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2021-04-09

長野市教育環境は良かったなと思う

今は東京子育てしているけど長野環境は良かったなと思う。

小学校

遠足という名の山登り自然とふれあう小学校生活

中学校

・酷いところでもそこまで荒れていない公立中学

高校トップ校が内申点を気にしないので先生に媚びへつらう必要が無い

高校

公立高校が強いので良質な教育安価に受けられる

ほとんどの学校制服が無い自由校風

この地域もっと良いよ〜、みたいなの教えて〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!

2021-03-11

anond:20210311234142

ガリ勉ダサいのは都会でも同じ。あまり勉強していない(ように見える)のに成績優秀、なおかつ容姿端麗、スポーツ万能、音楽の才能もあり、両親も教養ある上品な家庭の出身。そういう生徒がいちばん尊敬される。校風でいうと麻布学園だな。麻布に比べると開成とか海城とか城北とか駒東とか聖光とか巣鴨とか開智とか栄東とか、果てしなくダサい。あと公立校は全部ダサい

2021-03-03

anond:20210303110616

バカ校については知らんが、伝統的価値観云々だと伝統()な「自由校風()高校もあるからなんとも言えん

2020-12-13

私立中高一貫動物園の実情

私立中動物園飼育員です。

結論

私立と比べて公立は〜という文脈引用されがちだが、私立にも動物園はあるしそれなりの需要もある。

自身ペットを通わせる際にはペット特性や飼い主の思想、どういうペットとどんな進路を選ばせたいのか、といったこから十分に吟味しましょう。

学校選びの基準

どの動物園を選ぶのがいいか参考になれば幸いです。人類の通う立派な学校は取り上げません。

偏差値

進研模試基準での主観です。

35:下位6%くらいのレアさ。リスニング日本語版みたいな教材があるのだが、解かせるとわりと50点とかを取ることも珍しくない。一般的教員は満点にしかならない難易度です。

30:下位2%くらいのレアさ。作文が支離滅裂になったり、悩みとかを聞いたときに原因も結果もこちらの理解が難しくなることがある。

25:下位0.6%くらいのレアさ。「分からいか反省もできない」と言われる層。物の貸し借りをしてはいけません、制服には校章をつけましょう、というルールがあるとして友達の校章を盗んでなくなった友達が困っているのを見て別の他人の財布から金を盗って購買で買うよう親切に勧めるケースがありました。(フェイクあり)

校風

自由校風動物園ではあまりないと思います普通の厳しさから少年院レベルまで。

普通なところ

厳しすぎないのでペットも飼い主もストレスをためにくいです。その代わり進学や就職も実力相応。

少年院クラス

時間から時間目まで授業、部活禁止髪型はかなり厳密なルールあり、身なりの靴下までチェックあり。といったところがあります

ペット飼育員も大変でストレスを抱えがちですが、下位30%レベルペットでもうまくハマれば地方国立GMARCHに到達することがあります

さいごに

親の教育学校教育は大切ですが、人間でなく動物が生まれときは生まれます

その動物をどう育てるかは将来をどこまで許容できるか、育てている間にどの程度のストレスを許容できるかは大きいと思います

私に子どもはいませんが、もし動物が生まれ場合は私の価値観では特別支援に該当しそうなら確実に診断を受け、しない程度なら受験少年院かなという価値観です。

実際に生まれたら変わるかもしれないけどね。

2020-12-11

anond:20201209231255

だけど就職時に私立中高一貫か都立かってほぼ全く考慮されないんだよな

NEWSポストセブン(2011.12.25.16:00)より抜粋

一流大学学生就職試験にに強いのは当たり前。

しか採用現場では「大学名より高校名に注目しろなのだという。

作家人材コンサルタント常見陽平氏が、「最強の東大生」について語る。

* * *

面接官の間で、昔から使われているテクニックがあります。それは「高校名に注目しろ」というものです。

大学は一流でなくても、名門高校に通っていた学生地頭がいいのではないかというわけです。

名門高校自由校風のところも多くて遊び呆けてしまう人もいるわけです。

逆に受験勉強ガチガチに厳しく、ドロップアウトしてしまう人も。

から、有名大学ではなくても、高校名門校なら優秀じゃないかと考えるわけです。

上場IT企業採用責任者は「いまや、一番信頼できるのは高校名では?」と語ります

~中略~

「ウチは東大生を毎年採用しているが、麻布東大開成東大採用できても、灘→東大は一人も採用できたことがない。企業風土の影響なのだろうか?」

さらに、こんな証言も。外資系戦略コンサルティング会社に勤める社員はこう語ります

「やはり最強なのは灘→東大コンサル会社は頭がいいのは大前提。その上で、競争に強くなくてはならない。その両方を兼ね備えたのは、やはり灘→東大

ただ、別に大学高校が有名であればいいというわけでもありません。

大手食品メーカーの元人事部長はこう語ります

「同じ慶應でも、内部進学者は採らない方がいいことに気づいた。 賢くないし、甘ったればかりでどうしょうもない」なるほど。

2020-12-10

anond:20201210144353

地域学校レベルによるんじゃない。

よく言われる、頭のいい学校自由校風が多くて、そうじゃない学校は、厳しめの校風みたいな。

これは公立の小中学校も当てはまりそうに思う。

2020-12-09

anond:20201208155032

兵庫のそこそこ有名なN中出身だけど、概ね同意。実際には、生まれ持って頭が良かっただけで家庭環境的にはアレっぽい同級生もいるにはいたが片方の手で数えられる範囲だし、入ってから素行の悪くなるやつもかわいいレベル。全体に厳しい制約を掛けなくても個別対応コントローラブルだから自由校風だと言ってられる感がある。まあ問題は、そんな特殊集団なのに、それが世間一般的な家庭環境とか学校の有り様と勘違い(頭では特殊理解してても感覚としてはついてきていない)するようになる点かな。

中学受験話題から公立中高一貫校について書くね

こんにちは現在大学生公立中高一貫校に通っていたものです。自分中高一貫校出身ということで、「お金持ってる」や「いい教育受けてきたでしょ」などの勘違いをされるので公立中高一貫校の間違ったイメージを少しだけ訂正したいと思います

まず一つ目、お金持ちだということについて、これは半分正しく半分間違いです。どういうことかというと、公立中高一貫校には「小4から塾組」と「小6の2学期から受験考えだした組」のだいたい二つに大別することが可能です。もちろん、小4から塾に通っている組は公立中高一貫校受験のための塾に3年間みっちり通い十分な力をつけ、公立中高一貫校合格します。一方小6の2学期組はお試し受験的に受けてみて偶然にも受かったみたいな人たちです。そのような人たちがなぜ存在するのかというと、公立中高一貫校受験問題はとてつもなく運要素が強いからです。だいたいの学校が作文(採点基準学校によって違うので同じ都道府県内にあっても全然違う)と適性検査理系問題?どちらかといえば地頭パズル的な)という2つに分かれており採点するほうも画一的基準がないためうまくその日にハマった人が受かるという人がそこそこいるためです。また、いい大学に受かるのは小4から塾組です。

