「武家」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 武家とは

2023-02-22

印刷山脈にヤッホーと叫ぶ増田スマ武家トーホッや肉ゃ眠冊三位回文

おはようございます

プリンターってたくさん印刷する時ってスタートしたら止まらないじゃない。

私縦横向き確認せずに印刷ゴーしちゃったら

案の定横に印刷しなくちゃ行けないものが縦向きになってプリントアウトされてロスが数枚出してしまったんだけど、

あいときって笑っちゃうわよね。

本当に止まらなくて

トレー引っ張って引き抜いて物理的に紙無し状態しか止められないそんなロマンチックな過ちを犯してしまって

笑っちゃったわ。

いけないいけない

令和入ってから一番のテヘペロ案件だわ。

裏紙でも良いから一旦テスト印刷してゴーしないとゴーできないわ。

ゴーによるゴーのためのゴーだわ。

大量に印刷するときは要注意

注意力30000で高めて挑んで気を付けたいと思うわ。

そんでさー、

いつも使ってるプリンタって2台あって

印刷するする面をどちらを上にして給紙したらよかったっけ?って

わず特に特に

裏紙使って節約してますアピールポーズを腕を振り上げてやるとき

節約!ってガッツリガッツポーズして印刷するんだけど、

新しい白紙なら裏表関係なく考えなくても良いからどっちの面を上にしても良いじゃない?

だけど裏紙を使うときにこのプリンターはどっちの面を上にするんだっけ?って

とっさのパッチじゃ分からないときがあって

慣れないと裏面に印刷されてしまって

また私笑ってしまったわ。

こっちの面じゃないのねあなたは!って

でさー

裏紙信仰もいいけど、

裏紙って1回印刷プリンター通ってるし、

手書きで何か書き加えたものだとか、

要は紙がヨレヨレへこへこになっているじゃない。

から給紙が上手く行かない場合がたまーにあって

これがまた印刷機にジャムって詰まったら

それを取り除くための時間節約より

裏紙を使って節約する方がはるか効率が悪くなってしまうのよね。

1枚でも詰まって取り除く時間を越すと考えたら一瞬で赤字よ。

そんでそんで、

詰まった紙を引っ張って取り除いた際に細かいのが中に詰まってるのか詰まってないのかよく分かんない時!

今の印刷機の細かい紙の詰まったちぎれた紙片を感知するセンサー

過度に発達したそれはもう魔法としてもいいのかと言えるほど

紙片なんてないのにどう見てもないのに

詰まってます警告が消えない渓谷に思わずヤッホーって叫びたいぐらいそんな世の中はポイズンって思うわ。

絶対詰まってないから!って

思ってもなかなか紙詰まってます警告が解除されないときって厄介よね!

本当にミリの紙が詰まってるときもあるけど、

だいたいは紙詰まってなくて

過度なセンシングセンサー技術開発の賜かも知れないけど、

無いのに有る!って言われて一向に解除印刷再開出来ないとき

結局それ裏紙使ってロスの時間がそれなんてアディショナルタイム?ってプリンターに言いたいぐらいよ。

裏紙絶対信仰の人ってたまに存在するけど、

紙詰まりの時の解消コストをその人は考えてないのよね。

から正直裏紙絶対信仰は私あんまり信じてないんだな。

そんであと

たまーに見かけて流行ってる

スゴイいいこと思い付いたんだけど増田あやかって言いたいんだけど

裏紙なくて本当に新品の白紙印刷したら

裏紙で印刷しなさい!って裏紙絶対信仰の人に怒られたので、

わざわざ裏紙を作るためにダミー印刷してってアホらしいこと避けるために

裏面印刷コピー用紙を作って売ったら爆売れすると思うわ!

スゴイいいこと思い付いたと思わない?

思わないわ!

もうあの熱狂的な裏紙絶対信仰の人いる熱狂的な信仰心なんとかして欲しいわ。

ダミーデータ印刷してある裏紙専用のコピー用紙ってアホらしい最高傑作だと思うわ。

あと印刷スピード信仰に熱心な人!

印刷するのがレーザープリンターの方が早いか

トナーのコスト考えなくてバンバンレーザープリンターで出しちゃう人!

今のモノクロインクジェットプリンターも早いしコスト1枚10分の1以下だから

年間のトナー代馬鹿にならないし、

そう言うコストも一切考えたことない印刷スピード信仰に熱心な人もいない?

そんでさー

これマジっぽい話しだけど

エプソンレーザープリンター廃止する方向に持っていく感じで

インクジェットをメインの主力の柱の位置づけとして舵を切るらしいのよ。

環境負荷が高いのかしらね

レーザープリンターって?

からインクジェット1本でうちはやってるんっすよ!って

裏紙絶対信仰はまだ絶滅しないかも知れないけれど、

印刷スピード信仰を信じているレーザープリンター好きな人は残念ね!って話しよね。

私の事務所ほとんど印刷使わなくて

数枚程度をインクジェットモノクロプリンターでんぐり返しするように印刷するレヴェルで

そんなに量はないからこれで事足りている山脈にヤッホーと叫びたいそれなんてアルプスの少女ハイジ?って思うけど、

たまーにたくさん印刷して山脈にヤッホーって叫びたいときがあると

このようにどちらが印刷縦向き表向き裏向き?ってあるから

確認印刷せずにゴーして間違っちゃってたくさん出てきた山脈ときは思わずヤッホーって叫びたくなるわ。

あーあ、

間違ってロス出てきて大量に笑っちゃったわ。

あーあ面白い

って面白くないけどまあちゃんと頼まれ印刷プリントの刷る作業完了たから良かった山脈にヤッホーって叫んだわ!

