はてなキーワード: 杉村太蔵とは
誰に何の仕事が向いているなんてわからないが、確かに好きなことをする、と言うのは精神衛生上すごく良い。そして給料も良ければなお良い。
でもどの仕事にどういう人が向いているのかはある程度あると思う。そういう視点で探してみたら何か見つかるかもしれない。
同じようにSI業界に居た人間として、ちょっとSI(主に元請け)に向いている人を話してみようと思う。
私はもうすぐ40になろうかと言う人生を送っていて、底辺SI、ウェブ系、元請けSIを経て今はソシャゲの会社に居る。待遇・内容共に今は満足できている。
元増田の内容には概ね同意。技術者でありたい思う人には「SIはやめておけ」と言いたい。
が、元請けSIを経験して思うのは「おいしい仕事でもある」と言うこと。
技術者では無い人、とりわけ仕事に意義や理念を求めず、お金のためならある程度割り切れると言う人にはとても美味しい仕事だと思う。
技術者としてSIをオススメしない理由は多々あれど、一番大きいのはITに関する技術を必要とされないと言うこと。
元増田の内容にあるように、主な仕事は単価交渉や外注管理。システム開発はするな(別な会社に丸投げしろ)と会社は言う。
だが視点を変えてみると、元請けSIだと技術は問われないので、技術者で無くてもそんなに問題ない。
ただ向いてる人と言うのもあって、自分で仕事をしたくない、面倒なことは人に全部押し付けたい、人にどんな文句を言われようが気にしないメンタルを持っている、もちろん他人の痛みなんて分からないし分かりたくもない。
そんな人には天職だと思う。勝手な思い込みけど、杉村太蔵とか向いてそう。
収入は基本的にピンハネなので、奴隷のように安い単価で働いてくれる協力会社をたくさん抱えて、契約をどんどん取ってたくさん放り込めば良い。
協力会社にいくつかのプロジェクトを担当させておけば、文句を言われた際に営業に「発注減らすぞ」と遠回しに脅せばおとなしくなる。
ピンハネも相当なもんで、だいたい半分くらいは取っていた。なので給料も相当に良い。
A社はPM1名、残りは9名は全てB社。
元請けは一人の単価150万で受注する。
一ヶ月で入るお金を考えると
・A社に入るお金
150万円 x 10 = 1500万円
B社に払う経費:ピンハネ50%として75万 x 9 = 675万円
・B社に入るお金
75万 x 9 = 675万円
これを一人辺りで稼いだ金額で考えると
A社のPMは1500 - 675 = 825万円
B社は一人辺り75万円
825万稼ぐ人と、75万円稼ぐ人。給料に相当な差がでるのは明白だと思う。
で、ITだと元増田みたいなまともな技術者は理想だったり話に整合性を求めたがるので、こう言った下請けを使うPMと言う立場では冷酷になりきれない時がある。
協力会社なんて顎でこき使えばよいのに、相談を聞いて力になろうとしちゃったりする。
なのでそういう同僚を蹴落とすのは楽。勝手に潰れていったり、「改善しよう」と面倒な仕事を増やして周りからも疎まれる。
なんか書いてて悲しくなってきた。
私はそういう所で頑張った結果、人を人として見る能力が失われ、毎日嫌なことをしてる自分が嫌いになり、人を好きになることもできなくなる。
頑張って元請けSI会社に入ったのに、得たものは自分が嫌いで、人を好きになれず、ちょっと給料が良いことにすがっているだけの嫌なヤツだった。
ああ今夜は寒い。もう寝よう。
数年前から「社会学者」という古市某という人が、若手の論客として幅を利かせているのを、よく見かけるようになった。
「学者」というからには、どんな研究をして、いかなる学術論文を発表されているのかと思ってCiNii Articlesで検索をかけてみたが、
ざっと見る限り、いわゆる総合雑誌とかの記事が多くて、しかるべき査読を経たような学術論文はほとんど発表されてないようだ。
参考までにwikipediaを検索してみると、この人は「大学院生」だとなっていた。
なるほど。
学者というのは、やはり、研究成果を世に問い続けてこその存在であって
既存の知見を上手く組あわせて、ただかみ砕いて説明したり、
