はてなキーワード: 死刑存置とは
2「コスト」
3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情」
4「復讐」
提示されたのでいうと、
1:2:3:4=80:1:14:5
くらいじゃないかな。
1確実な再犯防止、これはメリット大きいね。死刑になりかねない犯罪犯したクソに社会復帰してほしくない、
2コストなんかどうでもいいよ。誤差だし。
3極刑ならアリだね。死刑と無期の間の終身刑が導入されれば俺はそっちに傾くかもね。脱走リスクと迷うけど。
自分が「死刑のある社会が理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、
それとも「今の日本の社会の下では死刑存置はやむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか
どちらかといえば後者だな。
とはいえ「やむを得ない」よりは、「廃止よりはあったほうが無難だろ」くらいの感覚だけど。
http://anond.hatelabo.jp/20130223193210を読んでも、この人が死刑に「賛成する理由」はさっぱり分からない。
そんなオレが、死刑賛成派の考える「死刑の合理性(あるいは正しさ)」とはどのようなものか?について考えてみた。
→ 確かに、死刑が執行されれば「再犯率」はゼロだ。だがこれは、「死刑が生んでいる犯罪」をカウント対象としていない。死刑の根底に「目的があれば殺人は許容される」という思想がある以上は、死刑が間接的に殺人者を生み、「別の人間による殺人など凶悪犯罪の再生産」を生んでいる可能性を明確に否定できない。
→ これに対して「死刑がない場合に増える犯罪をお前はカウントしてないではないか」という反論が想定されるが、過去、死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない。一方「死刑になりたくて無差別殺人をやった」とうそぶく殺人者は多い。たとえば下記。
2013.2.21 産経新聞より
「死刑になりたい。生きるのがいやになった」。死刑が執行された金川(かながわ)真大(まさひろ)死刑囚(29)は1審判決前の平成21年6月、水戸拘置支所(水戸市)で産経新聞の取材に応じ、早く死刑に処されたいという心中を吐露。「自殺はどんな方法であれ、自分の体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と話し、最後まで反省の言葉はなかった。…
2「コスト」
→ 無期懲役で囚人を何年も養うためにお金をつかっていられない。死刑にすれば金がかからない、と思っている人は多い。しかし、「死刑 コスト」で検索をかけてみれば分かるが、死刑制度があるせいで社会に多大なコストがかかっているという面もある。「コストが高い」ことを理由の一つとして死刑制度を廃止する国や地方もある。
米国では、死刑復活が認められた1976年以降、今年9月末までに計1228人が処刑された。先進国の中では最も多い数だ。それでも、死刑をめぐる論戦は、司法や立法の場で続いている。
その中で、最近新たに浮かび上がってきた論点が「コスト」だ。死刑を維持した方がコストがかかる、というのだ。
米国の50州のうち、死刑があるのは35州。76年以降、2州が廃止した。2007年に廃止したニュージャージー州では、コスト論が決め手の一つになった。…
3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情」
→ これは明確に虚構。無期懲役について調べれば分かるが、日本の「無期懲役」は、海外の「終身刑」とほぼ同じ基準で運用されている。「懲役200年」とか、ばかげた数字を付けないだけで、単に「いつ出られる」とも出られないとも本人には示さず、しかし、いつまでたっても仮釈放が認められない囚人は存在する。
参考:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091211882686.html?_p=all
4「復讐」
→ これは、唯一「感情的には」理解できる。あくまで「被害者と感情的に強い紐帯で結ばれた人間」が抱く感情として、「復讐」は、古今東西を通じての極めて強い人間的感情だからだ。理性を社会の基盤としてない時代や社会の下で「死刑廃止」を主張し実現するのは無理だろう、とは自分でも思う。だが、近代以降の社会において、なお、このような強い「感情」を社会の運営の基盤に置くのは危険過ぎる。「感情」を無視して社会が運営できるとは思わないが、「感情」を理性によって克服しようと努めてきたのが、過去100年の世界の歴史であり、現代社会は、そのことを無視して後戻りする状況にはない。
→ もちろん、「日本社会は、現実問題として理性を基盤とした社会ではないから、死刑存置はやむを得ない」という主張には、それなりの説得力がある。だが、それはあくまで「現実論」であり妥協であって、思想として死刑制度に賛成するか否かということとは別のことだ。この点に基づく死刑賛成派は、自分が「死刑のある社会が理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、それとも「今の日本の社会の下では死刑存置はやむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか、再度自問すべきではないか?
