はてなキーワード: 無自覚とは
そもそも発達障害の診断自体を受けずに無自覚に定年まで働いている人もめちゃくちゃいる
でも、そういう人たちの話をしても、きっと無限に働けない理由をあげてくるだけだよね?
(絵が上手くなりたい~https://anond.hatelabo.jp/20241121004956# の話題の時とは真逆だよな?)
なので、発達障害があり、さらに広範囲の知的な困難もある(通常学級への進学が難しいレベル)けれど、
一般企業で正社員として働き、自立した生活ができる収入を得ている人や、パラアーティストとして生計を立てている人の話に話題を絞る
『この子は生涯誰かの支援が必要だからこそ、常に礼儀正しく、正直で、ルールを守れる人になってもらおう。
たとえ泣き叫んでも、決して譲らず、叱らず、生きていく上で必要なことは、たとえ嫌いなことでも、できないことでも、できるようになるまで訓練を続けよう。
将来、少しでも自由に外の世界で過ごせるように、人としての尊厳を持って生きられるように、必要な力を育てていこう』
『型にはめることよりも、子どもの楽しむ心、ゆっくりでも自ら成長する力を信じて、やりたいことを徹底的にサポートし、興味や才能を伸ばしていこう』
国立特別支援教育総合研究|学校教育に期待すること
https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_d/d-210/d-210_03_01.pdf
ある方は、発達障害特有の極端な手先の不器用さ(微細運動が困難)があり、中度の知的障害もあるにもかかわらず、現在16年間も正社員として働いている。時には朝9時から深夜0時近くまで働くこともある
通常の認知能力があれば、PCを使う仕事を選ぶことで手先の極端な不器用さの問題を回避できるが、この方の場合は知的障害もあるため、生活できる収入を得るにはどうしてもフィジカルワークをする必要があった。フィジカルワークでは常識的な手先の器用さは必須だ
そこで小さい頃から、毎日欠かさず手先を使う訓練を続けたそう。運筆練習、折り紙、ビーズ編み、絵を描く、日記を書く、ピアノ(これは20年も続けたそうです)などなど
この気の遠くなる積み重ねによって、仕事に必要な手先の器用さを獲得したわけだね
あと、発達障害によくある極端なこだわりやパターンを変えることへの強い抵抗感も、幼少期からの訓練で克服に取り組んだ
だからこそ、突然の残業にも柔軟に対応でき、作業所ではなく一般企業で正社員として働けているわけ
正社員として働いているおかげで、単なるお小遣いではなく、自分の給料で電動自転車を買ったり、ゲーム機やソフトを購入したり、両親にプレゼントを贈ったり、好きなアニメ映画を観に行ったりと、自由で尊厳ある生活を送れている
結局のところ、特別な困難があっても、極端に才能がなくても、時間とコスト度外視で、真摯に積み重ねていけば、ある程度の水準には到達できる
だから、通常学級に進学できる程度の能力がありながら、単にやりたくないことを "できない" と言い換えるのは、率直に言って誠実ではないし、単純に嘘つきだよね
正直に『やりたくないからやらない』『タイパ/コスパが合わないからやらない』と言うべきだ
広範囲の知的な困難がなく、一定以上の応用力がある人なら、自分が出来ること/出来ないことを見極め、自分に合う仕事を試行錯誤で見つけるべき。それが社会人になるってこと
それがどうしても難しいなら最初から障害者向けの求人を探すのも一つの選択肢
まぁ、何がなんでも『嘘なんかついてない!!通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張でも別にいいよ?
