はてなキーワード: 無理数とは
最近はてラボ人間性センターなるところがやけにクイズを出してくるんだが、偉い難しい。知らねーよガガーリンが名付けた人工衛星に乗って地球一周した犬の名前なんか。
よくみんな科学的だ、非科学的だ、っていうじゃない。でもいろいろ読んでるとそもそも科学的だとか非科学的だとか物事を断定すること事態科学的じゃない、と言う人がいた気がする。「今見えてる範囲では非科学的と言ったほうが正解に近いようだ」みたいなふわっとした回答が科学的だ、って言ってたんじゃなかったかな。
一方で、数学については、答えは断言できる。てことは数学は科学ではない?
物理と天文学とかそういった話では「許容範囲内の誤差で再現する」という感じで考えている(円周率とかそういう無理数使うからそもそも実際の数字にならないし)ようだし、同じに実験したらみんな同じ結果になる、というのが科学だ、というように聞こえる。
だけど、歴史的な出来事なんかだと再現性はないじゃない?てことは歴史は科学ではない?だけど、今の資料批判は科学として行っていると聞いたことがある。
歴史資料をこうやって紐解けばみんな同じ結論にたどり着くだろう、というから科学なのだろうか?でも、例えば、「いやいやこの発言はこうとも取れますぞ」という風になった辺りで科学かどうかはなんだか怪しいし、鎌倉幕府の成立にしたって、「どのイベントが鎌倉幕府の成立と言っていいか」という話になると、最終的には好き嫌いになりはしないかとか思ってしまう。1192年ではなくて1185年になった、って言うことは、鎌倉幕府成立を邪魔するものは1185年時点でいなくなった、なので鎌倉幕府確定、って言うことなんだろうか?
人文系になってくると、論文査読がないという。だけど、あれ、人文系って科学なんだろうか?だけど、実際に社会に起きたことを分析して自分たちの言葉にまとめ上げているという点において、発端は嘘ではないように見える。出来上がったものが論文の体をなしていないという人もいるかもしれないけど、そもそも論文にできるたぐいのものではないのかもしれない。
そう考えていったときにつまり科学ってなによ、と思うんだよね。科学的、非科学的、ってなによ。科学的に導かれたことは本当かもしれないし嘘かもしれない。非科学的に述べられたことも本当かもしれないし嘘かもしれない。
Xの点列(x_n)は以下をみたすとき、Cauchy列であるという。
任意のε > 0に対して、ある自然数Nが存在して、n, m ≧ Nならば、d(x_n, x_m) < ε。
収束する点列はCauchy列である。実際、lim[n→∞] x_n = x ならば、任意のε/2>0に対して、ある自然数Nが存在して、n>Nならば|x - x_n|<εとなるので、任意のε>0に対して、n, m>Nならば|x_n - x_m|≦|x - x_n| + |x -.x_m|<ε。
逆に、Xの任意のCachy列がXの点に収束するとき、Xは完備であるという。
(x_n)を実数のCauchy列とする。
まず、(x_n)は有界である。実際、ε>0に対して、Nが存在して、n>Nならば|x_n - x_N|<εなので、任意のiに対して、|x_i|≦max{|x_1|, |x_2|, ..., |x_N|, |x_N|+ε}である。
Bolzano-Weierstrassの定理より、有界な実数列は収束する部分列を含むので、自然数列n_1<n_2<...<n_i<...と実数xが存在して、lim[i→∞] x_(n_i) = xとなる。
xが(x_n)の極限である。lim[i→∞] x_(n_i) = xより、任意のε/2>0に対して、ある自然数Iが存在して、i>Iならば|x-x_(n_i)|<ε/2。(x_n)がCauchy列であることより、任意のε/2に対して、ある自然数Nが存在して、n, m>Nならば|x_n - x_m|<ε/2。この2つより、任意のε>0に対して、n>max{I, N}ならば、|x - x_n|≦|x - x_(n_n)| + |x_(n_n) - x_n|<ε。□
√2に収束する数列(1, 1.4, 1.41, ...)はCauchy列だが、Qの元に収束しない。
f_n(x)を以下で定める。
xが有理数で、xを既約分数a/bに表したとき、bがn!の約数ならば、f_n(x) = 1。それ以外は、f_n(x) = 0。
各f_nは有限個の点で1になる以外0なので、Riemann積分可能で、∫|f_n(x)|dx = 0。
しかし、その(各点収束)極限は、xが有理数のとき1、無理数のとき0となる関数であり、これはRiemann積分不可能。(有理数の稠密性から、区間の細分をどれだけ細かくとっても、各区間に1を取る点と0を取る点がそれぞれ存在するため、Riemann和が収束しない)
同じパターンを繰り返して無限に続く数(循環小数)があって、これは無理数ではない
自分の親父は超大手電機メーカー(日立、東芝、ソニー、パナソニック、三菱電機、SHARP、のどれか)で自称技術者をしている。
でも僕はそんな親父をすごく情けないと思う。
技術トレンドには疎く、DIYなんかで自分で何か手を動かそうという気配もない。
読む本と言えば部下を育てるだとかドラッカーだとかの名前の啓発本ばかり。
正直、本当に情けない。
生まれてこの方、数学の楽しさだとか科学の話題だとか語ってくれたことがない。
円周率がどうして無理数か、人工知能の話題、脆弱性を突いたウイルスの話題、レアメタルの重要性と使われ方、電子工作の話、化学の話、
