はてなキーワード: 活動家とは
ワイも小学校の頃、近所の遊び相手が女の子しかおらんくて、スカート履きたくて、ネックレスしたくてしょうがなかった。しかも美少年だったからそれがすごく似合った。高学年の頃にはスカートめくりする方に転じたが、あのとき活動家に説得されてたらと思うとゾッとするわ。
こんな認識の議論に沿っていたら、『トランス治療を完遂した人の声』なんて「『ジェンダーイデオロギー活動家』の声だから」、として排除されるだけなんじゃないんですかね
原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、デトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。
https://www.bbc.com/news/uk-scotland-68712471
スコットランドの新しいヘイトクライム法に異議を唱えるJKローリングのソーシャルメディア上のコメントは、犯罪として扱われないとスコットランド警察が発表した。
ハリー・ポッターの作者は、有罪判決を受けた囚人、トランス活動家、その他の公人など、複数のトランスジェンダー女性を男性と表現した。
この新法は、保護特性に関する「憎悪をかき立てる」という犯罪を新設するものである。
同警察によると、苦情は寄せられているが、処分は下さないという。
このニュースに反応し、ローリングさんはXに次のように投稿した。「生物学的性別の現実と重要性を訴えることを望むスコットランドのすべての女性が、この発表によって安心されることを願っています。
子宮頸がんワクチンの後遺症騒動に似てる。確かにワクチン後遺症は0ではないが、思春期のメンタル不調をワクチンのせいと騒ぐ連中がいるように、少女たちのメンタル不調を「それはジェンダーのせい」と決めつける人々が沢山いるとの告発が、本書の中核だと思った
まとめ
•アメリカの白人少女たちの多くが居場所がなく、メンタルを病んでいる。一方でネット上ではマイノリティが注目を集めている。そこで「自分の生きづらさは、自分がトランスジェンダーだからではないか」と思い込みやすい環境がある
•学校や病院は、少女に冷静な判断を促す代わりに、自殺を防いだりするために少女の訴えを全面的に受け入れて、ホルモン治療や乳房の外科手術を勧める
•その結果、少女たちが「自分はトランスジェンダーではない」と思い直して治療中断をした時には、家族の絆も、声も胸も生殖機能も元に戻らない状態になってる事態が複数ある
誤読しそうな点
•本書の批判は、第一にジェンダーイデオロギー活動家に向けられており、第二に性別移行処置を子どもの希望通りに行う医療者に向けられている。それらに比較すると性別移行治療を受ける本人と家族への批判は極めて乏しい
•本書で騒いでるのは、本書で主に批判されているジェンダー活動家が、「トランスジェンダー当事者への差別扇動では」と論点をずらしてる場合が多いと思う
•メディアは、ジェンダー学者の代わりにトランス治療を途中で中断した人や、トランス治療を完遂した人の声を積極的に取り上げよう
•学校と病院は、男性ホルモン治療をすぐに勧める代わりに、SNS依存などの、他のメンタル問題に対処しよう。他のメンタル問題がへれば、性別違和が消える場合も多い可能性がある
•トランスジェンダーの人への差別も、突然抱きついて応援してるPRするのもやめよう
追加
〉「トランスジェンダーなどというものは実在しない」という本ではないのね
その通り。ワクチンの副作用が出る可能性が0.1%以下の確率でも、1万人受けたら1人以上いるのは自然だよね。この本は「これまでは性別違和を訴える大半が男児だったのに、なぜこの10年で、アメリカだけで、思春期の少女が急激に増えたのか」がテーマ。
〉トランスジェンダーについて「滅多にないのでトランスジェンダー主張は棄却せよ」というのが同書の主張の本質
私はそのような主張は読み取れなかった。私が読み取った同書の主張の本質は以下の通り
「SNSや動画サイトは、子どもが影響を受けやすいことにもっと配慮を。学校は子どもの健康に親に隠し事をしないで。医療者は医学処置より傾聴を。アメリカに少女の居場所を。」