ちょっとした思い付きで、複雑な問題を分かったったような気にさせたり、
ちょっと斜めからなんか気の利いたようなことを言って場を盛り上げる人たちとは違うと思う。
古市某のような感じでテレビにでているのだけれど、「○○学者」じゃなくて「○○評論家」という肩書を使っている人たちもいる。
まあ、評論家といえば、どこまで裏付けがあるのかよくわからないけれど面白げなことを放言して「ホンマでっか?」と言わせる人たちだという印象が、
ここ数年でついてしまった感じがあるのだが、個人的には、本当の評論家というのは、たとえば「現代美術が全く分からない人」にたいして、
15分で「現代美術とは何か」説明してくださいといわれたら、とりあえず、「魅力の一端」くらいを伝えてくれて
「なるほど、ちょっと面白そうだな、今度、そういう目で現代美術を見てみようかな?」とか思わせられるような人のことじゃないかと思っている。
「○○漫談の人」というのは、
以前、番組のゲストにきた杉村太蔵に対して、有吉が「アナタ、今、本業はなんなの? 政治漫談の人?」と言っていたのを見て、
「やはりうまいこと言うなあ」と感心して以来、個人的に使っている。
この言葉を使い始めて以来、世の中を見回してみると「脳科学漫談の人」とか、「生物学漫談の人」とか、「国際関係論漫談の人」とか、いろんな漫談の人が活躍していることに気付いた。。
なお、巷には、脳科学をネタに、なにかと「Aha~」と言っている茂木某のことを「アハ芸人」と呼んでいる人もいるが、
お笑い好きの自分としては「芸人」という言葉を安易に使ってほしくないという気持ちがある。
やはり笑いにそれなりに命を懸けている人たちこそが「芸人」なのであって、「アハの人」は、自分の中では「脳科学漫談の人」という棚に整理している。
マスメディアは、「学者」「評論家」「漫談の人」をちゃんと区別してはくれないようなので、したり顔で何かを語っているタレント以外の人を見かけると、
自分の中で「こいつは学者」「こいつは漫談の人」と整理しているのだが、気が付くと「漫談の人」の棚ばかりが溢れんばかりになってしまっている。
1年時にいじめにあっていて、父親が学校に相談し、一旦はいじめは収まった。
しかし、2年になると、またいじめが始まり、父親に相談したら、はっきりしたセリフは忘れてしまったが
「抵抗しろ」とか「やりかえせ」的なことを言われ、少年はその通りにしたらしいが、いじめはなくならなかった
それで、父親に相談することはなくなり、担任にノートで訴えたが、どうにもならず自殺してしまったわけだが
1年時に同級生の女子生徒がいじめられているのを見て、少年が心配して女子生徒に声をかけたらしい、その女子生徒がお通夜の際だかに、母親にそのことを報告していた
で、1年時、少年や女子生徒がいじめにあっていた実情があったにもかかわらず、その年のいじめ件数は0件と教育委員会に報告していたらしい
杉村太蔵が、「自ら命を絶つことは許されない」「本当に死にたいと思うような学校だったら、行く必要はない」
「いじめがあるから学校に行きたくないと言えば十分、そこから可能性はいくらでもあるからね」と発言したらしいが、僕も全く同意見だ。
http://anond.hatelabo.jp/20110408113654
杉村太蔵のことは忘れたっていうか、彼の政治生命はもう尽きているから、まったく興味が湧かないんだけど、小泉進次郎はどうなの? 自民党の若手ホープとして、すごく期待されまくっているよね?
元総理の息子ってことで、どうしても注目度は高いし、さわやかな好青年らしき外見に加え、ペラペラと巧みな言葉を用いるから、何の成果もあげていない新人議員のわりには、マスコミで気持ち悪いぐらい持ち上げられまくってきた。
しかし、それとは裏腹に、小泉進次郎はあまり頭が良さそうには見えないし、政治には無知なんじゃないかという印象を受けてしまった。パフォーマンスがうまいだけで、実はかなり勉強不足なのではないか。
私も実情を知っているわけじゃないんだけど、この違和感はどう説明したらいいんだろう…?