教訓としては

慣れない印刷をするとき確認印刷する山脈にヤッホーって叫ぶことね。

それを学びとして覚えた学習効果が抜群よ!

今度は間違えないように山脈にヤッホーと叫べるようにしないとね!

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドよ。

お店の貼り紙に卵不足でタマゴ薄くてゴメンねって書いてあって

お店も辛い環境なのね!って思うけど

ハムタマサンドはその美味しさはキープしつつ

サンドイッチ屋さんの大将の思いは厚く熱く篤いタマゴの旨さが爆発よ!

美味しいに変わりは無いか

ラッパーが両親に感謝しがちなように

私も美味しいサンドイッチに感謝しがちよ。

卵や鶏不足は深刻なレヴェルね。

デトックスウォーター

ChatGPTに美味しいデトックスウォーターのレシィピ教えてっつって教えてくれたのが

グレープフルーツローズマリーウォーラーで、

なかなかシャレオツもの教えてくれうじゃない山脈にヤッホー!って叫んじゃったわ!

まあローズマリーなかったので他のを教えてつったら

レモンミントってまだミントがあったので

ミントレモンウォーラー作れたけど

にしても凄いわねChatGPT!

しかしたら増田も書けっかも知れないわよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-02-18

日本結婚」は同性婚を見てもいない

要点は下記の通り。


欧米結婚では「愛を神に誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない

日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない

憲法改正なしで同性婚を導入するべきではない



キリスト教結婚では「神に愛を誓う」が、日本結婚は愛など前提にしていない


キリスト教、というかカトリック教徒における結婚は「配偶者への永遠の愛を神に誓う」儀式によって成立する。

「健やかな時も、病める時も~」っていいうやつだ。

プロテスタント結婚式を教会で挙げるので、本質は変わっていない。

欧米人にとっては神に愛を誓うことで結婚は成立するのである

言い換えると愛する者同士は結婚する風習がある。

(もちろん、実際に愛し合っているか問題ではない)

欧米において、同性愛者同士が愛し合っているなら結婚を認めることは文化的に筋が通っている。


一方、日本歴史的に「結婚式」が存在していなかった。

結納夫婦のみでの三々九度的なもの宴会存在していたが、神前や人前での儀式存在しない。

現在神前式はキリスト教結婚式を参考にして明治時代に開発されたものである


近世以前の庶民結婚ではハレの日が存在せず、淡々同棲が始まることも普通だった。

大抵の結婚は家の都合や成り行きで決まり、ぬるりと「男女の組合せ」が「夫婦」となっていた。

これが日本結婚で、そこに「愛を誓う」というプロセス存在しない。


このように「欧米結婚」と「日本結婚」は、「カミ」と「GOD」、「保険」と「共済」のように似て異なる風習である

同性愛者が「我々は愛し合っているか結婚したいのだ」と主張しても、「日本結婚からは「まあ、嫌い合っているよりはいいかもですね」という感想が出て来るだけであろう。




日本同性婚制度が大昔から存在してもおかしくないが、発生していない


日本歴史的男性同士の同性愛タブーとしていない。

それに加えて、日本嫡子を跡継ぎにすることへの拘りが弱く、それなりの武家であっても養子を迎えて跡継ぎに据えることも多かった。

この2つから考えると、日本では男性同士の結婚が行われ、養子を跡継ぎにする事例が多々発生していてもおかしくない。

何故発生しなかったのか。

しっかり供給しろという気持ちでいっぱいである。


しかしながら、現実非情だ。

そのようなことは起きなかった。

日本では同性婚ハードルが低かったにも関わらず、発生しなかった。



憲法改正なしでの同性婚を導入するべきではない


日本においては男性同士の同性愛が広まっていたにも関わらず、男性同士の結婚が発生しなかった。

そして、男女は愛と関係なく結婚をしてきた。

欧米では愛する者同士が結婚するという風習から同性婚が認められることは妥当性があるが、日本においてはそのような風習がないため、「日本結婚」が同性婚を認める理屈がない。

