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はてなキーワード: 武士道とは

2022-05-21

悲報俺氏葉隠」が忍者関係だと思っていた模様

ついさっき調べて知ったんだけど武士道の本だった。

有名な「武士道とは死ぬことと見つけたりじゃあ死ねよ(山岡)」の出典なのね。

 

で、じゃあなんで忍者勘違いしてたんだってのが気になって調べてみたんだけど、

これバーチャファイターNARUTOの影響っぽいわ。

 

バーチャファイター影丸っていうザ・ニンジャみたいなキャラがいるんだけど

そいつ出身地が「葉隠れの里」で葉隠流の忍者葉隠柔術の使い手って設定なんよね。

NARUTO主人公ナルト所属する里が「木の葉隠れの里」。

海外版では「葉隠れの里」とされることもある。

 

明らかにこのあたりの影響で「葉隠」=「忍者」と思い込んでたけど、実際には武士バイブルでした。

うーん、誰かに話す前で助かった。

パンティー隠れ

武士道といふは、パンティーと見付けたり。二つ二つの場にて、早く死方に片付くばかりなり。別に仔細なし。パンティかぶって進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風のスキャンティかぶりたる武道なるべし。

2022-05-16

anond:20220515193450

自分たちにそれができてないから言ってるだけなんやで。昔の人間卑怯な真似で戦ってた癖に、他人に「騎士道」だの「武士道」だのを押し付け安心たかったんやで。

2022-03-20

ゼレンスキー日本向け演説で何を言うか予測 追加

https://twitter.com/gomi___134/status/1504398758964264961

”ゼレンスキー演説「今から皆さんに、北方領土に関するクイズを出すピィ~♪

まずは初級編だピ!

【第1問】北方領土不法占拠しているのはどの国でしょう?」”

https://quiz-maker.site/quiz/play/LiGczx20220225180911

タコピー北方領土エリカちゃん

どっちの可愛い生物発言か当ててみるッピ!

ttps://twitter.com/dongame6/status/1505029778377740288

”堪え難きを堪え”


ttps://twitter.com/oubonnn/status/1504108971573063686

”ゼレンスキー in日本国会おまえら、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞け!男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。いいか。」”

ttps://twitter.com/hms_ulysses/status/1504296947167154178

”まあ実際は新渡戸稲造の『武士道』あたりではという予想。”

ttps://twitter.com/norocdeal/status/1505404664543469568

日本では引用出来るものが少なさそう。引用できそうなので思い付くのは「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」”

ttps://twitter.com/ZdGHopLSmjh6cKg/status/1505398421674668032

ネオナチなので白人至上主義発言をするだろう

anond:20220319233213

2022-03-14

集団ストーカー犯罪黒幕は誰か?

皆そこは知りたいところだろう。

何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。

それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間虐待する、理不尽卑怯な単なるマイノリティ攻撃である

いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。

だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。

独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家日本のような大昔から独自民主主義を持っていた国で、

武士道を重んじて来た世界でも稀有民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である

マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミ於いて顕著にみられる。

私の若い頃には無かった時代が生んだ犯罪と思える。

資本主義の行きつくところの犯罪か?

そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!

しか日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネット真実を発信出来る事はありがたいことだ。

我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。

anond:20220314151045

仰る通り、負けている側は終局の同意をすることに意味がないので、普通は「負けていてかつ覆せない状況である」ことが分かった時点で投了(降参)をする。

終局して得点計算までする方が稀。

初心者同士の対決なら、拮抗していたらどっちが勝っているかからないので、最後までやってちゃん計算する。

あるいはプロ同士でも、最後の競り合いで1点2点差を詰めたらひっくり返るようなものすごく拮抗した状況で、それの確定のためにもほとんど最後までやってしまったような状況なら、せっかくだから得点計算までする。

なぜ負けている方が投了するのではなく、得点計算同意するかというと、地が読めていないか武士道的なものか、見ているお客さんにわかやすくするため。プロ興行から

囲碁はどうなったら終わりなのか教えようじゃないか

また「囲碁ルールからない」が湧いている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20220314-puyogo/

どうやら毎回、ルールわからんと言っている人が引っ掛かってるところは同じみたいだから、それをQ&A形式で解消してみようと思い、書いてみる。

TL;DR(追記

リーで会話していてこれが先にあった方がわかりやすいかもと反省したので載せる。

囲碁ゲームが進むと、盤面が石だらけになる前に、どちらがどこに石を置いても互いの得点を一切増減させられない、いわば定常状態というべき状態に陥る。

・この状態に陥ったことを、両プレイヤーが納得し、そのことに合意をしたらゲーム終了。

どうなったら終わりなのか?

両者が終わることに合意をしたら。

あるいは、両者が連続パスをしたら。

これを曖昧ルールだと考えてしまう人も多いが、決して曖昧ではない。お互いが同意したら終局できる。これは客観的判断できる立派なルールだ。

たとえば民法にも「同意を得て~」みたいな定めがある。これを「同意とはなんて曖昧な!これは法の不備!」と思うだろうか?思うはずがない。

囲碁民法と似たようなものでお互いが合意をしたらOK。シンプルかつ明示的で客観的に判定可能な終了条件だ。

これをもっと明示的にしたものが「お互いが連続パスしたら終わり」というものだ。

それなら片方が絶対パスをせず、終了に同意もしなければどうすると言う人がいる。

当然、それならば続けることになる。何の問題もない。

片方が延々と同意しなければ?

