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はてなキーワード: 決断とは

2024-03-29

子なし税、男からたんまり月5000円くらいとってほしい。それならうちの彼氏もさっさと結婚決断してくれる気がする。

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 ペナントレース開幕直前、横浜DeNAベイスターズに「決断の時」が来た。

 サンフランシスコジャイアンツスプリングキャンプに招待選手として参加していた筒香嘉智(32)が自由契約になった。筒香の米球界生活は、「挑戦」と「しくじり」の繰り返しだった。とくに22年シーズン途中にパイレーツ解雇されてからブルージェイズレンジャーズマイナー契約を結び、メジャー復帰のチャンスを目指してきた。途中、米独立リーグ行きの屈辱も味わった。その度に日本球界復帰も囁かれたが、筒香メジャーリーグにこだわってきた。しかし、今回は違う。自ら、

日本球界も(移籍先として)視野に入れて」

 と、こぼしたのである

2024-03-27

anond:20240327002337

まじかよじゃあ弱男仲間として俺がここ数ヶ月調べまくった結果見いだしたベストバイIEMを教えてやるぜ

ズバリ、AliのMYER-AUDIO Storeで売ってるCKLVX D41って機種だ

英語圏オーディオコミュニティではこの1年くらいhypeされてた1DD+4BA機種にSound Rhyme SR5ってのがあるんだが

同じ構成最近現れてhype兆しがあるのがD41だ

これとPula PA02は中身が同じらしく、値段もほぼ同じでフェイスプレート付属ケーブルの好みで決めていいと思う

その好みで言うと俺はD41の方が良さげに見える

どっちかというと話されてるのはPA02の方だがな

もちろん、もう少し出せば鉄板のAFUL Performer5とかに手が届くが

レビュアー的にはP5はつまらない音で、D41の方が面白いって人が多いんだよな

Aliのセール明日17時まで、クーポン今日中に切れるんで決断はお早めに!

2024-03-26

「優しいのではなく優柔不断なだけ」と言ってる人って、現国テストいつも赤点だったんだろうな

優柔不断という言葉の一番最初文字が「優しい」だって気づくのに人生全部使ってまだ足りてない奴がおるとはなあ……

優柔不断ってのは、「優しく柔らかく断ずることなく」って意味言葉からな?

「優しい。柔らかい。BUT 断ずる事ができない」じゃないから。

「優しい つまり 柔らかい つまり 断じることがない」だから

「優しさ」ってのは「断定しない」ってことなんだよ。

逆に考えてみ?

なんでもかんでも「俺はこう思う!だからお前もそうあるべきだ!」と言ってる人は優しい人か?

違うやろ?

優しくなさの塊やろ?

「俺は違うと思うが、コイツがこう考えるなら、そういう考え方もあるんだろうな」って考えられる人が優しい人なんだよ。

まりな、「自分想像力理解力限界自覚的であり、あらゆる可能性が存在することを最後まで捨てない人」が「優しい人」なんだよ。

優しい人はこっちが無理を言っても「なるほど……コイツにも考えや都合があるのだろう……今回は飲んでやるか……」と手を貸してくれる。

そういう態度に甘えていくうちにいつからか「俺に都合よく動いてくれる人」≒「優しい人」みたいに考えてしまうのが日本語赤点かつサイコパスのクソ野郎

優しい人が大きな決断を後回しにしがちなのは自分想像力限界を知っているがゆえに、行動をする前にリスク判断限界までやろうとしてるから

物腰が柔らかい人がなぜ柔らかな対応をしているかと言えば、想像力のない人間が抱きがちな「俺はマジで素晴らしい人間から、みんな俺の言うとおりであるべきだし、俺に対して敬意を払うべき」という傲慢さがないから。

優しさとは、柔らかさとは、自分判断力を疑うという行動方針によって生み出される態度なのだよ。

分かったかね?

何故自分優柔不断なのか分かった

今まで何かを決断する時に、「自分がやりたい」を基準にするのではなく、「やらなければいけない」を基準に考えていたからだ。つまり、本当は俺は何もしたくなかった。

もし選択肢がやりたい事だったならば多少のリスクがあってもよりやりたい方を選べる。しかし、選択肢がやりたくない事だったらリスクの大小だけで決めることになり、リスクは不確定のため決められないのだろう。

次に来るのはモチ

風呂でふと思いついたんだが、これまでのなんたらパフォーマンスって、自分が使えるなんたらの節約じゃないか

コストパフォーマンスって可処分資産節約だろ。

タイムパフォーマンスって可処分時間節約だろ。

それで考えると、あと節約したくなるものってあれしかないだろ。自分の心の余裕、可処分精神しかないだろ。(どうでもいいけど、マインドシェアって言う奴マジで居なくなったよな)

