はてなキーワード: 洋服とは
小学2年生のころに両親が離婚して、母と妹と3人で暮らすようになった。
とはいえ父親とは隔週くらいで会っていて、メダルゲームで遊んだりイトーヨーカドーでお洋服を買ってもらったりしていた。
わたしはパパっ子で「会ったら離れないといけないから会いたくない、でも会いたい」というメンヘラ女みたいに(実際そうだけど)会う前も会っている間も会った後も泣いて過ごしていた。特に帰り道の車の中では大号泣していた。
大人になった今でもわたしはわたしを傷つける男のことばかり好きになってしまう。
離婚する前、父親はかなり暴力的だったらしいけれど、わたしはなにも覚えていなくて、やさしい父親というイメージしかない。
職場で出会ったらしいけど無職になり、そのくせにえらそうなひとだった。わたしと妹に暴力をふるったりした。今思うと完全にダメ男なんだけど、母とそのひとが一度ケンカ別れのようなことをしたとき、わたしは「人と人との別れはとても辛く悲しく起こってはならないこと」だと思っていたので仲を取り持ってしまったことがある。その節は大変申し訳なかった。
母は毎日仕事帰りにパチンコにいっていて、わたしたち姉妹は、救急車の音が聞こえるたびに母を心配してそわそわし、夜の11時になるころふたりで母を迎えにいき、景品のブタメンを夜ごはんにして大人になった。
母が酔って帰ってきて、いきなり暴露話をはじめたことがある。父親とは16歳で上京したときに勤めたキャバクラで出会ったこと。父親は再婚だったこと。わたし達にはすこし年上の腹違いの兄がいること。そのひとの誕生日がわたしと同じだということ。わたしは予定よりかなり遅く、わざわざその日を選んで産まれてきたのだった。
これまで黙ってきて、どうしてそんな話をしたんですか。あなたが結婚したのはとても若いときで、わたしと近い精神構造なのであれば、それはそれは嫉妬で苦しんだことでしょうね。毎年、わたしが誕生日を迎えるたび、かなしい思いをさせていたのでしょうか。
母は10年前くらいに転職をすると言って仕事を辞めてからずっと働いていない。今は生活保護をうけて暮らしているはずだ。何年ものあいだ申請をしてくれず、わたしと妹で生活費をまかない、家賃が払えず都から訴えられていて、弁護士費用を負担したりした。
生活保護をうけるのが遅れたのは、働くつもりというか、働かなければならないという意識もあったのだろう。だけど一番はわたしも血を受け継いでいる「わたしにはできっこない」という気持ちが一番の要因だったのだろうと思う。わかるぜ
わたしたちだって、中卒でかろうじて就職したメンヘラ女と、的屋とキャバクラしか職歴のないあるあるシングルマザーだったのでとてもしんどかった。
ずっと、母を見捨てるわけにいかないと思って生きてきた。わたしはダメな人間であり続けなければならないと。母より幸せになってはいけないと。母を助けなければいけないと思って生きてきた。精神科に連れて行ったり、お散歩からはじめてはどうかしらときれいな写真を送ったり、週に一度実家に帰り妹と甥を呼んで料理を振る舞ったり、負担にならない程度に社会復帰に向かってもらえたらいいなと思っていた。
もう20年以上住んでいる団地はお風呂が壊れているらしく、母はほとんどお風呂に入らず、ときどき台所で髪を洗い、用事があるときは地元に残っている妹の家にシャワーを浴びに行っているとのことだった。なにかをしようとしたときに気軽に準備ができないことは、すべての可能性を奪うだろうと思ったので、お風呂の修理代をだすことに決めた。
いつもうまい話のサイトや動画をベッドの上でみているだけの母の社会へのアクセスになればと思い、「施工業者を選べるか」と尋ねるとできるということだったので、決まったら教えてと伝えて待っていた。連絡がこないので、「いいところあった?」と連絡してみたら、「ちょっと悩んでるんだよね」とのことだったので、「じゃあ一緒にみて決めようか」と伝え、今年の1月、ひかえめな花束を持って実家に帰った。
出してきたのは、ポストにたまたま入っていた一枚のチラシだけだった。
ああ、この人は、よくなる気がないんだと、そのとき初めて理解して、もう、そのあとの記憶はなく、なんとか家に帰り、縁を切ることを決めた。
妹に関しても、育児に向きあえているとは到底言えず、きっと精神が不安定な人間がまたひとり育っていくのだろうと思う。遊びたい時に母に甥を預けたりしているみたいなので、持ちつ持たれつやっていってくれと思っている。
家族を心配し続けて自分の人生がままならない苦しみと、ある日いきなり死んだ連絡を受ける苦しみ、まだ後者のほうが生産性があるのではないだろうかと思っている。
みんな、人には言えない複雑なストーリーを抱えて生きている。
あなたの隣にいる、幸せそうなあの子にだって別の顔があるかも!?
