はてなキーワード: 決意表明とは
介護保険2割負担拡大は「安心を掘り崩す」 樋口恵子さんら反対訴え
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https://www.asahi.com/articles/ASQ9H5SYFQ9GUTIL036.html
https://www.asahi.com/articles/ASP8K6KW2P8KUTIL03N.html
https://www.asahi.com/articles/ASP615G3KP61UCLV009.html
https://www.asahi.com/articles/ASNBR7G48NBRUTIL05C.html
俺の人生を取り戻した
14年間楽しかったです
向井地のこの発言がAKBファンと一般層の間で、大きく見え方が違う理由、そして、このツイ主がなんでここまで大きく絶望したのかという理由をコロナ前くらいまでの10年弱を在宅のゆるいファンとして過ごした人間がわかる範囲で書くよ
岡田奈々は今のAKBというアイドル組織体を体現したような人物である
ある意味、一般人が想像するAKBを取り巻く言説、「努力は必ず報われる」とか「恋愛禁止条例」とかを体現したようなキャラである
元々14期生の中でも期待された3人(通称三銃士)であり、比較的早いタイミングで選抜にも重用されてきたし、
後輩の面倒見もよく、かじ取りの難航が予想されたSTU48の立ち上げ時に兼任派遣もされた(ただし、これは成果を出し切れないところで解除される)
というのがファン間での共通認識、いや、ファンだけでなくメンバーも含めたAKB界隈でのパブリックイメージだった
そして、彼女にはずっと相思相愛的なコンビ的メンバーがいて、それが今回、もう1人文春にやられた村山彩希(ゆいりと読む)である
村山は自他ともに認める「シアターの女神」であり、秋葉原の劇場公演を多い時には3回に2回は出演している(自チームだけでなく、他チームなどの助っ人にもどんどん入る)メンバーで、そのため熱狂的なファンが多く彼らが村山を押し上げた結果、選抜常連にまで上り詰めた努力の人である
この二人に総監督の向井地、向井地の最お気に入りである茂木忍(とはいえ、期は向井地は15期、茂木は13期)を加えた4人で始めたのが
https://www.youtube.com/channel/UC0X6o-aELH_Rt3ZXLoKxe-w
体裁としては、向井地が自分の仲良しであり、仕切りの上手い(ただし、ファン支持は低い)茂木とのコンビに、岡田村山のペアを誘って作ったいわゆるダブルカップルの体裁である
そして、これはAKBのYouTube戦略として最初に作られたチャンネルである
つまり、AKB的に(ファンからの妄想的にも運営の戦略的にも)公式カップルみたいなのが、この岡田と村山なのである
と
AKBのシアターの女神であり、フィジカル的理想の人物である村山
まあ、うまく陰陽が重なった感じもあり、シスターフッドな百合営業をするには完璧な組み合わせではあった
こう書くと、ファンや運営、メンバーがこの二人をなぜ重用したのかは多少わかりやすくなるかもしれない
恋愛禁止条例については、すでにファンの間でもある程度のフェイクであると認識されている
そりゃ、何人も文春に張り込まれてその地位を失ったり、AVに行っちゃったりしているグループですからね、ファン歴長いほどまあそういうもんだよなとは思ってるのである
そもそも、それを言い出したら、さんざんスキャンダルのぼやを起こしながら居座っている柏木由紀はどうなんだということもあるし、実はファンの間でも峯岸みなみの坊主については今は支持はされていない(当時もそんなことする必要あった?というのが半数以上だった)
そもそもこの人はいわゆる恋愛禁止条例をもって、そういうスキャンダルを起こした人を明に暗に批判してきた人なのだ
一番、激烈に批判していたのは、須藤凜々花の総選挙の結婚宣言に対してで、この時、岡田はスピーチを受けて
「今のAKBグループは、スキャンダルだったり、問題を起こしてそれをネタにしたり笑いにしたりして、そこから這い上がるメンバーがよく見られます…いいと思うんです!みんなが一緒じゃ絶対つまらないし、そういう人がいてもいいと思ったんですけど」と前置きした上で、「でもそれを真似していいとは絶対思わないし、自分は真面目にやっていてもいつか必ずAKB48のてっぺんをとれると思っています。真っ直ぐに頑張っている人が報われるように、グループを変えていきたいです」と持論を展開しながら熱く決意表明。「48グループの風紀委員長を目指して、これからも全力疾走していきたいと思います!」と後輩のお手本になるようなアイドルになることを宣言した。
とかなり強く批判している
そして、このスピーチは一定のファン層に強く支持されたのも言うまでもない
それが今回のスキャンダルで結果的に、特に岡田をそれほど推してなかった他メンバーファンからしたら、あれは何だったんだとなって当然だろう
実際に5ch ではスレもたってるようだ
先ほども書いたように岡田には、村山という相方(とされているメンバー)がいる
ほぼ公認カップルみたいなもので、未だにこのふたりのコンビ名「ゆうなぁ」で検索するとサジェストに
なんてワードが出てくる
ファンの間で二人の関係を描く2次創作だってあるし、この二人でのコンサートなども企画される程度には、ファンどころか運営も半ば公認の関係である
元々、AKBは恋愛禁止というのもあって、メンバー内の仲良しコンビみたいなのが作られやすいグループでもある。
ただ、この仲良しコンビでも百合営業的なところまでやってたのは、このゆうなぁくらいである
しかし、今回のスキャンダルで、これが単に「ダブルデートの連れの男性を隠すためのカモフラージュ」だったという結果になってるのである
そもそも、岡田が誕生日配信で「ファンに心配させるようなことはしない」と村山と言ってる横には、二人の彼氏がいたというのである(あくまで文春の言う通りならばだが)
岡田は自分の発言で、バイセクシャルであることをにおわせる発言をしており、村山はどちらかと言ったらノーマルなので、百合営業だろうというのはわからなくもないが、このスキャンダルはそりゃないだろうというのは、ファンの誰もが思うところである
上記2つは岡田(と村山)についてだが、これは最初に引用した向井地総監督のコメントに対するものだ
前述したように向井地は岡田と村山と仲が良い。彼女が接する機会の多いメンバーの上位3人のうち二人がこのスキャンダルの二人なのだ
それゆえ、今回は比較的早々に向井地は総監督としてメッセージを出している
それが逆に問題になりつつある
つまり「えっ、お前、今回はこんなに早く寄り添いのコメント出すの!?」ということである