それで考え直すと、上の2つは可処分精神節約内包されてるんじゃないのか。

コスパがいい→「値段高!ただでさえ金がないのに、こんなに金掛かるのかよ!」というイライラ思考を取られない

タイパがいい→「動画長い!ただでさえ時間がないのに、こんなに待たされるのかよ!」というイライラ思考を取られない

どっちも、イライラ思考を取られないのが良いんだろう。ならそれが主体だ。

ということでキャッチー略称にしたいが、いい単語全然見当たらない。思考力だからthink?決断ならdecide?余裕ならmargin感情ならemotion?やる気ならmotivation?これなら略すならモチパか。美味しそう。

は〜〜〜〜〜〜もう適当に良いの決めたやつが優勝。それがいい。なんか悩んでたら俺の思考が削がれた。気に食わない。あとなんか部屋寒いカス。俺のモチパを下げてくるやつは許さん。てかもう全部俺の代わりに決めてくれよ。そのほうがモチパ良いから。

anond:20240326101713

レイシストな上に反ワクチンな模様

国の機関が #こびナビ のような団体をオーサライズしているかのような発信をするのは、やはり偏りがあるし、結局はワクチンを打たせるという圧力しかならず、副作用も大きい。情報リテラシーを高めたり、自己決断によるワクチン接種という面からも盛大に矛盾している。#厚生労働省 #河野太郎

https://twitter.com/yasushi_fujii_/status/1421587147455270913

2024-03-25

相対主義は悪い」というよりも

この間、SNSである議論に参加というか巻き込まれて、私含めた数人の参加者レベル的にそれで結局答えなんか当然でなさそうな雰囲気だったので

「結局これはどっちもどっちってことなんじゃないの。こんなことしてるより別のことをしたほうがいいよ」みたいな返事をしたら

「それは悪しき相対主義だ」「相対主義の皮を被った保身でしかない」みたいなことをある人からいわれた。(「別のことをしたらいい」というのが相対主義?なのかはよくわからん

でもそいつ全然自分意志があるのか怪しい話しか出来てない感じだったが。

しかし、この10年ぐらいの間に、「相対主義はとにかく悪い」という人たちの意見が目に付くようになった。

今日晩御飯の内容からガンダムみたいなアニメ評論日本アジア歴史問題認識の差まで。軽い話題から深刻な内容まで、一つの物差しでそれぞれの問題を計るわけにはいかないにせよ。

でも「相対主義責任放棄であり社会問題の根源~」みたいなことをいう人はリベラル側に結構いる。

資本主義でも社会主義でも、いじめっ子でもいじめられっ子でも、ドリフでもひょうきん族でも、連邦軍でもジオン軍でもなく、相対主義

ほとんどの日本人は6・3・3制の学校で、まあ、社会処世術とでもいうものを学ぶはず。日本人の「思想」「思考」が問題にされるとき、大体学校教育まで遡って批判されることが多い。

でも、私は小学校から高校まで「相対主義」なんて学んだことはない。相対性理論はあるけど。大学でも、ゼミでいろいろやったが、具体的に相対主義とは言わないにせよ「中立的」な見方記述をするようにはいわれた。

我々もそうだったが、年に何十万人の若者が、中卒・高卒大卒のいずれであれ社会に旅立ち、この社会構成する。そしてほとんどの人々は、リベラル派の危機意識からすれば(どう形容していいかからないが)、「相対主義」者ということだ。

学校で、国が定めた教育課程により(理系は一先ずおいといて)国語社会公民・図工美術音楽語学道徳などの授業を6年間や3年間学び、家庭生活も過した人々が、学校を出る時には「相対主義」者として再生産される。

そしてそれは悪いことなのか、私にはわからない。この国は民主主義であり、自由主義であり、自分思想を選ぶ権利があり、その上で、多くの人々は確固たろうが適当であろうが、相対主義選択し、それで別に社会を維持できている。

少なくともこの社会のかなりの部分が、毎年再生産される「相対主義」で維持されているのは事実だ。相対主義者による虐殺であるとか強制収容であるとかも見聞きしたことがない。何がよほどの悪なのだろうか。

逆に、「相対主義であることを徹底的に拒否する教育生活とは何なのだろうか。

私は相対主義への批判を見るたびに、言っている人々の普段言動比較しても、なんだか検閲全体主義に近しい論調だなと感じ続けている。

社会の授業で世界の国々や選挙制度について学ぶときに、ある国は素晴らしく、ある国は劣っていると教育するのだろうか。ではその上で日本立ち位置をどう教えるのだろうか。

ベートーベンの曲を聴いたりピカソの絵を鑑賞した時に、楽譜や色調に現れる技巧は別として、徹底的に「ベートーベン」「ピカソ」の何たるかを国が定義し・教師もそれに盲目的に従い・生徒に刻み付けるのだろうか。

