はてなキーワード: 無用とは
子曰く、「用間有五:有因間、有内間、有反間、有死間、有生間。」
増田よ、これを聞いて何を思うか。孫子が言うように、情報を制するのは戦略の肝であり、同時に人心を読み解く力も必要である。
増田が感じる苛立ちや困惑は、確かに意を尽くすに値するが、それらを解決するためにはもう一つの次元での考察も必要だ。増田が指摘する通り、そのおっさんが職務遂行能力やコミュニケーション能力に欠けるのかもしれない。しかし、もし彼が360°評価の導入を提案する理由がそこにあるとするならば、彼の行動には深層的な意図が含まれているのかもしれない。間者が五種に分かれるように、人の動機も単一ではない。
増田よ、彼の真意を探り、それを理解しようとする姿勢が必要だ。言動の表面を見るだけでなく、その背後にある思いを探ることも一考に値する。もし彼が無自覚に問題を引き起こしているのなら、それを適切に指摘し、彼が自らの欠点に気づくように導くことも一つの道だ。これもまた、戦わずして勝つ策である。
課長への不満も理解できるが、無用な対立を避けるためには、その状況下で増田がどのように立ち回るべきなのかを考えることが大切だ。困難な局面でも、冷静かつ客観的に対処することが求められる。また、適時にフィードバックを与えることで、状況改善が見込めるかもしれない。増田よ、心を固く持ち、賢明に行動することを期待している。
支援総額
25,381,000円
84%
https://congrant.com/project/kidsdoor/11823/comments
2024-07-21 23:44
暇空茜
2024-07-21 23:39
この度は多大なご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした
2024-07-21 23:13
2024-07-21 22:59
2024-07-21 22:50
こんな人たちに負けるわけにはいかない!
2024-07-21 22:30
育ち盛りの子供には腹いっぱい食ってほしい。いい活動ですから、前に進めてください。
安倍 晋三
2024-07-21 22:14
2024-07-21 22:12
2024-07-21 22:12
相手を誹謗中傷したって、皆さん、何も生まれないんです。あんな人たちに負けるわけにはいかない!
安倍 晋三
2024-07-21 22:10
高い倫理観を持て
あと仁藤が弱者女性にプレゼントする用のお菓子を欲しいものリストに入れてて、漫画の「タフ」語録使いながらタフグミ買ってあげるのも流行る
子曰く、「戦いを知る者は、己を知り、敵を知り、それによって百戦危うからず。」 増田よ、あなたが遭遇している問題もまた、情報戦略の一環であることを理解するべきです。
増田がX(旧Twitter)でほんの出来心でエロ系の裏垢を検索した結果、タイムラインがそれらの投稿で溢れてしまった。
この状況は、情報戦の末の結果です。プラットフォームはユーザーの興味を引き続けるために、関心を引いたコンテンツを優先的に表示するよう設計されています。
この設計は、まるで孫子の言う「玄策」を用いて、敵の意図を先読みし、無用の戦を避けるようなものです。
「その後も、ブロックや『このポストに興味ない』などで対処しても効果がない」という増田の困惑に対して、孫子は次のように助言します。
「謀を治むる者は、治むるの謀にあらざる者に勝つ。」つまり、より一層巧妙な策を持つ者が、敵の策略を打ち破るのです。
- 自分の本来の趣味で頻繁に検索・閲覧することで、アルゴリズムを再教育する。孫子の「兵は神速を貴ぶ」のように、迅速かつ継続的な行動でアルゴリズムを修正します。
- 極端な方法として、新しいアカウントを作成することで、アルゴリズムのリセットを試みる。これは「未だ交わらざるを見る」のごとし、新たな戦場でスタートを切る方法です。
この度の投稿について、非常に遺憾に思います。貴方の行動は、個人の不満やストレスを発散するために社内コミュニケーションツールを不適切に利用するものであり、会社の秩序とプロフェッショナリズムに反するものでした。
まず、全社会議での発言内容を揶揄し、それをカバオAAという形式で投稿する行為は、社長や上長の真摯なメッセージを軽視するものであり、社内の士気を低下させるものでした。リーダーシップのメッセージは、社員全員が協力し、問題を解決するための指針を示すものであり、それを嘲笑の的にする行為は許されません。