当然、延々とゲームが続く。しかし終わりというものがある。

盤面は有限なので、千日手になるような例外を除けば、一時的に石がとられることはあっても大局的には盤上の石の数は増えていく。

やがてどちらかのプレイヤーにとって全ての点が【着手禁止点】になる瞬間が来て、ルール選択できる行動が「パス」しかなくなる。

そうすると相手パスをして試合終了になる。この戦術で延々と試合を引き延ばし終わらせなくすることは不可能に近い。

じゃあ、いつ終了に合意すればいいのか?

ルール上ではなく戦略的意味で、いつ相手に対して終わりを提案すればいいのかという疑問を持つ人もいる。

あるいは提案された場合合意してよいかどうか決める判断基準は何なのかという人もいる。

これらは至極もっともな疑問だ。

回答としては、基本的には、もう打つ手がないなと思ったら終わりを提案すればいいんじゃないか、というものになる。

打つ手がないというのは、「これ以上どこに打っても、一点すら相手から奪うことはできない」ということだ。

次の節でも説明する予定なのだが、相手が十分に上手な人の場合、既に相手の石に囲まれている場所に対してちょっかいをかけたとしても、一点たりとも自分得点プラスにすることはできないことが予想される。

そのため「全ての場所が、どちらかの石に囲まれた陣地となっており、しかもどの陣地にも一切隙が無いように見える」のであれば、それ以上やることはないので終わりを提案すればいいし、相手もそれを受ければいい。

これに対して、「いや相手ミスすることを期待して打ち込む手もあるじゃないか」「本当に隙が無いかどうかはわからないじゃないか」と反論するのであれば、それならばどうぞ気の済むまで続ければよい、としか言えない。

上記あくまアドバイスの類であって、ルールではないのだ。

ただ、将棋で詰み筋が明らかに見えている場合に真の詰みまで指さずに降参するように、囲碁でも延々と粘るのは行儀がいいとは言えない。

実際、プロとかある程度囲碁をやる人同士でやった場合そもそも終わりの合意とかまでいかずに降参によって勝敗が決することも多い。

そういう武士道ないしマナーみたいなものは確かにある。でも、それはマナーであってルールじゃないから、どうしても粘りたい人はルール可能な限りいくらでも粘ればいいと思う。

相手の陣地に延々と手を入れていけばどちらも死しか待っていないのでは?

そんなことはない。

囲碁ルールには着手禁止点というものがある。これは、「置いたその石がただちに相手の石によって取られる状態になる石は置けない」というものだ。

(ただし、自分の石が相手の石を取れるかどうかの判定の方が先。カードゲームとかで効果の発動順みたいな概念に慣れてるとわかりやすい)

相手の陣地に延々と手をかけたとしても、相手が適切に対応している限り最終的には「相手の石が囲んでいる1マスの空間」だらけとなり、その位置は着手禁止であるため、それ以上手を出せなくなる。

でもそれで相手の陣地を極端に減らせたわけだからちょっかいを出す価値はあるんだと思うかもしれない。

しか囲碁得点というのは、自分の陣地の数に、相手の石を取った数が足されるので、実は意味がない。

相手の陣地に割って入った石は、相手が適切な対応をしている限りいずれは取られる石であるため、相手得点源になる。

囲碁パスがなければ両者が交互に打つ。自分相手の陣地に割って入れた一石が相手得点源に。相手がそれに対応するために打った一石が相手の陣地を削り。

1引く1で、これを繰り返しても最後まで得点は変わらない。

したがって、相手の腕前を十分信頼しているのであれば、相手の陣地に隙が見えない時点で、もう打っても意味はないと判断することができる。

もちろん経済学的に最優の方法はそれでも相手ミスを期待することだろうが、そこはマナーということで良いのではないか

それすら受け付けられないのであれば本当に残念だが囲碁に向いていないと言わざるを得ない。

どこが陣地かわからない

陣地と呼ばれうる概念は少なくとも2種類、多くて4種類くらいある気がする。

少なくとも、終局時に得点計算に使われる「陣地」と、対局中の「陣地」は分けて考えたほうがいいかもしれない。

終局時の得点計算は、以下の3つの数を合計することで計算される。

・1個以上の自分の石と、0個以上の碁盤の辺のみに囲まれた、石の無い場所の数

自分が取った相手の石の数

・後手のみ、ハンデとして6.5点(囲碁は先手が有利であるため)

これが得点ルールだ。どこにも曖昧なところはない。この1つ目の点が「陣地」と呼ばれうる。(正式には「地」という)

一方で対局中に「陣地」と呼ばれうるのは、「だいたいこの辺はもう手が入れづらい」と考えられる場所だ。

前の節で説明したように、自分が手を入れても、おおよそ無駄になるだろうなと思えるような場所が、相手の陣地。

逆に相手にどれだけ手を入れられても、まあだいたい上手く返して見せるぜと思える場所が、自分の陣地。

(あるいは、「終わりまで進めばおそらく得点源となっていることが期待できる場所」ともいえる。この2つの意味での「陣地」の場所は概ね一致する)