たぶん親父はこういうことは全くわからない。知ろうともしない。
今まで何話したっけ。
酒に強くなれ、スーツのウンチク、発展途上国の成長やばいとかだっけ。
結果的に飲み会多い会社嫌だ、スーツ着る仕事嫌だ、家電メーカーやばいってイメージだけ残った。
プログラミングは全く知らないという。知ろうという気配もない。
パソコンには疎く、スマホも使わない、ルーターの設定も人にやらせようとする。そもそもルーターって何って感じ。
唯一電球の交換だけは得意。
だぶん自ら何かを作ることはできないんじゃないかと思う。
でも冒頭にも言ったように超大手メーカーの自称技術者。しかもなにかしら部下を動かす立場のエンジニアだ。
きっと、中国語ができて部下を育てられればいいんだろう。
現在僕は社会的にも給料的にも父親の会社の同世代より低い立場にあるが、上も下も技術的な話題に貪欲な人たちに囲まれて楽しい。
0より大きく、1より小さい実数の集合Aを考えよう。
0.1も含まれる、0.33333..... も含まれる。でも1は含まれない。
数式で書くとこんな感じだ。
A={ x∈R , 1>x>0 }
この集合Aには最大値も最小値も存在しないのはわかるかな?
つぎに、0.abcde.....と表記できる少数の集合Bを考える。小数点以下、無限に数字が続いている集合だ。
0.11111..... も含まれる、0.300000..... も含まれる。
当然無理数も含まれている。たとえば(πー3)〜0.141592..... なんてのも含まれている。
この集合Bには0.99999.....よりも大きな数は存在しないのはわかるかな?
問2)集合Bの最大値が0.99999.....であることを証明せよ。
円の面積は
半径×半径×円周率
で求めることができる。
半径2cmの円の面積を計算してみよう。
円周率は無理数なので、無限に桁があるから、数値計算をするときには筆算だけするというわけにはいかない。
よっていくつかの工夫を用いる。
a.)円周率π=3.1415926535…を用いて計算する。実際はできないが、できるとする。今回はエクセルのPI関数を用いて計算したもので代用した。これを真の値とよぶことにする。
b.)円周率を3.14として計算する。筆算などを行う。これを小学校計算とよぶことにする。
c.)円周率を有効数字3桁の概数3.14として計算する。bの計算結果を有効数字3桁の概数で表せばよい。これを概数計算とよぶことにする。
結果は以下のようになる。半径が2cmのとき、半径×半径は2×2=4である。
a.)4×3.1415926535…=12.56637061…
このときbとaの差は
12.56-12.56637061…=-0.00637061…
cとaの差は
となる。
概数計算の結果12.6よりも、小学校計算の結果12.56の方が真の値12.56637061…に近い。
今度は半径19cmの円の面積を計算してみよう。
a.)361×3.1415926535…=1134.114948…
今度は差をとらなくても、小学校計算の結果が概数計算の答えより真の値に近いことがわかるだろう。
エクセルで他の数についても調べてみよう。
自然数n | a.)πn | b.)3.14n | c.)有効数字3桁の概数 | d.)bとaの差 | e.)cとaの差 | f.)eとdの絶対値の差 |
1 | 3.141592654 | 3.14 | 3.14 | -0.001592654 | -0.001592654 | 0 |
2 | 6.283185307 | 6.28 | 6.28 | -0.003185307 | -0.003185307 | 0 |
3 | 9.424777961 | 9.42 | 9.42 | -0.004777961 | -0.004777961 | 0 |
4 | 12.56637061 | 12.56 | 12.6 | -0.006370614 | 0.033629386 | 0.027258771 |
5 | 15.70796327 | 15.7 | 15.7 | -0.007963268 | -0.007963268 | 1.77636E-15 |
6 | 18.84955592 | 18.84 | 18.8 | -0.009555922 | -0.049555922 | 0.04 |
7 | 21.99114858 | 21.98 | 22 | -0.011148575 | 0.008851425 | -0.00229715 |
8 | 25.13274123 | 25.12 | 25.1 | -0.012741229 | -0.032741229 | 0.02 |
9 | 28.27433388 | 28.26 | 28.3 | -0.014333882 | 0.025666118 | 0.011332235 |
10 | 31.41592654 | 31.4 | 31.4 | -0.015926536 | -0.015926536 | 3.55271E-15 |
11 | 34.55751919 | 34.54 | 34.5 | -0.017519189 | -0.057519189 | 0.04 |
12 | 37.69911184 | 37.68 | 37.7 | -0.019111843 | 0.000888157 | -0.018223686 |
13 | 40.8407045 | 40.82 | 40.8 | -0.020704497 | -0.040704497 | 0.02 |
