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はてなキーワード: 死ぬこととは

2008-10-20

いまは亡き月の王

今は亡き月の王の話をしよう。彼女はとても孤独だった。彼女の愛する青い瞳をした彼は、いつも彼女の目の前にいる。彼女は彼の元へ行きたいといつも考えていた。しかし、彼女が彼の元へ行くと彼の大切なものをほとんど全てと言っていいほど壊してしまうことを彼女は知っていた。だから彼女はいつも自分の気持ちを抑え、彼の周りを回り少しでも彼のことを知ることでなんとか彼に逢いたい思いに耐えていた。

しかし、ある日彼女は気がついた。自分の名前意味に。だから彼女は彼に逢いにいくために死んだ。彼女が彼に逢えたのかどうか、それは誰も知らない。けれどもきっと逢えたはずだ。彼女死ぬことで望みを完成させたのだから。

2008-10-19

生きていれば幸せ

なら

不幸とは死ぬこと

死ぬこと以外にも不幸な事は有るからこれは間違ってる

2008-10-05

責任者でてこーい!

asahi.com(朝日新聞社):神戸、アライグマ激増 捕獲13倍、六甲に捨てられ繁殖 - 社会

ほんとにペット捨てる人間ってどういう神経してるんだろうか。

理解できない。

やむにやまれぬ事情があったっつーんだろうけどさ。

捨てるにしても犬や猫なら、まだ生態系に与える影響は少ないだろうけど(それでも許すべきじゃないけど)、北米原産の動物日本の野山に捨てるって、どういう重大な結果になるかちょっとは想像しろよ。

え、何?まさか繁殖するとは思わなかった?ほかの獣にやられたり、エサがとれなくて餓死するとと思ってた?

ってことは、死ぬことを見越して捨てたってことじゃん。

だったら、お前が殺せ!

2008-09-19

[]

俺はまだ本気出してないだけ

虫歯になって慌てて歯磨き

鰯の頭も信心から

1000勝した千代の富士に次の目標は何ですか、と聞いた

千代の富士はこう答えた

1001勝です

「よく禁煙に成功しましたね」

「いえ、次のタバコを吸うまでの間隔が普通の人よりとても長いだけです」

俺は勇者になりたかった!

だが魔王がいなかった!

お前には魔王がいる!

魔王がいてお前は幸せだ!

Living well is the best revenge

優雅な生活が最高の復讐である

もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。

マルクス・アウレリウス 自省録

我々は、現在の知識によってのみ物知りであるにすぎない。

モンテーニュ

男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。

三島由紀夫

「第一の性」より

人は死の間際になってはじめて、本気で生きてこなかったことに気づく。

ヘンリーデイビッドソロー

人を見て、「こいつはまだまだだな」と思ったら、実際には自分とそいつは同じくらいのレベルで、

「俺と同レベルくらいかな」と思ったら、実際にはそいつは自分よりも上のレベルで、

「俺よりも少しできるな」と思ったら、そいつはもう手が届かないほどレベルが違うのです

志ん生

強くなければ生きていけない

優しくなければ生きる資格がな

マーロウの名台詞

今君は夢を僕に言えるか?あの日と同じ瞳のままで

徳永英明

過去未来復讐する」

ドラマケイゾク

英雄とは個人的な恨みや、失望や、復讐心に駆り立てられてではなく、

勇敢に、品位を持って自然な形で人生に参加する人のことを言うのです。

人の小さい過失をいちいちとがめないこと。

人の隠し事・秘密を暴いたりしないこと。

人の過去の過ちを掘り起こして蒸し返さないこと。

この三つの点を守れば、人格を高められるだけでなく、人の恨みや反発を買うこともないのです。

この時代の通貨時間

司会「北京オリンピックに何か特別にもっていく物はありますか?」

相武紗季おもちゃです」

浜田雅功「えっ!おもちゃっ」

相武紗季普通おもちゃです。」

浜田雅功「あたりまえや、こんなところで何言うとんねん。」

美しく誤解して結婚し、正しく理解して離婚する

明日の希望のために、今日の屈辱に耐えるのが男だ。

沖田十三

チンコがイカくさいんじゃなくてイカがチンコくさいんだよ

若いときは知ってるフリをしたがる

歳をとると知らないフリをしたがる

金は集めるより散じるが難し

安田善次郎

生きる時間は変えられない

生き方は変えられる

ランディパウシュ

未来は知りえず過去は変えられない

人を呪わば穴二つ

スナフキン語録

1.ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。

 今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。

 テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?

2.自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。

 その気になれば、世界中でもね。

3.そうだな。なんでも自分のものにして、 もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。

 ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、

 それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、

 かばんを持ち歩くよりも、ずっと楽しいね。

4.それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。

 すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。

 ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。

5.ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、

 ほんとにおそろしいことですね。

トーベ・ヤンソンムーミン谷の彗星」からの抜粋

昔から仏教では「足を知る」ていうんだ

あれも欲しいこれも欲しいで尽きることのない欲望の果てが

『自滅』

だから賢人は必要なもの以外は切り捨てるようにするんだよ

駒田「とりあえずお疲れ」

悩むってのは余裕があるから

海で溺れてる時悩みますか?必死で泳ぐでしょ

綾戸智恵

悩まない代わりに溺れて死んでます

ライオンに追われたウサギが、肉離れをしますか

オシム

肉離れをしたら喰われてしまうだけの話で、そんなウサギごろごろいる

肉離れを起こしたところをライオンに狙われたらたまったもんじゃないけどな

人生の大きさは悔しさの量で計るんだ

エリックホワイト

オシム

サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。」

「(交代策は)うまくいくときもダメなときもあるもんだよ。采配が全部当たるなら、

カジノに行くし競馬にもチャレンジしているよ。」

「私には、理想とするサッカーはない。こういうチームと決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。

完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」

日本人システム論議が好きらしいが、システム保証でしかないことを理解したほうがいい。

システム奴隷になってはいけないのだ。」

「古い井戸があります。そこには水が少し残っています。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいいんです。」

「夢ばかり見て、その後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?」

勝てない見込みのほうが大きい戦に

あえて臨む人間にはなんとなく肩入れしたくなる

「理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。

それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない」パスカル

「いいか、おまえら。恋愛というものはなだな、まず相手を好きになる。そして、好きが恋になって、

恋に愛が加わって恋愛になる。それで恋が消えて愛だけになると落ち着いてきたあたりが一番幸せだな。

それから愛に情けが加わって愛情になって、愛が抜け落ちてただの情になる。

終いには心も無くなってブルーになるんだ。皆もほどほどに恋愛しとけよ??」

俺、ビルゲイツが目の前にいたら言ってやるんだ

俺に金はないが、有り余る時間若さがある。

うらやましいだろ、ざまあみろ。ってね

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

ガンジー

ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい

信じるものがすくわれるのは足元だけ

夜なのに僕が見るのは蒼井そら

福山雅治

メリークリトリス

「ボクは火星人であることとチンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」

チンコ出して街歩きたい」

「虹がヒットしたら俺の下の毛を虹色に染めてお前ら(リスナー)にプレゼントしてやるよ!」

「空中でオナニーしてみたけど踏ん張りが効かなくてエクスタシーに達するのは無理だった」

生まれたてのハツカネズミのような奥ゆかしいチンコ」

陰毛は直毛です」

「俺はオナニー神様子供オナニー神マーラ・ダンコーン!!」

人生は全て次の二つから成り立っている。

したいけど、できない。 できるけど、したくない。

ゲーテ

この人が王であるのは、ただ他人が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。

ところが、彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。

資本論』第1巻第1章

柳田國男

「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、

われわれもそれを若い人に強いたのだが、

これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。

もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、

海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」

久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ

ラストサムライの最後のシーンで、若い明治天皇が、トムさまに、渡辺謙

演じたラストサムライ勝元(西郷隆盛モデルらしい)の死に様を聞く。

「Tell me how he died」

アメリカ兵役のトムさまが、自信に満ちた微笑をかすかにたたえて答える。

「I'll tell you how he lived」

人の通わぬ山道に咲いた紅葉の心意気

歌丸

銀座ホステスの格言

「金」以外のものを絶対に信用してはいけません。

信用できるのはお金だけ

よく聞く言葉だけど、インフレおこしたらそのお金にも裏切られるわけで

お金だけは信用できるって言葉は、間接的に

国は信用できるって(信用する)ということにつながるんだろうか

強情を押し通すと、周囲にも自分にも苦しみとなる

朝は希望をもって目覚め、昼は勤勉に働き、夜は感謝をもって眠る

自由と繁栄の弧/麻生 太郎

やっぱり一番悪いと思うのはアルコール

男性長寿世界一に認定されている宮崎県都城市今町の田鍋友時さん(113歳)

