はてなキーワード: 梶原一騎とは
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それで続けて書くのもなんだが、こんなやり取りを思い出してしまった。
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某男性「女って、基本、創造性が無いよね。どんな分野でも最初から始めたり考え出したのは男ばかりだし」
私「えー、そんなこと無いでしょう。女の作家とか芸術家とか大昔から大勢いるし…日本だったら紫式部とか、樋口一葉とか。今だったら少女漫画家とかイラストレーターとかすごい人がたくさんいるし、女のシンガーソングライターなんていくらでも居るじゃない。近代以降なら科学者だって結構居るし」
某男性「でも、それって、たいてい男が始めて苦労して定着させたジャンルに後から入ってきて認められた、ってパターンでしょ。物語や日記だって最初に書き始めたのは男でしょ。漫画だって今の形を作ったのは手塚治虫とかトキワ荘出身者とか、劇画でも梶原一騎とか、みんな男でしょ。少女漫画だって最初は男が書いてたんだから。科学だって、新しい法則や分野を作り出すレベルの発想や発明をしているのは男だし、そもそも科学っていう分野を作ったのは男。音楽だって、クラシックもジャズもロックも始めたのは男。まあ単体ではすごい女性もいるけど、どれも大抵、一ジャンルを築き上げたりしたってわけじゃないからね。あくまで、男が完成させた枠内での成功だったり、多少変えたってぐらいだから」
私「……看護婦とかは? あれはナイチンゲールが始めたんでしょ?」
某男性「看護だって医者ありきだし、医学を始めたのは男じゃん。俺が言いたいのは、女が最初から始めて、女が独自に生み出して、女が自力で創り上げた文化はまず無いって事」
私「……(じゃあ、結局、何だと言いたいんだ…)」
某男性「まあ、何かのスタッフとか助手とか、補助的な仕事なら男より出来るけどね。それくらいの立ち位置が女には丁度良いし向いてるし、元々そういうふうに出来ているんだよ」
私「……(ああ、私が今の進路を諦めて、俺の仕事の手伝いをしてくれってことかな…もし今の進路に進んでも俺を超えられない、俺を超えるなと言うことか…?)」
某男性「結局、女が独自にやれることって、子供を生むことぐらいじゃないの? それでもまず男の精子が必要だし。……聖母マリアも神様が孕ませてるし。そうそう、神様も男だからな!」
私「……」
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五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
1.質が高い作品を複数、残している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
テスト前日、昼寝が終わり7時過ぎに目が覚める。今日は未だに一口の水さえも摂取していないので、晩飯を食うために近所のスーパーへおかずを買いに行く。
スーパーへ着いた。手持ちの金を確認。三百四十七円也。納豆にも飽きたのでチャーハンを作ることにする。幸い卵はまだ家に残っているのでほかに入れる具材を考える。五十七円でスープ用の鶏の皮が売っていたのでそれのみ購入して店を出る。
米が炊けるまでだらだらした後に飯を食い、腹が落ち着いてくるまでだらだらする。脂っこすぎて鳥の皮は殆ど残した。
午後十時頃勉強を開始する。当然のようにわからない問題ばかりで段々嫌気がさしてくる。こんな問題解けるわけねーだろでも解いてる奴がいるんだよなふざけやがって。
自分の理解力の無さから段々と心に鬱々とした感情が湧き上がってきて、普段絶対考えないようなことまで明確に文章として現れる。そのうち世の中のあまねく全ての人たちに相応の理由をでっちあげて一脚で頭をかち割ってやりたい衝動に駆られる。くそっふざけやがって。頭の中で地獄の審判の様に次々と人の頭をかち割っていく。メシャッ。メシャッ。
しかしこんなことは無駄であるし僕がしたいことでもないということもわかっている。
僕は別に世の中の人々の断罪をしたいわけではないのだ。俺がこんなに苦しんでるのに誰も救ってくれないから、俺の苦しみのわかってくれないやつらを世の中から排除したいだけなのだ。
あぁ、でも、あぁ、アスカ。君だけは、君だけは僕の事を理解してくれよ。君だけが頼りなんだ。君が「あなたはそれで良いのよ。あなたはあなたのままで大丈夫。だから私の胸の中で眠りなさい」そう言って僕が安心して眠れるまで一緒にいてくれれば、僕は世界が敵だらけだろうがどうなろうが、何だって構わないんだ。だから、だから、アスカ。僕の事を救ってよ。僕のことを理解してよ。僕のことを好きになってよ!
