はてなキーワード: 無色透明とは
某施設で清掃員として働いてかれこれ10年と言ったところだけど、心が折れそうになる
原因は昨今のコロナ事情。これのせいで仕事がガクッと減ってしまった。
一応、6割保証はされてるけどかなり辛い。
いや、懐事情が辛いのはもちろんだが、それ以上に世間からの扱いが辛い。
以前、Vtuberが清掃員のこと馬鹿にしている云々ということが話題になったがあの時割今の方がよほど辛い。
というかアレは実際の動画見てもそんなに馬鹿にされてるようには感じなかったけど。
安いビニール手袋をつけて、誰が用を足したのかもわからない便器の中に手を突っ込んで雑巾で拭いている
床を吹く時も誰が歩いたかわからない地面に膝をつけながらまた別の雑巾で拭いている。モップは何故か無い。
コロナ以前にこんなん続けてたら病気になるだろ…と思いながらやってても意外と健康な自分にはびっくりするけど
それでも、自分でも気付かない内にどんどん精神はすり減っていた。
ここまでやっても時給は最低賃金ギリギリ。それでも今となっては幸いなのかもしれないが、独り身の男なのでなんとか暮らしていけている。
同僚には副業もして、なんとか家族を養っている父親や、家事の隙間になんとか時間を作って働くお母さんもいるのだから頭が下がるとはこのことだ。
そんな人達も等しく今月から仕事減らされている。自分はまだいいとしてあの人たちは本当に大丈夫だろうか。
某政治家曰く、お金に困ってる国民はそんなにいないらしい。つまり自分はその少数のうちの一人と言う事になるのか?
でも確かに借金とかあるわけではないし、給付金が無くても飢え死にするなんてことは無いわけだから、世の中からみれば『お金に困ってる』って扱いではないのかもしれない。
実際、もしまた給付金もらえたらパソコン新調しようかな~とか、PS5欲しいけどそもそも買えるかな~とか、勝手に想像してワクワクしていた。
まぁ、言ってしまえば人の金を頼りに妄想してただけだし、貰えないからって文句言える立場でもないんだろうけど。
でも一番辛いのは昼間の報道番組とかを見てても、飲食やイベント業の辛さは報道されるけど、その他である自分たちの辛さは一切語られない事が辛い。
なにより、それを見て「飲食は良いよな、なんだかんだお金貰えるんだから」と醜い嫉妬をしている自分が辛い。
考えてみれば、この仕事がすごい!みたいなテレビ番組でも紹介されてるところ見たことない。まぁゲロやうんこの処理なんてゴールデンで流せるわけも無いんだろうけど。
仮にテレビで紹介されても、映るのは正社員の人で自分たち非正規組は映るわけないか。所詮どこまで行っても無色透明な存在。
今までこんなこと考えた事も無かったけど、ここ数日はこんな事ばかり考えてる。理由は多分暇だから。
別にこれで今の政治がどうだとか、日本を変えなきゃとか、そんな思いは一切ない。
春が来れば気持ちも持ち直して、トイレに手を突っ込んで仕事して、家に帰ってゲームしてみたいな生き方に戻ってると思う。
を集めるために土を掘り続けたんだよな。
そしたらだんだん周囲の土がなくなってきて、こんな感じになった。
https://i.imgur.com/4bxhxO1.jpg
白紙じゃん、って?