二つ目はい教育を受けてきたという点です。これに関しては明確に中学の頃はよかったけど高校になるとオリティが安定しないと考えています。その理由としては、都道府県中学はとても数が少ないのに対して、都道府県高校はとても数が多いというためです。わざわざ都道府県中学というほとんど人がいないような場所に自ら志望してくる教員はやる気がある方が多く実際素晴らしい方々だっただと感じています。一方高校は同じ都道府県内にあるというだけで偏差値70から30までのいろんな偏差値高校にいた教員がちょくちょく入れ替わることによって、生徒のレベル理解してなかったり、必要以上に厳しく教育しすぎたりといったことがありました。ですので、いい教育を受けてきたかという点に対しては、教員によるし、私立のように校風が変わらないといったことがないため胸を張っていいとは言えないです。あと自分が通ってた公立中高一貫校高校の先取り学習は出来ませんでした。高校で入ってきた生徒と進度を合わせるためといっていましたが、実際公立カリキュラムに従わなければならないからではないかと思います

じゃあ公立中高一貫校のいいところはないのかということに関してですが、通ってたぶん気づきにくいものではあるのですが、いじめが少ないというのは上げられると思います。正直言って後は特に思いつきません。内申も全員真面目で取りづらいので他の高校に行くのも難しいですし。

2020-12-08

中学受験について、匿名でないと書けないことを伝えたい

中学受験メリットデメリットは色々な所で論じられているが、記名ではなかなか書けない部分をちょっと書きたいと思う。

よく言われるメリットは、中高一貫校高校受験がないために自分の興味に集中出来るであるとか、自由校風主体性を伸ばすであるとか、そういったものだと思う。自分も間違いなく大きなメリットだと思う。

また、小学校の時に行う中学受験の訓練は、それがすなわちロジカル・シンキングに結びついており、大人必要としている思考ツール練習になるという指摘もその通りだろう。卒業後の縦横の繋がりも深い学校が多い。

中学受験経験し、難関校の入学を達成した時点で、その後の人生において大きなアドバンテージを得ているのだ。ここまででも十分に立派なメリットである

しかしそれ以上がある。それは、家庭の選抜である中学受験に十分な投資するような家庭で育った子どもたちは、家庭全体としてある程度優秀であることが保証されており、教育に対する理解も深い。そういう家庭で育った子供が集まる、ということが非常に大きなメリットだ。

公立で地毛であっても黒髪に染めさせた、みたいなニュース話題になっているが、先生立場にたてば理解出来る。ろくでもない大量の生徒をしっかり教育するには、管理教育にせざるを得ない。枠をつくり、そこから外れた人だけを注意するやり方でないと、限られたリソース対応していられない。ペアレントモンスターもいて気をつかう。生徒の個性なんてものに気を配る余裕なんてない。型にはめるしかない。

これが中学受験により入学者がフィルタリングされた学校であれば、家庭がしつけをしっかりしていることをある程度前提に出来るので、自由校風が実現出来たり、生徒の個性を伸ばしたり、いじめを取り締まったり、そういうことに先生(それも高給で優秀な話の通じる先生たちだ)のリソースを割くことが出来るようになる。

一泊 10 万円のホテルであったり、家賃 100 万円の家であったり、ファーストクラスであったり、そういうところを選ぶ人は「そこに来る人がフィルタリングされている」というのが大きなモチベーションになっていることが多い。ホテルでは朝食で部屋番号のチェックすらされないし、バイキングでパックに詰めるような人はまずこない。マンションでも最低家賃が 50 万円あたりを超えるとご近所トラブルなどまず聞かない。ファーストクラスマスクを着ける着けないなどということを言う人はまずいない(ファーストクラスだけはアップグレード等で変人がくる可能性がすこし高いが)。

中学受験もそういう側面があるが、この場合フィルタリングは「教育価値を置いている家庭の優秀な子供が集まる」という点が素晴らしく、「金持ちの子供」よりよほど良いフィルタリングである結果的にやはりお金持ちが集まる側面はあるが、生活に困窮しながらも子供中高一貫校に送るご家庭も多い)。結果として自由校風個性が伸び、進路に関しても最新の情報が手に入り(数年前から学部から留学流行っているなど)、縦横のつながりにより卒業後もアドバンテージを持った人生が歩めるシステムがあるのだ。

入ってくる子供フィルタリングされている。それが中学受験の、あまり表で書けない大きなメリットであり、その前提があるから他の校風やら個性やらの話が生まれてくるのだと思っている。受験のない環境において同じ教育を与えることは、残念ながら原理的に不可能だ。

これが中学受験を考えていらっしゃる方の参考になれば幸いです。

2020-11-18

有名国立大学中退しました

初めて長文をネット投稿するので、不備があったら申し訳ありません。また細かい部分は匿名性の保持のため一部改変してる可能性があります

タイトル通りですが今年の9月某国立大学を中退しました。現在24歳です。大学には理工学部に5年半在籍していました。1回生、2回生までは普通に進級できたのですが、3回生でつまづき(後述)、そこから休学を挟んで3年半3回生を繰り返して最終的には中退しました。

幼少期から勉強は非常にできる方でした。勉強するという点においては他の子と比べてあまりに要領が良かったのだと思います勉強時間はそんなに取らずとも吸収力はすさまじいタイプでした。両親の学歴はともに平凡でしたが教育熱心で幼稚園から公文などの学習を始めていました。小学校4年生から学習塾に通い、中学受験もして難関中高一貫私立校合格入学しました。

ただ私自身は勉強自体が好きだったというよりはゲーム感覚で解けるのが楽しかっただけでした。そして中学受験までは良い大学に入って良い企業就職するということが当たり前の幸せ人生目標といった感じでなんの疑いもなく勉強していました。しか入学後にその考え方は複数理由で消え去りました。この「良い大学に入って良い企業就職する」という考え方は、後に両親が一種洗脳に近い考えを私に植え付けていたのだと感じました。もちろん前述のようなレールに乗っかる人生設計は社会的成功する可能性を高めてはくれるので他の人から見れば贅沢の浪費だと考える人いるかもしれません。しかし当時の私はそうは思えませんでした。