向井地が総監督になってから恋愛スキャンダルや不祥事でやめたメンバーは何人もいる
そのいずれに対しても向井地は運営の方針があらかた決まってからコメントをしていた
そのコメントのほとんどは「本人のこれからの活躍を応援します」的なものであり、ある意味、毒にも薬にもならないコメントだった
しかし、今回は早々にコメントをしており、しかもかなり寄り添いのコメントである
元々向井地は「ゆうなぁもぎおん」によるAKBの私物化に見える問題もあったことで、今回のコメントがまあ、友人としてのコメント以上に保身のコメントになっていると思われたのである
そして「恋愛禁止」ルールについて、ここで見直しを語っているのがさらに良くない
まるでAKB本体のかじ取りよりも、自分と友人の保身を優先しているように見えるのである
以上の3つの問題点により、今回の騒動、AKB本体にとっては相当にダメージが大きく、ファンの間にある種の絶望感を与えているのである
この辺を踏まえて、一連の騒動を読んだり、向井地のコメントを読んだりすると非常に味わい深くなりますよという話でした
と、ここまで何度か文字校正などをしながら読み直して、はてな民向けのわかりやすい例を思いつきました
さんざん理想の父親像を語りまくっていたのに、唐突に離婚したりゅうちぇるのあれだ
今回の岡田奈々がやったのはあれ(しかも10年近くのスパンで)が一番イメージ近い
追記:
AKBの用語だと在宅の反対は現場だな つまり握手会、オンラインお話し会、劇場公演などにせっせと参加する人たち
意外かもしれないけど、AKBはそういうのに特に参加しないライトな在宅ファンもけっこういるんです
murlock 百合“営業”ってご自分でも仰ってるじゃないですか。あと引用文、スキャンダルを起こした人を茶化すことを批判しているだけで元となる色恋沙汰に言及してるようには読めなかったので他の文章で頼みます。
さすがの岡田も表立ってがっつりと指名して批判はしないよ。百合営業は何の問題もない、営業するなら関係妄想をこういう形で壊すなとファンは思ってるんじゃないかな
僕はもうファンではないので、ああ、やっちまったかとは思ってたけど。
あと、クィアベイティング的な批判もあるみたいだね。本当にガチレズの人がどのくらいファンにいたのかはわからないけど
よくわからないけど、岸田が萩生田を切るに切れないみたいな話じゃないかな。あの二人は仲良くなさそうだけど
samurai7th 長い
長いという人がいそうだから、見出しだけ追えば、何がファンに衝撃を与えてるかわかるように書いたつもりだけど、バカにはそれでも長いか。今北産業にまとめられなくてごめんね
laranjeiras 総監督って何?あだ名じゃなさそうだし、総監督の地位が何らかの影響与えてそうだし、ジャニーズの滝沢秀明のような秋元康の後継者?
正式名称は、「AKB48グループ総監督」。本来の意は「個々の監督者・責任者の上にいて、全体を取り締まる役。また、その人」(大辞林第三版より)であるが、48グループにおいては、グループに所属する全メンバーを統括する立場であり、いわば「プレーイングマネージャー」。メンバーに対する指導はもちろん、運営に対しても忌憚ない意見を挙げ、記者会見などにおいても常にコメントが求められる立場である。2012年8月の東京ドームコンサートで発表された(第2次)組閣において設置された役職で、高橋みなみが就任。
AKBの場合、SKE、NMBなどの他グループと一緒になることが多いから、その時に仕切り役的に任命されたのが最初だよ
AKBは人数多すぎるから、話を聞く人によって見解が変わったら問題だから、総監督の言葉は半ばメンバーとしての公式見解扱いだよ
誰それ??
とりあえず、以上
オレオレFCは来季監督に岡嶋聡ヘッドコーチの就任が有力となった。週明けにも本人と会談し、就任を要請する見込み。
岡嶋ヘッドは2019年からオレオレU-18の監督に就任し、初年度で、チームをユースリーグ初優勝に導く手腕を発揮し、翌年はUJ1昇格に導いた。今季から9月まではGMを努め、10月からはヘッドコーチとして阿野監督をサポート。幹部内でも「影の監督」との評価が高く、チームを4試合負けなしで残留に導いた。
岡嶋ヘッドも就任に前向きで、受諾すれば来週中に就任会見が行われる。また、阿野監督は来季フロント入りし、ユース年代のポストに就く見込み。同じく退任が決定的な中津真吾社長は来季GMなどのポストに就く予定だと言う。
○…オレオレFCは大分戦後、最終戦セレモニーを行った。壇上に立った中津真吾社長は「19試合未勝利、2年連続で監督を交代し、スタイルをブラしてしまった件は我々フロントの慢心であり、重く受け止めています」と謝罪し「私は今シーズン限りで社長の座を降りますが、サポーター、スポンサーの皆様の声援があったからこそ、来シーズンもJ1で戦えます。こんな未熟な社長ですが、もっと視野を広げ、勉強していきます。1年間ありがとうございました」と涙を見せながら、挨拶を終えた。
今季限りで退任する阿野監督は「17位で終わりましたけど、残留を果たす事は出来ました。しかし、決して満足のいく成績ではないことは選手も、僕達もサポーターも理解しています。たった1ヶ月でしたが、来シーズンはいちサポーターとして、このクラブを熱くサポートしたいと思います。ありがとうございました」と挨拶した。
主将のMF山本は「残留する事は出来ましたが、今シーズンはサポーター、スポンサー、フロント、そして選手、コーチングスタッフみんなが臨んだ結果、成績ではありませんでした」と謝罪した。
そして「今ここで来シーズンも応援よろしくお願いしますと言う事を軽々しく言う事は出来ません」とし「今のままでは来シーズンも同じ事を繰り返すと感じました。それでは成長はありません。J1にいる以上、僕達もサポーター、スポンサー、フロントの方々も上を目指していますが、そういうチームになるにはどうすれば良いか、川崎フロンターレさんや横浜Fマリノスさんのようなチームになるにはどうしたら良いか、選手と一緒に戦いたいと思っていただけるようなチーム作りをしなければいけないと思います。選手個々がどうしたらチームが強くなるのかを考え、精進して行きますので、見ていてください」と決意表明した。
https://blog.tinect.jp/?p=72672
「毒親本を眺めていると、親を毒親とみなした当人が子育てを始め、毒親の連鎖を自分の代で断ち切ろうと決意表明する場面がしばしば登場する。」
うんうん。
「毒親というスラングが親の後天的問題に注目している以上、これは自然な決意表明だろう。」
うんうん。
「毒親というスラングになじんだ人が、決意のもと、子育てをはじめることに不思議はない。」
はぁ!!?断ち切ってないやん!毒親育ちで苦しんだ人間が子育てをはじめる事は虐待の連鎖だよ!断ち切るどころかその逆だよ!!!
