はてなキーワード: 民族問題とは
http://anond.hatelabo.jp/20170414094139
増田でバズッたことは初めての経験なので、正直なところ驚いている。
まずは、前記事を読み、コメントして頂いた全ての方に感謝を申し上げたい。
しかし、読み返してみるとわかりにくい部分も多かったので、ここでは改めて論を整理したい。
まず、今回の最大の主張は、「妥当」「危害」「驚異」といった「基準」は時代や文化によって大きく変わるので、その基準をたまに論じ、硬直せず前に進もうとする姿勢が最も重要である、ということである。ただし、2つの条件がある。
第1に、全てをグレーとする姿勢は建設的な議論を阻害するので、あくまでも「たまに」、なぜこれはブラックで、これはホワイトなのかを振り返る姿勢が大切だ、ということだ。
なぜならば、「ブラック」「ホワイト」「妥当」という基準を「多数がそれを支持している」ということに求めてしまうと、それは少数派の迫害に繋がるからだ。
多数派が多数派となるにあたり、もちろん多数派には妥当性が存在するはずだが、それは多数派に誤りが、少数派に見習うべき点が一切ない、ということではない。
見習うべき点は見習い、直すべき点は直すということをするには、可能な限りの言論の自由が必要だ。
私も今回の一件で私の説明の下手さや、トイレを例として挙げることのまずさを学ぶことができた。
第2に、議論は積み重なっていくことで進んでいくものであり、これまでの議論を踏まえることで、より先の思想に行き着くことができるという点は重要である。
特に、専門用語は真面目に説明すれぱ長くなる概念などを一言でまとめるために存在するので、これまでの議論を端的にまとめ、次に進むためには専門用語の理解が必要不可欠である。
しかし、「それはn年前にとっくに議論されている」、あるいは「ググれカス」という姿勢は、ただ自らの優位性を守りたいだけか、あるいはただの知ったかぶりであり、後続が新しい視点でこれまでの議論を乗り越える可能性を阻害するだけである。
もちろん、同じ説明を何度も繰り返すのは時間の無駄であることは確かなので、先達はこれまでの議論をまとめる参考文献等を示すのが最も建設的であると考える。
それができないのであれば、それは議論が足りず整理されていないことを意味するか、ただマウントしたいだけなのか、あるいはただの知ったかぶりである、ということである。
そのような人達は相手にするだけ無駄なので、後続は議論を続けるべきである。
最後に、この話に関心を持って頂いた人のために参考文献を何冊か挙げたい。
まずは、J.S.ミルの『自由論』を挙げる。個人的には、光文社から出ている訳が一番読みやすい。
今回のような思想、あるいは制度に関する書籍は、基本的にそれが書かれた時代背景を踏まえるか、キリスト教を少しでも理解しないと、非常にうわべだけの理解に留まってしまう。従って、読む順序が存在するか、それに加えてキリスト教について学ぶ必要がある。
例えば、カントやヘーゲルをいきなり読むのははっきり言って時間の無駄であるし、キリスト教の克服という視点を無視してニーチェを読むのも、ただのニヒリズムに陥る可能性がある
(余談だが、キリスト教を何となく学ぶためには、まず『ふしぎなキリスト教』を読んで、一週間おいてから『ふしぎなふしぎなキリスト教』を読むことを強くお勧めする)。
その点、ミルの『自由論』はキリスト教に対する支持を前提としているが、話は100年以上前に書かれたものとは思えないほど、現代にも通用すると思われる。また、思い付くような反論に対し、本書中で既に再反論しているという点もお勧めだ。
ミルの『自由論』はおそらくいきなり読んでも大丈夫だと思われるが、できればプラトンの『ソクラテスの弁明』を先に一読することをお勧めしたい。
こちらは時代が違いすぎるのでいろいろと理解しがたいこともあるが、「ソクラテスというおじさんが、無知の知というものに目覚め、道行く人に片っ端から議論をしかけ、「からの~?」「からの~?」と言っていたら捕まって死刑になった」という大筋さえ押さえておけば大丈夫だ。
無知の知とは知らないということを知っている、つまり、ある物事がなぜそうなっているのか、ということに対し知ったかぶることなく謙虚な姿勢で思考や議論をすべきだ、ということである。
原発問題にしろ、民族問題にしろ移民問題にしろ、より良い方向に向かうということのためにはお互いを尊重した、建設的議論が必須である。
確かに洪水起こしたり建物壊したり放射線吐いたりってのは東日本大震災的で、
「発生した事象」が東日本大震災を重ねあわせている事は確かなんだろうけど、
今回のゴジラは「解決しないでおくと際限なくでかくなる問題」という性格が与えられているし、
その根底にあるのは一人の人間の憎悪と、多くの人間の苦痛が設定されていると思う。
そう考えた理由は、ラストシーンの尻尾が、自分には「苦しみ悶える人間を縒り合わせて作ったのがゴジラである」という表現に見えたからだ。
最初は本当に何がしたくて暴れてるのか分からない感じで暴れていたゴジラは、
一時姿を隠した後、憎悪の塊のような形相の第4形態に変貌して姿を表したわけだが、
あの一連の流れは、ゴジラの思考というか、因果の存在を感じさせた。
あそこで民間人を見捨てられず、まだ弱い間にゴジラを殺せなかったことで、大河内総理は後の災厄の芽を摘みそこなった。
芽を摘めるのは人災だけだ。
自分の受けた印象だと、何らかの理由で不満を爆発させて無軌道な破壊をエスカレートさせた人々(第一形態、第二形態、第三形態)が、
強く対処できなかった事によって手のつけられない災厄となったものがゴジラ(第四形態)であるという感覚から、
ゴジラは「格差問題、民族問題等の、東京に住む虐げられた(と本人たちが感じている)層がテロリスト化する現象」の暗喩に見えた。
そんな感じ。
あなたはまず簡単な例として「漢民族の分裂主義者は弾圧されるべきだ」という例を挙げたのだと私は解釈した。