勝った人はこちらへ 負けたら向こうへ

そんな訳には いかない いかさない

子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、

理路整然としたルールや整備された環境ではなく、

実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか。

原田宗典

今日逃げたら

明日もっと大きな勇気が必要になる

生き残るためには自ら変わらなければいけない

小沢一郎

何事も 貴方が同じ土俵に立つから腹が立つのです

一歩退いて周りを見渡して御覧なさい

腹の立つ程の事ですか?

瀬戸内寂聴

2年前メリルリンチに勤めていた友達が「一生分稼いだからまた学生をやる」といっていた。

聞いちゃダメ

聞いて偉くなった人は誰もいない!

百恵ちゃん(山口百恵)は一回も聞きに来なかった!

萩本欽一

勝ちに不思議な勝ちあり

負けに不思議な負けなし

野村克也

女を腕に抱くと、やがて腕にぶら下がられ

そのうち背負う事になる

サシャ・ギトリ

離婚の動機ですって?

ありますとも、弁護士さん

私が結婚してるという事です

エミール・ポラック

結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った

今考えるとあの時食べておけばよかった

アーサー・ゴッドフリー

2008-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20080909170753

Q1.「フィクションって要するにただの嘘じゃん。そんなの生活する上で何の意味があるの?」

人生は生活だけじゃないよ

Q2.「無意味だとわかってるのにやる享受するなんて、虚しくならない?」

妊娠目的としないセックスオナニーも好きなんだ

Q2.「じゃあ例えば今からちょうど5秒後に死ぬことになっても何の後悔もないわけだね。人生無意味なんだから」

やだよ

もっと楽しみたいことがある

[]

19:35再度修正。

17:30修正。

修正部分はイタリック体で表記。

Q1.「フィクションって要するにただの嘘じゃん。そんなの生活する上で何の意味がある役に立つの?」と訊かれた時、あなたなら何と答えますか。

Q2.Q1で「意味なんて役に立たなくてもいい。ただおもしろいから享受するだけだ」と答えられた方にのみ質問します。そこでさらに「無意味だとわかってるのにやる享受するなんて、虚しくならない?」と訊かれた時、何と答えますか。

Q3.Q2で「そもそも人生自体が無意味で」云々といった類いの回答をされた方にのみ質問します。続けて「じゃあ例えば今からちょうど5秒後に死ぬことになっても何の後悔もないわけだね。人生無意味なんだから」と訊かれた時、何と答えますか。

2008-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20080902164158

ほんと新聞読まないんだな…。

政府の正式発表なんてポジショントークまみれだし(日銀総裁とかも全く当てにならない)

発表自体が実勢から数ヶ月遅れてなされるのが普通だから、あれを参考にしても今現在

実体経済のことは何もわからない。

この発言を見ると、この増田は今までは日本ダメじゃないと思ってたんだろうから、

世間的にはまだ、日本大丈夫だと思っている人が多いんじゃなかろうかと思っていたんだ。

そうじゃなくて、「ダメなもんはダメだけど、死ぬことはないよね」くらいに思ってたのが

「これはもう本格的に死ぬしかないかも」と絶望度合が上がったという程度だろ。

2008-08-25

自分が作ったサービスで人が死ぬこと

子どもの頃から好きで、大きな迷いもなく飛び込んだ「モノ作り」の世界

20歳過ぎから10年弱やってきたけど、今のところ特に不満もなく、やはり「モノ作り」の面白さにまだ夢中なのだと思う。

でも、その頃からいつも考えていたことがある。

「自分が作ったサービスが原因で、人が死んだらどうしよう」

若い頃は、そんなことがあったらすぐにでもこの仕事をやめようと思っていた。

周りが笑って否定するほど間接的にしろ、自分が作ったモノが原因で「人が死ぬ」ということは、相当にきついことのような気がした。

今は…

生活とかキレイゴトで済まされない色んな要素が絡み合っているので、簡単に答えは出せない。


どうやら先日、実際それに近いことが起こってしまったようだ。

久しく消えていた感覚が頭に浮かんだ。

「自分が作っていなければ…」

大きなお世話かもしれないけど、そんな風に思い悩んでいないか心配になる。

いくら他人が「そんなの関係ない…」と言っても。

物作りは楽しい。でも、すごく難しい。

2008-08-20

私は、家族全員が死ぬことを祈っている。

ただし、幸福に死んでほしい。

無残に死なれたら、私の気分が悪い。

憎むでもなく、愛するでもなく、ただ色々なしがらみから解放されたいだけだ。

この歳になって、まさか中二病にかかるとは、思ってもみなかった。

2008-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20080815014329

あって良いと思う。

ドーピングで何処まで行けるのか。

肉体の限界って、そういう事を言うんじゃないかなあ。

死者が出るって?まあ出るわな。

でも、覚悟してやっているわけでしょ?

死者が出るのをテレビで見たくない?

それはそうかもしれないなあ。

勿論、死ぬことが良いことだとは思ってないけど、

極端な生きたい生きたい主義者には成りたくない僕は、ドーピング部門もありだと思うって事です。

2008-08-13

家の前で盛大にうんこ漏らした

誰にも言いたくないけど、誰かに言いたいから増田に書く。

先日、飲み会で朝までコースだった俺は、ふらふらと帰路を急いでいた。

前日の内に飲んでおいたウコンのおかげか、気持ち悪さはそれほどでもなかったが、ただ酒はまだ残っており世界は若干歪んでいた。

その歪んだ視界にふと入ってきたのは一件の松屋だった。普段、俺は飲み会帰りの牛丼とかラーメンとかはついぞ食ったことがない。

というか、飲んだ後の胃袋にそんなもん入れたら確実にリバースする。

ところが、その時の俺はどうかしていたのだろう。

そんなに腹も空いてないというに、松屋へと入った。店内は浮浪者風の人や、朝まで働いたのか疲れた顔のガテン系が数人いる程度だった。

そして、目の前に届く牛めし並と味噌汁。一口目で無理だと悟った。ここで諦めればよかったのだ。しかし、その時の俺はどこかおかしかった。結局、完食はならずも、八割は食べ、松屋を後にした。

腹もふくれ、俺は意気揚々と家目指す。そのために愛機のYF??20(チャリ)を停めた、パチンコ屋に向かった。

しかし、ここで痛恨のミス。そのパチンコ屋は営業時間が終わると店舗前に駐輪してある自転車を全て地下の駐車場に入れ、その上で駐車場シャッターを閉めるのだ。恐らくは、俺のような店を利用しないくせにチャリだけとめるような奴対策だろう。おれはこのシステムを完全に失念していた。

