、は無理だと思う。
今でも母親に「早く働きに行け」と言われるとカッとなる。そう言われて働きに出た結果何度もすぐ辞めたし、もう長続きしない事が分かったから。カッとなっても暴力を振るわないよう、最近はもうしばらく口を利かない方向にしている。
そう言えば、10年以上前に一緒にアルバイトに誘ってくれた中学校時代の友人ともここ数年は連絡が取れなくなった。寂しい気持ちと、もう親族でない他人と付き合わなくても良いという楽な気持ちが入り混じっている。
頭が悪く、能力が低く、仕事は長続きせず、肉親や小動物に暴力を振るう事に躊躇が無く、ただ無駄飯を食らって生きているだけの知的障害・精神病の中年男。こんな自分は生きているべきではない、とここ数年思っている。
今は障碍者手帳を申請したお陰で、発達障害者向けの薬を1割負担で貰えるが、飲むと体調が悪くなるので気が向いた時しか飲んでいない。母親が口喧嘩になるとすぐに「その薬を飲め」と言うのもある。キチガイ用の薬と言う訳だ。
税金も、父親が無くなってからは一度も市に納めていない。ズルズルと延期しているけれど、恐らく自分が死ぬまで一度も収める事は無いのではなかろうか。そもそも、何の税金かさえも分かりはしないし。
確定申告も、自分がPCで遊び惚けている間に母親が全て書類を用意して手続きを頑張ってくれている事をつい先日知った。自分は、確定申告とはどういうことなのか、何を書き込めば良いのかという事も一切理解していない。
今の自分は、毎日無料のアニメや無料の漫画で時間を潰して生きている。自分をすり減らして働いて生きるよりは幸せなんだろうな、とは思う。最近だとジャンププラスとゼブラック、コミックDAYSとヤンマガWEBが本当にお気に入りだ。
暇を潰せて生きているけど、こんな自分は主観的にも客観的にもさっさと死んだ方が世のため家族のためだと思っている。早く死にたい、と言う度に母は悲しそうにするし何だか怒るけど。
自分で死ぬ勇気はないけど、早く死にたい。母親が死んだら、自分も後を追って早く死にたい。もし母親がボケたり要介護の体になっても、自分には介護をする自信が無いので、酷い話だけどそうなる前に、早く死んでほしい。
こういう身内のお荷物のような人間は、両親が死んだ後今度は兄弟に寄生し更に狂暴化するという話をこの前ネットで見た。そうなる前に、狂暴化する前に、何らかの方法で、出来るだけ苦痛なく幸せに死ぬ事を、自分は望んでる。
そう言えば
「文章が書ける人間は知的障害ではない」という俗説をよく聞くけれど、
そういう人には「小学生低学年の知能でも文章は書ける」という事を分かってもらいたい。自分は、小学生の時から中年の今まで、頭の中がアップデートされていない自覚があるのだから。
読み返したら誤字ばかりだった
]]>以下動画の概要
[登場人物]
・投稿主: 助産師
・主の娘: 中2。発達障害者(自閉症スペクトラム)。小学校と中学校が併設された学校の特別支援学級に通っている。兄弟に対する他害あり。パニックになると他人にも他害することもある。
・娘の担任: ガタイの良い男性
・娘が怪我を負わせた教員: 後述するイベントの企画者
[動画内の他害の経緯]
・小学部と中学部合同で体幹トレーニングをするイベントがあった。
・娘はイベントに参加したくなかったが、無理に参加させられ、始めは我慢していたが、イライラから来る感覚過敏に大音量のBGMと小学生の騒ぐ声が重なり、担任に他害をし始めた。
・担任がそれを無視したため、イライラが頂点に達し、そのイベントを企画した教員に他害し怪我を負わせた。
[投稿主の主張]
・娘が他害したことは申し訳く思っている。