(よく相対主義の引き合いに出される)機動戦士ガンダムを視聴するときに、連邦軍ジオン軍のいずれかが徹底的な善であり対極は悪であると必ず親御さんが傍で「アドバイス」し続けるのだろうか。あるいは制作時まで遡って指図されるのか。(ゆうきまさみがそんな漫画描いてたな)

相対主義決断責任拒否かもしれないが、では非・相対主義決断責任日常的な強制にはならないのだろうか。それは反世俗主義的なカルトや閉鎖的な集団思考(例えばエホバの証人、旧統一教会搾取目的とした自己啓発セミナー戦前日本政治など)とどう違うのか。

これらの集団若者二世三世信者に対してどう当っているのかも含めて。

もっと言ってしまうと、リベラル的なさまざまな批判や許容の精神は、人々に曖昧に巣食う相対主義という岩盤の上で存続できているのではないか

長々と書いてしまったが、私としては、相対主義であると言われることは受け入れた上で、それが悪いとか変わるべきだとする思考には至らなかった。

ただ考える中で、他の問題も含めて、「教育・学制」というものはかなり意識する必要はあると思った。

毎年、「相対主義」であり、「自民党を『安易に』支持」し、「映画音楽を『表面的』に」しか鑑賞できず、あるいは「胡散臭いやり取りを『プロレス』、くだらない文章を『ポエム』と呼ぶ」大衆再生産されている。

そして大学教授活動家いくら「再教育」しようとしても改まることはない。果してこの毎年の大衆再生産の渦とでもいうもの「悪」「間違い」なのだろうか。

今年32歳になる発達障害者の男だけど、転職しようにも先が見えない

【経歴】
地方国立大
1社目:2年10ヶ月(正社員)→2社目2年(契約社員)→空白期間11ヶ月→3社目:1年6ヶ月(契約社員
3社すべて福祉業界就労系の現場での採用

最近上司が変わったことをきっかけに、自身利用者に対する言動について注意を受けるようになった。上司によれば、利用者不安を抱いたり、勘違い助長させるような言葉で私が声がけをしてしまうというらしかった。けれども、利用者への声がけのしかたは今だに一体何が正しいのか理解できず、求められるものの変化についていけなくなり、体調を崩して退職決断した。この現場で密なコミュニケーション情報共有が必要であるという上司の考えは間違っていないと思う。自分はそれをもっと早くに学ぶべきだったし、それを学べる中堅社員のいる環境に1社目から身を置きたかった。

1社目在籍時に、利用者の振る舞いが自分と近似していることに気づいて、精神科検査を受けた。そこでASD傾向と軽度のADHDが明らかになった。体調を崩してからは以前よりも不注意傾向が悪化した自覚があり、段取りが難しく、スケジュールも正確に管理できなくなったように感じる。一番困っているのは脳から情報を引き出して言葉にするタイミングを計るのが難しいこと。一方的に人に何かを教えるのは得意だと思う。ただ、その先の雑談失言などしてしまわないかが今後も怖い。

今の自分には高いコミュニケーション能力と問題解決力を同時に求められるような仕事は困難な気がするし、これまでのように正社員契約社員で働くことはもう難しいかもしれない。障害者雇用で別の業界求人を探しているけど、どんなに条件を広げてもフルタイム勤務で応募できそうな求人が少ない。派遣への登録や、障害年金パートなどの収入で食いつなぐことも視野に入れるべきだろうか。

2024-03-24

人生って、うんち!

俺は何もできない人間だ。心からそう思う。

自分存在不愉快まりなくて、どうしようもなく許せない。

常にあり方を変えてくれるナニカを求め続けている。

劇的な、人生が変わるような出会いを求め続けている。

知らなかった頃は、愛がそれかと思った。今も彼女のことを心から愛している。最初に会った時には、ここから人生が動き出すのか、己の人生もようやく灯ったか

本心から期待を抱いた。淡かった。私をただ認めてくれる人間存在は、確かに助けにはなったのだが。

人は人生問題が一つ解決しても、それだけで全て救われるものではない。

浅ましいこと限りない。どれだけ欲張れば気が済むのか。渇愛の念は弱まり自責の念けが残る。素晴らしい彼女からの素晴らしい愛によって、生きる理由が一つ増えた。それでも、自分にとって自分不愉快なままだった。