さらに、プロジェクトが炎上している状況下で、貴方が愚痴や不満を公開の場で共有することは、他のチームメンバーの士気を削ぐだけでなく、会社全体の信頼を損なう行為です。特に、顧客まで貶すような投稿を行ったことは、会社の信用を著しく損なう行為であり、極めて重大な問題です。
今回の行動により、貴方の同僚や上司は大きな迷惑を被りました。貴方のせいで、社内のルールが厳格化され、他の社員にも無用な負担がかかっています。これは、全社員が真面目に会社の発展に努めている中で、非常に不公平な状況を生んでいます。
貴方がプロジェクトの問題に対して不満を持っていることは理解できますが、その不満を社内の正式なルートで解決しようとせず、ただ不適切な方法で発散することは、プロフェッショナルとしての責任を放棄する行為です。
今回の件を通じて、貴方には自分の行動が会社全体にどれだけの影響を与えるかを深く理解し、反省していただきたいと思います。貴方がこれからのキャリアにおいて、同じ過ちを繰り返さないことを切に願います。
もともとが創作で、内的な動機から「この表現しか使いたくない」というのであれば分かります
ただ、読者の理解や共感を得たいのであれば、ある程度言葉を尽くすことも必要な気がするのです
例えば、無用なボディタッチに対する「気持ち悪い」は生理的嫌悪感に近いのでしょうし、
下の言うことは無視して上に追随することへの「気持ち悪さ」は人格への軽蔑に近いのではないでしょうか
それらをひとくくりに「気持ち悪い」と言ってしまうことで、本来共感されるべき相手から、一種の拒否感を感じられてしまうこともありそうです
「キモい、無理」という連呼に対して、感覚的に共鳴できる人のみが「キモい、無理」と輪唱することだけを求めるのであれば
あえて貧しい語彙のみの使用にこだわってもいいでしょう
三沢さん本人か三沢さんに興味あるという人だけが読んでくれれば満足です。
これが一番の進歩であり収穫であって
一般的な「文章を読めない人」と比べても更に何かがあるように見えます。
私ははてブ民の誤読なら大抵は何をどう誤読してるか秒でわかりますが
そちらの思考が長くなるため本の内容の受け取り方が歪む。
草薙さんの癖の強い経歴を見てください。
彼はいわばブラックジャック(医師会に属さない医師)のような僧侶です。
それで本が何十万部も売れるのだから作家の才能は保証つきですが
彼の本が身になる人って案外少ないのではないかと私は感じています。
彼が添加する具体性は常に、
仏教を理解させるより「身近に感じさせる」ことに重点を感じます。
いちいち冗長な具体性を与えて透明な抽象性を損ねているように思えます。
草薙さんと三沢さん2人の出会いが相性抜群で最悪だと感じるのは
教師の草薙さんは仏教を紹介する本にかなり自己流の工夫を入れる人で、
生徒の三沢さんは人の話の途中の浅瀬で自己流解釈を始める人です。
草薙龍瞬さんが提供する仏教は既にスパゲッティナポリタンになってる感じ。
三沢さんはそれを舐めて「このケチャップの僕流アレンジ」を考えている。
三沢さんが草薙龍瞬さんの本から得た「仏教」はお釈迦様のアイデアとは別ものです。
現に三沢さんの欠点・苦しみの元が少しも治っていないですよね。
せめてこの端緒にでもついていれば、三沢さんの病的な「自分自分自分自分」という文の(思考の)癖に変化の兆しぐらいは生じているはずです。
https://note.com/tm2501/n/n1c20fe51d4ec
現に三沢さんにそのような変化が見られないので、
草薙さんか三沢さんか少なくとも片方に重大なエラーが発生していると思います。
(たぶん共鳴し合っている気がするのですが)
三沢さんは執着せず眺めて手放すということが出来ていません。
「ん、これはアンタッチャブル」とか考えていたら出来ないですよね。
(私は草薙さんの「ジャッジメント」ですらなんだかなと感じましたが
三沢さんはそれをさらに俺流に「アンタッチャブル」に変えました。
二人ともなぜこんなことするんですかね。
草薙龍瞬さんの紹介と三沢さんの読解のタッグが仏法を損ないました。
二人とも勝手なアレンジを入れることの弊害への警戒心がなさすぎるように思います。
それをやると劣化コピーではなく根本的に機能を損ねることがあります。
というか私は草薙龍瞬さんの本はサンプルだけ見て閉じたきりでしたが、
今回三沢さんへの影響を確認するうえでアンリミテッドで読みました。
「反応しない練習」。
読んでいるだけでどんどん頭が悪くなるような感覚がありました。
知識の収集癖、羅列癖、過剰で無益な具体性、支離滅裂、あと鍵かっこが多すぎ。
書き手が実践して身についた知識について語っている感じがあんまりしない。
これ本当に三沢さんと同じ型の人ではないですか?
