はてなキーワード: 極東ブログとは
http://anond.hatelabo.jp/20121204232641 爺さん曰く↓
フランスでは中絶費用が無料。15歳から18歳へのピル配布も無料。: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/11/1518-b836.html
日本だと、まぁ↓という考えなんかな。
未成年者の性交渉にはネガティブな意見が支配的になってるような。。。
個人的に、こういった動きになるのは日本のフェミニストの高齢化が原因だと思う。
もう既に「若い女性の性」を自分の事として想像できなくなってるんじゃないかなぁ、と。
ただ日本独自のフェミニズム、というものがあっていいと思う。 「結果的に未成年女性の処女率がアップ」みたいな未来も面白いし。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/06/post-7a96.html
偶然はてなブックマークの上の方にあがっていた極東ブログの記事を読んでうんざりしたので、思うところを書いておきたい。とは言え、finalvent氏の議論それ自体を批判するつもりはない。その裏側にある、「不景気の主因を日銀に帰さないと気が済まない人たち」の困った思考パターンに対して一言もの申したいのである。
氏のちょっと出来の悪い陰謀論については措いておこう。気になるのは、というより、前から気になっていたのは、日銀を非難する人たちは何故こうも自分の意見の正しさに確信を持てるのだろうかということだ。自分たちの意見の方が間違っている可能性を慎重に考慮した議論をついぞしばらく見たことがない。現状の日本で金融政策が有効である、インフレターゲットを採用すれば期待インフレ率は上がる、量的緩和すべきだ、等々、自信満々でまくし立てておられる。たまに反論があってもまるで聞く耳を持たないご様子だ。
しかし、当の経済学界においては、これらの意見はどれもコンセンサスとは言えない。どちらかというと、2000年代半ば以降「ゼロ金利下での金融政策の有効性」についてはあまり目新しい論考が出ていないというのが現実と言って良いのではないか。「不景気から脱却した後も利上げをせず、過剰なインフレを放置することを約束すれば、ゼロ金利下でも中銀は影響力を行使できる」というKrugman他の議論は、「でもその約束を信じる理由がないじゃん」という十年来のツッコミに対して依然として回答できていない。この議論が死に絶えたわけではないが、最近の議論ではこの「約束」を信じてもらえない(=金融政策が機能しない)可能性にあらかじめ言及する論文が多いように思う(Mankiw and Weinzierl (2011)など)。
一方で、財政政策の研究は急速に進んでいる (ゼロ金利下では財政乗数が大きくなるとしたChristiano et al (2011)やWoodford (2010)などが代表的だろうか)。これは、むしろ復活したという表現の方が正しいのかも知れない。いわゆるDSGEマクロモデルでは財政政策の効果は無きに等しくなるので、マクロ経済学者の間では「景気対策は金融政策で行うべき、即ち、中銀が責任を取るべき」、という理解が一般的になった。いわゆる「リフレ派」とかその界隈の人たちが日銀をやたらと非難したがるのも、元々はこの理解を出発点としている(はずである)。だが、ゼロ金利下では、この常識それ自体が成立しないらしいことが少しずつ分かってきたのである。
この「常識の通用しない世界」では、色々なことが起こりうる。「ゼロ金利下では減税が景気を悪化させうる」としたEggertsson (2009)の論文もそうだし、逆に「消費税増税でデフレから脱却できる」と論じた論文もある。今年のアメリカ経済学会で話題になったCorreia et al (2011)の論文がそれだ。結論は、「ゼロ金利の下では金融政策は有効ではなく、むしろ消費税を緩やかに増税していく(同時に裏で所得税を減税する)ことで利下げと同等の効果が得られる」というものだ。大雑把に言えば、消費税増税でも物価は上がるわけで、これがインフレ(=実質金利低下)と同じ効果をもたらすという理屈になる。ちなみに、所得税減税を伴わず、消費税増税単体で景気回復が可能とする論文をWren-Lewis (2000)が10年も前に書いている。彼のブログに簡単な解説があったので、興味のある人は読んでみると良いだろう。
http://mainlymacro.blogspot.co.uk/2012/04/more-on-tax-increases-versus-spending.html
