はてなキーワード: 未熟児とは
最近、支援学級生の話を聞くことが多くなった気がする。しかも、割合としては悲しい話が多すぎる。
自分にとって、小学生のころに出会った支援学級の友達と重ねてしまうのだが、環境の違いにびっくりする。
あまり聞かないので、支援学級生にメロメロだった私(たち)の話をここに書こうと思った。
私の学校は規模が小さかったこともあり、4年生になったころに支援学級に双子の姉弟が入ってきた。めちゃめちゃかわいい妹・弟みたいな存在で、休み時間は支援学級に毎回遊びに行っていた。ぶっちゃけ同級生と遊ぶより全然楽しかったし、私が遊んでいるところを見かけた友達も(同級生もだが後輩の子たちまでも)一緒になって遊んだりしてた。本当にかわいい純粋な子たちで、まじで周りのみんなも可愛がっていた。自分にとって天使のような存在であった。
彼らはハキハキと話すのは難しいようだったが、一生懸命ゆっくり話してくれるところに毎度キュンとした。二人とも未熟児だったこともあり身体も小さくて、運動も激しいものや速さが必要なものは難しかったけれど、私含めて周りの皆が、彼彼女の歩幅に合わせて遊んでいたし、常に2人の体調を気遣っていたようにも感じられた。
一緒に遊ぶときは、外に遊びに行って自然を見てまわったり、絵本を読んだり、すごろくしたり、キャッチボールしたりした。おんぶして走ったりすると、キャッキャと後ろで喜ぶ笑顔を思い出す。妹や弟がいたらこんな感じなんだろうなと思った。
支援学級の先生や学級参観で親御さんから、いつも遊んでくれて本当にありがとうとお礼を言われたが、こちらこそ私と遊んでくれて本当にありがとうという気持ちだった。
卒業するとき、私のために一生懸命手書きでお手紙と似顔絵を書いて渡してくれた。6年生ながら寂しさに涙を流して卒業した。
『おねーさん』と呼んで遊んでくれて、本当に楽しい小学生時代だった。今でもお礼を言いたいくらいだ。
だから、世の中でこんなことあるのってくらいのイジメや虐待、事件を聞いてびっくりしてしまった。
私の学校は、彼女たちをのけものにしたり、いじめたりする子たちは本当にいなかったと思う。また、彼女たちと遊ぶ私の友達も、彼女たちに自然に合わせ、心から親切に接していたと思う。
大人になって、小学校のあの姉弟と一緒に過ごした日々を思い出す。物騒な話をたくさん聞いては、私はあの姉弟を本当にいじめてなかったか?と自問自答するのだが、彼らのあのまぶしい笑顔は偽物ではなかったのではないかなと思って信じている。あの姉弟にとって、忘れていてもいいから、嫌な小学校の思い出が存在しなければいいなと思う。
男らしさなんて物が無くても十分魅力的な人が、有害な男らしさを自分から切り離しても良いという理解を促すための言葉である
有害な男らしさという言葉があるように男らしさは有害な一面を持つが、有害であると同時に有益な面がある事もまた否めない
男らしさという補助輪に頼らずともきちんと生きていける男性が人間として一つ成長するための儀式が「男らしさからの離脱」なのだ
男らしさというゲタを履かずには生きていけない、または男らしさをまだ身に付けていない未成熟な男性が、未熟な内に男らしさを降りたり初めから男らしくあろうとしない事は自殺行為と言っても良い
まだ人間として出来上がっていない男が男らしさを降りてそこに残る物は何か
有益でなければ有害にもなれない、かといって女のように振る舞う事など出来る訳もない、ただ人間として大切な物はすっぽり抜けた未熟児である
男らしさのない男未満の男は、男らしさを残した従来の男との競争に勝つ事は絶対にあり得ず、競争に負け続ける者が何かを勝ち取る事も同じように有り得ない
その未熟な男達が有害な男らしさを持たないのであれば、相手の都合も考えずに女性に声をかけ不快感を与える事は無いかもしれない
実際存在するだけでも女性を不快にするような劣悪な容姿を持ち収入を稼ぐ能力がない男は男らしさなんて物を持たない方が幸せな可能性もある
女性は彼ら劣った男が自らの視界に入ったり声をかけられる事でどうしようもない生理的な嫌悪感に見舞われてしまうからだ
男らしさを降り、決して女性に関わらず平和に滅びていく事が多くの人間にとって幸せな未来を約束するのなら、「男らしさを降りて良い」とは万人にとっての救済なのだろう
左派の理想はゴリゴリの技術革新に支えられた世界だと思うけどね。
昔の未熟な医療では命を落としていた超未熟児や重病の高齢者、脳損傷者なども救命が可能になり、生命維持装置を利用できるようになった。
性転換手術も高度になり、救われる性同一性障害者が増えた。
かつては三十代半ばで高齢出産の烙印が押されていたが、産科学の進展により五十代以上の女性の出産も可能となった。
尊厳死医療、出生前診断、デザイナーベビーなど、左派としては警戒せざるをえないものも登場してきているが、基本的には左派が応援したいと感じる人々が最新の医療技術で救われていることが多い。
ここで下手に宮崎駿的な世界観が良いとか言い出すと、弱い人々も容赦なく命を落とすもののけ姫みたいになってしまい、左派の理想とは真逆の世界となる。
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。
幸せって何だろう。
……なんてことをシラフで管まく奴がいたら、それは人の温もりに飢えているドランカーか、時間を持て余したバックパッカーのどちらかだ。
「幸せとは水が沸騰することだよ。外圧によって変化する沸点こそ、幸せの有り様さ」
弟は以前に、そんなことを意気揚々と語っていたが、とどのつまり“人それぞれ”ってのを言い換えているだけだ。
陳腐な結論を捏ねくり回したり、とっぽい言い回しで着飾りたい年頃だったのだろう。
本人は「山登りの疲れでハイになってた」って後に釈明していたが。
いずれにしろ、ナンセンスなことで夢想したり、使い古された話で盛り上がれるのは若者の特権さ。
「無人島に何を持っていくか」だとか、「カレー味のウンコorウンコ味のカレー」だとか、そんな話を大人になってからするもんじゃない。
言うまでもなく、幸せってのが如何に不安定で、捉えどころのないモノなのかは自明の理だ。
例えば俺にとっての幸せは、自分の時間をスムーズに使いこなすこと。
弟は不安や不満のない、退屈しない程度に刺激的な、メリハリのある毎日を過ごすこと。
父は余裕を持ったスケジュールで仕事を終えることで、母は家族と一緒にいられることだと言っていた。
キトゥンは知らない。
まあ、このように身内の間だけでも多様なのだから、幸せをズバリ「こうだ!」って答えるのは無理な話なんだ。
弟のようにガワだけ取り繕っても、単なる言葉遊びにしかならない。
だが今回の話に出てくる“とある人物”は、それを壮大かつ究極的に追い求めた。
最初は順調だったんだ。
その日、家族はそれぞれの事情で外出していて、文字通り猫の子一匹いない状態。
自宅には俺一人で、都合よく予定も埋まっていない。
それはつまり、俺は俺のためだけに時間を使えるってことを意味していた。
「9、10、11……いや、もう20回くらいやったっけ……まあいいや、最初からやり直そう」
周りに誰もいないのを承知の上で、あえて独り言を呟いてみたりもした。
勿論これは客観的な見解ではないが、異論を挟める人間は今この場にいないんだ。
「やあ、マスダ!」
「……」
一切の誇張なく、本当にいきなりである。
しっかり戸締りをしていたし、入ってきた気配すら感じなかったのに、いつの間にか部屋の中にいたんだ。
だがガイドの普段の振る舞いを知っている俺からすれば、これは驚くに値しない。
「……どうやって入ってきた」