「ところが親ガチャというスラングは後天的問題と先天的・遺伝的問題の両方を含んでいる。」
うん。
「親ガチャに敗けたと自覚している人が親ガチャ敗北を自分の代で断ち切ろうとするなら、確実な手段は子どもをもうけないことである。」
これこそが本当の意味で負の連鎖を断ち切るって事だよね。本当にそうなるならば素晴らしい。
「親ガチャは、先天的・遺伝的問題と後天的問題の両方を射程におさめたスラングだから、毒親と違って、決意や後天的努力だけでどうにかできると考える余地が乏しい。」
うん。
もうやめてくれ本当にやめてくれ
あなたは物事をよく知ってるね、それに比べて私は…って全部の話で己を卑下し私を持ち上げるのを是とする雰囲気やめてくれ
私は物知りではないしあなただって私の知らないことを知ってるはずだって何回言えばわかるんだ
なんでそんなコミュニケーションの取り方しかできないんだ、セクハラ発言禁止されたら黙っちゃうおじさんと一緒じゃんか、対話の引き出しがそれしかないのか…?
あなたはキャリアもあって有能で非の打ち所がないね、それに比べて私は
知らないよ、あなたのことなんて知らない、比べないでよ、自分のコンプレックスを私との対比で勝手に感じて吐露するのやめてよ、私の何を知ってるの、悪気なく言ってるつもりでこっちに負担のでかいコミュニケーションまじでしんどいんだってば
笑って流したら褒めが足りないと追撃してくるところ、否定したら謙遜しないでと窘められるところ、真面目に返したらそんなに真剣になってどうしたの?と聞いてくるところ、辟易
でもまあ人の振り見て我が振り直せだよな、私はこうはならないぞという決意表明です。
先週の月曜日に拾った子猫を、今週の水曜日にひとにやった。ほんの短い間だけ、どたばたで面倒を見た。私の、女性の平均値をだいぶ下回った小さい両手にも乗るくらい小さな子猫だったが、それがたった一匹いなくなっただけで室内にすきま風が吹いたような淋しさがあり、改めて猫ってすごいなと思わされた。
とはいえ子猫に会いたいかというと、それよりも子猫の新飼い主に猛烈会いたくないという気持ちの方が遥かに勝るので、子猫には是非とも私の知らんところで幸せになっていてくれと願ってやまない。新飼い主には、子猫が思う通りにならなかったとしても、うちをあてにすることはしないで欲しいと思う。もう私は知らん。
https://twitter.com/Sato_adachi/status/1527562865292746753?t=VhTjz4vOS5ZMsOwStVliuA&s=19
これは犬の話だけれども。
もしも子猫の貰い手が見つからなかった場合は、動物愛護団体を頼ろうと思って色々調べたり各所に問い合わせをした。それで知った事をちょこっと書いておこうと思う。大して多くないけど。
というのも、犬の飼育は法律で登録制とされていて、また、野良犬は捕獲対象だからだ。ある程度人間には害のある生物視されているというか。
一方、猫は犬とは違い飼育に登録は不要で、野良猫を捕獲するための法的根拠がない。民家の庭にうんちをしたりゴミ収集所で生ゴミ漁りをしていても、それが迷惑だからといって駆除することはないらしい。
また、猫は繁殖力が強く、民家やその敷地内の狭い所に隠れるので、駆除しようとしたところでそれは無理なのだ。
じゃあ、野良猫をどうするのかというと……県庁や自治体のホームページを読んだところ、野良猫は地域猫とし、人と猫との共存を図るということだった。いくら野良猫が邪魔だとしても虐待したり殺したりするのは違法なのでやらないように。猫を捨てるのもご法度である。じゃあ人間は野良猫改め地域猫が増えて行くのを手をこまねいて見ているだけなのかというと、そうでもなくて、地域猫の避妊手術を行う活動というのがあるらしい。
ともあれ、犬はよく管理されているので保護犬の数は少なく、猫はそうでもないから保護猫は多い。
動物愛護団体の譲渡会は犬猫の両方を受け入れていても、実質猫の譲渡会のようになっているっぽい(これは動物愛護団体のレビュー情報)。
ネットで県内や近県の動物愛護団体の連絡先を検索したところ、数件ヒットしたのだが、後に県営の動物愛護センターに電話したところ、信用できる民間の動物愛護団体として紹介されたのは、たったの二件だけだった。
動物愛護センターに問い合わせたところ、もしも保護した子猫に対して情があって生きていて欲しいと思うなら、預ける先はここじゃない、と言われた。動物愛護センターで動物が保護される期間は短く、多くの動物が殺処分となるのが現状だそうだ。
動物保護センターでも譲渡会を行っているが、現実にセンターに収容されている動物は、新飼い主にお迎えされない何かしらの事情を抱えているものばかりだそうだ。
動物愛護センターから紹介された民間の動物愛護団体が、どちらもホームページを持っていたので、閲覧した。ウェブ上でも写真つきで猫の里親を募集していた。
アーカイブを見ると、やっぱりというか……成猫は長々と募集状態であり、子猫は里親決定済みかトライアル中となっていた。どんな犬猫でも受け入れるという決意を持っていても、可愛い子猫を見ちゃうと、この子がいいってなるんだな……。
数年前、動物愛護団体の譲渡会に里親希望として参加して嫌な思いをしたという事を書いた増田がいたが、では逆に譲渡希望者にとっての動物愛護団体はどう見るのか。
うちは結局、譲渡会に足を運ぶ前に子猫の貰い手が見つかったので、直接ボランティアの人達と対面することはなく、電話で話したきりだったけれど。でも、電話で受けた説明やホームページに書かれた事を信用するなら、普通に頼れそうな感じだった。
譲渡希望者が個人情報を根掘り葉掘りされる事はなさそうだった。ただ、サインすべき書面があり、提出しなければいけない書類もあった。保護動物の健康診断書、検便検査結果(陰性でないと譲渡会には参加不可)、ワクチン接種1回目の領収書だ。
保護動物の健康診断書を出すからといって、譲渡会に参加できる動物が健康体に限るという訳ではなく、持病や障害があってもよいそうだ。どういう病気や障害があるのかを知るための健康診断書なので。
ワクチン接種代の領収書の提出必須な理由は、譲渡会の参加資格に関わるからだった。譲渡会に参加する時の月齢・年齢なりに受けるべき予防接種を受けていることが譲渡会参加資格の一つだ。それと、ワクチン接種代は里親になる人に、貰い受ける保護動物の面倒を生涯見るという決意表明として支払ってもらうという。ボランティアスタッフが里親に請求し、得た代金はそっくり譲渡人に返される。
譲渡会当日は、譲渡希望者は会場に出向いて動物とそのエサと使い慣れたトイレをスタッフに預け、提出書類を出し、参加費を納め、書面にサインをして、あとは譲渡先が決定するか閉会までは会場の外で待つ。里親希望者との交渉はボランティアスタッフの担当だ。それはコロナ対策のためだそうなので、平常時は譲渡人も会場に居れるのかもしれないが、そこの所は詳しく聞かなかったのでわからない。