なお、元増田が書いている「国家による殺人」に関することは、サラッと流せる話ではない。国家に自国民を殺す権利はあるのか?について、元増田はどの程度、思考を巡らした上で書いているのか?
では、犯罪者は「犯罪者」だから殺していいのか? では、「犯罪者か否か」は誰が決めるのか。国家だ。つまり国家にとって死刑制度は「殺したい国民を殺せる」手段だということになる。
元増田は「国家は国民が運営してるんだから、いいじゃん」と思っているのだろう。つまり「国家が国民のためにならないことをするわけないよ」と思っているのだろう。平和な考えで、大変結構だ。しかし残念な思い込みでもあると申し上げておこう。
申し訳ないが、オレは単なる「システム」に、そこまで全幅の信頼はおけない。システムはただの「道具」に過ぎない。それを使う人間によって、善なる結果も悪なる結果も引き起こす。従って、システムは、多少危うい人間がそれを握ってもヒドイ結果は引き起こさないように設計する必要があるのだ。元増田が、いかなる政治思想を支持しているかは知らないが、自分から見て全く反対の政治思想が流行し彼らが政権を握ったとき、自分が「粛正」される側に回らない自信は本当にあるのか? それとも「常に強者にすり寄る」主義であるか。それでも、コウモリ的存在は、いつなんどき「裏切り者」として粛正されるか分からないわけだが。
以上の観点から、オレは「可能な限り近い将来に死刑は廃止すべきだし、そのために、一日も早く日本社会が感情よりも理性で運営される社会となるよう、関係者は努力すべきだ」と思っている。
http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1319950981/
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/30(日) 14:26:24.20 ID:bCaDrVUp0
■冤罪の可能性がある
すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。
■命は取り戻せない
取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。
さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、
仮にそうならば真っ先にあなたは9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである。
■抑止力が無い
嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)
刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役は監禁、罰金は恐喝になる。
自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。
■終身刑でいいだろ
日本の刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金も無駄。
さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。
■刑務官がかわいそう!
■野蛮!
youtubeで動画をだらだら見ていたら、秋葉原事件に関する当時の報道の映像に当たった。
そのコメントで「死刑にしてやりたい(3年前)」というのがあった。
この手の言動って(特にネットでは)ありふれたものなんだけど、わたしにはよくわからない。
どうしてみんなそんなに赤の他人のことで感情的に慣れるんだろう。
いや、共感をそもそもしないとかそういうことではない。
あるいは、光市母子殺害事件の被害者遺族の男性の立場を考えるとゾッとするが、共感はしない。
なぜなら、わたしには妻も彼女もいないし子どももいないからだ。
もうひとつ。
たとえ共感しても「死刑にしたい」というような強い感情は生まれない。
死刑存置派のひとがしばしば揶揄する、死刑反対派の検察だか弁護士だかの男性が身内が殺された途端に死刑存置派になった事例なんかはこの話(想像と経験)だと思う。
わたしも自分の大事なひと(そんなものいない)が被害に遭ったら「死刑にしてやりたい(というか、殺してやりたい)」と考えるだろうが、まだわたしの大事なひとは被害に遭っていない(そもそも存在しない)。
今被害に遭ってるひとたちはわたしの大事なひとたちではない。
わたしはおかしいのだろうか。