14 | 43.98229715 | 43.96 | 44 | -0.02229715 | 0.01770285 | -0.004594301 |
15 | 47.1238898 | 47.1 | 47.1 | -0.023889804 | -0.023889804 | 0 |
16 | 50.26548246 | 50.24 | 50.2 | -0.025482457 | -0.065482457 | 0.04 |
17 | 53.40707511 | 53.38 | 53.4 | -0.027075111 | -0.007075111 | -0.02 |
18 | 56.54866776 | 56.52 | 56.5 | -0.028667765 | -0.048667765 | 0.02 |
19 | 59.69026042 | 59.66 | 59.7 | -0.030260418 | 0.009739582 | -0.020520836 |
20 | 62.83185307 | 62.8 | 62.8 | -0.031853072 | -0.031853072 | 7.10543E-15 |
21 | 65.97344573 | 65.94 | 65.9 | -0.033445725 | -0.073445725 | 0.04 |
22 | 69.11503838 | 69.08 | 69.1 | -0.035038379 | -0.015038379 | -0.02 |
23 | 72.25663103 | 72.22 | 72.2 | -0.036631033 | -0.056631033 | 0.02 |
24 | 75.39822369 | 75.36 | 75.4 | -0.038223686 | 0.001776314 | -0.036447372 |
25 | 78.53981634 | 78.5 | 78.5 | -0.03981634 | -0.03981634 | 0 |
26 | 81.68140899 | 81.64 | 81.6 | -0.041408993 | -0.081408993 | 0.04 |
27 | 84.82300165 | 84.78 | 84.8 | -0.043001647 | -0.023001647 | -0.02 |
28 | 87.9645943 | 87.92 | 87.9 | -0.044594301 | -0.064594301 | 0.02 |
29 | 91.10618695 | 91.06 | 91.1 | -0.046186954 | -0.006186954 | -0.04 |
30 | 94.24777961 | 94.2 | 94.2 | -0.047779608 | -0.047779608 | 0 |
115 | 361.2831552 | 361.1 | 361 | -0.183155163 | -0.283155163 | 0.1 |
116 | 364.4247478 | 364.24 | 364 | -0.184747816 | -0.424747816 | 0.24 |
117 | 367.5663405 | 367.38 | 367 | -0.18634047 | -0.56634047 | 0.38 |
118 | 370.7079331 | 370.52 | 371 | -0.187933124 | 0.292066876 | 0.104133753 |
119 | 373.8495258 | 373.66 | 374 | -0.189525777 | 0.150474223 | -0.039051554 |
120 | 376.9911184 | 376.8 | 377 | -0.191118431 | 0.008881569 | -0.182236862 |
121 | 380.1327111 | 379.94 | 380 | -0.192711084 | -0.132711084 | -0.06 |
122 | 383.2743037 | 383.08 | 383 | -0.194303738 | -0.274303738 | 0.08 |
123 | 386.4158964 | 386.22 | 386 | -0.195896392 | -0.415896392 | 0.22 |
124 | 389.557489 | 389.36 | 389 | -0.197489045 | -0.557489045 | 0.36 |
以上の表は
http://tetsu23.my.land.to/table.htm
を利用してコピペした。
=A2*PI()
=A2*3.14
=C2-B2
確かにn=121においては、概数計算の結果380の方が小学校計算の結果379.94よりも真の値380.1327111…に近い。
ところが次のn=122の場合では小学校計算の結果の方が概数計算の結果よりも真の値383.2743037…に近い。
表の右端の列でbとaの差、cとaの差の絶対値の大きさを比較をしている。すなわち、bとc2つの計算結果の真の値との距離の差をとっている。
よって、右端の列の値が正のときのnにおいて、小学校計算の方が概数計算より真の値に近い、精確な答えを出せることになる。
小学校計算の方が概数計算より精確な答えを出せるnとそうでないnは、どちらの方が多いだろうか?