生きる理由が増えたことは、生きたい理由が増えるということではないらしい。

また一つ、希望が消えた。一般的に生きる理由とされるもの。年を重ねるごとに、生きる理由の心当てが無くなっていく。私は変われないのだろうかと不安になる。

負の感情を抱くことは、それ単体で生きたくない理由になる。生きる理由ストックが減り、生きたくない理由の不良在庫けが着々と積み上がっていく。

ここまでの思考すらも負の感情足り得る。人に救われたい。でも救われたくない。

進めないまま、ここで立ち止まって生きるしかないのか。嫌だ。苦しい。

両親は善人だ、友人は善人だ、社会に生きる人間は、随分と楽しそうに生きている。

知能も、身体能力も、感情の抱き方も、愛も、信頼も、社交力も、努力も。

社会必要だとされているものが、全て中途半端。全く持っていなければ諦めもつく。

諦めるには惜しいだけの要素が揃い、上を目指すことだけはできる立場にある。立場上は。

周りの人間は私に期待してくれる。過剰な評価だ。根拠が弱い、そうあって欲しい願望だ。

なぜ自分意思でもないのに、生きなければいけないんだ?

死ぬこと自体ももちろん難しいことだ。完遂できる自信は、はっきり言ってない。

私が死ぬことは、周囲の人間に多大な不利益を引き起こす。

とにかく生きてさえいれば。現状維持か多少のマイナスで済む。

生きる理由の一つ。そしてこれも生きたい理由ではない。

辛い。決断力が人並みにしかない。全てを捨てられない。

私を生かすために私以外の人間が捧げたものを返すまで、死ぬことは許されない。

現世こそ、真に無間地獄のように思う。

2024-03-23

anond:20240323111841

裏で何やってようが国益になることか国民生活の質を上げてくれてるなら

統一カルト政治的決断を委ねて、震災地に3000億ぽっちの支援も出し渋り、

ウクライナに数十兆円規模の支援約束し、税金をあげて、物価高を誘引し、

「貯蓄から投資へ」ってギャンブル煽りをするだけで、給料上昇への実効的な手段を何も取らない自民党がいいと?

散々な評価だった民主党政権ももう少しうまくやれてたわ。

2024-03-22

anond:20240322152945

個人的に警戒フラグが立ったのは「世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから」だな。状況に不釣り合いな大袈裟表現なので、口先だけで世渡りしてる詐欺師のような印象を覚える。

相手増田パワーバランスが逆転していった理由は30歳という女性にとっての節目の年齢を超えたことも大きいだろう。

やはり自分人生決断他人に委ねてはいけないし受け身でいてはいけないな。

アイカツおじさんたち、息してる?

リバイバル上映中の映画アイカツ!10th STORY未来へのSTARWAY~」(以下、アイカツ10th)を見てきたんだけど、昨年公開時よりアイカツおじが減ってて、現役世代、つまりアニメ当時ガチ女児の現JKJD世代ばかりだった

公開当時からアイカツ10thのメッセージはおじたちには殺傷力高いなと思ってたが、、、

おじたちの生存確認にかこつけて、自分感想を書く


そもそもアイカツアニメ(以下アニメ版)は2012年10月放送開始で、主人公星宮いちごトップアイドル神崎美月に憧れて、アイドル学校スターライト学園に入り、仲間たちと切磋琢磨し成長していく話だ


で、アイカツ10thはその約10年後(2023年1月)公開で、アニメ版でユニットを組んでいたメインキャラ3人のいちご・あおい・蘭を中心に、スターライト学園 高等部卒業を前にした彼女ら18歳の年と、その4年後の22歳の年の、2つの時間軸が描かれる


アイカツ10thの構成としては、

という感じ


感想に入る前に背景として、アイカツシリーズ全体の根幹を成す概念に「SHINING LINE*」というものがある

これは、「憧れを道しるべに努力で描き、また次に憧れを繋いで紡いでいく軌跡」みたいなもので、

要は、美月に憧れてアイドルになったいちご努力を重ねトップアイドルになる。さらに、そのいちごに憧れた大空あかり(アニメ版の次の主人公)もまたアイドルになり、努力トップになる

といったアイカツストーリーベースを表している

俺たちアイカツおじは、アイカツ178話を通じて紆余曲折しつつも脈々と築かれてゆくSHINING LINE*に心を震わせ、奪われてきた


ところが、アイカツ10thでは作品を通じて「キミの人生もこのSHINING LINE*なんだよ」と訴えてきている

映画構成やMY STARWAYの歌詞からして、

今の自分は、夢を抱いたころの過去自分にとっては憧れの存在(スター)で、今は辛くて未来不安でも、過去から今まで紡いできた軌跡(スターウェイ)は既にあって、これから自分らしく努力して未来に繋いでいけば大丈夫だよ、それがあなたのSHINING LINE*になるんだよ