それは一概に否定はできない
だって、自分の本当のことは自分にしかわからないし、人それぞれに個性があるし、そういうケースもあるのだろう
なので、Bタイプの支援方法で素晴らしい成長を遂げたケースで特に印象的なケースを2つ紹介する
(具体的な団体名の記載はやめておく。パラアーティストについては検索すれば多くの事例が見つかるし、不得意なことへの向き合い方は団体やご両親の考え方それぞれなので)
1つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、文字の読み書きが出来ない方のケース
この方は自分の興味に従って試行錯誤を重ね、驚くべき適応能力を身につけた
特筆すべきは、これらのスキルを誰かに強制された・教えられたわけではなく、自分で楽しみながら習得したこと
例えば、
2つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、幼い頃からスピーチセラピーを受けている方のケース(この方の詳しい話は、はてなブログで見ることができる)
たくさんのことをして日々楽しんでいらっしゃる
こういった例を見ると、本当に人間の可能性は無限大だなと感じるよね
結論として、もし『通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張に嘘偽りがないのなら、
出来もしないこと(働く)を無理にしようとはせず(無理なものは無理)、自分がワクワクすることを見つけて、それを楽しみながらのんびり続けていくのがいいんじゃないの?
それが、どこかで仕事にいつか繋がるかもしれないし、べつに経済的自立を焦る必要性はない
*1もっとも、頑張れば絵が上手くなれる、気合いで絵が上手くなれるとか言ってる人たちに、才能がない場合にかけなければいけない膨大なコストの認識、やり抜く覚悟、どちらもあるとは思っていないけどね
*2 既に二次障害があってSADだったり鬱状態なら、気合いでどうにもならないので、専門家に相談しよう
おかしい事を書いてるとわからないからブクマカやブクマカを兼ねている生きにくい増田がいるのだと思います
嘘つきは自分が嘘ついてることに無自覚だし、自分が書いてる文見てなんも思わんらしいので
その例:
↑ 『首都圏じゃなきゃ無い』ということもないが、フルリモートで発達障害も働けるということに異論はないようである
2023/06/14
正社員で残業バリバリしようとしたら体調崩して障害者雇用(非正規)に転職せざるを得なかった。私も本当は稼ぎまくって夫を養いたかったけれど、スペックがそれに追いついてなかった。
↑ ??? フルリモートで働けば良いじゃん。それ発達障害やスペック関係ある?
2022/12/18
↑ "増田は"とは?キミもフルリモートで働けば良いじゃん。その発達障害だと困る働けない前提なんなん?
2023/06/22
↑ うん。だからその発達障害だと困る働けない前提なんなん?フルリモートで働けば良いじゃん。あとなぜ服薬しないといけないのか?
2023/04/26
↑ いやだからさ、フルリモートで働けば良いじゃん。自分ができないことは把握できているんだよね?
↑ 絶句。そら働けないあたし仕方ないにもなるわ。発達障害関係ないと思いますけどね
同じタイプとしては、生理現象なので指摘したいことを指摘して下さいとしか。自覚あって解決できないのが苦しいだけなので。私の場合は発達障害を明かしてないので、指摘されてもどうしようもないと言えないのが辛い
いやいや、同じ独身女だが、会社が余裕ある人員雇ってないのが悪いよね?抗議なりして戦えよ。それに子持ち女性がそんな嫌なら自営業すればいい。愚痴言ってる暇あるなら、過剰に仕事押し付ける会社から逃げればいい
雑用とかフォローを低く見積もって、一番サポートしてる人を下に見るの多いんだよなあ。男性でも居ないことはないけど、舐められがちだと思う。人って大小できない事あるのに。
↑ 2つとも職場で泣くのを当たり前、あたしは発達障害だからとか言ってる人の発言です
ついでに下記の発言もしている。なお、媚びて早く結婚するのは無能の戦略で、仕事できないのは仕方ないとのこと
こういう風になりたくないから、発達障害の診断ついてから他人の失敗にかなり寛容になった。自分の正義やこだわりは社会適応の方向で考えると損になると立ち止まれるようになった。 ASD 発達障害 心理 障害
職場で本人無自覚だけど完全にASD(ADHD傾向もある)の同僚がいる。
失言で日々傷つけられる、過集中により周りが見えなくなり多動も併発するなどは何とか頑張って我慢できるものの、
忙しくなってくるとそれを早口で言いまくる。
特に確認事項は同じことを何度も繰り返すので気が狂いそうになる。
こちらの気が散るのでやめてほしいと何度も伝えてあるが、
周りが少しでも騒がしいと我慢できないのと、
周りがうるさければ自分も声を出していいと思っているらしい。
おそらく本人的には少し小声にして気を使ってるつもり。
それでも耳栓を突き破る音量。
人が嫌だと言っているのは理解しているのにやめられないのは、
どんな心理なのか。
俺が単純に舐められてるだけなのか?