シャッターの前で五分ほど、orzとなっていた俺はその後の対策を練った。

ここから家まで歩くのはめんどい。しかし、パチンコ開店まではゆうに二時間はある。

悩んだ俺は、結局近くの公園で仮眠を取ることにした。7月も下旬、とりあえず死ぬことはないだろう。

近くの公園でいい感じのベンチを見つけた俺は、ウホッいい男、と声を掛けられやしまいかとドキドキしながら眠りに着いた。

今思えば、おとなしくタクシーで帰ればよかったと切に思う。どれ程、時間が経ったのか正確には分からないが、一時間くらいだったと思う。俺は突然、声を掛けられた。

阿部さんキターーーーーーーーとかは思わず、ただ驚いて目を開けるとガテン系のあんちゃんがそこにいた。

どうやら彼の話によると、俺の寝ていたベンチは前日のイベントで使われたものだったらしい。よく見ると寝る前は設営されていたテントとかもきれいに片付けられている。そう、このあんちゃんはイベントの片付けの業者だったのだ。事情をはあkした俺はサーセンwwwフヒヒwwwとか呟きながらその場から逃走。今度は公園備え付けのウホなベンチを再び見つけ、そこで睡眠を再開しようとした。

ところが、

さっきまでの爆酔っぷりはどこへやら、全然眠れない。それどころか、ここへ来て気持ち悪さもMAXで、こみ上げてきたものを横になりながら俺は嘔吐した。なんというサルトル。いや、本当にやばかった。それに加え夏の朝の爽やかな風が腹に当たったのか、急に腹も痛くなってきた。おそらくは飲んだ後、弱った胃腸牛めしとか押し込んだのもあるだろう。こりゃ、やべぇ、、無理だと判断した俺はYF??20(チャリ)の回収を断念、タクシーでの帰宅を決意した。

交差点で拾ったタクシー、運転手は初老の物腰やわらかな男性だった。家の住所を告げると、車はすべりだした。

ところがここで試練が訪れる。夏の朝から蒸す日、おそらくは運転手の気配りであろうが、車内の冷房はかなり強めである。

腹部へと直撃する冷風。もはや我慢の限界だった。結局すこし、でた。

あぁ、と思いながら被害を最小便に留めるため俺は括約筋をフル稼働させた。程なく家に到着、1130円を投げるように払った俺は自宅であるマンションへとダッシュした。


今思えば。

この間違い続きの朝で、あのダッシュが一番の間違いだったように思う。

なぜ、あの時冷静になれなかったのか。腹部に刺激を与えず、ゆっくりと歩けば助かった命だった。

あるいは最悪、人目に付かぬ場所でことを済ますことだって出来たろうに。

なぜ、それらができなかったか。悔やんでも悔やみきれない。

その後、高校の時の体力測定以来のダッシュでマンションエレベーターまでは辿り着いた俺は、もう限界だった。

すべてが終わり、始まろうとしていた。しかし、それでも俺はそのエレベーターに乗るしかなかった。それしか出来なかった。

自分の階のボタン押し、上昇を待つ間、とうとうそれは来た。上がっているのに、下がってきた。

ニュルンベルク

そして、一度堰を切ったそれらは留まることを知らず、まさに濁流のように押し寄せてきた。

エレベーターから自宅前、そして自宅トイレへと続くその道はシャイニングロードと呼ぶにふさわしく、金色に輝いていた。

湧き上がってくる香りは、完全に牛めしのそれだった。

絶望孤独。全てを出し切った俺にはこの2つだけがのこった。

その後、20分ほどトイレうずくまった俺は、さすがにエレベーターから廊下から家の中まできれいに掃除した。

泣きたくなった。早朝だったので人に見られてない(多分)ことだけが救いだった。

まさに人生最大の汚点。しばらく牛丼は食えない。


まぁいろいろあったけど、それでも元気に生きてます。

2008-08-08

本当は「凶器」とでも言えばよかったんだけど

とっさに言葉が出なくて

とりあえず(それで人が死ぬことだってあるんだぞ!)って気持ちが先に来て

殺人―」と言いかけたところでうまく繋がらないまま

(ああそうだ「凶器」だ)

と思った瞬間、口から飛び出た言葉は「サツジン・キ」。

…と、ここまで脳内反応0.3秒で起こるってのは

言い間違いのケースとしてすごくありがちだと思うんだけど。

これが報道されて晒されて叩かれちまうこんな世の中じゃ。…ぽいずん。

2008-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20080805213635

大学研究室の、1つ下の後輩。

研究室からtelしようとしたら、研究室に親御さんがいらした。

もうdat落ちした2chスレにも登場していた増田でございますが、

あんまり書くと元増田さんと趣旨が違ってきちゃうので以下略

ほんとに!逃げ方はたくさんあるし、逃げる場所もたくさんあるんだよ!

死ぬことだけが、逃げ方のすべてじゃないんだよ!

2008-07-28

私がどうして他人に「禁煙しろ」と「痩せろ」が言えないか。

現代のストレスの多い社会で、酒も煙草も博打もやらずスリムな体型を維持できている人がいるとすれば。

きっとその人は、ノーベル賞級の素晴らしいストレス解消法を発見したか運動好きの人間だろう。

残念ながら私はそのような人間ではなかった。

そんな多くの人間にとって食事を取ると言うことは魅力的なストレス解消の選択肢の一つだろう。

そう言う私にとっても非常に魅力的に思える行為だった。

つまり以前の私はクマのプーさんのような体型だったのである。

しかし、現在の私の体型はどちらかと言えばミッキーと言った方が良いだろう。

どうして痩せたか。それはこの際問題ではない。

問題なのは、ストレス解消法も運動の趣味もない人間がどのような危機に陥るかである。

もしも私が悪魔の囁きに耳を貸しているならば。

酒を浴びるようにのみ煙草をふかしと大量の食事をとりギャンブルに勤しんでいるだろう。

色町に飛び出し女を買っていたかも知れない。

味わったことのある人には分かるだろうが。

それほどまでに心の弱い人間にとってのストレスとは衝動的で破壊的なものなのだ。

私は煙草を吹かしたことは生涯で一度もない。

しかし、そのような私でさえ煙草を吸いたいという欲求に駆られることがある。

一度も煙草快楽を味わったことがないのにもかかわらずだ!

私が、もし日本禁煙推進医師歯科医師連盟の目を恐れずに書くならば。

煙草を吸うか吸わないか、それは将来死ぬか今死ぬかの違いだと言ってしまっても良い。

もちろん、自分が死ぬことと他人を殺すことは全く別次元の話だ。

他人を殺そうとする人間は臭くて狭い檻の中に入るべきだろう。

だが私の感じているものを他人も感じるのだとすれば。

私は世界の片隅で煙草を吸ったり不自由に大きな体を揺らしている人間に、残酷言葉を、

そうつまり、「禁煙しろ」や「痩せろ」と言う言葉を浴びせられないのだ。

なぜなら彼らは体の健康は保てても心の健康を害してしまうかも知れないのだから。

2008-07-23

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と」 に質問あったので。


上記二つを書いた増田です。

質問とかあれば、と書いていたら本当に質問あったので回答してみようと思う。

#追記

#上記二つのエントリの続編というか、まとめ(このブログで言いたかったコト)書きました: http://anond.hatelabo.jp/20080724004506

