はてなキーワード: 東欧とは
世の中には誰でも知っている物語をこんな風に汚れた目で見ている奴もいる。
物心付いた頃から、世の中に存在する数多くの人魚姫の絵本に対して、言いようのない困惑を抱いていた。
人魚姫、それは様々な子ども向けの読み物の中で唯一、女主人公が読者の目に全裸を晒す場面のある物語だった。
幼少期の俺にとって、魚の尾鰭が人間の女の下半身にすげ替わった直後の人魚姫の描写は、あまりにも衝撃的だった。
人魚達には人間のように、動きにくい服で生身の体を覆い隠す文化がない。
ほとんど生まれたままの体に装飾品をつけ、自由自在に海の世界を泳いでいる。
しかし、直前のページまで「人間ではない空想上の生き物」として許されていた人魚姫の姿は、人間の下半身と接続した途端、突然「子どもが見てはいけない生々しいもの」に変質する。
人魚姫が人間になろうとして、何もわからないまま「なり損ねた」ぶざまで痛ましい姿が、あの裸身なのではないかと俺は考える。
実際、アンデルセンによる原作には、王子に姿を見られた人魚姫は、自分が何も身につけず裸であることに後から気づき、慌てて長い髪で体を覆い隠したという描写がある。
この恥じらいの描写は、人魚姫が目を覚ますまで、無言でその場に突っ立って彼女の姿を眺めていた王子の態度と併せて考えると、両者の間にいたたまれなくなるほど明確で圧倒的な力関係が最初からあることを示しているように思える。
特に海外の絵本の挿絵にその傾向があるが、高貴な衣装で身を固めた王子が、恥ずかしそうな表情と共に髪や海藻で乳房や下腹部を隠している裸の人魚姫を見下ろしている構図は、見ていて心の奥がザワザワするほど暴力的だ。
かつて王子の命を救った尾鰭を自ら手放した今、高貴な人魚の姫はもはや空想上の美しい生き物などではなく、恥や罪や裏切りや支配のある人間世界の一員、何も身を守るもののないか弱い全裸の小娘に堕ちてしまった。
人魚姫の絵本で初めてオナニーを覚えてしまった幼少期から、こんなことを数十年間悶々と考え続けている。
正直恥じらいの描写だけではなく、人間の枠に収まるべきじゃなかった存在が、無理矢理人間に変身させられてしまう理不尽さ自体が性癖なんだと思う。
10代の頃から、ネット上で見つかる限り、世界中の人魚姫の絵本の画像を保存している。特に人魚姫が人間に変身した直後の場面の挿絵を執拗に集め続けた。
動画サイトに上げられている、この童話をモチーフにした国内外のアニメ作品(プロアマ問わず)のスクショもそこには含まれている。
この物語が時代や地域を超え、世界中の人に愛されている証拠だ。
去年、最近の人魚姫の絵本が萌え絵に寄ってきているとか、そもそも30年前から書店で売られている定番の絵本の画家は当時活躍していた有名なアニメーターだとか、そんな議論がネットの一部界隈を騒がせた。
俺にとっては今更な話だ。
子ども向け絵本に相応しい絵柄というものは時代によって変わるのだとか、特定の画風や表現に目くじらを立てる大人の方が歪んでいるのだとか、どちらも冷静で健全な意見だと思うが、上記の葛藤を長年抱えている俺個人にとっては疎外感しか湧かない。
絵柄がどうであろうと、この世で作品として表現された多くの人魚姫に対して、俺は欲情するし、ポルノのように見なしてしまう事実がある。
絵本を生み出し子どもに届けることを職とする人々には、こんな読者がいることを心から申し訳なく思う。
しかし、原作の内容からして、やはり人魚姫は初めから人の心の後ろめたい部分を刺激する歪さを含んだ物語だったのではないだろうか。
人間への変身を遂げた直後の人魚姫の肢体を、露わに描くことの是非は正直わからない。
わざと扇情的に描くこともないんじゃないかと思う。そんなことをするせいで俺のような変な人間が出てしまう。
あくまで自分の体感だが、実は2010年前後から、子ども向けの読み物における人魚姫の挿絵の表現に変化が現れつつある。
