はてなキーワード: 沈黙とは
「ガチナンパものです」というていですごくよくできたビデオを知っている。
それはネットでのいわゆる拾い物なのだが、あまりに出来がよくて詳細を知りたい気持ちと知りたくない気持ちが同居している。
これはフィクションだ、そう思いつつも頭のどこかで本当にガチであってほしいという期待があるためだ。
ただ、何度見ても不自然な抵抗するふりや明らかな編集点など、どう見てもプロです本当にありがとうございましたな部分が各所にある。
雨が降っているから車で、とモザイクだらけの街中で語られるのに通行人は誰も傘をさしておらず、車内のシーンではどしゃ降りと言及があり実際大量の水滴が付着した車の窓だが、新しい水滴はつかないし、窓の水滴が流れることもほぼない。
おそらく編集上、雨後に本番を撮影し、その後でナンパのパートを撮ったのだろう、と勘ぐる。
だがそういった不可抗力に目を瞑れば、とにかく俳優、女優ともに演技が上手いのだ。
ところで少し話が変わるが海外のグロ映画に、本物のスナッフフィルムというていで公開され、監督はリアリティがありすぎると話題になった末のインタビューに対して「本当のスナッフフィルムかどうかについて言及するバカはいない」とした出来事が昔あったらしい。
YESと答えれば犯罪だし、NOと答えればファンを幻滅させる、だから沈黙するということだ。
かつては「うそはうそであると見抜ける人でないと(ネットを使うのは)難しい」とされていた――
だが今は違う!(ギュッ)
というわけで、長年ネットで嘘を見つめ続けて嘘の専門家となった増田が、誰でも嘘ツイ・嘘増を見抜けるようになるためのポイントを簡単にまとめてみる。
たとえば、PTAの寄付金を断ったら田んぼに生ゴミを不法投棄され、犯人を捕まえる際に暴行を受け、そのストレスのせいで
死亡
という話が仮にあったとする。これはさすがに、何かおかしいなと気付けるだろう、普通は。
ここまで分かりやすくシグナル発してるケースは稀だろうが、語り手に非が一切ないのに理不尽な被害を受けている、という話の流れが見えた場合、警戒態勢を一段上げて損はない。
たとえば、表現規制の是非に関する議論がネットで盛り上がっていたとする。そんな時にちょうど、
俺が働いてる本屋でも以前、キチガイフェミババアがエロ本を撤去しろとクレームをつけてきたけど、店員に暴行したので現行犯で逮捕されてたよ。
というエピソードが開陳されたとしたらどうだろう。あまりにも反規制側に都合がよすぎるとは感じないだろうか。
現在の話題に刺激されて過去のできごとを、そういえば……と思い出すこと自体は何もおかしくない。だが、語り手の性格(バズ稼げそうなおもしろイベントに遭遇した時点ですぐ語らずにいられるほど我慢強いかどうか)も考慮に入れた上で、その怪しさを判定してみてほしい。
ひきこもり男性が父親から相続した資産15億を、飲み代だけで2年で使い切った。
という話。増田は、
そして、たった2年で!?とも思う。
こういう、各種数字に関する常識的な感覚は、ふだんから意識しておきたい。
また嘘エピソードでは、個人情報を守るため、という建前で人物名や場所などの情報は過剰なまでに伏せられていることが多いが、数字だけは妙に具体的に出してくることがしばしばある。
この人、毎日のように興味深い体験を語ってくれる楽しい人だな。こんなに語り続けてもネタが尽きないなんて、人生経験豊富ですごいな。
――とか素直に思ったりはしていないだろうか。
無限におもしろ体験談が湧き出てくるように見えたとしたら、その生産力自体が既にイエローカードだ。
書き手を継続して観察できない増田では使えない手法だが、それ以外の場ではこれが一番有効な嘘識別法かもしれない。
これらの要素に注意してさえいれば、ネットにあふれる嘘を一発で見抜いて、外道照身霊破光線!汝の正体みたり! 前世魔人ウソキツツキ!(ウウー、バレたかー!)と無双できる。
かというとそんなことは当然ない。
世の中には、どう見てもウソにしか思えないアンビリバボーな事実がいくらでも転がっている。上に挙げたような要素を全て満たしていたとしても、たまたま偶然そんな奇跡的な出来事が実在した可能性を完全に否定することはできない。
紀元前3世紀のイタリア半島で、7万6千(極端な数字)のローマ軍に綾波レイがいっぱい中出しされた(一方的な被害)ことだって、絶対に無かったとは言い切れないのだ。
また、バズ狙いの嘘ツイがネットに蔓延したせいで、真面目な人たちが、
大勢に話を聞いてもらうためにはこういう書き方をすればいいんだな
とバカ正直に学習してしまい、事実であるにもかかわらずわざわざ嘘くさい書き方を選択している紛らわしいケースすらある。
嘘を嘘であると常に確実に見抜くことは、残念ながらできない(タイトルは嘘だ)
では、我々はどうしたらいいのだろうか。
嘘を嘘と見抜く必要はない。
少しでも怪しいと感じたら、良くも悪くも反応せず、ただ沈黙を貫くだけで良いのだ。
それだけ?と思うだろうか。
嘘つき野郎の嘘を華麗に暴いて罰するような「正しいこと」がしたい?
