はてなキーワード: 死刑廃止論とは
増田です。
裁判員制度を問い直す議員連盟が緊急総会なるものを行ったそうで、『「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」』なるものが事務局長である保坂展人議員のブログに掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/21929301bf51872669470a5abd17bbeb
これの前に保坂議員が思いのたけを書き綴っている日記もあって、こっちを読んでおくと主張の背景が判るかも知れません。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/2a0f3fcc5177f4a295dea218a6f0a4ef
…なんですけど、幾ら読んでも、その主張がさっぱり判りません。なんと言うか、筋が通らない。単に増田の読解力が破綻してるのかも知れませんが、他増田はどう思いますか?
①思想・信条による「辞退」や面接時の「陳述拒否」が認められない
「私は人を裁くことはできない」という強い信念を持つ国民が、裁判所からの呼び出しを拒んだ時、「正当な理由なく出頭を拒否した」として10万円の過料の制裁を受けるのは憲法上の問題があります。また、裁判員候補面接時に「死刑も含む法定刑を選択出来るか」と問われた国民が、「『憲法19条の思想・良心の自由』に照らして、私はこの質問にお答えできません」と応答した時に「正当な理由なく陳述を拒んだ」として制裁を受ける危険があるのも問題です。憲法の上に、裁判員法が位置しているかのような倒錯があります。
「辞退権があるべきだ」と言うスタート地点から話が吹っ飛んで、「出頭拒否OK」に着地してるみたいですが、どんな理由であれ「辞退したい」と言うだけの理由で出頭拒否出来る必要が何処にあるんでしょうか? 裁判員なんてなりたくないのに無駄な時間取らせるなよ、と言う思う人は(沢山)居るとしても、事前に送付する質問票で辞退理由に当たるかどうか判断されている以上、制度として出頭拒否を肯定する必要なんてないと思うのですが…。
で、恐らくスタート地点であろう「辞退権があるべきだ」には、特に異論はありません。が、大々的に拒否権ありますって事にしたら、裁判員がやりたくやりたくてしょうがないって人しか裁判員なんてならないんじゃないかな(それはそれで激しく怖い)。つーか、実際問題として質問票なり面接の時なりに「裁判員なんて絶対やりたくない。選ばれたら出席はするけど、全ての審議に棄権する(or無効票を投じるor少数派につくetc)」って言えば、落とされるんじゃない? それでも選ばれる位、裁判員候補が酷かったらどうするんだって話はあるでしょうが、それはベツバナでしょう。
陳述拒否も同じ。そもそもそんだけ信念を持ってるなら回答を拒否する必要ないですよね。意識的に自分の思想を隠して、裁判官や弁護士、検察官を欺きたいってんなら話は別ですが、これも制度として肯定する理由を感じません。
つーかね。思想隠しOKなんて事にして「死刑万歳」とか「死刑なんて絶対ありえない」とか「左の頬を叩かれたら右の頬を差し出すべき(だから無罪)」とか言う人達で裁判員が構成されてる裁判なんて魔女裁判と変わらんと思うんですよ。そんな裁判絶対関わりたくないわ。審議の内容を見ずに思想だけで評議する奴は裁判員から外せってのは当然じゃないですかね? 保坂議員は死刑廃止論者で、裁判員制度見直しの話に死刑廃止の目論見を混ぜ込んでる(と言うか単に切り分けられないだけか?)ふしが散見されるんだけど、死刑万歳な連中が同じ事をした時の害を考えれば、自身の主張が馬鹿げてる事は自明だと思うんだけどな。
②守秘義務・虚偽陳述の罰則が重すぎる
さらに、「裁判員の守秘義務」の範囲が不明確だとして、「裁判員等の守秘義務の範囲の明確化と国民への説明」が付帯決議で指摘された点は、いまだに判然としていません。裁判員として途中経過に関しては一定の守秘義務が必要であっても、判決を終えた元裁判員について、評議の中で自らが述べた意見及び経過の要点については、他の裁判官・裁判員の評議・評決の態度に言及しない限り、可罰対象にするべきではありません。「評議の秘密は墓場まで」「守秘義務違反を行えば、逮捕覚悟だぞ」という威迫は、不要で過剰な重圧を国民に与えるだけです。
また、これらの守秘義務によって、裁判長や裁判官が一方的な評議の進め方をした時や、裁判員の声を無視して評議と異なる判決をした時等の「異議申し立て」も封じられてしまいます。