もしも譲渡会に出した動物に貰い手がつかなかったら、譲渡者は動物を自宅に連れて帰って世話をし続けなければならない。その動物愛護団体では、人手と費用の問題から動物の預りは行っていないのだそうだ。
なお、私が問い合わせた動物愛護団体の場合、譲渡会の参加費=動物愛護団体への寄付金だった。譲渡会の参加費は里親希望者が5000円以下で、譲渡希望者はその半額以下だった。
これが相場なのかどうかは知らないが、Twitter漫画の怪しい動物愛護団体とそれが運営する譲渡会と信用できる動物愛護団体とその譲渡会とでは、金額も譲渡会規則もだいぶ異なっていることは確かだった。
動物愛護団体のホームページの里親募集コーナーで、先に登録された成猫にいつまでも貰い手がつかず、後から登録された子猫が早くもトライアルに入っているのを見たら、子猫を譲渡する時には頼れると感じる一方で、子猫のために「(自称)どんな猫でも受け入れる覚悟がある」を里親希望者を先に登録されていた成猫から奪ってしまうようでどうなのかなと思った。ま、成猫の保護猫でずっと貰い手のつかない猫にはそれだけ事情があるのだろうし、簡単に子猫の可愛さになびいてご宗旨変えするような人間になんか引き取られない方が幸せかもしれないが。
1,はじめに
これは最近、あまりにもふとした事で推しがもうすぐ引退するという事実がフラッシュバックしてしまい、情緒不安定の極みになっているため、自分の中で消化するために書いている文章です。
そのため乱文の傾向があり、暗い感情や汚い感情も書いてあるため、自己責任で読み進めてください。
2,なにが起こっているのか
事実のみを書くのならば
『デビューから推してたが最近はそんなに見てなかった推しの配信者がもうすぐ引退する』
これだけです。別に炎上したとかそういう事も一切なく、本人の意向で引退するだけ。
これだけの事が、想像の百倍くらい心に突き刺さっている。
3,自分の浅ましさについて
ものすごく正直な事を言います。最近推しを全然見ていませんでした。
本当に見てなかった。Twitterはフォローしているので、つぶやきを眺めて『おっ、今日も元気だな』ってなってるだけだった。
死ぬほどスパチャしたわけでもない。死ぬほどグッズ買い漁ったわけでもない。デビュー時から推してたと言っても、その程度の人間です。
ある意味その程度の人間だからこそ『辞めないで』なんて口が裂けても言えないんです。言う権利がない。
だって私は推しになにかを還元したか?推しからあれだけのエネルギーを貰って、それをなにかしらの形で返したのか?全然です。
そしてそんな人間にも関わらず、いざ引退ってなると一丁前にショックを受けるのです。口が裂けても言えないけれど、引退してほしくないんです。
推しができるという事は、その浅ましさを嫌というほどに突き付けられるという事だと、私は今更ながら知ったのです。
引退するという事は、自分の中で推しが死ぬという事です。その気配を、本能的に忌避していたのかもしれません。だから私は配信者の炎上や引退にまつわる話題は心底嫌いでした。絶対に見たくなくて、今も自分のyoutubeにはそれ系のチャンネルがいくつもブロックに放り込んであります。
引退したって推しの人生は続くんです。私が今持っているクソみたいな感傷は、推しには一切関係がない。
死ぬほど浅瀬に生きているライトなファンでしかない私ですが、心底推しの幸せを願っています。だからこそ、こんな文章を出す事自体が推しを傷つけるようで本当に嫌です。
推しに死ぬなんていう表現を使うのだって、推しにとってははた迷惑なはずです。それでも使ってしまうのは、私の認識下においては間違いなく死ぬから。
推しが推しとしてあったかもしれない未来の可能性が全て潰える。そのことに勝手にショックを受けているだけの、ダメなファンなのです。
5,最悪の感情
推しが引退を発表してから、あまりyoutubeを見なくなりました。もちろん推しが引退に向けて、最後のスパートとばかりに精力的に配信しているのに、それを見てないんです。
多分、自分の中で、それを見る事で推しが死ぬ事が決定づけられるからなんだと思います。
死ぬ覚悟を決めた推しを見れないんです。だけど、なんで推しがそんな覚悟を決めたのか見たい。
そんな感情で、お手軽な切り抜きに向かおうとする自分がいます。それがもう本当に最悪の気分になります。最低のファンである事を自覚させられるからです。ゴシップ記事なんて死ぬほど嫌いなのに、今の私はそういうものに飛びついてしまいそうです。
それが最悪すぎて、youtubeが見れなくなりました。多分、私はこのまま推しが死んで、全てが無に帰すまで、見れないと思います。
見ないという選択を、私はしてしまうと思います。これ以上、死の気配に近づきたくないから。
見ないという選択は、推しに対する情報が無であるという事です。そうすると私のような最悪の人間はどうするのか。
ああだったのかな、こうだったのかな、こうだったのかもしれないな、だったら引退も仕方ないよな。
そんなやり方で自分を納得させようとするんです。本当に最悪です。推しをなんだと思ってるんだ。お前に推しのなにが分かるんだ?
本当に最低の押し付けです。見知らぬ人間である推しに、自分の理想を押し付けてるのです。本当に、心底、唾棄すべき行為です。
だから私は、このままだと自分を許せなくなりそうで、この文章を書いています。
6,消化
じゃあ結局、どうすればいいのか?結局のところ答えは出ています。
正しく推しを見つめて、死ではなくその先に行く推しを知って、それを見送るしかないんです。
二度目ですが、私は本当に推しの人生の幸せを願っています。推しが推しとして幸せを掴めなかったのなら、その先で幸せになってくれた方が1億倍マシです。
先ほどは、きっとこのまま私は推しの死を見れないと言いました。
だけど同時に、ちゃんと見送らなければいけないと思っています。
私は結局、最後まで自分の事しか考えていない最低のファンです。
それでも、幸せになってほしいと願う事を許してください。
7,最後に
ここまで長々とお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
どこに落ち着くのかは自分でも分からないまま書き始めた文章でしたが、結局は私の自己満足による決意表明になってしまいました。
わざわざ表に出すと別の意味を持ってくるじゃん
「私はこの人を信用しない」というアピール
だって友人と会話する時全ての話に対して「おまえの言い分だけじゃ判断できないな~」って返す?
つまりわざわざ「一方の意見だけ聞いて~」と表明することはそういう意味合いを帯びてくる
いや、分かるよ?Togetterまとめなんかだと事実みんなの知らない人だろうし、鵜呑みにしない姿勢は立派だよ?
でもどうあがいても一方の意見しか出て来ないケースならあなたが一生何も意見できないことが確定している訳で
その事例のコメント欄やブコメにわざわざ「一方の意見だけ聞いて決めつけるのは良くない」と書き込む意味は何なの。
聞いてもいないのに決意表明?頼んでもいないのに他の人へ釘刺し?あるいは中身のない正論でスター稼ぎ?