ちなみに、アメリカ経済学会ではこれ以外にもゼロ金利関連で面白い論文が発表されていたのだが、The Economistの以下の記事が良い要約になっているのでそちらを参照してもらいたい。金融政策に対して学界が悲観的になりつつあることも、これを読めば概ね理解できるだろう。書き手は金融政策の有効性を信じる人らしく、金融政策はもう無効だという考えを少し批判的に書いている記事なので、自分に都合の良い記事しか読みたくない類の人も気持ちよく読めるのではないかと思う。
http://www.economist.com/blogs/freeexchange/2012/01/monetary-policy
さて、ここまで読んでなお「日銀は議論の余地なくワルモノ」と思えるものだろうか。日銀改革が景気対策の最優先課題と断言できるのだろうか。別にリフレの信仰を捨てて日銀を真の神として崇めなさいと言いたいのではない。世の中には正誤定かならぬ「よく分からない」ことが山ほどあるのであって、この金融政策をめぐる議論もそのひとつだと理解してもらいたいだけのことだ。
知識の足りない人ほど目の前の景色が世界の全てだと思い込む。その景色を共有しない人を見下したがる。知識が足りないことが悪いのではない。自分だって景気対策は門外漢で、趣味で気が向いたときに論文を追っているに過ぎない。大切なのは、自分は世の中をろくに理解できていないということを理解した上でモノを語ることだと思う。
Twitterでの議論を見ていると、知識の足りない人同士が互いの誤解を肯定しあって自信を漲らせていく過程をたまに見かける。なんだか、毒虫が相食んで更に自らの毒を強める蟲毒の壺を覗き込んでいるような気分になったのを今でも覚えている。たまには壺から出て外の空気も吸おうよ。
Christiano, Eichenbaum, and Rebelo (2011) “When is the Government Spending Multiplier Large?”, Journal of Political Economy.
Correia, Farhi, Nicolini and Teles (2011), “Unconventional fiscal policy at the zero bound”, mimeo.
Eggertsson (2009), “What fiscal policy is effective at zero interest rates?”, FRBNY Staff Paper.
Mankiw and Weinzierl (2011), “An exploration of optimal stabilization policy”, Brookings Papers of Economic Activity.
Wren-Lewis (2000), “The limits to discretionary fiscal stabilization policy”, Oxford Rev of Economic Policy.
Woodford, (2010), “Simple analytics of the government spending multiplier”, mimeo.
2010だけトップにない。あと知らんの多すぎ。
「代わりに」は言い過ぎたかな?
TV欄を残してもいいですが、それに追加して、
「昨日の『ちきりんの日記』のダイジェストはこんな内容でした」とか
「昨日の『極東ブログ』のダイジェストはこんな内容でした」とか
「昨日の『NATROMの日記』のダイジェストはこんな内容でした」のような紹介記事を
テレビ欄と同じ大きさで紹介してくれたら、結構人気を博するのでないか?
まあ「はてなブックマーク」のホットエントリを見ればいいのかもしれないが、
ホットエントリを見逃す、ということもありえるし、ブクマ数は多くないが
新聞記者が見ても「これは注目すべきだ」というエントリがあれば、適宜それを紹介する
コーナーがあってもいい。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/01/31516-4ce7.html
の、2人目のコメントより。
行政刷新会議なんて何の意味も無いパフォーマンスだったんだから無くなっていいんでないですか?
この局面で緊縮財政をやりたがるバカ(by小沢一郎)なんて辞めてもらった方が良いんですよ。
ちゃんちゃら可笑しい。
そんなことを言うやつは蹴っ飛ばして良い。
そんなことより格差是正。金持ち増税、大企業増税、大型公共工事、社会保障増大、防衛費増大、教育科学費大増大。公務員数も増やして良いし、給料だってあげた方が良い。
外貨積み立てを切り崩して良いし、なんなら年金積み立てを切り崩しても構わない。
今の日本なら歳入に占める国債の比率が50%を超えても何にも困らない。金利の上昇も無い。
単純にバラまいた分、国民所得が増える。
良いことしか起こらない。
GDPが増大すれば何の問題もない。
消費税増大が必要だ?