中学入学以降私の成績は落ちていきます中高一貫校に入ったおかげで高校入試もなく、生徒の自主性を重んじる校風もあり強制されて勉強させられることもありませんでした。自由時間が増えたので私は遊ぶことに費やしました。テレビゲームだったり部活仲間とのカラオケボウリングなど、一般的中学生でした。成績は落ちたと言っても有名私立校で真ん中くらいの成績でした。これは高校3年生まで変わりませんでした。勉強時間も日頃は宿題をやる程度でテスト前だけ範囲分おさらいするくらいでした。

しかし、勉強好きだった(ように周りからは見えていた)私が勉強しなくなった一番の理由は、周りの圧倒的な天才集団を目の当たりにしたからでした。もちろんそれは一部の生徒でしたが、数学オリンピックメダリストだったり、論文コンテスト最優秀賞だったり、とにかく次元の違う天才ゴロゴロいました。もちろん彼らも類稀なる才能の他に血のにじむような努力はしていたに決まってるのですが、当時の私はその才能に嫉妬し、「とてもじゃないが敵わない」と感じ、トップブトップを目指すのをやめてしまったのです。そこから勉強するのが苦痛になりました。「どうせあいつらには勝てないのになんで勉強する必要があるんだ」と。

その結果勉強の方はなあなあで高校3年生まで過ごしてしまいました。それでも一定学力は維持していたので効率よく勉強する才能だけはあったようです。

とにもかくにも高校2年生になった私は自然大学受験意識し始めます。将来の夢もそれのために行きたい大学もなかった私はとりあえずどちらかというと得意だった理系選択します。大学受験しないという生徒は周りに1人もおらず、仕方なく周りに合わせて大学受験する、といった感覚でした。

高2のときは一応東大を目指していましたが本気で勉強しないで行けるほど甘くはなく、高3の夏にはランクを落として某国立大学を目指すことになります。その大学ですら日本ではベスト10に入る有名大学で、企業からも高く評価されている大学です。「この大学にならほとんど勉強せずに入れるぞ」と感じ、それでいて社会的一定評価を得られると思ったのです。

実際高3の夏以降の平均勉強時間は、平均1日5時間もなかったと思います

そんな舐めた私ですが、センター試験、2次試験ともに無事終了し、結果は合格

世間一般受験生からすればほとんど勉強せずに有名国立大学に入って「しまい」ました。自分受験に対する計算がぴったり合っているくらいの小さな努力とそれなりの結果の相関があり、割と満足してました。

大学は自宅から通える範囲ではなく、ひとり暮らしをはじめました。大学生になってから自由を得たこともあり、誇張なしに全く勉強しませんでした。1回生、2回生まではほとんど単位を落とすことなく進級できましたが、そのあたりで異変気づきます。「授業についていけない」と感じることが多くなってきたのです。大学理系科目の高度な授業を勉強せずとも理解ができるほど私は天才ではありませんでした。同級生過去問などをもらったりして単位を拾ってはいましたが次第に大学の授業に出られなくなりました。最初自分怠惰なだけだと思っていたのですが次第に大学に向かうだけで動悸、めまい嘔吐などの症状が出始めました。これはもしやと思い心療内科に行くと案の定うつ病と診断されました。

これだけ見ると「何だこいつ甘えてるだけじゃないか」と言われそうですが私は自己分析していました。メンタルの弱さと完璧主義です。

もともと完璧主義者のようなきらいがあった私はできない事があるとすぐ嫌になってしま性質がありました。小学校の頃は図工や家庭科などの副教科が苦手でうまくこなせないと授業中泣いてしまうことも多々ありました。周りの子に主要教科では負けたことがないのにです。また中高時代天才出会ってからトップブトップになれないという挫折を引きずっておりそれが数年たって限界に達したとも考えました。

私は4回生にあがれず留年しました。2度目の3回生を始める4月に休学をして、2年間大学に行きませんでした。その間将来に対する不安が募りました。大学すらまともに行けず、しか自分努力不足であるという自己嫌悪に陥り、社会人としてやっていける自信もなくなっていたのです。死にたいと思ったことも何度もありました。

しか大学から離れたことでうつ病の症状は緩和され、バイトを始められるまでになりました。

そのバイト先で評価され社員にならないかという打診を受けて、大学中退し今年の10から社員になりました。大学にこれ以上在籍しても勉強研究する気は全くないし、自分の将来にプラスになることはないんじゃないかと思い思い切って中退しました。現在は後悔は全くないです。

長くなりましたが一応まとめを書きます。この話から皆さんに伝えたいことは人生は辛いことから逃げていいということです。

私自身いわゆるエリート街道を歩んでいましたが、挫折し、レールからは外れました。少年時代描いていた未来とは大きく異なっています高卒ということで今後大企業就職できる可能性は大きく減りました。昔ならそれに耐えきれませんでしたが今は非常にポジティブに生きています

しかイレギュラーではありますコロナ禍の現在就職できただけでもありがたいと考えていますし、現在仕事やりがいも感じています人生一度きりだし後悔のないように楽しく生きる。これが今の私の人生観です。

もし受験勉強がつらい、大学に行くのが辛い、就活が辛い、仕事が辛い…そんな人の気持ちを軽くできれば幸いです。

冗長な文ですが読んでいただいてありがとうございました。

2020-11-08

子どもごみかぶせて黒染めスプレーの件

そしたら何かぶせたらええんや・・・困惑

ごみかぶせ髪に黒染めスプレー | Reuters

https://jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546

について、あまりにも恣意的だなと思ったので今の現場の話をちょっと聞いてほしいと思った地方公務員増田です。

タイトルセンセーショナルに”ゴミ袋”を全面に出してるけど、弁護士会の主張は黒染めスプレーの方ですよね。

以下、ブコメ引用させていただきつつ、上の記事では足りない現場雰囲気を知ってもらった上で判断してもらえると幸いです。

まだこんな学校があるのかよ

はい、たくさんあると思います

記事で3月となっていることから卒業式での頭髪指導の話だと考えられます

卒業式限定で”このような方法をとっている学校は多いと思います

染毛だったとしてそれが校則違反なら停学とかそういうやり方でやるべきで…

という意見もありましたので、最近一般的だと思われる頭髪指導の前提を説明します。

大前提として、”頭髪を加工してはいけない”という校則があります

加工してはいけないというのが大前提ですので、地毛は基本スルーします。

(このご時勢無理できんでしょ、やってる学校もあるみたいだけど…

(髪の毛ぐらい自由にしたらええやん、という意見があると思いますが、校則を変えるには色んな手続きがあって、まぁ校風がどうのこうのとか、割れ窓理論も実際にあると思うしで、なかなか大変なのです。。。ちなみに私も「一回自由にしてみたらええやん」派です。)