というのがアイカツ10thのメッセージだった


このメッセージ一般的なおじには心苦しいのではなかろうか

もちろん、これは現役世代向けのメッセージだってことは解っている

アニメ版放映当時10歳だった幼女先輩方は、アイカツ10th公開時で20歳になっている。きっとコロナ直撃の高校生活を経て、JD就活を控えorただ中だったり、高卒就職勢も社会人としてシンドイ時期だろう

そういった子たちには響くと思うし、イチおじとしても頑張っていってほしいと思う(キモくてスマンな)


一方、我々おじたちは、「星宮いちごは俺が育てた」ばりにSHINING LINE*の外側からフアン目線で、なんならいちごちゃんたちの親目線で、彼女らの成長を見守っていたこから10年経った

我々はどう生きてきただろうか


もちろん、努力を積み重ね、10年前の自分に憧れられるような自分になっているおじもいるだろう

今の自分がさほど立派でなくても、着実に、自分なりに人生を歩んできた、自己肯定できるおじもいるだろう

まがりなりにもアイカツを見てきたんだからいちごちゃんたちに感化され、努力し頑張ってきたアイカツおじはたくさんいると信じたい


でも俺もいい歳なので、そんな人ばかりではないことは知っている

思い通りいかずにクサったやつ、特にやりたいこともなく日々ダラダラ過ごすやつ、現状の文句ばかりで何も行動しないやつ、努力できる環境にもいなかったやつ、……

こんなおっさんらの中にもアイカツおじはいて、アイカツ10thを見た人もいるだろうと思うとツラい気持ちになる

劇場で、あの輝かしいSHINING LINE*をお気楽フアン目線で久々に見れると思ってたら、「この10年頑張ってきたあなた人生こそがSHINING LINE*なんだよ」と言われてしまうとは

いちごちゃんにこれまでの己の人生を突きつけられて、無事死亡したおじたちは結構いるのではなかろうか……

成仏してくれることを祈っている


と、昨年公開時に思ってたら、今やってるリバイバル上映ではあからさまにおじ率が低く(N=1だけど)、アイカツおじ達が生きてるか心配になって長文失礼しちゃいました

俺が行ったのがたまたまおじが少なくて、他の回や場所でおじ達が生きてればいいんだけどね


# 2022年に前半上映しとるがな、とか、いちごちゃん3/15生まれなんだから18歳ちゃうやろ、とか、美月さんの前にマスカレードやろがい、とか、あかりちゃんスターライトクイーンにはなったがトップアイドルか?とか、ツッコミどころは勘弁してな

株の素人です 失敗しました

日本株4.3ブル買った次の日にマイナス金利解除見込みで暴落 すぐに売ればよかったが3日くらい立ってもっと落ちたときにやっと決断 けどそこが底値で今はまた盛り返してる 勉強になりました

2024-03-21

anond:20240321110738

海外に住むことを決めるのは大きな決断で大変なのは確かだが、気に入った土地や家を見つけてここに住もう!と引っ越すだけの話だよな


コイツの周りの日本では引っ越すたびに、日々現実絶対認めたくなくて認めたら愚か者になる気がしていて、ここが良い場所って確認したい気持ちがいっぱいの奴がいっぱいいんのか?すげえな日本って

anond:20240321100920

海外に住むことを決めるのは大きな決断で大変なのは確かだが、気に入った土地や家を見つけてここに住もう!と引っ越すだけの話だよな

コイツの周りの日本では引っ越すたびに、日々現実絶対認めたくなくて認めたら愚か者になる気がしていて、ここが良い場所って確認したい気持ちがいっぱいの奴がいっぱいいんのか?すげえな日本って

anond:20240320153645

オッサン巣窟であるはてな利権だのお仲間だのって意見散見して悲しい気持ちになってきたわ。多分こういう事言う奴って非正規だったり下っ端社員だったりで人を使う立場で働いたことがないんだろうね。

職位が上がるにつれ人をいかに動かすかが重要になっていくし、板挟みになってどっちも正解じゃない中で決断しなきゃならないし、自分コントロール出来ない事に対して責任を持たなきゃいけない。付き合う中には嫌な奴もいるけど成果のためには我慢しなきゃいけないこともある。

自民はクソだけど成果を出さなきゃいけない立場の苦労ってのは理解できるんだと思うね。維新大阪では与党だし。

だけど野党左翼政党にはそういった責任者の立場ってのが無いんだよ。可哀想だと思ったら助ける、リソースはどっかにあるはず、副作用は知らん。この法案懸念があるから反対、元の問題懸念と共に無かったことに、とかね。