ちゃんちゃらおかしい。
そんな間の抜けたことを言う奴は蹴っ飛ばして海に捨てて良い。
それでも不安なら歳入不足分を硬貨の増鋳で支払えば良い。
日本の生産力は過剰だし可変だから(新自由主義者はこの国から失せろ!)通貨を需要が増えれば増えるほど実生産もそれに比例する。
現状ならインフレなんか起きない。
クルーグマンも真っ青だ。すげえ。
竹中やそのお友達も東京湾のヘドロに埋めてしまえ。
投稿: 田舎から | 2010.01.07 22:59
なんていうか、すげぇ。
別に最終弁当の信者でもなんでもないんだけど、社会派ブログとやらを書く人間って大変だなぁと思った。
それはちょっとしょうがないかな、とも思いますね。
極東ブログみたいなのでも日に2万はアクセスあるらしいですし、読んでくれる人が読んでくれればいいかなと。
もっと一般に啓蒙したいならばもう少しゆるくすればいいんじゃないですかね。chikirinブログ的な。
さらに下の、ケータイ小説ぐらいしか読めない人種の場合は、これはもう自分には手に負えないですね。
こういう話題をとりあげた時点でATフィールド全開になっちゃうんで、
文字の大きさとか形式とかでどうにかなるレベルじゃない。
となると、やっぱり、公教育って大事だなぁと思う次第であります。
マスクについてちょっと調べてみたよ。
■正しいマスクの使い方: 咳やくしゃみの人にそれを譲ってあげること: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/05/post-be2c.html
■「マスク」 新型インフルエンザで需要急増 予防効果なし!?「過剰防衛」 (1/3ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090521/bdy0905210805006-n1.htm
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090520/195272/?P=1
■「新型インフル対策は間違いだらけ?“究極治療法”とは…」:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/256326/
大騒ぎしすぎって事が分かってきたのかな?
初増田
笑いって難しい。
言葉の取捨選択、
場の雰囲気、
誰が言うのか、
誰に言うのか…。
皮肉は特にムズイ気がする。
(自分の頭の悪さに起因する面も多いんだけど、そこは棚に上げて)
少し、頭よさげな笑いだからかな。
誰が誰に言うのかはでかいな。
テレビで大橋巨泉が出てくるとチャンネル変えたくなる、みたいな。
ただし、皮肉を言ってるんだけど、皮肉になっていないという、馬鹿にした笑い。
困ったのはサヨ系の皮肉。
意見、批判じたいはたいてい納得できるんだけど、
皮肉が下手な面白くない人が書いているとイラッとする。
そういう書き方しかできないのかな。
オモローない人って、だいたい、ブコメしか書かない人が多い気がする。
追記
mangakoji 『皮肉が下手な面白くない人が書いているとイラッとする。』つまり、あなたに対する皮肉が成功してる。ということですね。わかります
結構、好きな皮肉かも。
knnn4321r ネタ, はてな 確かに、皮肉って相手によって受け取られ方が違うので難しいと思う。リo´ゥ`リ<極東ブログが楽しみ☆カナ?
あまり、極東ブログは好きくないです。
chnpk これ批判じゃなくてただの感想だよな。
ほんとだ。
bunoum 増田 よく知られた誰かが文体からの特定を避けるためにわざと拙い文章で書いているように見える
味わい深い皮肉だな、好きだな。
shidho 増田, はてな, bookmark, communication 正直誰のどのブコメが皮肉なのか自分にはさっぱりわからないので、面白くない皮肉があるわかる増田はとても読解力のある人だと思う。
嫌いじゃないな、この皮肉。
jt_noSke "オモローない人って、だいたい、ブコメしか書かない人が多い気がする。" おもろいダジャレコメントしか書いていない僕の存在を忘れてもらっては困る
この人好きくない。ダジャレは嫌いじゃないけど、この人のはかなり不快にさせる。
nanahusi 馬刺し食え。頭よくなるらしいぞ。あと鹿の肉も。
あまりおもしろいとはおもえないけど、イラッとはしない。
angmar 皮肉って、それと気づかなければそのまま素直に受け取ってしまうものだと思うんです。だから、面白い皮肉に気づいていない増田さんは、心がひねくれていないとても純粋で素直な人なんじゃないかな、そんな気がします
daihx Webネタ ブックマークのコメントに対して(他人が)読むべき内容を要求するってのも不思議な感じ//ブクマコメントでよっぽどのなにか触れられたんだろうか
確かに、不思議だねえ。"ブクマコメントでよっぽどのなにか触れられたんだろうか"←それはないです。
gnt 皮肉屋ジョニー, 釣り?, DIS, ってんのかメーン?, クリリンのことかー! それはお前の感情なんだからお前の名前で言わないと意味無いよなヘタレチンカス野郎(皮肉禁止らしいので下ネタで
優しい皮肉。おおー、確かに。ご指摘ありがとう。ただ、チンカスはついてないです。
y_arim 増田でしか書かないお前(お前のことなんぞ知らんからいくらでも邪推できる)よりナンボかマシだと思うが。トイレ篭ってぼそぼそ呟いてねえで出てこいや、紙はねえぞそこ。
これは最上級の皮肉と読み取れば、一番の出来だと思う。あふれる優しさなら、存在そのものが皮肉です。スバラスィー。
結局、イラッとする皮肉屋さんは来なかったみたい
http://b.hatena.ne.jp/entrylistで
javascript:alert(document.getElementsByTagName("strong").length)
とかやると25とかなわけ。半分はブックマーク数が5から10の間なわけ。そんなもん。
はてなダイアリーとかもそんなもん。
これが、みんな大好きITmdiaだと31とかなわけ。
GIGAZINEは35、IDEA*IDEAは39とかになるわけ。
じゃあ、われらがはてな匿名ダイアリーは?というと43とかいうわけ。
馬鹿なの?死ぬの?