なので、教員校則をもとに指導を行うのですが、だいたいこんな流れだと思います

ここで、髪がもともと明るいですよーという話を保護者から聞きます

うちは地毛申請の紙を書いたりはしてないですね。相談に行くこと自体人権侵害だと言われてしまうと・・・ですが、本当に気をつけて柔らかく対応していますよ。もちろん、ここで聞いた話はデータに残しておいて教員間で共有して今後の指導に活かします。

  • 普段生徒を見ていて急に髪の毛の色が変わった生徒への頭髪指導

まずは事情を聞きます。実際に多いのは、「長期休暇に染めて、黒染めしたが落ちてきた」とかですね。その上で、いつまでに染め直すかという相談します。

  • 長期休暇明けなどに一斉に頭髪指導

長期休暇明けが一番変化があるときなので、一斉に頭髪を確認します。長期休暇中に触って、それがきれいにもとに戻ってれば良いのですが、不十分なためもう一回やろうかという話になることもありますね。その場合も、一度努力してきているのですぐにはやり直させず時期を相談してということが多いと思います。基本は”話を聞く”なので。

これが問題になっている部分ですね。

前提として3年生は、卒業式前になると受験のために自由登校となり学校にきていません。なので、上で述べた頭髪指導を行っていない、いわば長期休暇と同じ状態になっているんですよね。受験が続いている生徒はそういうことは無いのですが、進路が決まった生徒は長い休みなので髪の毛をいじります

そして、久しぶりの登校となる予行のときに髪の毛明るいね、式には直しておいてね、その状態じゃ式には出れないよという話をするわけです。(今は触っていなくても、当日にやってくる子もいると思われるので全体にそういう話をします。)

そして迎える卒業式当日。「怒られてもいい!自己表現したい!」と思って髪の毛をいじってくる子、「なんとか自分でやったけど・・・」と髪の毛がまだらになっている子、「どうせ先生がやってくれるから」と予行のまま明るい髪で来る子。この子達を「約束通り式には出せないよ」と言って、出させませんか?

ごみかぶせて黒染めスプレー』は卒業式だけの苦肉の策なんです。

実際、やってる現場に立ち会ったこともありますが、意外に和やかな雰囲気で(3年間の付き合いがあるからだと思います)、なんとも言えない複雑な気持ちになると担当した教員は言っていました。

ってかごみかぶせてってのは自分の子もの髪切るときにやるでしょ。

何人いるかからない生徒対応のために、ちゃんとしたケープ買うお金がどこにあるのか・・・

(ちなみにごみ袋にハサミで切り目を入れて頭を出すスタイルですね)

教員が過労で死にそう。という話と、こういう話が並んでるのを見ると、どうでもいい仕事なくせばいいんでないの?と言わざるを得ない。

私もそう思います

でもなかなか変えられないんですよね。。。

ただ、昔よりはちゃん子どもたちの話を聞くようになったのが変化かなと思っています

このご時勢、なんでも体罰SNS行きなのでまずは話を聞いてっていうのはほとんどの学校で徹底されてきていると思いますよ。

それでまた指導にかかる時間が増えるのですが、こういう職業を選んだので子どもたちのためになることはいくら時間をかけても良いと思っていますが、その他のいらない仕事が多すぎて大変しんどくなっています

こういう指導をやめてしまえば簡単なんですが、子どもの心の変化ってまずは見た目に現れることが多いので、なくなってしまえばそういう変化があった子に話を聞く機会がなくなってしまうのではという危惧はありますね。(警察さんの職務質問も実はこれだったり?)

我々もいろいろ考え悩みながらがんばってるので、あまり罵倒しないで・・・

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546

2020-11-07

未来なんてない

両親「この高校に行け」

私 「言われたか受験して合格したけど校風が合わない」

両親「(精神が)回復したら行けばいいから辞めるのは無し」

私 「小遣い(当時月5000円)でものを買うのが恥ずかしいし高校生なんだからアルバイトをしたい」

両親「学生アルバイトなんて貧困層しかやらない

うちは違うんだから卒業後でいい」

〜 何とか説得して通信制へ転校〜

高校卒業2022年3月予定 (23歳)、

社会経験0

未来なんてない。

2020-10-27

anond:20201026003439

東大卒地方出身です。我ながら性格が悪いと思うが、元増田について、色々と納得できないので、ネチネチと指摘しておく。

増田は、「東京国立大学」に入学し、その後、東京で育った子供が与えられる塾教材を見て、「私も東京に生まれていれば東大に受かったのに」と書いている。

東京国立大学東大の他に、東工大一橋大、お茶の水東京医科歯科大学東京学芸大農工大芸大電通大といったところがある。インカレサークル東大生と知り合ったとあるから、恐らく増田お茶の水ではないかと思う。

大前提として、東大入試問題比較オーソドックスであるお茶の水学生が、高校予備校の教材を見て、「これが有れば合格できたのに!」と思ったことに対して共感ができない。育った環境の中でお茶大には合格することができたが、その先の東大との差を埋めるものは教材なのか。教材を見て、その差をうめるための何かを感じ取れるほどに受験をやっていた人間ならば、東大入試は、赤本チャート式で行けてしまものだと思う。そんなの嘘だろ、と思うかもしれないが、東大中の人間には入試はそのように見えているのであり、そう見えていないのはあなたが「わかってない」からである冗談抜きに「ドラゴン桜」を読んでみよう。あれはよく書けている。

入試問題の癖とかアドミッションに関する諸々に対する最適化という意味では、都市部の塾予備校中高一貫進学校メリットがあるのは事実で、たとえば、「予備校に行っていれば早慶受験対策ができたのに!」「あの高校からであれば指定校推薦取れたのに」とか、「もっと視野が広がる環境であれば海外大学を受けていたのに!」と思うのであれば理解できる。が、繰り返しになるが、お茶大と東大の差を環境で埋める、というのは理解しづらい。

一方で、そもそもお茶大でないとするならというのもあるが、こちらは更に納得感に欠ける。東工大一橋大や外語大であれば、東大本質的入試難易度の差は無いので東大に入らずそれらの大学に行ったことを環境のせいにしないだろう(これらの大学学生には自分東大生に劣っているとは思って欲しくない、という私の勝手な願望もある)。学芸大電通大以下であれば逆に偏差値が違いすぎて環境云々の差以前の問題であるし、普通感覚ならこれらの学生自分東大はいることを想像しない。

増田お茶大なら、という前提のもとで穿った見方をすれば、かの学校校風やら学内のなにやらに、地方出身のぽっと出の真面目な学生が影響されてるだけのように思える。負けず嫌いなのはいいが、ぜひこの先の人生を間違えて欲しくない。例えば学歴ロンダリングだけを目的仕事をやめて東大の院に入りなおす、とかそういうのはやめよう。書いてて酷いと思うが、上記が私の結論である