・しかし怪我を負わせるまでに、食い止められるポイントがあった(イベントに参加したがらなかった時と、担任に他害し始めた時)。また娘の特性を理解していれば防げたかもしれない。
・食止めるポイントを見逃した教員達にも落ち度がある。
・そもそも支援学級の教員達の知識が無さすぎる。日本の教育制度全体に問題があるとはいえ、支援学級を担当するなら支援の知識をつけるべき。
・中1の時は授業にきちんと参加出来ていたのに、中2になって授業を受けないことが増えたため、担任に問題があるのではないか。
以上が概要だ。
確かにごもっともな主張である。正論だ。
娘に落ち度はない。したくて他害している訳では無いし、抑えようとしても出来ないのが発達障害なのだから。
しかし昨今、いじめ等の学校の閉鎖的な姿勢に批判が集まる中で、生徒からの教員に対する暴行はどこまで学校内で処理すべきなのか。
発達障害者の暴行はどこまで許容されるべきなのか。
教員に支援の基礎的な知識がないのは事実だろうが、そもそも教員は支援の専門家ではない(特別支援学校教諭免許状を持つのが好ましいとはいえ必須ではない)。
教員不足の現状で支援の免許を持たない教員が担任になることもあるだろう。支援の専門家でない人にきちんと支援しろというのは、他害傾向のある発達障害者に他害するなと言うのと同じではないのか。
そもそも学校教育というのは、画一的な国民を作るシステムだ。「個々人の特性を理解し、良いところを伸ばす」という思想とは相性が悪すぎるし、その余力は現場にはないだろう。
娘も悪くないし、当然投稿主が悪い訳でもない。しかし教員もそこまで責められないのではとモヤモヤしている。
]]>結婚も視野に入れてくれた彼だった
だから、きっと、この人ならと思って打ち明けた。
結論から言うと、全く理解されることなくわたしたちは別れることとなった。
私はADHDとASD(自閉症スペクトラム症)医師から診断を受けている。
全く自覚はないが、その2つの特性が彼を苦しめていたらしい
何度も同じ話を繰り返ししてしまったり(もちろん過去に話したことは忘れている)
重要なことをうっかり忘れていたり
1発でみんなができることも なかなか身につくのが通常の人より遅かったり
不注意傾向が強いタイプの特性がよく出ていたように思う
彼に打ち明けた時、周囲に全くそういった人がいないから想像が難しいと正直に話してくれた
だから理解できるように、勉強すると言ってくれた 嬉しかった
私からも、どういったことが苦手だとか、こういうふうに世界が見えているとか、
わかりやすそうなものを選んで、当事者の動画や記事を彼に送ったりした。 彼が読み切れる範囲で。
ところが数週間立ったある日、彼から言われた言葉は
「これ(発達障害の特性)に俺がずっと耐えなきゃいけないのか」
「できないとか言い訳にしか聞こえない」
「発達障害の人間とは付き合えない 無理 別れよう」
勝手に期待していた私も馬鹿だ
きっと受け入れてくれる 一緒に乗り越えられるって思っていたけど 現実はそう うまくはいかない
通話を切ったあと、つらすぎて涙が止まらなくなってしまった。
増田には発達障害を持つ弟がいる
特別支援学級や特別支援学校の子どもたちと接する機会も多かったものだから 障害は身近のものだと勝手に思っていた
だからきっと説明すればわかってもらえると。
でも差別とはまた違う、”区別”する人はいた。
元彼は区別する側の人間だった
自分の障害が直接的な原因になって人と別れたのが今回が初めてだったので本当に悲しかった。
しばらくは立ち直れそうにない。
読みづらくてごめんね
