はてなキーワード: 校長とは
例えば前にnoteでフェミから叩かれてた「ぼくたちは勉強ができない」って漫画あるけどあれだってほぼほぼ現実世界っぽいのに冷静になるとめちゃくちゃだからな。
フェミが叩いてたやつ
勉強がテーマの漫画だから教育関係のことだけ箇条書きにするけど
・公立高校の校長が特別VIP推薦とかいう大学の学費を免除する制度を餌にして、生活保護レベルに貧乏な主人公に同学年の生徒の家庭教師のようなことをさせる。
・その後特別VIP推薦を蹴って希望の学部を目指す主人公に教師が奨学金などのアドバイスを一切しない。
・主人公が特別VIP推薦を使わず大学に進むことを知った母親が、亡くなった父親の遺産を使っていいから好きな大学に進むようにと諭す。(なおその場に教師も同席している。さすがに奨学金のこと説明しないのは不自然だろ)
・センター試験当日に骨折した主人公に追試験を受けさせず、当日にそのまま試験を受けさせる。
なんというか教育関係の救済制度が驚くほど希薄で、全体的に貧乏人は爪に火を灯すような苦労をしないと目指す進路には行けない、社会はお前を助けないって思想が通底してるんだよね。
貧困家庭の子供がこれ見たら自分は大学行けないなって絶望するだろ。
ネオリベ思想を子供の頃から受け入れさせようとしているとしか思えん。いやネオリベもここまではやらないかもしれんけど。
ここまで貧乏人に冷淡な癖に最終回では、自分のやりたいことも見つかっていない劣等感まみれの高3の秋の主人公に、俺たちの未来は無限にあるとか前向きに言わせるからな。奨学金もなさそうな世界で貧困家庭の自分の夢も持ってない高校3年生にこれ言わせるの残酷すぎるでしょ。
作者は比較するまでもなく裕福な家庭に生まれたっぽいからその辺の機微がわからないのかもわからんが、漫画だからってその辺のエクスキューズはどうにかしておけよと思うわ。
例えば五等分の花嫁は同じ貧乏人の主人公だけど、超絶金持ちのヒロインの家庭教師で日当2万5千円とかいう給料もらってるから学費くらい余裕で稼いだんだろうなとか、全国3位の学力なら給付型奨学金貰ってるんだろうなって想像つくんだけどさ。(学費周りの話が描かれてないから想像だけど、下手に描くよりはむしろ想像に委ねられる分ずっとマシ)
(※ただの変態の話ですのでご了承下さい)
🩲👩🏫<このパンツ落としたのは誰?
👦(ぼ、僕だけど、恥ずかしいよ)
👩🏫「いないの?心当たりのある人は後で職員室に来てね」
👩🏫「まあ、あなただったの?
ということは、今ノーパン?」
👩🏫「まあ!やらしい!」
👩🏫「それだけ?」
👦「・・・」
👩🏫「そんなわけないよね?
👦「えっ、先生!やめてください!」
👴「何をやってるんだ!」
👩🏫「えっ!汚い!」
👴「三日間洗ってないからね!」
👴「礼には及ばんよ」
👦「でも、それじゃ僕のパンツはどこにあるんだろう」
👴「それはね、私が履いてるよ」
👦「えっ」
👦「キショい」
👦「PTSDになりそう」
👦「いいんだよ、パンツくん」
🩲「じゃあ、僕を履いてくれる?」
(帰宅)
👩「お帰り」
🩲「お願いします」
👩「わっパンツがしゃべった!」
🩲「よろしくです」
👩「仕方ないわね」
👩「ゴシゴシ」
🩲「あっ」
👩「ゴシゴシ」
🩲「う、嬉しい」
👩「ここはどう?」
🩲「いい感じです」
👩「ほれほれ」
🩲「あっ」
👩「じゃあ次は足で洗ってあげる」
🩲「そんな・・・ああ」
👦「ママ、何してるの?」
🩲「はぁはぁ」
👦「なんかキモいんだけど」
👩「そうね、こんなパンツ捨てましょう」
🩲「えっ」
👴「私のパンツどこにいったのかな」
👴「でかした!じゃあ私はお前を頭にかぶるぞ!」
🩲「ありがたき幸せっ!」
“結婚には3つの袋が…”じゃないけど、儀式のあいさつなんて、そんなにオリジナリティが重要?