2020-09-25

まれていた学生時代

中学受験の是非の議論の喧々諤々を見ていて、自分学生時代まれていたんだなと思った。のでぼんやりのろけてみる。

小学校から中学校までは地元公立学校に通った(お世辞にもあまり治安の良い地域ではなく、勉強もできる地域でもない)。

成績は優秀(当社比)だったので、先生たちからは可愛がられたほうだと思う。

友達にも恵まれたほうだと思う。幼馴染にヤンキーギャルが多かったか積極的いじめられることは多くなかったし、いじめられても友達が守ってくれた。

オタク趣味もあったかいじめられっ子とも仲良くなれた。

勉強は家でやっていたので授業の質は低くても高くても問題なかったし、受験問題なく志望校合格した。

しかった。

高校地元を離れた公立進学校に通った。

公立とはいえ家柄のいい友達も多く、いわゆるハイソ世界垣間見ることができた。

色々自由やらせてくれる校風だったので、部活イベントに好き放題打ち込み、楽しい思い出が忘れられないほどたくさんできた。

授業も面白くて、好きな科目が明確になり、大学勉強したいことベースで選べたのは特にまれているなと感じる。

地元にずっといたらあの先生には出会えてなくて、勉強の楽しさを感じることはなかったかもしれない。

自分自身は遊び呆けてたとはいえ授業のレベル進学校の名に恥じぬもので、予備校とか行かなくても特に苦労なく目標大学に入れた。

しかった。

大学国立大学に通っていた。

古き良き個性的先生個性的な授業で、毎日しかった。

学びたいことも期待以上に学べたし、密かにいだき続けていた小さい頃の夢まで叶えられた。

友達もやりたいことを選んで同じ場所にたどり着いているので、趣味も似通っているところが多く、自然と会話がはずんだ

高校までとは違って全国から人が集まるのでいろんな地域の話を聞いて、いろんな地域に行って、自分世界地理的に広がった。

公立学校でこじんまりしていたころは、北海道から沖縄まで友達が全国にできるなんて思わなかった。

しかった。

人生の節々を思い返すに、どこでも楽しい思い出があるし、どこでも学びがあった。

こうやって書き出すとよく分かるが、自分がなにか頑張っているというより周りの人や環境人生を豊かにしてくれているようだ。

昔の都合の悪いことを忘れているだけかもしれないが、細かいことを忘れた上でいい思い出が残るのならやはり恵まれて生きてきたのだと思う。

私立中学に行ってたら、地元高校に行ってたら、色々違う未来があって、その中にはもっといい未来もあったかもしれない。

でも少なくとも自分の歩いてきた道は悪くない道だったと思う。それはとても貴重なことだと思う。

俺って幸せなんだなー。これからもずっと幸せでいたいなー。

2020-09-07

anond:20200906152212

では、なぜダジャレかと言えば、1960年までは、同音異義や掛詞(かけことば)は、「駄」のつかない「シャレ」と呼ばれ、知性や教養ある人が使う、優れた言葉だったのです。ところが、1960年に誰かが「駄」をつけ、シャレを貶(おとし)める風潮が始まったのです。

これは、志を持って捲土重来(けんどじゅうらい)する人を、「浪人」と呼んで貶(おとし)める風潮に似てます。学苑長は、これに憤るのです。だから、「浪人生よ、誇りを持って開き直れ。ダジャレよ、誇りを持って開き直れ」という、裏のメッセージがあるのです。それで、毎年開き直って、ダジャレCMを貫くのです。本当の話ですが、この説明ですら、読めばおかしいでしょう。そうです。みすず学苑校風は、大変明るく、楽しく、面白いものなのです。だから、今までの2倍の勉強時間、3倍の学習量をやっても、ちっとも苦にならず、深刻にもならないのです。しかし、それだけやらないと、18年間連続93.63%の合格率は維持できません。この、明るく楽しい怒濤勉強量が、高い合格率の秘密なのです。みすず学苑CMは、それを表現してるのです。

また、15秒、30秒のテレビCMや、ポスター等では、「何か珍しいCMがあるな、みすずCMだな」と、学校名やキャッチコピーを覚えてもらえばいいのです。短いCMでは、名前存在を覚えて頂くことが、まず大切です。携帯電話会社CMに、意味無くしゃべる白い犬が出てきても、「なぜ犬がしゃべるのか? 携帯電話と犬の一家に、どういう関係があるのか」と、聞くのは野暮でしょう。テレビCMは、関心をもって頂くことに意味があり、それ以上の説明は、新聞広告WEBを見たり、みすず学苑に、直接お問い合わせ下さればいいのです。

https://www.misuzu-gakuen.jp/cm/#q1

2020-08-28

anond:20200828135035

自分でなんとかできる」タイプ高校だと、学校側がいろいろ世話するのはどうなのみたいな雰囲気があるからなあ

自由校風伝統みたいなとこがおおいし、おせっかいは嫌がられそうって感じてしま

2020-08-23

女嫌いが治らない

 「治らない」という病気の語彙を用いることが適当かをさておき、自分の中で「女嫌い」がもはや一つのテーゼとしてあらゆる判断の場面で幅をきかせてくる。どのような言動を取るか、といった直接の状況から、なんらかの創作物に対する評価まで、全てを男性的・女性的に分類し、女性的なものへの称揚があればそれだけで正直ウッとくる。(まあこれ自体別に珍しい話ではないはずだ。元々性二元論から出てきた価値判断だろう。全てに男性的・女性的という分類がなされるのであれば、男性の中のある性質女性であることもあり、逆もまた然りということになるので結構事態は複雑になる)

 とりあえず上野千鶴子なんか読んで素直に啓蒙される女が理解できない。「女嫌い」の仕組みを解明されたくらいで、その論理自分肯定するために援用できるようなその女性らしい逞しさ。自分の中で女嫌いはもっとパブロフの犬のごとく根底に根ざす反射といって差し支えないもので、例えば最も凡庸な例を挙げれば「あっ感情的になっているぞ、女性的だ、きついきつい」というように。それが馬鹿げていますよと言われたところで矯正不可能な域にある。

 そしてこの反射にある一定の信頼を自分でも置いている。結局市民未満のところから出発した性にとって最も困難となるのは、利他を身に付けることなのではないか。「泣いてはいけない」「女の子を泣かせてはいけない」「自立しろ」というように叩き込まれる機会なく甘やかされて幼少期を過ごす女。共同体が温存する性差特権だけはシレッと享受しながら平等の為に連帯したりする近代の女。