子宮頸がんワクチンの後遺症騒動に似てる。確かにワクチン後遺症は0ではないが、思春期のメンタル不調をワクチンのせいと騒ぐ連中がいるように、少女たちのメンタル不調を「それはジェンダーのせい」と決めつける人々が沢山いるとの告発が、本書の中核だと思った
まとめ
•アメリカの白人少女たちの多くが居場所がなく、メンタルを病んでいる。一方でネット上ではマイノリティが注目を集めている。そこで「自分の生きづらさは、自分がトランスジェンダーだからではないか」と思い込みやすい環境がある
•学校や病院は、少女に冷静な判断を促す代わりに、自殺を防いだりするために少女の訴えを全面的に受け入れて、ホルモン治療や乳房の外科手術を勧める
•その結果、少女たちが「自分はトランスジェンダーではない」と思い直して治療中断をした時には、家族の絆も、声も胸も生殖機能も元に戻らない状態になってる事態が複数ある
誤読しそうな点
•本書の批判は、第一にジェンダーイデオロギー活動家に向けられており、第二に性別移行処置を子どもの希望通りに行う医療者に向けられている。それらに比較すると性別移行治療を受ける本人と家族への批判は極めて乏しい
•本書で騒いでるのは、本書で主に批判されているジェンダー活動家が、「トランスジェンダー当事者への差別扇動では」と論点をずらしてる場合が多いと思う
•メディアは、ジェンダー学者の代わりにトランス治療を途中で中断した人や、トランス治療を完遂した人の声を積極的に取り上げよう
•学校と病院は、男性ホルモン治療をすぐに勧める代わりに、SNS依存などの、他のメンタル問題に対処しよう。他のメンタル問題がへれば、性別違和が消える場合も多い可能性がある
•トランスジェンダーの人への差別も、突然抱きついて応援してるPRするのもやめよう
追加
〉「トランスジェンダーなどというものは実在しない」という本ではないのね
その通り。ワクチンの副作用が出る可能性が0.1%以下の確率でも、1万人受けたら1人以上いるのは自然だよね。この本は「これまでは性別違和を訴える大半が男児だったのに、なぜこの10年で、アメリカだけで、思春期の少女が急激に増えたのか」がテーマ
私もそう思う。性虐待を受けた人の治療と、治療で偽りの記憶が生まれない配慮を両立出来るように、トランスジェンダー医療はもっとバランスが良く改良が出来ると信じたい。
〉上っ面の理解で、本当の性自認を否定し、LGBTを差別する人がいるのでは
まさに私がこれを書こうと思った理由です。Amazonで一位になったけれど、積読のまま差別に利用する人が出現すると思ったから、その意見を前にした時に「この人、ちゃんと読んでなさそう」と思ってツッコミ出来る人を増やしたかった。
もちろん私の読解にも限界があるから、他の人もどんどん私のまとめを建設的に批判して発信して欲しい。
私はLGBT当事者で、家族とは絶縁しました。私も思春期の思い込み、大人になったら卒業するかなと思ったけど、どうやら私は「ワクチンの副作用が出る0.1%のほう」だったようで。
この本でインタビューに答えてる家庭のように、LGBTが理由で家族と取り返しのつかない喧嘩から絶縁に至る家族が減って欲しいと思います。
俺だって今の生成AIに対して思うところはあるしパブコメにも参加するくらいにはなんとかなってほしいとは思ってるけどさ。
これまでは週に2枚くらいイラストあげてBOOTHとかで受けた依頼は落としたことなかった推し絵師が、今では一日中、AI擁護派を検索しては啓もう活動を行い、反AIツイートをリツイートしまくってて絵も上げなくなって、BOOTHは返金祭りになってる現状は素直にキツい。
AI推進派に「絵が好きだったらAIを使うなんて発送は出ないと思うんですよね」とか言ってるアンタは今でも本当に絵が好きなのかよ?俺には絵を描くことよりもAI派と戦うことのほうが好きなようにしか見えねぇよ。
グリーン・インフェルノを唐突に思い出したのでネタバレありであらすじを描く
アマゾンの環境を破壊して原住民をおびやかす開発工事を止めさせよう!と仲間たちとアマゾンへ
何人かはグロ死にし、生き残った主人公たちはジャングルのど真ん中で野生動物に怯えながらサバイバル
そこでアマゾン原住民に出会い、助かった!と思いきや彼らは他部族を食らう食人族で捕まってしまう
順番に解体され喰らわれる仲間たち
部族の女たちがキャッキャと雑談しながら日常風景みたいに人間を単なる食材として調理していく