File1:東京が生んだモンスター
―2年前ー
ザ・リッツ・カールトン東京の45階にある『ザ・ロビーラウンジ』。
死ぬ気で仕事を頑張り続け、気づけば39歳。経営者として成功した今の僕は、ラグジュアリーなこの空間が似合う男と言えるだろう。
だが、僕の目の前にいる女性は、洗練されたこの場所には不釣り合いで、彼女の存在だけが浮いて見える。
「ここのアフタヌーンティー来たかったんです。でも、1万円もするからなかなか来れなくて…。インスタに載せたいから写真撮ってくれますか?」
キラキラした目をして手渡されたスマホの画面は、派手にひび割れていた。
カメラに向かって微笑むその女性は、小皺が寄ったブラウスにミニスカートを合わせ、膝の上に合皮のバッグをちょこんと乗せている。
「家賃3万円の東陽町にある社宅に住んでます。配属は、虎ノ門支店なので、本当はもっと都心に住みたいんですけどね…」
たった1万円のアフタヌーンティーに目を輝かせ、屈託のない笑顔を見せてくれた優里香(23)を愛おしく感じた。
一体なぜ!?39歳男が、純粋なOLを地獄に突き落とす…男の闇深い本音とは
地獄へのカウントダウン
「僕、優里香ちゃんのこと、すごく気に入っちゃったから、特別に3万円あげるよ」
「え?お茶だけで、3万円もくれるんですか?そんな…いいんですか?小日向さん優しすぎます…」
メガバンクに勤めていて手取り16万円程度の彼女は、戸惑いつつも目を輝かせた。
「いいよいいよ。優里香ちゃんは、それだけ価値のある女性なんだから。自分を安く見積もっちゃだめだよ。これで表参道のサロン行って髪のトリートメントでもしてきなよ。もっと、自分にお金をかけなさい」
「そうだ、東陽町からはるばる六本木まで来てくれたことだし、せっかくだからミッドタウンでお買い物もしよう」
ワンピースはストラスブルゴで、靴はマノロ ブラニクで、鞄はヴァレクストラ……。
「わぁ、こんなにいいんですか?なんだかシンデレラになった気分!会社の同僚は、お洒落な子ばかりだから…これでやっとお食事会に誘ってもらえるかも…!」
僕は、キラキラと目を輝かせて心の底から感謝してくれた彼女のこの日の笑顔を、一生忘れることはないだろう。
「いいかい優里香ちゃん、縫製の粗い服、合皮のバッグ、ビニールの靴なんかを買うのは金輪際やめなさい。安い女に見えるよ。僕がサポートしてあげるから質の良いものを身につけなさい」
「手取り16万円じゃ東京で暮らしていけないでしょう。月30万円はどうかな?
でも、それを貯金するような貧乏くさい真似はしちゃだめだよ。洋服や化粧品や友達との遊びで使い切って、若い時間を楽しんでね」
それにもかかわらず、この程度の小娘に、お茶だけで3万円を渡し、会ったその日に50万円相当のプレゼントをし、新宿にある家賃30万円のマンションと月30万円の生活費をあげる男は、この世に僕しかいないだろう。
もちろん、下心なしに、女に金品を与える男はいない。
大抵の男は、若い女の体が目当てだが、僕にはもっと“壮大な目的”があるのだ。
『東麻布 天本』、『長谷川 稔』、『薫 HIROO』、『三谷』、『カンテサンス』…
会うたびに、客単価5万円ほどの一流店に連れて行き、彼女の舌は順調に肥えていった。
お世辞にも美人とは言えない彼女をおだて続け、分不相応な要求にも笑顔で応え続けた。
東京に染まりきっていない純朴な女は、真っ白なキャンバスのようなもの。彼女の思考や価値観を変えることは、赤子の手を捻るほどたやすかった。
彼女のプライドと欲望はみるみるうちに膨れ上がり、たった1年で傲慢なモンスターへと成長した。
『この間同僚に誘われたんですけど、場所が居酒屋だったんで速攻断りました。居酒屋とかありえないですよね〜。同世代の男とは、価値観が合わないわ』
『ヒールが擦り切れてる女性って下品。ピンヒールでコンクリートの上なんて歩くもんじゃないですよね。タクシー乗ればいいのに』
『パスタランチが全然美味しいと思えなくて…友達とのランチは、ダイエット中って嘘ついて最近パスしてます。あ、今度『エクアトゥール』いきた〜い!予約できます?』
『若い時間って有限なのに、手取り16万って割に合わないですよね?だって私の1ヶ月って16万以上の価値ありますもん』
『金融機関に勤めているから、高価なブランド品を持ってると怪しまれて色々詮索されるんです。妬みですかね?小日向さんのサポートがあるから、もう会社辞めようかな』
『お食事会で出会ったお友達がローズサクラのバーキン持ってて、すごく可愛かったの。お誕生日プレゼントに欲しいなぁ♡』
遂に、闇深き39歳男が、純粋だったOLを地獄に突き落とす…
フィナーレ
「優里香ちゃん、24歳のお誕生日おめでとう。バーキンが似合う女性になってね」
しかし、彼女はもう、“ありがとう”さえ言わない女に成長していた。
機は熟した――。
「優里香ちゃんごめん……。実は会社の資金繰りが苦しくなって、もう君のサポートはできなくなったんだ。マンションも既に解約したから、今月末には出ていってもらうことになる」
「え、ちょっと待って…いきなりすぎる。手切れ金として、引越し費用くらいはちょうだいよ」
彼女の顔が、一瞬にして青冷める。この時の哀れで惨めな女の顔は、一生忘れることはないだろう。
「ごめん…本当に苦しくて。一銭も余裕がないんだ。君への最後のプレゼントはバーキンだよ。でも君みたいな“素敵な”女性なら、サポートしてくれる男性はすぐに見つかるよ!」
「小日向さんみたいな男性は、他にいないよ…。小日向さんがいないと私、生きていけない…」
ラ・トゥール新宿の26階から見える煌びやかな東京の夜景を背景にして、涙ながらに僕にすがりつく彼女の姿は非常に趣深かった。
「なにそれ、どういう意味…?ねぇ、小日向さん…待って、行かないで…」
◆
あれから数ヶ月が経ったが、彼女からは毎週のように連絡が入る。
『小日向さん、お元気ですか?久しぶりに会いたいです』
『私どうやって生きていけば良いの?小日向さんに見捨てられたら、私死ぬしかないよ』
Bang & Olufsenのスピーカーでモーツァルトのレクイエムを流し、彼女の変わりゆく表情を思い出しながら飲む酒は、格別な味がした。