2022.11.14
初めて書いたブログで、増田というのを知らずに書いてしまいました。修正しました。ごめんなさい
]]>まずA。鼻をかむ時は絶対に廊下に出る。休み時間なんかは別に気にならないけど、授業中で皆静かにしてる時に(特に先生に断りを入れるでもなく)勝手に席を立って廊下に出ていってしまう。そして思い切り鼻をかむ。鼻をかみ終わったら普通に席に戻ってきて普通に授業を受けていた。なぜそんなことをしていたのかは知らない。突然席を立つので気が散るな、とは思っていた。
次にB。癇癪持ちといえばいいのだろうか。何か気に入らないことがあるのか、授業中でも唐突に「やだやだやだ……」と何かを拒否しだす。普通に授業をしてただけなので傍から見てても何が嫌なのかよく分からない。エスカレートすると「い゛や゛ーーー!!」と耳をつんざくレベルの絶叫と化す。更にエスカレートすると床に仰向けになって泣き叫びながら手足をバタバタさせる。あまりにも収拾がつかないと教頭先生や校務員のおじさんが宥めにくることもあった。これは低学年の子が愚図ってるというものではなく小6になっても同じ調子だった。こうした行動が起きると授業も止まってしまうので内心ではとても面倒くさかった。同級生でBと同じ通学グループの子がいうには、Bの母親は彼の癇癪を"個性"と言っていたそうだが自分が聞いたわけじゃないので真偽は不明。
小学校はいわゆる普通学級しかなかったけど、卒業して地元の中学校に進学したらAは特別支援学級(〇〇学級とか呼ばれるところ)にいたので、まあそういうことかとちょっと腑に落ちたような気持ちになった。Bは地元の学校にいなかったので卒業後のことは何も分からない。
]]>その煽りに使ってる、なんとか学級って、ひまわり学級とかの特別支援学級のことだよね?
どういう意図で使ったのか知らないけど。
普段どんな言葉遣いで生活してるか、どんな人生か。なんとなくわかった気がする。
]]>「一度、特別支援学級・学校のレールに乗ると、通常学級のレールに戻るのは難しいのが現実です。特別支援学校の高等部の卒業は、就職時に(「高卒」の要件として認められず)中学校卒業の扱いになります。特別支援学校では就職先を斡旋してくれますが、そこでうまくいかなければ、中卒資格で自活しなければいけません。」
]]>https://toyokeizai.net/articles/-/577701?page=2
障害のある子どもの就学や学校での悩みについて相談を受ける「障害児を普通学校へ 全国連絡会」の片桐健司教諭は、2000年代初頭を振り返り、「この頃、発達障害の相談が増えた」と語る。
「発達障害が話題になって、教員の子どもを見る目が変わり始めた。『手がかかる』で済んでいた子どもが、何かあるとすぐ発達障害と思われるようになった。発達障害で教育相談や医者に行きなさいと言われたと、泣きながら相談に来る親がいた。医者に相談すると何かしらの診断名がついてしまう」(片桐教諭)
学校基本調査によると、特別支援学級に在籍する児童生徒数は、2010年の14万人に対して、2020年は2倍の30万人に増えている。その中でも、一部の発達障害が含まれる「自閉症・情緒障害」の児童生徒数は、10年間で2.7倍にまで増えている(下図)。
]]>『発達障害』は父親が高齢になる程産まれやすい筈なのに、比較的若くして産んでいる沖縄で何故か有意に多いという。
沖縄の特徴といえば十代での出産の多さや貧困や離婚率の高さだが、
やっぱり実際には後天的な要素の方が大きくて
『発達障害』なる、「生まれついての脳の障害」など存在しないのでは?