あなたの主張の源はここにある。すでに統一され領域を治めている国家の秩序は無条件に維持されるべきであるとあなたは言っている。
しかしこれは誤りである。人民の自由を尊重できない政府に何ら正義はない。
まあそういう奴もいる。
もちろんこれらの人の望んだようにしない。
それも「我々中国人民の意思と照らし合わせても、中国は分断されることはない」と言っているように聞こえる。
どうやらあなたがたの民族は民族の統一のための強い意思があるようで、今後も1つの集団としてやっていくだろう。結構結構。
どこの自由でも、一定のルールの元での自由。確かに中国は共産党は強すぎで、日本と比べてそんなに民主的ではないと思う、言論の自由や国民の民主意識などは日本と比べてまだ差がある。これは認める。
ふむ。
「民主的でないということは平和かつ自由ではないということである」という意味だろうか。
中国は広いし、文化が複雑、北と南、東と西、地域ごとに文化全然違うとも言える。これは日本のような構成や歴史も単純な国には理解しかねないでしょう。
だろうね。だからどうした。
地域ごとに文化が全然違うから別の国家が別のやり方で治めるのだ。そしてお互いに尊重し良くやっていく意思が存在して初めて同じ国家の下で暮らすことができるのだ。
あなたがた漢民族にその意思があるのなら、民主化しても正しい道を歩むことができるだろう。仮に中国が分裂したとしてもだ。それが正しい在り方だろう。
罵倒はやめような。
中国の生き方とあなたは言うが、それは漢民族の生き方であって、他の民族に当てはめることができる方法なのかどうかは分からないのではないか?
チベットもウイグルも、国民の権利は他の省とは一緒です。むしろ優待政策がある。海外の右翼の影響を受け、国家を分裂しようとするから弾圧される。
国家を分裂しようとする人は弾圧されるべき。 これらの人はもし漢族であったら、お前たちが文句言えないでしょう。チベットの人だから、民族問題と言われる。どの民族でも同じ、国家の秩序を乱そうとする人は止められべきである。 日本の右翼たちは中国がぐちゃぐちゃになるのを望んでいるから、これらの国家分裂主義の人を応援するでしょう。
もちろんこれらの人の望んだようにしない。
どこの自由でも、一定のルールの元での自由。確かに中国は共産党は強すぎで、日本と比べてそんなに民主的ではないと思う、言論の自由や国民の民主意識などは日本と比べてまだ差がある。これは認める。
民主的ではないは平和自由ではない。中国は広いし、文化が複雑、北と南、東と西、地域ごとに文化全然違うとも言える。これは日本のような構成や歴史も単純な国には理解しかねないでしょう。今の中国で日本のような民主を導入したら、国が混乱するに違いないです。
中国は中国の生き方があり、理解しようともせずにただ批判するお前がバカだと思う。
チベットもウイグルも、国民の権利は他の省とは一緒です。むしろ優待政策がある。海外の右翼の影響を受け、国家を分裂しようとするから弾圧される。
正確に何を言われたのかはわからない状態で、間違っているかもしれない文言で叩く。
黙って録音テープを公開するなり音声解析をかけて突きつければいいのに、
慰安婦問題で某国の態度は「謝り方が足らない。国民全員が納得するまで何度でも謝れ」
都議の問題発言は「問題が分かっていない。それでは謝れていない」
名乗り出たことへの評価はなし。しらばっくれた方が得。
慰安婦問題は確かに存在したが、望んでなった人もいれば、雇い主が某国人そのものという
国内問題(同民族問題)という側面があるにもかかわらず、そこは無視。
都議の問題発言は、実際には対象一人に向けた文言ではなかった可能性すらあるにもかかわらず、
※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表の試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。
日本代表の長友が所属していることでもおなじみのインテル・ミラノというクラブ(一応断っておくが、半導体屋のインテルとは無関係。インテルナツィオナーレ=英でインターナショナルの意)には2014年1月現在、イタリア人が4人しかいない。
というのを聞いて「えっ、セリエAって外国人選手でもいくらでも獲得して良いの?」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。
ボスマンという選手が移籍を巡って提訴した裁判の判決が1995年に出て、「EU内での労働者の移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。
だからそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU外選手枠』に改められた。
逆に言うと”EU加盟国の選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。
『インテルに多いのはEU出身者じゃなくてアルゼンチン人じゃん!』という話は後で触れる。
とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。
そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分のクラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。
(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本のスポーツチームは、プロ野球の阪神タイガースである)
そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着の理念から当然のことであるか? それと排外主義の差別主義者か?