おれは、“桜の木の樹皮を煮込むと桜色の染料ができる。地味な茶色にみえる樹皮にも桜の生命は息づいているのだ”という主旨のエピソードを、中学と高校の朝礼かなんかでそれぞれの校長から聞いた記憶があるが、まあ世の中そんなものだ。
むしろ、“安倍が葛西紀之のために書いた弔辞”なら、菅はよく知ってたんじゃね?友人であり上司と部下だったわけだし。
つい最近、国葬の喪主の件が増田で指摘されて、図星つかれたはてサが猛反発してたけど、なんかアベガーはてサってずれてるよね。
あ、言っとくけどおれは国葬反対だったし、安倍も菅も嫌いだし支持もしない。
だって“無能な味方”は“身内に潜む敵”だから。ある意味で一番タチが悪いやつ。
やつらが跋扈すればするほど、“安倍氏を支持しなかった人って、変だよね”が強まるだろう。
多くの若者が反安倍に向ける冷ややかな視線は、そういうことだろ?
あと、リテラ。
お前らには“愛の反対は憎しみではなく無関心”という言葉を贈っておく。
この言葉、長らく“マザー・テレサの言葉”とされてたのはデマらしいけど、そんな出典探しは今はどうでもいい。
安倍関連に熱意を持ちすぎ。
もう奴は死んだんだよ。
あとは、静かに眠って二度と蘇らないように祈っとけ。
この中では静岡県の高校で校長として勤めていた奥山和弘さんが「桃太郎」を女の子にして描いた絵本、「モモタロー・ノー・リターン」が紙芝居で伝えられました。
親子は桃太郎ならぬ「桃子」がたくさんの村人たちの協力を得て話し合いで鬼たちと和解するという物語に聞き入り、性差や身体的特徴などによる偏見や差別をなくすことの大切さを学んでいました。
東日本大震災のことを今でもふと思い出す。
当時中学生だった私は避難訓練のように外に避難し、校庭へ並んだ。
体育の授業ということもあって、室内ほど揺れは感じなかった。船酔いみたいな気持ち悪さだけが残った。思っていたのは塾の宿題やってないから、やばいなーぐらいで。お気楽に構えていた。
教室で授業をしていた同級生たちが続々と並んでいて、女子はみんな泣いていた。怖かったんだろう。
全員揃って校長先生が「宮城で震度6です〜」みたいな話をする。
泣いた女子に毎日いじめられてた、殴られたし悪口も言われた。死ねっていわれた。家に落書きもされたし、そんなことする人が祖父母が死に瀕することで、こんなにも、崩れるように泣くのか…と衝撃を受けた。
この話は誰にもしなかった。ご時世がご時世だったのと、どうせ行ったところで有耶無耶にされるだけだから。
お前なんか死んじゃえば良いのに。
先日、とある競技の全国大会に行ってきたのだが、その会長挨拶が本当にひどかったので増田に吐き出しておく。
同年齢くらいでもスピーチライターがいて、原稿をチェックしてもらえるような人たちと比べると酷なのかもしれないが、
それなりの人数がいる競技らしいのにお友達とちょっと雑談でもしているような感覚の挨拶だったのはかなり驚いた。
話の内容は会長が思いついたことをぽんぽんと話していて、全くまとまりがなかったように思う。
正直、場が完全に白けていたし、俺も早く終われと思っていた。
出すところに出されたら、問題になりかねない話もいろいろとあった気がするんだが、大丈夫なんだろうか。
そして、時間が押して来たことに気づいたら特にまとまってもいないけどやめた。
ついでに言うなら、会長だけ終始ノーマスクで、中国かよって思った。(習近平はマスクしないが、側近たちは全員マスクしてる)
(まあ、こんなことを書いたことで犯人探しとか圧力とかがあったら、「あー、やっぱり中国だったのか」と思うんだけどさ)
その競技を始めてから風邪一つひかないのが自慢のようなので、「コロナにビビってない俺かっこいい」をアピールしたかったのかもしれないが、
オズワルドの畠中が、母校の思い出として、
「平和すぎて事件がなかった。トイレのウンコが流れていない...ことに激昂した校長が、全校集会を発令してその便器の様子を見せるくらいだった」
と話していて、自分も似た話を思い出した。
市の北方は新しめの住宅地で大人しい地域だった。在学中に特に事件はなかった。
自分が通っていた最北の中学校は、変な若手の先生と、定年間近の先生が多かった。
集合の遅さに、3年の学年主任の先生がめちゃくちゃ怒っていた。
タバコでも見つかったのかな?イジメの現場がバレた?など、怒り度合いから原因予想をしていた。
「ナンデ!!!!ガッコウニ!!!!コンナモノガアルンダ!!!!!」
紙切れ?を掲げた先生。
後方からは何も見えなかった。前の方から伝言ゲームで教えてもらった。ミルキーの袋らしい。
あまりの怒声に女子が泣いていた。全員飴を持ってきていたのかな。
ミルキー片手に騒ぐおじさんの怒号と、たぶん雰囲気で泣いている女生徒の嗚咽。
そういえば、確か定年間近だった当時の部活の顧問は、北でも問題がありすぎたのか、2年で南に戻された。
彼は元気かな。二度と会いたくない
子どもの頃に読んだサバイバル術の本で「火の起こし方」を詳しく解説したページがあった
当時の私はとにかく好奇心旺盛で、「こんな方法で本当に火が起こせるのか」と試したくなり、かといえ勝手に試して火事にでもなったら父親に殺されかねないと思い、一番身近だった大人である小学校の担任の先生に「この実験をやってみたい」と、とても熱くプレゼンをした
林間学校を翌月に控えていたことと、すでに着火している私の好奇心に引き寄せられた数名のクラスメイトからの懇願もあり、「やる方向で検討するから、どんなもの必要なのかまとめて欲しい」と言ってくれた
当時の小学校では担任の裁量で自由な使い方をしてもいい「学活」という時間があり、そこでは主にドッヂボール大会やお楽しみ会などのイベントが開催されており、私が提案した「火起こし」もその学活の時間で行われることになった
とはいえ、人数分の木の板と手頃な棒を調達するには調整がなかなか大変だったようで、最終的には工務店を営むクラスメイトの伊藤くんのお父さんが火起こしのセットと大量のおが屑を提供してくれ準備は整った
ちなみにその後から2ヶ月ほどは伊藤くんはクラスのヒーローになった
火起こし当日、発起人である私と数名の友達で大量の木材とおが屑を校庭に運び、消火用に水を張ったバケツと用務員のおじさんから借りた園芸用ホースを準備し、いよいよ火起こしの時間が来た
まずは板と棒を配り、先生が火起こしの方法をまとめたプリントを配布した
先生はプリントを見ながら「いろいろな火の起こし方があるが、今日は一番シンプルな「きりもみ式」でやってみよう」と説明し、「じゃあまず先生がやってみるから見やすい位置に広がって」「じゃあ行くよー!」と棒を両手で回し始めた
すぐにでも大きく炎が上がると思ってみていたものの、出るのは先生の汗と「おっかしいなぁ」という呟きだけで、炎どころか煙すら出てこない
ふうふうと明らかに疲労を隠せない先生を見てすでに飽き始めたクラスメイトが出始めた頃、万が一の事態に備えて待機していた校長先生が代役を買って出た
流れるように所作で担任と変わり、老練の手つきで棒を回し始めあっという間に煙が出……ることはなく、ものの数分で校長先生の方が燃え尽きる結果となった
大人の男性でも煙すら出ないとは……と、長い戦いを覚悟した子どもたちは静々と自分たちのスペースに戻った
誰も無駄口をたたかず、ただ「ふん」だの「よいしょ」だのという自らへのエールと木が擦れる音のみが漏れ聞こえる中、よく見ると富山くんだけがこの挑戦に挑んでいなかった
富山くんは周囲を見ては恥ずかしそうに顔を伏せ、また周りを見回しては赤面しモジモジしていた
座りながらズボンのポケットに手を入れなにかゴソゴソしては、棒を手に取って少し回しては「へへへっ」と生ぬるい笑みをこぼしていた
先生は相変わらず汗だくで自分の棒を回し、校長先生は両手をぶらぶらさせながら、細い腕にすこしだけ残った筋肉から疲労物質を押し流そうとしていた
そうなると、無責任にも目の前の火がつかない火起こしよりも富山くんに俄然興味が湧いてきた
中腰でこっそりと富山くんに近づき、背後から「なんでやらないの?」と声をかけると、富山くんは「うへゃぁ!」と驚きの声を上げながら後ろを振り返った
その時、富山くんが持っていた棒が落ち、木の板をコーンと鳴らした
そこで私は気づいてしまった
私を見ようと体を反らせるような体勢になった富山くんは驚くほど勃起していたのだった
「え?なんでぼっ」と言いかけたが、ここでそれを指摘してしまっては富山くんはきっと数年は「ボッキマン」という人権を無視したニックネームで呼ばれることになる
私は慌てて残りの言葉を飲み込み、富山くんの耳元で「なんでそんなになってんの?だから火起こしやってないの?」と聞いた
なんと言おうか悩み顔の富山くんは少し考えたあと、私に「だってこれエッチくない?」と耳打ちし返した
何がエッチなんだろう?火を起こすことのどこにエロに感じるのだろうと不思議に思うと、富山くんは「だってさ、これシコるやつじゃん」と続けた
好奇心旺盛ではあったが性的なことには疎い私に比べ、中学生の兄を持つ富山くんは今思えば当時すでに自慰行為をしていたのだろう
しかものちに知ることになるが、シコる方法がオーソドックスな上下に動かすピストンタイプではなく、火起こしをする時のきりもみ式だったようで、富山くんにとって好きな女子がきりもみ式で顔を上気させるシチュエーションは全力勃起案件だった
その時の私は申し訳ないが意味がわからず、それでも無責任に放棄しかけた火起こしチャレンジ発起人としての立場から富山くんにも参加して欲しく「でもさ、ちょっとやってみてよ」とお願いした
富山くんは股間の棒が落ち着くのを待ち、先ほどを落とした棒を拾い「無理だと思うけどなぁ」と独り言をぶつぶつと言いながら棒を回し始めた
回し始めて回数にして6回転目くらいに異変が起こった
富山くんがにやけ始めるとほぼ同時に細く薄い煙が立ち上り始めたのだ
私は「先生!先生!富山くん出てる!」と叫び、クラス中の視線が富山くんに集中した
煙を見た先生はおが屑を一掴みし、富山くんの元へ駆け寄ってきた
その間も富山くんは「ぐっふ、ぐふふ!」と気持ち悪い笑みを浮かべ手を動かし続けた
富山くんの元にたどり着いた先生が「富山すごいぞ!」ちょっと棒貸してみろ!」と興奮気味に棒を取り上げると、棒の先端は黒ずんでいて、板には小さな火種が起こっていた
そこに先生がおが屑を少し乗せ慎重に息を吹き込み、おが屑に燃え移った瞬間に板から大きくなった火種を落とした
残りのおが屑に火が移り、数分前まで全員が絶望していた火起こしが完遂された
火が大きくなると歓声と拍手も次第に大きくなり「え?誰がやったの?」「富山すげー!」「富山くんやったじゃん!」と富山くんを讃える大歓声になった
富山くんはさっきまでの完全な異常者のような気持ち悪い笑顔から、やり遂げたまるで賢者のような清々しい表情で、降り注ぐ賞賛を一身に浴びていた
その後「富山くん!私のもやって!」「その次は俺のやってよ!」とひっきりなしに呼ばれては火を起こし、また新しい棒を受け取ってはあっという間に火種を起こしていった
少し前には「ボッキマン」というひどいあだ名にになりそうだった富山くんは、この偉業から「チャッカマン」と呼ばれクラス中の尊敬を集めることになった
実はこれは約15年前の話だ
なぜ唐突に思い出したかというと、私のTwitterのタイムラインに「女装男性が富山スタイルで自慰行為をしている動画」が流れてきたからだ
その動画は口元までしか映っていなかったが、富山くんがあの時の見せた気味の悪い笑顔の口元を彷彿させていた
きっと彼は今日もどこかで自分のペニスで火起こしをしているに違いない
いきなり訴訟とかは勘弁してください
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
まあ実際の学校運営の業務は教頭に集中していて、校長は世間の人が思ってるよりやることないので……(もちろんトラブルが発生したときは矢面に立つのが仕事なので楽ではないが
この人が実際に学校運営に携わってる関係者ならわかるのだが違うらしい。
にもかかわらず、明らかに校長の業務に詳しい人間のような顔をしてこメメントをする。
単なるしったかぶりなら統合失調症でもない限りこういう口調にはならないだろう。
ああたまがくるっているのでなければどういう意図でこういうコメントをするのか教えてほしい。本人でなくてもいいのでわかるひといたら教えてくれ
静になるまでの秒数をカウントする校長は日本の象徴ではないか。みなさんが静かになるまで何分何秒かかったから何なんだ。ただ事実を述べて何が欲しいんだ。欲しいものがあるならちゃんと言葉にしないと分からないだろう。こういうパッシブアグレッシブで行間を読め作者の気持ちを考えろみたいな態度は本当に日本的だ。「みなさんが静かになるまで4分27秒かかりました。静かになる時間として我々は30秒を要求しています。この超過時間は次回からは許されません。次回からはもっと早く静かになるように努めて下さい。」こう言うべきなんだよ校長。おい校長聞いてるか。おいそこの校長お前のことだよ!校長さんよぉ!