もっと言うと、例えばあるブコメでは「一方の意見だけで~」と書いておきながら
別のブコメでは発信者の意見を踏まえてガッツリ意見を残すようなムーブをする人が信じられない。
それもはや自分が言及したいかしたくないかじゃん。おためごかしじゃん。
腰パワー王のところに腰パワーを授かりに行ってるんだけど
以前腰パワー王のところに行っていたときのことを思いだしたわ。
腰パワーを授かっても
まだ腰パワーが安定していないので、
腰パワー王がもう来なくて大丈夫ですよ!って言うまで腰パワーが定着安定しないのよ、
きっと。
そんでもう一つ、
まあ波のようにと言ったような例えばの例えがいいのかしら。
腰も歪みを直した波というのが股関節に、
まさにシワ寄せが来るのよ。
翌日股関節が痛み出すという、
腰を治したら
股関節に余波が出てしまうってことなのかも知れない最新研究の結果はそんなことは言ってないけど、
私的には
たぶんそう言うことなのかな?って思うのよ。
そんで、
腰パワー王に診察前
右の方でしょ?って
腰パワー王は問診とかヒアリングとか一切こっちの事はあんまり尋ねられることは無いんだけど、
分かっちゃうみたいよ。
壁一面メニューが貼ってあるベテラン大将が切り盛りしている家庭的な町中華の
そのたくさんのメニュー表は
それと一緒だなって思ったわ。
たまに行って何年か毎に何回も通っているのに
腰パワー王は前者の方なので、
首グキってやるとき緊張感が走る技を掛ける人たちなのかしら?
もし腰パワー王がいなくなってしまったら、
次どこに診てもらったらいいのかしら?って
不安になるけど、
きっとたぶん柔道整体師で検索すればきっとハッピーになれるかも!って今さらハッピーターン粉増量版が有ることに気が付いたような時と同じ気分よ。
ああ!そう言うことか!って
見掛けの派手さとは違って痛くないのよね。
まったくぜんぜん。
腰パワー王が腰パワー安定しましたもう大丈夫ですよ!って卒業証書をもらったら、
腰パワー王に直してもらった腰は大切にして労って使わなくちゃ!って2年ぐらいは思うんだけど
これはマジで繰り返したくないので
腰はもう痛いのはゴメンなので慎重に大事にしなくちゃって
そう思ったわ。
まだ卒業してないけど!
うふふ。
セクシーヤミーでいつ食べても美味しいところがタマゴサンドのいいところね!
もう世界はタマゴサンドだけで良いじゃん!っては言い過ぎだけど
私はそんな勢いよ。
あのたまーに行く足繁く通っていないパン屋さんのさ
レタスタマゴサンド売ってる!って車内から見えるところがまたいいところじゃない?
お店に行ってレタスタマゴサンドが売り切れだったら悲しいでしょ?
そのぐらいいいなって思うの。
買い物行けてないので全然デトックスウォーラーがイケてないわ!
暑くなってきたところもあるって言うから
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
味の決め手は中濃ソースや!って浪速の料理人が言いそうな感じだけど。
そうそう
全然走れてないし、
久しぶりにスプラトゥーンやっても
腕がヘボまっているし、
バイトしてもなんだか上手く立ち回りができなくて、
毎日遊ばないとああいう手のゲームはテクニックが衰えてしまうわ。
すっかり忘れているけどポケモンもまだ話の途中よ。
至ってポケモン全員とふれあうのが面倒くさくなってきたところだけど、
これは私の初めてのポケモンなので、
でね、
私最近気になるのが、
カービィ!
そうカービィなのよ。
私はカービィの道は通ってなかったので、
今度出る新作は遊んだ方がいいのかしら?って思うわけなのよ。
カービィがボスを倒して3人に分身するか否かダンスをするのか否かそう言うのもこの目の私の目自身で確かめなくてはいけない感じもするのよね。
でもついついカービィと言うと見かけ子どもちゃん用と思ってしまうけど
やっぱり1回体験しておくべきべきなのかしら?って
これを理由にしてカービィ遊びたい理由に無理矢理してない?ってことも否めないけど、
実際そうなるってーと
そうね!で終わっちゃうじゃない。
私の身となり骨となり血となり肉となる。
ただおあつらえ向きに、
あれこれ1枚いつの間に誰が交換したんだっけ?って
私しかそんなことするのいないのに、
しかもポケモンアルセウスを交換していたのをすっかり忘れていて腑に落ちたところよ。
親方!空から腑に落ちてきたが落ちてきた!って怒られちゃうところだったわ。
うーん
超長期にわたって躊躇してしまうわ。
本当にカービィがボスを倒して3人に分身して踊るのを目撃しなくてはいけないと思うし、
なんだかビジュアル見ていると楽しそうなのよね。
いや楽しそうと言うかなんというか
世界観気になるところよ。
それが本当に子ども騙しなのかどうなのかは
これがさだめと書いて運命と読ませるように
私が解き明かさないと行けない
人類の謎の一つでもあるかも知れないわ。
まず始めにポケモンアルセウスの謎を解きなさいよ!って怒られちゃいそうだけど、
あれはあれで、
いつでも気が向いたら再開できると思うし、
だってあれボスポケモンに鎮め玉を上手に投げて当てるゲームのボス戦だし、
だから
そう言う時はカービィに横道にそれていいんだと思うわ。
私!