悪いやつではないのだが、こちらの気持ちを汲んでくれないことで日々疲弊していく。
知ったところで独り言の我慢はできないのだが少しでも理解したい。
あと、ストレスで死にそうだったが吐き出したことで少しスッキリした。
読んでくれてありがとう。
これは自分が好きなジャンルのオタク(あくまでもTwitterによって可視化された一部のオタク)への悪口だ。
私は私と同じジャンルにハマっているオタクの「コンテンツの変わっているところや界隈の身内ネタ・内輪ノリみたいなものを列挙し、そしてそれを対外的に面白おかしく(全然面白くない)見せようとする」投稿が苦手だ。そしてそうした投稿の背景には「自ジャンルは他と違って知識や教養が必要」という他ジャンルへの見下しと自ジャンル上げ、「そして自分はそんなコンテンツにハマっている」といった自意識があるように思う。これがかなりキツい、というかこれこそが私が感じている不快さの本質だろう。
このキツさを例えるならば、オタクの小中学生が「周りの同級生とはちょっと違う自分」と気取っている様子を側から見ている感覚というのがいいだろう。そして自分もまたそのオタク小中学生と好きなものが被っているだけに余計に恥ずかしさを覚えているという状況だ。これが本当に小中学生ならまだ可愛げがあるし、「そういう時期もあるよね」と言える。しかし私が好きなジャンルのメインとなるファン層は30歳前後からそれより上の年代だし、私も私で成人している。小中学のそれとはキツさのレベルが段違いだ。
ジャンルのことを話すと見せかけて自意識がはみ出てるツイートが本当に苦手だ。でもそもそもSNSは自意識を発信するものだしその表現は人の自由であると言われたらぐうの音も出ない。私がキツいと思っている投稿も別に規約に反してるわけではないのだから、それを不快に思うのは私の問題だということも理解している。
私が一人で勝手に不快に思って、一人で勝手に悪口を言っているだけ。だから別にジャンルに紐づいた自意識が滲み出てるツイートをすること自体は否定も反対もするつもりはない。
私がムカついているのはここからだ。上に書いたように側から見たら自分たちだってイタくてキツいくせに、人の好きなものを平気で踏みつける物言いをする自ジャンルのオタクが心底ムカつく。自分のイタさには目を背けているくせに、自分が踏みつけられることには敏感なくせに、自分自身が持つ差別意識には無自覚なオタクが嫌いだ。「『自ジャンルは他と違って知識や教養が必要』という他ジャンルへの見下しと自ジャンル上げ」は見ててキツいと前述したが、こうした「見下しと自ジャンル上げ」が定期的に、そしてときに内面化している差別意識を表すものとして流れてくる。
自分と同じものにハマっていて、自分より年上の人がそうしたことを平気で鍵パカアカウントで発信しているというのが本当に見ていられない。
マスメディアが負けたとか、SNSの勝利だとかいろいろ言われている。
いちおうメディア業界に20年ほどいるので、いま感じていることを書いてみるよ。ちなみに某放送局で、主に制作側の仕事をしている。キー局ではない。在阪局でもなく兵庫県民でもないので県知事選挙の有権者の判断に何か言いたいわけでもない。
個人的にはこれがいちばん厄介だと思っている。中には思想的に偏っていたり政治的意図を持って番組を作る人もいるかもしれないが、自分の観測範囲では多くの人が公平に不偏不党な報道をやってる、と自己認識をしているように見える。
その割に、例えば選挙では明らかな泡沫候補は扱いが小さかったり、そもそも触れなかったりする。