概数と定数値を同一に扱って真の値との距離を比較しているからだ。
概数とは、ある点からの触れ幅を定義しているものであり、あるxの値がa≦x<bにあるということを言っているに過ぎない。
すなわち、n=121において121πが有効数字3桁の概数で380というのは
であるということを言っているにすぎない。
したがって、筆算の末に半径11cmの円を「379.94です!」と笑顔で言った子どもがいるのなら、
ちゃんと範囲内におさまる値を計算できた事をほめてやらねばならない。
ならば同時に380も380.1327111も正解とせよというのは一理ある。
ただし、これは面積の値をある精確さで以って求めよという問題に答えた場合であって、121×3.14の筆算の結果を380とした子どもには計算が間違えっているとして×を与えなければならない。
まとめると、
「半径11cmの円の面積を380㎠とした方が380.1327111…㎠により近い値であるから、答えを379.94㎠とするのは誤りである」という議論はなりたたない。
有効数字3桁の概数で計算した379.94という結果は、上から4桁目、5桁目が信頼のおけない数字であるという状態のものであるだけで、値の精確さ、すなわち真の値との距離の近さ競うものではない(上の表をみよ)。
信頼のおけない部分を丸めた数値である380の方が、よりおおまかに信頼がおける数値だというだけである。
なおn=300あたりから計算結果が4桁になり、1の位がまるめられるので、概数と真の値の差はより大きく感じられるようになってしまう。
エクセルをおもちならやってみてほしい。
間違ってるところがあったらプリーズテルミー。
まあ自転車置き場の議論感はあるけど, 自転車置き場の議論は楽しいので許してほしい, と言い訳をした上で書く. くだくだしくどうでもいいことを書くのでお暇な方だけどうぞ. 私自身は円周率3.14で教えるべきか否か, というのには特に意見がない. それはそれとして, の話.
http://anond.hatelabo.jp/20160223212129
明確に間違いです。例えば円周率を3と近似した場合に、真値で半径11の円の面積は363.00000になってしまいます。
πには適用されません。同意します。それは、πが定数だからです。
しかし、3.14は違います。これは近似値です。近似値には有効数字、有効桁数は適用可能です。
(というか、適用しないといけません。)
ちなみに、ブコメで「有効数字が適用できるのは測定値のみ」と言っている人がいましたが、
それは違うと思います。(数学的には正しいのかもしれませんが、実学としてはイケていません)
実際に円周率を扱う際には、近似値を用いないと、有理数で表現することができません。
日常生活では無理数は扱いづらいので近似値で表します。そうすると絶対に有効数字はつきまとうはずです。
んで、なぜ実測値にしか有効数字が適用できないと考えている人が居るのか考えたのですが、
おそらく、計測するような人は、実測値の有効桁数が扱う桁数の律速になっているので、
円周率の近似値の有効桁数を意識せずに使っているというのが実際のところでは無いかと結論づけました。
「379.94は誤り」派の人はなぜ380が正解だと思ったのでしょうか。
円周率は無理数なんだし、近似値として314/100を使ってるだけでしょ。
出た答えが円の面積にどれだけ近いのかを考えるのは、また別の問題。
小学校の円の面積の計算の問題でバズっているのを見かけたので便乗してみる。
初増田なのでなんかおかしなことがあったらごめんと先に誤っておく。
そして、わたしは計算が嫌いで物理と数学から逃げ続けた生物系研究者で、特に円周率に対して深い知識があるわけではないことも付け加えておく。
簡単に経緯を説明する。
「半径11センチの円の面積を円周率を3.14として計算した時の答えは、11*11*3.14=379.94は厳密には誤りで、
有効数字3桁で380の方が正しいのではないか?」
(ちなみに、半径11の円の面積を5桁の有効数字で表すと、正確には380.13である。)