私はこのがちゃがちゃな本から読者が自分のためになるエッセンスを掴み取れる気がしません。
凄く売れた本らしいですが、買った人達はちゃんと読んだのでしょうか?
草薙龍瞬さんはプロの作家でお坊さんですから偉そうな意見は言えませんが、
三沢さんは34歳ニートなので多少の助言はしても良いと思います。
三沢さんは「有能な人っぽく振る舞うこと」に神経を使いすぎです。
三沢さんて「有能な凄い人にならなければ自分の願いはかなわない」と思い込んでいませんか。
全然そんなことはありません。
能力的に凡人でも凡人以下でも願いをかなえて生きている人は沢山います。
三沢さんの大言壮語や意識高そうな口調はただの自己否定や現実逃避に見えます。
凡人だと生きていけないという強迫観念があるためではないですか。
三沢さんは普通でないくらいに自信がない人で、しかも自信欠如への対応がおかしい。
「自分と乖離した凄い人の虚像を作って身にまとう」という対処のせいで
実像とのギャップが生じてますます苦しみと自信喪失のループに陥っていますよね。
たまに三沢さんの文を見かけるだけの人間でもそういうことを濃厚に感じます。
俗世間の熾烈な競争に負けない「凄い人」になる必要があったかもしれません。
しかし34歳にもなればそんなものを追い求める虚しさは感じられているでしょう。
四国に住んで創作活動人生を送るという願いは素敵だと思います。
叶うと思います。
ただ、その願いの実現ためにまず「凄い人」になる必要があると考えていると
10年後も同じ部屋に住んでると思います。
三沢さんが「凄い人」になろうとする必要性や焦燥は何のためにありますか?
そういう「凄い人」になるための焦りの所産と言うか
人と違うバリューを出すんだという間違った取り組みに見えます。
本を読んでるあいだずっと「面白い独自の感想を言わなければ」とか考えていますよね?
これは大きな間違いで、
本をただきちんと読めて書いてあることを受け取れるなら
高学歴なはてなブックマークの人達だって新聞記事すら読めていないでしょう?
ひときわ壊滅的な集中力しかない三沢さんも苦しみの構造自体は同じです。
三沢さんが人並以上に集中力が欠損しているのも、頭があんまり良くないのも、(本当はなんらかの自覚はある筈です)
本の内容と一体化すべき時にいちいち自分自分をやっていれば本など読めるわけがありません。
おそらく「批判的に読書をする」のようなアイデアをまた草薙さんのようなアレンジをする人から受け取って、
ものごとを正しく見て正しく知ることができ、
というのが仏教です。
三沢さん好みの具体的過ぎる話をするなら
何と言うこともなくすらすらと内容が頭に入ります。
概念を手放していくというのはたぶん三沢さんの溜め込んだメソッドと正反対でしょう。
だから三沢さんが本当に仏教と出会えばじわじわと別人になってしまうはずです。
でもそうならないのはおそらく草薙さんと三沢さんの自我のせいです。
何と出会ったって自分の概念九龍城へ組み込むパーツとしてしか見てないために
まとめると
「自分は有能な凄い人だ」という妄想概念をくみ上げて常にそれを体の周りに装着しています。
このために何を見ても何を聞いても何を読んでもその妄想を通しているために情報が壊れてしまう。
これが自我です。
人の話を聞いてるときに、相手が何を言っているかも何を感じているかもわかりにくくないですか。
もしそうならそれは自我がずーっと邪魔をしていて心が目の前の情報を取れないためです。
全人類がこの病気ではあるけど三沢さんは少し程度が強いのではという印象です。
仏教にはこのガスを取り払うための実践的で研ぎ澄まされたメソッドがありますが
草薙龍瞬さんの本を読むとそういうことまで辿り着けないと思うし
三沢さんは「特別な自分」「オリジナルな自分」について考えこむことが自分の強みであり突破口だと思っていそうですが
そこが一番の間違いであることは仏教なら本当は30分でわかります。
本を読むのにも文をバズらせることにもそんなこと考える必要は一切ないです。
四国へ行きたいならまずその自我妄想と別れを告げることだと思う。
ところでお坊さんを軽々に否定したりしちゃいけないという道徳が自分の中にあるんですが
でも草薙龍瞬さんの本はなんか…。デタラメを言っているとかでもないからなんとも言えないんですが。