ただし、そもそも説得しようとか布教活動するつもりは毛頭なく、はてな村的な「事実淡々としたレポート感覚で回答したいなと。

なので、こういう感じだよっていうニュアンスで書きます。

結果、総合的に見ると矛盾だらけの教理に見えると思う。

実際には(私はそもそも愛想つかしてるので擁護しませんが)、箇条書きする要点の間には、もっと沢山の補完教理があります。

だから、「こんなもんか」って早合点するより、概ねそんな感じらしいって感覚で見るといいかも。

具体的に知りたいことは家にきたエホバの証人に突っ込むほうがよいです。

教理のアップデートが結構頻繁なので時代により若干、教理が異なってきてるのでこの内容そのものが若干古いとも思うしね。(ここ1、2年はまともに話きいてないので)

ちなみに昨日は寝ぼけてグダグダで書いたんだけど、それが良かったのかすごいブクマついててびびったよ。。。

01.宗教全般に見られることなんだけど、なんで禁欲的な生活が推奨されて、禁欲的でないと排除されるの?宇宙戦争のくだりを読む限り関係なさそうなんだけど。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

次の質問で詳しく回答しますが、「禁欲的であるかどうか」が重要ではないんです。

結果として禁欲主義になっている、と捉えるほうが理解しやすいかも知れません。

重要なのは「聖書が何と述べているか」つまり「エホバ神は何と言われてるか?」と、

「神の命令に自分は従っているか?」が重要な基準なんですね。

禁欲的なのは神がそのように生活せよと命じられている(と、エホバの証人解釈している)から。

神の命令に従わなければ宇宙戦争世界では、悪魔の側となるという解釈なんですね。

ゆえに、聖書NGとしている(とエホバの証人解釈している)戒律を守り、禁欲的な生活を送っているのです。

禁欲は結果としてそうなっているだけであって、それが目的ではないんですよ。

真の目的は、神の側に自分はいるかどうか、なのです。


02.なんで輸血がだめなの?自殺のくだりで「命を粗末にってことで」とあるが輸血がなぜ命を粗末にする行為なのかわからん。人を助ける行為じゃないの?

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

これは、そもそも「命」の考え方がエホバの証人一般人と異なります。

エホバの証人は、今の肉体は不完全であると考えています。

不完全だから老衰病気になり誘惑に負ける弱い生き物になったと考えています。

不完全になったのは、神ではなく悪魔の側につくと最初の人間である、アダムとイブ(JWはエバと呼ぶ)が選択したから。

人間は神の側か悪魔の側か選択する自由は与えられてた。

しかし、悪魔の側を選んだ場合、代償として死ぬはずの無い人間死ぬことになるという決まりになっていた。

(どうして死なないといかんの?というのは究極的な結論は神がそう決めていたから、というのが最終回答)

で、エホバの証人は、生きるか死ぬかよりも、神の是認(認められるか)を優先すべきであると教えられています。

結論から言うと、輸血だけではなく、神か神以外か?と二択を迫られると神を選ぶ!とどんな状況であれ選ぶ人が

真のエホバの証人であるという教理を持っています。

そもそも、この教団の呼び名である、エホバの「証人」というのも、この思想に基づいています。

つまり、絶対に神が正しい、神に勝る存在はなく、何よりも最高権威者は神であるという考え方です。

例えば、聖書殺人を非としていますが、神が是認した人の死は容認しています。

聖書の中では非信者である人間が、エホバに使える者に神の名によって殺されるシーンが様々なところで出てきます。

その場合、これは、神に反逆した者の報いであるといった解釈をします。(もうちょっと言い方ありますが解りやすさ重視なので)

逆に、神を非とした勢力に殺された信者の話も出てきます。

これに関しては、この忠実な証人は、楽園の時復活するのです。私たちは再会を楽しみにしましょう。と教えれます。

そろそろ話が見えてきたと思いますが、エホバの証人にとって、死ぬことより神に非とされることのほうが重大な問題なのです。

命を大事にせよと確かに教えられていますが、何より神を第一とせよと教えられてもいます。

この神を第一とする考えは絶対です。神より上位のものはエホバの証人概念には存在しません。

従って輸血を避けよと神が命じているなら、神の是認を得るために死をいとわないと考えます。

しかし第二優先事項として、命を可能な限り守ろうと、「輸血以外ならありとあらゆる方法で」命を守ろうと考えます。

ちなみに話がすこし逸れますが、脳死状態(回復する見込みの無い状態)に関しては聖書は明確な指針を示していません。

脳死の場合、延命を希望するかしないかは個人の良心の問題(聖書の行間の間にある余白から出ているメッセージを自分がどう解釈するか?)になるのです。

この個人の選択に関して、他の信者が介入したり批判することは非とされています。ただし、いわゆる二世の家庭では親が子に自分の解釈を強要するケースは珍しくないのも事実です。

つまり、命より、神の命令を守ることが、一番重要であるという価値観なんです。

ちなみに、これをカルトと言うか価値観ととらえるかは、宗教の文化が薄い日本では難しいというのは書いている自分は重々承知しています。


03.宇宙戦争の話面白かったです。でも「民主主義」に洗脳された「私には神しか、人類そして宇宙を支配できませんってでしたっていう証拠を作らないといけない。」これがちょっとよくわからなかった。

宇宙主権の正当性を立証し、復権し、人間人間を支配してもうまくいかんから

人間支配権は神に戻し、神が支配する世界人類繁栄しよーぜっていうことになっている。

この辺もだけど、神の復権ありきで議論が進んでるように感じる。人間が支配する、ってのは絶望的なのかな。

そもそも宗教に入るひとは、社会に対して何らかの不満がある人が入るから、「人間が支配しちゃだめだ!そうか神の復権だ!」って考えるのかな。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

宗教という枠で見ると話が壮大になり、それは宗教学者と議論された方が充実すると思います。

なので、自分の守備範囲であるJWという狭い枠の中において回答します。

結論から言うと、復権ありきで議論が進んでいる、と言うより、神の復権がそもそものテーマです。

こればっかりは、そうなってるんですよ、としか自分も言いようがありません。

ただ、「人間が支配する、ってのは絶望的なのかな。」という感想ですが、そこにはYesとは言えない部分も。

どういうことかと言うと、「神は選択の自由を認めている」というのも教理の一つなのですよ。

ただ、それに責任が求められるわけで。

つまり、「絶望せずにやってもいいんじゃね?」とも言えます。

あまり、この点をエホバの証人は言いたがりませんが、エホバの証人も神は選択の自由を認めており行動に責任は求められますが選択の自由を保障しています。

まぁ、時々、頭の弱いエホバの証人は、神に見倣い保証すべき自由を否定し、子供に選択を「強要」しちゃってますが。。。

別にこの「自由」という権利は、エホバの証人の中で新しい教理ではなく、発足当時からあるものなんですが、あまり注目されていないという事実もあります。

特に日本は地域変種の信者が非常に多く、日本支部ですらNGと唱えてるのに「服装の明確な規定」まで設けようとした頭の弱い信者もいます。(大抵、そんな困った人は、やがて指導受けますが)

だから、「神の側しかないの!?」ではなく「選んだらいいよ」ってのがある意味、神のメッセージとも言えます。

もちろん、「選ばないと滅びるよ」とは言ってますが、「本人の意思で自由に」と。

実はこの教理がある意味、二世を苦しめる教理の一つで、「私たちは強要してないのよ。神も自由は認めてるのよ」と言いつつ、聖書にはこうあるわよねと言われて育てられます。

前回は正直おもしろおかしく読ませることも若干意識して、一部のケースばかり書いたという側面もありますが、こういう言い方をする親も少なくないようで・・・

そういった家庭で育つ二世は、面と向かって宗教を強要されてはいないんだと、認識錯覚?)してしまうため、強く否定できません。

上から押さえつけられればあれこれ抵抗できるでしょうが、誰だって横からの攻撃は弱いもの。

結局、こう苦しく感じるのは自分がおかしいからなんだ、と考えて鬱病になる人もいます。

いますつうか、俺の友人の一人は確実にそういう感じでおかしくなったし、実を言うと自分もそれで精神病になるかなーってやばかった時期あります。

それから、「社会に不満だから宗教に入る」、確かにそれは一つの側面ですが、「全ての人がそう」ではありません。

それから、"社会に対して何らかの不満がある人が入るから"に関して。

宗教」は日本にはもともと無い概念だそうです。日本宗教という語は、的確な表現ではないという指摘もWikipediaにありますが自分もその通りだなと感じています。

宗教を捉える時に、「信条」とか「儀式」とかそういった形にしやすいものをどうしても日本人は中心に考えるんですが、それって、ショートケーキの上にのっけたイチゴみたいな概念ですよね?

つまり、人生の上にのっけるイベントのような。

でも、人それぞれですが、真剣に宗教をやる人にとって、宗教というのはむしろ、ショートケーキパンケーキ部分そのものなんですよ。

もっと言うとケーキを載せてる皿かも知れない。

はてな的に言うと、一般的な日本人の言う宗教ってアプリケーションです。

でも、マジでやってる人にとって宗教ってのは、OSなんです。

だから、社会に不満があるから、入信ってのは一部の人でしかないです。

で、そういう人はエホバの証人の中にも確かにいますが、長くは持ちません。

ちょっと嫌なことがあるとすぐに辞めちゃいます。

そもそも、ハルマゲドン到来の予言がはずれたり、子供エホバの証人なんてもう嫌だ!このせいで不幸になった!と叫んでも、脱退しない人は大勢います。

なんでかっつうと、その人にとって、これがOSなので取り外せないんですよ。

そんなの洗脳されとる!と思って忌諱するかはまぁ、これ読んでる方の捉え方なのでどうにもなりませんが。

身近な例で概念を理解してもらうための話をしてみます。

結構思いつきなんでアレですが。

あなたが犬を飼っていたとします。

その犬に名前をつけ、とってもとっても大事に思います。

今日仕事で疲れたなぁと思っても、その犬とふれあうことで心が癒される。

で、ある日、その犬を連れて外国に行きます。

仮の話なんので極端な例ですが・・・その国では犬は、ゴキブリや蚊、ハエと同じ害虫

最悪の生き物と見なされている国だとします。

きっとその国の人はあなたにこう言います。

「なぜあなたは、このような生き物を大切にしているのですか?

 柱に近づけば尿をまき散らし、餌を与えれば下品にガツガツと食べます。

 夜になればうるさく吠え、また人を襲います。全く私にはあなたが理解できない」

宗教ってのは熱心な宗教家にとって、宗教なんでやるの?って言われるのは

まさにこういう感覚(実際にはお前何で生きてるの?と言われるに等しい)です。

単純に、現世からの解放という側面だけで宗教を見るとどうしても見えない部分が沢山あります。

そのあたりは、経験するかもっとじっくり身近な宗教家と話さないと理解できないかも知れません。

とりあえず、家にエホバの証人が来たら、じっくり聞いてみると解るかもW


04.「今の世界悪魔に唆されて出来た世界で、人間の自治は失敗しなければならない。だから、そこでの成功や幸せぶっちゃけ世界平和悪魔に与する事になる」と、思えた。だから、楽しくとか、優しく(隣人愛=一般的に言えば誰にでも友好的で優しく、かな)ってのが聖書メインテーマだと判断しというのとは、本来的には相容れない気がした。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723103847

聖書の理解(というかエホバの証人聖書解釈)によると、今の世そのものが神の愛によるものなのです。

どういうことか?というと、要点は下記の通り。

  1. 神は、自分の宇宙主権の正当性を「わざわざ」立証する必要は無かった
  2. 人間悪魔サタンも滅ぼす権利があった(だって宇宙の最高権威者。反逆者は自分が絶対者かつ宇宙真理正義なのだから、反逆者を全て処罰するのも正当な行為という概念
  3. しかし、神は、宇宙主権に唱えた人間悪魔に弁明の機会(そうする必要は無かったのに!)を与えた。それが今の世界である。

で、神は人類としては神から離れてうまくいくはずがないので失敗は必然だけども、神の側を選んでいる人間個人には、今の世の中でほどほどに喜びを味わって欲しいと考えている、とも解釈されています。

そもそも、信者信仰対象である神の特質(の一つである、愛という特質。その例とされるのが上記の通り)に見習うことが良いとされています。

つまり、人類は神に背を向けたために苦しみを味わうことになった。

それは先祖アダムとエバのせい(罪は遺伝するという解釈。それを修復したのがイエス。で、まだ完全修復は実施されてない。長くなるので省略)

だけど、とは言え、神は、人類という大きな枠組みでは放置されてるけど、神の側につこうとする人間レベルでは見放されてない。

その一例が、聖書という指針書。今の世の全てが解るし、これからどうすればいいかも書いてある。

これが人類に与えられてることも、神の愛だよね。

つまり、人間は、そもそも滅ぼされてもおかしくない存在なのに生かされてる。

そんでもって自分たちの主張した意義を証明するための試験期間すら与えてもらってる。

そして、既に人間だめだこりゃ、神の側につきますって人には、聖書を通して神からの真実が教えられている。

で、神の側につく人は、神の特質を自分自身も表していくようにともあると解釈しています。

だから、神の側につく=神の特質を反映する=神の特質である愛を表明する=つまり優しさとかそういうの=それを表明するのは神の側!

回りくどいけど、大体はそういう解釈です。

2008-07-22

インスパイア物語 序章

慎は広い部屋の中で目を覚ますと自分の置かれた状況を思い出すことを思い出していた。

「そうか。俺は・・・」

やはり夢ではなかったのだ。これは現実で、そして紛れも無い現実だった。

慎は死ぬことが死ぬほど怖いという感情を隠しきれずにいたが、慎はそれを必死に隠そうと努力する慎の姿があった。

慎は一度今置かれた状況をもう一度考えてみることにした。

慎はいつも良く行くコンビニに向かっていた。慎が向かった先には地元でも有名なコンビニに足を踏み入れていた。

慎はそこに並んでいる商品を一つ一つ選びながらどれを買うか選んでいた。

ふと横を見るとなにやら怪しげな黒服の人物が慎の方を見ながら怪しげに慎を伺っているのがわかった。

「・・・何か用ですか?」

と慎が言いかけたその瞬間にビリッビリッビリッという衝撃が体中を貫くほどの衝撃だった。

「・・・な、なにを・・・」

慎は言葉にならない声を発しながらゆっくりと膝からバタっと崩れ落ち、声にならない言葉を発しようと必死に努力した。

慎は薄れ行く意識の中、その怪しげな黒服の人物の顔をじっくりと見ていたのがわかったが、慎の意識が薄れて行き、やがて真っ暗な暗闇が慎の意識を包み込んでいった。

「さて、俺はいったいどうなってしまったのか」

慎は静かに呟いた。慎の呟いた声は広い部屋に響き渡っていった。良く見ると本当に広い部屋だ、それはとても部屋とは思えないほどの広さで、一般市民がこの部屋をみたらこれが本当に部屋か?と目を仰天させるに違いないと思う。

これだけで一般市民とは歴然と離れており、ここが普通の空間でないことは誰の目にも歴然としているだろう。

本当に広い部屋。目を見張るほど広い部屋。全てが"広い"これ以上の言葉が見当たらない程、広い部屋であった。

だが慎にとって部屋の広さよりも今自分の置かれた状況を考えることの方が重要であった。

その時だった。ただ広い部屋の一番向こう端壁の一部がギィィィィという音を立てながらゆっくりと開いていくのがわかった。

「扉があるのか」

慎はそう思ったが、心の中で思っただけでなく言葉に発してしまっていた。それほど動揺しているのが慎には手に取るようにわかった。だから慎は思っただけでなく、声を発してしまったのだろう。

2008-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20080713050014

俺は愛されたい。

尽くしに尽くした結果、ありがとう言葉もなく別れられ、

トドメ

今の男は浮気とか許してくれるから付き合ってもいいよ

とか言われてみろ。

俺だってそうだった。

俺が知らないところで浮気しようが、

言ってくれて浮気しようが、

問題なかった。

違う奴に本気になったのなら、

乗り換えたって構わない。

でも、だけど、

乗り換えた後に付き合ってやってもいいってのは無しだろ。

何で乗り換えるんだよそれ。

俺じゃダメだったんなら、なんでそう言わないの?

俺より今の奴がいいですとも言えず、

自分では処理しきれないから他人の力を借り、

他人がいるから俺に暴言を吐く。

なんでそんななの?

それで精神福祉勉強してるって?

俺はもうぼろぼろだよ。

人の気持ちを考えられないのに、

人の精神をどうやって救うんだよ。

何で俺が怒ったか、全く理解する気もない。

自分が言われるのが嫌だったから、

他人の力を借りて反撃するの?

自分に全く非はないの?

最近死ぬことしか考えられなくなってる。

誰かを好きになりたい。

でも好きになったらまた同じことになりそうで怖い。

完全にトラウマになってしまってる。

ごめんな増田関係ないことばかり話して。

でも、増田でもってなんだよ。

2008-07-07

suicide is murder

http://anond.hatelabo.jp/20080707102801

人の命の所有権は誰にあるのか。人の命の所有権が本人にあるのだとしたら自殺をとがめられる謂われはないことになる。だが、実際問題として命の所有権は本人には無い。人は社会のために自己犠牲を求められることもあるし、自分の命であっても弄ぶこと(たとえば高層ビルに綱を張ってそこでぴょんぴょん飛び跳ねたりすること)は普通社会的に許されない行為である。つまり我々には便宜上自分の命の使用許諾」は与えられているが「所有権」は付与されていないと考えるのが適当である。

所有権が自分にないものを勝手に消尽するという意味では、他人の命を勝手に消尽することと自分の命を勝手に消尽することの間に論理的な違いはない。従って自殺殺人に準ずる行為である、と考えることができる。

確かに自殺をしたら、身内や友達やらいろいろな人に迷惑だろうけど、それは、自殺じゃなくても、人が死んだら誰かにつらい思いをさせたり、死体の処理や葬式とか面倒なことをかけるから同じことだと思う。

自殺殺人という観点に立てば、「人が一般的に死ぬこと」と同じなのではなく「誰かに殺された」ケースと同じだと分かる。ならば「つらい思い」や「死体の処理や葬式の面倒」が一般の場合と全然違うことも理解できるだろう。

自殺は逃げていることだ、だから良くないんだと言うのは、正しいのかな。“逃げること=悪いこと”なの?

自殺殺人という観点に立てば、「逃げること」が悪いのでなく「逃避のために誰かを道連れに殺すこと」がいけないのだと分かる。逃避がいけないのではない、殺人が罪なのだ。

じゃぁ、たとえば、引きこもって社会から逃げている人と、自殺する人は同等なの?同等だとしたら、引きこもっていて、毎日悲しみにくれる人が自殺するとしたら、最低最悪な弱虫ってこと?

自殺殺人という観点に立てば、「引き籠り」が罪なのではなく、「引き籠りが起こした殺人」が罪なのだと分かる。

ちなみに「鬱」の人にとって死が逃げだというのは、ちょっと印象が違う。病気のせいで生があり得ないほど辛い状態に陥ったため命の所有者に対して現状に対する異議あるいは救済申し立てを行おうとする行為であり、つまりそれは「救い」を求める行為というのにまだ近い。ただその「現状」における使用者の責任が問われる場合、社会はやはり使用者に対して簡単に「命」を消尽する行為を許しはしないだろう。

誰かに迷惑がかかるから、といった理由で自殺を拒むのなら、どれだけつらくても、自分以外の誰かをことを考慮して、優先して、死なずに生きていくことが、もっとも正しいことなの?

自殺=逃げる=よくないこと という認識を持たせること、または持つことが正しいことなの?自殺は、時代によっては美化されたり禁止されたり、いろいろあったみたいだけれど、自分を時代の主張に合わせてまで生き続けなければいけないの?

エゴっていけないことなの?

自殺殺人という観点に立てば、エゴのために殺人を犯せばそりゃ普通に罪である。「誰かのことを考慮して」誰も殺さずに生きていくのは「正しいかどうか」以前に普通のことである。エゴがいけないのではなく、エゴの結果として殺人という手段を取るのがいけない。エゴ一般を裁くことなどできるわけがなく、それは論理すり替えである。

未遂に終わったときの危険性(脳障害など)を危惧して自殺をするなと言うのならわかる。しかし、「自殺ダメ絶対!」っていうノリで社会を覆い尽くすのは正しいこととは思えない、そしてそれに刃向かってもいいと思う。

自殺殺人という観点に立てば「未遂に終わったとき被害者後遺症になったら困るから…」というのは、本末転倒な論議である。

以上見たように、もし自殺を肯定したいなら、各自が自分の命に対して排他的所有権を主張できるということを証明すべきであろう。

…という話を横町の熊公に話したら

つまり「おめぇの命はおめぇのもんじゃねェんだよ」ッてこったな?

と言われた。That's right!( ´∀`)

2008-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20080703205513

直接面識はないのだが、地元のある人が自殺をした。聞いた話になってしまうが、その人は「自殺をしないといけない」的衝動に駆られていたようで、親族が目を離すと即自殺を試みようとしていたそうなので、同居の祖母がその人を監視するような形で生活を送っていたのだが、ある日ふと目を離した隙に首を括って死んでしまったそうだ。

往年の名優・大友柳太郎も何度か自殺を試みようとしていて、その様子を察知した親族が一度は自室に引き戻すも、奥さんがマンション管理人と話をしている数分の間に抜け出して屋上から飛び降りた。

一度「自殺」の衝動に駆られてしまうと、例え周囲がそれを阻止しようと奮戦したとしても、本人の意識死ぬことだけにしか向わないのかもしれない。ほんの数分で、躊躇無く一気に死への階段を駆け上がっていく。彼らはもう、死ぬことに対しての迷いが一切ないどころか、四六時中「早く死ななければ」といった魔物にとり付かれてしまっていると言っても良いのではないだろうか。それは、僕たちがまったく想像できないエリアだと思う。彼らの衝動を取り除く方法は、あるのだろうか。

2008-06-28

現実でも一人。ネットでも一人。劇団でも一人

秋葉原通り魔事件──絶望する社会希望はあるか」

秋葉原通り魔事件は単なる半狂人による特殊な犯行ではない。宮崎勤幼女殺人事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件と続くこの20年の社会の闇の部分──若者達の不満や怒りを見据えないと、事件の真相は見えてこない。『現実でも一人。ネットでも一人』という絶望的な状況で人は脱社会化するしかないのか?

