はてなキーワード: 母国語とは
ある記事が注目されているので、カナダ(バンクーバー)で働くソフトウェア開発者として、私が目にしてきた実情を、カナダ(バンクーバー)およびカナダドルに絞って話す。
仕事面:
生活面:
その人以外から言われていない、何気ない言葉や褒め言葉で何度も噛み締めて嬉しい気持ちになる言葉、ある?
1人に1度しか言われていないけど、何人かに言われる言葉や何度も言われるのと同じくらいかそれ以上に嬉しかった言葉を、辛くなったときやふとしたときに思い出しては噛み締めて自分をご機嫌にしているんだけど、みんなはどう?
気持ちが落ち込むことが増えちゃって、みんなの嬉しかったワードを聞いてお気持ちプラスになりたい。
わたしのはこんな感じ↓
・外耳の産毛がふさふさな自分に大好きな先輩がかけてくれた言葉。
体毛が濃いことを気にしていたし日本人形顔だけど素敵に捉えてくれて嬉しかった。
・仕事で直接会ったことのない方が退職される際にもらった言葉。
自分の声はそんなに好きじゃなかったから思わぬお褒めの言葉で思わず涙が出るほど嬉しかった。
・海外旅行先のレストランにて現地母国語で「ありがとう」を言ったら発音を褒めてもらえた。
きれいな発音になるように練習してたから小さな努力を肯定してもらった気がして嬉しかった。
知り合いにも留学先で繋がった友達にも読まれたくないからXでもInstagramでも書けなかったことぶちまける。
留学するまでぼんやり好きな国だった。いつか観光に行きたいと思ってたし、ベトナムの街並みとか写真で見る分には好きだったよ。
でも年末海外で年越しするんだけどベトナムは候補から外してもらった。マジで無理。
人の印象でなんかもうマジで自分の人生に接点持たせたくなくなっちゃった。
寮制で、アジア圏、中東圏、東欧圏からの学生を受け入れてた。専攻全体では日本人は毎期いるか
いないかで、アジア系人口比は中国の次に韓国、ベトナム、タイ、台湾、日本くらいの順。
そういう環境でベトナム人男(けっこうな数)からストーカーされて、寮で逃げ場なくて、勉強しようにもこっそり横だったり後ろだったり座られてキショいLINE送ってくる。
ベトナム人女子に嘘つかせて呼び出す、同じ寮のベトナム人女子に部屋にいるかどうか、何してるか内通させる、他の国の男としゃべってないか見張らせる。
ジトっと視線感じるなと思ったらおもむろに身体に手を伸ばそうとしてくる。拒否ったらキッショい「どうして拒絶するの。僕は傷ついたよ」の旨のクソLINE送ってくる。
ベトナム人女子経由で謎の贈り物を渡してくる。やめてと言ったら何をどう説明したのか教師を経由して渡してくる。
あなたは私の恋人じゃない、行動をどうこう指図するべきじゃない。あなたは私の先生じゃない、私によかれと思って何かを教えようとするな。勝手に私の授業や履修コースを(お前と同じ教室になるよう)変更しようとするな。それを私の周囲に進言するな。
なんかもうハ?ハ?ハ?の連続。
日本人がやれ非モテはコミュニケーション下手だ、やりチー牛がどうだ囃し立てて盛り上がってても、ベトナム人のコミュニケーションにもなってないサルみたいな脳直行動思い出したらチー牛なんてめちゃくちゃ他人を思いやって自分の挙動に迷いが出る(だから端からみるとキョドって見えてしまう)、優しい「人間」だよ。
実のある留学だった、と言い切るには留学中通してベトナム人にされてきたことが不快すぎて思い出にノイズが入るんよ。
男は人間のコミュニケーションができない粘着ストーカー、拒否ったら「自分がいかに傷ついたか思い知らせてやる」タイプの被害妄想過多。女はそういうベトナム人男に日本人を差し出そうとする嘘つき…。
最終的に私が寮出たよ。ベトナム人のいない環境じゃないと安心して留学生活送れなかった。
それだけ書くと留学自体最悪だったみたいに聞こえるけど、ベトナム人が異常だっただけで、私が出会った他の学生達はいい人たちだったよ。
留学生はアジア圏、中東圏、東欧圏から来てて、自然とアジア勢は同郷で固まる。日本人は私1人だったから色んな国の子達に助けられて、本当にありがたかった。
寮出て最初に生活基盤作るのにめちゃくちゃ親身になってくれて、大きな荷物の買い出しのために色んな人に声かけてくれた中国人。コイツ人に頼ることを恥ずかしがってるなって見透かされてたんだと思う。母親みたいに助けてくれてた子が同い年だと知った時びっくりした。恩返しし切れてないくらい助けてもらった。カッコよかった。2人して同じ時期に母国の彼氏と別れたの笑った。
コミュニケーションで困った時に日本語の辞書と英語の辞書持って来てくれて一緒に手続きやっつけてくれた韓国人。あと昔軍で2年間日本語学習官に任官されたっていう韓国人呼んできてくれたとき本当に本当に嬉しかった。母国語で寂しさとか悔しさとか、憤りをぶちまけたかったんだ。それは日本語じゃないと出せなかったんだ。そんなどうしようもない情けない気持ちを異国で日本語で聞いてくれてありがとう。
台湾人の友達ありがとう。留学中いっぱい外に引っ張り出してくれてありがとう。台湾人だけで旅行した方が気楽だったろうに、快く受け入れてくれて、私が同じ状況だったら出来るかな、そうありたいなってずっと思ってた。あなた達がいなかったらずっと寮で留守番してる学生だった。写真フォルダ皆んなでいっぱいにしてくれてありがとう。
中東とかポーランドも含めて、友達を通してそれぞれの母国について知れたことよかったな。
世界地図見た時、中国も韓国も台湾も「あ、友達の国だ」ってなるの。
皆んなの母国語の音の響きが「なんか知らない音」から「なんか知らないけど耳に馴染む音」になったよ。
実体験による印象って本当に強くて……
……それだけにベトナム人への「嫌い」が拭えないんだよな〜〜〜
自戒とか今後に生かすことがあるとすれば、私が留学を機にベトナム人が「嫌い」になったように、日本に留学したことで嫌な思いして「もう日本に関わりたくない」って気持ちで帰国する人もいるだろうってこと、それか留学先で出会った日本人に辟易して「日本ムリ」になる人もいるだろうってとを想像すること。
助けられる立場にいるなら力になること。
私は今後も海外に行くの決まってるから、誰かにとって「留学先で出会った日本人」として見られる自覚を持ち続けること。
……くらい?
上手く通じるか分からないんだけど、「日本語を母国語とする人が、英語をネイティブとする人に近づけるわけでなく、いわゆるカタカナ英語的な発音で、どちらかといえば洋楽に多いテイストのポップス・ダンスミュージックを英語で歌う」というのが苦手なことに気がついた。日本語の発音方法で英語の歌を歌うと、元々ある言語発音上の滑らかさが弱くなって、なんとなくちゃちな感じというか、背伸びして英語歌詞を歌っているように聴こえちゃう。普段はほとんど日本の音楽ばっかり聴いているので、日本のPOPSがダサいとかそういうことを言いたいんではなくて、それぞれ言語に合わせた音作りになってるんじゃないかと思うから、無理やりカタカナに当てはめた英語で歌うくらいなら、母国語英語の人にオファーできんかったのかなーって思ってしまう。
なんで急にそんなこと思ったかっていうと、今遊んでるアークナイツって、本編にも出てこないテーマソングを趣味で(かどうかは本当は定かではないんだけど)ぼんぼこ作って出してるのね。んで、現地でのコンサートはさすがに現地のアーティストに頼んでいるんだけど、配信音源は色んな国のアーティストに楽曲提供お願いしているみたいなんだよね。開発会社は中国だから、何なら歌だって英語じゃなくていいはずだし、最初から国内のアーティストに頼んでもいいと思うんだけど、それだとイメージが違うんだろうね。中国の方も英語すごく訛るし。日本のアーティストも英語で参加しているけど、その場合は歌い手も作曲も日本の方であるので、違和感がない。予算の問題があるんだろうけど、やるならそこまでやってみてほしいなと思ったりした。