裁判員の守秘義務は裁判の傍聴では知りえない部分に限定される訳で、具体的には「裁判員の名前」やら「評議の経過」「事件関係者のプライバシー」。評議で言った事を後で公開・糾弾される心配をしながら裁判員なんて出来ないですよ? 怖すぎて。有罪に票入れれば犯人に恨まれ、無罪に票入れれば被害者に恨まれ…。何にも言えませんって。例えば、精神鑑定が議論になる様な裁判で「裁判員の一人が精神科医で、そいつの薀蓄で他の裁判員が抱き込まれて無罪になった。でも裁判官は全員有罪に票を入れてた。あんなのはおかしい、絶対有罪だ」なんて事も言って良いって事ですよね? 無罪判決が出ても一人の裁判員の思い込みで「裁判官は全員有罪だったんですって怖いわねぇ」とか言われても仕方がない、それが裁判員の権利だって事ですかね? 被告への社会的ダメージは計り知れないのでは? 裁判関係者(裁判員、被告、被害者等)を守る為にも守秘義務は必須でしょう。どうしても判決が納得できないなら、傍聴すれば誰でも知り得る範囲で活動すればいいのであって、裁判員しか知りえない情報を公開可能にする必要は全く感じられません。
あと、ここ以外でも主張の下地に「裁判官が腐ってた(裁判員を誘導した、裁判員を無視した)らどうするんだ」って言う疑念にある様に見えるんですが、これはそもそも裁判員制度の問題じゃないですよね? 現行制度なら裁判員を誘導したり無視したりする必要すらないんだから。「裁判官が腐ってたら裁判員制度は機能しないから、腐った裁判官だけで裁判すべき」って言ってる様にしか見えないんですけど…。
他にもいっぱい書きたい事はあるんですが、いい加減長いので、一先ずこの辺で終わります。
単に増田の読解力の問題ですかねぇ…。
なんで?
性犯罪は再犯率高いのは周知の事実だろ?あんなんも更正とか無理なんだから死ねばいいだろ。
なんでそんなところの権利とかばっか守ろうとすんの?
それでいて沖縄事件では少女に夜歩いてたくらいで非がある非があるっつって人権なんてまるで無視して責め続けてついには被害届を出さなくさせたのに、
殺人者は殺しちゃダメだよ、あれでも人だから、やっぱり人が人を殺すなんて!とかいって人権守ってやがる。
意味わかんねーよ。バランスがおかしいだろ。なんでそう皆犯罪者に優しいの?俺は最近、この社会は被害者になる前に犯罪者になったほうが、寧ろ優しくされるんじゃないかって気がしてきたんだけど…
犯罪者の人権どうこういうのはいいけどそれ以前に非犯罪者の人権守ってよ
まるでペットのエサ代に金をつぎこむあまりに自身が栄養失調になる飼い主みたいな馬鹿らしさ。
まず力いれるべきはどっちだよ。
加害者ばっか守られる?
一生豚箱にぶちこむのもいいけど、それじゃ甘いよ。模範囚のふりしてればすぐでてくることもあるだろ。で、また犯罪を繰り返す。アホらし。大体、一人の人間一生閉じ込めて置けたとしても、その間の金は俺らの税金から出てんでしょ?はぁ?それこそふざけんなよ。なんで犯罪者どもの食い扶持払わなきゃいけないわけ?
つーか犯罪者は人として扱わなければいいんじゃないの?っていうと「じゃあ裁けなくなる」っていうかもしれないけど裁けなくていいよ、人じゃないんだから処分すればいいだけじゃん、人をかんだ野犬の末路と一緒さ。
更正できない人間なんてもう言葉とか通じないんだから人じゃない、単なる野性動物なんだから、そんなんは人に迷惑かけた時点で処分すればいいだろ。保健所で。
つーか、大体さ、死刑を廃止して何の利があるんだよ?ないだろ利なんて。
僕は死刑廃止論者。
遺族の感情云々と反論されるかもしれないが、―――というか僕自身叔父を殺されてるんだけど、ははは―――とにかく死刑には反対。
ただ、これに賛同してくれる人がリアルにもウェブ上にもあまりいないのが結構つらい。
リアルでこんなこと言えば「は?」「本気で言ってんの?」「遺族がかわいそうとか思わないの?」「人間として・・・・」なんて言われて、袋叩きにされる。特に話題が話題だけに、友人たちの態度も厳しい。
ウェブ上でもそう。山口母子殺害事件判決のときの反応を見れば、死刑存続論者が圧倒的に多いのがわかる。で、異議を唱えたりすると「死ねばいいのに」。
僕はこの問題について結構真剣に―――多分日本人の平均以上には―――考えていて、考えているつもりで、自分の主張にもそれなりの自信があるんだけど、それに共感・賛同してくれる人が、耳を傾けてくれる人がいないって言うのが、辛い。
どうしようもなく辛い。