しかし今のネットのカスみたいな状況では、嘘(かもしれない)情報の拡散を冷静に考えて思いとどまる、というだけでも十分な善行と言える。
何かを「しない」だけというのは地味に感じるかもしれないが、増田は立派なことだと思う。誰からも褒められなくても増田だけは、みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよと言ってあげたい。
増田の褒めだけでは報酬として不十分かもしれないが、ネットにはびこる嘘カスどもにエサを上げない空気を作っていくことにどうか協力してほしい。お願いだm(__)m
ペポゥ
ズサーズサーズサーズサーズサーズサー
ムッムッホァイ
いつもの曲
キシン流奥義!
ヴォー
プリッ
デレデレデェェェン
IGAAAAAAAAA
TAKEDA★TAKASHI
(沈黙)
んー…
キャストーッ!
よう!
ドゥゥゥゥゥゥゥゥン
※ここまでテンプレ
↑ここまでテンプレ
↑ここまでテンプレ
↑ここまで(ry
結論から書くと、能力の場合、他の人々にとって新たな学びや価値を提供するものには、どんな能力でもなり得ない
例えば、ポンコツのワイくんが出来ることは人類の9割くらいが出来る。既に出来ていることから得られる新たな知見はないだろう
じゃあ反面教師としてワイくんが役立つのかと言えば、これもまた役には立たない。なぜなら、ポンコツのワイくんが出来ることは9割くらいの人類は苦なく出来るからだ
既に出来ること、一度も失敗していないことから、改善は学べない
だったら、ポンコツや一般的な能力ではなく、天才や難しいチャレンジをしている人なら参考になるかと言えば、やっぱりそれも新たな学びや価値を提供するものにはなり得ない
なぜなら、その能力や環境をほとんどの人類が持っていないからだ
稀有な能力でも一般的な能力でもポンコツな能力でも、能力そのものから得られる学びは等しく何もない
ただ、"態度" や "作品(学術書も含む)" だったらどうでしょうね?そこには無限♾️の気づきや学びや改善があるだろう
ほんま、"態度" や "アウトプット"って大事だなぁって改めて思いました
アウトプットについてはまぁいつかの機会にするとして、態度についての反面教師的な共有を書いとこうと思います
・・・うーん、書いてみて思ったけど、古代からいろんな人間が言ってきていることをただ雑に書き殴っただけだね
ワイくんも子どもの頃にこれらの言葉をそれらしい文章で見たと思うが、頭でなく実感で理解出来るようになったのは今だ
人間は先人が散々○○だぞ!って言ってもけっきょく同じ轍を踏むんだね・・・
扉を開けた瞬間「あ・・・」となって、お互い黙り込んだ。
そりゃ無理もない話なんだけど、気まずくってつい「その…なんかごめん」と謝った。
すると新入社員ちゃんも「いえ、その…俺もなんかすいません…」って謝ってきてさ、それから沈黙が訪れた。
そのまま突っ立ってても仕方ないのでとりあえず中に招き入れ、何か飲み物を。
結局お酒を開けて二人で飲み明かし、酔いが回ると新入社員ちゃんもリラックスした様子に。
「でも先輩がこういうの使うのって意外です」と言うので、そう?と私。
すると新入社員ちゃんは笑って「だって先輩ってモテるじゃないですか?だからこういう女性用風俗…というか、こういうの使うのは意外っていうか」
またまた~と新入社員ちゃんは馴れ馴れしく言う。酔っていたのだと思う。
「ノーマルかと思ってましたよ」
力ってより経験の乏しさを感じる。
正直自分のコミュ力の低さには自分が1番驚いているし嘆いている。