「主な候補」の演説内容を報道するときは、「秒数を揃える」ことで公平性を保っている、ということになっている。ところが、当然ながら演説している候補者はそんなに都合よく同じ分量でスピーチをしないので、結果的に「印象的だと制作者が判断した部分」を切り貼りしてなんとか秒数を揃えている。切り貼りの結果、意味のわかる文章に整っていればまだいいが、よくわからないところで切れていたりする。秒数を優先するとそういう編集になることも多い。この切り取り方に意図が介在しないわけがないのだが、こういう手法をもって「自分たちは公平に報道を行っている」と思っていたりする。
秒数の話は一例だが、編集によって意図が介在していることに無自覚で、形式的な公平性で法令遵守していることにして、自分たちを省みる機会が少ない。
庶民よりのコメンテーターを起用したり、大きくデフォルメしたイラストや図表を用いるのがこれ。実際、肌感覚としてもう若者はほとんどテレビにもラジオにも触れていないので、どうしても中高年層から上の世代に向けた放送になる。選挙みたいな話題だとどうしても解説役を置くことになるが、それもできるだけ「わかりやすく」「庶民の関心があるテーマで」という方向の力学がはたらく。単純に言えばそうしないと数字が取れない。思ったように数字が上がらないと、「もっとわかりやすくしなければ」という方向で検討されてしまう。視聴者、庶民をバカにしているとまでは思わないが、中には「どうせ難しいことを言っても視聴者はわからない」という意識を持った制作者もいたりする。
メディアには序列があって、囲み取材などでも発言の順番に不文律がある(決められている場合もある)。いまだに、新聞やテレビはこの序列の上位にいるという意識が強い。その根拠として、「ネットメディアは素人が発信していて信頼性が無い」と思っていたりする。それはまあ当たっていなくもないと思うが、さらに「信頼性の面で、自分たちのほうが支持されて当然」という認識からネットメディアを軽視する傾向が強い。その割に、制作コストも乏しく人も足りないので、番組制作をネットのコンテンツに頼ろうとする。視聴者が減ってる自覚もあるので、自社でもSNSだとかYouTubeだとかいろいろやってみるが全然見られず、制作現場に無駄な手間だけが増えていたりする。
構造的に夜勤もあれば臨時や時間外の仕事もあったりするのでブラック化しやすく、どんどん人が辞めていく。特に制作現場はノウハウが継承されない。その割に全社的に人が足りてないので熟練のスタッフを突然異動させたりもする。新規採用もやってるが、若者に人気がない。ネット他の媒体に広告費を取られて収入も減り、さらに制作コストが乏しくなっている。少ない人数で多くのコンテンツを作らないといけないので、クオリティも下がる、という悪循環。最低限の規定演技をこなすことに忙殺されていて、遊び心のある企画をやってみよう、というような余裕がない。報道についても「秒数を揃える」みたいなルールを守って「怒られないようにする」が精一杯なんじゃないかな。チャレンジングな取り組みはより一層やりにくくなっている。
業界外の人が感じていることとそんなに大きくは違わないかもしれない。中にいると楽しいことややりがいも感じてこなかったわけではないが、このまま業界が変わらなければどんどん面白く無くなっていくなあ、と思っている。
昨日36歳にして人生で初めてLINEブロックされたんけど、これショックでかすぎて記録したい。
私が思春期時代にも着拒とかあったけど、このコミニュケーションインフレ時代に、それまで仲良くしてた(と当人だけ思っていたわけだが)相手から「突然ごめんやけど、お前とは金輪際なんの言葉も受信したくないし何の関わりも持ちたくないのでブロックします。RIP🙏」って30代後半の死んだ感受性でもめちゃくちゃメンタルやられるな?