彼女はもう二度と、家賃3万円の社宅に戻ることはできないだろう――。
彼女はもう二度と、手取り16万円の仕事だけで生きていくこともできないだろう――。
消費性向は、絶対所得水準だけでなく、過去の最高所得に依存するという説もある。
人間という生き物は、生活習慣を急に変えたり、生活水準を簡単に下げたりすることができないのだ。
僕が与えたブランド品を売ったって、靴や洋服のリセールバリューは恐ろしく低いので、端金にしかならない。
唯一換金性があるのはバーキンだが、せっかく手に入れた富の証をあっさり手放すとは思えない。
美人でもない彼女が、僕が与えたような生活を維持するためには、マトモな仕事だけでは難しいだろう。
とにかく、身も心もすり減らして堕ちていく未来が待っているはずだ。
大金を稼ぐ辛さ…
社会の厳しさ…
東京を生き抜く大変さ…
それらを身を持って知って欲しいと思う。
そして、彼女はもう二度と、同世代の男と純粋な恋を楽しむことはできないだろう――。
同世代の男が必死に仕事をして買ったプレゼントにも、頑張って連れて行ってくれたレストランにも、ワンルームマンションのシングルベッドでの行為にも…、喜ぶことも満足することもできない。
価値観が合わないと言って切り捨てた同世代の男たちの年収は、あと数年もすれば、右肩上がりに増えていくというのに……。
彼らの価値に気づく頃には、マトモな男たちは、マトモな女とゴールインしている。
分不相応なブランド品を身にまとい、分不相応な高級レストランに通い慣れている女を、マトモな男は選ばない。
僕以外の金持ちを漁ったとしても、ここまで傲慢なモンスターに仕上がってしまった彼女を選ぶ男はどこにもいない。
僕が、手に入れることができなかった同世代同士の健全な恋愛を…、幸せな結婚を…、女から奪ってやりたかった。
学生時代から付き合って結婚を考えていたのに、価値観が合わなくなったと言って、年上の金持ちに乗り換えた初恋の女…。
純粋だったのに、東京に染まって変わってしまった同郷の女たち…。
お金がないからと、学生時代の僕に見向きもしなかった同世代の女たち…。
すべての女が憎くて堪らない。
僕はずっと苦しんできたのに、努力して金を手に入れたのに、女はいつだって虫が良すぎる。
https://tokyo-calendar.jp/article/21326?ref=new
2021/06/10 05:05
オシャレな人として友達には通っている。
洋服はちょっとルーズなメンズライクやゆるコーデが多い。メイクはそんなにガッツリ盛らないけどスッピンには見えないようにしっかりやる。
流行に敏感で、会うたび毎回雰囲気が違う。流石に毎日の学校ほど会うなら無理だけれど、月イチくらいしか会わない人なら今まで会ったときの感じとは被らないようにして行く。
いっぱい服を持ってるねと言われたが、実は上着のボタンを閉めただけだったり、シャツインで雰囲気を変えていたり。特に靴なんかカッチリ系とゆったり系とあとサンダルとかの数足しか持っていない。ネタばらしすると結構驚かれる。
そして言われる。オシャレ上手だねって。
正直なところ、オシャレには全く興味がない。
そもそも壊滅的にセンスがない。自分で洋服を選べない。コスメなんて多すぎてどれも同じに見える。
ただ、ある程度オシャレでいないと困るのが現状だった。
大学にドラクエのスライムのTシャツを着ていってイジられたり、心底かっこいいデザインだと思って買った服がそのへん通りかかったオッサンとお揃いでめっちゃ笑われたことがある。イジられた、笑われたで済んだけど、これを繰り返すとヤバいという自覚があった。
大学は一人で突破するにはあまりにも厳しい。友達を作らなきゃいけなくて、そのできたばかりのまだ関係の薄い友人関係で「あいつダサい」というのはグループから外されるには十分な理由だった。(結局そのグループとは自然消滅した)。一般的なレベルにいなきゃいけないのが、私には難しかった。
じゃあどうやってオシャレ上手に見えるようにしたかというと、実は流行を知ってエセオシャレになっただけだった。
インスタで#学生コーデとかで検索をかけると本当にオシャレな人たちが一杯写真を上げている。それをパクってGUとかZARAとかH&Mで服を買う。なーんにも考えずに丸パクリする。似てる服は使いまわしで他のコーデに使う。繰り返すとその時期の流行がなんとなくわかる。なんか淡い色を使ってるの多いな。小花柄ばかり見るな。またシアーシャツのコーデ集だ。そんな感じ。
だいたいその時期の流行は1つじゃないから、系統ごとに適当にコーデを作っちゃって、順番にそれを着ていくだけ。
メイクなんかもっと適当で。いわゆるステマのランキングを見て適当に買う。どうせこだわりなんてないんだから何だっていいし、幸い荒れやすい肌でもないから合わないということはなかなか無かった。ステマで有名にはなってるから「〇〇ってよく見るよね〜使ってる〜」って話題に出すだけでも知ってるふうになれた。
薄っぺらい知識だけど、周りに洋服オタクやコスメオタクはいないから成り立ってる。
一見凄く面倒くさそうに見えるかもしれない。けどだいたいインスタで数回検索かければ勝手にカスタマイズされた状態になる。負担は少ない。
オシャレに興味はないけど、立場上ある程度オシャレでいなくてはいけないセンス皆無の学生さん。そんな私と同じような方がいたら参考にしてほしい。
前略
―実は人間は、この世界に自分が存在しているという事に関して、責任がない。自分の存在を自分で選んではいないからです、だから当然、自分が生まれたがゆえに、自分がこの世界に存在しているがゆえにやってしまった事、やらざるを得なかった事に関して責任がないわけです。一番もともとのところの責任がないわけですから、それに因果的に規定された残りの部分に対しても責任がなくなります。子供はもともと自分が好きで生まれてきたわけではないので、この世界に耐えられなくて嫌になって文句を言っても、その事に関して子供を叱る事はできない。人間はこの世界の中に生まれてくる。しかも、多くの点に関して、何者かとして生まれてくる。つまり多くの性質を与えられて生まれてくる。例えば男か女かどちらかの性であるものとして生まれてくる。人種的な特徴を持ったものとして生まれてくる。あるいはある特定の共同体の中に、例えば日本人の共同体の中に生まれてくる。そのほかいろいろな性質を持って生まれてくる。そういう事すべてに人は責任がない。そうであるとすれば、人間はそもそも責任がない。それがイノセントであるという事です。