 

 匿名ダイアリーからこそ自分語り(なる女性行為)を多少せねばズルいだろう。自分の女嫌いの始まりは、ピンクのもの持ちたくない、男子サッカーしてたい、女同士のおしゃべりができないだとかしょうもない些末な好みの問題もあったが、決定的だったのは男教師から軽めの体罰をくらった時だった。顔を引っ張られてたまたま元々皮膚が弱かった部分から出血して、女クラスメイト複数人メチャクチャ自分を庇ってくれた。ありがたくはあったが、その無邪気な連帯に引いた。男子への体罰問題化されないにも拘らず、私の為だけに教師がタジタジになっているのだ。なんだこの二重三重屈辱は。勘弁してほしかった(体罰は今程でないにせよそこそこ問題化されていた時代だったが、そこに今回触れるつもりはない。私が男子から嫌がらせを受けたという発端が女子達の擁護点だったが、結局双方ふざけて追いかけっこ状態となり、配膳中だったこともあり両成敗された流れなので、当時の校風と状況から鑑みてある程度公正な処罰だったと思える)。男子とつるんでも平等に扱われることは絶対にない。仮にどんなに「リベラル」な箱庭を作って篭ろうと、文脈平等を許さない。

 アンチフェミ男性とつるんで、いかに女が劣った存在であるか聞かされ続けることにーーそして劣っていることを知っている、マシな劣った存在であるという自意識を育てることにーー抑鬱的な安寧を見出していた時期もあったが、そうやって自虐までも他者に委ねることこそ「メンヘラ」なる女性性質だと気付きやめた。そもそも女嫌いの男や、男嫌いの女というものは、自分身体憎悪から遠い安全圏に置ける時点で信用ならないところがある。やるんなら己に対する加害者としての憎悪から始めるくらいの気概が要るだろう。

 

 マジで、勘弁してくれ。本当はジェンダーの話なんかしたくない(その為に増田に来たのだが)。にも拘らず社会生活を送る上で、例えば酒席で脱げと冗談を言われたり、「女の子には難しかたかな?」と話を振られたりする度に、「女だから不当に損をした!」というなんのひねりもない想念が立ち上がって来てしまうことがある。たまたま「脱げ」という語彙が用いられただけで、下品冗談は女以外でも全ての固有の身体を持ちうる人間が晒されるものであるし、たまたま女の子には難しかたかな?」という語彙が用いられただけで、他者から舐められうることは女に限らない。それよりも「女だからフェミニストで当然ですよね?」とすり寄ってくるフェミニスト(男女問わない)をかわすことの方が、いまや困難にして価値があるはずなのだ。少なくとも自分にとっては。

 

 しかフェミニズムに逆張りした時に、そこに立ち現れてくるイメージ吐き気を催す前近代的である。なんてことだ。「女」という要素さえあれば私は近代前近代も全て憎むことができる。では私にとって「女」とは何なのか。おい、お前フェミニストみたいなこと言っとるぞ。やめろやめろ、やめだ。

2020-07-19

暇なので女子しかいない学校について書くね

暇なので女子高、女子大について書く。

創作でも女子校いくか迷ってる人でも参考にして貰えれば.....。

女子しかいない=汚くても放置なんてことは正直まったくなかった。でもそうなとこもあるらしいのでそれは校風という事で。

ひとまず私がどのグループに属していたかというと、

女子高生のとき陰キャオタクグループ

学校としては比較お嬢様より?の学校めっちゃ都心

大学生とき中間比較的明るいグループ

学校としては普通。ど田舎にあった。

女子高生のときの話~

当時、コミュ障拗らせていた私。友達数えるほどしかいない。けれどいじめとかはなかった。無視とかもない。ギャルの子達も親切。バレンタインお菓子分けてくれたり、運動会でははちみつレモンくれたりする。ごめんねなんも返さなくてと今なら思う。

体育の後とかは皆制汗スプレーとかつかうからいい匂い通り越してきつかった。化粧とかは学校厳しくて皆してなかった。(呼び出されて没収とか普通にされる。)

おっぱいもんだりとかないです。人と人の距離感ちゃんとしてた。これは校風かなと思う。やる人いなきゃ皆やらない。スケベナ話はしない。人によるだろうけど、少なくとも大々的にする人はいなかった。

男の先生ガチ恋する人いる。でも基本的先生みんなちゃんとしててそのうち結婚してた。かわいい先生はいじられる。

百合ほとんどないけどあります(当事者)先輩から好かれすぎてとてもこまった。かわいい先輩でいい人だったけど、そういう意味で好きになれたことはなかった。女同士だから嫌とかじゃなくてまぁそういうもんだよね。

変質者も痴漢もでる。ほんといい加減にしろよ💢ってかんじでした。おまえのちんちん見てもなんもおもんないかしまってくれって感じでした。ちんことれろ。

女子大学生とき

女子高生のとき陰キャ拗らせたのを反省し、金髪にして色んな人に話しかけたらめっちゃ友達できたけど後から聞いたら不良かと思った(笑)っていわれた。

いじめとかはない。嫌われてる人もいたけどまぁ.....基本的に自慢話しかしないとかそういう人なので苛めないだけでも大人だなと思う。

スケベな話はしないがおっぱいは揉む。

みんないい匂いした。飲酒とかは20越えるまで結構皆してなかった。高校ときはめちゃめちゃとがってたんだろうなって人はいたけど、大多数の人がゆるいのにつられて皆まととになってた。

男の先生ガチ恋する人はいる。高校先生と違ってちゃらんぽらん先生がいるのでやめとけって皆で止めた。

百合ほとんどないけどあります(当事者)。当事めちゃめちゃ貢がれて困る。でも友達として好きなので仲良くしたくて曖昧な態度だったかなと反省。なんかあげると泣くほど喜んでくれて罪悪感がすごかったがそういう意味で好きになれなかった。今でも二人でご飯いくけど彼女もできて幸せそうでよかった。

変質者、ど田舎でもでる。文化祭とか狙ってくる。ほんとどこにでもいるんだなぁと思った。ちんことれろ。


どっちも比較的綺麗だった。教室も汚す人いれば絶対片付ける人いた。汚しても、あの人片付けられないから嫌とかいいながら仲は良い。

うーん.....女子校楽しかったな.....ともう卒業してだいぶたつが再確認。結局学年によっても雰囲気がまったくちがうので私個人の話なわけだが.....けして女子しかいないから大胆とか、陰湿とかはない。むしろスポ根とかないからそこら辺はゆるかったのかもしれない。