2010年代(ゼロ年代からそうだったかもしれない)の人魚姫達は、痛ましい裸体を王子や読者の目に晒すことが前よりも少なくなった。
浜辺に倒れて気を失っている人魚姫は、何も着ていないのではなく、鱗が変化したと思われる可憐なドレスを予め身に纏って描かれるパターンが増えている。
俺は正直、その傾向にものすごく安堵している。
もう欲情しなくて済むし、後ろめたさを感じなくてもいい。
そうすれば人魚姫の清純さ、可憐さ、儚さ、気品は十全に表現される。
さっきまで被服の概念のない無垢な世界で生きていたせいで、自分を愛さない男の目に一糸纏わぬ裸体を晒す、愚かで無知な少女はいない。
俺は間違いなく、おそらく意図的にこんな理不尽で無垢で蠱惑な物語を歴史に残したアンデルセンを、良くも悪くも一生恨み続けることだろう。
追記:
向こう見ずで愚かな少女の憧れが、最後に宗教的に高尚な愛と犠牲の境地に昇華していく話だというのは理解しているんだけど、なんかそこに至るまでの過程に、清純になりきれないエグみやエロさが含まれているような気がする。
個々の絵本やアニメのような派生作品には、言いづらいけどオカズを探してたはずなのに純粋に芸術性の高さに圧倒されてしまうような素晴らしいものも多い。特に東欧の絵本とかすごい。
どちらかといえばアンデルセンだけじゃなくて、数年周期でよくネットで「人魚姫の絵本がエロい」と騒がれる絵(30年前からおそらく今に至るまで日本で1番手に入りやすい人魚姫の絵本が出典)を描いた高橋信也さんにも複雑な気持ちを抱いている。
エロ目的で描かれたものじゃなく、社会で広く受容されているし文化的にも高い評価を受けている作品を幼少期からずっとオカズにしていることは、とてもじゃないがこの先なかなか打ち明ける場がないだろうと思ったので、一度言葉にしてみたかった。
これを投稿して16時間後の今、「王様の耳はロバの耳」の床屋のような気分でいる。肩の荷が降りた感じだ。
訂正すると、画像が2000枚あると書いたのは多少不正確だった。
人魚姫関係以外の非三次元のオカズ(MtFのTSFとか)も合わせてまとめたフォルダの画像の総数が2500枚程度だった。
実際にあの場面の画像を今まで確認・収集できている人魚姫派生作品の数は、300前後になる。1作品から複数の画像を保存する場合が多いのでこうなるんだろうな。
基本的に俺は変身前の人魚姫の姿で抜くことができず、本当にピンポイントで人間になった直後のあの場面だけに欲情してしまう。なので人魚の姿での画像は集めていない。
加えて、子ども向けとはいえ裸の少女が描かれている微妙な場面の画像が、人魚の姿での明るい表紙絵や、華やかなドレスを纏った終盤のシリアスな場面の挿絵に先んじてわざわざネットに上がる頻度は、やはり少ないと言っていいだろう。
こんな目的意識を持ってネットの海を長年徘徊していると、海外の人魚姫好きが日本の東映が昔作った長編アニメ映画とディズニー版を比較したレビューを書いていたり、ディズニー版はディズニー版で色々な(俺のようにおそらく性の目覚めを奪われてしまったのだろう人間を含めて)ファンがいたり、ニコ動のボカロ曲がアンデルセンの原作通りの筋書きを教えてくれる作品としてyoutubeの投稿者の間で何年も根強い人気を持っていたり、simで人魚姫の物語を再現する動画投稿者が定期的に現れたり、各国で様々な人魚姫が作られている様子がわかったりと、とにかく色々な受容のされ方を目にする。
そこで起きている現象を自分しか知らないままでいるのは何となく惜しいような気がするので、具体的にこの派生作品のここがエロいと感じてしまうという懺悔を含めて、ろくなものにならないだろうが雑な考察をまたいずれ投稿するのもありかもなと考えている。
4/18 再々追記:
ブコメの中に池田浩彰さんの名前が挙げられていたので回答します。
あの本は確か残念ながら絶版になっていたはずだけど、小学生の頃に図書館で見た時はかなり動揺した。