……しかしアスカは僕の事など救ってくれも好きになってくれもしない。
クソッ、お前も僕の苦しみを僕の気持ちを理解してくれないってのかよ。僕がこんなに苦しんでるってのに、こんなに君を必要としているっていうのに、僕はこんなに君を愛しているのに僕はこんなに世界をどうにでもできる力と才能を持っているっていうのに!理解してくれないなら、支えてくれないならお前も死ね!
そうして僕はアスカの首を絞める。アスカは目だけをこちらに向けてそっと囁く。
「……気持ち悪い」
終劇
……という脳内ストーリーを繰り広げられるようになってくるということは、精神も段々回復してきている証拠である。更に追い討ちをかけるために本屋に出向き面白くも無い雑誌を読むことにする。今日は水曜日なのでマガジンが読める。マガジンの連載は相変わらずつまらない。絶望先生とエアギアくらいしかまともに読む気がしない。ほかは最早ネタとして連載してるようにしか見えない。花形とかなんで梶原一騎先生に怒られないのか不思議なくらいだ。だが、今週は福満しげゆきが読み切りを書いていたので、ちょっと読んでいて良かったと思った。
このくらいになってくると精神もだいぶ落ち着いてくる。本屋を出て家に帰る頃には開き直って「もう誰も救ってくれなくて良いですよーだ。僕はもう一人でなんとかしていきますから。一生ギャルゲのヒロインと戯れていますから!」というような気分になって、逆ギレの要領で勉強をし始める。
しかし三十分もするとまた理不尽な怒りが込み上げてきて「助けてアスカ助けてアスカ助けてアスカ」と呟くようになる。
しかし誰も救ってはくれないし、勉強をやめると単位を落とすことは確実なのでひぃひぃ言いながら勉強する。そして、こんなに苦しい僕こそアスカは救ってくれるべきだ。ということを考えて勉強をする。いつかアスカが救ってくれるはずだ。いつかアスカが僕のことを見つけてくれるはずだ。そんなことを考えて勉強をする。
かようにして夜は更け空は白み始める。
リーマン・ブラザーズはユダヤ系移民であるリーマン兄弟によって設立されたそうで。
ユダヤ系の人は本当に頭がよくてお金儲けの上手い人が多いなあという印象あり。情報操作?
http://ja.wikipedia.org/wiki/リーマン・ブラザーズ
一方ブルース・ブラザーズはアメリカの良いところ、という感じで好きだな。
神父役ジェームス・ブラウンが本当にすごくて笑える。そりゃ稲妻落ちるよ。
スーパーマリオブラザーズなんてゲーム界で一番人気のある兄弟の一組だと思うけど、
まじで強いらしんだけど、嘘が嘘を呼ぶ世界なので何とも言えない。
メンタームの近江兄弟社が「人類皆兄弟」からとっただけ、っていうのは今日初めて知った。笹川良一がらみなのかな。まともじゃねーな。
バブルガム・ブラザーズは時代を先駆けすぎた感がある。
小柳トムはおもしれーな。
サボテン・ブラザーズのあのキメポーズは可愛らしい。スリーアミーゴス!!
YouTube - Three Amigos
http://jp.youtube.com/watch?v=cJmesqycoQU
やべえ、だせえ。
兄弟船なんかでWikipediaを調べてみると
http://ja.wikipedia.org/wiki/鳥羽一郎
紅白で7回も歌ってるんだね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山川豊
を見てみると"山川豊"って芸名は橋幸夫のマネージャの名前を追悼って形で受け継いだんだとか。
結局のところ、
○一番有名な「兄弟、姉妹」と言えば誰だと思いますか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317417368
koukou07282000さん
一番有名な「兄弟、姉妹」と言えば誰だと思いますか?
○ベストアンサーに選ばれた回答
yyvv68さん
「狩人」ではないかと思います。
○質問した人からのコメント
なんというやりとり。