別に現役世代積極的自民を支持してる奴なんて殆どいないと思うぜ。だからこそ野党には頑張って貰いたいんだがバカの方ばっか向いて真面目に政権奪取目指してるように見えないから余計に腹立たしいっていうね。

30代には思い付かないような発想、ポジティブさ、全部眩しかった。だから、声をかけてくれた時正直嬉しかったんだと思う。

君が、多くの人に好かれてるのも知ってる。自分の姿を何度も変えていることも知ってる。

どうして自分は踏み出せないのかな。君が軽々とした決断を、他人には真似できないその一部始終を私の身体を乗っ取ってやって欲しかった。

その精神性が欲しいよ。

anond:20240321051306

海外に住むことを決めるのは大きな決断で大変なのは確かだが、気に入った土地や家を見つけてここに住もう!と引っ越すだけの話だよな

コイツの周りの日本では引っ越すたびに、日々現実絶対認めたくなくて認めたら愚か者になる気がしていて、ここが良い場所って確認したい気持ちがいっぱいの奴がいっぱいいんのか?すげえな日本って

anond:20240320213812

お前、もうちょっと他人気持ちが分かるようになれよ。

海外在住者、特に留学駐在ではない永住的な人たちって、日本に住み続けるか海外に移るかっていう非常に大きな決断をしているんだぞ。

そうなると、自分決断が間違いではなかった、日本は最悪な国でそこから脱出して移り住めたここはもっといい場所だ、と日々確認したい気持ちでいっぱいなんだ。

から暗数考慮した上で日本の方が治安がいいとか、住みやすい国だなんてことは絶対に認めたくないし、それを認めるだけで自分愚か者のように感じてしまうわけだ。

真に自己肯定感自身の軸が強い人であれば、そういった現実データを受け入れた上で自分決断を正しいと思えるのだろうが、そんなに強い人は稀だし、そんな人は海外出羽守をやったりしない。

彼/彼女達のそういった苦悩くらい、汲んでやれるくらいの人の心を持とうぜ。

2024-03-20

anond:20240320221903

そしたら負け組氷河期を養ってくれる世代いなくなるけど良いのか?

嫌う世代に養われるほど落ちぶれてないだろうから、早く決断しろよな

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-19

予言日本ではこれから数年間の間に最大約500万人が追加で死亡する

 内田樹が触れているように、日本は「立ち帰るべき初期設定」(注1)がない国である。立ち返るべき初期設定がないということは、現行のルール自発的に、外部からイベントなしに、変更しにくいということでもある。何かがおかしいと感じられていても「平穏である限り、そのルールは維持される。仮にその「平穏」がル・グウィンの書いた「理想都市オメラス」のような平穏であってもだ。「立ち返るべき初期設定」がないから、そのルールの良しあしを判断できないのだ。官僚機構は、自らに課せられたルールを忠実に守る。それが官僚機構の役目だからだ。官僚機構自発的な変革は期待できないし、期待してはいけない。期待するとすれば、政治家国民の、そして、外部からイベントになる。

 さて、ルール再考きっかけとなる、外部からイベントの一つが、「人の死」であるブラック企業対策きっかけになったのは、高橋まつりさんの死だったし、統一教会対策に動き出したのは安倍晋三元首相の死がきっかけだった。でも、この2つはもともと国民の側にある程度の不満が溜まっていたからこそ、一人の死でここまで動いた。では、もし、国民政治の側が致命的な選択肢を選んでいるにもかかわらず、その致命さに気づいておらず、不満も持っていなかったら?

参考になるのは、前世紀において、日本アジアに対して行った侵略戦争である日中戦争開始当時、そのことを間違っていると考えた国民は少数派だった。みずから選択肢が誤っていると判断して無条件降伏するまで、多くの人が亡くなった。特に戦争末期になって戦没者の数は急激に増える。全戦没者のうち9割を占めると言われる。最終的に、東京大空襲沖縄戦ソ連の侵攻、原爆投下にいたる。死者は軍人軍属民間人合わせて240万人〜310万人とも言われる。当時の総人口を7500万人とすると、3.2〜4.1%にあたる。それだけの犠牲者が出た段階で、ようやく政府終戦決断した。

 さて、今現在日本は、戦時下にある。それはCOVID-19との戦争である。互いに殺し殺されるという関係では、戦争公衆衛生もたいして変わりがない。違うのは、ウイルスには意志戦争遂行責任者もない点である歴史は繰り返さないが韻を踏むという。すでにその兆候は見えている。

 