少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちのクラブと思えないから”自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。
だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。
そういうわけでここ数年「ホーム・グロウン」という制度ができた。欧州のカップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、
そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブに所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEUの判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。
チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度を自国で用意したリーグを除く)が、
資金力が小さくヨーロッパのカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。
これも「EUの理念」からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。
とはいえ、アメリカ大陸やアフリカやアジア出身の選手から見れば『EU外選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。
そういう時に有効活用(?)されるのが先祖の血統だ。南米やアフリカの選手の場合、先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。
そういう場合は血縁を理由に先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAのルール上変えられない)にEU内選手として潜り込むということが多い。インテルにアルゼンチン人が多いのはそういう理由だ。
日本や韓国の選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。
少しFIFAのルールに触れたが、現在のサッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。
オリンピックだと、前の大会で卓球の中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。
もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別である。クリミア出身のウクライナ代表選手(いるのか?)の扱いはどうするのかな。
今度のブラジルW杯ではウクライナ代表としてしか出られないと思うけど。
逆に言うと、『A代表で試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。
マンUで香川真司からポジションを奪ったヤヌザイはアルバニア、ベルギー、イングランド、トルコ、セルビアの代表になる可能性があるらしく、先日ブックメーカーが賭けの対象にしていた。(※2014年6月追記:その後ベルギー代表を選んだ)
ヤヌザイの系図についてはよく知らないが、そういうこともあり得る。
(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』
に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)
だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年にW杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。
そんな中で上述したような『南米やアフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国の代表を選ぶとは限らない。
2000年前後にトルコが強かったのは、『ドイツで生まれたトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。
最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家”フランスの方で問題になってきている。
2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、
そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国のアフリカ諸国の代表になる』
選手が無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。
アフリカ諸国の協会とEU諸国の協会ではEU諸国の協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果的なのは事実だ。
そんな中で協会としては『アフリカの協会は欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。
あるいは国が抱える民族問題の縮図のようなことが代表チーム内で起こることも今後増えることはあれど減ることはないだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130621213802
ν速まとめについたブコメだとして、単語をちょいと入れ替えるだけで、ネトウヨ見える。
不思議!
itotto
あれって飽きたら終わっていい程度の問題だったんだ
honeybe
飽きたとかつまんないとかそういう問題じゃないだろw
death6coin
面白かったら怖いわw
Okaz
これを書いた人も、これに賛同している人も、韓国、朝鮮が躍進し、国民の人権が蹂躙される時代がやってくる事実から逃避しているのだろう。まあ、若者は何もできないから、指をくわえて見ているしかないよな。
彼は、以前の会社の同僚で、頭が良くて仕事が出来たので、仲良くなってから、よく飲みに行っていた友達だ。
SIベンダーでリーダーをしており、最近かわいい子供も生まれて忙しい身だけど、久しぶりに飲みにいけることになった。
ほとんどが、仕事とか、家庭の話だったけど、チベットとかそういう話になったのがすこし面白かったので、書いておく。
俺)最近、オリンピックとかチベットとかの話題で、いろいろあるけど、そういう事を言われたりする?
彼)いや、みんなプロジェクトの事で頭がいっぱいで、世間の話なんかできないよ。
俺)ははは。
彼)でも、奥さんは、中国人とわかると嫌がらせはあるみたい。前からだけどね。
彼)それは、君でしょ。結婚したとき、毎日僕に犯罪者とか言ってた
彼)保育園とかは心配だね。できれば、区立のを使いたいけど。知り合いは、中国人が使うのはおかしいとか言われたらしいから。
俺)どうしても個人を超えた問題になるんだよね。きちんと調べたら、分かるんだけどね。
彼)民族問題や歴史問題は難しい。チベットのことは正直よく分からないんだ。でも、世界中でも大きな国で歴史的に真っ白な国はないでしょう?
事実を一面的に語ることはできない。
俺)でも、チベットの問題では結構強硬的だよね。そういうのは、いまの中国にとっても良い方法ではなかった。
彼)もちろん。人が死んだり傷ついて、泣いたり憎んだりするのは、悲しいよね。誰も望んでないよ。政府には、もっと上手に問題を解決できる人も多いけどまだ力が無いみたい。
俺)中国は変わると思う?
彼)さあ。
でも、ビジネスがもっと好調になれば、今のやり方では難しくなるかもね。誰かを犠牲にしたり、敵対しつづけるのはビジネスとして賢明ではないからね。
でも、それには時間がもうすこし必要だろうね。むしろ、日本が変えればいいのにと思うよ。
俺)ええ、そんなことしたら、外交問題とか言われてとんでもないことになるでしょ。
彼)直接的に言ってはだめだね。日本のほうが先進国だろう。教えるには、良い方法を知っていないとダメだね。
俺)どういう事?