気づきの通りこちらはだいぶ曖昧概念だ。

しかしここは曖昧でも全く構わない。なぜならこの意味の「陣地」はルール関係してくる部分ではなく、あくま戦略上参考にする概念しかいからだ。

得点計算の際の「陣地」はルール定義された客観的概念であり、対局時の「陣地」は戦略上の概念。別物だ。

別物なのだが、対局中の意味での「陣地」が、終わってみれば得点計算意味での「陣地」とほぼ一致するので、混同の原因になっている。

なぜなら対局中に石で囲まれている、あるいは囲まれかけている、あるいは石がたくさんある場所というのは、手を出しづらい場所であり、手を出しても意味がないことが多く、そして最終的に得点計算の際には石で囲まれていて得点源になることが期待されるからだ。

囲碁は最終的には得点相手より多くすることが勝利条件のゲーム

そのために、得点計算における得点源にするための「陣地」の数を稼ぐ必要がある。

そのために、対局中はうまく石を配置して、相手にとって手が出しづらく最終的に得点源を構成することが期待される「陣地」の領域を増やす

こう考えるとわかりやすいのではないだろうか。

あるブコメを例に考える

一番上に挙げたのとは違う記事で、「開始直後に真ん中に石を置いたら全部自分の陣地になるから囲碁ルール不備」みたいなコメントがあった。(言い回しは覚えていない)

これに色々な勘違いが集結していると思ったので、例にとって考えてみよう。

まず、「開始直後に真ん中に石を置いた状態」で、ゲーム終了の合意を行う相手プレイヤー普通はいない。

したがってここでいう「陣地」は得点計算の際に参照される得点源としての空間、のことではなく、対局中に参照される戦略的意味での領域のことを指すとしか考えられない。

そうであるならば、「真ん中に石を置いた状態」で、盤上任意位置相手が手を出しづらくなったとは考えづらく、「全部自分の陣地になる」は間違いであるとほぼ断定できる。

また、仮に、相手プレイヤーたまたま何らかの理由で、「開始直後に真ん中に石を置いた状態」で終了に合意したとする。

この場合では「陣地」は得点計算におけるそれを指すことになるが、定義上、この状況での盤面任意位置は「自分の石と辺に囲まれ場所」ではない。

中にある石が盤面全域を内側から外側へ向けて広がるように「囲んでいる」イメージをしているということはわかるのだが、「囲む」とは多角形の石と辺によって閉じられていることを指し、中にある石は無視される。

もし、最初に置いた石が真ん中ではなく辺上や角であれば議論余地があるように思われるが、まあそんな状況で終局する日は来ないので無駄議論になるだろう。

とにかく、どのような意味でもこの例に挙げたブコメは明確に間違いを含んでいるというわけである

これによって、悩める全ての人の「囲碁ルールからない」が払拭できたら幸いである。

補足:石が取られるとはどういうことか(追記

石が取れる状態というのは、

「縦横に連なった一連の同色の石の周りに、石の置かれていない点が全くない状態

であり、この状態に陥った時、石は相手に取られる。

そして、石が取られるかどうかの判定は、常に、ターンプレイヤーから見て相手の石を先に判定し、その後、ターンプレイヤーの石の判定をする。

この時ターンプレイヤーの石が取られる判定となる場合は、そもそも石が置けない。

この定義に、「囲む」という概念は一切出てこない。

初心者相手の石を「囲んで取る」と教わる。陣地も囲んで取る。石も囲んで取る。だから囲碁と呼ぶ。わかりやすいが、これが誤解の元。

石がとれる条件と終了時に陣地にカウントできる条件は微妙に違う。違うのにどちらも「囲む」というから間違える。

リーの他の方から引用だが、

ぷよ碁のブコメにあった「碁石から出てる盤上の線を全て塞ぐ」というのが分かりやすかった。

ぷよ碁で考えると、置いてあるぷよは周りにあるスペースと繋がった線から呼吸をしていて、それが全部塞がれると窒息して死ぬって考えれば直感的なのかな?