ワイくん言語 IQ 平均以上にあるけど、脳の状態チェック目的じゃなかったので、そのようなこと言われませんでしたね
あと1対1だったよ、検査も結果お伝えも
強いて 言語 IQ に夢を見るなら、まぁまぁ文章や本読むの早い
学生時代も社会人になってからも周りに自分よりも早い人はいなかった
けど、文章や本を読む速度も、対象の前提知識・得意不得意が大いに影響するし、
そもそも速読なる技能があるらしいので、やっぱこれも 夢見る要素ねーなってなる
速読能力
https://www.sokunousokudoku.net/hakarukun/
読解問題よみとくん
https://www.sokunousokudoku.net/yomitokun/
こういうゲームみたいなのじゃなくて日常ベースでいうとワイの読む速度は
ジャンルや前提知識によってめっちゃ速度かわる。なので速読では無いんだろうね
私は新卒で入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。
共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。
分野は特定されたくないのでぼかす。
入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業に就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。
元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。
最初の研修を経て研究職として地方の研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。
しかし入社して半年程度で、自分の仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。
まず研究について。
これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。
Aは就活当時に海外で研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。
事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分はメンバーではなかった。
正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。
勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒の教育なんて大変なのはわかる。
ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマに情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。
上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司の育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。
また入社時にはコロナが流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄な人間関係が出来上がった。
元々研究所はその特殊性からか人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドなコミュニティだった。
普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。
気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。
家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。
また、自分の周りの方々を見ていると自分のキャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。
新卒で年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル。
研究員は10年とか努めたら突然の辞令で研究員ではなくなり、別部署の主任になるのが大半みたいな。
大体三十歳前後に結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。
恐らく多くの人から見たら幸せな人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。
それでも自分には魅力的に映らなかった。
日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。
入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。
研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。
むしろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。
もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。
また別の理由として、人生で一度は海外で生活してみたいという強い思いがあった。
元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理や営業がほとんどであることも知った。
それどころか会社で研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令で研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。
私はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司の裁量や社内政治の巻き添えではなく、自分の意思で決めたいと思った。
入社半年で上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外で博士号を取るという決断に至った訳である。
どうやら博士号や欧米では十分に評価されるらしいとか、海外の大学院は授業料無料で生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。
よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。
また研究の世界はどこまでいっても英語が公用語であるため、基礎的な学問を母国語で習得した上でなら英語で研究を遂行する能力も必要だろうと考えた。
幸い職場はホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。
主に米国の大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。