[追記]
アホだ。アホすぎる。
【東京=岡田有花】日本のアルファブロガーを探せ2004でベストイレブンに格付けされ、はてなブックマークでもしばしばホットエントリーとなる論壇系ブログ「極東ブログ」「finalventの日記」の管理人が突然「肉体的にやっていけない」とベストイレブンを返上し、近くブログを閉鎖する方針を明らかにした。関係者に衝撃を与えている。
石垣良樹氏(51)。9日付ITmedia配信記事によると、8日にアジャイルメディア・ネットワーク社を訪れ、アルファブロガー運営委員会の徳力基彦氏にベストイレブン返上を告げた。「もはや毎日朝と昼、エントリーを書けない。肉体的についていけない」と説明。徳力氏は驚きながらも受け入れたという。
ブログは12月15日に閉鎖。今後は、はてな村の外に開いてきた気軽なマイクロブログ(短いテキストの簡易型ブログ)の運営に力を入れるが、無断リンク・無断ブクマは望まないという。
テレビに出たり世界の記事の翻訳だけしたりする他の有名ブロガーと異なり、石垣氏は一貫して原点にとどまって地道に意見を書き続けた。その真摯(しんし)な姿がかえって共感を呼び、近年は日本のブロゴスフィア中からアクセスが殺到。有名ブログや雑誌でも取り上げられ、うすらバカどもにも人気のブログとなっていた。
最近finalventさんにたいして追求でもあるのか、ブログでコメント欄承認を発表してます。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_efdf.html
それと関係あるのかないのかfinalventさんの本名と称する怪情報がでまわっています。
どこから流れたのかと思ったら、切込隊長のブログがきっかけのようです。
(他にもきっかけがあるようだったら補足しといてね)
意味不明な爺という言葉がいっぱいでてきますが、実はfinalventさんは、
親しいブログ仲間から爺と呼ばれることが多いそうです。
だいたい物事が流動的な状況から収束に向かい、誰もが関心を払わなくなるころ、決まって登場する爺がいて、突発的な事件でも何がしかの教訓にまとめてしまうわけである。爺はまとめるために議論に参加するため、流動的な状況でははっきりと指し示さず、抽象的なことをいい、あとになって「ああ。爺は読み解いておったのだな」と思い返す人々があるものらしい。
切込隊長のブログでは意味不明な単語がでてきたあとには、コメント欄でそれを解説する人が匿名で出てくることが多いのですが、
コメント欄には、そのものずばりなことを指摘するなぜか妙に詳しい人たちがやはりいました。
佐藤って誰?