違うよ。土を掘り続けるとこうなったんだよ。
本当にもうね、つちない。これまでにないほどつちない。
そしてつちないところを掘り続けて延々とない状態にしてたらこんなんなったのね。
https://i.imgur.com/MyfkEM6.jpg
土の間から断面が見えるんだけどもうなにもないのよ。
断面がね。
そう断面が。
Twitterをのぞくと大坂なおみを「嫌い」という人で溢れている件。最初は「やっぱりツイッターはクズばかりだな」と思ったが、読んでみるとなんか理解できてしまう部分もあり、「嫌い」の中身を以下のように分析してみた。
1.日本人は政治と日常社会や娯楽の世界を完全に分ける。さらに言うと、政治は政治家や官僚の仕事であって、国民は政治には無責任で無関心、党派的に無色透明であるかのように装う。支持政党はもちろん、選挙の投票先も家族にすら明かさないのが普通。政治的な主義主張は、必ず「押し付けがましい」「上から目線」と思われるので、常識人は必ず日常会話では避ける。「スポーツの世界に政治を持ち込むな」は、「テニス選手風情が」という意味ではなく、「純粋にスポーツを楽しんでいたのに、とつぜん勝手に政治的な主張が出てきて無理やり押しつけられた」という不快感にある。
2. もともと「大坂なおみってなんか苦手」という人は以前からそれなりにいた。イチローや田村亮子や三浦カズだってアンチがたくさんいたので、スターである限りは別に当たり前で宿命だろうと思う。とくに大坂はコミュニケーション文化は完全にアメリカ的なので、「日本人」として見ると違和感を覚える人が多くなるのという事情がある。しかし、彼女が「反差別」の主張を行い、それをメディアが絶賛したことで、気軽に「苦手」「嫌い」と言えない雰囲気になった。そこで、もともと大坂なおみがなんとなく好きではなかった無数の人たちが、「嫌いとすら言っちゃいけないのか」という被害感情を抱くようになってしまった。
リベラル派の人たちにも文句がある。「人権や平等を訴える人間が嫌いなだけなんだよな」「まるで自分が叱られている気分だったり、あるいは告発が現行の秩序を乱すとでも思っている」「声を上げる若い女は取り敢えず叩き潰したいだけ」とか、「敵」の分析がすごい雑で的外れ。「敵」が何を言っているのかくらい我慢して読んでちゃんと理解しないと、「敵」は「あいつらは俺たちをバカにしやがって!」と言うことでますます過激化する。過激化すると、本来は無視できるほどの少数勢力なのに、実際に政治や社会に影響を与えてしまうようになる。というか、この20年の間にそうなってしまったわけだが。
これに対して過剰な反応をしたり、なぜか、これに対応できる「ヨーロッパさすがっす、それに比べて日本は。」厨湧くので言い返す。。。
★(前提1)自分はヨーロッパ在住を始めており、できるだけヨーロッパ人の本心をさぐりたいと思っている。
★(前提2)この現象は外れ値であり、たまたま起きた現象がこういうセンセーショナルな書かれ方をするのには違和感がある
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ヨーロッパで起きる大半の人種差別はもっとライトなものであり、もっというとそもそも人種差別自体起こらないぐらいに関心ない★
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人によって思いの強さは違う。
そして総論、ヨーロッパ人的にアジア人はどうでもいい存在。嫌い好きもなく、ただただ透明人間。
人によってはロシア人とか差別する人もいるし、いろんな人がいる。
こっちの人はまじでアジア人邪魔とか、アジア人うざいとかじゃかうて、そもそもどうでもいい。嫌いも好きも何もない。
僕はアジア人は日本のまちなかでみるよりダサい人が多いし、存在感もないし、なんなら迷惑度高めの人もいて、差別されて
当然とも思うが、、それ以上にヨーロッパ人的にはどうでもいいと思っている人が大半。好意も敵意も特に無い。
めっちゃ暇なアホなヨーロッパ人がなんとなくアジア人をからかうという現象はある。
それに比して、この増田の事例は強い敵対心を感じるし異常値で外れ値。これを議論の俎上に上げるなら、向こうが完全に悪い。
あと増田がそこを追求したので警察が本腰になったと思う。警察的見過ごせず流石にこれはひどいと思って捜査したのだと思う。
これは仕組みとしてできているというより客観的に、ああひどいよねってフローチャート的に分類されたら、犯罪と認定されて
そっからは普通の捜査になるというだけで、普通にからかわれたれた(大半の事例)では、特に動かないと思う。
だって、、、
どうでもいいじゃん。キーキーいうなよ。強くいきようぜ。アウェィだろ。そんなに守られたいか?
正直僕はこういうのでキーキー言わずに強くおしゃれに返歌を返してほしいと思う。
それしかないよ。あと、地位はもともとアジア人は低いのだから、そこからは返歌は強くおしゃれに。
糞には花をあげようよ。
大体の場合アジア人はどうでもいい存在で、逆にこれだけの強い敵対心と、集中砲火を浴びる事例というのも珍しいと思う。
たまたま、そういう人にめぐりあった場合には、向こうもこれはひどいということで捜査に入る。
が、、、、、、ほとんどの場合はそんなにオーバーなことにはならず、、殆ど肩肘透かしです。
どうでもいいと思う。
ゾーニング問題:公共空間の在り方の議論ですれ違うのは、「無党派・無個性・無色透明無味無臭であることの必要性」と「公共空間にあってはいけないもの」の区別が曖昧だからじゃないのかなぁ。
前者は平等のために必要な議論だけど、後者はただの差別的排除。また、マジョリティの色に染まってるものが「無色透明」であるかのように扱われている現状への反省がないまま、前者の議論の体で「公共空間に相応しくない」と断罪するのも普通に欺瞞だよなぁとも思う。
結婚式場の広告なんてシスヘテロモノガミーの価値観に染まりきってるのに攻撃されない一方で、「わいせつ」とされた商品ばかり目の敵にするのはねぇ。
それから、「売るな」と「見せるな」も違うし、それが「見たくない人に見せるな」なのか、「見せるべきでない人に見せるな」なのかの議論も曖昧なまま放置されてるよなぁ。
自分たちは中国という国のあり方を批判するさいに一切反論を受けないような立場にいると思いこんでいる日本人の多さに吐き気すら覚える。
この国の歴史、現在の様相、それらの中に中国と香港の関係性についてただ無責任に大雑把な民主主義論を唱えられなくなるようなものが入り込んでいることに自覚がなさすぎる。
そういうところが日本人のクソな所なんだろうな。
世界一安全な国で、世界一民主的に暮らす、世界一誇り高い民族だと、無自覚に思い込んでいるフシがある。
この国はそんなに素晴らしいものじゃないし、無色透明でもないし、近代的でもない。
この国の人間が大好きな「普通」という表現を使うのであれば、「普通の国というものはその成立と現状において何らかの歪みを抱えているものだし、日本は普通の国なのでその例外ではない」とでも表現すれば伝わるのだろうか。
「俺の目の前にいるのがアイツじゃなくてもっと俺にとって都合のいい誰かであればいいのに」
そう考えた事が何度あるだろうか?