日本結婚」は男女間のみに発生する風習であったから、憲法は「両性の合意のみ」と定義したのである


それでは同性婚日本で実現するにはどうするべきか。

憲法改正が正道である

政治上テクニカル手法では「憲法24条は同性同士の結婚禁止するものではない」という解釈で「法律上結婚」において同性婚の導入は可能であろう。

逆に言えば、法律同性婚禁止することも実現可能なのだ

憲法改正がなければ、同性愛者はそのような不安定立場に立たされる。


日本結婚」に同性婚を取り入れるのであれば、国民投票による憲法改正必須だ。

国民投票を経れば、同性婚日本の新たな風習として始まっていく。

時が経てば、胸を張って「同性同士の結婚我が国風習で、国民投票で認められている」と言えるようになるだろう。



最後


個人的に「欧米に倣って同性婚を導入しよう」というのが気に食わない。

日本ホモフォビアが決定的になった理由は、欧米に倣ったかである

その過ちを全く反省せず、脳死で「欧米では~」と同性婚を導入しようとするなら、それは愚かとしか言いようがない。

何より同性愛者をバカにしている。


イスラームは2070年から2100年の間に世界最大の宗教人口となる見込みだ。

彼らの圧倒的多数派が同性愛禁止している。

日本結婚」に同性愛をしっかりと組み込んでおかなければ、50年後に「世界では~」と言って同性愛禁止するであろう。

同性愛者は遠い国の人達ではない。

隣人が末永く安心して夫婦夫々、婦々とかい呼び方になるのか? これも決めなければならない)でいられるよう、しっかりとした地盤を作っておこう。

長文読了感謝


2023-02-14

anond:20230214125220

江戸時代国民の大半は農業従事しているので、

老若男女問わず、常に仕事があったとおもうぞ。

ちなみに、夜鷹をしてたのは武家の妻が多かったという噂や。

2023-02-10

anond:20230210164823

元増田おらんから寝る

億兆安撫国威宣揚の宸翰 維新の詔

朕幼弱を以て猝に大統を紹ぎ爾来何を以て万国に対立し 列祖に事へ奉らんと朝夕恐催に堪へざるなり窃に考るに中葉 朝政衰てより武家権を専らにし表は 朝廷を推尊して実は敬して是れを遠け億兆の父母として絶て赤子の情を知ること能はざるやふ計りなし遂に億兆の君たるも唯名のみに成り果其が為に今日 朝廷尊重は古へに倍せしが如くにて 朝威は倍衰へ上下相離るゝこと霄壌の如しかゝる形勢にて何を以て天下に君臨せんや今般 朝政一新の時に膺り天下億兆一人も其処を得ざる時は皆 朕が罪なれば今日の事 朕自身骨を労し心志を苦め艱難の先に立古 列祖の尽させ給ひし蹤を履み治跡を勤めてこそ始て 天職を奉じて億兆の君たる所に背かざるべし往昔 列祖万機を親らし不臣のものあれば自ら将としてこれを征し玉ひ 朝廷の政総て簡易にして如此尊重ならざるゆへ君臣相親しみて上下相愛し徳沢天下に洽く国威海外に輝きしなり然るに近来宇内大に開け各国四方に相雄飛するの時に当り独我国のみ世界の形勢にうとく旧習を固守し一新の効をはからず 朕徒らに九重中に安居し一日の安きを偸み百年の憂を忘るゝときは遂に各国の凌侮を受け上は 列聖を辱しめ奉り下は億兆を苦めん事を恐る故に 朕こゝに百官諸侯と広く相誓ひ 列祖の御偉業を継述し一身の難難辛苦を問はず親ら四方経営し汝億兆を安撫し遂には万里の波濤を拓開し国威四方に宣布し天下を富岳の安きに置んことを欲す汝億兆、旧来の陋習に慣れ尊重のみを 朝廷の事となし 神州の危急をしらず 朕一たび足を挙れば非常に驚き種々の疑惑を生じ万口紛紜として 朕が志をなさゞらしむる時は是れ 朕をして君たる道を失はしむるのみならず従て 列祖の天下を失はしむるなり汝億兆能々 朕が志を躰認し相率て私見を去り公義を採り 朕が業を助て神州保全し 列聖神霊を慰し奉らしめば生前幸甚ならん

御宸翰之通広く天下億兆蒼生を 思食させ給ふ深き 御仁恵の 御趣旨に付、末々之者に至る迄敬承し奉り心得違無之 国家の為に精々其分を尽すべき事

三月               

総裁

補弼

2023-02-04

anond:20230204015440

明治民法においては「感覚」で禁止したっぽい

https://dl.ndl.go.jp/pid/1367573/1/154 法典調査会 民法議事速記

親子結婚するとか親族相姦とかいうようなことは武家以来罰してあります

これはなんだか人間以外のものが交わりをするというような忌やな感覚がこれに伴う、

親族関係などというものはそんな感覚というものに重きを置くべきものであろうと私は考えるのであります

2023-01-24

ネタツイート供養

駄洒落

ボクサーを撲殺したのは僕さ

これから満で数つけるわ

ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ

nonsense駄洒落を送ってしまった。

防寒着を着た暴漢傍観する

新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼信管作動する。

文脈おかし

カフカには寡婦は過負荷

夭逝する妖精養成要請

ケニアに行ったら生贄や

コメントには心をコメントなあ

柑橘類香り歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。

補償するための保証書をもらう権利保障する。

信心深い新人神事心中する。

唐突すぎる心中

宍道湖神事を行う碇シンジを信じ込ませる。

いっきに広まった一向一揆は一向に収束を見せない

虫の居所が悪いのか無視されてしまった。

塗装を落とそうか。

授業中に弁当を食べて、食材贖罪を果たす。

加計孝太郎

加計孝太郎近畿財務局に賭け乞うたろw」

扇状地戦場で洗浄中の兵士扇情的な船上の軍歌を聞かせる。

観光客フイルムに感光させた写真刊行することが慣行になった。

サボってサボタージュ

カタルシスを語るシスター

八芳園発泡酒を飲んだ八方美人が発砲

公館の高官が交歓されつつ硬貨を交換し好感度あげる。

トロールトロを獲ろうとして徒労に終わった。

最恵国待遇の条件を再掲する。

アシカが好きな足利尊氏

景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)

アジアアジの味

夫を成敗するオットセイ

まらない妻の話

気の時計ホットケーキからほっとけー

ヒモになってしまったひもうせん

竹の丈は高ぇなー

伊豆椅子に居座るイラエル人

餅を用いて持ち上げる

ロストしたローストビーフ

サボテンの植え替えサボってんな

過度な稼働は可動範囲を狭める

お前がバテレンだってことはばれてんだよ。

ごめんなサインシータ

伯爵博士拍手拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人白紙にもどす。

クラーク博士と苦楽を共にする

エアポートエアコンエアガンエアロビ体操

わし座の絵が書いてあるタイルアルタイル

バチカンババア痴漢

聖光卒のSEIKO社員精巧時計製造成功する。

紅葉を見て高揚する

台東区帯刀し台頭する

執刀医の技術嫉妬

甲子園講師をする公私混同した孔子実力行使には格子窓も耐えられない。

キッコーマンの亀甲船が拮抗戦を繰り広げる。

死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」

神殿内部の新田心電図を取る武田信玄は死んでんのか?