しかも恋人とか家族とか親友といった重要な他者でもない、上司なのに、こんなにも心がぐちゃぐちゃだ。検索履歴が「LINEブロック意味」「LINEブロック性格やばい」「LINEブロック倍返し」などで埋まっていく飲み虚しい。後悔と戸惑いで意識リソースすべて持ってかれるの虚しい。
こんな、こんな心を動かされることがまだあるんだ。
ネガティブ感情による攻撃は、怨恨による不条理や不利益が溢れ出る命の泉なので、くそうざいキショい頼むから4んでくれ、と思っても着拒やブロックはしない。多少利害が絡む相手ならば。しかしそれをおいても攻撃せざるを得ないハラスメント案件を無自覚に発生させていたこの事実が、その無言による糾弾が、いちばん堪える。
これまでの自分の言動、加害意識はなかったその言動すべてがハラスメンタルでしたという事実を突きつけられ、この存在自体が無価値どころか有害であるという自認で、意識ある時間がすべて自己を脅かしタイムになる。今日仕事あったからまだよかったが明日は日曜だし死ぬだろう。
中年期の感受性でこんなにも心揺さぶられることは最近とみになかったし、なんなら「ひとの気持ちを想像してみましょう」をガチでやれる機会をくれらあたりさすが上司なんだけど、これまで7年一緒にやってきたから、めっちゃ感謝してるから、それでも大好きだから、やっぱりすごく悲しくてさみしいわ。
週明け1on1どうすんのこれよ。
物理的にバリアフリーを実現するのって「やれ」「はい」で終わる簡単な話じゃないんだわ
段差を無くしてエレベーターやエスカレーターを設置するにはしっかりとした工事計画が必要で、当然予算も人員も必要なんだ
ちょっと23年のJR東日本のバリアフリー実績を調べてみても300億使って整備を進めている
工事事業者や職人の数にだって限りがあるから仮にこの金を倍増させたからと言って2倍の進捗は得られない
子どもじゃないならそういうことをちょっとでも考える脳みそを持って欲しいし、自分が資本主義社会において無自覚に奴隷を使役するのと同じ位置に立っていることを認識して少しは恥じて欲しいね
鏡に映った自分の姿に違和感を持つために必要な物が足りてない。
それを人から聞いた知識で偉そうに語ってるうちに自分は賢いと勘違いしてるから、こんなに頓珍漢なことを書きつつ「俺はお前らと違って考える頭があるんだ」とか抜かすのよ。
ねーよ。
無自覚分断強化おばさん
無自覚分断強化おばさんは黙ってて
男性嫌悪らしいけど知らなかったので、ツリー元の人とはちょうど逆のタイプになるのかな。
中高一貫の女子校で育ち、女子しかいない中での立ち振る舞いに困り、中性的な生き方をしていた。
高校になれば塾で男性に会うことも増え、化粧っ気などなくともある程度の人数に告白され、特に望まずとも普通に彼氏はできた。
彼氏という存在にちょっと浮かれたりしたが、強引な告白に流されただけ感もあったので、イチャイチャを楽しむより、すぐエッチなことをしたがるのに引いてた。今なら仕方ないと思えるけど。
(単に中高一貫男子校が多かったので向こうが異性との出会いに飢えていたんだろう)
大学で理系に進学したのでそこでも同じような感じで、告白を断った人達と机を並べることになるのでかなり面倒だった。
極端に女が少ない状況のせいか、こっちに好意のある男以外は、望んでないのにやたらチヤホヤしてきて喜ばないとキレだすか、下ネタに混じらない女はどっかいけの2つに分かれることが多くて本当に嫌だった。
だから教授の誘いを断って就職したら、コンプラがしっかりしてるおかげで、普通の距離感で接してくれる男性がほとんどで本当にありがたかった。