https://toyokeizai.net/articles/-/604154
「特別支援学級が予想以上に増えた」
文部科学省や各教育委員会が教員不足の大きな要因として挙げるのが、障害のある子どもが通う特別支援学級(以下、支援学級)の増加だ。直近10年間で小中学校全体の児童・生徒数は減少しているにもかかわらず、支援学級の在籍者数は2011年度の約15万人から2021年度には約32万人に倍増している。
学級全体に占める支援学級の比率が全国的に高い沖縄県の教育委員会担当者も、教員不足の一因について「支援学級が増えすぎた」と話す。同県で顕著に増えているのが、自閉症など発達障害の児童が通う「自閉症・情緒障害」支援学級の在籍者数だ。
]]>沖縄の小中学校 情緒学級生、10年で12倍 発達障がいへの理解進む 一時的行動で判断の懸念も
県内公立小中学校の「自閉症・情緒障がい特別支援学級(以下、情緒学級)」に通う児童生徒が2019年度に3389人となり、10年度の272人から10年間で12・5倍に急増した。全国平均も2・4倍と伸びているが、沖縄が突出している。発達障がいの認知が進んだことが一因だが、虐待やいじめによっても発達障がいと同じような行動特性が現れることがあり、識者からは「支援学級が適切かどうか疑わしいケースがある」と懸念も出ている。(編集委員・鈴木実)
]]>「俺が知りたいのは教科法の歴史とかスイミーの構造と想定される発問とかじゃなくて、宿題してこない子でも宿題できるようにするとか、遅刻をしている子に時間の感覚を持って貰うとか、そういうことなんだけどな」
「教科法の教授の授業は正しいけどさ、出来る子前提の発問でその教授の中に出来ない子が想定されてなくて、なんだか反発したくなる」
その大学生は特別支援の方向に進みたいみたいだったけど、無事に教師やってるだろうか。
]]>あなただって特別支援学級に入ったら問題児になるでしょ?
特別支援学級の人間に伝わりやすい説明と健常者に伝わりやすい説明って別なんだわ・・・。
]]>https://www.asahi.com/articles/ASPBV65M7PBVPTIL017.html
県教委によると、男性教諭は4月~10月上旬、教室内で個別指導していた女子生徒の胸などを十数回触ったという。教室内に別の生徒がいる中、間仕切りに隠れた状態でわいせつな行為をしたこともあったという。
障碍者なんてブッサイクばっかりなのにさわるなんて本当にスキモノだなぁ
]]>子供の場合は、軽度でも特別支援学級に入れられてしまうが、それだとIQが低い訳でもないのに重めの知的障害児と同じ進度で勉強することになる。
で、当然学力が低くなるせいで、中学進学のときにも成績の数字だけを見られて「中学も支援級じゃないと無理ですね」とか、下手すると受け入れ拒否されるので、高校以降の進学の道がそこで途絶える。
クラスが隔離されてるせいで、通常クラスの友達ができにくく、孤立しやすくなる。
そういう問題があるので、子供がちょっとよその子と比べて粗忽者のような気がして、子供のQOLを上げたいなというちょっとした親心くらいのものなら、自治体の発達相談や精神科には行かない方がいいくらいかもしれない。
それくらい軽度の発達障害だと、親によっては全然気に留めないで通常学級に放り込むため、低学年では馬鹿が服着て歩いているような糞ガキだった子が、卒業する頃にはちょっと癖があるけど勉強も人間関係もほどほどやれていたりする。
軽微な困り感が気になって真面目に子供を支援級に入れた親が、自分の子供よりも酷い馬鹿糞ガキだった子供が周囲に多大な迷惑をかけながらも進学の未来を絶たれずに普通に暮らしているのを見て、後悔に泣いている姿を、私は実際に見ている。
]]>北門中が特別支援学級の生徒除いたら1学年120人から130人いて(http://www.asahikawa-hkd.ed.jp/hokumon-jhs/cat/)、北星中も2021年3月の卒業生は108人(http://www.hokusei.jhs.asahikawa-hkd.ed.jp/img/file5.pdf)
てことは両中学校合わせて1学年240人くらいはいて、上澄み3割を教育大附属で拾った残りの7割が240人だとすると、上澄みの3割は100人になるわけよ(それに元増田はなぜか無視してるけど、附属小附属中の近く(当然ウッペツ川の近くでもある)ってことなら啓北中と六合中の学区も入ってくる)。