夜祭で野菜を食べる。

信玄餅を食べながら震源特定するように進言する新元素発見した人。

蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ

五反田で地団駄を踏む

平気で兵役をし兵器を作らせる平家辟易してしまった

蝋梅の香り狼狽する

いびつ揖斐川の流れ

ようやく要約が終わった

海溝で邂逅

豪華な業

非公式に飛行甲板で非行を行う非行少年

甲板で甲板をかじる

甲板で乾パンをかじる

店頭で転倒

四季の変わり目には士気が上がるので指揮が必要

財産ぜんざいを買う

大枚をはたいてタイ米を買う

醤油をかけている人に話しかける人「それソースだよ」

醤油をかける人「えっっ?」

しかけた人「ソイソースw」

神田でした噛んだ

ハイソサエティ人間に敗訴した

品川千葉から見て中国シナ)側だ。

経験を積んだ者への敬虔眼差し

ダサい獺祭パッケージ

ゲットー写真をゲット

少食な小職

安価アンカー

さっそく拙速節足動物模型が仕上がってきた。

牛の胆嚢の味を堪能する

僥倖をあてにする強硬教皇のせいで恐慌が起きた。

あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。

キーンという高音の起因が掴めない。

構成の後の校正は公正に行わなければならない。

こんな誤謬は秒でわかるだろ

皇帝肯定する

壊疽した箇所が治るというのは絵空事

経口補酔液

痴的好奇心

Novemberノーメンバー)には部員がいなくなった。

セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ

軽微な警備

公爵講釈を垂れる

冬眠する島民

ベットは別途用意してください

大会に負けて倦怠期が訪れる

The deserted desert in desert desert.

人のいない砂漠で見捨てられたデザート

倒錯したので盗作してしまった

九尾のキュービズム

罹災者へのリサイタル

秋分のくらい醜聞を聞かせないでほしいな

カニカニバリズムは如何に

画家の画架

不納が富農になるのは不能

理工がRICOHに利口な履行

マネタリズムを真似たリズム

吐露するトロを獲るトロールトートロジー

I sensed tha it is in a sense sense.

私はそれをある面では扇子だと感じた。

鯖を食べている人と、それを見ている人の会話

鯖 ça va?

ça va 鯖

ça va

ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない

早漏で候

形状記憶合の価格を計上する

凪に難儀

名言を明言出来ず迷言になる

リネン理念

ロードライブ朗読ライブ

昔本に渡ってきた人「渡来は入海が無料!」

上流で上流階級蒸留

東上線に搭乗した東條が登場

刺客視覚死角に四角い資格自覚

高校を後攻で煌々と口腔で孝行

芳香へ咆哮し奉公の方向へ彷徨する。

蝉が転んでセミコロン

彰晃が商工の昇降機将校を焼香し小康状態

おさる情事

盛夏のせいか青果が採れない。

ケーキを食べるなんて景気がいいね

道徳をどう説く

司祭が仔細に県道検討

写真はフォトんど撮りません

ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」

華美な花瓶のカビに過敏に反応

老いるのを防ぐオイル

檻に入っておりいった話をする

夏のおサマー

夜は寝ナイト

渦中のカチューム

渦中のカチューシャ

リスボンでリスがborn

市長市庁舎から視聴

どうないはどないなってんねん

堂々とした道道北海道の道)

苫小牧でてんてこ舞い

市内を復旧しないと

新道神童振動

石狩の石を借りる

おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」

砂がどしゃーw

東上線に登場した東條が登場

コケットリーのあるコケ取り

飽きない商い

おなか吹田市

ヘルシンキで減る新規雇用

沖田総司が起きたら掃除

観劇で感激する

側転に挑戦し即、転倒

あたりめが美味いのはあたりめぇーだ

カルロスgone

別件を瞥見

凹地のお家

魚を初めてみた人「うぉー」

懊悩を抱えた人「Oh no..」

魚影を確認した船長「ぎょえ〜」

マイケルを蹴って注意されるマイケルケン

カラヤンの頭の空やーんw

ライカをやたら勧めてくるおじさん「ライカはきらいか?」

洒落臭い謝楽祭

公費コーヒー支出

豚をぶった仏陀

只見線をタダ見w

菊名でそんなこと聞くなよ

馬間田でママを見つけた子供ママだ!」

冬至湯治に行った当時を思い出す

五秒で死んで御廟に埋葬

がらんとした伽藍

有給を使いすぎて悠久の時が流れた

一年を逐一アピールする

長谷に想いを馳せる

Thinkerの真価

東海林の不祥事

the mine is mine

不具の河豚

プロ棋士プロキシ

キリングフィールドのきりん

異臭issue

暗記のanxious

半世紀にわたる半生での藩政を反省

つくえのなかのつくねつくね

清朝と慎重に貿易

タンチョウが単調増加

I screamed Ice cream

ショック死内親王w

カルカッタの石軽かった

陽気な楊貴妃妖気

彼は羊飼い執事かいw

天皇のこと知ってんのー

蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する

其方のソナタ

先王に洗脳される

永劫回帰英語回避

李鴻章交渉

粗大ゴミ醍醐味

防潮堤で膨張した傍聴人

砂漠で鯖食う鯖を裁く

あんな彼には、アンナカレーニナでも読ましとけ

筒に入った膵島

サイコロを使った心理テスト(psychological test)

ブルジョアが振るジョア

嚥下中の演歌歌手にエンカしてええんか?