囚われたアメリカ人たちのうち、女性陣は部族を治めている老婆に処女検査され、唯一処女な主人公は花嫁として迎えられる
でも割礼されそうだしなんとか脱出
部族の男たちが集団でどこかへ行って警備が手薄になったため可能だった
その男たちは、工事現場に行き伝統に反する開発を止めるために戦おうとしているのだった
現代的な武装をした者たちに銃撃され、あれだけ恐ろしい食人族は主人公の目の前であっさりと虐殺されていった
奇跡の生還で時の人となった主人公は、食人族のことを隠し仲間たちは全員ヘリ墜落で死んだのだとインタビューで話した
原住民たちが助けてくれた、優しき彼らの文化を尊重し開発はやめ自然保護をするべきだと主張して主人公は自然保護活動を続けた
監督は「ネットでかぶれてるだけの偽善者へのアンチテーゼ映画」と話しているそうだが
ネットでかぶれていただけのエセ活動家が、目の前で現代文明による一方的な蹂躙を見たことでガチの活動家へと覚醒したということなんだろうか
原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、ディトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙(ニューヨーク・タイムズ紙)までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。
元々男性の暴力性を持ってる上に、社会規範を敵視して相手をナチス呼ばわりしてるから、衝動の抑制が効かないんだね
トランス過激派の事件は、特に米国で大きな注目を集め、暴力の可能性について懸念を抱かせている。
特に憂慮すべき事件のひとつは、ナッシュビルのキリスト教系小学校で銃乱射事件を起こしたトランスの射手、オードリー・ヘイルに関するものだ。ヘイルは最近、彼/彼の代名詞とエイデンという名前を採用し、コヴェナント・スクールで3人の子供と3人の大人の命を奪った。
別の事件では、元NCAA水泳選手のライリー・ゲインズが、サンフランシスコ州立大学で、女子スポーツに女性選手を入れることに反対を表明した後、トランス活動家から暴行を受けた。この身体的暴行事件は、このテーマについて反対意見を表明する個人が直面する敵意の高まりを浮き彫りにしている。
彼らは、特定のジェンダーに関連する慣習を禁止する法律は「トランスジェノサイド」に相当すると主張し、過激な思想の推進を煽っている。
さらに、サイクリストのハンナ・アーレンスマンは、生物学的男性との競技に反対したことで直面したハラスメントにより、スポーツを辞めるという苦渋の決断を下した。ハラスメントに関与した人々の中には、プロトランス団体であるジョン・ブラウン・ガン・クラブのメンバーも含まれていた。
トランスの人々が投稿する、武装自衛を擁護するビデオの増加も気になる傾向だ。現在は削除されたTiktokの投稿で、2400人のフォロワーを持つタラ・ジェイは、女性用トイレの使用を妨げようとする人に対して銃を使うことを警告している。
このような事件は、『トランスの権利.さもなくば......』というスローガンを銃の画像とともに表示したシャツの販売とともに、トランスジェンダーのイデオロギーを取り巻く過激主義と脅迫の風潮を助長している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e61e3635e2e9e21ec5a6d4f62a369c770740015a
これまで女性スペースの安全性や女性スポーツの公平性は身体によって担保されてきたが、性自認の尊重が過ぎれば社会のシステムが崩れる。例えば、女子トイレは女性が社会参加する上で基本的なインフラだ。女性はトイレでの安全性が担保されないと外に出られない。性自認は自由だが、別に制度的な解決が政治に求められる。
LGBT活動家から「女性はマジョリティーだ」といわれている。女性は妊娠する身体を持ち、相対的に脆弱(ぜいじゃく)だ。数が多くても女性はマイノリティーだということを分かってほしい。
2+2=4だね
https://www.kanaben.or.jp/profile/gaiyou/statement/2023/post-436.html