その思考は実質的に「ガチャを引き直したいのでお前は死んでくれ」と言っているのと実は大差ないのではなかろうか?
死ねとはごくごく単純明快かつ無垢でそれはまるで空気中の如く無色透明で純水な拒絶である。
料理の味に文句をつける時その中には「この料理を作ったのが別の誰かであればいいのに」という他者の存在に対する拒絶が混ざり、それは結果として死ねを含むことになる。
僕らの周りには透明な死ねがこれでもかと溢れている。
それが色を持ちだすのは心が闇に沈み始めた時だ。
微かな光が闇の中だけで色を持つように、無色透明と思われた死ねは心の闇の中においてだけその姿を現す。
心が闇に染まるほどに世界は今まで見えなかった死ねで溢れかえり、そのサイケデリックな光景に恐怖して更に心は闇へと踏み込む。
そうして最後には日々ぶつけられる無数の死ねに対する防衛本能として心が剥き身のナイフで武装をしろと囁き出すのだ。
落ち着け。
アズレン (azulene) は10個の炭素原子と8個の水素原子からなる炭化水素で、ナフタレンの構造異性体にあたる。
分子式は C10H8、分子量 128.17、融点 99–100 ℃、沸点 242 ℃。
ナフタレンのような特有のにおいを持つ、代表的な非ベンゼン系芳香族化合物である。
アズレンは濃青色の昇華性の高い結晶であり、これはナフタレンやその他多くの炭化水素が無色透明であることと対照的である。
名称もスペイン語で「青い」を意味する "azul" に由来する。多くの化粧品に用いられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%B3
もう夏は終わりだバカヤローという声が聞こえますが、たまに出る娑婆の空気はまだまだ暑苦しいと思います。
二度の長期休職を許してくれるなんて、弊社はなんて懐が深いのだろうと思います。
そこそこ規模の大きい会社ゆえに下手なことができないからでしょうか。それとも人手不足なだけでしょうか。
新卒で入社してから初めて関わった仕事では、それなりに新入社員らしく、従順に仕事をしました。
管理職に叱責され、家で泣いたこともありましたが、翌日にはかすかな殺意を胸にしまって仕事をしていました。
ある程度慣れてくると、言われたことに従うだけでなく、おかしいと思ったことに口答えができるようになりました。
おかげで、少しだけ方針を変えることができたり、賛同してくれる味方ができたりもしました。
物理的な辛さで言えば、あのころが一番辛かったと思います。精神的にもそこそこだったと思います。
ただまぁ、なんで大丈夫だったかといわれれば、少なからず「面白かった」からだったのかなぁ、と思います。
しばらくして、異動になりました。まったく畑違いの部署でした。
管理職からは、「お前くらいしか推薦できる奴がいなかった」と言われました。
成長すると見込まれたからでしょうか。それとも厄介払いということだったのでしょうか。
管理職はすぐ定年退職してしまったので、真偽のほどはわかりません。
新人同然なので、おとなしく従順に仕事をしました。新しい管理職は穏やかで、叱責するような人ではありませんでした。
残業もほとんどなく、始発まで拘束される飲み会もない、ホワイトな職場でした。悩める就活生はあそこにいくといいと思います。
申し訳程度の繁忙期に、私は疲弊しきっていました。くだらないミスが増えました。
取引先に頭を下げにいった時も、管理職は「そんなこともあるさ」と穏やかでした。
決算を終え、部長からの指名で、来期に向けた業績目標を全社員の前で高らかに宣言した次の週、私は会社を休みました。
会社にいる間、自分の一挙一動すべてに、何の意味があるのか、そんなことばかり考えていました。
今振り返れば、最後まで「面白さがわからなかった」のだなぁ、と思います。
しばらく休んで、私は前に所属した部署に戻ることになりました。当時一緒に仕事をしていた管理職が呼び寄せてくれたそうです。
しかし、休み明けであったり、色々と人事上の都合もあり、当時とは異なる担当に配属されることになりました。
私には、休み明けなので早めに帰るように、と指示が出ていました。他の人は、休日も仕事をしていました。