カラシニコフが辛子個踏んだ

継嗣の形式を軽視する警視

皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂

にようかで酔うか?

うるさい人が売るサイ

無印商品の店を見つけた人「この店舗ノーマークだった..」

乳母が食べるUber eats

どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人

透徹した饕餮の眼球

どこから見ても百貫デブの人「客観デブ

石鹸世間を席巻

チャカで茶菓を破壊

多分風光明媚maybe)

slimyなすり身

ゆうほど広くない遊歩道

いにしえのイニシエーション

コーランをご高覧ください

ゲーム最下位から再開

UNIXが使える宦官(eunuchs)

盆に得るボンボニエール

K殻の傾角を測定する計画

協賛した共産党員に強酸をかける

負けたのは聖者の静寂のせいじゃ

裏地見るウラジミール

カミオカンデの上に紙置かんでw

大会がおわり倦怠感を感じる

椅子噛んでる人にイスカデル命中

クレパスクレパス落とす

夕暮れのユーグレナ

heおじいちゃんsheおばあちゃん

さくらんと聞いて錯乱

後宮の佳麗な高級カレー

臭いサイと腸臭い人が直裁的に話す

会社膾炙する

歯科医師会の歯科医師か司会か分からない鹿

ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm公務)」

ベビーシッター叱咤

エド・はるみの穢

祭壇を裁断

怪獣に懐柔策を提示

腐卵ダースの犬

独島独特のドクトリン

テスラは手すら認識できない

小作コサックダンス

刑事デカダンスな踊り

全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」

族→希ガス電子配置→酸化

四苦fuck

都バスが人を跳ね飛ばす

経帷子を着て強化扉に突撃

怒るカロテン「なにカロテンねん」

内地ナイチンゲール

嫌がる慰安婦「いやんっ」

かえるがえる帰る蛙

什器重機破壊

沈厳な青梗菜

トリコロールの虜

布陣を組む夫人

栗けっとばすクリケット🦗

婉容と遠洋漁業

アタナシウスキルヒャーとあたなう

アマルガムで余るガム

ハラスメントの疑いを晴らす

滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない

他意はないタイ人の鯛の態度

鯛が蛇足

有象無象意味を、象がいるかいないかだと思ってた人

ダジャレではない↑

割と面白い

ハラッパーの原っぱ

ハラッパーのラッパー

ウランを売らんウランバートルとバトル

紫に関して思案を巡らす

遺影イエーガーマイスター

市井の人意見を聞く姿勢

NATOの人に納豆食わせる

いすみ鉄道椅子見る

Hulu夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流

板橋で板バシバシ叩く

敬語が使えない東野圭吾

秘書の卑小な飛翔体

小動物衝動で焦と化した小豆島照度

姥捨山Uber eats

下調べのムニエル

からないので

淫乱大王、ハメハメハ大王

Evian海老が混入しているのを見つけた人「エビやん」

意味ない諱

よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」

どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」

タピオカが好きなジャン・コクトー黒糖ぢゃん」

計算ができない人

佐渡サドサド

着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」

駅にいる料理人調理するエキノコックス

初めてSMプレイを見た人「縄文式器みたいですね」

enough、enoughは工夫がenough

なんでもパアになるホテル「パアホテル

負け負け山(カチカチ山)

薬師丸せま子

エイリアンスペル間違えるとかありえんわ

細野奥道という名前なのに、俳句を全く詠めない人

ぶん、ぶん、ぶん、ムンジェイン (はちがとぶのリズムで)

トーマス・マンの書いたふるさとうさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」

モーラ網羅

イスラエルキブツ 損壊

その心は

イスラエル集落キブツというので、器物損壊とかけた

ビンテージの瓶提示

帽子御法度

双生児の豚のソーセージ

敬虔ネモ船長「海底万参る」

回折格子解説講師

妊婦ニンフ

焼結が猖獗を極める

これはstaleだから捨てるか

十階で十戒を十回、述懐

モンチッチ門地

衒学的な弦楽を減額

ウラジオストクで裏地をストック

完全な勧善懲悪

カッパドキア河童「ドキァ」

ホーキングの超法規的なホウキ放棄を蜂起

イボ人の疣痔

イブに慰撫

江戸知らんエドシーラ

べたべたなベタベタ

(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)

ダマスカスで騙すカス

盲いるのに飯いるの?

医師意思で石で縊死

アーヘンで阿片を吸った人「あー変」

毒吐く独白

明借りるアスカリ(車)

深見東州の深み踏襲

丁寧な砂浜「Could you九里浜」

ゴーンと奉公

その心は

ゴーンの出国の手助けをしたこと奉公とかけただけ。

サンクチュアリに山窟あり

熟れたウレタンは売れたんか?