第一に、彼を持てはやすマスコミに不満がある。国会議員はそこらへんの芸能人じゃないんだから、インタビューのときは厳しい姿勢で臨み、ちゃんと突っ込んだ質問をしてほしい。
現時点ではほとんど功罪がないから、果たして彼が政治家として無能かどうか、無知かどうかはよく分からない。ただ、小泉進次郎にはその場しのぎの発言が多い。というか、彼が記者に向けて、一方的にしゃべっているばかりに見える。
それも、ある政治家の人柄とか、揺れ動いている政局だとか、そういったことをネタにしているだけで、自分のやりたい政策を主張することがない。民主党の失政をあげつらって怒ることはあっても、その政策を具体的に批判するわけじゃないし、自民党はこうするつもりだというビジョンを述べるわけでもない。
つまり、杉村太蔵とは別の意味で、コミュニケーションが一方通行なのだ。彼も事前に用意したことをしゃべるだけである。
小泉進次郎は、相手とのやり取りが必要とされるもの、例えば公開討論会やトーク番組に、出演したりしてるのだろか? あれだけ人気があれば、テレビ番組からお呼びがかかっても良さそうなのに、そして、彼が出演することで自身や党の宣伝にもなるはずなのに、そういう話はあまり聞かない。
もしあれば、ぜひチェックしてみたいと思う。
ほんとに政策に詳しいのか、双方向の議論ができるのか、とっさの機転が利くのか。それは彼が他人から予想外の批判されたときにこそ試されるであろう。
元小泉チルドレンで今は国会議員返り咲きを狙ってる杉村太蔵さん。
あの人って明らかに変だよね。
太蔵さんはTVに出てくるたびいつも会話がまともに出来ない。
自分の番が来たら、用意してきたらしいことをドバーッと喋るんだけど
他の出演者からの合いの手や質問や突っ込み、司会による整理、はまるで受け付けない。
だから、やり取りをしながら盛り上がっていくとか膨らむってことが全然無い。
司会が「なるほどそうですかー」で終わらすか
お笑い芸人が外側からの茶化しでオチをつけてくれて終わるかになる。
ちょっとあがってるとか、照れ屋さんだとか、口下手だとか、そういうのとは全く異質。
更に先日、
ゲストが悩み相談する番組(相談に応じてくれる学者とのやり取りが必要な番組)に
太蔵さんがゲスト出演してたんだけど、そこでの彼は普段以上にその異常性があらわだった。
太蔵さんの質問は「人の名前を覚えきれない」で、
政治家は1日に数百人と名刺交換するんです、なんてミニトリビアも交えて
相談内容の説明まではスラスラとやってた。
でも質疑応答が始まるともうおかしくなって
症状の程度を具体的に質問されてるのに答えられない。
というより、聞かれてることにまともに答えることがほとんどない。
「会ったことも思い出せないんですか、顔と名前が一致しないだけですか」っていう二者択一質問されても
「いや、違うんです!」とか言いながらまた自分の話を始めちゃう。
とはいえ番組構成上、学者からのアドバイスや処方箋を聞く段になるんだけど
「こういう記憶のテクニックがありますよ」って女医か何かから教えられてるあいだ
太蔵さんは明らかに真面目に聞いてない。
表面的には口開けて大げさに何度も頷くという感心のリアクションをしてるんだけど
ちょっと注意して見ていれば無言で伝わってくる「聞きたくねえ」「我慢してます」感。
あと、太蔵さんはすごくわかりやすい癖が未矯正で残ってるんだけど
嫌なことに耐えてるときに露骨に細目になる。
「興味が無いことについては脳は記憶しにくい仕組みになってます」
かろうじて口では「ああ~ なるほど…」とか言いつつも
腕を組み首をひねって顔を斜めに向け、眉毛を寄せ、上唇が上がり、細目通り越して薄目になって聞いてた。
もう全力で「これ以上聞きたくないです!」っていう意識が表面に現れたボディランゲージ。
彼はもしまた議員復帰しても外交とか交渉ごとはやらないで欲しい。
・・・でも最近こういう人物をリアルでもネットでも散見する気がしない?
2a・表面的には明るく快活で社交的
3a・口では新進の立派な信念やビジョンを述べる
↑↓
2b・作ってるキャラと裏腹に対人ストレスに弱くてすぐ地が出る
3b・掲げたビジョンはどっかからのパクリで本人はよくわかってない
4b・ほんとは人の話聞くのが大嫌い、まして苦言なんか1秒も我慢できない
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080828/crm0808281211009-n1.htm
2008.8.28 12:13
自殺未遂騒動があった杉村太蔵議員秘書の自宅=川崎市中原区自殺未遂騒動があった杉村太蔵議員秘書の自宅=川崎市中原区
28日午前0時40分ごろ、杉村太蔵衆院議員の公設第2秘書の男性(25)が川崎市中原区の自宅で首をつっているのを同居する家族が発見した。男性は川崎市内の病院に搬送されたが意識不明の重体。遺書などは見つかっていないが、神奈川県警中原署は自殺を図ったとみて調べている。
同署や消防によると、救急隊員が駆けつけた際、男性は2階の部屋で倒れており、家族が心臓マッサージなどをしていた。男性はドアノブにひも状のものをかけて首をつったという。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51441030.html
今年30歳になる、有名人
タイゾー君とKinki Kidsと釘宮理恵とエビちゃんとBump of Chicken。
かくいう俺も今年30だ。なんというか、子どもの頃30と言えばもっと成熟するというかもっっとおっさんになるというか、そう思っていたのに意外と20の頃と大して変わっていないことに驚愕というか、何とも言えないため息が出る。
いろいろ追記。そういえば、レミオロメンも前田は今年30、藤巻と神宮司も来年30。麒麟も今年30だ。いわゆる「松坂世代」は来年三十路。
http://ccf-square.blogspot.com/2009/01/21.html
わざわざ釘宮を上げたのは、「いつまでツンデレ少女の役をやれるか」と思ったから。これはアイドル路線で売ってきた女性声優共通の問題だけどね。
同じように「Bump藤原はいつまで青臭い歌詞をかけるか」「堂本光一はいつまで王子様キャラでいけるのか」「タイゾー君はいつまで代議士でいられるか」と思ったから。30っていろんな意味で「壁」だよね。
生きていればそれで幸せ教は「はてな匿名ダイアリ」から発生した多神教である。
はてな匿名ダイアリでの下記の書き込みが直接の起源であるといわれている。
http://anond.hatelabo.jp/20081019202806
自分で「生きていればそれで幸せ教」を設立する勢いで行け。
この時期、多くの生きていればそれで幸せ教徒は、宗派に属したという意識をもたなかったとする学説が、現在の主流を占める。
21世紀初頭のアメリカから始まった金融危機以降、「生きていればそれで幸せ教」が「勝ち組・負け組み教」から独立して「生きていればそれで幸せ教」としての自覚を持つに至ったとされる。
好景気以下での「生きていればそれで幸せ教」は「勝ち組・負け組み教」「恋愛すぃーと教」と相容れず、また、過度な努力を拒んだため、社会の異分子としてしばしば注目された。
ニートだの、ワープアだの蔑まれ、信徒は何度かのいわゆる大迫害を経験した。
しかし、時の総理大臣、杉村太蔵により公認され、その後、日本の国教とされた。
生きていればそれで幸せ教の教義をもっとも簡潔に述べているのが信条である。以下に重要な信条をあげる。
・社会にも他人にも自分にも期待しない。
・恋愛はイケメン・美女という動物が行うもので人間が行ってはいけない。
・労働を行うことは、敗北である。
・我々は負け組みではなく、あらゆる欲望から解放された新人類である。
信者には、平信者と聖職者に分かれる。聖職者は、魔法使い、ニート、ホームレス、即身仏に分けられる。
魔法使いとは性欲から開放されたもので、30歳になるまで性行為を行わないことで昇格する。
ニート、ホームレスの区別は共に働かないことであるが、ホームレスは家からも自由になっているため、「生きていればそれで幸せ教」においては階級が高くなっている。
即身仏とは、瞑想状態のまま、断食をおこない、そのまま仏になったものである。食という概念から開放され仏となり、永遠の生命を取得するこの職種が最高位とされている。
一部、異教徒の手先であるマスゴミからは都会の孤独死だの、無職の男性が食事もとれずに餓死だのとネガティブな報道がなされているが、これは、自ら食を立ち永遠の命を手に入れるという荒行を冒涜するものである。
即物的なものから解放されない、未熟な信者のために以下の特典が用意されている。
・ニコニコ動画にて時報OFFが行える。
赤ちゃんポストについてまったく個人的な感想ですが、まず名前が嫌ですよ。
赤ちゃん“ポスト”とは何ですかね。とんでもないネーミングだと思いますよ。
ただね、ここで政治家として国民の生命を守る責務を負った立場から一言申し上げると、どのようなご時世であろうとも、
常識ではおよそ考えつかないような、とんでもなく無責任な親は、たとえ数は少なくても絶対数存在する、となると、
「産んだはいいけど、育てられない」
よって、例えば赤ちゃんをロッカーに入れてしまうだとか、捨ててしまうだとか、そうした胸が張り裂けそうになるような
事件が起きているのも事実です。 生まれてくる赤ちゃんには何の罪もないのに。
さてそこで、この赤ちゃんの命をいかにして国家が守るか、という点においては、胸中複雑なれども、
何らかしらの行政による救済方法は考えて当然です。
本当に難しい問題です。
仮にそうした救済措置を講じて、その結果、無責任な親の増加をまねくような事態になったらとんでもない話しです。
だからといって、現にそうした赤ちゃんをではどこで面倒を見るか、安全な場所で保育するか、実に悩ましい問題であります。
「なお非常に悩ましいし、慎重の上にも慎重な気持ちで」、と発言されています。
さて、皆様はどのようにお考えになりますでしょうか。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
娘の紗歩が生まれてちょうど2ヶ月目の日のことです。
久しぶりにママと二人で「外食でもしようか?」と画策し、まずは紗歩をお風呂に入れて、
おっぱいをあげて、うんちをさせて、お腹いっぱい、きれいさっぱり。
お部屋の室温を赤ちゃんの快適温度といわれている25度に設定し、風通しがいいように
少しだけ窓を開ける工夫も凝らして20分ほど抱っこ。
ようやく愛娘の寝息を夫婦で確認することができ、「ママ、そろそろ大丈夫じゃない?