子供から大人への移行
┗ここで問題になるのはこういう事です。責任がないという事は自分が選んでないという事です。逆に人間が自由な主体になるという事は、自分が選択していると言える事ですから、今度はイノセントではありえない、つまり責任があるわけです。自由と責任は表裏一体です。これは学校の先生なんかは好きな言葉ですね。イノセントであるという事は、自由な主体にまだなっていない段階です。自分のやった事に関して自分に責任があるとは言えないという事です。そうすると、人間が成長するという事は、イノセントな状態を何らかのやり方で克服・消去する事です。これが『イノセンスの壊れる時』という芹沢さんの言葉の意味です。つまり、本来はイノセンスなんです。これを書き換えなければいけない。責任がありませんよ、というところを消して、自分に責任があるんだと書き換える。そういう事をするのが大人になる事なんだというのが芹沢さんの言っている事です。イノセンスのこの書き換えをどうやって人間はやるのか、この書き換えのメカニズムを考えてみよう――それが芹沢さんの短い文章の基本的な趣旨です。
ここですごく重要な事を言っています。常識的に考えると、次のようになる。子供は自分がイノセントだという事を主張します。「ぽく、悪くないもん」という事を行動や態度によって表明するわけです。そういう事を言ったときに、凡庸な親だと「いや、お前が悪い」という事を一生懸命教えようとする。しつけをするというのはそういう事だと思われているわけです。そういう事をすると、はじめは自分は悪くないよと言っていた子供が、やっぱり自分が悪いんだと思うようになる――というのが普通の親の考えている事ですが、芹沢さんが言っている事は全く逆です。子供が何らかの意味で「俺は悪くないよ」という表現をしてきたとき、そういう意思表示と解しうる行為をとった時に、逆に「そうだ、おまえには責任がないんだ」という事を認めてやれというわけです。子供がイノセントだという事を自己表出したときに、まさにイノセントだという事を承認してやりなさい、と。そうすると、不思議な事に、まさに承認した内容とは逆の結果が出る。つまり、子供のイノセンスを認めてやると、逆にこれが否定されて、子供は自分自身に責任がある、自分の存在に対して自身に責任があるという自覚に到達するというわけです。責任を自覚するという事は、自分の存在や自分に与えられた性質・運命を自ら引き受けてやろうと考えるようになる、という事です。例えば子供が「生んでくれと頼んだ覚えはない」という意味の主張をしたときに、その事を全部肯定し、認めてやる事で、かえって人は責任ある主体に変わっていく。そういう事を芹沢さんは言っているわけです。
人間が自由な主体になるという事
┗客観的に見れば、子供がイノセントであるというのは正しい主張です。だから、自由な主体になるという事は、先ほど言ったように、あえて、正しくない虚偽を(真として)認識しているかのように振る舞うという事なんです。本来人間はイノセントです。でも、このままだったら人間は自由な主体ではない。自由な主体になるというのは、本来こちらが正しいにも関わらず、本来イノセントであるにも関わらず、まるで自分がイノセントでないかのように振る舞うという事です。だから、大人になるという事は、真理に目覚めるという事ではない。逆です。真理は、むしろイノセンスの方にある。その本来の真理を隠蔽する事が、ここでいう書き換えです。この真理の隠蔽、この欺瞞は、有効で意味のある隠蔽であり、欺轍です。具体的に言えば、皆さんは今こうやって生きていて、いろんな性質を持っている。その99.9%に関してあなた方は責任がないんです、本当は。例えば自分は足が遅い。考えてみると、これは親のDNAのせいなんだ。俺の足が遅いのは自分のせいではない。けれども、人間が自由な主体になるという事は、客観的に見れば自分のせいじゃないけれど、まるでその事に関して自分が責任があるかのように自覚して、生きるという事です。簡単に言えば、足が遅い俺も、それもよし、足が遅い俺の運命を自分で引き受けよう、そういう人生を自分のものとして生さていこうという気分になる。まるで足が遅い人生を自分で選んで、自分で引き受けてやってるような、そういう自覚に達したときに、人間は自由な主体になるわけです。
だから、本当の事を教わる事で本当の事を悟って人間は自由な主体になるのではなくて、むしろ、本当でない事を生きるようになるのが自由な主体になるという事なんだ、という事がまず頭になければいけません。
芹沢さんが圭張しているのは全くパラドキシカルな方法で、子供がイノセンスを表出してきたときに、そのイノセンスを全面的に肯定してやる。すると不思議な事に逆に子供のイノセンスが解体し、子供が自分自身の運命を自分で引き受けようという気分になっていって、それがあって自由な責任を担う主体になっていくんだという事です。なぜ。こういう逆転が生じるのか。なぜイノセンスを認めてやれば、その事によって子供はかえって自由な主体になる事ができるんだろうか。その事が、そもそも自由っていかにして可能になるかという問題につながってくるのです。
親はどのように子供のイノセンスを認めたらいいのか