清澄な声調を静聴し成長

プエルトリコで増える虜

仏典で人をぶってんのか

象さんを増産

ケイト・モス毛糸燃す

兄弟が今die

乱暴ランボー

卑劣漢がヒレつかんだ

カレー(Fr)の彼のカレイカレーは辛え

弘法と公房が工房で攻防し興亡

Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす

レイブンクローの例文苦労

galleristのギャラリスト給与リスト

ソフィカルのソロカル

麻雀をやり過ぎた人「リーチ飜で理一E判」

美人局に筒持たせる

十把一絡あげ

monotonousな物と成す

京都弁を話すビルゲイツ MSどす

篤信な特進が涜神を得心

これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。

クートゥを食うとぅいいよ

楊貴妃渓谷で警告

マイソールで昧爽に埋葬

ドクサは毒さ

暗殺で朝死んだ

クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」

凛々しいリリシズム

衛生的な俳人

東州が東周踏襲

シンシナティ真摯紅茶

御髪も亂とはオクシモロンだ

コロナ後の世界分析する学問→postcoronialism

和尚王将に鞅掌し往生

影響が色濃いイロコイ諸族

あてのあてないアテナイ

ウイグル人野原しんのすけクレヨン Permalink | 記事への反応(0) | 22:23

2023-01-07

トロフィーワイフなんて海外概念でしょ

成り上がり者の市民貴族の娘を嫁にしてそれを自慢するみたいな

日本では武家の娘なんか嫁にしたら、ろくな目に会わないって考え

2022-10-18

anond:20221018133924

奴凧:やっこ(江戸時代武家下僕)が両手を広げた姿に似せて作った紙だこ。

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

anond:20221013034956

室町時代重要だと思うなー

今じゃ伝統芸能といえば江戸時代に発展した歌舞伎代表づらしてるけど、室町時代に発展した能や狂言(猿楽)の方がよっぽど伝統があるし発祥も古いんだよね

歌舞伎市井の娯楽興行で、武家と強く結びついてなかったおかげで明治維新後も力を失わず、一方の能狂言は式楽として武家と結びついていたせいで武士の没落と共に立場を失い、断絶の危機すら迎えたって経緯の違いもあるんだけどね

2022-10-11

内閣総理大臣RTA農民ルート日本記録

チャート

まれ農民選択(その代わり頭脳ステータスを全振りする)

12歳になったら父親武家養子に入れて、武士クラスチェンジ

17歳になったら塾(松下村塾)に通い、スキル向上。また仲間(高杉晋作など)を集めてパーティ作成

22歳に密航によりイギリスへ。数ヶ月で英語マスター頭脳ステータス全振りの効果

23歳で外国四国連合艦隊)との交渉通訳になって信頼度を上げておく

28歳の時に革命明治維新)が起こるので、英語力をアピールして政府側につく

30歳でヨーロッパに行き(岩倉使節団)、内閣制度憲法について学ぶ

帰国したら、争いに巻き込まれないよう裏方に徹する。

その代わりひたすら内閣制度憲法勉強をし、頭脳信頼度MAXにする

MAXになると内閣総理大臣になるフラグが立つ。

この時「憲法作るにはまず内閣総理大臣)が必要」と発言することにより、憲法作成イベントスキップ

そして英語力の差で対立候補を破り、44歳2ヶ月で初代内閣総理大臣就任しEND。


【工夫した箇所】

農民まれチャートのため、余ったステータス頭脳に全振りできる

身分問題父親養子入りルート解決

頭脳ステータス全振りにより、数ヶ月で英語マスター

憲法を作る前に総理大臣になることにより、およそ10ヶ月の短縮


RTAとは関係がないが、このまま進むと満州安重根暗殺されるバッドエンドなので、

ベストエンディングを目指すには満州には行かないルートの構築が必要

※44歳2ヶ月は歴代総理大臣の中で最速(2022年10月11日現在

チャート作成・走者:伊藤博文

2022-09-24

死んだ主君いつまでも忘れない

安部ちゃんのことを擁護し続ける人たちって、江戸時代さながら殿様に忠誠を誓う武家だよな

安部ちゃんの家臣だから武家じゃなくて商人

2022-08-27

デキ婚なんて猿みたいな奴らが多いんだなって思っていたけど

そもそも8、9割の人間武家公家ではなく、貞淑とかの倫理観のない農民町民の子孫なので

別にそんなものなのかもしれないなと思った。

大した家柄でもない庶民貞操教育が広がったのって昭和中期あたりからなんだろうか?

2022-08-01

[] そのさんびゃくななじゅうろく

ハッサクーッス

 

本日世界母乳の日

そして旧暦では八月一日のことを八朔と呼ぶらしいです。

8月の後半頃に実る早稲の穂を、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習があり、それを『田の実節句』と呼ぶのだそうな。

その“田の実”を“頼み”に掛けて、武家公家の間で日頃からお世話になっている“頼み合っている”人達に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになった、のだそうな。

なんとかペディア丸写しですね

でもまぁ仕事をする上で頼み合うことってのは頻繁にあるので、自分一人で抱え込まずに多少頭を下げたり褒美を渡すなどして仕事の分担をするのは必要ことなのかもしれませんね。

 

ということで本日は【仕事の分担よいか】でいきたいと思います

仕事の分担よいか仕事の分担ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-07-04

多重下請けビジネス江戸時代精神活用した暴力装置

最近学んだことの自分メモです。

多重下請けビジネス江戸時代普請奉行のしぐさを基にしている

江戸時代は、儒学活用して「お上に逆らうことは人間倫理に反逆する」と教え込んだ

・そのことで長期にわたり安定政権となり、将軍権威も失墜しなかった

武家による、宗教的刷り込みである

・同じことは、軍隊+マルクス主義のセットで隣国でも現在進行形で行われている

江戸時代町人文化など良い点もあったが、ベース独裁暴力洗脳であった

精神面における「江戸しぐさ」は、民主主義対照的であり、精神の停滞と人権弾圧肯定することになる

多重下請けビジネスは、日本根付いた江戸しぐさ悪用し国力を停滞させる目的で電〇によって発明された

・そのスキームによる中抜きを好む人間の多くは、多かれ少なかれ反社会的暴力的な利己主義者となる

・それが国家レベルになったとき虐殺他国侵略が発生する

まりベースとなる歴史的儒教精神があり、それに目を付けた団体日本を統制するために活用したということですね。

2022-06-12

anond:20220612123201

自分売れ残り婚活女性は死んでもお姫様モードくずさねえんだなって話がしたかったんだけどな。

気高き姫の誇りがあるなら死の間際まで高潔でありたいだろう。

武家地方の旧家の娘で生涯独身を貫いた人の伝記を読むとそんな感じ。

2022-05-28

明治時代、庄屋の娘が夫のDVから逃げて上京議員財政を立て直した話

矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日天保4年4月24日〉 - 1925年大正14年6月16日)は、日本女子教育者社会事業家

肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児誕生は歓迎されず、名付け親10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟を生んでいる。蘇峰は明治大正昭和にかけての大論客、蘆花は明治大正文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。

かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。

妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事副知事兼務左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。

このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄から手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本学校生徒35名による花岡キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰徳冨蘆花も参加している。やがて熊本学校廃校になり、彼らの一部は、新島襄同志社入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンド札幌バンド横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。

明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国宣教師教育者マリア・ツルー夫人運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。

自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年築地新栄教会ディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である富久子、横井つせ子、竹崎順子洗礼を受けている。当時17歳キリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。

明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在校長理事長を兼ねた職)代理就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。

明治23年(1890年)、櫻井女学校新栄女学校合併して女子学院となり、初代院長に推される。

明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。

一方、恵まれなかった結婚生活小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。

楫子の情熱日本に止まら日本国外にも向かい明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年1925年6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。

大正時代華族の娘が50歳の男に売られた話

anond:20220526160552

2022-05-09

[]

熱海MOA美術館に行ってきましたわ!

MOAはMokichiOkadaAssociationの略でしてよ。手かざしで有名な世界救世教開祖岡田茂吉美術愛好家だったこからできた美術館ですわ。

滋賀MIHOミュージアムでも思いましたけど、宗教団体は山の中にクソデカ施設作るの好きですわね。

からバスでつづら折りの坂道走るのは結構怖かったですわ。

けど山腹から見る海は絶景でしたし、設備も金かかってそうで良かったですわ。

展示室のガラスがすごい透明度で、一瞬何も無いのかと思ってしまいましたわ。隣のおじさまなんか額をごっつんこしてらっしゃいましたわ。

蒔絵特集した展示だったのですが、時代別に並べられてその変遷が興味深かったですわ。

最初は仏の神々しさを表現するものだった金が武家町人文化と共に一般化、技巧化していくように感じられましたわ。

あと最後に展示されてた現代工芸家が作った作品が、ため息が出るくらい美しかったのですわ。

当たり前ですけど、漆も金も銀も螺鈿も、作られた当初からはかなりくすんでしまっているのですよね。

館内の和食屋でいただいたお昼も美味しかったですわ。

世界救世教自然派法大好きで、古参はてなーには有名なEMを推進してる団体なのですわ。

EMインチキでもEMを使うようなこだわりのある農家が作る野菜は大概うまいのですわ。

久しぶりにお昼から無為信っていうポン酒をいただいて、そちらも素晴らしいお酒でしたわ。

ほろ酔い日帰り温泉に入って帰りましたわ。

2022-04-02

anond:20220401211442

はてな匿名ダイアリーで?

TPOのPをはてな匿名ダイアリーとするならばはてなキーワード(現はてなタグ)への自動リンク機能があり中目黒柳ヶ瀬下通には適用されていることから増田の上げた中で不適切なチンポは騎射場のみになるのでは。

ただマナー違反とはいえパッと見で御武家さんと繋がりがあるんだろうなって想起させられるし、鹿児島ということで薩摩武士の勇猛さも重なって風情のます良いチンポだと思う。好きだよ。今は西にある大学学生街なのかな。最寄り駅ではないけれど南東の運動文化施設エリアと合わせて近場に文武両道集まってるのも素敵ね。

しかしそんな素敵な地名であってもキーワードがとうにサービス終了しタグ

タグ説明投稿したり、投稿された説明編集できるようにアップデートする予定です。お楽しみに!

と言いつつリリースから二年半放置プレイの現状では不適切チンポ扱いのままなので、株式会社はてな様におかれましてはインターネットというフリーの場でより多くのフリチンがぶらぶらできるようにさっさとアップデートいつになるんだオイコラ