行こうか?」と言いながら、足音を立てずに、そっと靴を……と思いきや、ママは久しぶりの
デートに少々気合が入り過ぎている様子で、やけにヒールの高い洒落込んだ靴を選び、
「そのまま履いたのでは足音が出る」と言うので玄関先まで持って出て、ようやく表に
出たときは計画立案から3時間。
それでもやっぱり「絶対に1時間で戻ってこよう!」、そんな誓いを立てて出かけた次第であります。
思い起こせば議員になって、夜は遅く、朝は早く、ようやくやってきた週末は出張に出かけ、
何だか慌しい1年だったな、などと思い出しながら、本当に久しぶりの夫婦水入らずの時間を
すっかりと安心してくつろいで、楽しく食事をさせていただきました。
おかげで夫婦の会話もよくはずみ、「よく俺と結婚する気になったな」などと妙に
ロマンチックなのかどうなのか、今更ながら白々しいことを抜かしながら、それでもご機嫌で
「あれから1年だよな」などと、マスコミに追いかけられていたあの頃を振り返り、
「本当に大変でしたわね」と、二人にしかわかりえない新婚1年目の辛苦を振り返りながら、
「これからも末永く何卒よろしく頼みます」というパパの締めの挨拶であっという間の
1時間が経過。
ママが「そろそろ帰らないと紗歩が心配だ」ということで、久しぶりのデートと紗歩の
初めてのお留守番が無事に終了した……かに思われました。
ところが、帰ってきてびっくり、というよりも親として本当に心から反省しなければならない事態に。
顔は真っ赤に紅潮し、生まれて2か月しか経たない娘の小さな額には、今までに見たこともない
大粒の汗がいくつも浮かび上がっており、着ていた服はぐっしょりと濡れた状態でした。
「紗歩、大丈夫か?」、思わず私は叫んでしまいました。
娘はもうすでに泣き疲れたのか、私の顔を見つけた矢先、何とも言えない安堵の表情を見せ、
抑えきれなかった不安からようやく解放された穏やかな表情で私を迎えてくれました。
本当に新米パパには何とも心に深く突き刺さるような印象的な事件で、これで何もなかったから
よかったものの、「本当に悪いことをしたな」、そんな思いが込み上げてまいります。
このことは私も妻も親として心から反省もしたし、同時に娘をこの腕の中で強く抱きしめて、
本当に無事でよかった、改めて娘に詫びた次第であります。
たったの1時間です。
それでも生後2か月の赤ん坊にとっては、その間、泣いてもわめいても誰も来てくれない、
その時間がどれほど孤独で不安な時間で、辛いものだったか、考えただけでも胸が苦しくなります。
それにしても子育て、これは本当に大変なことだと今更ながらに痛感させられています。
しかし、妻と、そして自分を産み育て、当たり前の話ですが、まったく同じように
子育ての苦労を味わった親とも話して思うことは、確かに大変ではあるけれども、
これほどのやりがいを感じるものはないし、これほどの幸せを感じることもなければ、
これほどの責任感を感じさせるものはないということです。
中には結婚をして子供を産み育てることを「平凡だ」と評する人がおりますが、これは
決して平凡でも平坦でもありませんね。
これほど崇高な、と言うのは大げさでも何でもなく、そういえば私がまだ中学生くらいの頃
でしょうか、私の母に「俺は結婚なんかしなくてもいいや。子供だって産みたくない」と、
どうしてそんな癇癪を起こしたかは忘れましたが、そう言ったときの母の悲しげな顔が
今でも忘れられません。
「どうしてそんなことを言うの? お母さんは太蔵が結婚をして、子供を産んで、
その子供を育ててくれるために、今あなたを育てているのよ」と諭されたことがありましてね、
思春期の初期段階といってもいい時期に母からそんなことを言われて、それでも何だか
母の言っていること、言いたいことの真意は子供ながらに胸の奥底から津々とわき出るように
伝わってきたものです。
子育て。
楽しいことばかりではないかもしれません。
絶えず寝不足であり、絶えず欲求不満であり、絶えず心配をし、絶えずお世話をし、
絶えず子供に神経を注がなければならない生活、確かに楽しいことばかりではないかもしれません。
でも何故でしょう、こんなに幸せなのは?