まさにこれの通りで、石がとれるのは窒息のイメージがあっている。

2022-03-10

anond:20220310203204

昔の武士あん自害してない

降伏したあと、一番上の殿様が首切りにあったら新しい殿様に鞍替えしたり

途中で勧誘うけて敵勢力に寝返ったりもしてた

いわゆる武士道ってのは江戸時代作られたファンタジー

2022-03-03

[]anond:20220303113754

「打て」と強制

戦時中に実際にあった話である 太平洋戦争中、敵性語排除するという考えから

野球用語の全面日本語化が決定した。

ストライクは「正球」、ボールは「悪球」、

審判コールも、1ストライクは「よし一本」、

アウトは「ひけ」などに改められた。

また、武士道に反するとして隠し球禁止された。

2022-01-24

anond:20220124145034

買ったばかりの鉄のフライパンは銑鉄で出来てるんだ。

日本刀は同じ鉄なんだけど「鋼」と呼ばれる

その違いとは炭素含有量さ。

日本刀ハンマーで叩いて、冷やしてまた熱してハンマーで叩いて、という鍛え作業することで炭素を追い出し「鋼」を作り出してるんだ。

フライパンも同じさ。

使っているうちに鍛えられだんだんと「鋼」となっていくのさ。

日本刀砥石で磨き上げるように、フライパン食材で磨き上げられていく。

そう、フライパンとは、現代日本に蘇った武士の魂なんだよ。

フライパンを育てるとはそういうこと。

つのフライパンじゃない、君の武士道さ。

2022-01-06

anond:20220106133847

からそれぞれの組織立場)が信じる倫理規範ってのはあったと思うんよね。

武士道とかさ。

潔く死ぬのが武士らしい=善いこと、みたいなさ。

その延長線上にあるのが「ダサい=悪」「カッコいい=善」なんじゃないの。

2021-12-03

善悪には、生まれ国家や家庭環境教育により人それぞれ違いがあって当然である

そして国には法があり、その縦分けの善悪とは別に個人の持つ善悪境界線がある。

今の中国韓国等は教育により、日本に対しての善悪は我々日本人には理解できないくら善悪境界線の差がある。

かつて軍艦島世界遺産認定ニュース韓国民の軍艦島アウシュビッツと例えたのには全日本国民は驚いた事であろう。

日本人も嘘はつくだろうが、ここまでの嘘を真顔で言ってくる外国人が居るわけだ。

最近は多くの外国人日本に入って来ているが、感じている方も多いと思いだろう。


個人個人においても同じ国に生まれ教育を受け住んでいて同一の法律を守って生きていても、更に細やかに部分での善悪差別がある。

一方はこれをしたら自身の心の神仏に申し訳ないと思う者と、そのくらい何でもないと思う者の差がある。

普段生活の中で、様々な小さい事から大きな事まである

モラルハザードとも呼ばれるものだが、人によっては関係無いと感じる事でも、すごく罪悪感や悪と決め付ける事柄があるだろうし、その時々のケースによっても差がある。


この集団ストーカー自殺強要組織的監視誘導殺人システムは、

まず最初に己達が犯罪を始めておき個人情報不正に入手しているにも関わらず、そのターゲット特性イチャモンを付けてくるやり方だ。


ターゲット特性人格に合わせて勝手に想定し犯罪予備軍と決め付けるのだ。

それは万引きの常習者、頭が可笑しい、酒に溺れやすい、ギャンブル依存症女性と見れば誰彼無く等、その程度の事は監視にも価しないし、監視している当人も同じ穴の狢と言えよう。

探偵浮気調査程度なら分かる辺もあるし、お金のある人はそう言う事をしたがるそうだ。


そして大きな仮想犯罪予備軍としてのレッテルに加え、日常のクセ等を善悪で捉え仮想犯罪者として、こじつけを行う。

ここがこの者達の汚いやり口で、被害者を悪と決めつける処から始める犯罪だ。

しかし己が、いの一番犯罪を犯している現実は隠している。


その犯罪とは、不法侵入住居侵入器物損壊泥棒窃盗のぞき通信傍受盗聴盗撮つきまとい尾行待ち伏せ悪戯電話悪戯FA

個人情報漏洩個人公文書不正入手薬物混入薬物投与プライバシー侵害肖像権侵害ハッキング遠隔操作通信妨害通行妨害車の幅寄せ

電磁波による暴力暴行輸送開封クラクションスピーカーによる音声の迷惑超音波音声送信これらの個人情報を利用し圧迫感を与えるあらゆる行為

同じく個人情報を利用し脅迫感を与えるあらゆる行為

これらの情報悪用仕事社会生活を出来なくする行為

これら全ての犯罪による人権侵害

これら全ての犯罪を以て自殺強要していく行為、これは殺人である

これら全てを時間を掛ける事により病気を誘発させる拷問行為


まだまだあるが大体この位の事はしている。


これを初めから周到に練られた計画によって組織的に行なって来た理由である


己の方がここまでの極悪犯罪をしつつ、被害者の行動を一々悪と決めつけて

間断なく上記犯罪を繰り返し24時間365日何年にもわたり犯罪者の如く扱って行く。


盗人猛々しいという言葉があるが、ストーカー犯罪者猛々しいも程がある!


絵に書いたような言葉では言い表せない程の卑怯者連中である

これは武士道の国日本の昔から犯罪価値観とも大きく異なる気がする。


この法律以外の善悪差別は、人の受け取り方一つであり、育った環境教育により差があり、

自分善悪正邪を人に押し付けられるものでもないが、どんな品行方正な方でも、無理やり犯罪者もしくは病気統合失調症に仕立てていくであろう。

ましてや100%の人間等いるはずも無いので、あらゆる隙間を突いてこの犯罪予備軍としての決めつけ行為をして来る。

それをも拒否無視を続けると、家族親族、友人等、ターゲット重要で大切な人達に類を及ぼすぞ、と言った脅しをかけてくる。

人質を取って、ターゲットを屈服させようと試みてくる。

「云う事を聞かぬと、お前の大切な人の命がないぞ」みたいな事だ。

こんなものもういったい何ですかと言いたい。


自分犯罪を犯し、人を勝手犯罪者に決めつけ、それを受け入れなければ、人質の命は無いぞ!