また毛色の違う仕事なので、必死に仕事をしました。新しい管理職は「まかせたいことは山ほどある、期待してるよ」と言っていました。
部署に新人が入ってきました。私はその教育係になりました。やったことのない仕事を覚えながら、必死に教えました。
私はそのまま、担当の長になりました。やったことのない仕事を覚えながら、自分より年上の部下に、必死に指示を出しました。
部下のひとりがクビになるかもしれない、と伝えられました。それを知らない部下は、ニコニコとお茶を飲んでいました。
今まかせている仕事の出来によっては再考されるかもしれない、とのことでした。一緒に試行錯誤しながら、仕事を進めました。
途中から、会社にいくことが怖くなりました。朝準備しても、家を出ることが難しくなりました。遅刻が増えました。
大事な打ち合わせの日、私は欠勤をしました。管理職が何を言っていたか、今では思い出せません。
そのまま、私は再び休むことになりました。部下がどうなったかは知りませんが、今では人はだいぶ入れ替わった、そうです。
今回、私は頑張った、という自覚がありました。そして、もう頑張れない、と心が折れた自覚がありました。
振り返ってみれば、今回も「面白さがわからない」ままだったな、と気づきました。
今回の休みは、面白いことをして過ごそう、と思いました。結果、起きて、ぼんやりして、寝る日々です。
私はゲームが好きです。プレイヤーを楽しませるシステム作りや、質が高く考えさせられる物語は、とても面白いものです。
働いていた頃に興味がありつつ買わずにいたゲームを買ってみました。とても面白かったです。
ユニークなシステム、濃密な物語、本当に面白くて、疲れました。クリアは当分先になりそうです。
他にも趣味はありましたが、少しやってみては、疲れて布団に寝転がる毎日です。
二度休んで、自分のこれまでを振り返って思ったことは、「面白いこと」ならやれる、のではないかということでした。
しかし、今、この暮らしを続けて気づいてしまったのは、「面白がることも疲れる」ということです。
結局、働くこと、生きることを面白がろうとして、疲れてたどり着いてしまったのが、この夏休みなのかなぁ、と思います。
初めて休んだ時は、暗い気持ちになりながらも、どうやって戻るか、どうやって社会復帰するか、ということで悩み続けていました。
今回は、もうどうすればいいかわかりません。先が真っ暗というよりは、無色透明で何も見えないといった感じです。
会社を解雇されるかもしれない、貯金が尽きるかもしれない、親族が死ぬかもしれない、そんなことも、どこか遠い世界の話に思えます。
面白いことも疲れて考えられないなら、面白くないことにはどう向き合えばいいのでしょう。
なんでも死ぬことは悪いことらしいです。命があるってけっこう面白いことらしいです。いやだなぁ。疲れるなぁ。
テレビで言っていましたが、だんだん寒くなるそうですね。夏ももう終わりらしいです。風邪はつらいので上着を買いました。
◆たぶん胸クソな内容なので注意
しかしそれは当事者になることでしか増やすことができないと思う。
その事実に気が付いてからは積極的に感情が揺さぶられる体験をしようと心がけていたのだけれど、ある時はたと気が付いた。私の増やしてきた色は偏ってないかと
厳しい親の影響で割と品行方正に生きてきたので、圧倒的に暗い色がが足りない。
赤に少量の黒を混ぜると深みが出る、黒があるから白が映える。
暗い色を持たないなんてつまらない、色を増やしたい、暗いと思っていた色も案外鮮やかで心躍るような色なのかもしれない。と思い、抵抗はあったけれど手始めとして今まで忌み嫌っていた男遊びをしてみた。
生理的嫌悪がないだけの相手とワンナイトも経験して、既婚者の誘いも乗って体の関係を持ってみた。
だけど結局なんの色も増えなかった、既婚者と関係を持てば背徳感で見たこともない色が手に入るかと思っていたけれど実際は無色透明だった。(無色透明と知れただけでも価値はあったと思うけれど)
ワンナイトなんて感情の色のない行為何が楽しいんだろう、ベッドの上だけでは恋人同士設定とか付属してやれば色も増えるのかな。(やらないけど)
本気の不倫なら色も増えるのかな(やらないけど)
どちらにしても所詮「ごっこ」では色は増えないのだなぁ。