辛くて辛くて堪えきれないから、こんな記事を書いてみました。すみません、スルーしちゃってください。
追記
補足を一つ。
「自分の主張にもそれなりの自信がある」の部分は、「存続派を論破できる自信がある」ではなく「自分の主張に自分なりに納得できている」程度の意味に捉えてください。
民主主義の根幹にあるのは、「少数意見も尊重した上」で「議論を尽くし」、それでも決まらない場合「多数決」を尊重する、ということだ。
死刑を決定するに至るまでは、殺される側の主張も徹底的に吟味される。そして一審、二審と時間をかけ、議論を尽くす。その果てに結論が導き出される。最終的な結論が多数の意見に沿う場合もあれば、少数者の意見になる場合もある。結果として多数の意見が通った「死刑」事例を取り上げてみれば、あたかも「多数者のエゴで少数者を犠牲にした」ようにしか見えないかもしれないが、途中の過程を考慮するかあるいは死刑が回避された事例を見れば、決して「多数者利益が常に優先」ではないことは分かる。
一方「トリアージ」は、緊急の現場で「命の価値」をむしろ最小化するために「自動的に多数者を優先するシステム」。そこには少数者の意見とか議論は欠片もない。仮に死刑をつかって喩えるなら「Aの生きているコストが多数の社会に与えるメリットを下回った人間は自動的に即死刑」にするようなもの。それが、日常の状態で社会を維持するためのシステムではあり得ないことはすぐ分かる。両者は全く別のことだ。
ちなみに言っておくと、私は死刑廃止論者です。
要するに自分の思い通りにならない愚衆が嫌いだってことですね死刑廃止論者の殺人犯さん。
皆さんこれが弁護士ってやつの正体ですよ。
何のかんの屁理屈をつけて死刑を廃止しようと画策する悪の親玉。
こういう弁護士はさっさと止めさせてしまうのに限ります。
どこをどう読んだら死刑廃止論の肩を持つのか、というか死刑廃止論に繋がるのか、できれば教えてもらいたい。
犯人は幸福な家庭を一方的に蹂躙した挙句未だに四の五の言ってるんだから、犯人も死ねばいいし、是非(早急に!)そうしてもらいたいのはご遺族も願っていること。
それを踏まえたうえで何が腹たつって、第三者が一方的に
犯人が死刑になればいい(ここは賛成)=犯人を擁護する奴(弁護士)も悪だ(ここにすごく疑問を感じる)=俺が気に入らないから仕事も懲戒請求で辞めさせちゃうぞー(ここには可哀想とさえ思うが、まあ迷惑)
って人間と、もっと無条件に腹立つのが
なんか自分と反対の意見を言われた=裏を返せば自分の主張と同調できない奴には死刑廃止論者だとかレッテル貼る、
そういう人間が、いちばん性質悪いと感じる。
ほとんどみんな、光市母子殺害事件という一つの具体的事件についてのみ語ってるよね。抽象的に語ってるように見える増田も、よく見るとやっぱりこの事件が頭の大部分を占めてるようだし。
賛成論者が個別的な犯罪の悪性を突いて主張するのは分かるが、なんで反対論者までそれに引きずられてるんだろう。「そこだけ見てどうする」って反論すべきなんじゃないの?
死刑制度の是非は法制度としての在り方だから、個別事件だけ見てどうこう言うのは間違ってると思うんだよな。「死ぬべき犯罪者がいる」ってことと、「死刑制度は存続すべきだ」ってことは直接結びつけちゃダメだと思うんだ。
生命は人権として絶対不可侵な部分だから死刑制度は国家の刑罰権の範囲外だとか、冤罪で死ぬ可能性が1%でもあるなら廃止すべきだとか、死刑による重大犯罪抑止効果云々とか、死刑廃止論は全て犯罪一般に関して展開するものであって、個別事件の犯人について「死ぬべきでない」と主張するものではないだろう。死刑廃止論者だって処罰感情が他と違うとは思えないから、その多くはやっぱり「こいつは死んでいい」と思ってると思う。それでも制度全体の正義を貫くためには死刑とすべきでない、というのがあるべき形のはずだ。
逆に、死刑存置論者も、「死ぬべき犯罪者がいるから」を理由にしてはいけないと思う。もちろんそれが大前提であり出発点だけど、死刑廃止論が「死ぬべき犯罪者がいるとしても」という留保の上に成立するものである以上、制度全体を見渡した上で是非を主張すべきだろう。
極論を言うと、遺族の処罰感情なんて死刑制度の是非に関してはどうでもいいことだ。どっち側もそれは認めてるんだから。
まあそうは言っても、事件がないと考えられないのが人間か。しかもその内容によって考えが変わったりもしちゃうんだよね。普段何も考えてない俺は、グリーンマイル見れば「死刑はダメかな」って思っちゃうよ。