悪代官も程々にして欲しいものだ。


殺人罪が発覚し、逃げ果せなくなった犯人人質を取り立こもり、という籠城事件があるが、その部類の犯罪心理ではないか


さて、法律以外の善悪、秩序、モラルに関していちいち干渉し指摘し悪と決め付けて来るのだが、

ここに前提というもの必要であると考える、日本国のように自由主義の国に生まれ育った場合一定価値観ではなく多くの価値観がある。

ヨーロッパ等の自由主義の国々には日本とはまた違う多くの価値観存在する。

民主主義多数決の国とは言え多数の価値観が善ではなく、少数の価値観が悪では無い。正邪もおのずと同じである

それ故から我々自由主義の国においては、前提として色々の人様々な人がいて当たり前、と言う考えも必要であるし、居て当然なのだ

人生いろいろと言った総理大臣がいたが、だから面白いのではないだろうか?

被害者の方は一方的仮想犯罪者にされ、こじつけられる筋合いは無いのである


日本人のように小さい島国で育った人々は、まず対面を気にするし、大陸の国々とは違い、外へ外へと言うよりは内へ内へと考えがちで自虐的な方も多いはずだ。

この追い込み形の自殺強要殺人組織監視システムで本当に自殺させられた方が何人いるのか知らないが、そうなる理由は良く分かる。


また鬱病統合失調症引きこもり等も、こういう犯罪が無くても多いだが、何でも無い人まで、そこに至らしめる犯行と言わなければならない。


この犯行に耐え、自己バランスを保っている者が、それぞれ自分なりの活動を行っている事が分かりる。


逆ギレ被害者場合も、バランスを崩した結果である


絶対改めざる集スト犯の首謀者は資金力、法の不備、公権力を使い完全犯罪の如くやっているが、裏を返せば絶対バレてはマズイ犯罪なのだ

どんな事をしても隠さねばならないと言う事があるだろうし、既に何人もの方が被害者として知っている人も知らないまま殺された方もいるわけであるし、それを知っている者だ。

後戻りは出来ない、一人殺すも二人殺すも百人殺すも自殺させるも同じであるし決して悔い改める事の無い、出来ない者になっているのであろう。


この記事と前の記事を書いている時の加害の肌で感じるモノは、ズハリその通り、もうそれ以上ではないと言いたげな感覚を身に受ける。


毎々増田応援で駆けつけてくれる被害者がいる事を知っての、他エントリぬくぬく犯行を繰り返していた安心感が揺らいできたか


とうとうそこまで気づいたか!バレたかという意味合いが伝わる加害である


しかし後戻りの出来ぬ辛い立場のようで、今後も加害行為を続けるしかない(トホホ加害者)…

哀れな犯罪者、猛々しければ猛々しい程、本音を出している、言い訳をしている、自身に言い聞かせているのでは無いだろうか?

2021-11-14

羽生善治藤井聡太と、紡ぐ盤上の物語

藤井聡太氏が竜王位を獲得し、最年少四冠を達成した。

羽生善治氏が最年少四冠を達成した際「この記録は今後破られないだろう」と考えていた、私を含む多くの将棋ファンには時代の変遷を感じざるを得ない圧倒的な出来事である

このあまり出来事に、感動のような、動揺のような思いが溢れているため、ここに思いを記します。

私は30〜40年来の将棋ファンで、将棋好きが高じて一時期は詰将棋の本を出したり将棋に関する雑誌編集を行ったりしていました。

私が将棋に魅力を感じ始めた古い時代将棋は、武士道に似た雰囲気をまとっていました。将棋で生きていくことを決めた少年たちは先生弟子入りし、そこで修行します。修行先生による直接の将棋指南や、高弟による指南将棋研究会などです。しかし当時の「修行」にはこれ以上の意味があり、掃除炊事や規則正しい生活をして礼節を学び、人間としてより良い生活を送ることで次第に将棋も強くなっていく、という考えがありました。ある先生の元では将棋戦略ではなく駒の持ち方や打ち方を教えていました。ここで言う打ち方とは「どこに銀を打つか」といった意味ではなく、「駒を自分の指でどのように持つか、どのような姿勢で盤面に置くのか、どのように盤に置くと美しい音が出るか」などです。

今となっては「そんな馬鹿な」と思われるかもしれません。確かにその通りだと思いますしか事実として、当時は「それが将棋である」と受け入れられていましたし、我々将棋ファン将棋道には武士道のような美しさや儚さ重ねて見ていました。そういう時勢もありトッププロの対局には真剣勝負のような凄みを感じていました。対局でのタイトルを獲った獲られたというのは一つの側面でしかなく、「人生将棋に賭けた人同士の決戦」という神聖さを重ねていました。

やがて将棋界にコンピュータの手が伸びてきました。生き方としての将棋ではなく、ゲームとしての将棋世間にあふれるようになりました。この頃、私は「これで将棋ファンが増えるぞ」と思ったものです。そうして確かに将棋はより一般的になりました。しかコンピュータの成長は早く、あっという間に「人間を超える」と危惧されるようになったのです。そうなるとコンピュータ将棋歓迎ムードは薄れ、「人間より将棋が強いコンピュータなんてありえない、人間尊厳を脅かすな」という反コンピュータ将棋ムードにわかに盛り上がりました。コンピュータ将棋は、将棋道ではない。人間がその人生を賭して将棋一本で生きてこそ、強く儚く美しい盤上の物語が生まれるのではないか。そう思っていました。