Posted by: | 2007.04.03 at 05:31
どう見てもfinalvent氏です。
Posted by: | 2007.04.03 at 08:15
「佐藤信正って誰?」
「それはね、モニョモニョ」
隊長も意地が悪い。
Posted by: | 2007.04.03 at 10:48
隊長の意味深なエントリーとそれをきっかけにしたコメント欄の匿名さんが本名と称する情報を流したようです。
本文とコメント欄をセットでみると、わかるようです。
finalventさんはいったいどんなネットイナゴに個人情報らしきものをばらされたのでしょうか。
ところで、ついでにみつけたんですが
finalventさんは、もともと沖縄にかんしてはいろいろ発言を極東ブログでも書いてますが、
英語版でも書いてたんですね。
http://www.well.com/user/nobumasa/(沖縄は日本の一部ではない)
僕は、finalvent氏が運営管理する極東ブログの愛読者だったが、もう購読をやめにした。以下に理由を書きたいと思う。
極東ブログが、管理者(finalvent氏)が承認したコメントのみ表示されるシステムに移行された。極東ブログはアルファブロガーで、アクセスPVも多いと思う。書いてある記事も幅広く、料理レシピから書評までカバーしている。しかし中心は政治関連の記事である。そしてそれらの記事のコメントは、氏に対する反感を露骨に表すコメントが投稿される。
僕は、読者でありながら不快な思いを感じるコメントもあったが、管理運営者のfinalvent氏はもっと不快な思いをされていたと思う。しかし氏の運営の姿勢とブロガーとしての人徳から、コメントスクラムの炎上には至っていなかった。
すでに、池田信夫氏の運営管理するブログは、現在の極東ブログと同じシステムである。池田氏は過去にコメントスクラムによる炎上を経験されている。だから、コメントスクラムの恐ろしさを体験したから、承認後にコメントが表示されるシステムに移行する決断をされたのだろう。
finalvent氏と池田氏の違いはほかにもある。池田氏は実名と所属を明らかにしてブログを運営されている。従って、所属する大学関係者が、氏のブログのコメントスクラムを目にすることもある。所属と実名を明らかにしていることで、仕事とかで不利益をこうむることもあるだろう。
しかし、極東ブログを管理運営するfinalvent氏は匿名のブロガーだ。実名と匿名のリスクを考えるならば、実名にリスクがあることが明らかだ。匿名のブログがコメントスクラムで炎上しても、リスクは限定されている。
匿名というリスクの少なさにあるfinalvent氏が、実名の池田氏と同様の管理運営をするのに違和感を感じる。また実名のリスクを背負ってコメント管理を行わない小飼弾氏もいる。finalvent氏は小飼弾氏もコメント管理をすべきだと主張しているが、それは炎上を恐れる自分と同じ立場に小飼氏を呼び込もうとしているようにうがって思う。finalvent氏は実名のブロガーとして、今回のシステムに移行すべきだった。
近日中に閉鎖致します。 - ロリコンファル
http://d.hatena.ne.jp/kagami/20080604#p1
その独特の語り口のエロゲーレビューで多くのファンを獲得してきたid:kagami氏が、この度ブログを閉鎖した。鹿島つばさ氏とのトラブルが原因と見られているが、リアルワールドでの体調不良、精神的不安定も閉鎖の一因ではとの見方もある。そこまで熱心に見ていたのではないのだが、同い年という親近感も手伝ってそれなりに拝見させてもらっていたので、閉鎖は残念だ。鹿島氏も自分が閉鎖に追い込んだようで気分が悪いだろう。揉め事はタフな者同士でないと成立せず、後味が悪くなってしまう。
id:finalvent氏が極東ブログのコメントを承認制にしたり、発狂小町が閉鎖に追い込まれたりと、ブログの在り方を考えさせる出来事が立て続けに起こっている。ブログを始めるユーザー数も頭打ちになっているというし、ブログは爛熟期に入ってしまったのかもしれない。
今日と昨日、まだ極東ブログを見てなかったので、タイトルがまさかな感じで釣りかと思ったけれど、読んでみて納得。というか、昨日読んでたら、流れ的に分かってたかもしれない。
昔のネットはコメント欄を削除しないことが漢(←これはおかしいか?)?みたいなところがあったけれど、時代はとっくに変わっていた。
ここからはお手紙。
でも、私はブログの物好きがいつか日本の社会を変えるだろうと、0・2%くらい信じています。そしてその連鎖がうまく彼女のようなかたに届いた可能性が0・002%くらいあったかもしれないなと思うと、マジ泣けました。
色々うまく言えないけれど、あなたみたいな人がいてよかった。そして、ネットに影響力を持っている人の中に、あなたがいてよかった。