うふふ。
朝これも美味しいのよね。
ハラ持ちがいいし、
久しぶりに食べる納豆美味しいわね。
朝ちょっと30分ぐらい余裕が余裕としてあると余裕で朝ご飯とか食べられちゃって
良い朝だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
コンサル業界に長くいるとコンサル用語に慣れてしまい、一般的に使いがちですが、そんなことないよねという気付きを与えるため、ピックアップしてみました。
目次
Up or Out
「available」の略語。プロジェクトにアサインされず、売上をあげていない状態を指します。短期間ならば、このタイミングで休暇を取れますので嬉しいのですが、長く続くと肩身が狭い状態です。
英語の意味「人手が空いている。時間がある。」と相違はないものの、短縮し日本語化したこの使い方はコンサル独特のものと言えます。
「Knowledge Transfer」の略。意味は、英語のまま「知識の伝達」ですが、英語化した上に短縮化するところがコンサルらしいと言えます。特にアクセンチュアで使われ、アクセンチュアの人間が他ファームに行くと通じないという事態が発生し、慌てます。
コンサル業界全体では、むしろ「ナレトラ(Knowledge Transferの略)」「スキトラ(Skill Transferの略)」のほうが通じます。
「output」。元々はコンピュータ用語で、コンピュータに対して「入力」することを「input」、コンピューターから「出力」することを「output」といいます。コンサルでは、自身が作成する資料を指します。
「コンサルはアウトプットが全てだから」とよく言われますが、まさにその通りです。アウトプットのみでコンサルとしての資質が判断されるといっても過言ではありません。パワポの作成が下手だと出来の悪いコンサルだと思われるので、パワポなんてお絵かきだなどと侮ることはできません。
「supervisor」の略。英語の意味は「監督・管理する者」です。日本ではサービス業の統括責任者、エリアマネージャとして使われることが多いですが、コンサル(というよりこれもアクセンチュア用語な気がします)では「上司」という意味で使います。
「cut-over」。新しいシステムの利用を開始することを指します。コンサル業界よりもIT業界でよく使われる単語ですが、英語での意味は「木を伐採する」ですので、海外では通じない和製英語です。同じ意味で使われる「サービスイン」も同様です。
では、どう表現すれば英語圏で通じるのかというと「GO-Live」が正解です。
「共同作業」といった意味があるものの、行艇的には「相乗効果」といった意味でつかわれることが大半です。「シナジー効果」と言うこともあり、M&Aや、経営の多角化を行う際に、それぞれが元々持っていた以上の価値を生み出す効果を指します。他にも、取り組み施策に対してこういった効果もあるという派生的なケースで使ったりもします。
某CMで「結果にコミットする」というキャッチフレーズを聞き、何となく知っている方も多いのではないでしょうか。
コンサルシーンにおいては「約束する」といった意味合いで、責任をもって職務を果たすという強い意志を表す際に使用されます。決意表明的な意味合いも強く、提案書でもこの表現を使ったりします。コンサルプロジェクトでも上司が部下に「コミットメントしていない」とか「コミットメントが全く足りない」と叱咤するシーンがよく見受けられます。自分事で動けないコンサルはこれを散々言われているものと思われますが、言われても「なんのこっちゃ?」と『分からない奴に何を言っても無駄』パターンに陥らされるのはあるあるかと思います。
ここまで、淡々と説明してきましたが、やはりコンサル用語の真髄(?)といえば、
Up or Out
「up or out」。直訳すると「昇進するか辞めるか」ですが、意味合い的には「昇進できないものは去れ」となります。他の業界では、出世とは関係なく定年まで地味にこつこつ長く続けることが大事と言われたりもしますが、コンサルは毎年結果を出してなんぼと言われます。
コンサルファームにも昔はあった文化で、戦略や一部ベンチャーにはこの考えは色濃く残っています。大手総合系ファームは、日本で経営する上では労働法は無視できないので、この考えは次第に薄れていっているような気がします。
貸し借りした本について楽しく話していたはずだったのに、雲行きが怪しくなった。
いつの間にか「あなたは本をよく読むから早く結婚しろ」という趣旨の話に変わっていた。文脈が行方不明である。
「あなたのところは両親の仲がいいでしょう」
なるほど、そう来るか。
「そうでしょう。あなたを見れば分かる」
頭を殴られたみたいだった。
一般的な、の後に(熟年離婚しかけの)というカッコ書きがあることを目の前の上司は知る由もない。 両親の仲は私にとっての地雷だ。
周りを見下し、気に入らないことがあればすぐに大声を上げて物に当り散らし、時には食器を投げつけてきたり叩いてきたり、自分の兄妹の子(私からしたらいとこ)と私たちの頭の出来を比べて「あんたはバカだね」と言い続けたモラハラの父。ヒステリックで四六時中私たちに父の悪口を垂れ流して、「結婚するなら絶対に別居婚よ」などと自分ができもしないことや父への恨みを私に託し続けた母。今でこそ年の3分の2程度別居して一応は落ち着いてるけど、本当に、何で結婚したのかも離婚しないのかも不思議で仕方ない夫婦。
物心ついた時には怒鳴り合う声、時折物が壊れる音が我が家に響くのが当たり前の毎日だった。いつ両親が喧嘩を始めるかと怯えていた、伝書鳩でピエロでケアテイカーの私。今でもその当時のことを思い出すと心臓がバクバクする。あと、今も男の人の怒ってる大きい声は過剰に怖いし、いつ力がこちらに向くか分からないから深い関係になるのも結構怖い。
幸い、お金に困ったことはない。しかし『居心地のいい家』は知らない。
これまで生きてきた中で、幾度となく考えてきた。
自分だけでどうにもできないことゆえに、幸せにも不幸にもなり得る。それが長い間かけて出した答えだ。
両親と同じ轍を踏むのは嫌。加えて誰かと家族になるだけの心の余裕はない。とにかく自分にお金を使うのが大好きで、ついでに休日は趣味が忙しくて時間の余裕もない。
高校生の頃、母に「なぜ離婚しないのか」と尋ねたことがある。「あんたが大学に行けないし、お父さんが死んだ時にあんたたちにお金がもらえないかもしれないじゃない」という理由だった。子どもに関するお金はそうだけど、おそらく専業主婦ゆえに金銭面の不安があって離婚できなかったのだと悟った。同時に、もし子どもを産んで離婚してシングルで私が受けたのと同等の教育を施せるだろうかと考えたら、率直に難しいと思った。その時から私の人生設計に子どもの存在はない。
世の中、金だ。頼れるのは自分の稼ぎだけ。
だから、私はワンマン社長のブラック会社で3年も薄給に耐えて、ひとりで生きていけるだけの職に就けた。
今の会社に入ってすぐの頃、お金が安定した今なら過去を上書きして“一般的な幸せ”にありつけるのではと思い、何度か婚活に参加してみた。無駄を省きたいから備考欄に「子どもは不要」と書いた。話す度に、子どもの存在が人生設計にないのとその理由を思い起こしてしんどくて、参加を止めた。
ひとりであれば自分を幸せにするだけでいい。きちんと相手を思いやる余裕ができれば、いつか隣にパートナーがいる暮らしもいいと思う。ただ、やっぱり今の私はそれが難しいので、自分に使いつつ甥っ子になるべく遺しつつ、ちょっとでも助けになればいいと、ひとり親家庭や子どもへの支援をして自己満足に浸っている。
トラウマに触れられたせいか、マスクの下の口元が引き攣る。窓から差し込む陽射しは暖かいのに、指先が冷たい。
目の前の上司は「○○さんはどうだ?シュッとしてていい男だ」と、私を他会社から来ている未婚の人とマッチングさせようとしている。話を聞くに、どうやら、その未婚の社員と「誰々はどうだ?」「派遣先の人とだと色々あるので」というやりとりがあったらしく、それに対してぶつぶつ言っている。
ここで私の地雷をぶちまけたらこの話は終わりになるんだろうか。いや、まともに話すのが2回目の人に私の育ちの悪さは知られたくない。
ぼんやりする頭を必死に動かして受け流していたら、私が結婚するまで言い続けるなどと言い出した。こんなのがこれからずっと続くとか無理だ。前の会社だかの女性にも言い続けて30後半になって結婚したとかどうとか言ってるけど、無理。というか、本社だかの人間と話してる時に『今はそういうのハラスメントだから』と言われたけどなあとか、ハラスメントの自覚ある分余計タチが悪い。
「今は自分以外のことを考えて受け入れるだけのキャパシティはないので」
どうにかそれだけ言い返したら 、「何を言ってるんだ。いいか、私はあなたに説教してるんだ」とさらに“説教”された。
「失敗を恐れてるんだ」決して成功とは言えないロールモデルを見て育っているのに、恐れないことなんてできるの?