円周率3.14は、実際には3.141592…という割り切れない値を3桁で表した概数である。
有効数字3桁で算出された計算結果は、やはり有効数字3桁であるから、正しくは小数点以下一桁目の9を四捨五入して380が正しい。
なお、379.94と回答した場合は、実際の円の面積とは異なる値となる。これをあたかも真の円の面積のように誤解してしまう可能性があるので、
小学生に有効数字の概念を教えるのは難しいので、設問に「上から三桁の概数で答えなさい」と入れれば万事解決
設問に「円周率は3.14とする」と書いてあるので、「円周率は3.1400000…」を仮定して解けば良いのではないか
あるいは、もう円じゃなくて円周率3.14000のなんかの局面を仮定すれば良いのではないか。
そもそも3.14だろうが3.141592(以下略)だろうが大して結果は変わらない(0.19なんて誤差)。これくらいの誤差は無視していい。
なんで理系はこういう細かいことを指摘してドヤ顔しているのか。こういうことをするから小学生は算数を嫌いになる。
私自身は「379.94は誤り」派です。おそらく理系の人の多くはそうだと思いますが。
「379.94でいいじゃん」派の意見もざっとまとめてみましたが、もし足りない点等ありましたら後で追記するので
教えて下さい。
以下に、「379.94は誤り」という意見を支持する理由を書きます。
円周率はπです。いつの時代も、どの世界線でも、関孝和が計算しようがアルキメデスが計算しようがライプニッツが計算しようがオイラーが計算しようが
そろばんで計算しようがスパコンで計算しようが円周率は割り切れません。
アルキメデスは古代ギリシア時代にあって、おそらく円に内接、外接する正96角形の周の長さを求める式から既に円周率が3.14の概数で表せることを導いていました。
しかし、古代から円周率の計算に取り組んできた誰もが、円周率を割り切れる数として扱った人はいないのです。
人類が何百年もの時間をかけて漸く得ることに成功したこの円周率を、「あ。3.140000でいいっすね」とか、たかだか小学校教諭の分際で勝手に変えることはできないのです。
ぶっちゃけ、言語は変わっても、数字の意味は不変です。これは自然界の法則だからです。
仮定はあくまで仮定です。それを元にした結果が解になることはありえません。
例えば、私は生物学者なのですが、「STAP細胞があると仮定して」実験を行って得られた結論は、信用に足るものになるでしょうか?
答えはわかりきっていますよね。
ちなみに、「円周率を3.14として」というのは「円周率を3.14と(近似)して」という意味です。
あと、比較として用いられていた「摩擦係数を0として」というのは仮定ではなくて想定です。地球上では作るのが困難ではありますが、
摩擦係数を0.00に近似できるくらいの環境なら作れるでしょ?その環境を想定してるんです。
それをあろうことかそのまま解にするなど、あってはならないことです。
結論から言うと、私は、小学生が「どれくらいの精度で円の面積を求められるか?」を、
誤解してしまうという点が、「円周率を3.14として有効桁数5桁まで求めてしまう」ことの
最大の欠点だと思うのです。
「んー、円周率3.14。半径11の円なら面積は121×3で363。
これよりちょっと大きいくらいだからまぁ、370くらいかなー?(正確には380です。)」
これくらいの精度で良い人間にとって、0.19(380.13と379.92の差)の違いなんて
もう誤差でしょ。そこに異論は無いのです。
しかし、小学生にとって、小数点以下二桁ってそりゃもうすごい精度ですよ。
半径の長さ11.0 cmと!魔法の数字円周率3.14さえ用いれば!
なんとなんと、数十平方マイクロメートル単位で円の面積が求まってしまう!
→実際には世の中そんなに甘くないわけですよ。
では次に、半径1111 cmの円の面積を円周率3.14で求めてみよう。
すごいですね~、どれだけ桁が増えても小数点以下二桁まで求まります。
ってんなわけあるか!!!!
1111*1111*3.141592654=3877733.79
これが正解。 ね?だいぶ違うでしょ?