臭い将棋ファン将棋道に夢見ていた頃、そして羽生善治氏が竜王位を獲得した頃。当時は日本国民全員が「最強は羽生善治」と意見が一致していました。そんな氏が「将棋は完全なボードゲームである」と発言したのです。これは衝撃でした!薄々感づいていたことをついに言ってのけたのです。図星を突かれたとはまさにこのことです。「何を当たり前のことを」と思う人がほとんどでしょう。しかしそれは、古い将棋から脱却し純粋将棋の強さのみを求める、新時代を作る言葉だったのです。当たり前だろうというファンが多数でしたが、中には「古き良き将棋時代は終わった」と落胆する将棋ファンもいました。

そして時代が経って2012年米長邦雄氏がコンピュータ将棋で破れました。とてもエポックメイキング出来事でした。いつかこの日が来ることはわかりきっていたにも関わらず、やはり衝撃でした。2017年AlphaGo が柯潔氏を破った時と同じような衝撃、と言えば最近の方にも伝わりやすいでしょうか。今となっては馬鹿げた考えですが、「人間が紡ぐ盤上の物語は、もう終わるのではないか」。そんな考えも頭を過りました

そこから更に時代が経ち、2021年将棋盤の底まで読んだ加藤一二三先生もいなくなりました。今の時代人間AIに勝てると思っている将棋ファンなど一切いないでしょう。将棋中継ではAIによる優勢判定が表示されることも、プロ計算力の高いコンピュータを導入することも、それからプロ将棋研究のために Python コードを書くことも、当たり前の時代です。コンピュータに負けて激変するかと思われた将棋界は、以前の美しさをほぼ保ったまま、コンピュータを駆使してより進化していました。「ほぼ」と書いたのは、本当にごくわずかながら、古い時代将棋を懐古するからです。将棋の強さの観点ではもちろん現代の方が良いに決まってますが、あの時代の、人生生き方名誉を賭けたような勝負をたまに懐かしく思ってしまうのです。

藤井聡太氏が十代でありながら竜王位を獲得しました。前人未到で誰にも破れないと思われた羽生善治氏の記録は、30年弱で破られました。藤井聡太氏の圧倒的な強さ、それはまさに新しい風のようで、将棋界が非常に盛り上がっていることをとても喜ばしく思います

藤井聡太氏はとあるインタビューで、「AIが発達する今、人間棋士存在意義は?」と質問を受けました。正直に言えば、私はこの質問は「意地悪な質問だな」と思いました。10年前じゃあるまいし、今さらAIと対局したところで、どうにもならないじゃないか将棋界はAI共存してより良い形になっているではないか、と。前述の通り、コンピュータの猛烈な強さにはほんの一抹の寂しさを覚えていた私ですが、きっとそんな古臭い価値観を持っているはた迷惑ファンなどもう少ないでしょう。

しばし沈黙の後、藤井聡太氏はこう答えました。

今の時代においても、将棋界の盤上の物語は不変だと思います。その価値自分自身、伝えられればと思っています


これを聞いて、私はずっと追い求めていた答えをついに知ったような、そんな気持ちになりました。一瞬思考が停止しました。そして体の芯から熱のようなものがふつふつと湧き上がり、涙が溢れてきました。ああ、将棋ファンで良かった。何十年も将棋ファンで良かった。私の人生将棋があって本当に良かった。腹の底からそう思いました。

勝敗をつけるだけならジャンケンでいい」と言った羽生善治氏の言葉があります。これは勝敗だけでなく、人間が打った棋譜にも価値があると言っているのだと解釈しています棋譜、それはつまり盤上の物語のものです。私が夢中になった「将棋道」の頃の将棋ゲームになった将棋AI共存した将棋。それらすべて、棋士の背景や時代も含めて、打たれた将棋価値は変わらない。あの5二銀打が今後も語り継がれていくように、私が愛した対局はこれからもずっと愛していく。少々大げさな表現かも知れませんが、自分人生肯定されたような、納得がいったような、自分の心の暗い部分に温かな光が照らされたような、そんな言葉でした。