なのに教育大附属小学校は旭川全市および近隣市町村から集めて1学年60人なんだから、過大にすぎるでしょと。仮に340人の1割の34人だとしたって60人の中では極端に多くて、そこまで地域性の偏りのある選考はしてないとか、そういう話をしてるわけ。
]]>生後7ヶ月から児童福祉施設で育った僕は、比較的知的障碍者と多く関わる環境にあった。
僕のいた福祉施設は、家庭の事情で入所する0歳から18歳までの児童がいて、その3割は軽度知的障碍者だ。
僕が入所したのは生後1歳未満。5歳の頃に同い年の知的障碍者Mが入所してくる。Mの障碍については詳しく知らない。中~重度の知的障碍者は対応しない施設だったので、軽度であることは間違いない。
Mは、日常会話はできるしコミュニケーション能力もあるが、ただ人前で発言ができない。教室のような数十人の面前では以ての外、5~6人以上の前で発言となっても頷くくらいしかできなくなる。多数決で手を挙げることすらできない。会話もできるし、意思もあるのに。ただ、出会ったばかりの5歳の僕はそんなこと気にする由もない。物心がつき始めた時期だし、当然だ。Mの障碍を意識し始めたのは小学校入学以降。入学式で名前を呼ばれても返事ができなかったり、自己紹介も担任が代わりにしていたり。入学当初こそ、緊張しているものだと思いきや、授業中も終わりの会でも、6人程度の班会議であっても、人前だと一切発言しない。一人ひとり全員と仲が良くてもそれが複数名となると何も話さなくなる。そうこうしているうちに、Mは3年生の夏以降、国語算数理科社会の授業は特別支援学級たんぽぽクラスへ通うようになっていた。
僕はMの世話を焼くのが好きだった。帰宅先が同じなので毎日Mを迎えにいって下校していたし、なにか意見を発表しなければならない場面では、施設でも学校でも僕がその代役を務めた。Mも僕にべったりで、行事ごとの班分けは同じに、席も隣に配置された。
喧嘩をすることもあったが、何かある度にMは僕を頼りにしたし、僕もMには僕がいないとダメだと思っていた。
障碍者に対する優越感あっての行動と言われれば、そうだと思う。小学生なんて、差別や偏見よりは「周りから褒められるから、頼られているからやってる」が最大の動機だし、それが優越感だと言われれば間違いないと思う。
前置きが長くなったが、事が起きたのは小学5年の春。
福祉施設は1部屋6人に施設職員1人の担当制でグループ分けされている。総勢60人程度の施設になるのだが、年齢で分かれているわけではなく、一部屋に0歳~18歳までの同性の児童が振り分けられる。当時は、18歳の高校生H・僕・M・小学2年生の軽度知的障碍者N・中学3年生2人というメンバーだった。
小学生は9時に就寝なのだが、僕は大体毎日こっそり夜更かしをしていてカーテンで仕切られたベッドで読書をしていた。ある日、高校生のHが担当と話しているのが聞こえる。かいつまんで話すと、Hが友人からもらった地域限定版おっとっとが盗まれたそうだ。僕を完全に寝ていると思い込んでる二人は、お菓子の空き袋がNのロッカーから見つかっているのにも関わらず、犯人を僕という前提で話していた。理由は簡単で「中学生2名は修学旅行中でアリバイ有。ゴミを自分のところに残すようなことを犯人はしないだろう。かといって他人のロッカーに入れることも、障碍者にはできない」という理由らしい。本来就寝時間のため、その場で違うと否定できず、眠れないまま朝を迎えた。学校へ行くと僕はさっそくNを問い詰める。「知らない」とNは即答した。Mの元へ向かう。答えは同じだ。もちろん他の部屋の人が盗んだ線もあるが、僕は長年Mといた経験から、Mが嘘をつくときの癖を知っている。Mは、そんなことつゆ知らず目を泳がせながら知らないという。本当のことを話してとお願いしても知らないの一点張り。詰んだ。まぁ僕じゃないことを証明できればいいと帰宅した。
だが、一度「犯人」と思い込まれた人間は、その濡れ衣を払拭できない。もちろん日頃の行いは影響するだろうが、僕は学校で児童会役員を務め、成績も悪くなく、大人からは好かれていた。はずだった。
部屋で正座をさせられ、施設長・担当・高校生・N・Mが僕を囲む。鼻から「お菓子を盗んだのはお前だろう」と決めつけられ、否定しても「もう一回聞くぞ、犯人はお前だろう」の繰り返し。どれだけ否定しても「わかってる」「お前しかいない」と話しすら聞かない。その上、知的障碍者Nが「今日学校で私が盗ったことにしろと言ってきた」と嘯いた。知的障碍者の小学2年生がだ。は?