人魚のデザイン(知らなければ画家の名前でググってほしい)もそうなんだけど、画風の美麗さといい、しっとりと柔らかそうな人体描写といい、一度見たら忘れられないような印象の強さがある。唯一無二。普通に絵画として好きだけど、色々な気持ちになる。
この投稿を読んで実際どんな派生作品があるのか調べてみたくなったというブコメもいくつか見かけるけど、個人的には「little mermaid andersen」とか「人魚姫 絵本」とかに色々な単語(legsとか裸とか)を加えながら、グーグルやyoutube、あとピンタレストでもずっと黙々と検索していた。
英語もいいけど、youtubeだとフランス語やスペイン語、あとイタリア語とかで「人魚姫」を意味する言葉を検索しないと辿り着けない動画も色々ある。正直その辺の検索ワードはウィキペディアの人魚姫の記事の各国語版を参照しながら、読めなくてもスペルがそれっぽい単語を勘で拾って打ち込んだりしていた。
いつのまにか性癖の話は脇に置いてでも、一つの童話に対してあれほど多様で豊富な派生作品が存在する様子を誰かに知ってほしい気持ちが湧いてきた。
実際に集めた画像を見てみたいというコメントもあるけど、しかし、その多くはそもそもエロ目的なんかじゃなく純粋な作品紹介のためにネットに上げられたものが大半なんだ。
『移動都市/モータル・エンジン』(以下、移動都市と省略)を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ。
120点ヤッター!バンザイ!。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。大満足なんではあるが、この大満足は極めて個人的な感情であり、しかもタイミングによるところが大きい(後述)。なんで皆様におすすめできるか? オールタイムズベスト的な価値があるか? といえばおそらくない。見なくて良い。
しかし一方で今じゃないと書けない評価もあると思うので、この記事はその辺について触れたいと思う。
当方は「パンフとか購入するくらいならもう一本別の映画見るわ教」の人間なので詳しいセールス文句は知らないのだけれど、スタッフ的には『ロード・オブ・ザ・リング』のスタッフが結集!とのことで、ほうなるほどと思って足を運んだ。どうでもいいけど、この映画、日本での広報に失敗してない?
んでもって内容なのだけれど、想像した以上にCGが良かった。「CGが良い」っていろんな方向性があるんだけど、一昔前の重要課題だった「嘘くさくない」とか「合成に違和感がない」みたいな部分は今やもうすでに解決済みであって、現在では「どれくらい見たことがないすごい景色を見せてくれるか?」ってとこが焦点だとおもう。
その点において『移動都市』は素晴らしかった。超巨大戦車じみた土台の上に一個の都市ロンドンが乗っかって、スチームパンクともレトロフューチャーとも言える鉄量にまかせてゴンゴンガンガン進みながら、その中には宮殿も大英博物館もあってゴシックな生活もあるってあたりが、もう、きゅんとくる。世界観の荒唐無稽さを、CGによる映像美と迫力で押し切るという、いわば「嘘の芸術」である映画のセンス・オブ・ワンダーが花開いていた。その点は二重丸。
アクションも、チェイス、市街戦、空中戦、焼け落ちる基地からの脱出、潜入、銃撃戦と各種取りそろえそれぞれにレベルが高く、十分以上に楽しめる。
一方で脚本は、まあ、悪くもないんだけど、そこまで良くもない。割りとありきたりな復讐劇で世界観とCGによる大美術とアクションに全ふりしたような映画ではあった。
登場人物も、主人公ヘスター・ショウ(母親を殺害された件をきっかけとする復讐者)とトム・ナッツワーシー(ヘスターに好意を抱き所属するロンドンを裏切って協力する史学者&飛行機乗り)は、内面的にも平坦でそこまで感情移入するってほどでもない感じ。
二人をお助けする女性賞金稼ぎのアナ・ファンのほうが汎アジアキャラ的なドラマをもっていて好感度高かったほど。