だんだん考えるのがつらくなって、とにかく早く終わってほしくて、「ありがとうございます」とか「そうですね、たぶん自分ではなかなかそういう気持ちにならないので」とか、意味のわからないことを口走っていた。全然ありがたくない。思ってもいないこと言うなよ、私。
閻魔の前で裁きを受ける罪人の気分になってきた。吐きそう。
少しして上司に用事があるとかで解放された。地獄のような30分だった。貴重な昼休みが飛んでいった。
自席に戻ってからはぼーっとして仕事が手につかなかった。夜に寝ようとしたら昼間の出来事が浮かんで涙が出てきて、しばらく寝れなかった。
それから何となく毎日トゲトゲした気持ちを抱えて過ごしてきた。
年末に今年のあれこれを思い出しているうちに、トゲトゲを跳ね除けて怒りが込み上げてきた。しかし怒りをそのままぶつけるのは具合が良くないように思う。だから気持ちの整理も兼ねてメモ代わりにこれを書いている。
何も知りもしない人にプライベートにずけずけと踏み込まれたことはすごく不愉快だ。
自分にとっての幸せが他人にとっても幸せとは限らないのに、その価値観を押し付けられたことも不愉快だ。
年が明けてもう一度同じようなことがあったら、はっきりと「プライベートなことなのでこれ以上は触れないでほしい」と言い返す。
それでもあれこれ言われたら、私の育ちに関することを話してもいいと思えるような信頼している直属の上司に相談する。
これは私の決意表明だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211130/k10013367901000.html
泉氏選出のニュースに立憲分裂だわ的なコメントついてるけど、しないと思うよ。何故か?って、この代表選って出来レースだったなって感じるから。
投票日だった今日、各候補に6分与えられた決意表明で、冒頭からオミクロン株への対策に触れ、コロナ対策から経済対策に至るまで
政府が改めるべきと考えている事項を述べた後に、自らが率いる立憲民主党が為すべきことを述べ、執行部は男女同数にするという方針まで説明した泉氏の演説と比べると
残りの3候補は、冒頭から、貧しい生まれで苦労して来た庶民ですと身上話を始め、自民党批判を感情的に展開し、持ち時間の1割ほどで政見を語るという演説であり
比較の対象にすらならないという明かすぎる差を見せていたので、冒頭演説が終わった時点で、泉氏が勝つのは決まってんだなって納得してしまった。
振り返ってみると、代表選の間もずっと泉氏だけが比較的マシで、残りの3氏はバカなことばかりを言っていた。
最後まで変わらなかった事で逆に、最初から泉氏であることは決まっていて、半ば儀礼的に代表選をやったのだろうと結論せざるを得なかった。
私30代前半元オタク、大学時代からは年に不定期で同人誌も描いてたタイプ!
新卒でそこそこ忙しめな業界に希望職種で無事就職!実家自体が都内ではないものの都心に程近く、他色々と理由があり就職後もしばらく両親健在の実家暮らしをしていた。
そんな社会人1年目の冬、当時爆ハマりしていたアニメジャンルで冬コミにサークル参加しつつ、実家暮らし社会人の財力(ちゃんと家にお金は入れてたわよ!)を持って、公式にも同人誌にもそこそこの金をつぎ込んでいた。
この頃が一番オタクとして輝いていたと思う。
ちなみに部屋は物が多すぎてとっ散らかっている。
社会人2年目に突入し、徐々に仕事が増えていき、爆ハマりアニメも放送終了。ちなみにアニメオリジナル且つ推しキャラ(同人的にも一番人気キャラ)ほぼ死亡みたいな事になった。
そんなこんなで3年目以降からは完全に社会人モードにシフトしていき、アニメを追う事もほぼなくなり今は晴れてワーカーホリックです!生活の8〜9割くらいが仕事状態!イエーイ!(仕事自体は楽しいので良い)
チャリで帰れる距離だからたまにご飯食べに帰ったりしてた、ありがたさが染み渡る…
【本題】
一人暮らしするにあたって、件のオタクグッズなどはほぼ持ってこなかった。何故なら一人暮らし始める前からオタクをしてる暇がなくなり、自然とオタク心が収まっていった。
そもそも物が多すぎて地獄のようにとっ散らかった実家の部屋で過ごすのがメンタル的にキツくなっていったこともあり、(仕事忙しすぎて掃除する時間ない&物多すぎてどこから手をつければいいかわからなくなった)
一人暮らしの家では同じこと繰り返したくない!という想いから、半ば自室を倉庫にして実家を出た。
そしてある日母から、「実家をなんやかんやするからアンタの部屋どうにかして」と、連絡が。いわゆる青天の霹靂である。
両親からワケを聞くとどうやら、私物を置いておくことが物理的に完全に無理そう。ついに来たかこの時が…という気持ちである。
とはいえ家を出た時のまま、部屋の物をいじらず(たまに掃除はしてくれてた)置いておいてくれた事に感謝しかない。
それにいずれはどうにかしなければと思っていたので、今が年貢の納め時なのかもしれない。
ということで、アニメグッズの断捨離を始める事にした。グッズ自体は社会人になってからの方が多かったが、円盤は高校生の頃から買っていたので、パッケージを見るだけで作品の事や、ハマっていた当時の自分や友達や気持ちを今でも思い出す。
2週間前に付き合って(私26/彼23)、いやもうマジ毎日幸せで楽しくて仕方がない。すっげーいいやつ。超カワイイ。相性最高。かっこいい。好き。
だがその彼はヤるたびに「ナマでしていい?」と聞く。
私がダメだよって言っても結構食い下がる。最終的にはどうにかゴムつけて入れてくれるけれど。
初回に私、ナマでやらせては浮気と同じくらい嫌だから言うのやめてと言ったはずなのだけれど、それでも彼は毎回プッシュしてくる。
閨では強く断れないんだよ…。「だめだってぇ」みたいな否定になっていない否定を言うので精いっぱいだよ。頭のネジ外れているんだよ。彼のお願いはできるだけ叶えてあげたいって思っちゃうじゃん。
どうしてコンドームをつける必要があるんだっけ?避妊と性病予防のためだよね?
どうせお互いとしかやらないから陰性なら性病予防は気にしなくていいのか?それでも気にした方がいいのか?
保健体育の授業聞いていなかったの?ガマン汁にだって精子はいっぱいいるんだから、射精だけ外ですればいい訳じゃないの。
それとも妊娠してもいいと思っているの?まだ君院生なのに?今年就活なのに?負担は私にしか無いから?
いいのか…?妊娠してもいいのかな…?いや会社の予定的にあと1年は避妊したいよ私は…?
というか付き合って2週間ぽっちでもうそこまでいってしまうのはただの性欲の勢いでは…?何にも考えていないだけでは…?