 ・責任者の不在

  5類の意向により、政府感染対策民間に丸投げし、積極的感染対策を取らなくなった。

  一方、民間民間で、上の指示がない限り積極的感染防止対策を行わない。結果、誰が責任者かわからないまま、だらだらと戦争は続いている。

 ・初期段階は現場努力で上手く行く

  すくなくとも、戦争が始まってからの数年間の動きは素晴らしかった。しかし、それらは、現場民間努力によるものであり、長続きはしなかった。

 ・戦争相手の実力を甘く見積もる

  中国米国の実力を見誤ったように、コロナウイルスの実力を甘く見積もる。「ただの風邪」という言説はその最たるものであるしかし、実際にはコロナウイルスは想定よりも厄介なウイルスである心臓疾患や認知障害をはじめとする様々な疾患を引き起こし感染性も高く、免疫逃避性も高い。繰り返し感染するごとに、後遺症発症する確率もあがってゆく。

 ・戦争に対して不足する自リソース

  脱マスク診療報酬の削減、ワクチン任意接種化で、全数把握の取り止め、無料検査事業の終了、患者の届け出の把握など、わざと自らのリソースを削減する。

    

 これらの結果、戦争開始当初は、現場の奮闘と戦術でうまくいくが、戦略の無さとリソースの不足でやがて負ける。いくら指揮命令系統を強化しても意味がない。負ける理由戦略の不足であり、決断の不足であり、思想の欠如であり、「立ち帰るべき初期設定」の欠如だからだ。幸か不幸か、戦争相手ウイルスであり、どこかに大本営があるわけではない。現場で戦う個々人に対し、リソースを潤沢に供給し、支援し、戦い続けられば、少なくとも五分五分には持ち込めるだろう。マスクを着用させ、手洗いを励行させ、ワクチンを接種させ、その代金を支援し、発熱外来コロナ病床を提供する医療機関資金面支援し、ワクチン製造し、備蓄し、抗原検査キットを配布させれば戦い続けることはできるであろう。しかし、緊縮財政の名のもとにそのリソースを絞ってしまった。

 おそらく、前戦争におけるミッドウェー海戦に相当するものは、コロナウイルス感染症の5類移行である。あれをきっかけに潮目が変わった。明らかに社会コロナウイルス感染症は警戒しなくて良いというメッセージと受け取った。テレビでは、「コロナ明け」という単語が飛び交い、マスクをつけなくなり、飲み会に繰り出し、満員電車は復活し、学校では積極的に脱マスクが推進されている。ウイルスは弱毒化どころか、ますますその凶悪性質が明らかになっているというのに。

やがて、免疫が弱体化して感染症が蔓延し、または、再感染でロングCOVIDが蔓延し、人がバタバタ死に始め、国民おかしいと気づくまでこの状況は変わらないであろう。どのくらいの人が死ぬだろうか。前大戦では総人口の3.2〜4.1%であったことを思い出してほしい。2024年現在日本人口を1億2000万人とすると、死者数は、384〜492万人に及ぶ。そこまでの死者を出して、ようやく国民政府は、自らの選択肢が間違っていると気づくであろう。

 筆者は、この予言が当たらないことを祈るのみである

 

注1 内田樹,『日本辺境論』,新潮新書,p24

婚活で学んだこと

敵視しない

どれだけ傷つこうが他者を敵視しない、ネガティブにならない。新しい相手から見た自分は完全に初見

その敵視やネガティブ性格の一部だと思われる。敵視やネガティブになることでクオリティの低い人間が引きつけられやすくなる。そうするとますます敵視したりネガティブになりやすい。そんな地獄の底のような人間と誰も結婚したくないというのは明らかだ。

相手の嫌なところばかりあげつらって自分承認欲求を満たそうとすると「お高く」とまりだす。もはや本来目的を見失った状態になる。これを自覚できなくなると危険。友人にも見捨てられかねない。

とにかく自分との戦い

何かを勝ち取るためには現状の己の魅力を上昇させなければならない。そしてそれは短期間では得られない。

そうやって今まで生きてきたという自分を受け入れること。そしてそういう自分他人に認められなかったとしても、それも受け入れること。

何が変化させられるものなのかを考え、ひたすら行動する。欲しいもののために自分相場限界値まで上げていく。今の自分で行けるところというのは、大学受験受験勉強せず入れるところを探すようなものだ。

今まで色々なことをサボってきたか婚活することになっている。

全力奮闘と一所懸命

保険を置くことでより状況が悪化する。傷つかないように自分の身を守ることでより傷つく。生きるために死ぬ。怖いからより踏み込むベストを尽くす。ベストを尽くせない自分がいたとしても、それすらも己のベストなのだと知る。

本気でやって失敗することでより成長する。魂が破壊されるレベルの失敗があったとしてもそれを乗り越える。

保険を置くから相手レベルが落ちる。たとえば相手から保険を置かれていることは見抜くだろうし、自分保険を置いていることは相手に見抜かれるものだ。婚活戦場であり、狩場である二兎を追う者は一兎をも得ずという。