施設長が嬉々とした顔で「Mもそういわれたんじゃないか?」と聞いた。Mは人前で発言できない都合のいい能力者だ。「盗ったことにしろとは言われていないが詰問はされた」と話せず、首を縦に振った。施設長が怒鳴る。頭に入ってこない。最初こそ「なんで最初から僕だけを疑うのか」と聞いたが、「障碍者は純粋だからそんなことをしない」との一点張り。バカか。MもNも通常クラスの勉強にはついていけないし、九九も言えないが、そこまで馬鹿じゃないぞ。嘘もつくし施設内であるいじめにだって加担する。人の陥れ方も媚の売り方も知っている。
想像してほしい。小学5年生が頼れる親がいない状態で、最初から人を疑い話を聞かない大人3名に囲まれ怒鳴られる3時間。感じたのは恐怖よりも、呆れと絶望だった。
気が付いたら僕は、「僕がやりました」と言っていた。心が限界だった。土下座しろと怒鳴られ、頭を下げる。これで解放されるという清々しさがあったが、頭を挙げた瞬間にバツが悪そうに目をそらし、でも口元は笑っているMが視界に映り、舌を噛み切ってやろうかと思う。
後日、Mに聞いた。やはり、Mがお菓子を盗みNとともに食べたそう。僕に濡れ衣を着せるつもりはなかったが、人前で発言ができなかったため結果的にそうなってしまったと言った。僕が自殺する素振りを見せると泣きながら謝ってきた。
Mを同席させ担当に伝えたが、一度目を見開いて驚いた表情をした以外では、謝罪もなく「そうなんだ、じゃあ肯定しなきゃよかったじゃん」と言っただけだった。すでに大人へなにかを期待しなくなっていた僕は、その対応に驚きもしなかった。
未だに、社会的弱者な知的障碍者を応援しよう的なフレーズをみると虫唾が走る。シャワーを浴びる瞬間、頭を下げると、卑怯な知的障碍者2人の前で土下座させられた事実を思い出して吐き気がする。たくさんの人の支援を受け、福祉的に優遇されている知的障碍者を見ると反吐が出る。あいつらは、世の中が想像しているほど純粋でも馬鹿でもないぞ。
]]>障害児が普通学級に通うことで他の児童や教師に過度な負担がかかるのは制度の問題だな。今は特別支援学級を作ってそこに障害児を集めることで負担を解消する仕組みだけど、別にその制度じゃなきゃならない理由はない。例えば補助教員を追加して、担任や他の児童に負担が行かないようにすることもできる。
それが社会モデルの考えから発展したインクルーシブ教育の考え方。障害児もできる限り健常児と一緒に活動させようっていう動きね。
人間には障害児も健常児もいて多様なもの。障害児と健常児は分け隔て「非多様」な社会を作っている。それを解消しようというのが多様性教育。
]]>こんなのあったで
要約:
5歳で発達障害の診断を受けた女性の今
]]>