あと、人のテリトリーにずかずか入ってきて、一方的に「こっちの事情を汲んでくれ」と主張してくるのも随分だ。
「不躾なのは百も承知さ。それでも優先したい事柄だから、こうやって来たんだ」
自分が未来に生きているって驕りが、所々に見え隠れして鼻につく。
己の価値観や振る舞いが相手とは違うって前提が、まるでないように動いてくる。
「ちゃんと聞いてくれよ。キミが今いる世界、ひいてはボクたちのいる世界が消滅する可能性もあるんだ」
なんとも大仰だが、ガイドの言葉は結果的に真実であることが多い。
それは分かっている。
分かっているのだが、真面目に聞けというのは無理な話だ。
お母さまへ。
お久しぶりです。増田です。5年前に何も言わず家を出てしまい、ご心配をお掛けしました。
まずそのことについて謝りたいと思います。本当にごめんなさい。
今日手紙を書こうと思ったのは、洗濯物を干していて、ふと空を見上げたとき、ママが優しかったことを急に思い出したからです。5年も経っちゃったけど、ママが私のことを覚えていてくれていることを願っています。
それでね。
私は教室で一番可愛い服を着てて、それが毎日誇らしくって、毎日幼稚園に行くのが楽しかったんだ。
男の子からも「増田ちゃんはいつもお姫様みたいな服を着てるね」って褒められて、誇らしかったよ。
小学校の頃になると、ああゆう服って目立つんだ。女の子から「増田はいつもお姫様みたいな服を着てるね」って褒められて、それがとても怖くて、ママに相談したのを覚えてるかな。
でもママは「これは高い服なのよ」って言って、ズボンは履かせてくれなかったよね。
中学も私の希望で一番制服の可愛い女子校に行ったよね。制服がすごく可愛くて、毎日が本当に夢みたいだったの。その頃からだったかな、ママは私をブスって言い始めたよね。
でもね、私なりに努力して、中学の間に年下の彼氏を作ったの。ママにも紹介したことあったよね。
彼は本当に女の子みたいで可愛くて、私の制服を着せてあげるとよく似合ってたっけ。
あのこが私の初体験の相手だったよ。制服を交換し合って遊んでたら、どっちが男の子で、どっちが女の子か分からなくなっちゃって、もうとても楽しかったの。あの日夜に帰ったら、ママに叱られたっけ。ママは私のパンツを脱がして、初めてがなくなっちゃってるのを確認して、大泣きして、私のことを公衆便所って呼んでくれたよね。ブスって言われるより公衆便所って呼ばれてたほうが私は嬉しくて、嬉しくて、嬉しくって、あのとき泣いちゃってごめんなさい。
そういえば子供の頃、ママはママが死にかけの未熟児で生まれたんだって、いつも悲しそうに、ちょっと自慢気に、何度も何度も話してくれてたよね。きっとママは成長が遅くって、30過ぎて出会ったパパが初めての相手だったくらいだから、私は成長が早くって、羨ましかったんでしょう?
近親相姦しても異常ができくくて親子間、きょうだい間で交尾して出産してもオッケー
しかもネズミの赤ちゃんが強い。生まれたての見た目は未熟児だけど実際は全然未熟児じゃない。人間の新生児と比べたらネズミの新生児の方が強い
見た目に反してよく動くしすぐ成長するし食欲がすごいし。母ネズミにふみ潰されても乳首に食らいつく。
生き物としては母乳だろうが粉ミルクだろうが液体ミルクだろうが貪欲にじゃぶじゃぶ飲んでいくのが正解なのにな。
なんなんだよ。人間の赤ちゃん。泣くという自己主張はうまいのに。生きたいなら貪欲に乳首吸えよ。
人間の繁殖の難易度は動物の中でも高いほうだから赤ちゃんが貧弱で子育てに苦労するのもしょうがないのだな。そういう生き物なんだから。
人間なんかもう双子確定した時点で医者から「双子だからお産のリスクがあります」って言われるわけよ。設備が貧弱な病院だったら「うちでは双子産めません。よその病院紹介します」って言われるわけ。
でも、人間は強い生き物。
私もお産がんばろー