大学院留学には主にTOEFLかIELTSが使用されるため、私はIELTSを選択してオーバーオール7.0まで取得した。
GREとはGraduation Record Examの略で、米国の大学院を受験する際に要求されるスコアだ。
ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。
こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。
2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外の大学院のPh.D.プログラム(日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。
自分のレベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。
合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。
反応は様々だった。
新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。
そもそも会社辞めて海外に留学なんて叩き上げの管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。
管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。
大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。
アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。
一度社会人を経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学生時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。
ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。
現在の給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカの州立大学の大学院生の平均的な給与だと思う。
そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である。
自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本の大企業やばない?と若干思うところもある。
まあしかしアメリカの田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。
大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除を経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。
アメリカでは博士卒が民間に就職した場合、自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。
周りをみても外国籍が特に問題なく就職しているので、日本の博士卒の就職難というような問題はこちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。
幸いビザ問題はとある理由でクリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。
海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。
生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。
元々人付き合いは好きだが、上下関係や気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。
年功序列は自分には向いていない制度であったし、自分の意志を介在せずに自分の処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。
それでも日本の大企業に入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスなアメリカの大学院生活でも大変に役立っている。
自分は別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカンドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。
同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。
ワイは書字障害/書字表出障害があって、母国語ですらギリだけど、特別に困ったことは無いで。それはPCであらゆることを行う時代に生まれたからやね
(増田だって、みんな手書きで書いちゃいないし、書けない漢字も使ってるでしょ)
強いて言えば、学生時代はノートを取ること・提出することを放棄していて、ワイはめっちゃ顰蹙を買ってたで
ワイの時代にはノートを取って提出しないと、3の評価をつけるアレな教師とかもおったので内申死んでたで
もし、子どもが、書くスピードが極端に遅くて、ノートを取れていないなら、黒板の写真を撮ったり、PCやタブレットを使ってノートを取ることを学校に申請してあげると良いかもね
ワイは、外資にいた(いる)・グローバル対応するのに全然出来んやで。音とスペルが違うからぜんぜん単語が覚えられん
基本的に仕事では下々の者は話すことよりも書くことが主だし、学校でも英語でレポートを書かないといけないこともある
だから、書字障害/書字表出障害用の英語(特に単語)の対策をしてあげると仕事や学校でだいぶ楽になると思うで
英語に対応できる人がいない時はDeepLに頼って返答するけど、やっぱ片言だと伝わるか双方で不安になる
それにいくらネイティブじゃないと言っても限度はあると思う(無能なのに日本人ってだけで何カ国もできる通貨の弱い国の人よりも給与を貰ってすまンゴ)
あと、今時の若者はみんな英語ができるので、どんな仕事に就こうとも、マジで英語は必須。ワイもいつまで仕事あるのやらって思うし、
ここでいう言語化能力は、ライティングの技術ではなく、モヤっとした抽象的な感情や思いを不恰好でも自分の言葉で表現すること
自分が何を考えていて、何に困っていて、具体的にどんな助けが必要なのか?それを不恰好でもいいから、言葉で相手に伝えることができるようになることが、
自分の困りごとを言葉で表現できないと、調べ物もできないし、誰か(行政/医者/身近な人)に助けを求めることもできないんだね
これは運に恵まれていないと致命傷になるかもよ
とりあえず、言葉で感情や考えを表現するには、ある程度の単語力は必要そう。視聴覚障害者は単語を覚えることが難しく、それに伴って言語化が得意でないケースがあるので
ただ、この能力はライティング技術や話術とは別個のスキルなので、読書家である必要はない(例えば、出光の創業者は弱視で本を読まなかったそうだし)
あと、なにより重要なことは、専門家である言語聴覚士などに相談することだよね(専門家に相談する選択肢が元増田ない時点で雑釣りなんだね)