だいたいしめて90点くらいで、レイトショーで割引で見ると満足な映画というのが評価だろうか。
しかし!上記のような説明ではこの映画を120点評価した理由が全くわからないだろう。ここではそこを解説したい。
そもそも『移動都市』の世界観は、現在の文明が大戦争でほぼ滅んだアフターホロコーストな地球である。大量破壊兵器メデューサで欧州は完全に壊滅して、泥炭じみたぬかるむ湿地の広がる大荒野になってしまっている。そこではもはや土地に根付いた生産をすることは不可能であり、都市は「移動都市国家」としてそれぞれが巨大陸上兵器になりつつ、荒野をさまよって、より小さな移動都市を鹵獲して、食料や燃料や労働力(そこの市民)を略奪して暮らしているのだった。
今回映画『移動都市』の主役都市とも言えるロンドンは、その中でもかなり大きなものであり、旧時代の文明研究をして工業力を維持しつつ、小都市を略奪して巨大化しているっぽい。
ロンドンはどうやら物語開幕直前にドーバー海峡を渡ったようで、欧州東部の小都市国家郡にたいする略奪旅行にでる。わーお!プレデタージャーニー!これを市長は「都市淘汰論」とかうそぶいて正当化する(ダーウィニズム! キタコレ)。
この時点で映画開始から10分もたってない。すごいよロンドン。めっちゃゲスじゃないですか。
移動略奪都市ロンドンは「移動派」を名乗っていて、一方で、ユーラシア大陸当方には「反移動派」がいて、これは旧来の都市運営のように普通に地面に都市を作って周辺で農耕しているらしい。映画後半になるとそっちにもカメラが行くんだけど、緑豊かな自然を復興している。
東へ向かうには要所となる渓谷があり、そこに東部の「反移動派」たちは「盾の壁」なるものを築いていて移動略奪都市の侵入を拒んでいる。この「盾の壁」と移動略奪都市ロンドンの大戦争が映画のクライマックスだ。
物語中では明言してない(してるわけがない)んだけど、この「移動派」の移動略奪都市ロンドンって、もう、完全に植民地主義なわけですよ。
巨大な鉄の破砕口で逃げ惑う小移動都市を捕捉してバリバリ噛み砕き、そこの住民たちを「強制移住」させて「ロンドンへようこそ!あなた達には住居と仕事が提供されます!」とか放送しちゃってるけれど、そういうひとたちは都市最下層の労働者タコ部屋みたいなところに押し込んで働かせている。
そういう小移動都市を奪って「燃料一ヶ月分の足しになるか」とか市長は言い放つし、ロンドンの公園テラス(周辺の荒野が見える)では、ロンドン上級市民が鈴なりになって、(おそらく東欧の貧乏な)小移動都市に銛を打ち込んで串刺しにして鹵獲するシーンとかで「うぉおおお!!ロンドン最高!!」「やれー!やっちまえーー!!」「貧乏人を奴隷にしろ!」とか大歓喜なんですよ。
もう、このシーンだけで興奮してしまう。
まじか。スタッフまじでこの映画作ってんのか? っていうか原作小説からこれかよ。パンクだな。
しかもそのうえ「反移動主義者どもは盾の壁などをつくって我々を干上がらせるつもりだ!けしからん!奴らの土地を奪うぞ!!決戦だ!!」「うぉおおお!ロンドン!ロンドン!!」とか言い始める。
これだよ。これこそが大英帝国だよ! 大英博物館はそうやって鹵獲した貧乏都市に残されていた旧時代の文明異物を収集して飾っておくとか説明されて、「わかってるよこの作者ぁ!?」ってなるなった。
んでまあ、そうやってね。植民地最高!労働力は移民(白目)でOK!上層部では光降り注ぐ庭園とヴィクトリアンなライフスタイルで下層はスチームパンクな労働者で身分が違うからろくな会話もできません。みたいなロンドンが、最終的にはコテンパンに負けるんですけどね。
原作者フィリップ・リーヴはイギリス出身なんだけど、自虐っていうかシニカルな笑いが凄まじいな。まさにこのシニカルかつブラックな笑いがこの映画の加点理由であって、だめな人には全くダメだし、歴史的な経緯がわからないと小芝居に意味が無いとも言えるし、そういう意味では難しい映画かもしれない。でも、めっちゃパンク。
まあそういう感じでゲスなダメダメさを楽しむ映画ではあるんでが、日本の場合はさらにボーナスがあって、それはイギリスがただ今絶賛ブレグジットに関するgdgdの真っ最中であって、過去自分がやった鬼畜所業を再確認中だってことですよね(欧米での公開は去年なのでそこまでタイミングドンピシャじゃなかった)。
イギリス人「だってイギリスはイギリスのものなのに政治の中枢がEU本国側にあるなんていやでしょ?」
みたいなことを思い出しながら『移動都市』を鑑賞のは最高に贅沢だと思うのですわ。メイちゃん首相もだんだん顔が怖くなってきたし。『移動都市』みたいにEUぶらり旅で離脱できるとええな。
https://www.google.com/search?q=こち亀 不良
ときどき見かける「イケメン/美少女に勝手に惚れられる主人公のマンガ/ライトノベル作品が都合よすぎなのでキモイ」論、共感したことなかったんだけど、ようやくその気持ちがちょっとわかったわ
ディズニー映画やその亜流などに顕著だが「偽りの勝利」→「どん底/敗北/最大のピンチというクライマックス」というパターンを踏む作品が多いのは周知の事実で、本作でも「麻薬の運び屋になる」→「大金を手にする」「最初はおそろしかったヤベー奴らに一目おかれるようになる」→「ヤベー奴らが代替わりしてもっとヤベー奴に締められる」「家族との亀裂深まる」「順風満帆に見えた犯罪稼業もDEAに嗅ぎつけられいつ逮捕されるかわからない」という風に展開していく。
その展開は「間違った価値観に基づく悩み(疑似問題)」→(最大のピンチ)→「真の問題に気づくことと、問題解決のセット」というプロセスによって挟まれていることが多い。(ファインディングニモ然り、シュガーラッシュ然り、インクレディブルファミリー2然り…)
『アメリカン・スナイパー』『15時17分、パリ行き』『ハドソン川の奇跡』『インビクタス』あるいは別監督の同年作品『グリーンブック』みたいな、実話に強く寄せた話ではない(一応、実在の事件にインスパイアされてはいるが、左記作品群のようには実名を使用していない)。
花卉栽培に熱中し、実益があるもんだから家族を顧みず全米を飛び回る。ところがインターネットの発達により実益が消滅、畑は差し押さえになる。みんな金がないのが悪いんや…から始まる物語。
ハッピーエンドというと、多くは「生きるか死ぬかの賭けに勝つ」「優勝してチャンピオンになる」「絶体絶命のピンチに遭遇し知恵と勇気で切り抜ける」「悪者をやっつける」「宝石を手に入れる」「一か八かの挑戦をして成功する」「追手から逃げ切る」といったものになり、「死ぬ」「負ける」「やっつけられる」「大金を手に入れられない」「失敗」「捕まる」で終わるものは通常バッドエンドとみなされることになる。
ところが『グラン・トリノ』は最後に主人公クリントイーストウッドが撃たれて死ぬが、ハッピーエンドなのである。これは「生命を失わない」ことより高い価値を持つものを主人公クリントイーストウッドが手に入れたというによって達成される。すなわち「他者との精神的つながり」が、生き長らえる、物質的な豊かさを超える至上の価値としてアピールされているのだ。(もっとも一般的なのは童話の昔から定番の男女間のカップル成立だが、『グラン・トリノ』の場合はアジア人の少年とのつながりを得ることができれば死んでもいいという価値観)
本作では、「間違った価値観に基づく目標と偽りの勝利」は「(悪いことをして)カネを稼ぐ」「それによって、家族ではなく、在郷軍人仲間(ベトナム戦争に参加していたという設定)や園芸職人仲間から称賛される」「モテる」で、成功=偽りの勝利シーンに”ああ、こいつ(クリントイーストウッド)あかんやつや”という通奏低音がいやというほど鳴り響いている。
ところが、このじじいがいろんなところで調子よすぎるのである。
前述の「ヤベー奴らに脅されたりスマホ(SMS)も使えなくてバカにされたりもしたが、持ち前の気骨ある行動とイケメンぶりで一目置かれるようになる」もそうだが、
家族とのディスコミュニケーションがマイナス要因で「妻からは冷たくあしらわれ、娘からは12年間口をきいてもらえず、家族の中では唯一孫娘だけが味方」
からの「妻が病気で倒れたと孫から連絡を受けるも、コカイン運搬中であり、どうしても駆けつけられないし事情も説明できない。そのためついに孫娘からも敵に回る宣言を受ける」という最大のピンチの後には、
「どうにか一仕事終えて家に駆け付けたら死にかけた妻に”あなたはひどい夫だったけど、最後そばにきてくれて看取ってくれるなんて超最高よ愛してるわ”と言われる」のだ。
妻の葬式、娘とも和解。葬式優先したために、グレードアップ後の、一目置いてくれていたやつらよりさらにワルいやつらに殴られる。(唯一のダメージらしいダメージはここだ)
そして逮捕。
裁判では無罪を勝ち取ろうとする弁護士を制して「わしゃ有罪じゃ」
最後は、刑務所の中で再び大好きな花育てを行うクリントイーストウッド。
引いて、終わり(ゲットワイルドは流れない)
っていやいやいやいや。違うでしょ。
何(1)妻が死んだ(2)ちょっと殴られた だけのダメージで 幸せいっぱいに園芸やって終わってんだよ。(服役中だけど)
娘もなんで最後にちょっとふらっと現れて口先で謝っただけで受け入れてんの?
涙まで流して「なるべく面会に行くわ」「(犯罪で稼いだお金で)取り戻したお父さんの大事な畑は私が守るわ」と抱きしめてたの?
「わしゃ有罪じゃ」宣言、そりゃ万ドル単位で犯罪マネーを蕩尽しといて当然でしょ。
前半にはアジア人を差別するクソ白人至上主義野郎だった『グラン・トリノ』の主人公が、見終わったらいい奴だったと心に残るのは、撃たれて死んだから。
(自分が東欧系移民でややカースト低め、非WASP白人だったということもある)
最初の話に戻ると、「空から美少女が降ってきて惚れられるし俺はTUEEE」な話を叩く人は、等価交換を重視してるのかもしれないと思ったよ。
近い将来のうちに、第3次世界大戦に戦線拡大しそうな火種がいくつも散見される。
1のウクライナ戦争に関しては、2014年から続いているロシアによるウクライナ・クリミア半島の併合問題は現在も解決されていない。
イギリスのEU離脱などで、欧州諸国も足並みが乱れているし、アメリカも自国のことが手一杯になっていて東欧情勢に手が回りそうにない。
2のカシミール問題。つい先日、パキスタン軍がインド戦闘機のパイロットを拘束して両国が緊張状態になった。
インドとパキスタン、双方とも核を持っている。カシミール紛争にはこの2国のみならず、中国も噛んでいるので質(タチ)が悪い。
最後の3に関しては、情勢がカオスになっていて説明する気にもなれない。
「北朝鮮問題が入っていないじゃないか」と反論されるが、北朝鮮発の世界大戦は起こらないと思う。
先月の米朝会談は決裂したが、アメリカは北の非核化の期限は設けず、今後も経済制裁を続けながら様子見をすると言っている。
無理に北を非核化させて、北朝鮮そのものが崩壊するよりも、現状維持の方がいいと判断しているわけである。
これらの地域紛争が戦争になり、ロシアや中国がそれぞれの目的から介入して、それを阻止するためにアメリカ・欧州が参戦するパターン。
・認識が偏っている
→まず論点がそこじゃない。認識なんて立場によって変わる。わたしが言ってるのは日本も「謝罪・賠償しました」と主張すればいいということ。あと、あなたみたいに知人をソースにしてもいいってんなら、ドイツに大量にいる東欧からの移民も大体「ドイツは少なくとも謝罪した」と思ってる。
https://www.wissen.de/welche-reparationsansprueche-gab-es-nach-dem-zweiten-weltkrieg
(追記)https://en.wikipedia.org/wiki/Wiedergutmachung
フツーにWikipediaにもあったわ。ソ連、東欧、ギリシャに賠償金支払ってるみたいですけど
・博物館のは2年?3年?くらい前だけどドイツ人から聞いたから眉唾じゃないならたぶんある
→こういうこと書いてるから全部妄想だと言われるんでしょ。今のドイツでこんなことやったらドイツ人から放火されておしまい。ドイツでナチスがどれだけタブーか分かってる?仮にその話が本当ならそのドイツ人が頭おかしい。まともなドイツ人だったら絶対にそんなこと言えない。
・植民地にも賠償もしてないしむしろ逆に何か請求してた気がする独立した側に
その方が常識らしいけど
→どの国の常識???しかも”気がする””常識らしい”って大丈夫??あなたが博物館についてテキトーなこと言ってる時点でお察しだけど、これに関してはできれば日本語以外のソースをきちんと提示して欲しい。まあ日本語でもいいけど。
→ん???なにを知ってたって?笑
日本人として「気に食わん」って感情はわかるんだけど、別にあちらの人がそーゆー事言うのも感情的にそうなんだろうなとしか思えない。
政治的にも外交的にも天皇が直接何かを決めたり条約を締結したりできないじゃない。
実現するかどうかは別として、言うだけなら天皇に謝罪を求める事の何に問題があるんだろう?
例えばこの事を直接の利害が全く無いアフリカとか東欧とか南米とかの誰かに説明する時に、タイトルの通りの質問をされたら何て答えればいいの?
失礼だ!って怒ってる人たちは、なんで失礼だと思ってるのかな?一国の国会議員ごときが天皇に謝罪を要求する事が失礼だって怒ってるのかな?
https://twitter.com/crd_tweet/status/1075996340809719808
https://twitter.com/Sakai_Sampo/status/1075996738756866049
ま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜た出たよSFファンの「えっ!? この作品を知らない人がいるなんて!?」マウンティングが。腐臭がする。そういう態度とるくらいなんだからSF老害おじさんにおかれましては日本古典近代戦前文学は言うまでもなく英米仏西伊独南米東欧文学の名作は当然読んでるしアニメ漫画ゲームの有名処は全部触れてるんですよね? どんな人でも絶対に「あの有名どころを読んでいない」なんてこと当然あるに決まってるだろ。SFの業界人がSFの有名どころを読んでなかったらそうも言われても仕方ないかもしれないが、共同リファレンスみたいな一般市民が普通の司書さんに質問した程度の案件でなんだその態度は。大体そもそも多読が可能かどうかって個人個人の特性によることが大きいから名作を全部おさえるみたいなのってできるひととできないにとが明確に分かれるだろ。SF語るのに1000冊読んでいる必要はないって口では言いながらこういう事例ですぐマウンティングしてくるからSF老害は信用ならねえんだよ死ね。
こんな記事がありまして
https://www.huffingtonpost.jp/2018/12/01/ceu-tsuihou_a_23606239/
「ノーベル賞受賞者17人を輩出しているハンガリーの名門私立大学院大学・中央ヨーロッパ大学(CEU)は、12月1日、ハンガリー政府との合意に達せず、講座の大部分を新設するウィーンキャンパスに移転することが決まった。」
とのこと。(多分修正されるだろうから確認した期日を記載しておく:2018年12月3日0時です)
主な内容としては、ハンガリー国政府がジェンダー研究を禁止し、それに反発した「中央ヨーロッパ大学」がウィーンに全面移転するとのこと。ものすごいニュースだ。そんなすごい大学が、大学機能を国外移転しちゃうなんて。しかもそんな大学知らないぞ。