相手が二兎を追っていることがわかっていても気にせず追わせておけ。どうせ二兎目が自爆する。自分が一兎目なのだからドッシリと構えておけ。自分判断決断直感信じろ自分人生相手だぞ。

全力でやっていると応援する人間が現れて、良いアドバイスや良い自己肯定感上げが来ることがある。全力でやるから自分力不足自覚できて、恥と無知晒して人に頼ることができる。そういう人間を助けたくなる人は多い。

自分が本当は何を欲しているのか自問自答する

相手気持ちどころか、自分気持ちがわからないことがいちばん問題かもしれない。何を欲しているのか、自分でもわからない。どうしたいのか、これでいいのか、わからない。動いてみてから「やっぱり違った」と思うことは無数にある。

とにかく動き、自分の思いや考えを自覚する。

相手幸せにしたいと思えるか

相手幸せにしたいと思えないのならやめてしまうべき。

自分幸せになりたいだけならうまくいかない。これは相手不在の考え方で、相手理解しようとする気がない。相手依存するだけになる。だから、そういう人間には相手も「自分幸せになりたいだけ」の人間までしかまらない。自分主体でもあり、相手主体でも考えられる、そういう相手を意地でも見つける。

自分主体エゴをぶつけエゴ支配しようとすると、相手相手幸せになれないと判断して嫌われる。相手のことを本当に見ているか、本当に見えているか自分のことだけしか見えていないと呆気なく終わる。

必死さを笑う人は笑わせておけばいい

婚活を通じて人生初の大恋愛を味わう人もいる。それは外からはとてもわかりにくい。それに婚活に限らず、必死で本気に行動している人間を笑う人を相手にする必要はない。

相手にしてしまうのは、己自身がそれを恥じているからだ。「婚活とき必死になる自分」というみっともなさ、ここまで落ちぶれたか、これが市場価値かと思う情けなさがあるはず。それを受け入れられないか相手にしてしまメンタルが落ちる。

この助言を受け入れることは難しい

こんなことが簡単にできたら苦労はしない。それにこれは金科玉条絶対遵守すべきルールでもない。

しか相手からしたら、そういうことが可能人間結婚できたらどんなに魅力的だろうか。自分がそういう人間になればいい。もし足りなくてもそれはそれでいい。それを補完してくれるような存在が見つかれば、その人と結婚すればいいのだから

妥協するから妥協される。妥協しなければ、妥協されない。どちらを選んでも間違ってはいないが、妥協したくないのなら、妥協しなくてもいいのかもしれない。

競争相手はこれができる者たちだと心得る

競争相手も当然これができると考える。競争相手にもリスペクトを。競争相手人生を賭けている。

自分けができると思うと自惚れる。競争相手を祝福する必要はないが、呪う必要もない。競争相手の健闘を祈り、だがそれでも自分が獲得するという覚悟を持つ。

自分ライバル自分くらいの人間だ。

2024-03-18

ドヤ顔逆張りマウントクソリプお気持ち表明おじさんのワイ

岸田さんが呼吸をする度に左右保革を問わないありとあらゆるインターネットユーザー罵詈雑言を吐くので、逆張り精神がムクムクして来て、「それでも岸田さんにいいところはあるやろwww」って思って、就任からこっちの業績を調べてみた。

 

結果、本当に何もいいことはしていない。むしろ全ての決断は「他人いかに苦しめるか」の判断基準がある。

 

進歩的人達の神経をわざと逆なでするような嫌がらせの為だけ法案の数々を強行採決閣議決定で通すかと思ったら、保守的人達精神的支柱である安倍さん政策を真っ向から否定し、安倍さんの近しい人をお飾りの不遇職につけて飼い殺しにし、不意打ち的に派閥を解消させて、それでいて自分達の派閥だけはしっかり残している。裏金議員に対して、何の処罰もしない一方、国民に対しては納税を強調する。 

 

はっきり言って、全方位に嫌がらせをする為だけに首相を続けているとしか思えない。むしろ支持率がさがっているのを見て「効いてる効いてるwww」ってニヤニヤしてるんじゃないかとすら思う。なんならその結果、自民党野党に転落しても、自分に逆らった議員落選する方を喜びそうだ。

 

全ての行動基準嫌がらせにおかれている真性の悪人快楽殺人者の類だ。あんなのをノーチェックで首相につけてしま自民党のヤバさが際立つ。今さら自民にまともな倫理観は期待していないが、せめて犯罪者思考キチガイサイコパス神輿に担ぐなよ。

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