2022-04-01

女性専用車両から考える男女平等とは

女性専用車両にあえて乗り込む男性がいるようだ。

わざわざ騒ぎを起こし、動画を撮ってアップするのは「女性専用車両男性差別だ!」と主張する為のパフォーマンス?らしい。

本当に気味が悪いなぁと思う。



日本には欧米でいうレディーファーストという概念が元々ないに等しい。

ただそれは単なる文化の違いで、「男は女を守るもの」という概念現代日本にもなんとなく存在している。

人間は元来、群を成す事で生きながらえてきた種族である

人間がまだ猿に近かった時代から

男は身を呈して外敵から群れを守り、狩に出て食料を確保する役割を担い

女は群や同士のコミュニティを強化し結束力を高め、群の存続を保証する子孫を育む役割を担う。

それは「概ね」今も変わらない。

男性は外に働きに出て、家族という群れに資産を運び

女性は周囲や家族などのコミュニティを強化したいと望みながら子育てをする。

なので本能的な役割必要とする能力の傾向として

男は短絡的、効率的で瞬発力があり

女は多角的、社交的で想像力がある



しかし、本来ただの役割として過ぎなかった機能が、時代が移り変わると共に形を変え続けてきた。



江戸時代、全体の約1割だった武家層は男尊女卑であった。

武家層が男尊女卑だったのは、戦国時代の名残により武士はとても物騒な仕事であった為、女子供を巻き添えから守る為に受け継がれた習わしであると考えられる。

女性男性の三歩後ろを下がって歩くのは、前から斬り付けられた時に備えての事で

男性が先に食事に手をつけるのは、毒味のためである

男性が外敵から身を守ってくれる為の女卑であると知っている女達は、敬意を払って男性を立て内助の功として勤めながら子供を育てた。

男は身を呈して外敵から群を守り、外に出て財を確保する役割を担い

女は群や群れ同士のコミュニティを強化し結束力を高め、群の存続を保証する子孫を育む役割を担う。

まさに本能で受け継がれられてきた人類の男女の形そのものである



一方、全体の約7割である農民男尊女卑はなく むしろ女性が強かったそうだ。

平和暮らしを営む農民は命の危険を伴うような外敵などいないに等しく

女性男性同様働いている場合も多くあった。

農民の間では

男は身を呈して我が群を守る必要はなく、ただ外に出て財を確保する役割のみを担うものとなり

群の存続を保証する子孫を守り、コミュニティの強化を役割とする女性にとって

群を守らない、その出番のない男性 しかも自らも財を確保する役割を担っていたのなら、男性に敬意を払ってコミュニティの一員として認識するという感覚を持ちづらいであろう。

コミュニティの結束力を高め合う女性達の中で、そのコミュニティの一員として男性認識しないのなら

農民の間で女性が強いのは当然だったのかもしれない。





明治から昭和初期にかけて、全体として男尊女卑の色合いがこくなる。

武家層のような上流階級への憧れが市民の間に広がったのもあるが、一番は「戦争」だろう。

戦争により再び男は

身を呈して外敵から群を守り、外に出て財を確保する役割を担うという役割の復活を果たし

男性が外敵から身を守ってくれる為の女卑であると知っている女性達は、敬意を払って男性を立て内助の功として勤めた。

このように、本来人間が持つ男女それぞれの性質役割を発揮している時にのみ、異性が互いに敬意を払えるのだと思う。





では近年はどうだろう。

昭和後期、戦争により男女がそれぞれの役割を果たし、互いに敬意を払っていた理想男尊女卑の両親の姿を見て育った者達は

戦後その男女の理想の姿を追い求めた。

しか戦後、身を呈して群を守る役割を失った男たちに(つまり本来男の持つ本能的な役割果たしていない事に) 静かに不満や不信を抱える女たちに気づいた男は

女性を力で制圧する事で威厳を保とうと試み始めた。

男尊の強制亭主関白という名の暴君である

もちろん、うちの亭主は家族を何より想い いざという時は身を呈して守ってくれるという確かな信頼関係の元、健全男尊女卑の家庭を営む夫婦もいたであろうが

しかし大部分は家族を守る器も経済力もないというコンプレックスと、妻の静かな不満と不信に怯え、DVモラハラによって、力で女を抑圧する事でしか威厳とプライドを保てない 名ばかりの亭主関白 もとい糞男がはこびっていた。

そして現代女性社会進出に伴いますます役割を失った男達に

更に不満と不信を覚え始めた女性たちに対し、男達は苦肉の策として2つのパターンに分かれ始めた。

1つは、女性迎合性別役割を超えようと試み始めた者。

いわゆる「イクメン」などである

女性性別役割を超え外に働きに出るように、男性コミュニティの強化に加わるように努め始めた。



もう1つは、女性の不満と不信に怯えながら自身能力と器の小ささを誤魔化す為に、相も変わらず女性を力で制圧しようとする者である

DVモラハラ女性制圧する手法もまだまだ用いられてはいるが、しかし昨今の女性は強い。

自立し、女一人でも外敵から身を呈して家族を守り養い 更にコミュニティを強化しながら子供を育てる事ができるのだ。

まり男女の役割を女一人でこなせてしまう。

昨今男性は容易にコミュニティから排除される対象になり得るのである

そんな中で男性は、いくらDVモラハラをしても自分コンプレックスを誤魔化す事ができず、安心感も得られず

男の存在意義や尊厳を奪われる恐怖と、自身能力のなさ器の小ささのコンプレックスを更にこじらせながら

なけなしのプライドを死守する為、見ず知らずの女性をその場限り制圧する事で満たそうとする暴挙に走る者も現れる。

痴漢性犯罪職場でのセクハラ パワハラ、あるいはネットでの女叩き である



こうなってしまっては、女性にとって男性は外敵以外何者でもない。



外敵を排除する為、女は男を攻撃し始める。

男は男としての存在意義とプライドを死守する為、女を無理やりにでも制圧しようとする。

男性嫌悪、女性嫌悪、飽くなき戦いだ。





もはや本能的な性別役割など必要のない時代ジェンダーレス時代

一刻も早く異性への役割の期待や役割の意義を捨て去らないと、新時代男女平等が訪れる事は永遠にないだろう。

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2022-03-07

anond:20220307190142

私も聞いた時は何それ? と思ったが、ググったら本当に昔はそういう風習があったらしい。ちなみに私は名古屋の出ではない。

うろ覚えだけど、江戸時代には公家武家でそれぞれ冠婚葬祭とかをどのように行うかというのが細かく決まっていたそうで、それらがやがて民間にも伝わって真似されるようになったとかなんとか。

2022-02-20

anond:20220220114943

武家由来の人間なんて奥まったところに住んでいて普段は外に出てこない

…狩られるしな(笑)

anond:20220219212152

とある小説に、鎌倉には武家の気風が戦後も残っていて人々の気位が高く、京都ほどではないにしろ人間関係が難しい的なことが書いてあった。(小説登場人物京都商家の入婿になるんだけど、生まれ育ちが鎌倉上流階級で鍛え上げられているので、京都に行っても義理家族に可愛がられて余裕のよっちゃん暮らしている、という話だった)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん