はてなキーワード: 末期ガンとは
現状、死ぬのは本当に一苦労だ。よくあるのが電車への飛び込み、首吊、飛び降り、オーバードーズ、毒ガス、リストカットなどだろうか。どれも想像するだけでキツい。
電車に飛び込むのなんて本当に恐ろしい。一瞬で粉々になるだろうがその一瞬が本当に怖い。どんな痛みが待っていることやら。しかも死んだら死んだで迷惑がられておしまいだ。電車が遅延しただのでいろんなひとに文句を言われる。電車を止めたことで遺族には多額の賠償金が請求される。これら全てがどうでもよくなるから飛び込むのだろうが、それでもかなりの決意が必要だ。
首を吊るのもなかなか恐ろしい。息ができない苦しみなんて想像を絶する。苦しみもがきながら何かの拍子で失敗する可能性だってある。地獄だ。
飛び降りるのも怖い。なかなか足が一歩出ない。落ちて死ぬまでは一瞬だろうが、着地の瞬間を想像すると本当に痛そうだ。首が折れ頭蓋骨が破壊されなければならない。変に低いところから飛び降りても衝撃が足りず不随になった身体でその後生き続けなければならないことも考えられる。
一酸化炭素中毒やその他毒ガスでの死もなかなか厳しい。絶対に苦しいだろう。首吊よりも厳しそうだ。これも死にきれなかったら大変だ。
女がよくやるリストカット、あんなのは本当に死のうと思ってるとは思えない。腕がボンレスハムみたいになっている女が大量にいることを考えると、死に損ないだらけだ。
オーバードーズも死に損ないが大量にいる。単に苦しいだけってことが多々あるのは辛いものだ。
安楽死ってのはあっても良いんじゃないか。死にに行く場所があるのはいいことだ。殺して下さいと行ける場所。いつだって楽に死ねるという安心感。安楽死センターがあれば上のような極端な自殺手段を選ぶ必要がなくなるだろう。そうなれば助かる命だってあるだろう。
歳を取って病院のベッドで延命機器ばかりのまま苦しみながら死ぬのも怖い。末期ガンなんて痛そうだし痛いまま死ぬなんて大変だ。いっそ殺してくれとさえ思うだろう。死の強要に使われる恐れがあるから認めてはいけないって一体なんだ。今まで死ぬことを強要したことがないような言いぶりだなおい。お前ら今まで何人殺してきたんだ。
せっかく一年迎えられたのに2年目初頭からガシャ、イベントでガッツリつまづいてせっかく稼いだアクティブが半減。ツイッターで公式がスパムを賞賛するもTCで10年分拗らせた765AS老害vsミリシタの金欠声豚というくっさい争いを撒き散らし、話題性を得たにもかかわらずデレの新キャラあきらちゃんにあっさり話題を持っていかれ、現状SideMやシャニにも負けてる。
相変わらず「ありがとうミリオンライブ」「最高確認」「参りました」とか言いながら金は出さない声豚ども。まぁミリシタのショボさはいろんな方面で散々証明されてしまったし?音ゲー課金ゲーが数ある中でアイマスから入るならまずデレステってなりますわなwww
あと何ヶ月持つだろうねぇ。
せっかく日本武道館にSSAまで行けたのにまた地方公民館営業に逆戻りしちゃった6thライブからアニメ化なんて期待できるはずもないからなぁwww
6thの後にミリシタサービス終了が妥当かな?もしくは少なくとも金は出してくれるAS中心の場としてミリシタはどんどん食われていってお前ら一生俺たちのバックダンサーな!がオチか。
直接的に殺されるか老害に押し潰されながらじわじわと死を迎えるか。
その時自称ぺーはなんていうだろうね。
「ありがとうミリオンライブ〜」って思考停止の鳴き声を出し続ける豚で終わるか
「あの時もっと課金してれば…」って少しは反省する猿で終わるか。
まぁどっちにせよ今から何したってもう遅いんだけどね、末期ガンのミリオンライブに。
グリーと一緒に死んでればよかったな。
いや、より多くの金なし声豚を殺すためにはこれでいいのか?ww
金も出さずに遊べると思うなって話
さて、ミリシタが後何ヶ月耐えられるかみんなで賭けようぜ!
末期ガンだった父が亡くなった。
骨になった父は思っていたより脆く、小さく、まるで闘病の痕が残っているように見えた。
父の死を嘆き悲しみ号泣する一方、あまりに実感がなくて「あの棺に入って焼かれたのは本当にお父さんだったのかな?」なんて思うこともある。
でもやっぱり遺影や骨壺を見ると父が亡くなったことは紛れもない事実で、また涙が止まらなくなる。
母は色んな手続きがあったり来客への対応で忙しく泣く暇もないが、時々思い出したように泣き始め発狂寸前にまでなることもある。そんな母の姿を見るとまた私も泣いてしまう。
お父さんなんで死んじゃったの?
私もやっと成人したとはいえこれから女2人で生きていくの大変なんだよ。
まだまだお父さんに甘えるつもりだったよ。
文句も言わず真面目に働いてたお父さんがこんなに早く死ぬなんて酷すぎる。
今まで何にも言ってこなかったお父さんの親戚なんて、お父さんのお葬式で急に口出しし始めて、あまりに酷くてお母さん泣いちゃったんだよ。
お父さんのせいで、お父さんが大好きだったお母さん泣いちゃった。
犬たちもなんでお父さん居ないのかなあって寂しがってるよ。
どんな姿でもいいから戻ってきてよ。
会いたいよ
よくある話だ。
数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、
ほんの少しだけ恐怖していた。
ぼくは希望が持てない
優しい父と母に守られ、愛されてきた。
幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。
というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかったからだ。
そんな幸せな世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクションの世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。
そんな時、いつもぼくの心に表れるのは
羨望の念だった。
きっと延命治療なんてしない。
できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ。
皆が家族の元で最期のときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷のスクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後の落書きをしよう。
描き終わったら、地面に描いたでっかい落書きの中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。
きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。
「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいつだって喜びだ。
きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。
明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。
だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らしの節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。
人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。
「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。
隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。
話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。
人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分が地球上に生まれた動物のひとつだということを忘れがちである。
「動物」と「人」を分け、動物を無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物が支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。
むしろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。
たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。
人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。
ぼくはきっと、希望の戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。
きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。
でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。
希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。
でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。
後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。
でも、これはぼくなりの心の防衛術なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。
もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。
希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。
諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。
「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。
終わりではなく完成なのだ。
どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。
忘れじの 行く末までは 難ければ
今日を限りの 命ともがな
(「忘れない」と言ったあなたの言葉が最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)
この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。
きっとこの人も、この幸福な状態のまま自分の人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。
希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。
ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。
しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子どものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。
フィクションの世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。
でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。
ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。
小林麻央関連で「癌が見つかってすぐに手術すれば助かったのに民間療法に頼ったために亡くなった」という話が出ていて、
これはスティーブ・ジョブズや川島なお美が亡くなったときもそんな話があったけど、
末期ガンの患者と家族が怪しげでも代替医療に手を出す話を聞くと、スーパードクターKで、有名な医者がもう助からない末期ガンの父親に怪しげな薬なんかを買ったりして、周りから噂をされても「それでも、家族がやらなきゃならない戦いなんです」って話があったの思い出す— 寄星蟲と伝説の海 (@kisei64) 2017年7月4日
スーパードクターKの32巻のこの話、好き pic.twitter.com/JXjLiPF5zN— 寄星蟲と伝説の海 (@kisei64) 2017年7月4日
いや、そこは勇気を持って「やらない」という選択をすべきでしょう。
あなたたちのその弱さのせいで、さらに詐欺師が肥え太り、また別の犠牲者が生まれているんです。
万が一にでも効くかもしれないという甘い願望を捨ててきっぱりと民間療法を拒否する、それこそが「家族がやらなきゃならない戦い」ですよ。
元増田と増田と、どっちの言ってることも正しいし、わかるんだけど、
「無駄」ってことはないと思うなー。
自殺の可能性のある人を声掛けで助けようなんて、網で水を救うようなもん。最悪その「声掛け」が自殺に繋がることだってある。
「無駄だから気に病むな」ってんなら同意するけど「無駄だから何もするな」ってんなら違うと思うね。
ガン患者を治せる家族はいないけど、末期ガンじゃなけりゃ医者に通えば寛解するだろ。
うつ病も同じ。ただ、ガンと違うのは、孤独だとうつ病は治んないってこと。
後悔するかもしれん人に、「出来る事はあるよ」って言いたかっただけだろ。
自分自身自死遺族だから無駄ってのはわかるし、自死は寿命って僕は思ってる。
出来る事があっても、家族にその余力がないのが大半の現実だと思う。
けど、出来る事があるケースもあるよ。
この間、生まれて初めて葬式に行ってきたのだけど色々初めての新鮮な経験をしたので、思ったところをなんのとりとめもなくつらつらと書き連ねてみたいと思う。
初めての葬式は母方の祖父の葬式だった。まあ葬式といってもそんな盛大なものではなくて、近い者たちだけで行う火葬式だった。祖父は半年前ほどに末期ガンで寿命宣告を受けていて、その死自体には何の驚きもなく、正直「やっとか……」という感じだった。というのも、祖父は数年前からいわゆるボケが始まっていて、祖母やたまに家を訪ねた母ともケンカばかりしていた。そして更にガンを患って入退院を繰り返し、同居して介護していた祖母は疲弊しきっていた。素直に死を嘆き悲しむ事ができるような祖父は、はるか記憶の彼方に埋もれていた。そんな状況だったから、なんだかとても薄情に聞こえるかもしれないが、自分にとってはその死の報せで特に悲しむということもなく、「これでやっとみんな楽になるんだな」という感想が一番だった。
そんなわけで、大した感慨とある種の現実味もないまま葬儀当日を迎えた。車で数十分の距離にある市営の小奇麗な火葬場は小高い丘の上にあった。火葬場に着くと早々に祖父の棺が運ばれてきた。自分達は炉の前で「最期のお別れ」をすることとなった。母が用意した白い薔薇と今朝書いたばかりの祖父への手紙を棺に入れた。狭い棺のなかで花に囲まれる祖父はまるでただ眠っているだけで、今にも起き出しそうに見えた。いよいよ炉の扉が開かれ祖父の棺がほの暗いその中へと消えていった。炉の扉が閉ざされて火が入ると付き添っていた僧侶が木魚を叩きながら経を唱え始めた。その瞬間、いきなり涙が溢れそうになり必死でこらえた。自分でも何故こうなったかわからなかった。ただその場の雰囲気に飲まれたのか、何か自分の奥底に眠っていた感情とやらが溢れたのかもしれない。その後、亡骸を焼ききるには一時間ほどかかるらしく、待合室で数少ない親戚との久々のささやかな会話をしながらその終わりを待っていた。
その間に先程の経を唱えた僧侶が来て祖父の戒名の説明をしていた。ちなみにこの僧侶へは、式全体のパック料金には含まれないお布施を直接渡すことになっていた。そのお布施の額も決まっていて、値段によって僧侶の人数だのが明確に決められていた。旧来の檀家制度に比べてみればある意味良心的なのかもしれないが、「ビジネスだなぁ……」としみじみ感じてしまった。しかし僧侶というのは大したもので、丁寧に戒名の由来を説明する姿や祖母や母の質問や相談に真摯に答える姿は、金銭の授受によって成立し提供されている一種の「サービス」であることを一切感じさせず、その清い心の底から自分達に同情と共感を向けてくれているように思えた。自分はここで初めて本当の意味での宗教の存在意義を見出したのかもしれない。ミッション系の大学に通っているので、講義で宗教の必要性や重要さ(キリスト教に関わらず)は訥々と説かれていたはずなのだが、懐疑的なところもあった。しかし、渡された戒名を眺めながら言った「これでじいちゃんもきっと向こうで喜んでるね」という祖母のありきたりのようにも思える台詞は、その疑念を実感を伴って払拭するような体験としては十分だった。
そして放送で祖父の名前が呼ばれ時が来たことを知らせた。その時自分は緊張していた。それはある叔父の言葉がきっかけだった。「じゃあお前たち、骨を拾うのも初めてってことだな」。それは自分達姉弟が葬儀に出席するのが初めてという話題に端を発し知らせられた衝撃の事実(自分にとっては)だった。その時は、骨は焼かれた後は影も形もないほど粉々になり、そのまま骨壷へ収められていくものだと勝手に勘違いしていていたので、まさか形が残っている骨を自らの手で拾わなくてはいけないとは夢にも思っていなかった。「あんまり形が残ってたらやだなあ……」などと考えながらいよいよ先程の炉の前に着いた。炉が開き、台車がゆっくりとこちらに向かってくる。その台車の上には軽石のような、なにか鉱石のようにも見える白い物体が載っていた。半ば逸らしていた目を向けよく見てみると、たしかに人の骨格をうっすらと思い起こさせる形をしていた。初めて人骨を目にしたが思ったより衝撃はなかった。二人一組になっていよいよ骨を拾い骨壷に入れる。自分の番になり、姉と一緒に恐る恐る遺骨を長い鉄製の箸でつかみ骨壷に入れた。一斉に骨を離した瞬間、骨壷のなかから乾いた音がした。もちろん骨はいくつもあるので、残りは火葬場の職員が手慣れた手つきで骨壷に収めていく。その時に「こちらは大腿骨です」とか骨の部位をいちいち説明してくるのだが、「そんなん言われても『へえ、これが大腿骨なんだ! 』以外どう思えっちゅうねん」と心のなかでツッコミを入れていたところ、母が「こんなに丈夫そうで、骨格は立派だったんだね」などと言い出し祖母もそれに同調し、「まさかこんな形で故人を偲ぶイベントが葬式にあるとは……」と少し興味深く感じてしまった。その後も骨は骨壷に収められ着々と骨壷の中身はかさを増していくのだが、途中で「どう考えても骨が骨壷に収まりきらないぞ……」とその場に居た皆が感づき始めた頃、不意に、「このままでは収まりきらないのでお骨を少し砕きますね」という声がかかった。その刹那、その職員は箸でバリバリと骨を砕き始めた。それはもう容赦なくだった。粉になった遺骨をさらさらと骨壷に収めていくぐらいだろうと考えていた自分にとっては、かなり印象的な光景になった。一緒に骨を入れた姉と終わった後に「あんなにバリバリ砕くとはねえ~」と少し笑いあった。式を終えた帰りの車内で骨壷を抱えながら「お父さんもこんな中に収まっちゃった」という祖母の気が抜けたような言葉には、何とも言えない寂寥の念を感じさせた。
なんだかんだ書いてきたけど、結局人が身近な人の死をどう認識して受け入れていくのか、そのプロセスのために何が必要なのか、とかそういったことが伝統的な儀式の中には組み込まれてるんだな、という当たり前のことを認識させられた。戒名とかそのために何万も金払うのとか無駄だろwとか思ってなくもなかったけど、単なる損得勘定では考えられないこともあるということも分かった。そして終わってみるといろんなことを学んだ気がした。どうでもいいけど遺骨はさらさらの粉になって出てくるって勘違い、小さい子供が魚は切り身で海を泳いでると思う勘違いと似てるなって思った。ほんとにどうでもいいな。おわり。
広告料を目当てに「なりすまし」で複数のブログを書いている業者。
ある時は借金持ち、またある時は派遣社員、男だったり女だったり、
末期ガンの家族、障がい児を育てるママ、赤ちゃん待ちの嫁、しがないリーマン、
婚活中の女、メンタルを病む男、嫁を恨む姑、姑を罵る嫁、大家族、一人暮らし、
貧乏、汚部屋、複雑な家族構成、こんな内容の嘘を綴っているプロ業者。
嘘ブログに喜んで広告を出している会社も、ろくなもんじゃねえ。
ブログに嘘を書いても法的には問題がないんだろうが、倫理的な問題は?
驚くことに、こんな業者の男が3月中旬に市のランドマークでセミナー講師で登壇する。
人気サイトの作り方・裏話を披露するようだが、嘘ブログの話をさせるの?
もっと驚くことがある。
このセミナー講師は2014年に経産省のIT関連の賞を受賞している。
こんな嘘を垂れ流す業者を蔓延させる原因を作っているのが一般ユーザー。
法に触れなければ何をやっても許されて、
嘘つき放題で、かえってそんな奴が賞賛されて、
そんな国に未来なんかあるわけない!