でも、有効数字3けたなら、3880000。これならまぁだいたいこんくらいかーってのがわかる。
④−3で、「うわぁ、こいつめっちゃ細かいコト言ってるよ、これだから理系は。。。」
緑色の背景に、なんか動物っぽい白いものが写り込んでいますが、何の動物だかよくわかりません。
円周率3.14を使って半径11の円の面積を379.92と主張することは、この白い物体を「絶対馬だ!」って言っているようなものなんです。
有りもしないもの、本当にそうなのかよくわからないものを「絶対そうなんだから!私見たんだから!」と言っているどこかのOさんのようなものなのです。
私は最初、このツイート見た時、「まぁそんな細かいコト言わなくても。。。」
って思っていました。「379.94でいいじゃん」派的な考えだったわけですね。
その一番の理由は、
「3.14の次の値が1である」ということを知っているからです。
通常の概数だと、「概数で3.14」と言うのは、「3.135から3.144」までを想定してるんだけど、
まぁ大体3.14ってのはあってるんですよね。
でも、読んでいるうちに考えが変わりました。何故かと言うと、
「結構多くの人間が、円周率、有効数字の概念とその問題点を全く理解していない」
ことに気づいたからなんです。
挙句の果てには円周率を「3.140000」と「仮定」すればいいじゃん。
という人まで出てくる始末。
それでこの問題についてよくよく考えてみた結果、
「これはやっぱり、小学校であっても379.94を正解とするのはよくないな。。。」
と思ったんです。
このエントリーを読んでよくわからなかった人も、これだけは覚えていってください。
I. 数学とは、科学とは、世の中の真理を追求する学問であり、
人間に都合よく結果や値を変えることはできない。
πは3にも3.14にもならない。
II. 仮説は検証とセット。検証できない仮説を設定しては行けない。
仮説に基づいた結果を解にしてはいけない。
逆に役に立てるかと思い、書かせていただきました。
オモシロイと思って読んでいただければ幸いです。
こういう議論ができるのって、素敵ですよね。
たくさん反応があって驚きました。読んでくださった方々、ありがとうございます。
いろいろご指摘があり、自分自身勉強不足を痛感した点もありますが、
反論できるところは反論しようと思います。スター多めなブコメ中心に記していきます。
『ちなみに、「円周率を3.14として」というのは「円周率を3.14と(近似)して」という意味です』ここが違う。勝手に行間を埋めるのは科学者たる態度ではない。
違わないです。なぜなら「円周率」と書いてあるからです。そして、小学生は、「円周率」が割り切れない数であることを知っているからです。
もし、「円周率を3.14として」というのが「円周率を3.14と(近似)して」という意味ではなかった場合、
勝手に人間様が円周率を3.14ぴったりであると定義しなおしていることになり、それこそ数学への冒涜です。
そうですね。この表記をさせるのは流石に難しいです。
私は、「4桁目を四捨五入して3桁の整数で答えなさい」と、問題文に入れるのが良いと思います。
円の面積を求める問題ではなく、「11*11*3.14を計算せよ」というなら答えは379.94です。
でも、円の面積の求め方は、残念ながら小学校の先生が定義を勝手に変えられるものではありません。
真実は、この場合はたったひとつで、小学校の先生のほうが間違っています。
一辺の長さ3.14 cmの長方形を想定することはできますが、円周率3.14ぴったりの円を想定することはできません。
なぜならそれは円では無いからです。
じゃぁ円じゃなくて周率3.14ぴったりの変な局面を求めよといえばいい、と思うかもですが、
なんで小学生がそんなわけわからんものの面積を求めなければいけないのでしょうか?