中学生くらいの頃まで怒り以外でどうやって自分の感情を示せばいいかわからなかったし自室でものにあたっては最終的に涙が出てくる、みたいな感じだったし人と喋れたとしても空気を読むということを知らない上に世間のことも分かってないから失言したり自分語りをしていた。あの時うるさいよとか話ちゃんと聞きなよと言ってくれた人ありがとう。
高校生になってからは自分のそういうところが人に気を使わせたり迷惑や負担になってることに気づいてあまり喋れなくなった。代わりに周りを見て少しでも気の利くことができたらいいなと思うようになったが大学生になった今でもバイト中など一対一になった時に自分から相手に話しかけるということができないしそもそも話題わからないしでちょっとやだ。
個人的には沈黙は全然苦ではないけどバイト仲間はとかに気心が知れてるわけでもないし優しい人たちだからたまに気まずそうな顔をしていて申し訳ない。
どんな人が相手でも気持ちよく会話ができる人、気を遣わせずに会話ができる人を尊敬しまくっている。みんな大人になるまでの過程で自然と会話の中でいろんなスキルを身につけていることがすごい。私もがんばらなきゃいけなかったよなー。この文の時点で会話の下手さが伝わる感じの拙さだったけど読んでくれた人はありがとう。
この文章は、タイトル通りの内容を書いてあるので、プロセカ大好きキッズは回れ右して「見なかったことにしておく」のを強くお勧めする。
一部の箇所でプロセカなどをボロクソに書いてあるので、大人でも精神が不安定な人も同様。
また、俺が10年以上住んでいる初音ミク界隈に対して警鐘を鳴らす意図で書いてあるので、多少の偏見と過激な論述も含んていることを予め承知されたし。
初音ミクが発売された2007年から、だいたい2015年あたりまでは、初音ミク界隈はとてもとても立派なものだった。
「オタクへの偏見の目」というハンデを克服し、ボーカロイド文化という礎を築いたからである。
初音ミク公式は、某巨大広告代理店とドンパチやって辛勝したり、ピアプロ・キャラクター・ライセンス関連の規定を作って「初音ミクにまつわる同人活動の模範解答」を示したりしていた。
こうして理想的なヒーローとなった公式の下で、古くからのミクファン(ミク廃)どもは、作曲したり、絵を描いたり、DIVA(リズムゲー)したりなどして、比較的平和で自由に過ごしていた。
プロジェクトセカイというスマホゲーがある。初音ミク公式のオリジナルキャラクターは6人だが、このゲームでは、追加のキャラクターが24人ぐらいいる。
それだけ多くの別キャラクターがプロセカ初期からいる訳だから、「リズムゲー」なんてのは隠れ蓑に過ぎない。
リズムゲーだったら、そんなに多くのキャラクターは不要だからだ。
「ガチャが付いた紙芝居に初音ミクらがMCしたり友情出演したりしているタイプのソシャゲ」と言った方が本質を突いている。
この、あまりにもライトなソシャゲは、初音ミク界隈だけでなく、その他他界隈のオタクや子どもの注目を浴び、2020年以降、本格的に流行り出してきた。
この勢いを借りてプロセカ民を初音ミク界隈へ流入しようと初音ミク公式は奮闘している。
そして、この努力が実りつつあるのか、初音ミク界隈にプロセカ民が大量に移住してきた。
実際、初音ミク界隈のリアルのイベントには、「痛バ」を持ったファンが近年数多く目撃されている。
「痛バ」は、初音ミク界隈の発祥ではないので、彼(女)らはプロセカ民だろうという推測ができるのである。
プロセカの公式YouTubeライブをしているときをはじめ、何らかの公式発表がなされる度に、Xでは関連ワードがトレンド入りしている。
さて、同人文化の延長線だった初音ミク界隈に、ソシャゲ社会で暮らしてきた移民と共存できるのかまで、初音ミク公式は計算に入れているのだろうか?