やっぱりだめだよナマを許すのは、うん。やっぱりせめて君がちゃんと社会人になったら。ものすごく妥協してきちんと就活頑張って内定先を見つけたら。話はそれからだ、うん。決意表明。
話ずれるけど、あたしコンドームのことよく知らないんだけど、彼はゴムをつけるのを割かし毎回手間取っていて、正味1-2分くらいかかっているのだけど、こんなもんなの?もっと10秒くらいでパパっとつけられるイメージがあったのだけど。サイズ合っていないんじゃないの?よければ有識者教えてください。
という訳で、外出しは避妊の意味が無いので、ナマでヤるのはダメです。ということを強く主張できる強い彼女になる必要がある。ゴムつけてたって十分気持ちいじゃん。ふぇらちおも手淫も沢山してあげるから。苦しいけど喉奥で擦るのもやっていいから。だからナマはだめです。
そうかーゴムだけでも避妊には不十分か。確かに10-15%で失敗すると聞いたことがあるような…。
低用量ピルなぁ…。生理痛は別にきつくないので必要性を感じていなかったから、あまり気は進まないなぁ…。
ああでもPMSによる精神症状はそれなりにしんどいし、それが軽くなるのなら導入を検討してもいいかなぁ。でもお値段張るしなぁ。まあ検討します。ありがとう。
いつのまにトラバとブコメが増えていまして、皆様コメントありがとうございます。
やはり避妊の重要性と、こちらが強く出る正当性とを強く認知しました。あと彼はそのへんの認識がゆるゆるであるということも理解できました。ありがとうございます。
やはり彼にもう一度強く言います。増田のコメントたちが後押ししてくださったので、強気に出られます。
たぶん彼は「ナマで入れちゃうよプレイ」が好きなんだと思うんですよね。実際には入れないんで。でも私はそれすら嫌なので(彼の願いを叶えてあげたい私と妊娠したら困る私の天秤がしんどいから)、辞めてほしいということを伝えます。これで分かってくれなかったら信頼できる第三者に洗いざらい言ってそっちに強く伝えてもらいます。彼には皆に秘密にしたいとか言っていましたが、私は色々相談できる第三者が欲しい。
私は今まで自己主張をすることが苦手で、特に男女恋愛においてはそうで、これまでもそれが原因のひとつで色々破局とかトラブルとかしてきた。
私の願望をきちんと伝えて、理解してもらい、擦り合わせることが、関係の持続に重要だとの知識はある。
付き合ってすぐ、助教の先生に私たちが付き合ったことを伝えたとき、「彼は色々と幼いので結婚したいなら根気よく育てていく必要がある。そうじゃないとほんとに結婚するときに迷うと思うよ」と言われた。
ちなみに私は浪人により今M2です。来年就職予定です。彼はM1。これから就活。)
助教はそれから、「でも、俺は彼とあなたは合うと思うし、いつか付き合うんだろうなと思っていた。思ったより早かったね。」ともおっしゃいました。
だから私は根気よくコミュニケーションを続けるつもりです。自分の主張の正当性に自信がなくて、増田の皆様を頼ってしまいました。ありがとうございます。
あと面倒だと後回しにしていましたが、ピルなどコンドーム以外の避妊方法と、あと性病検査も、多少金がかかろうがきちんとやろうと思いました。何かあってからの方が余計金がかかりますしね。助言ありがとうございます。
追記の癖にべらべら語ってしまってすみません。まあ日記なのでね、好きに語ります。
ただの経過報告。
結局、「プレイのつもりだった。本気でナマでする気は全くなかった」とのこと。
あと低用量ピルを導入しました。トリキュラー28。月4000円。リマインダーをつけて頑張って飲み忘れないようにしています。結局自分で払っていますが、その他の金銭的手間的負担は彼の方が多いと思うので、まあ私が払います。毎週末ずぅっと彼の家に入り浸っているので、消耗品とか食費とか洗濯とか、なんだかんだ彼の方が負担だと思う。
悩みは尽きませんね。最近の一番の悩みは、シングルベッド狭くて休日に疲れが取れない問題です。多少寂しくても布団を持ち込むか…
我が家でこれが意味するところは、今週の食事はすべて外食かコンビニ弁当か、さもなくばUber Eatsだったということである。
過度にひと目を気にする方ではないが、いい大人が一週間も自炊をしていないという事実は、当人の自活能力を疑われる理由としては十分である。
いやいや、いくら米を炊いていないからといっても、麺はどうなんだ?うどんやパスタ、最近の時流だったらソーメンだってあるじゃないかと声をかけてくれる心優しい人もいる。
たしかに、実際のところ、一度だけパスタを茹でた。まあ、一般的に自炊といって差し支えはないと思う。
・・・思うのだが、そのパスタとてインスタントのソースを和えただけの、およそ胸を張って自炊しましたと言える代物ではないのだ。
もう少しちゃんとした、せめてカレーライスくらいは作ってから、しれっと「ええ、自炊しましたよ、今週は。まあ、大人ですからね」くらいの顔で自炊トークに参加したい。
そんな格好つけがハードルをあげてしまっている部分もあるのだろう、結局のところ、私は今週一度も米を炊かないまま金曜を迎えてしまったのである。
こんな増田を書いている暇があったら米を研げ、スーパーにいけという指摘はごもっともであるが、炊飯から逃げ続けた結果、どうにも腰が重くなってしまった。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 157 | 22540 | 143.6 | 41 |
01 | 69 | 8871 | 128.6 | 43 |
02 | 39 | 16195 | 415.3 | 180 |
03 | 38 | 6132 | 161.4 | 41.5 |
04 | 48 | 4772 | 99.4 | 42 |
05 | 36 | 1861 | 51.7 | 37 |
06 | 38 | 2443 | 64.3 | 27 |
07 | 70 | 5429 | 77.6 | 31.5 |
08 | 118 | 15046 | 127.5 | 51.5 |
09 | 116 | 16348 | 140.9 | 67 |
10 | 220 | 49872 | 226.7 | 37.5 |
11 | 322 | 23288 | 72.3 | 40 |
12 | 255 | 22435 | 88.0 | 41 |
13 | 227 | 20991 | 92.5 | 39 |
14 | 248 | 23196 | 93.5 | 45.5 |
15 | 256 | 17735 | 69.3 | 38 |
16 | 226 | 30765 | 136.1 | 45 |
17 | 214 | 16339 | 76.4 | 40 |
18 | 121 | 15397 | 127.2 | 45 |
19 | 139 | 14719 | 105.9 | 46 |
20 | 133 | 22674 | 170.5 | 58 |
21 | 230 | 30107 | 130.9 | 37.5 |
22 | 207 | 12356 | 59.7 | 32 |
23 | 174 | 21518 | 123.7 | 44 |
1日 | 3701 | 421029 | 113.8 | 42 |
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