前にここでfinalventさんのことを書いた時もいいところをうまく言えなかったし、しかも以前に「週末にfinalventのいいとこを書きまくりたい」とかここに書いておきながら、結局うまく書けなくてやめてしまっていて、finalventさんのいいところをきちんとした形で書くには、自分はまだ力不足なのが分かっています。そして、あの折は約束が守れずすみませんでした。
でも、極東ブログ当初からの読者で、普段なら興味を持たないことを色々と学ばせてもらったり、たくさんの視点をもらったり、何となく感覚的に小話(?)が理解できた気がして心に残ったり、何となく感覚的にギャグ(finalventさんの場合、ブラックギャグか?)を楽しんだり。そして、何よりもあなたの繊細なまっすぐさと人柄に勇気付けられたり。そんな読者もいるってことは、知ってもらえると嬉しいです。
[上層ノンマニュアル][階級][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
Amazon.co.jp: 学歴分断社会 (ちくま新書): 吉川 徹: 本
Amazon.co.jp: 学歴無用論 (朝日文庫): 盛田 昭夫: 本
私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、扱いが変わる
極東ブログ: [書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/07/40_f9f8.html
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
[フィンランド教育][ゆとり教育][詰め込み教育][つめこみ教育]
[時間とは出来事である][機会費用][権内][権外]英語・会計・IT
Amazon.co.jp: 学歴ロンダリング (光文社ペーパーバックスBusiness): 神前悠太, 新開 進一, 唯乃 博: 本
東京六大学(慶應義塾大学、東京大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学)
MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)
大東亜帝国(大東文化大学、東海大学、亜細亜大学、帝京大学、国士舘大学・國學院大學)
大学難易ランク一覧(2009度用大学ランキング 代々木ゼミナール)
「WKMARCH」「日東専駒」「大東亜帝国」から「学ぶ力は生きる力、生きる力は学ぶ力」へ 代田恭之氏
Amazon.co.jp: 下流大学が日本を滅ぼす! (ベスト新書): 三浦 展: 本
1年生の算数の時間に、先生が「2-1は1、では1-2は?」というので「-1」と答えたら不正解にされた。
「パパが教えてくれたもん」
秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
MELANCHOLIDEA -メランコリデア-: 善意に食い殺される
極東ブログ: [書評]あなたの職場のイヤな奴(ロバート・I・サットン)
http://www.dan.co.jp/~dankogai/ldr-hbc/ より
批判すべきはたいてい自分な件。それか運命か定めとして諦めるべきこと。
うん。それが仏教の本質じゃないかな。
と極東ブログ: チベット的癒しの話を読んでさっき思ってたことだ。何か悲惨があったとき(それがありふれた病や死でも、当人と家族にとっては悲惨だ)、その原因を特定し排除しようとするのが現代的・科学的な−−ひいては全てを第一原因に求めるキリスト教的な?−−考え方だ。そのためにデモをするし、虐殺をするし、抗生物質を作り出す。
ここでジョークをひとつ
筋金入りの無神論者は言った
「これまでの信念を曲げて、神を信じたくなるときがたまにある。
自分ではどうしようもない不幸が我が身に襲いかかってきたときだ
でも仏教はそうじゃない。降りかかる悲惨/幸福の原因を、『因果』『業』というイマジナリーナンバーに求める。そして諦める。あるいは供養する。それはパッと見はすごく後ろ向きでダウナーで怠け者の考え方だけど、共同体というマスで見たとき、あるいは時間軸に重ねて人生という単位で見たとき、有効な場合もあるんじゃないだろうか。とか“全てに原因を見出せる病”こと陰謀論の人たちを見て思うこともある。うん、「陰謀論」こそが「科学的思考」のヒルコだよね。
って一方で
誰もがそう考えてるなら、チベット問題なんかあっという間に解決だな。
もまたある意味正しい。もし、本当に字義的な意味で「誰もがそう考えて」いたとしても、それだけでは虐殺は無くならないだろう。なぜなら「自分は『批判すべきは自分だ』と考えている。しかしそこにいる見知らぬ他人はどうだろう?」という不安・恐怖は、偽装不能のテレパシー能力か、個人が全ての人間と1対1で対話できる高度な情報処理能力と情報網が開発されない限り、排除しきれないからだ。
悲しきナッシュ均衡。
そう。ゲームはたとえ対戦相手が実際には存在しなくても成立するんだね。そしてそこからは「3人寄れば党派政治がはじまる」だ。こわいよおにも通じる話。