話が長くなってしまいました。古臭い将棋ファン戯言として聞いて頂けたら幸いです。

改めて、藤井聡太さん、竜王位獲得おめでとうございます

追記

https://anond.hatelabo.jp/20211116114350

2021-09-05

増田大臣です。武士道になぞらえた増田道と書かれた

パンティーを作りました

コロナ対策のため、このパンティーを一家に二枚ずつ配布致しま

2021-07-30

薩摩に住んでいた時、チンコのついてない身体だと不浄だとみなされた

薩摩に住んでいた時、チンコ男性器)のないわたしの裸体は、非文化的、すなわち不浄なからだと見做された。

男性性は、高貴さや、名誉、そしてなによりも文化的存在であることを表す。

これは薩長武士社会における「武士道」に相当するもので、ゆえにチンコの無い身体は、猥褻でもあった。

2021-05-17

anond:20210517193458

騎士道に対する武士道のように

我々も欧米のような物語を持つ欧米の仲間になれる国ですよ

そうアピールするために明治時代になってから作られた童話桃太郎浦島太郎

2021-05-01

「和」とか「武士道」とか

そういうのって基本的に寺神社周辺にしか残ってないよね

2021-04-21

世の中はクソです

それは君が世の中を作った訳ではないからです

そして、君が世の中を作ったとしてもやっぱり君は世の中に納得出来なくてクソと呼ぶのです

神が作ったとしても神の作った世の中は完璧とはいえないし、完璧であるかどうかを矮小人間風情が理解できるはずもないので、やはり矮小人間超人たる神が作り出した世の中というものをクソだと認定するのです。

例えそこに無宗教だという愚か者が入ってきたとしてもです、それが先頭を走っていようと最終的にもっと傍若無人存在チンパンジータイプライターシェイクスピアの作劇を描くような確率で世の中をまともらしくしたらしめても

やはり、世の中はクソと思うものなのです

 

大体、クソというものを下に置きすぎなのです

クソは生物として革命的なものであるのに

人間はなまじコンクリートや鉄を使いこなせた他人がいたばかりにクソとかいものが不潔で不要ものだと断じてしまうのです

ですが、クソというのは人間必要ものです。生物必要ものです。

肥料もなければ野菜は育たず、異臭がしたりクソの形がわからなければ体調の良し悪しもわかりはしないのです。

そして、仮にクソとかいものがなくなっても、我々は目ヤニや耳垢、身体から出る垢、瘡蓋に至るまで不要存在だと認定するのです。

血を封じていたりするから瘡蓋はまだ有用性を認識やすいのですが、垢に至ってはその新陳代謝が産んでいるもの理解できなければ体から出てくるベタつき、または粉です。

その点、クソというのは捻り出すもので、その苦労の結果出てくるのがあの現代社会での利用価値汚染しか無いと思わしき異臭を伴った粘着性の物体です。

それ故にクソというもの不要もの、目の上のタンコブ、障害侮蔑表現として嗜まれているのです

ですが、そうして世の中に対してクソだと言っているとするなら

やっぱり世の中はクソだという言葉は正確ではあるのです

神が齎したもうた異臭を伴う粘着性の汚染物質は、その観点を変えれば利用価値のあるものなのだから

から、世の中はクソなのです。

そう、世の中というクソはある観測者にとってはとても利用価値のある存在で、もう一方の観測者にとっては現状で手に余る有害存在なのです。

そうして考えてみるなら、世の中というもの自体は多数の観測者によって成り立ってるものから、それがクソで無益ものになったり、それがクソで植えた野菜栄養となったり、それがクソでイカれた武士の傷を塞ぐ存在となることもあるのです。

そうして世の中がクソだと気付けた人はイカれた武士プレイヤー達が自分達のポジティブライフにクソを塗りたくってる様子を見て発狂するのです

俺はこんなクソを塗りたくるような真似はしないぜ!と言いながら目の前に置かれたクソを前に罵詈雑言を述べることしか出来ないのです

そうしてクソに対して猛弁を奮って唾を飛ばすことでクソを臭くて冷えたビチャビチャにさせるのです

 

クソを目の前にしてクソだクソだと言うだけで一生を終えるのです。

 

私はなるべくのこと、このクソを肥料にするか、メタンガスが誘爆を引き起こすまでになんとか利用するかを考えてはいるのですが

まぁ最近では自分のケツに付いたクソを拭くことすらままならなかったりするので、トイレットペーパーに付いたロールシャッハテストを眺めながら

えんがちょと呟くのでした

2021-04-10

北支事變と陸戦法規

外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56

北支事變と陸戦法規

篠田治策

 明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府公文にも新聞紙報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵上海出兵満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである

 此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより

<四七>

宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である二十三日は我が陸軍部隊上海附近上陸を開始した日である。即ちハル長官現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府最初宣言したる事件不拡大の方針余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである

 我が國の國内法に於いては事變と戦争区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。

 即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人

<四八>

対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場於いて事變と戦争区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反問題を生ずることは殆んど無いのである

 従来我が陸軍戦場於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者従軍せしめたのである日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。

東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法理想於いて欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般利益として祝す可き所なり。

又仏國の國際法学者ポールフォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。

此の戦役に於いて日本は敵の万國公法無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま

<四九>

ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用苦痛を醸すべき兵器使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。

日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別任務を以て米國派遣せられた法学博士男爵金子太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。

米國人は事實の真相調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用参謀部に於いて國際法専攻の学士協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法提唱日本政府の決心は露國は大國なり腕力於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す

<五〇>

る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争日本が國際法を破りしことあらば世界歴史汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エールハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。

 世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつ組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面事務従事したるも、亦國際公法適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)

 過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである

 唯だ、陸戦法規適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土性質である。假りに之れを中華民國

<五一>

領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力行使すべきか、又南京政府官吏は既に逃亡し、地方民衆自ら自治政権樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である

 宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合於いて北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政施行治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府領土となりし場合には、其の地域行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである

 日露戦役の際は戦闘地域性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍権力行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域活動したるも、其の権力講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。

 今回の北支事變に於いても、其の交戦地域領土性質曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参

<五二>

考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。

 従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後政治工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官禁止事項の外は自由裁量余地あるかは明かである

 陸戦法規の條項を北支事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである

 凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊安全作戦動作の便益を図るが為めに、無限権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊安全作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の

<五三>

軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限権力を以て此等の犯罪者厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部特に詳細なる規定を發布し、旅順海軍鎮守府別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。

 軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるもの死刑に處すると原則とすべきである

一、間諜を為し及び之れを幇助したる者

二、通信交通機關を破壊したる者

三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者

四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者

<五四>

五、我が軍軍人故意に迷導したる者

六、一定軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)

七、軍隊飲料水を汚毒し、又軍用井戸水道破壊したる者

八、我が軍軍馬殺傷したる者

九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者

十、職場於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者

十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又横領したる者

 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである

 帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支侵略して我が領土なすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民自治政権樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方一時的にもせよ事實上我軍の占領である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり永久に之れを占領するの意思無きが故に此

<五五>

占領は九國條約に牴觸するものに非ずと信ずる。

 我軍が一時的なりとも北支地方占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41

2021-04-07

小泉純一郎って馬鹿に支持されたとか言うが

発言自体はまともだったね

変に貴族ぶらずに誰にでも伝わる言葉を使ってた

高学歴ぶらず武士道ごっこもせず世の流行にもある程度詳しそうだった

政策思想はともかく何故このレベルが安定して出てこないのか不思議である

バイデントランプオバマも最低限の市民目線は持ってるだろうに

2021-02-21

早く殺人ロボットを開発してほしい

現代人は殺されたい、終わらせてもらいたい欲求に飢えている。別に大勢からボコボコにされる必要は無い。ただ、たった一人によって闘いの末に大往生を遂げたいんだ。更に人間は低スペも高スペも等しく心に獣を飼っている。だが、低スペはその破壊衝動をかなえる術がないんだぜ。街に壊していいものはない。野生動物は人と闘わないから、自分と付き合ってくれるのは幻影ばかり。修練しても虚しいだけ。だからこそ、殺人ロボットを開発すべきだ。破壊衝動希死念慮を満たし、孤独から人を解放してくれる。でも、そこには多くの課題がある。でも、人類幸福のために解決すべきだと思う。

俺が思いつく課題は以下の通り

人間に損傷を与えることが可能なほど強く在る必要がある

  ロボット兵器などが実物の人間に近づくほど戦闘力高まる傾向にある。でも、ある程度近づくと戦闘力がグンと下がる。この現象を武神の谷現象と呼ぶ。そこを解決し、本物に肉薄できるようにすることが大切だ。更に肌触り、体温、匂いなども実物に近づけないと行けない。

機械が"獣"を持てるのか

  俺は感情を持った機械を知らない。ただ、こちらの言うことに反応して闘らせてくれるだけのロボットじゃ破壊欲求は満たせても、希死念慮は満たせない。だからこそ、外見だけでなく精神面も人間に近づけ、獣、あの恐ろしき獰猛さを理解できるロボットを開発すべきだ

・無条件で武人破壊する様に設計されたロボットに殺されてうれしいのか

  そんなのどんな音痴でも満点を出してくれるカラオケマシーンと同じだという意見があるかも知れない。正直、これは難しい問題だし、俺もどう解決すべきか見当もつかない。でも、それでも殺されないよりはマシだと思う。

機械戦闘高揚を抱けるのか

  人間生物と無生物区別し、前者を壊すことに歓喜をおぼえる傾向があるという。この心理バイオクラッシャーと呼ぶ。だからこそ、人は獅子を狩ったり、食人植物を食らうのだ。最初から生物と分かっている機械にあの高揚を抱けるのだろうか。これも難しい問題だ。俺も解決方法が分からないので優秀な増田意見を聞きたい。

・そんなことしたら人間なんて必要なくなる

  そもそも人間がこの世に必要だという保証がどこにあるのか。人間所詮偶発的に発生したに過ぎない。だからこそ、不条理に苦しめられるのだ。そんな苦しみを和らげるためにロボット必要だ。機械に滅ぼされてしまうならそれもありじゃないか。苦しみながら存続するよりもいい。

 殺人ロボットが開発されたら、現実人間じゃ満たせない性癖も満たせるようになるぜ。全身の骨を折られたいとか、奇襲したいとか一般じゃ忌避される欲求だって満たしてくれる。理想武人と殺し合うことも出来る。俺がもし殺人ロボット発注するとしたら、身長1800cm、手足が長く、皮膚は合金製、拳が大きくて、腕の太くて、体運びのいいロボットオーダーメイドで作ってもらおう。全員ではないにしろ現実武人は汚い。あいつら裏でネチネチ陰口言うし、暗器WMD、ガスを平気で使うし、武士道思考出来ないし、死体家具にするんだぜ。殺人ロボットはそんなこと絶対にしないから、もし殺し合ったらやめられないはずだ。破壊や死に飢えてるみんな、殺人ロボットが開発されたら人生バラ色に変わるはずだ

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