【出演】宮台真司社会学者)、東浩紀哲学者/批評家)、切通理作評論家)、雨宮処凛作家)、他

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/schedule/lpo.cgi?year=2008&month=8

現実でも一人。ネットでも一人という絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的だと思うんだけど。

交通事故に巻き込まれて死んでいく人がいることを思えば

現実にひとりでただいることなんて何も絶望的じゃない

それは日常を送っているという平和な状態なんだから

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214158434/383


「「私」にとって絶望的だと思うんだけど」と正確に言うべきだろう。
じゃあ「僕ら」にとっては?
いや、ここも「僕」と言うべきだろう。
僕には、そのような逆説――「絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的――の提示がすでに息苦しい。
むしろそれこそが「絶望的な状況」を余計に封鎖するように感じるから。
なぜなら、絶望絶望することなんてできやしないから。
絶望脱構築なんて論理的に不可能なんだよ。
メタレベル絶望を述べたところで、僕はそのレベル絶望してるわけじゃないんだから。
彼は僕のあずかりしらぬ絶望について、上のほうで何やらぶつぶつと呟いているだけ……。

彼の声を僕はよく聴き取ることができない。
僕らにだってできないだろう。
彼の逆説が語ろうとしている何事かは、僕らには決して届かないだろう。
結局のところ、彼は、「私は絶望しているあなたと違って絶望していない」というふうに、
彼の「私」を確認して完結しているに過ぎないのだと思う。
言うまでもなく、僕らは日常的にひとりひとりである。
それは、僕とあなたは違うということ。
「僕ら」とは僕僕僕……僕だらけっていう複数形ではなく、僕とあなたは違うという意味
「僕ら」や「私たち」は、僕や私が一人きりであることを完璧に表す人称だと思う。

もちろん彼の言うように、「現実にひとりでただいることなんて何も絶望的じゃない」んだよ。
絶望本質とは希望が絶たれること。ただそれだけだ。(かの哲学者の言う、死ぬことすらできない絶望だってそうだ。)
彼もそのことは理解しているだろう。
だから彼も希望について語っているのだ。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人がいることを思えば」と彼は言っている。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人」が彼には必要なのだ。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人」が彼の希望だから。
これは『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』式の希望だろう。
つまり、主人公少年ライカ犬の不幸を必要としていたような希望
またこれは「「絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的」と同様の希望だろう。
なぜなら、逆説とは常にメタレベルから発せられる天上の声だから。
逆説を唱えた途端に、彼はまるで魔法にかかったかのように飛翔する。
それを呟きつづける限り、彼は落下することはない。
そして、彼の声が僕に届かない限り、彼は落下することはない。
ここに希望がある。
ここに彼の希望がある。

僕の絶望がある。

2008-06-27

もう何度も何度も考えたこと

僕は死ぬ。

将来間違いなく僕は死ぬ。僕が予言できる唯一の未来。僕は死ぬ。

死ぬことは怖い。死んだことは無いから、僕がどうなるのか知らない。だから僕は怖い。

だけど僕は怖くない。怖さ以上に僕は死にたい

もう何も要らない。楽しいことは十分に楽しかった。結局残ったのは悲しみだけだ。

昨日死のう、今日死のう、明日死のう。

僕が死んだら、あの人は喜ぶのかな、悲しむのかな。

大丈夫。毎日どこかで誰かが死んでる。

僕はその中の一人。毎日の中の一つの事象。

代わりのいない人はいない。

ただ唯一、あなただけが僕の中で、代わりのいない人。

その人を失った、僕の人生に何の意味があるのだろう。

昨日死のう、今日死のう、明日死のう。

2008-06-15

半年過ぎて。

何をしたか。何も残っていない。手から砂が零れ落ちるように時間だけがなくなっていく。

地震が多い。おそらくいつかは大地震がやってくる。僕はそれで死ぬのだろうか。死ぬことが決まっていて、それがいつかわからない。それまでに何かができるわけでもない。せめてこうやって増田駄文を書いて、他人のHDDに保存されることくらい。

今、僕が死んだら僕の日記はどうなるんだろう。IDとパスは僕しか知らない。そんなのいっぱいある。更新していないだけなのか、それとももう更新できないのか。ネットで見ている人はだれも判らない。

そういう不安。せめてもと思いSUNのJAVA資格勉強し始めた。仕事で使っているから書けるのに試験問題を読んでもさっぱり答えられない問題がある。

何時まで増田駄文を投稿できるのだろう。僕はいつまであなたの日記を読めるのだろう。

2008-06-10

そもそも人間には価値があるのか?

ふと思った。

僕は昔、哲学とか宗教学とかを少しだけ学んだことがある。

そこでは人間存在意味人生意味、人が死ぬことへの理解に関する深い考察があった。

人間は生まれてから死ぬまでの一連のプロセスの中で、常にその意味を自らに問いかけ続けるものと知った。

でも本当に、人間には問いかけて知る価値があるような、生きる意味というものがあるんだろうか。

日本では人口が減り続けてるけど、世界では爆発的に増え続けてる。

どんどんどんどん死ぬ一方で、どんどんどんどん生まれている。

戦争テロ飢餓、事件、事故病気寿命…死因を枚挙するには暇無く、生まれる原因はただひとつ。

今日も多くの人たちが世界中で静かに、または呻きながら、叫びながら死んでいった。

その、今日死んでいった世界中の人々、一人一人の存在に、意味を与えることは出来るんだろうか。

ある人が死んでいく瞬間、その人が自分の人生意味を見出せなかったとしたら

その人は生きていた価値があったんだろうか。

生きていて価値がある人間と、価値の無い人間がいるんだろうか。

そもそも人間には価値があるのか?

2008-06-02

徒然草には「死ぬことは虚しい」とか「死ぬことは悲しい」なんて散々書いてあるけど、

俺にはそれに当てはまるべきだったであろう自分の死すら無価値(= 生きている事自体に価値/意味がない)でなんとも思わない。

普通の人が羨ましい。

2008-05-27

SOS…私の場合

匿名ダイアリーに書くの初めてなのでトラックバックミスったらごめんなさい。

 ヘルプ読んだけどわかりづらい……

 思いつくままに書くので、長文ごめんなさい。

前置き

川田亜子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

昨日、はてブの注目エントリ彼女ブログの記事がとりあげられているのを見て、他人事には思えず、気に掛かっていた。その翌朝の訃報。耳を疑い、テレビニュースに釘付けになり、ネットニュースも見た。

はてなの住人さんたちはどんなことを書くだろうか、と思っていた。これからもっと触れる言及が出てくるかな、と思っている。

私の場合を片隅でも発信して、似た人、もしくは似た人の近くにいる人の何かの参考になれば、と思った。

私の病歴

私は鬱病と診断されて4年、その後、転院して、境界性人格障害と別の診断をされた。

死ぬことをはじめて意識したのは幼稚園のときで、それから30年近くずっと消えない。

自殺未遂」の経験は、たぶん境界性人格障害人間にしては少ないほうだと思う。

だから診断に時間がかかったのだろう、とも思う。

ずっと、「死にたい」「消えたい」という毒が自分の心から湧き上がっていたが、押し殺してきた。

リストカットをしたのは、中学生のときに一度だけ。二度としないと誓っている。

オーバードーズはずっと自分に禁じていたが、とうとう、先週、やらかした。

2日間、意識不明で点滴を打たれ、死なずに、幸いにも後遺症も残らず、生き残った。

(そもそも、オーバードーズじゃ複合要因がないと死ねないのはわかってたけど。)

オーバードーズする1ヶ月前から、薬の効きが悪いので、もう病院に頼るのはやめようと思い、通院していない。

薬の断薬作用がひどかったら通院しようと思ったが、ないので、たぶんこのまましない。

医者の処方どおりに薬を飲めない人間には薬を処方される資格はない、とずっと前から思っていたので、オーバードーズ後の意識不明状態から復活したあと、残った薬は全部捨てた。