┗もう少し芹沢さんの言っている事に耳を傾けましょう。いくつか面白い事例を出しています。イノセンスを認めてやるのは普通は大人、特に親です。ですから、親がどうやってイノセンスを認めてやって、その事で子供が自由な主体で責任のある主体に変わっていったのかという事を見るのがいいのですが、そのときに芹沢さんはわざとこういう例を使います。普通の親子関係だとかえっで見えにくいので、養子縁組の場面で考えてみようというわけです。なぜ見えにくいかというと、普通の親子関係というのは血縁関係がありますから、はじめから親も子供も自分たちが親子関係であるという事を当たり前の事であると考えてしまいます。お互いに自分の運命を自然の事だと考える事で、親が子供のイノセントな存在を肯定してやるという劇的な場面は半分終わってしまう。だけど、血縁関係のない親子関係では、親子関係をこれから作らなければいけない。だから、親が子供の存在を自分のものとして認める、あるいは子供が親を親として認める、そういう事を実際に意識的にやらなければならない。そこでわざと養子縁組の例で考えてみようというのが彼が提起する例です。
養子縁組というのは、何らかの理由によって両親がいない孤児がいて、そしてその孤児を自ら引き受けて育てていきたいという親がいるときに成立します。養父母は、孤児を集めている施設のようなところからひとり連れてきて、自分の子として育てるわけです。そのときにポイントになるのは「真実告知」という場面です。つまり、実はあなたは孤児だったんだ、それを養子として迎えて子供になった、そういう事実を告げ知らせなければいけない瞬間がやがて来るわけです。この「真実告知」の瞬間というものに、芹沢さんは注目しています。子供を養子として引き受けようとする人たちのために、どうやったら「真実告知」は成功するかというパンフレットがあるそうです。僕は現物を見た事はありませんが、芹沢さんの本に引用されていて、家庭擁護促進協会大阪事務所というところから出ている「真実告知例解集」という本です。それによると「真実告知」には三つのステップがあるという事が書いてあるそうです。一番目は『私たちは、血のつながりはないけれども、親子なのだ』という事をまず事実として言わなければいけない。ここで重要なのは、いかにも否定的な言い方をしてはいけないという事です。「実は私たちは本当の親ではないんだよ……」という否定的な言い方ではなくて、むしろ「親子なんだ」ということを言うところにポイントがある。二番目として「私たちは、あなたを選んだんだ」「あなたが気に入ったから選んだ」という事を言うわけですが、このときに気に入った理由を言ってはいけない。一番かわいかったから選んだとか、一番利発そうだったから選んだとか、ー番元気だったから選んだとか、そういう条件・選択において気に入った理由を言ってはいけない。そして三番目は「いま私たちは完全に満足している」という事を言う。この3つのステップを追う事によって「真実告知」のセレモニーが完結し、うまくいんだと。
子供の存在を100%肯定する
┗このパンフレットの解説が教えている事は、真実告知は、親が子供の存在を、子供がここにいるという事を100%トータルに肯定する、100%承認している、その事を示す事がポイントだという事です。子供にとっては、自分の存在は与えられたものです。自分がこういうものとして存在する、自分はこういう髪の毛を持って、こういう顔をしている、こういう性格を持っている、こういう性的な趣味を持っている、そういう事も含めてすべてが与えられたものです。ひとつも自分のせいではない。その事がこの真実告知の三つのステップの中で目指されている事です。
否定的な言い方をしてはいけないというのは「本当の親子ではないんだけど…」みたいな事を言うと、まるで血縁の親子のほうが本当はよくて、今の関係はそこから見ると少し格下だという事を言った事になってしまう。そういう事を言うと、子供がいま置かれている存在を肯定された事にはならなくなってしまう。
特に興味深いのは、第二段階です。選んだ理由を言ってはいけないというところがすごく面白いと思います。親が選択したのだけれども、その選択は理由がないという事は、それが、空虚な選択、実質のない選択だという事になります。例えば皆さんが洋服を選ぶときに、いろいろ理由があって選びます。一番安かったとか、一番デザインがよかったとか、そういうときには選択に実質があるように見えます。選択するという事は、他でもありえたという留保が付いているという事です。理由がついているという事は、どういう場合に、他でありえたか、という事が明示的になるので、選択に実質があるように見えるわけです。それに対して、何の理由もなしに選んだと。「なぜその服を着てる?」「いや理由はない、とにかく選んだ」というのは、選択はしているかもしれないけれども、実質のない空虚なものに見えてくるわけです。しかし、ここでは、単に選んだから選んだ、気に入ったから選んだとしか言いようがない空虚な選択であった、という事を子供に言わなくてはならない、と述べているわけです。もし逆に条件づきで選んだとしたらどういう事になるか、と考えてみましょう。例えば「あなたが一番賢そうに見えたから選んだのよ」と言うと、これはもちろんポジティブな言い方です。ポジティブな言い方だけれども、実は子供の存在を全面的にポジティブに承認した事にはならないんです。賢かったから選ばれたという事は、もし十分に賢くなければ選ばれなかったかもしれないという事を意味している。だから、条件づきで選ぶという事は、子供の存在を100%肯定した事にはならなくて、部分的にしか肯定した事にならない。あなたが一番よい子だから選んだという事は、よい子でなかったら自分は選ばれなかったかもしれないという事を意味するわけです。賢かったり、よい子であるその限りでの自分が親に肯定されているだけだからです。今度は子供の視点から物を考えてみたらどうなるか。親に言わせれば、選んだから選んだという言い方しかないわけです。子供の立場からすると、この選ばれ方とは、その親の選択に自分が全然関係していないという事を意味しています。もしある養子が賢いから選ばれたとします。そうすると、親が最終的には選んだかもしれないけれども、自分が賢かったという性質が親の選択を方向づけた事になります。自分が賢くなるように努力したとか、あるいはそんなふうに頑張っていたわけではないにしても、自分がそういう性質を持っていたという事が原因になって、親が選択した。親が理由ありの選択をするという事は、子供の側から見れば、その選択に自分が少しは参加している、関係している、という事です。よい子だから選んだという事は、自分がよい子であろうとしてきた、あるいは現によい子であった、その理由によって選んでいるわけだから、子供のほうもその選択に少しは参加しているという事になります。逆に、理由なしの選択の場合はそうはいきません。ここでは子供のほうには何の原因もない。親のほうが全面的に選んでいる。だからこの場合は、子供は彼が選ばれる行為に、全然参加していないという事になるわけです。そうすると、一見したところでは、理由なしの選択であった場合よりも、理由ありで選択した場合の方が、良いような印象をもってしまいます。つまり、子供を自由な主体にする、選択の主体、責任ある主体にしていくという事が目標であれば、親が理由ありの選択をしたほうが有利なような印象を与えます。なぜかといえば、例えば「あなたが賢いから選んだんだよ」と言えば、それは、賢くあろうとする子供の能動的な努力を誘発する事になるからです。でも、そもそも理由なしに選ばれたら、子供としては親に気こ入られるために頑張りようがない。つまり、このときに、子供の能動性を引き出せないようにみえる。ですから、ちょっとあさはかに考えると、理由ありの選択をしたほうが、子供というのは自分自身で頑張り、自分で何かをやろうとし、責任のある主体になりやすい――そう考えたくなる。しかし、実際には逆であって、理由なしの選択のほうが成功すると、パンフレットは言っているし、また芹沢氏も言っている。
このあたり
んで自由からのリバタリアニズムに繋がって、(話題としては)でマイケル・サンデルとかに繋がってくんだけど、そこは各々、自分がしっくりくる主義をみつけて、違う主義をもつひとと折り合いをつけながらやっていきましょーねが資本主義だと思ってるけど。
とりあえず自分の主義を探ってみるところからはじめては?自分の考えを言語化できるようになると、仲間もみつけやすいし、仲間と話せば、あなたなりの答えがみつかるかもしれん。
恥をかかないように、失敗しないようにと習い事などをどんどんさせ、私立中学、有名高校、大学へのレールを引きたがる。その結果、子供は「失敗を恐れ安定を選びやすい」傾向になる。また塾などを詰め込むため、同年代の子供との交流時間が減り、コミュニケーション能力の減衰を招きがち。
高校卒業するまで自分で服を選んだことがない、ということもザラ。いざモテを意識しないといけない時期になっても「自分で服を選ぶ」ということができない。また「失敗を恐れ安定を選びやすい」傾向から、黒シャツにジーンズ、といった服装に帰結しがち。
・問題に口出しがち
金銭的、人間関係的、その他さまざまな問題に口を出して子供の「問題を解決する能力」「問題にあらがう能力」を減衰させがち。その結果、受験失敗、就職失敗などいざ失敗した際にそれに対抗する能力が不足し、より親に依存しがちになる。
弱者男性は過保護親に「選択する能力」「失敗する権利」「失敗を挽回する能力」を奪われた結果、付き合う相手も自分の意思で選べず、失敗を恐れて気になった相手にアプローチもできず、仮にアプローチできても一度や二度の失敗で逃げ出してしまうような人間に育ってしまう。
そういう意味では弱者男性は被害者ともいえるが、彼らは最終的にはその原因を親に押し付けて自分の責任からも逃れようとしてしまう。もう、終わりである。
FP系のネット記事で各世帯の生活費をまとめたような記事を見たんだけど
結構な割合で毎月1~3万くらい『洋服代』という名目に費やしてるらしいと知った。
手取り20万行かないような1人世帯でも少なくとも1万くらいは費やしてるみたいだ。
いやこの『洋服代』って一体なんなんだ?
自分の押入れ見てみるとテーラードジャケット+スラックスセットが3着、パーカー3着、Yシャツ7着、柄T無地Tで10着くらい?
でジーンズとかチノパンとか下着とか寝間着が少々あって、靴はスニーカー2足に合皮靴2足。あと冬用ジャケットが2着。みたいな感じだった。
正直無印やらユニクロでこれ全部そろえたってそんな大した値段にはならんと思う。
もしかして皆こんなもんだと思ってたが全然違うのか?服が少ないなんて思ってなかったがこれは極端に少なかったりするのか?
流行ファッションとかには無頓着な自覚はあるけど、これで自分が特別ダサい人間とも思わない。
服って、生活必需品ではあるけどそんな毎月ダメになるようなもんじゃなくない?成長期の子供とかならまだしも。
自分が最後に買ったのは一昨年の夏にくたれてきた無地TとYシャツを3着ずつくらい買い替えたくらいな気がする。たしか特売中で2000円くらいだったと思う。
新卒2年目に学生の頃に買った服がなんか全部ダサく感じてきて全部買い換えたことはあるけど、毎月毎月コンスタントに買い換える、ってもんじゃないよなぁ。
俺が意識してないだけで毎月みんなフォルムチェンジしてたの?っていうかそんなに毎月費やしたら単純に押し入れがいっぱいにならない?
ハイブランド品を魅力に感じる価値観だったりファッション雑誌買って流行を欠かさず追うような人は自分が思ってたより多くて、
これはインフラ代というよりは『ファッション』っていう趣味の世界があって、その住民の趣味代みたいに捉えたほうがいいのかなぁ。
最近出会ってしまった未成年の推しはまだデビューしていない一般人なんだけど、本当に大好きで生活が一変した。
顔も声もスタイルも全部大好きで好きじゃないところがなくて、逆に何をやったら嫌いになるのかわからないくらいに大好き。
夢を追ってる姿もステージでの姿も大好きで好きじゃ足りないくらいに大好きで生活に入り込んできている。
でも好きすぎて最近嫌いになってきた。
病気や障害、差別や貧困なんて知らない見えない世界で生まれ育ったのではないかと思う姿が好きだけど大嫌い。
迷いなくオーディション番組に参加できるところも周りからの落とし込みがないところも、周りの人に恵まれているところも大好きだけどすごく嫌い。
アイドルなんて応援するのは、何かしら問題を抱えている人が8割だけどみんなこのアイドルのまぶしさにどうやって耐えているんだろう?
自分が少ない給料をはたいているのにアイドルはたっかい洋服身に着けてるの見て我に帰らない人ばっかりじゃないはずなのに。
ルッキズムという言葉さえ知らなさそうだし、無邪気に差別はよくないよねを語りそうなキラキラオーラが大好きで嫌い。
身長が高くてお金に余裕があって、周りの理解もある人が道楽でアイドルやってる姿見たくない。でも見たい。
推しの大好きなところを形作ったところを突き詰めていくと嫌いになってしまう。
これ以上好きになりたくないけど嫌いにはなりたくないし、結局被差別側に生まれた運がない負け犬の遠吠えはしたくない。
現実逃避してる間に推しは今日もきれいな家できれいなご飯を食べてきれいなお風呂に入って綺麗なペットと散歩に行くんだ。
底辺のおかげで成り立っている商売なのになぜ裕福さを隠してくれないんだろう。
自分が恵まれていることに気づいていないであろう姿に腹が立つ。
何言ってんのって感じだけど大好きだから大嫌いになる。
キラキラしてる姿は好きだけどキラキラを形成した過程をにおわせないでほしい。
ネットでめちゃくちゃ叩かれてみてほしい。
貧乏ぐらししてみてほしい。
目の前の客に嫌な顔されてみてほしい。
差別されてみてほしい。
なんでこんなに好きなのに嫌いになってしまうんだろうか。
現実逃避させてほしいのになぜお金という現実を見せてくるんだろう。
恵まれている人は何もかも持ってるけど逆な人は何も持ってない。
顔がぐちゃぐちゃになっても面倒を見てくれる愛してくれる人が周りにいるのがむかつく
結局全部ひがみでしかないけど。
なんでそんなに無邪気でいられるんだろう。
顔も声もスタイルも大好きなのに、それを形作った先祖からの勝ち組遺伝子に無自覚でいるところが大嫌い。
一挙手一投足にキャーキャー言われて、けがでもしたら大騒ぎされる。
なんでそんなに無自覚なの?
ちょっとは育ちが悪い所見せてよ。
病気になってよ。
実家暮らしで去年からテレワークをしている。ずっと座りっぱなしだからか腰に違和感があり、去年から整体に通い始めた。
先日、整体に出かけて、出かけたついでに母の日のプレゼントやら洋服やら必要なものを買ってから帰った。すると帰宅するなり父親が開口一番怒鳴りつけてきた。
正直に「整体と買い物。母の日のプレゼントも買った」と伝えたら、「どっちも行かなくても死なないんだから、行くのを控えろ。食料なら近所のスーパーで買えばいい。余計な外出でコロナをうつしたらどうするんだ。今は医療が受けづらい。俺のような高齢者の死亡率を知っているか。まだ死にたくないんだ」と捲し立てられた。
父曰く、整体なんてものは普段から運動とストレッチを欠かさず行えば行かずに済むものらしく、母の日のプレゼントも「余計なもの」らしく、洋服も「買わなくても死なないもの」らしい。
実家暮らしである以上、家族を慮って外出を控えることは当然であり、半日にも満たない外出であっても非常識らしい。
家族のことを考えろという点についてはわからないでもないが、我が家は夫婦間の冷戦がずっと続いており、家族で食卓を囲むことはまずあり得ない。使う食材や調味料も母・私と父とで分かれているほどの徹底っぷりだ。冷蔵庫のスペースだって明確に区切られている。
父と会話することも年に2,3回あればいい方で、「一つ屋根の下にいる他人」という認識の方がしっくりくる。それが、このコロナ禍、何回目かの緊急事態宣言中に急に父親ヅラをし出したのがおかしかった。
何より、「自分が死にたくない」という気持ちが一番で、「コロナにかかったら若者だって重症化するかもしれない」とか、娘である私に対する言葉が一切なかったことに違和感があった。
70歳オーバーの父は誰がどう見ても高齢者であることに変わりはない。感染時のリスクが高い、確かにそうだろう。だが我が市ではもうすぐワクチンの接種が始まる。高齢者から優先的に。
父の言い分では、俺がワクチンを受けたらお前は好きにしろ、ということなのだろうか。
私が実家に留まっているのは、以前母が倒れたことがあったからだ。今は回復している。その時父親は母に対して何もしなかった。「家族」なのに。
せめて母の面倒だけでも、と思っていたが、父親が怒鳴る顔を見てなんだかどうでも良くなった。父との喧嘩はもう数え切れないくらい起きているが、今回「早く出て行け」とまで言われたから、留まる理由が薄らいできた。
コロナ禍の中、引っ越しのためにあちこちの内見をするのもそれこそ感染が怖いから嫌だったのだが、もう家を出ようと思う。今後介護のために戻れと言われても無視をしよう。勝手に死んでくれ。お金なら出すから介護サービスを受けて欲しい。
それと母は離婚を希望してるんだから、早く印鑑を押して欲しい。怒鳴り散らして自分のことしか考えていないあなたのことなんて、誰も愛していない。
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
そこでしかほぼ買わないからクローゼットの中はそのブランドの服しかないし、今まで使った金額はたぶん50万くらい行ってると思う。
一着で1万以上するし、そんなにお金ある方じゃないから給料をほぼぶっこんでる状態だったけど、すごく幸せで毎週のように新作を追いかけてた。店員のSNSもフォローして毎日見てコーデの参考にもしてた。
でも今年でブランド終了するらしい。知ったときはびっくりしたしとてもショックだったけど最後まで推しまくろうと思ってた
最後だからいろいろな企画アイテムが発表されて、どれも可愛いし欲しいんだけど。
いやもうブランド終了だし再生産できないとか色々事情はあるんだろうけどさ、コロナでお店閉まってるからオンラインストアでしか買えないのに開始1秒で売り切れるのはどうなの?本当に売る気あるのか?
いちいち店員もSNSで「開始○○秒で完売、、!😭😭」とか載せないでほしい。煽りじゃん。
店員までオンラインストアに参戦するのやめてほしい。それで買えた報告とかいらないから。こっちにまで在庫回ってないんだから自重してほしい。
海外在住経験のおかげで季節感を無視できるようになった思い出について
母が洋服が好きな人だった。私は料理に興味がないので洋服は母との数少ない共通の趣味だった。
母は季節感には厳しい人(この世代の方は基本そうだよね)で、3月なんだからもうこの素材は着ない、11月だから長袖といったルールを守る人だった。
私にもそのルールはしみついており、長い間そのルールを破ることに抵抗があった
一発目、南半球で生活したとき、季節逆。月と季節の感覚が掴めない。周りを見ながら洋服を選ぼうとするがそれぞれの服装がバッラバラ…。私困惑。
気温に合わせて好きな服着る。一人だし、それでいいと吹っ切る。でも厚手のマフラーは真冬にしか巻けなかった。
二発目、大陸が違う南半球生活。東海岸の湿気と気温で季節?それ何?おいしい?感覚に陥る。
緯度的には暖かいはずなのに、芯が冷える夏。庶民は初夏でも朝晩はダウンを着たりする。
服に関しての季節感ルール、完全突破。厚手のマフラーが夏の寒いときに効く生活実感。
三発目、アメリカでの生活。自由。The 自由。いついかなる時も彼らは自分がどう感じるかをメインに服装を選ぶ。
着飾ることが好きな人は艶やかに美しく、快適さを求める人は心地よさを。自分がどう感じるかで服を選ぶ。
薄着で厚手のマフラーを巻くファッション、すごく可愛いから好き。
日本のきちっとしたルールも今でも好き。この季節が始まるのだ!とぴりっとする感じに価値がある。
だからね、自分がいいなら真冬に裸足だっていいし、絶対にこの月にはこの服は着ない!と決めてもそれもいいのだと思いながら、この何を着ていいかわからん気温帯のこの季節を生き抜く。
「俺は家事を手伝っている」と偉そうにする
- 「嫁を愛している」
「嫁を幸福にできるのは俺だけ」
- 「これって普通だろ」
「俺の周りの奴の嫁はちゃんとやれてる」
「母親はやっていた」
「俺だけが悪いわけじゃない、嫁にも悪いところがある」
これらはすべてDVです。覚えておきましょう。
・小突く
・殴る
・蹴る
・殴るふりをする
・包丁を突きつける
・ものを投げつける
・髪を引っ張る、引きずり回す
・首を絞める
・何でも従えと言う
・発言権を与えない
・外出を禁止する
・何を言っても無視する
・人前で侮辱する
・罵詈雑言を浴びせる
・夜通し説教をして眠らせない
・外で働くことを妨害する
・洋服などを買わせない
・家庭の収入について何も教えない
・避妊に協力しない
・子供を取り上げる
【逃げられ男にならないための八ヶ条】
1. 嫁の無言を許容だと思うな
7. 終わった事・済んだ事と思っているのは夫だけ
補足として、嫁の産後の時の両親の訪問は核弾頭を投げ込む行為と思え。
上記に該当しそうな場合は、即刻嫁に今後の話し合いを求めてみるのも手。
ただし、それで更なる嫁地雷を踏む可能性もあるのでくれぐれも慎重に。
【心に残る名言集】
・ 男の「許す」は心のコップに貯まった水をすべて捨てる、
女の「許す」はコップのふちを盛り上げて心の許容量を増やす
毎日、奇妙なメールが届くのです。毎日毎日、15時ちょうどに。
そのメールには題名がなく、本文はいつもアルファベットが一文字だけ。
差出人はいつも同じ人。
無視しようとしたら、題名に日本語で「あなたは今日、ドブにハマって服が汚れます」と書いてありました。
なんだか気になって本文を見ると、「それを回避したいならば、今日の新聞を読んだのちに出かけてください」とある。
よくわからないまま新聞を開いてから、夕食の買い物に出かけました。
特になんともありませんでした。
次の日以降もメールは届き続けましたが、内容は以前の『題名なし・本文一文字』に戻っていました。
それらのメールは毎日手動でゴミ箱送りにしていましたが、また「あなたは今日、ドブにハマって服が汚れます」が届きました。
本文には「それを回避したいならば、今日の新聞のなかの好きな記事をひとつ選んで、それをノートへ書き写してください」とある。
そんなバカなことできねーよ、と無視して夕食の買い物に出かけました。
その帰り道、足が何かに引っ掛かって見事にドブへハマり、洋服が汚れ、食料も無駄になりました。
『あのメール、ひょっとして未来を暗示しているのか?』と思いました。
以降、『題名なし・本文一文字』に混ざった『ドブ回避』メールには真剣に対応しました。
ただ、要求が日に日にどんどん難しくなっていくのです。書き写せ系の指示ばかりで、毎日量が増える。しまいには、
『今までに学んだ小中高の全教科の教科書と辞書を全部探し出して、それらの全ページを一字一句残さずイラストも写真も書き写してください。ただし制限時間は明日朝まで』
無理です。さすがに無理です。ていうか教科書とかもう保管していないし。
無理だから、手近にあった雑誌を一冊、書き写しました。それでも充分しんどい。
次の日、朝になっても特に何もありませんでした。
あー要求はこれでクリアしたのかな、と息をついたとき、宅配便が届きました。
差出人の名前は、さてどこかで聞いたような名前です。あまり記憶にない。そういえばこんな親戚もいたかな。
今夜はこれを焼いて食べようかな。そう思いました。
その日は、15時を過ぎても例のメールは届きませんでした。珍しい。買い物に行っても何もなし。
夕食の時間、メニューには焼きマツタケが加わりました、昼に届いたものを焼いたのです。
マツタケをほおばった瞬間、口の中がしびれました。すぐに吐き出しましたが、全身がしびれて寒気がして、床に倒れてしまいました。目の前が暗いです。
助けを呼ぼうとポケットからスマートフォンを引っ張り出しましたが、何者かに取り上げられてしまいました。
その人物が言うのです。
「最後の指示、ちゃんと守らなかったでしょ。適当なことするからこうなるんだよ?」
冷や汗が出て呼吸が苦しくなってきました。
「毎日メール送ってあげてたのに、それだって無視するからこうなるんだよ?」
この人は誰なんだ?顔を上げるのすらしんどくなります。声が出せない。
「アルファベットを一文字ずつ順番につなげていって、ローマ字読みすれば答えになる」
は?そんなことわかるわけないじゃん。どうやったらその方法があったってわかるんだ…よ…
「その答えがわかれば、今日のこの出来事が回避できたんだよ?それをしなかったから君は、答えがわからなかった。そして君はまもなく死ぬ。自業自得だね。これは自己責任だよ?」
ていうかお前、誰だよ…
その疑問が、僕の最期でした。