彼)今、会社で新人の研修もしてるんだよね。プログラムもそうだし、エンジニアとしての考え方ね。そういうの。部長が精神論とか講義したりするのもあるんだけど。(笑)他の人が教えてるの見ててさ、中から変わらせるのがうまい人っているでしょ。
俺)癖になっていたり、慣習になってると変われないからね。
彼)そう、でも変えてもらわないと、チームの生産性が落ちるし、本人にも良くない。そういう事。技術は結構時間掛けていいこと教えても本人がモードに入ってないとダメっていうか。
彼)厳しいプレッシャーかけても、自分でも無茶な仕事が出来るとか発見はあるけど、持続できないでしょ。本人が気づくのが大事じゃない。「こっちのやり方だと便利だ」とか「この方法が効率的だ」とか。そういうのwikiに書いても、みんな読まないし、グループセミナーで話しても効果ないじゃない。
彼)タイミングね。
だから、わざと課題に困らせるもの入れておいて、でも、目の付くところにヒントがあって、本人が自分で発見したように思わせる。そういうのは、ちゃんと身に付く。
俺)たしかに。
彼)だから、覚えて欲しい方はそうやって、一度苦労をさせて本人に気が付かせる。教えてない、本人が勝手に気づいた。でも、チームはそれで幸せ。本人も幸せ。
俺)うまく行ってる?
彼)簡単だよ。間違ってる方法をやってれば、絶対にどこかで困ったりするから、そのタイミングを見てればいい。そこで、そっとパスを出す。
俺)なるほど。だから、日本も中国にパスを出せばいいんじゃないかと。
彼)そう、日本は世界中のどこにでも、パスを出しやすい立場にあるよ。世界っていうか、そういうのでしか変われないと思うんだよね。人間は。
彼)中国人は政治とか体制にほとんど興味がない。だれがリーダーかとか歴史とかには、本当はどうでもいい。おいしいもの食べたいとか、かわいいことSEXしたいとか
俺)それ、世界共通でしょ
彼)いや、中国はたぶん一番直感的だと思うよそれで何回も歴史が変わってるから
こんな話だったかな
注:加筆修正しました
最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネットで同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人が韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。
なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。
いや、こんなにもアニメや漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイや二次創作に興味を持って腐女子や腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。
そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。
というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。
倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様の夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから。公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います。時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。
けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。
実はこの作家さんは、コバルト文庫で金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都の物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネットで検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。
さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である。東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルト・ノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島を舞台に仙人や精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮風ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。
『金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人や外国人が北朝鮮国内の金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズの物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーローは新羅の英雄金庚信である。
ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿な子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本とアメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。
金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。
彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本と北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校のお祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。
そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説のコバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティの価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議で土下座までしたそうな。ましてやBLをや。
まぁ、BLを書くときと少女小説やラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbassoや秋月こお、榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。
ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。
ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山、中国語では長白山)の守護仙人(精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。
studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲームや乙女ゲームのシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画の原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルのカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。
そのサイトの大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会いと恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである。
『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。
しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。
ところで、この物語の攻めは、大阪出身で関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身、ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的な関西人という印象を受けた。
神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまうパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。
BL小説家、檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台はアジア・オセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。
正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。
受けの母親は日本人の医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。
というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティや朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。
なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である。米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートなバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。
『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台は飛鳥時代の日本で、有名どころでは葛城皇子(中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。
主人公(受け)は、百済からの渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人と渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである。
職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。
日本が舞台なのにあえて渡来人のカップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本の渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。
もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。
ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。
ハテブやツイッター、増田2ちゃんねるでコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。
恐縮です。ありがとう。
自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田にしました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから。
私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目しています。ラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから、日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。
確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合、女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教をベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本や日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。
ネットで読める作品もるし書店や図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。
全然関係ないけど、最近アメリカのスラッシュが翻訳されて日本の書店の店頭に並び始めましたよね。日本語で海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。
皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。
韓国人は日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。
確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。
創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロ、アマアマ、ラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています。
夏の総選挙直前に世論調査が数多く行われましたよね。私はそれが民主党政権の誕生にとても影響があったと考えていますが、実証的な根拠のある話ではありません。仮に大した影響はなかったと言う人がいても、説得はできませんね。
誠実な回答ありがとうございます。
ただ、実証的な根拠のある話ではない、ということになると、増田の問題提起自体も
という問題意識からは批判されうると思いませんか?(マスコミと個人とでは規模が違いすぎる、という反論を認めるにしても、質的には同じ類のものでしょう)
そういった思い込みを前提にして世論調査を批判するのはあまり適当なやり方ではないと思います。直感的に世論調査に対する疑問を持つこと自体が間違いだとは申しませんが、直感的に疑問を持ったことに対して、実証的な裏づけを探すこともなく改善案を用意する、というのは、病気の症状も原因もわからないのに処方箋を用意するようなものなんじゃないでしょうか。いやまあ、自分で言ってて「増田でそこまでやることを要求すんなよ」とも思いますけど。
どうも「デリケートな問題」の設問例が浮かびません。よろしければお教えください。
この文脈で具体的な「デリケートな問題」の例を持ち出すことにあまり意味を感じないのですが、アイヌ問題などが参考になると思います。
過去、アイヌ問題を報じるニュースに対し「日本に民族問題など存在しない」「何も問題なんかないだろう」と公言する人間はwebでも少なからず目撃できましたが、こうした「問題そのものを無かったことにしたい欲望」を持った人間が少なくない問題について語ろうとするときに、「問題それ自体に対する懐疑の視点」が世論調査に反映されたとすれば、どうなるでしょうか?全く薄ら寒い話だと思います。
特別アイヌ問題を持ち出さなくとも、最近ちょっと話題になってた
http://twitter.com/phoquesan/statuses/5923128330
のような事例を見れば、その手の「見て見ぬふりをしたい」「無かったことにしたい」問題を消し去ってしまう態度ってのはそんなに珍しいものでもないと思うんですよね。(もちろん、国政の話と世間の話を直で連結してしまうのはそれはそれで飛躍した話ではありますが)そういう「無かったことにしたい」欲望をそのまんま反映できるような仕組みを世論調査に持ち込むと、「みんな」の心の平安を守るために、社会から消し去られてしまう問題が少なからず発生するのではないか、という強い懸念を抱いてしまうわけです、自分は。
最初に断ったとおり、こうした考えは杞憂かもしれませんが、敢えて危険を冒してまで、世論調査にそうした仕組みを取り入れる意義って感じられないんですよ。
元増田におかれましては、それでも敢えてそうするだけの意義がある、とお考えですか?