プロセカ的価値観とは、一言で雑に言えば「利己主義」であるが、具体的に言えば次の3点である。
プロセカでは天井までガチャれば欲しい物がとれるから、その原資であるカネはなんぼあっても良いし、ガチャ回数は多いのが至高。
缶バッジのガチャを回しまくったり、メルカリで多少高くてもポチったりしてゲットした缶バッジで揃えた痛バは、努力の結晶。
プロセカ運営の意に沿わないアカウントはBANされるから運営には無抵抗でいなければならない。リークなんてもってのほか、プロセカ民主主義人民共和国総書記の慈悲と指導なくしては生きていけない。
同人グッズなんて作ったらダメだと思い込んでいるか、そもそも作る発想すらない。(前述のとおり、一定の基準を満たせば同人グッズは作ってもよい。)
不快に感じたら即Xでお気持ち表明。論理的に記載しているはずもなく、自分の気持ちをあてもなく書き連ねており、文字通りの怪文書である。自責なんてしない。
傷をなめてもらえらば、それで良い。フォロワーが増えたら万々歳。最初から「自衛しよう」という発想もなければメタ認知も無いため、怪文書を出した後のことは考えられていない。
ここまで読んでいている人の中には、おそらく居ないとは思うが、念のため書いておく。この日記に対するお気持ち表明文は、この項目に対する論拠になるかもよ。気を付けてね☆
初音ミク界隈は汚染されスラム化しつつある。かつての高尚な文化は過去のものになりそうだ。
プロセカ的価値観をもったプロセカ民が大量に流入したためなのか?それとも、プロセカ的価値観を持った一部のプロセカ民に、初音ミク界隈全体で公式諸共「まえならえ」をしたためなのか?
どちらがより真実に近いかは全く分からない。しかし、この価値観を持った人がXのインプレゾンビ並みに多くなったのは事実である。いや、Xのインプレゾンビの方がまだカワイイかもしれない。
公式の努力の甲斐もあり、ファンの数はうなぎ登りだろう。しかし、その大半は、初音ミクを「ナウでイケてるファッション」として消費しているだけである。そこに愛はあるんか?
公式だって、歌舞伎やオーケストラ、現代アートなどのコラボレーションを進めて、「高尚な文化」アピールを頑張っているが、アピールだけではそんな価値観から変貌するはずもない。
初音ミクらの公式イベントは、こういった傾向を可視化している。
参加者側でも枚挙にいとまがないが、公式(主催者)側もグダグダしている。たぶん来場者数と売り上げしか見ていない。本当の愛はあるんか?
公式のイベントでさえ、かのようなものである。況や「同人によるイベント」をや。
ファンによるイベントも黎明期から活発行われているが、近年多くやらかしている。
ある複数の団体は前述の規定を盛大に違反した開催資金集めをしたり、別の団体では著作権ガン無視のファンメイドライブを開催したりしている。
同人グッズも「金儲けの手段」になり果てたのか、公式がOK出せる「原価」程度の価格から大きく上振れた値段を付けて開き直る針金まで昨年出てきた。
ここまで、カオスな無法地帯と化してしまった初音ミク界隈に未来はやってくるのだろうか?少なくとも同人文化が華やいでいた頃の初音ミク界隈にはもう戻れないだろう。
東京には資源がないから、 もうやめていると平気でぬかす、高裁長官が昔いたが、 延岡市には資源があるので、ここの公務員は沈黙
別の問題点として、 私とぺちもぐら本人がいかに仲がいいのかを見せることによって、絶対的支配権をえることにあるが、ぺちもぐら本人は絶対に姿を出したことがない
これじゃ話にならんわということです。
あとなんか、延岡にはチキン南蛮のレストランとか、 ジャスコがありますが、この辺の分野に指令を出す奴がいないし、 宮崎市内から、テレビゲーム会社に、いつまで
逃げてんのやぶち殺すぞというメールが送信された時代もあった。
それと、便利屋の本田というのが、 延岡にはありますが、全然だめですわ。
クレールダイワというのは私の母親が25年前に遊んでいた時に住んでいたアパートですがそれに関する話題もない。 ならなんかというときに、そういうところは平和なので視覚的な指令を出しても
特に、チキン南蛮、おぐらといった平和なものが流行ると平和になるので、延岡ではそこに指令する者がいない。 警察署ではおばさんが働いていることもあるが、そういう人は目から
指令が出ていない。
【2月29日提出予定です!】
イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃について、広島市と広島市議会の見解を問う公開質問状を出した「広島パレスチナともしび連帯共同体」に対し、広島市は「外交、安全保障に関することは国の専権事項」などとして声明文を出さないと回答した。グループは「行動する意思がないことが明確に示された」とし、市と市議会に声明や決議を求めるインターネット署名活動を21日、始めた。(毎日新聞、2024年2月22日)
市民の呼びかけに注目が集まっています。田所さんもこちらのオンライン署名に賛同しませんか?