だれかのなにかの参考になれば幸いです。

2020-07-08

ニートを抱える崩壊家族テンプレート

二ートを抱えた家族は、すぐに崩壊はせず、緩やかに壊死していく。

私の実家もその典型的な一例であるため、「ザ・ニート家族」はこのように形成されるということを、

兄と私の半生を交えながら紹介したいと思う。

幼少期~小学中学

2人兄弟末っ子として生まれた私は、兄と年齢が少し離れていたこともあり、両親、祖父母、親戚から可愛がられており、兄は必然的放置されがちだった。

からしてみれば、自分蔑ろにされている感覚からさぞ私を恨んでいたことだろう。

しかし、家族全体を通して見れば、多少ケンカをする2人兄弟の4人家族という一般的な家庭であった。

高校大学

このときから、母が兄を厳しく躾けるようになる。

定期テスト、塾、受験、進学に関して、成績が悪かった兄を強く叱るようになり、それに兄が反抗し更に勉強をしなくなるという、負のフィードバックループが起こっていた。

また、学業だけでなく、日常生活全般に関しても気に入らないことがあれば怒鳴り散らし、自分が思う「躾け」の型に兄をはめていった。

そんな中、高校卒業を間近に控えた兄は、今まで自分の進路や行動を母に縛られていたため、

全くもって自立的活動することができなくなっていた。

当初、大学に進学せずに働こうと考えていた兄だったが、やりたい仕事もなければ行きたい大学もなかった。

結果、ただ親に「今のご時世、大学には進学しておけ」と言われたから進学しただけの、Fラン大学生が誕生した。

それを見ていた自分は、当然兄を反面教師とする。

高校自由校風進学校に進んだ自分は、真面目に部活学業に打ち込み、上位の国立大学に進んだ。

大学社会人

決定的な転機が訪れたのはここである

今まで母は過干渉なぐらい兄につきまとっていたが、

就職という、人生の進路を決める大切な局面において、

兄に干渉判断を下すことを回避し始めたのだ。

今まで自分人生無頓着で、重要選択さえも母の干渉を受けていた兄は、

自分人生について主体的に考えることができなくなっていた。

「ただ今が楽であればいい」と考えるようになった兄は、

親がうるさく言ってこなくなったのをいいことに、大学卒業を間近に控えても就職活動をせず、ニートの道に進んでいった。

一方、兄への干渉を辞めた母は、幼少期ぶりに自分に接近するようになる。

しかし、今まで自分母親に悩みも相談したことが無ければ、進路や人生の指針を相談したこともなく、

自然と母から距離を取るようになっていった。

就職結婚も確定してからの事後報告であり、「親を喜ばせる」なんてことは一切頭になかった。

そしてこの物語には、父は一切出てこない。

父は仕事人間であり、躾けどころか子ども相談にも乗ろうとしなかった。

母が兄を怒鳴り散らしていた日々においても、その教育方針に口を挟むことはなく、黒子に徹し続けていた。

今まで教育母親に任せきりにしてきた父は、無職の兄に対し躾けをする権利も、家庭内での発言権も無くなっており、

そんな威厳の無い父親を、兄と母は敵扱いしていた。

まとめ

ニートによる家庭崩壊は、基本的にはこのパターンである

母→干渉癖があるくせに、大切な場面で育児から逃げる

父→普段から育児に加わらず、家庭が崩壊寸前でも何もしようとしない

子(ニート)→小さいころから主体性を奪われているため、一人では何もできない

子(非ニート)→実家から逃亡し、何を言われても他人で押し通す

これら過干渉不干渉の極端なバランスが、家族の形をいびつにしていく。

このパターンに当てはまる(緩やかな)崩壊家族日本結構あるんじゃなかろうか?

今後

兄が30後半に差し掛かり、両親も定年に入り収入が無くなった今、

家族は間違いなく崩壊の道を辿っている。

親が亡くなれば、家や土地を兄が継ぐのかもしれないが、後に残されうるのは主体性を失った兄であり、

そんな兄にいくら財産付与されようとも解決の道は開けないだろう。

そして東京に出て家庭を築いた私は、いずれ崩壊するであろう実家を見て見ぬふりしている。

結局、兄も私も、同じぐらい無責任で、同じぐらいクズ人間なのだ

2020-06-01

ADHD大学進学

私はADHDというヤバめの障害持ちの大学生だ。

1.小学校時代公立小学校入学するが、授業中右手左手ムシキングごっこをすることが忙しく教師の話が聞けない。手紙を前の人から受け取って後ろの人に回せない。ランドセルを忘れて登校する。一年間所属したサッカークラブでは最後まで自分のゴールがどちらか把握できなかった。担任、親と三者面談をして無事公立を退学。ドロップアウトRTAの記録を樹立する。

2.私立小学校時代→2年生からミッション系の私立小学校に転校する。毎週公園で遊ばせたり川遊びをさせる不思議校風の中でのびのびとADHDを開花させてゆく。中学受験のために通った早稲田アカデミーでは理科以外の科目がぶっちぎりのビリで先生に怒鳴られて泣きながら校舎から逃げて退学した。

3.なんだかんだまあまあの中等教育学校に入る。ここでもADHDの勢いは留まるところを知らない。朝会に出れないので出席が足りなくなる。提出物を9割方忘れ、テスト勉強もしないので評定は6年間2、3、2、3たまに1、と死にかけのヒヨコの行進。文法テスト返却の時に6点を取った時は受け取ってすぐ答案を食べた。中等部から高等部に上がる時担任に呼び出されて学校辞めるか?と諭され、ビビって勉強して進級するも高等部でも成績は学年最低レベル勉強サボってやっていたことは昆虫採集飼育とかで、とにかくやりたいと思う衝動性を制限することができない。物事優先順位衝動が書き換える。だから勉強ができない。ここで目をつけてくれたのは所属していた生物部の顧問大学院生を引っ張ってきて僕に生物自由研究をさせた。これが楽しくて仕方がない。実験して解析して発表して賞をもらう。初めて褒めてもらえる経験だった。しか生物以外の成績はカス寄りのゴミのまま。大学になんていけない。しか生物学オリンピックや研究発表の実績で受験できる制度があった。私は受験し、本来の成績では考えられない大学に進学した。今は発達障害インキ理系大学生として生物学を学んでいる。