「親日人名辞典」来月8日公開、4370人を収録
【ソウル28日聯合ニュース】日本植民地時代に日帝に協力した人物の行跡を記載した「親日人名辞典」が来月8日に公開される。
民族問題研究所と親日人名辞典編さん委員会は28日、8年間にわたる編集作業を第1次として終え、来月8日に「親日人名辞典発刊報告大会」を開催すると明らかにした。
全3巻、3000ページの同辞典は、民族問題研究所が編さんする「親日問題研究総書」の人名編。日帝植民統治と戦争に協力した人物4370人余りの主要親日行為や解放以降の行跡などが記されている。朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領、金性洙(キム・ソンス)元副統領、張勉(チャン・ミョン)元首相、玄相允(ヒョン・サンユン)高麗大学初代総長、舞踊家の崔承喜(チェ・スンヒ)、音楽家の安益泰(アン・イクテ)、洪蘭坡(ホン・ナンパ)ら、社会指導層の有力人物が多く収録されている。
昨年4月に発表された親日人名辞典収録リストには、申鉉ファク(シン・ヒョンファク)元首相と崔謹愚(チェ・グンウ)元社会党創党準備委員長も含まれていたが、遺族側の異議が受け入れられ、収録対象から除外された。このほか、辞典収録が保留された400人については追加調査を行い、今後の辞典改訂時に反映する。
民族問題研究所は、2001年末から辞典の編集作業を本格化。8年間で約3000種の文献資料を収集・分析し、250万人の人物データを構築、確認・審議作業を経て最終収録対象を選定した。約150人の各分野の教授・学者が編さん委員として参加し、執筆委員は180人、文献資料担当研究者も80人ほどに達する。
当初は昨年8月の発刊を計画していたが、収録対象人物の遺族による異議申請の処理や発行禁止仮処分訴訟の対応や最終校正作業など実務問題で遅延していた。
研究所関係者は、現在、独立有功者として認められている数十人も辞典に収録されており、「彼らに対する評価が改めて行われることになるだろう」と話す。一部収録者については、一般人の予想をはるかに超える露骨な親日行為が詳しく記録されており、少なくない波紋が予想されるとしている。収録者の遺族に深い遺憾の意を表するとしながらも「謙虚で冷静な姿勢で歴史を正すべきとの考えから、厳正に記録した。この辞典が韓国の歴史の一時期を整理し、新時代を切り開く里程標になることを期待する」と強調した。
おわり。
あんたらの言うように、もし日本人という存在そのものが抑圧の構造なのだとしたら、そもそもあなたが何を言おうがそれは詭弁でしかないし。
その理屈で言えば、あなたはいかなる切り口を持ってしてもマイノリティの側には立てないよ。
そもそも「差別」というものがどういうことかまったく理解していないのにそれを語ることそのものが「まったくもって迷惑千万」です。
ナチスが何をやったのか、よもや差別を語る人が知らないとは思えませんが、あなたの場合は「まさか」で済まされないほど洒落にならないようなので、以下に書いてあげますよ。
かれらが虐殺して回ったのはユダヤ人というラベルを貼った人だけじゃない。精神障害者、同性愛者、信仰宗教信者、シンティ・ロマ、他にもいるでしょうが目ぼしいところでざっとこんなですよ。
これでも何が言いたいかわからないでしょうから、教えてあげますけど、「差別主義者」が「差別」の対象にするのは「あらゆるマイノリティ」であり、「差別」というのは、「浄化主義」みたいなもんなんですよ。
在日外国人への差別と同性愛者を始めとした性的マイノリティと障害を抱える様々な人々と、それらの差別の構造はまったく同じです。
いずれも「マジョリティ」が「マイノリティ」を抑圧しているだけ。
だからこそ、仮に「在日外国人」への差別だけに絞って、一定の成果を得たと仮定しても、その差別主義者の浄化思想そのものが容認され得る限り、次に標的になるのは単に「別のマイノリティ」に過ぎない。
あなたはそれを容易に切断して物を語るが、それは「それ以外のマイノリティに対する迫害の容認・教唆」にしかならない。
それとも、日本人のマイノリティがいくら差別され迫害されようが、それは「日本人」の問題だから関係ないんですか?