就職して数年、ひょんなことからカウンセリング受けたら、結果用紙に「男性嫌悪・男性恐怖だがご本人が認めないので治療は困難」と書かれていて驚いた。
カウンセリング中にそんな話した記憶はまったくないのに。木の絵を描くとかの普通のカウンセリングだったので、会話のどこでそう思ったんだろう。
メイクちゃんとしなきゃとか、女子会だと出しゃばり感ないようにサポートしたりとか。
微モテは本人の努力と関係なく環境依存だし、いいもんでもなかった。
夫には過去の話はしてない。
ブクマカに多く見られる「叩く習慣」は、集団心理や同調圧力、匿名性による他者への敬意の欠如、さらには増田が指摘する自己責任という正義感に基づく正当化によって、無自覚な差別意識を生んでいる
あとはどう書き出すかだよなぁ🤔
いつも通り、思いつくまま適当に書いとくか、出来る範囲で読みやすくしとくか、うーーーん
とりあえず、忘れないうちにメモ書きしとく
ワイは以前、『差別』というものは、生死に関わる問題や経済的な困窮、戦争といった深刻な問題に直結するケースのみに限定されると考えていた
なので、無礼な態度や高圧的な態度は、単にその人の問題であり、べつにどうでもいいと考えていた
そもそも、一般的に高所得と言われる立場にある人間にとって、気持ちを鈍感に保ち、何か言われても気にせずスルーするのは、持っていて当たり前のスキルだ
もちろん、ハラスメントや名誉毀損・侮辱罪として取り上げられるレベルの罵倒や侮辱は除くが、それに至らない範囲の言動にいちいち反応しているのを見ると、
『稼ぐ気がないんだな』『働く必要がない裕福なご家庭の人なんだな』『生まれつき過敏なんだな。生きづらそう』と感じずにはいられなかった
だが、他者を『バカだな』とか『ボンクラだな』と感じるとき、よくよく考えるまでもなく、"自分の方が上だ" という考え、頭にあるよね?
人の価値はお金で測れるものではないにもかかわらず、経済力という一点で優位に立っているという理由だけでーーー・・・とか、いろいろグダグダとやるまでもなく、
『自分の方が価値が上だ』ってやった時点で、<ハイ、差別そのもの>で話は終わりだと、ふと気付いた
『差別』とは、特定の属性(例えば経済力やさまざまな社会的地位)に基づいて、自分を他者より上位に置き、他者を不当に扱う態度のことだからね
自分と同等以上の能力がない人や、自分と異なる興味や能力を持つ人に対して、『やる気が足りないのでは?』と傲慢な態度を取っていたかもしれない
※ 年収に影響する要素で1番大きいのは『運』、ついで『社会制度』、それらに比べたら『能力』の影響は小さいことも、他人の能力を見誤る要因になっている
※ それ以前の問題として、『自分と他人は違うを理解する機能』がそもそも未搭載なので、何度学習しても、つい他人の能力を見誤ってしまう
例えば、女性を『おばさん』と綴り、男性を『男』と呼称しインタビューに応える某皇族は、自分のことを『ガチ貴族』と思ってるし、実際に貴族なんだけど、
(あれがなんでウケてるのかマジでわからん。中世か? 本当、膝を折って各地を訪問した平成天皇だけが皇族の例外でしたわ)、
政財界の人間は、皇族と違って、いちおう一般人の"ハズ"なのに、日本以外の国でかましたら、
失脚、株価暴落、活動家に永久粘着される or 永久に身の危険を覚えることになるような暴言を マスコミにすっぱ抜かれたとかではなく、
公の場で自ら積極的に発信してるのマジでなんなんだろ?って思ったわけです(ナチス発言ほかキリがない)
『オメー、平等絶対の日本のどこでそんな教育を受けてそうなったの?』、『オメー、ガチ貴族ではなくね?』みたいな
だけど、べつにガチ貴族や上級国民でなくても、無限に無礼な人/上からな人いますよね?