https://jlfmt.com/2024/03/29/71778/
https://jlfmt.com/2023/04/19/65622/
https://jlfmt.com/2021/06/09/50253/
音無ほむらの代理人を務めており暇アノンでもある弁護士の杉山程彦が、懲戒処分で1ヶ月の業務停止
暇空弁護士の渥美陽子も1つの裁判に忌避申立や補助参加やらで10件ぐらい申立繰り返して不当に長引かせてたなあ
渥美陽子は裁判数ヶ月長引かせて相手の時間と金を消費させ苦しめようとしていたが、杉山は更に上を行き3年半も1つの裁判を長引かせた
杉山はバリバリの共同親権派であり、長引かせたのもそれ絡みの裁判
共同親権界隈では珍しく、「父が親権を持ち、母が親権を求めている」というケースのため共同親権界隈でも意見が分かれた
この界隈はわりとミソジニーこじらせた「女は男の言うことを聞け、従え」という思想者が多い
「女の側につくのか」「これは”連れ去り”とは違う」と杉山を批判する共同親権支持者もいた
杉山が担当した件は、「産後3ヶ月の母に父が暴力を奮い家から追い出した。残された乳児は父が一人で育てており、父に親権が認められた」というもの
裁判所は暴力の真実性は認めつつも、その後数年に渡り問題なく育児している父の親権維持を支持
母に同情できる内容ではあるが、母は父の勤務先情報など第三者が個人特定できうる情報をTwitterでばらまき、子の顔写真も掲載
杉山はそれを止めるどころかリツイートして拡散希望タグつけて広めた
今回は裁判長引かせ、証拠捏造、相手方を大声で恫喝、相手方宅に突撃して無理矢理母子面会させようとしたなどの件
「日本は日常的に誘拐が行われている国です。行政及び司法が誘拐犯の味方をし、弁護士は誘拐犯側について、金儲けをしています」
今回仕事で初の渡米を経験したが、そこで「アメリカの警官とのやりとり」も経験したので共有する。
これまで仕事でアジア、中東、西欧、南欧、東欧と多くの国に行ってきた。
外国人が歩き慣れない地域をウロウロ歩いていれば警察官の目を引く。
ただ「トラブル」は今回が初だ。
身分証や渡航目的などを確認してきたため素直に応じたが、突然男性白人警官が激昂し出して「俺はお前を逮捕することもできるんだ!!お前は東京には帰れない!!お前が行くのは拘置所だ!!」と怒鳴った。
一切反抗的な態度も取っておらず、怪しい物も持っていないのにも関わらず怒鳴られた俺は何かの冗談かと思って「嘘だろ⁇」という反応をした。
しかし俺の言った「Are you kidding me??」に対し男性警官は「Are you fucking kidding me⁈」とさらに激昂。
隣にいた女性ヒスパニック警官は「私が彼と状況を落ち着かせる!そのためにあなたは敬意を払う必要がある!」と怒鳴った。
女性警官がボディチェックや拘束はしないから全ての書類や持ち物を提示するように要求。
俺が少しでも動くたびにいちいち男性警官は銃(テーザーか実銃かは不明)に手を構えその度に女性警官や通行人が彼の手を抑える。
女性警官から「問題はないのでもう行ってもいい。気をつけて」と言われるが後ろでずっと男性警官が怒鳴っていた。
あまりの剣幕と勢いで全てを聞き取れたわけではないが「俺は警察官だ!」「俺の両親や妻や息子たちは俺を尊敬している!」「あいつは俺や同僚たちを踏み躙った!」「拘置所に行くべきだ!」という意味の言葉は聞き取れた。
白人親子が途中まで付き添ってくれて、そこで警官が激昂した理由について「君の態度が警官を尊重していないと感じられたのではないかと思う。警官は誰にとってもヒーローだ。敬意が必要なんだ」と語ってくれた。
それ以来、帰国するまでの間に警察官と人々とのやりとりに注目するようになった。
警官と話す時、たとえ犯罪者や容疑者でなかったとしてもジェスチャーや笑顔はNGなようだ。
実際、滞在中に立ち寄ったスーパーでは店内で起こった喧嘩について事情を聞かれていた店員(白人男性)が警察官(白人男性)の会話を2回ほど遮っただけで激昂した警察官により地面に伏せられ手錠をかけられていた。店員が振り向いて「冗談だろ?」と言うと、別の警官は「勝手に喋るな!こちらを向くな!」と言って手錠をかけられた彼にテーザーを撃った。グッタリした店員は引きずられてパトカーに乗せられた。
中国や中東の警官だってこんなことはしない。タリバン並の横暴さ。
「敬意を払っていない」
これだけで激昂しテーザーを使って逮捕する。
どれだけ警察の発砲や横暴さが問題になろうと、市民にとって警察官はヒーロー。
警察批判を展開するキャスター、学者、議員、警察の発砲により家族や友人を失った活動家は賛同よりも遥かに多くの批判を受け取る。
批判の殆どは「私の父親は定年まで警察官を務めました。あなたは私の父親を侮辱している。アメリカから出て行くべきだ」「私の夫は警察官であり、あなたの発言は夫だけでなく息子の尊厳を傷つけるものだ」という感情的なもの。
そのプライドを傷つけたものは電気ショックをくらって拘置所に連行されて当然だと言うのである。
発達障害者が、自称健常者らに勝手にレッテルを貼られてそれによって「救済」されたことにされたり、その独自に育んできたコミュニケーションを「矯正」されたりしてきたことに対して怒りを感じている。
だが、発達障害者に行われてきたことは、自称健常者・日本国民の下層の人々にも降りかかるだろうということも常々言ってきた。
過去これまでの氷河期叩きもそうだし、子ども部屋おじさんおばさんもそうだし、「ケーキの切れない~」もそうだ。何か曖昧な社会不安が起きるたびに、この社会は生贄を生み出してきた。
間違ってはいけないのは、「明確な原因→解決しよう」ではなく「曖昧な不安→あいつらがキモイ!あいつらが原因」ということだ。
俺は発達障害者やアスペルガーと指さされた人々に対して、「キモくて何が悪い。怒れ」と度々言い続けてきた。
https://anond.hatelabo.jp/20230318052208
「加齢の現実を理解していない」とか「おじさんおばさんは自分の年齢の責任を理解して」とか、そんなことばに従う必要はない。
ネット上では薄っぺらいルッキズムやエイジズムの批判が行われ、そして同じ口でおっさんやおばさんという言葉が悪口として使われる。
俺は堂々とエイジズムを批判する。55歳のおっさんが22歳のように振舞って何が悪いんだ?47歳のおばさんが16歳のように振舞って何が悪いんだ?
だが、それを具体的にどう擁護すればいいだろうか。発達障害者のそれと同様に身近にやっていくしかない。
俺も、飲み会で、まるで大学生みたいにはしゃぐおっさん(物書き)と、それに対する周囲の視線を見た事がある。そして俺はおっさんが孤立しない様に、同様にはしゃいだ。気持ちが良かった。
そもそも「成長」だとか「(曖昧な・出自や年齢にしか紐づけられない)責任」という概念自体を徹底的に疑え。少なくとも障害者の運動はそれをやってきた。
もしかしたら「キモい」おっさん・おばさんと、発達障害者の権利はいつかぶつかるかもしれないが、そんなことは関係ない。それはその時だ。
(黒人奴隷を解放するときに「いつか黒人が白人と衝突するかもしれない」なんて考えるバカは大勢いただろうが、解放は進んだだろ)
キモイキモイと意識し続けて、それで最後に誰が生き残るんだ?キモイキモイと言い続けてきた結果が今の閉塞感だろ?じゃあどうすればいい?
キモくて何が悪い。みんなキモいんだよ。上の記事の繰り返しになるけど、キモくていいんだよ。むしろ、「自分のコミュニケーションや生活はキモくありません」と思い込んでる方がキモいんだって言ったれよ。俺もお前もキモいんだって。
空気読んで人をいじめる本末転倒な社会を構成してる空気読みのお前らも病気だって。
そう言い切って、はじめて、エイジズムやルッキズムはぶち壊せる。
みんなも、「年齢にふさわしくない、キモいおっさん、おばさん」を見た時、自由を感じろ。これでいいんだって。それが過去と将来のお前を救う。それを広げていく。頑張ろうぜ。
この間、SNS上である議論に参加というか巻き込まれて、私含めた数人の参加者のレベル的にそれで結局答えなんか当然でなさそうな雰囲気だったので
「結局これはどっちもどっちってことなんじゃないの。こんなことしてるより別のことをしたほうがいいよ」みたいな返事をしたら
「それは悪しき相対主義だ」「相対主義の皮を被った保身でしかない」みたいなことをある人からいわれた。(「別のことをしたらいい」というのが相対主義?なのかはよくわからん)
でもそいつも全然、自分の意志があるのか怪しい話しか出来てない感じだったが。