だからこそ俺は「マジョリティ」こそが「マイノリティ差別」の「解消」を引き受けるべきだし、対話すべきは「マジョリティの中のマイノリティ」である「排外差別主義者」ではなく、あらゆる点で無責任かつ無自覚な「その他大勢のマジョリティの中の傍観者」であるべきだ、と指摘した。
一つのマイノリティを「守る」(それが本当に守っているのであれば、ですが)ことが、「他のマイノリティ」への差別を誘発するようなことは容認され得ないし、されるべきではない。
だからこそ、差別、という点において、在日韓国人だけを切り出したりすることはしない。それは「民族問題としての政治闘争」ではあるかもしれないが「社会における差別の解消」にはならないからだ。
被差別者は程度の差はあれ、等しく被差別構造の中に納められているんだよ。
勝手に「あなたと同じ」マジョリティなんかにしないで欲しいもんだ。
この点について、自身がマイノリティであることをこの場で宣言する、という行為そのものが自分として最適な選択肢かどうかは未だに悩んでいる。
それは自身がマイノリティであることをもってして、この主張が特権化し兼ねない、という懸念が今も少なからず存在するからだ。
マジョリティとマイノリティを反転して特権化することで、マイノリティによるマジョリティの差別、などというアホらしい主張すらされ得る可能性もある。
そのリスクを犯してあえて宣言したのは「あなたがいかに差別という構造を理解していないか」「差別というものの露呈のしかた隠蔽のされかたを理解していないか」の論理を補強するためにやっただけ。本来話が通じる相手であれば、こんな話を持ち出す必要もなかったんですけどね。
二つ目。
あのデモの場で「反日上等」と騒いだかどうかを問題にしてるんじゃない。
「あなたが反日上等」という用語を「在日外国人用語のスローガン」として掲げること自体が、「差別主義者」が「在日外国人」を「反日だ」と排撃する口実になっている、という反転構造に無自覚な時点で、「片棒を担いでる」って言ってるの。
挑発に乗ったのが失敗?それなら「反日」という強烈な、それこそ「挑発」としてのラベリングに乗ったあなたは何なの?無関係なの?
逮捕されたのが問題?それなら「あなたみたいに逮捕されるリスクがなければ」何を言おうが関係ないの?
テクニカルな問題?そうであれば、まさにあなたが「反日」という「挑発と抑圧の構造」に対して乗っかっているそのことそのものがテクニカルな問題なんだよ。それは上で指摘した通りだ。
3つ目。
具体的に言うならば、彼が「反日」という言葉が現場に、当事者に及ぼす悪影響のリスクを懸念していたのは文面からも読み取れたはずだ。(読んでないのかな?)
それに対して「外国人の権利を擁護するなら反日じゃなきゃいけない」(まさにここであなたが主張していることですよ)といって、まるでそのリスクも差別の構造も理解もせず、自身が正義であるかのように「反日」を振りかざしている、「反日大好き運動」そのものについての件だよ。
彼はそのリスクを軽減するために、「あんたが大好き」な「反日」の言葉そのものについて慎重だった。
それでも「論を詰めて、それでもその言葉が選択されるなら、「反日」という言葉も受け入れる」可能性があることを表明するのと平行して、「今使われている「反日上等」という応答そのものが「言葉が軽い」として必ずしも容認しなかった」という件だよ。
彼を追放した、という表現が嫌なら、「よってたかって彼をリスクに巻き込むことしかしなかった」ことによって「彼は現場のために撤退した」んだよ。
「反日」大好き組は「一人ひとり個々に」表明しているつもりなのかもしれないけど、部外者から見ればあれは「議論を装った集団リンチ」にしか見えなかったんだけどね。
だからブクマでもいしけり氏を擁護した。あの議論は議論じゃなくて、そこに「自分達の意見に従わない、意見を容認しないものは排除する」という差別構造そのものが見えたからだ。
差別を拒否するのに右も左も関係ない。一人の人間として、そういう行動を取った。
俺が擁護の点を(あの状況じゃとても線など作る余裕はなかったしね)張ることで、彼には迷惑がかかるかもしれない旨を連絡もした。それに対して拒否の回答は無かったよ。
俺は左派の皆さんが勝手に内部分裂しようが山の中でくたばろうが、そんなことは知ったこっちゃない。
ただ、「差別を温存する」ことを「無自覚」に行っている「行為そのもの」に対しては対抗する。
自覚的にやっていれば、まだ対処のしようがある。カウンターデモもできるだろう。
でも「無自覚」にやらかしていることに対しては「それが差別を容認している」ことを指摘しておかないと、空気を読む別の第三者が誤解する可能性だってある。
それをこそ一番恐れているんだよ。
ま、「マジョリティ」で「マイノリティの味方」を気取った「中身」がなく「論理」もないあなたには、そんなことそれこそ「想像」もできないでしょうけどね。
あなたが想像できるのは、差別主義者と同じ「日本人」「外国人」(もっと言うなら朝鮮人、ですか?)という「目に見える」ラベリングぐらいなんですから。
別段在日外国人、在留外国人を差別する意図も意志もない、ということを宣言した上で、下記を記載したい。-1