せいぜいあっても年収2000万程度で、なんならワイ以下の年収でも無限にいます
つまり、これは生まれや社会的な立場の問題じゃ無さそうだな・・・ってなったわけです
単純にその人の態度(attitude)、人間性の問題なのでは?ってね
なお、アリストテレスは『ニコマコス徳倫理学』で、徳(美徳)は習慣(ēthos)化によって形成されるとって言ってるし、
人間の行動が繰り返されることで習慣となり、それが最終的に性格や人格を形成するって言っているので、
※下記は、マザーテレサでもウィリアム・ジェームズでも無いらしいです
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、それはそう
例えば、通貨が弱く教育や医療システムが整っていない国からやってきた人々や、スラム街から成り上がった人々にとって、先進国での一般的な悩みは『甘え』のように映るだろう
同じ先進国に住んでいても、呼吸や歩行、食事など、日常生活の基本的なことすら困難な人々からすれば、健康に恵まれた人々の日常的な悩みなんぞ『甘え』に感じられるだろう
でも、先進国で自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ立場に身を置いたことがないどころか、
居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年) の当事者に近い環境に身を置く人は今日もいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常な環境で暮らす児童は今日もいるだろうし(貧困ではなくて親が生活能力がない)、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
そして、自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ環境に身を置いたことがないどころか、
人類は自然に完全に打ち勝ったわけでも、自然から独立した存在でもない
だが、他の動物と異なり、『優れた貯金力(資源を蓄積する能力)』と『高度な想像力』を持っている。そのため、先進国では、福祉制度や社会保障が充実しており、動物のように弱者を切り捨てたりしない。
また、見て見ぬふりをしてしまうこともあっても、自ら手を下して積極的に弱者を切り捨てたいという輩は異常者とされるし、自分自身が社会から切り捨てられたいとも思うのも異常者だ
したがって、裕福な立場や恵まれた環境にあるすべての人は、たとえエリートでなくても社会的責任(ノブレス・オブリージュ)を意識する必要がある
持てる者が傲慢な態度であることは、エクイティ(公平性)や共通善の観点から見ても、批判されるべきだ
批判的ではありつつも、バーカ、バーカ、と言うのは控えたいと思います
まず醜女で家庭環境悪くて頭も悪けりゃ生活力もないんだけど、今まで29年間虐待!鬱!自殺未遂!DV!貧困!病気!みたいな感じで本当に今日生きるか明日死ぬかみたいな生活をしてきた。
彼氏は一瞬何回か告白されてできたことがあったが引くのがモラ男ばかりで、身内の男と同じ空気を感じた瞬間別れてるから交尾まで持ち込めた事が一度もない。マジで死んだ方がマジなんだけど身内に負債押し付けられたからお金のために生きてる状態。
そんな感じで恋愛したくても選ばれなければ選べる余裕もないので膣として終わりの人生を歩んでるんだけど、周りの友人はかなりモテるので、毎日オスに選ばれたことのない未開通膣として扱われてすごくしんどい。
女性用風俗行く金もなければ、そこら辺の男は性病が気になる(なった時に行く病院代がないため)婚活やアプリはブラック企業に勤めているため休みが合わず、平日休みの週一休みならお前が俺に合わせて土日有給とれよと毎回言われてアプリ消去やブロックを繰り返してる。職場の男にはブス笑と言われてる。
他人に優しくされたり認められたことがないからどんどんどんどん意地悪になって、この間先輩に無自覚パワハラをしてしまった(貴方の休みを優先したいから上司からお前は休むなって言われて有給却下されるから休み申請はよ出してって直接言ったのが多分そう、あと仕事休んだ時貴方の仕事私に回されるからせめて引き継ぎはしてほしいって言ってしまったのもそう)らしく先輩が退職した。退職してから周りに言われて、先輩に申し訳なくて私も責任取って退職するつもり。