しかし、この10年ぐらいの間に、「相対主義はとにかく悪い」という人たちの意見が目に付くようになった。
今日の晩御飯の内容から、ガンダムみたいなアニメの評論、日本とアジアの歴史問題認識の差まで。軽い話題から深刻な内容まで、一つの物差しでそれぞれの問題を計るわけにはいかないにせよ。
でも「相対主義は責任の放棄であり社会問題の根源~」みたいなことをいう人はリベラル側に結構いる。
資本主義でも社会主義でも、いじめっ子でもいじめられっ子でも、ドリフでもひょうきん族でも、連邦軍でもジオン軍でもなく、相対主義。
ほとんどの日本人は6・3・3制の学校で、まあ、社会の処世術とでもいうものを学ぶはず。日本人の「思想」「思考」が問題にされるとき、大体学校教育まで遡って批判されることが多い。
でも、私は小学校から高校まで「相対主義」なんて学んだことはない。相対性理論はあるけど。大学でも、ゼミでいろいろやったが、具体的に相対主義とは言わないにせよ「中立的」な見方・記述をするようにはいわれた。
我々もそうだったが、年に何十万人の若者が、中卒・高卒・大卒のいずれであれ社会に旅立ち、この社会を構成する。そしてほとんどの人々は、リベラル派の危機意識からすれば(どう形容していいか分からないが)、「相対主義」者ということだ。
学校で、国が定めた教育課程により(理系は一先ずおいといて)国語・社会・公民・図工美術・音楽・語学・道徳などの授業を6年間や3年間学び、家庭生活も過した人々が、学校を出る時には「相対主義」者として再生産される。
そしてそれは悪いことなのか、私にはわからない。この国は民主主義であり、自由主義であり、自分の思想を選ぶ権利があり、その上で、多くの人々は確固たろうが適当であろうが、相対主義を選択し、それで別に社会を維持できている。
少なくともこの社会のかなりの部分が、毎年再生産される「相対主義」で維持されているのは事実だ。相対主義者による虐殺であるとか強制収容であるとかも見聞きしたことがない。何がよほどの悪なのだろうか。
逆に、「相対主義」であることを徹底的に拒否する教育や生活とは何なのだろうか。
私は相対主義への批判を見るたびに、言っている人々の普段の言動と比較しても、なんだか検閲や全体主義に近しい論調だなと感じ続けている。
社会の授業で世界の国々や選挙制度について学ぶときに、ある国は素晴らしく、ある国は劣っていると教育するのだろうか。ではその上で日本の立ち位置をどう教えるのだろうか。
ベートーベンの曲を聴いたりピカソの絵を鑑賞した時に、楽譜や色調に現れる技巧は別として、徹底的に「ベートーベン」「ピカソ」の何たるかを国が定義し・教師もそれに盲目的に従い・生徒に刻み付けるのだろうか。
(よく相対主義の引き合いに出される)機動戦士ガンダムを視聴するときに、連邦軍やジオン軍のいずれかが徹底的な善であり対極は悪であると必ず親御さんが傍で「アドバイス」し続けるのだろうか。あるいは制作時まで遡って指図されるのか。(ゆうきまさみがそんな漫画描いてたな)
相対主義は決断や責任の拒否かもしれないが、では非・相対主義は決断や責任の日常的な強制にはならないのだろうか。それは反世俗主義的なカルトや閉鎖的な集団の思考(例えばエホバの証人、旧統一教会、搾取を目的とした自己啓発セミナー、戦前の日本政治など)とどう違うのか。
これらの集団が若者・二世三世信者に対してどう当っているのかも含めて。
もっと言ってしまうと、リベラル的なさまざまな批判や許容の精神は、人々に曖昧に巣食う相対主義という岩盤の上で存続できているのではないか。
長々と書いてしまったが、私としては、相対主義であると言われることは受け入れた上で、それが悪いとか変わるべきだとする思考には至らなかった。
ただ考える中で、他の問題も含めて、「教育・学制」というものはかなり意識する必要はあると思った。
毎年、「相対主義」であり、「自民党を『安易に』支持」し、「映画や音楽を『表面的』に」しか鑑賞できず、あるいは「胡散臭いやり取りを『プロレス』、くだらない文章を『ポエム』と呼ぶ」大衆が再生産されている。
そして大学の教授や活動家がいくら「再教育」しようとしても改まることはない。果してこの毎年の大衆の再生産の渦とでもいうものは「悪」「間違い」なのだろうか。