”在日韓国・朝鮮人が日本に移入してきたのは、「戦時下の日本政府による強制連行によるものと語られることが比較的多かったが、現在では、これは戦時下の朝鮮を含め、原則としてすべての日本人に適用された国家総動員法に基づいた合法的な徴用であるという認識が広まっている。朝鮮半島から日本本土に渡航してきた大半が自由意志によるものであり、徴用で日本本土に来た朝鮮人も、戦後そのほとんどが帰国していることが判明している。従って、現在、在日韓国・朝鮮人のうち、その来歴が徴用とする者は極めて少数と考えられている。これは朝鮮人移住者の各種データを検証をした『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(昭和30年7月 法務研究報告書第43集第3号)に詳しい。在日韓国・朝鮮人団体である在日本大韓民国民団の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査の結果をまとめ1988年に刊行した『アボジ聞かせて あの日のことを -- 我々の歴史を取り戻す運動報告書 -- 』にも、渡日理由のアンケート結果として、「徴兵・徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚・親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵・徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。”
日本人を責めたい気持ちもわかるし、現状差別を行っている多くの人が厳然と存在することは事実で、それを否定するつもりはない。
ただし、当時の日韓併合について責めるのは当時の国際情勢からして国際的にも支持を得辛いだろうという点も指摘しておく。
”英ケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授(国際法)は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年-1918年)以降のもので当時としては問題になるものではない」としている(2001年11月27日 産経新聞)”
従って、現状の差別については、広範な民族問題としてのアイヌの方や琉球の方、またブラジルからの来日在留者同様、「差別しない」という点において、韓国・朝鮮系の方も等しく、「差別されざるべき存在」として付き合う必要がある、ということ。
アプリオリかアポテステリオリなんていう概念の提示はこれらの他の民族との線引きを行うもので、容認し兼ねる(個人的には)
また、終戦時において韓国が朝鮮戦争その他を含めた経済要因による理由もあり国籍選択を拒否したことについて、日本人に責任を問うのは無理というものだ、と言う点も指摘しておく。(これを韓国政府の棄民政策だ、と言う点についてはそういう捉え方もあるだろうし、自分としてはその立場を取る)
一方で、戦前から戦後についての多くの日本人移民についても、同様に日本政府による「日本人の棄民政策」であり、戦後の北朝鮮への帰還事業は総連も積極的推進を図っていた点をもって、日本政府・日本人だけの責務とするのは問題があると考える。
創氏改名については、戦中も朝鮮名をもって将校になった(まぁそうはいっても部隊指揮官クラスですが)点などをもって、「全ての人間に強制した」ということはない点も明記しておく。
また、朝鮮戦争が日本の植民地支配が原因だ、という点に関しては、結果としてそういった「要因」があったことは「歴史の連続性」として有り得るだろうが、そんなことを言い始めたら中東戦争は全てイギリスが責務を負うべきだし、印パ紛争もそうだろう。
そんな話は「現状の解決になんら寄与しない」ことに加えて、「どこまで歴史の責任を負うべきか」という点もあり、プロパガンダとしての効力は無いわけではないだろうが、少なくとも現状の差別解消に有効に機能するとは思えない。
元増田です。
「自分はこの人に会うために生きてきた」と思える体験は人生を幸せにします。
その体験を恋愛と呼ぶかどうかは人によると思うけど、
それはあまりにも幻想に過ぎると思う。
少なくとも、その考え方には確実に「互いに存在を認め合い、共に生きる相手」に出会えない人に対する徹底的な疎外があると思う。
「互いに存在を認め合い、共に生きる相手」に出会えない人の人生は無価値で無目的だということになる。
わたしが感じる、恋愛・結婚しないことの惨めさは、そういう個人の人生に対して一方的に値札をつける社会的圧力が原因だろうと思う。
貧困や格差、セクシャルマイノリティやフェミニズムでの女性の客体化や、民族問題で在日の疎外が問題になるのに、
なぜ、こっちは問題にならないんだろうか?
こっちの方が堂々とまかり通ってる由々しき疎外問題なんじゃないのか?
彼は、以前の会社の同僚で、頭が良くて仕事が出来たので、仲良くなってから、よく飲みに行っていた友達だ。
SIベンダーでリーダーをしており、最近かわいい子供も生まれて忙しい身だけど、久しぶりに飲みにいけることになった。
ほとんどが、仕事とか、家庭の話だったけど、チベットとかそういう話になったのがすこし面白かったので、書いておく。
俺)最近、オリンピックとかチベットとかの話題で、いろいろあるけど、そういう事を言われたりする?
彼)いや、みんなプロジェクトの事で頭がいっぱいで、世間の話なんかできないよ。
俺)ははは。
彼)でも、奥さんは、中国人とわかると嫌がらせはあるみたい。前からだけどね。
俺)え、それは奥さんがかわいいから嫉まれてるんじゃなくて?
彼)それは、君でしょ。結婚したとき、毎日僕に犯罪者とか言ってた
俺)ゴメン。でも奥さんに嫌がらせとか許せないね。
彼)保育園とかは心配だね。できれば、区立のを使いたいけど。知り合いは、中国人が使うのはおかしいとか言われたらしいから。
俺)どうしても個人を超えた問題になるんだよね。きちんと調べたら、分かるんだけどね。
彼)民族問題や歴史問題は難しい。チベットのことは正直よく分からないんだ。でも、世界中でも大きな国で歴史的に真っ白な国はないでしょう?