2020-04-30

anond:20200430110716

ブコメトラバ役所の特徴って指摘かなりあるけど、公絡みの共同体ってなんでこうなるんだろうね。

行事部活を死に物狂いでやり切ったうえで大学受験に臨む」って伝統があるいかにも爽やかな校風の県立名門高校出身だけど、在校生同士の人間関係元増田職場に近かったわ。

地元大人世間からイメージは「あそこに通う生徒は文武両道コミュ力抜群、キラキラ輝く主人公体質の集まり」、崇拝に近い勢いだったけどね。

2020-01-10

過敏性腸症候群わたし

からお腹が弱く、今思えば物心ついた時から過敏性腸症候群だったのではないかと思う。

小さい頃、小学校5年生くらいまで外食をするのが怖かった。なぜなら落ち着いてトイレへ行けないから。

から(2.3歳の頃から)便秘下痢を繰り返し、お腹を壊すとなると1時間以上はトイレで苦しんでいた。

もし出先でお腹が痛くなったらどうしよう、という不安が余計に腹痛を煽る。お店へ着くや否やトイレへ駆け込み、一回の外食で3.4回はトイレへこもっていた。(だが、そういう時はお腹は痛くなるのに便は全く出ない)

トイレへ行くたび両親からはまたか大人しくしろと怒られる。それも相まってさらに私のお腹は痛くなるばかりだった。

だが、小学六年生からは親へ口答えもできるようになったり、自律神経が整ったのか外食へ出かけても腹痛を起こすことがほとんどなくなった。相変わらず便秘下痢は繰り返していたが、昔ほど酷くはなくなった。

だが、中学3年生の冬。卒業間近に悪夢が襲った。

ある授業を受けている時、突然強烈な腹痛が私を襲った。我慢しようとしたがシャーペンを握る手が汗でビチャビチャになりノートが濡れた。これはやばいと思い恥を忍んでトイレへ向かった。

だが、トイレへ向かっている途中で腹痛はすっと治った。

あれ?と思い再度教室へ戻り席へついた瞬間また猛烈な腹痛。

全身尋常じゃない汗が流れた。少しでも気を緩めば屁も身もでる、全身をガッチガチに硬直させ奥歯が割れるほど食いしばった。

だが、十数分も待たずして再度トイレへ。またしても廊下を歩いている途中で嘘みたいに便意がなくなっていく。

その日から地獄の日々が始まった。

幸い、卒業間近だったこともあり登校日も少なくなっていたのだが、試練は終わらない。

友人とバスで出かけようものなら1人だけ途中離脱。親と車に乗ってどこかへ行くこともできない。静かな場所や人が大勢いてなおかつトイレはすぐ行けない場所密室にいると強烈な腹痛に襲われた。

そのくせトイレへ向かう途中やトイレに座った途端すっと腹痛が何処かへいってしまう。

私は発狂しそうだった。というか発狂した、泣いた、わめいた。

ご飯を食べなくなり下剤を多用した。整腸剤も飲みまくった。

出すもの出せば仮にお腹が痛くなってもでるものがないと思ったし、食べ物を食べなければ便が作り出せないからだ。

そんなある日、私はこの腹痛の病名と出会った。

過敏性腸症候群

お前か!!!!!お前だったのか!!!とめちゃくちゃ感動した。

その頃はおそらくあまりメジャーものではなかったが、いろいろな情報ネットから手に入った。心療内科へ行き診断もしてもらった。

からお腹が弱いというのも原因だったのもあるが、私の場合は厳しい親も原因の1つだったようだ。

怒るとなるとかなり厳しく、また、小さい頃は虐待じみた教育を受けていたこともありよくお腹が痛くなっていた。

成長するにつれ親も私が手がかからなくなり昔より穏やかに接するようになり、私も生意気にも口答えができるようになったのでストレスが少しずつなくなってきたから腹痛の症状が出なくなったのかなと思う。

だが、受験シーズンになり、推薦で高校が決まっていた私は勉強をしていなかった。仲のいい友人は勉強に追われていたが私はのんびり過ごしていた。そんな私に友人は八つ当たりをよくしてきていた。

今思えば自分が行きたいと選んで塾へ行き、自分が行きたいと選んだ高校なのだから黙って勉強しろよとは思ったのだが当時の私はその子八つ当たりを頑張って受け止めていた。

また、入学予定の高校では部活で進学したのだが、今じゃあり得ないくらいの暴力蔓延している部活で、これからそういう環境に身を置くことに対しても強いストレスがあった。いくら覚悟を決めていても無意識に心に負担があったのかもしれない。

いろいろなストレスが少しずつ私を蝕んでいき、一番弱いお腹負担がかかったのだと思う。

卒業式の日は前日から絶食、お守りがわりに整腸剤を持って挑んだ。隣の席の友人には病気のことを話し、式中はずっと小声で話し合っていたおかげでなんとか乗り切ることができた。

高校入学後も、事前に学校側へ事情を話しており、なおかつ校風自由で友人みんなに病気のことを話したり、テストは別室でうけたり、本当に申し訳ないが授業中は寝ることによってお腹から意識を逸らした。(教室にいることもとても辛かったが、皆んなが病気を受け入れてくれているという安心感や、申告なしでトイレへ行ってもいいと学校から許しをもらっていたので、安心感が大きく眠りにつくこともできた)

高校一年生の夏、期末試験の時、初めて教室テストを受けた。

担任から「受けてみないか」と提案があり、無理ならすぐ保健室へ行ってもいいと言ってくれた。

テストが始まった直後、教室は一気に静まり返った。

心臓が痛いくらバクバク鳴っていた。手汗が出た。お腹も痛くなった。

だが、我慢できる。

それどころか、少しずつ、少しずつ腹痛が治まっていく。

気づいたらテストが終わっていた。

その日から私は腹痛で保健室へ行くことは無くなった。

あれ以来、普通の人よりもお腹が痛くなることはやはり多い。映画館で腹痛になり、楽しみにしていたメリーポピン●は1時間しか見れなかった。居酒屋へ行きすぐにトイレから出れなくなることもあった。

けれど、昔より悲観的じゃない。大人になるってこういう時とても便利で楽だなって思う。

昔みたいにビクビクしながら外へ出ることがなくなったのはとても心地いい。もちろん痛くなったら絶望的にはなるが。

あの高1の期末試験体験が私の勇気となっている。あの日、目の前がとてもキラキラして見え、あ、もう大丈夫だと心から安心したことは忘れない。

2019-12-12

https://anond.hatelabo.jp/20191212232249

本当にそう思う。校風が合わないという時点で専門に切り替えるなどするのが最善の選択だと思う。

俺は周囲に合わせる事に気付いて、何とか卒業出来たけど。人間不信けが残った。

元農水事務次官の息子と同じ中学出身だが

元農水事務次官の息子と同じ中学出身かつ同世代だが、何故かASDにはすごく厳しかった。

進学校男子校からもっと自由奔放なのかと思ったが、他人と同じであることを強く求められる校風なんだよな。

いじめられたか家庭内暴力というのは許されないと思うが。

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