ノーベル賞受賞者17人を輩出、って言ったら大変なものだ。日本なら東大が8人、京大が7人、とかのやつだ。この両校を合わせたよりも多いのか!さすが欧州だ。ロシアとかもすごいしね。東欧には知らない超有名校があったのか。。。
世界の大学のそれぞれのノーベル賞受賞者輩出人数とか、真面目に調べたことはなくって、今回初めてこのページを確認してみた。
http://karapaia.com/archives/52158723.html
怪しげなページとは言ってもカラパイアだ。20%くらいは信用できる。
これによると、2014年でこの辺のレベルのノーベル賞受賞者数の大学っていうと、
14人:エコール・ノルマル、ヴュルツブルク大学、フランクフルト大学
18人:エディンバラ大学
一般的にはなんとも感想を言いづらいようなメンツだけれど、知識レベルがイラつく感じで高いようなはてなユーザには親和性の高い(偏見)欧州の古風な大学(とかグランゼコール)と、アメリカの若々しい大学が混じっていることに気づくだろう。端的に言って超有名校だらけで、東大・京大の2倍以上のノーベル賞受賞者を輩出していると聞いてもおかしくは無い。
この人数レベルに比肩する大学、「中央ヨーロッパ大学」だって???驚きである。
まあ、自分なりには見当が付いていて、多分以下の記事中「ノーベル賞受賞者17人を含む500人以上の著名学者がCEUへの支持を表明」を、間違えて捉えたのだと思われる。
https://jp.reuters.com/article/hungary-soros-legislation-idJPKBN17D0M3
「ノーベル賞受賞者17人が支持」と「ノーベル賞受賞者17人を輩出」では、多分アカデミアコミュニティが読んだ時の権威づけレベルが大きく違ってしまう。気をつけてもらいたいものだ。
末端の仕事は奪われ低学歴ノースキルの日本人は職を失い路頭に迷うのではと思う。
飲食の社員をしているのだがフィリピン人とネパール人のバイトがいる。彼らはとても真面目で最低時給+10円でも文句を言わず働く。
フィリピン人の方はルームシェアをして家賃を抑え稼いだ金の半分以上を本国の家族へ送金していると話していた。しかもうちのバイトが終わったら掛け持ちでコンビニのバイトもしているので実質的な休みは月2回くらいしかないという。
ネパール人はまだ新人だがこちらも本国にいる家族に送金しているようだ。こっちも至って真面目だ。
一方日本人バイト10人中5人が時給が低いことに文句を言っていた。私はバイトの方と仲がいい(仕事をする上でそうしたほうが便利)なんで彼らの愚痴はよく聞く。一応同情するフリをしつつもてめえらは外人以下の働きっぷりで高給を求めるのかよと内心思っている。
私が見ていないとすぐサボる奴はいる、忙しくない時間帯に厨房でスマホゲーもしている。こんなんで給料上げろと言われてもねって話。
日本人は勤勉でまじめというのは昔の話で今の若い人はネットの影響で「真面目に働くのってダサイじゃん?」とか「出世したくない!責任が増えるのは嫌だ!でも給料は上げろ!」とかそういう主張をする人が増えたように思える。24歳の現場リーダーレベルの小僧が言うのも滑稽だがな(笑)
このまま行けば末端の仕事は外国人に取って代わられるであろう。安倍総理が進める実質的な移民政策でいずれそうなる。ドイツやスペインも末端の仕事を東欧やイスラム系に末端の仕事を奪われノースキルな人が無職になり移民排斥運動が起きている。
飲食介護は人手不足だが賃金は上げたくないのが本音。どちらも構造的に生産性が低い業界だから仕方ない。だから外国人を入れるしかない。外人は本国よりも何倍もの大金を稼げるので文句を言わない。
低学歴ノースキルの日本人よ、もっと危機感を持ったほうがいいぞ。最低賃金でも職にありつけられるのは今だけかもしれない、少しは感謝するべきであろう。