広島市と広島市議会はパレスチナのために行動して下さい:今こそ「国際平和文化都市」が行動すべき時です!
5,915人が広島パレスチナともしび連帯共同体 Hiroshima Palestine Vigil Communityさんのオンライン署名に賛同しました。目標賛同数7,500を一緒に目指しましょう!
広島は、核兵器によるジェノサイド(集団殺戮)を経験した地として、1970年以来、国際平和文化都市という至高の目標を掲げて来ました。広島には、独自の歴史と責任があり、そして平和をつくりだす〈力〉があるはずです!
2022年2月24日にウクライナ侵攻がはじまってからわずか1週間後、広島市議会は戦争を非難する決議を採択しました。それなのに広島市は、パレスチナでのジェノサイドについては4カ月以上も沈黙を守ったままです! 日本全体ではすでに227の市議会や県議会で、停戦や平和的解決、事態の鎮静化を求める決議や意見書が出されています。なぜ広島市議会がこのリストに含まれていないのでしょうか?
私たちは2月13日に、平和首長会議の会長でもある松井一實広島市長と母谷龍典広島市議会議長あてに、公開質問状を提出しました。平和首長会議には、世界で約8200の平和都市が加盟しており、ガザを含むパレスチナやイスラエルの自治体が含まれています。
私たちは、現在の危機的状況に対する広島市と広島市議会の対応について5つの質問をしました。広島市からの回答にも、市議会からの回答にも、残念ながら行動の意思は示されていませんでした。ガザで現在進行中の事象は「国際平和文化都市」の「平和」とは直接的関連はないとの認識のようです。広島市民および世界市民として、パレスチナの事態を傍観する「国際平和文化都市」を私たちは支持できません。この瞬間にも、ガザでは多くの命が失われています。広島市は、今すぐ行動をして下さい!
「広島パレスチナともしび連帯共同体」は、広島や日本、そして世界中のコミュニティに対し、広島市と広島市議会に対し早急な行動を促すための署名を呼びかけます。パレスチナにおけるジェノサイドが進行しているという緊急事態において、私たちは今すぐに行動を起こさなければなりません!
これがラ( ˙▿˙ )今日送られてきた
メールです
PK戦のゴールキーパーが左右に微振動してるように、いつでも何を喋るか脳内で準備しているんだなあ。
「~でね、~がね、~だったんだけど。」
「うんうん」
「それが~だったの。どう思う?」
いつもこんな調子で、30年以上の歳月を陰キャ孤独おじとして生きてきたけど、これじゃ駄目なんだよな。
それが”普通”だと思ってたし、自己啓発本の「相手の話を遮らずに聞きましょう!」ってのが全然ピンとこなかった。
でもそれじゃ泥縄だったんだな。
正しくは(というか大多数の一般人は)こう。
「~でね、~がね、~だったんだけど。」
「(たしかにそれは~だね。そういうの最近あったな。)うんうん(あのときは~って感じだったな。自分は~だったけど)」
「それが~だったの。どう思う?」
これを意識していざ自分の生活習慣に取り入れてみると、常に実況中継してるようですごく疲れる。
こんな脳みその使い方をしてなかったから、急に運動始めたような疲れなんだろうけど。
やっていかないと駄目だろうなあ。
雑談も会議も、ニチャァって笑みを浮かべて沈黙を誤魔化してきたけど。
普通の人はその沈黙の間すら脳内で発話し続けて次の発言に備えていたんだなあ。
生まれ変わってやり直したい。
あくまで噂で聞いたという話なので、この文章は普通に怪文書扱いしてもらっていいです。
そもそもの前提として、どうやら「長尾彩子氏の自殺」の前提そのものが存在しない可能性がある。死んでない人の死について謝罪も原因究明もできないし、集英社としてはその事実を表に出すことがどういう結果に繋がるかわからないので声明を出すこともできないのだとか。
本当かどうかは不明。俺が確かめたわけではないので。が、傍証としては、オレンジ文庫で書いてる作家さんの殆どが、本件で編集部を非難したり、編集部になんらかの対応を求める声明を出したりしていない。つまり、作家サイドは編集部から事情を聞き、それに納得した上で沈黙を選んでる……「集英社が黙っていることに作家が騒がないだけの理由」がどうやら存在してる……とは推測される。
↑
ここまで読んで「えぇ~本当でござるか~?」と思う人はごくごく正しい感性の持ち主です。
が、聞いた話なのは本当。筋は通ってるとは思うけど、俺が確認した話じゃないし、自分に届くまで伝言ゲームで色々歪んでる可能性もある(本当はもう少し具体的な内容の噂だったけどかなり端折ってる)。