SOSの発信、その1

前置きが長いが……

リストカットも、オーバードーズも、私が最後に選んだSOS発信の方法だった。

本当に死のうとしたわけではなかった。

死ぬならもっと確実に死ぬ手段を選ぶ。

前に、鬱病と診断され大量の薬を投与されていたころ、

病院の受付との些細なやり取りのすれ違いから大いに傷つき、憤慨し、

通院と投薬を自己判断でやめたことがある。

周囲の人間には「病院に行かない」と言った。

ブログにもその詳細をぶちまけた。

友人たちが、通院の再開を勧めてくれた。

本当に私が心から望んでいたことは、一緒に憤慨し、一緒に病院に行ってくれ、病院側の不手際を責めてくれて橋渡しをして問題を解決してくれ、私がまた心を開いて通院できる状況を作ってくれることだった。

病院には行ったほうがいいよ?」という言葉はたくさんかけられたが、、

「一緒に行くから、病院に行こう。」と言ってくれる人はいなかった。

通院を再開したのは、ひどい断薬作用に苦しんだあとの自己判断だった。

泣きながら病院先生に受付の人とのやり取りについて訴え、そこで他の患者からも苦情がついていたことを知り、先生から謝罪を受けた。

それを受けて、再開した。

後日、カウンセリング先生からも謝罪を受け、

「ただ、SOSはブログではなく、もっと大声でやれるようになると……」

と言われた。もっともだなぁ、と思った。

たぶん、言われるのを待つのではなく、一緒に行ってくれ、といえばよかったのだろう、と思う。

でも、あのときの自分は言えなかった。

変にプライドが高いのかもしれない。人への助けの請い方がわからない。

この場合のSOSの受信の仕方はどれが正しいのかも、よくわからない。

私が望んだように「病院に引っ張っていく」のは、本人を甘やかせるだけのような気がする。

私が「病院に一緒に行ってくれ。」と頼むように、変えていくのがたぶん正しいとは思う。

でも、他人のためにそこまでやれる人がどれだけいるだろう。

みんな自分が生きることでいっぱいで、そこまで他人にエネルギーを割けないだろう、と思う。

SOSの発信、その2

境界性人格障害、と診断されたとき、自分はとても納得したが、同時にひどい衝撃を受けた。

ご存知の方はご存知だと思うが、境界性人格障害ボーダー)の人というのはとても困った人が多い。実に。周りをかきみだす迷惑もの。

そう思っていたので、自分がそれだったか、と思うと……

しかも境界性人格障害ならば、鬱の薬は本当に補助的にしか効かないわけで、根本的な解決方法はない。

私の「死にたい」「消えたい」と湧き上がってくる毒は、薬では消せないわけだ。

私は軽いパニック発作と、不眠も症状として持っているが、そのころから、その薬も効かなくなった。

どんなに薬を強めても、眠れないときは眠れないし、逆に、眠れるときは何も飲まなくても眠れる。

パニック発作も薬を飲んでも軽減しない。

だんだんと自分で受け止めきれなくなった。

実母に訴えた。

「私はこんな障害なんだよ。死にたいのが消えないんだよ。生まれてきた意味がわからないんだよ。」

と言った。

実母は泣いて謝り、どうすればいい?と逆に私に聞いてきた。

私をそんなふうに育てたのは実父のせいなのだ、と自分の感情をぶつけてきた。

それから数ヶ月。

そんなことはもう忘れられた。

眠れないことも、嘔吐がとまらないことも、周りには伝えていた。

目の前で吐いたこともある。

病院で症状を訴えると、聞いてもらえるのて処方も変えてもらえるのだが、それが効かない。

自分の「毒」がもうとめられなくなった。

誰も私を助けられない。助けての声が届かない。

私が追い詰められていること、苦しいことを、訴える手段がもう、なかった。

結果、オーバードーズとなった。

苦しんでる人を救う方法ってあるのかな?

私は誰かに救ってもらえる余地があったのだろうか。

ブログで発信しても、身の回りに訴えても、ダメだった。

死にたい」「消えたい」という毒は、他でもない、自分の心からこんこんと湧き出る。

それはどうやったらとまるんだろう。

オーバードーズエネルギー放出した今は、毒の出る量は減っている。

でもこれが再び大きくなったとき、次はどうなるんだろう?

私は負けずにいられるだろうか?

周りの人に望むこと……よくわからなくなった。

たぶん、毒が湧き出ない人にはわからないことだと思う。常に毒を自己生成される人間の内面は。

そして、きっと、手に負えない。

「毒」を放出する「SOS」は、それを受信した人にも「毒」を伝播する。

SOSを真摯に受け止める人ほど、きっと毒を食らう。

その闇に取り込まれる。

それがわかっているから、SOSを出すことをためらう。

大切な人に自分の毒をあてたくなくて、自分の中に押し込めて、押し込めて、死を選ぶしかなくなることもあるんじゃないか、と思う。

決定的な自殺を選んだことがないのでわからないけれども……

たぶんそれは、己の毒に負けたとき、なのかな、と思う。

人を救う、って難しい。

人に人は救えるのか?

身近にそんな困った重大な人を抱えてしまっている人に、私が言えることは……

なるべく気にかけて、寄り添って、否定しないでいることだろうか。

でも、毒を受け続けて、共倒れになることも、危惧する。そうなるのを恐れる。

餅は餅屋、専門家を頼るのが一番、といえたらいいのだけれども、

私は専門家の手に負えなかった。

専門家二人三脚する、というのがベターな選択かもしれない。

「悲しみは半分こ」できるならば、毒も悩みも一緒に半分こ、してくれるのが一番救われるかもしれない。

そうしたら、いつかは毒が消える日がくるのかもしれない。

私には正解はわからない。

長文、失礼しました。

http://anond.hatelabo.jp/20080527065749

追記

hrkt0115311さんのアドバイス、なるほど!と思いましたので、

私が書いた記事のURLを追記しておきます。あわせて、内容も短く添えておきます。

hrkt0115311さん、ほんとにいろいろありがとうございます!

http://anond.hatelabo.jp/20080527135329

 …病院への付き添いについての、私の経験談

http://anond.hatelabo.jp/20080527135929

 …病院につきそってほしかった私のSOSは、ボーダー特有の甘えとの気づき

http://anond.hatelabo.jp/20080527140359

 …いただいた、「イキロ」の言葉に感激泣き

http://anond.hatelabo.jp/20080528020715

 …hrkt0115311さんからいただいたトラックバック記事へのお礼とお返事

  感謝感激です

http://anond.hatelabo.jp/20080528025927

 …一番最初の記事「SOS…私の場合」の補足

http://anond.hatelabo.jp/20080528031558

 …ボーダー治療アドバイスへのお礼とお返事

ちょっとここまで書いて、一休み中です。(多少、息切れ&整理中)

ここまでで、匿名ダイアリーを使って、

「自分のブログよりも多くの方に目にとめていただくこと」

目的に書いた意図は達成できたと思うので、

真摯にいただいた反応もとてもありがたく参考になったので、

今度は増田としてではなく、サブアカウントをとって、まとめておくなり、

続く限り記事を伸ばしてみるなり、新しいニュースを受けて書いてたりしようかと考え中です。

「つらい人、悲しむ人を少しでも減らしたい(自分も含めて)」

って思うならば、

一度思うだけじゃなくて、思い続けて行動し続けないと、

きっとすぐに忘れちゃうような。

川田亜子さんの訃報についても、新しいことが出てこなければニュースにならず、

だんだんと過去の出来事になっていくし……忘れられていくし。

とりあえず、まだ未定です。

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