私は、小学校で扱う整数は純数学的には整数だと考えていたので、11.00000…を想定していました。
もちろん11が有効桁数二桁の概数なら、380の3桁目を四捨五入することになります。
九九で扱う数は整数ですので、純数学で表すと、2.0000*6.0000…=12.0000…です。
「仮定」の結果得られたものが「解」になることはありえない→僕の好きな背理法を否定しないで。 理系といいつつ知識不足。中学生から勉強し直すべき。
私も背理法大好き。もちろん背理法も考慮に入れたうえでこの文章を書いた。
背理法では、仮定の結果得られたものが矛盾する→だからこの仮定は間違っているというプロセスをたどる。
仮定の結果をそのまま解としていないことに注意してほしい。
ルート2が既約分数p/qだと仮定して、結果的にはpとqが共通の約数を持つことで矛盾を証明する。
私は、例えば、
このまま「(2n+1)*(2n+1)=4n^2+4n+1 なので、奇数の二乗は必ず奇数。つまり4^2=16は奇数である」
この場合、間違った仮定から間違った結果が導かれているのがわかると思う。4も16も2で割り切れる偶数だ。
スターは少なかったがこれについてはぐうの音も出ない。
公理と仮定について理解が足りなかった。正直すまん。でも、やっぱりπを3.1400000と仮定するのはダメだと思う。
なぜなら観測的にもありえない上に、後から検証もされないから。
ただ、有効桁数3桁で算出される結果に5桁を求めるのは無意味だし間違っているという主張です。
「3.14と仮定して」とあるんだから、「3.14」の次の桁など問題文中の世界には存在しない。「3.14000」なんてどこから出てきた?
「a=3.14と仮定して11*11*aの解を求めよ。」だったらこんな議論にならないのよ。
円周率だから、3.14ぴったりじゃだめなの。ちなみに、3.14の次の桁は、あなたの頭のなかには存在しなくても、この世界には存在するのだ。残念ながら。
半径11の円の面積は12100だと主張するのか? 私は、あまり自身が無いけど、間違っているのはあなたなんじゃないかと思うな。
でも、円周率が100の世界を仮定して検証するとしたら、それはそれで数学への扉を開いているのかも。
もちろんそう。問で聞かれているのは公式を覚えているかどうか?
だけど、3桁目までしか信頼できなくて、残りの桁は全部意味がないことを、おとなになっても理解できない人がたくさんいることが分かったので、
問題だなと思ったわけ。
実際求められるよりも遥かに細かい精度で円の面積が求まると誤解するのが恐ろしい。
実際、多くの人が半径11の円の面積は?って聞いたら379.94と答えると思う。間違ってるのに。
おわりー!
結論としては、「3桁の概数で表わせ」と問題文に付け加えるのが一番しっくり来る。
これを小学生のうちに叩き込んでおけば、
中1の有効数字の概念もすんなり受け入れられるのではないかな?
以下おまけ
半径2、または1をピッタリ2.000、または1.000と答えるなら、
半径2の面積は12.56の6を四捨五入して12.6。半径1なら3.14と記すべき。
1とか2を一桁の概数として表すなら、
半径2の円の面積は10。半径1の円の面積は3と記すべきだとおもう。
知りませんでした。もっと知りたいのに検索かけても出てこなかったので、
ソースいただけると嬉しいです。
10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト
千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note
最初のリンクを「アンチ・エビデンス論」、二つめを「アンチ・アンチ・エビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章をアンチ・アンチ・アンチ・エビデンス論と呼ぶ必要はない。
千葉雅也の「アンチ・エビデンス論」が出たとき、個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価は別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチ・アンチ・エビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章にはいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチ・アンチ・エビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である。
千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡をネット上に残してしまいます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。
そして、その上で読者にこう問いかける――
まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。
不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチ・エビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任の擁護、エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任を果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチ・アンチ・エビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後は
エビデンスを求めようとしなければ、人の思考は個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまいます。
という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる。
たしかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。
実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)
さらに読み進めていくと、千葉の文章を引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。
このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断を要求されていると思いますけど。むしろ、日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断を要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。
「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧な表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断を要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉の文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手に企業だけの話にすり替えているし、しかも千葉の文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。
マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任を回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員の責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから。
なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体は千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠がほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から〈言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチ・アンチ・エビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?
この後も、しんかい氏は「アンチ・エビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。
ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路で評論というものを考えてるんですよね。思考を論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。
この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇やアカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。
対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージを攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学・数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。
これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーター・バリーによる教科書の引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。
バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者、アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。
また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代をエビデンシャリズムからいまだ自由な時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニストの難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉の世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやすい世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。
だいたい、千葉がポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネットで賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニストが問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームでしかないのではないか? こうしたカテゴリーを混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数と無理数を混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう?
しんかい氏はなぜ、ソーカル事件と千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチ・アンチ・エビデンス論」において、しんかい氏は、アンチ・エビデンスを批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達な批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマの場合、科学や数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛なものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチ・アンチ・エビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化」だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界の関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである。
貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学や科学やプログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明なものだし、別に大陸系哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。
ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学のモニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。