事実を一面的に語ることはできない。
俺)でも、チベットの問題では結構強硬的だよね。そういうのは、いまの中国にとっても良い方法ではなかった。
彼)もちろん。人が死んだり傷ついて、泣いたり憎んだりするのは、悲しいよね。誰も望んでないよ。政府には、もっと上手に問題を解決できる人も多いけどまだ力が無いみたい。
俺)中国は変わると思う?
彼)さあ。
でも、ビジネスがもっと好調になれば、今のやり方では難しくなるかもね。誰かを犠牲にしたり、敵対しつづけるのはビジネスとして賢明ではないからね。
でも、それには時間がもうすこし必要だろうね。むしろ、日本が変えればいいのにと思うよ。
俺)ええ、そんなことしたら、外交問題とか言われてとんでもないことになるでしょ。
彼)直接的に言ってはだめだね。日本のほうが先進国だろう。教えるには、良い方法を知っていないとダメだね。
俺)どういう事?
彼)今、会社で新人の研修もしてるんだよね。プログラムもそうだし、エンジニアとしての考え方ね。そういうの。部長が精神論とか講義したりするのもあるんだけど。(笑)他の人が教えてるの見ててさ、中から変わらせるのがうまい人っているでしょ。
俺)癖になっていたり、慣習になってると変われないからね。
彼)そう、でも変えてもらわないと、チームの生産性が落ちるし、本人にも良くない。そういう事。技術は結構時間掛けていいこと教えても本人がモードに入ってないとダメっていうか。
彼)厳しいプレッシャーかけても、自分でも無茶な仕事が出来るとか発見はあるけど、持続できないでしょ。本人が気づくのが大事じゃない。「こっちのやり方だと便利だ」とか「この方法が効率的だ」とか。そういうのwikiに書いても、みんな読まないし、グループセミナーで話しても効果ないじゃない。
俺)みんなモードに入ってないから
彼)タイミングね。
だから、わざと課題に困らせるもの入れておいて、でも、目の付くところにヒントがあって、本人が自分で発見したように思わせる。そういうのは、ちゃんと身に付く。
俺)たしかに。
彼)だから、覚えて欲しい方はそうやって、一度苦労をさせて本人に気が付かせる。教えてない、本人が勝手に気づいた。でも、チームはそれで幸せ。本人も幸せ。
俺)うまく行ってる?
彼)簡単だよ。間違ってる方法をやってれば、絶対にどこかで困ったりするから、そのタイミングを見てればいい。そこで、そっとパスを出す。
俺)なるほど。だから、日本も中国にパスを出せばいいんじゃないかと。
彼)そう、日本は世界中のどこにでも、パスを出しやすい立場にあるよ。世界っていうか、そういうのでしか変われないと思うんだよね。人間は。
彼)中国人は政治とか体制にほとんど興味がない。だれがリーダーかとか歴史とかには、本当はどうでもいい。おいしいもの食べたいとか、かわいいことSEXしたいとか
俺)それ、世界共通でしょ
彼)いや、中国はたぶん一番直感的だと思うよそれで何回も歴史が変わってるから
こんな話だったかな
喩えりゃいいじゃない。
民族の問題を家族に喩えるとか、意地悪たぬきとうさぎに喩えるとか。
ダルフールの問題のほうがはるかに深刻なのに俄かに日本人が騒ぎ出しているのは同じアジアでの出来事だからだろうか?
ミャンマー暴動で日本人ジャーナリストが殺害されたのはなんかもう忘却の彼方だよね……。
結局どこの国も困窮した状態から抜け出したいがために多くの人が苦しんでいるわけだが、その何倍も豊かな生活をしているはずの日本人はいったい誰のためを思っていったい誰を非難しているのだろうか?
チベットの人?
暴動に参加して鎮圧された人?
チベットの中に住んでいて暴徒により襲われ家やお店を壊された人?
それとも暴動がおきたために平穏な日常をこわされた人?
それとも独立国家になれていない”チベット”という記号的象徴を哀れんでいるの?
主導者ダライラマを哀れんでいるの?
暴徒鎮圧命令を下されて凶刃を振った末端兵隊の罪を哀れんでいるの?
鎮圧の命の決断をした指導部の判断を責めているの?
問題の根幹は貧困に根ざした民族問題だ。
国内の苛め問題も解決できないように、この問題の根本的な解決は無理だ。
理想的な解決に向けたシナリオはある。
弱いほうをかばいだてしパワーバランスを整えることだ。
根本的な問題があれば諌めればいい。
まずは喧嘩をやめさせる。非難や肩入れはそのあとだ。
同じ地球に住む人間として諍いごとは円満にすませてもらいたい。
だが、本当の願いはどこの国でも暴動がおきないぐらいお腹いっぱいにうまいもの食えて、
不安も不満も抱えずにのほほんとみんなが生活できることを望む。
だが我々の豊かな生活はどこかの途上国で年端もいかない子供が水汲みのような労働しているのを集めた結果だ。
石は高く積めば崩れる。
だが積まずにはいられないのが人間の業。
ひとつつんでは・・・