というか、「誰かの自殺を告発する呟きが全部事実ではありません」というのが本当じゃないかも……って普通想定できないし(ありとあらゆる意味でリスクがでかすぎる)、冤罪告発が本当ならオレンジ文庫がマジで激ヤバ、告発が事実でないなら告発者が激ヤバ。どちらかが嘘をついてることになり、どちらを信じても冤罪の可能性が出てくるので俺は噂の真偽を含め判断保留してる。
(追記)
色々反応ありがとう。賛同もらえたところは嬉しいし勉強になる意見もたくさんあった。
コメント多かったからそもそも疑わしい行動を取ったことに対する俺の気持ちを追記する。
言及でも聞かれてちょっと答えてたんだけど、普通に最初から書くべき内容だった。
https://anond.hatelabo.jp/20240221231118
他人に清廉潔白を求めすぎるのはよくないし、犯罪行為やチームルールの違反はともかく競技と無関係の褒められ難い行為程度はアスリートの評価と切り分けて考えるべき、と、思ってはいるが、心情的にはなかなかね…
俺はサッカーという競技が好きで選手のプライベートにあまり興味はないのだが、伊東純也個人のファンはそうも切り分けられなくて結構きついだろうな。
JFAは選手の意見、スポンサーの意見、内部の意見、色々聞いてしまった結果があの対応だったと思う。
新潮の記事も通常運転なので気にするほどではないし、気になるならそれこそ当事者が法廷で白黒つければいい。週刊誌はそういうスタンスで接するものだと思ってる。
ただ、もう書いたとおり「告訴するな」の声明は個人的にはナシ。
(追記終わり)
本当にお気持ち。ソース改めて見返したりしないで書きなぐるので間違ってたこと言ってたらごめん。
1人のサッカーファンとして、私は裁判でクロが確定するまでは伊東純也を信じる。
シロかクロかは正直よくわからない。そこまで彼のことを知らない。であれば、真相が判明するまでは信じるしかないと思っている。
告白した女性が嘘をついてると信じているわけでは全然ないし、被害者の口を封じたいわけでもないが、主張が対立している(しかも一部のサッカーファンが被害女性を嘘つき呼ばわりして誹謗中傷している)現状では擁護方面で何か言ったら攻撃と解釈されても仕方ないので、ことが終わるまで沈黙するつもりだ。
愚直に信じた自分は愚かだと思うし、被害者に申し訳なさすぎてどうしようもない。
憶測で叩いているファンが既にいて、それを止める力は自分にはない。自分がそういう行為をどんなに内心嫌っていたところで、サッカーファンを公言している以上はある種の二次加害者だろう。
もし伊東純也がシロと確定した場合、結局残念な気持ちは消えない。
なんにせよアジアカップでは彼の活躍を見られなかったのだ。もう既に残念な結果が伴っているのだ。
もし彼が出場していたら…?騒動が代表チーム全体の士気に関わって敗退につながっていたら…?などというタラレバも考えてしまうくらい。
(いやごめん少なくとも後者は流石にないと思う。悔しすぎて、でも選手や監督を責めるのは嫌なので何か外部要因にすがりたいだけだ)
所属クラブのランスの対応は立派だと思った。選手を信じると表明し、ただ女性への被害があった場合は許さないとも明言し、その上で今も試合に出場させている。
同じ対応をJFAにもとってほしかった。スポンサー云々とか、1クラブではなく国の代表云々とか、事情が違うのは理解するが、選手を守ってほしいというのが正直な気持ちだった。対応が二転三転したのも心証が悪い。
記事自体は今更下げられる評価もないので底値安定だが、なんでこのタイミングで…と思わずにはいられない。
女性も新潮も自分のタイミングで動いたらこうなった、ということなのだろうけど、それはサッカー関係者の求めるタイミングではなかった。
責めるわけではないが、間が悪すぎることに不満ぐらいは言わせて欲しい。
まあそれは些細なことだ。
伊東純也側が反訴する行為自体を非難する声明を出したことに対しては明確に抗議したい。
訴訟は権利であり、権利を行使するなと怒るのはずいぶん無責任でひどい話だと思う。
自分たちは正しいことを言っているから、ということだが、自信があるのなら裁判の場で戦えばよかろう。
女性や記者に攻撃的な発言をしてるサッカーファンは即刻行為をやめていただきたい。
興味もないのに適当に騒いでる外野は…まあどうでもいいけど…どの方面に対してもやっぱり誹謗中傷はやめたほうがいいと思う。
俺は黙って経緯を見守りながらサッカー観戦するつもりだ。
サッカーはやっぱり好きなんだ。
(注:つまり、実際にドキは文章を公表する(あるいは実際に公表したものよりも過激な内容を公表する)つもりが(一時的にであれ)あったのだから、にじさんじ側の(公表されることを前提とした)対応は完全に的外れではなかったと言い訳できる、という意味だと思うけど間違ってたら教えてほしい)
もし私が正しいのだとしたら、これから何が起きるのか?
私がこれまで述べてきたことが多かれ少なかれ正しいと仮定すると、にじさんじにはこれから進むべき道として2つの選択肢がある。ひとつは、ENライバーが長期に渡って沈黙し、その後、徐々に配信を増加させ、セレンとセレンの契約解除の話題については、今後、完全に沈黙するというもの。そしてにじさんじは見当違いの攻撃をやめ、これらの出来事をなかったこととして扱い、ネットユーザーたちが飽きることでタレントに対する叩きが鎮火し、ENが利益を上げられる程度にファンが残るという未来に賭ける。2つ目のアプローチは、最終声明を出してコミュニケーションに齟齬があったことを大まかに説明し、セレンに深く謝罪し、責任者を大砲に詰めて太陽に向かって発射したことを保証することで、タレントと他のマネジメントに対する批判を鎮火させるというもの。
一般大衆を相手にする企業で働く中で気づいたのは、経営陣は、たとえ対策を講じた後であっても、失態をきちんと説明したがらないことが多いということだ。というのも、大衆はそれを聞いて赦すかもしれないが、株主にとっては株価に対する不安感に繋がるからだ。この一連の出来事について私が正しいかどうかは別として、私が望むのは、にじさんじが再建のために必要な改革を行い、合理的な範囲でできる限りの透明性を世間に提供することで、残されたタレントの懸念を払拭することである。しかし、この道を歩むには、重大な失敗について自らの不利になるような告白をする必要があり、同時に、前に進みたいという彼女の願いを尊重するためにドキと協力する必要がある。こうした困難があるため、この惨事が完全になかったことにされる可能性のほうが高いと私は考えている。
最終的な感想
煎じ詰めれば、広報チームの基本的な仕事は、ある問題を理解し、その問題に対する大衆の見方をリアルタイムで分析し、最終的にクライアントの望む方向に大衆の見方を動かすメッセージを作ることである。もし私がここで説明したことが多かれ少なかれ正しいのであれば、にじさんじの広報戦略は、これら3つのタスクのそれぞれを失敗させたことになる。にじさんじの広報チームは、法務部から誤った情報を与えられたため、そのせいで誤ったスタートを切ったのかもしれない。だが、その後、ドキバードの発言や世間の憶測に対応して戦略を調整できなかったことは、この最初ミスとは別の、さらなる失態である。
これらの広報の失敗もすべて、タレントマネジメントの領域で起きた失敗とは別のものだ。ENマネージャーは、最も人気のある女性配信者をサポート・保護することに失敗し、彼女は自殺未遂を起こし、その後、退社交渉のために弁護士を雇うことになった。私が広報という観点からこの大失態を分析しているのは、タレントマネジメントの不始末を謝罪してほしいからではない。そうではなく、いかにして広報の対応のまずさが、会社にとっての悪い知らせを、支社全体の存亡すら危うくさせるような破滅的なスキャンダルに拡大させてしまったのかという点を説明したかったからである。皮肉なことに、にじさんじの広報アプローチがここまで的外れだったことは、我々にとって幸運だったのかもしれない。なぜなら、有能な広報チームであれば、こうした根本的な問題を覆い隠すことで、根本的なタレントマネジメントの欠陥を放置させる結果になったかもしれないからだ。この大惨事をきっかけに、にじさんじの上層部が己を見つめ直し、タレント人事、広報、翻訳サービスを改善するための真の改革を行うことを期待したいが、これまでの動きを見る限り、楽観視はできない。