はてなキーワード: 有理数とは
Xの点列(x_n)は以下をみたすとき、Cauchy列であるという。
任意のε > 0に対して、ある自然数Nが存在して、n, m ≧ Nならば、d(x_n, x_m) < ε。
収束する点列はCauchy列である。実際、lim[n→∞] x_n = x ならば、任意のε/2>0に対して、ある自然数Nが存在して、n>Nならば|x - x_n|<εとなるので、任意のε>0に対して、n, m>Nならば|x_n - x_m|≦|x - x_n| + |x -.x_m|<ε。
逆に、Xの任意のCachy列がXの点に収束するとき、Xは完備であるという。
(x_n)を実数のCauchy列とする。
まず、(x_n)は有界である。実際、ε>0に対して、Nが存在して、n>Nならば|x_n - x_N|<εなので、任意のiに対して、|x_i|≦max{|x_1|, |x_2|, ..., |x_N|, |x_N|+ε}である。
Bolzano-Weierstrassの定理より、有界な実数列は収束する部分列を含むので、自然数列n_1<n_2<...<n_i<...と実数xが存在して、lim[i→∞] x_(n_i) = xとなる。
xが(x_n)の極限である。lim[i→∞] x_(n_i) = xより、任意のε/2>0に対して、ある自然数Iが存在して、i>Iならば|x-x_(n_i)|<ε/2。(x_n)がCauchy列であることより、任意のε/2に対して、ある自然数Nが存在して、n, m>Nならば|x_n - x_m|<ε/2。この2つより、任意のε>0に対して、n>max{I, N}ならば、|x - x_n|≦|x - x_(n_n)| + |x_(n_n) - x_n|<ε。□
√2に収束する数列(1, 1.4, 1.41, ...)はCauchy列だが、Qの元に収束しない。
f_n(x)を以下で定める。
xが有理数で、xを既約分数a/bに表したとき、bがn!の約数ならば、f_n(x) = 1。それ以外は、f_n(x) = 0。
各f_nは有限個の点で1になる以外0なので、Riemann積分可能で、∫|f_n(x)|dx = 0。
しかし、その(各点収束)極限は、xが有理数のとき1、無理数のとき0となる関数であり、これはRiemann積分不可能。(有理数の稠密性から、区間の細分をどれだけ細かくとっても、各区間に1を取る点と0を取る点がそれぞれ存在するため、Riemann和が収束しない)
集合Kが2つの二項演算+: K×K→K、*: K×K→Kを持ち、以下の性質を満たすとき、Kは体であるという。
K, Lを体とする。K⊂Lとなるとき、LをKの拡大体という。L/Kが拡大であるともいう。もちろん、これはLの部分群Kによる剰余群のことではない。
C/Rや、C/Qは体の拡大の例である。K(X)/K(X^2)なども体の拡大の例である。
L/Kを体の拡大とする。任意のa∈Lに対して、K係数の多項式f(X)が存在して、f(a)=0となるとき、LをKの代数拡大体、またはL/Kは代数拡大であるという。
そのような多項式が存在しない元が存在するとき、LはKの超越拡大体、またはL/Kは超越拡大であるという。
なぜならば、任意のz∈Cはz = x + yi (x, y∈R)と表わせ、z* = x - yiとおくと、zは二次方程式
X^2 -(z + z*)X + zz* = 0
の解だから。
Kを体とする。K上の任意の多項式F(X)に対して、Fの根を全て含む体Lが存在する。言い換えれば、FはLで
と一次の積に分解する。このようなLのうち最小のものが存在し、Fの(最小)分解体という。Fの分解体はKの代数拡大体である。
LをFの分解体とする。Lの部分環Vを
K[X1, ..., Xn]→L (f(X1, ..., Xn)→f(a1, ..., an))
の像とすると、VはK上のベクトル空間である。各aiはn次多項式の根であるから、aiのn次以上の式はn-1次以下の式に等しくなる。従って、VはK上高々n^2次元の有限次元のベクトル空間である。
Vは整域であるから、0でない元による掛け算は、VからVへの単射線形写像である。したがって、線形写像の階数と核の次元に関する定理から、この写像は全射である。よって、Vの0でない任意の元には逆元が存在する。つまり、Vは体である。
Lは、Kと各aiを含む最小の体であり、V⊂Lなので、L=Vである。
さて、Lの元でK上のいかなる多項式の根にならないものが存在したとし、それをαとおくと、無限個の元1, α, α^2, ...は、K上一次独立となる。これはVが有限次元であることに矛盾する。□
L/Kを代数拡大とする。LはK上のベクトル空間となる。その次元をL/Kの拡大次数といい、[L : K]で表す。[L : K]が有限のとき、L/Kは有限拡大といい、無限大のとき無限次代数拡大という(上の証明でみたとおり、超越拡大は必ず無限次拡大である)。
M/K、L/Mがともに有限拡大ならば、L/Kも有限拡大であり、[L : K] = [L : M] [M : K]。
α∈Lとする。K上の多項式fでf(α)=0をみたすもののうち、次数が最小のものが定数倍を除いて存在し、それをαの最小多項式という。
[K(α) : K]は、αの最小多項式の次数に等しい。なぜならば、その次数をnとするとαのn次以上の式はすべてn-1次以下の式になるため、[K(α) : K]≦n。1, α, ..., α^(n-1)が一次従属だとすると、n-1次以下の多項式でαを根に持つものが存在することになるので、[K(α) : K]≧n。よって、[K(α) : K]=n。
Lの自己同型σでKの元を固定するもの、つまり任意のa∈Kに対してσ(a)=aとなるもの全体のなす群をAut(L/K)と書く。
任意の有限拡大L/Kに対して、#Aut(L/K) ≦ [L : K]。
L/Kを有限拡大とする。#Aut(L/K) = [L : K]が成り立つとき、L/KをGalois拡大という。L/KがGalois拡大のとき、Aut(L/K)をGal(L/K)と書き、L/KのGalois群という。
L/Kを有限拡大、[L : K] = 2とする。#Aut(L/K) ≦ [L : K] = 2なので、Aut(L/K)に恒等写像以外の元が存在することを示せばよい。
[L : K] = 2なので、α∈L\Kが存在して、1, α, α^2は一次従属。したがって、α^2 - aα + b = 0となるa, b∈Kが存在する。解と係数の関係から、α, a - α∈Lは、2次方程式X^2 - aX + b = 0の異なる2解。
α∉Kより、K⊕KαはK上2次元のベクトル空間で、K⊕Kα⊂LなのでL=K⊕Kα。
σ: L→Lをσ(1)=1, σ(α)=a-αとなるK線形写像とすれば、σは全単射であり、Kの元を固定する体の準同型でもあるので、σ∈Aut(L/K)。□
C/RはGalois拡大。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lに対して、αのK上の最小多項式が、Lで1次式の積に分解するとき、L/Kを正規拡大という。
L=K(α)とすると、L/Kが正規拡大であるのは、αの最小多項式がLで一次の積に分解するときである。
K(α)/Kが正規拡大で、さらにαの最小多項式が重根を持たなければ、αを他の根に写す写像がAut(K(α)/K)の元になるから、Aut(K(α)/K) = αの最小多項式の次数 = [K(α) : K]となり、K(α)/KはGalois拡大になる。
nを自然数として、ζ_n = exp(2πi/n)とする。ζ_nの最小多項式は、Π[0 < m < n, gcd(m, n)=1](X - (ζ_n)^m)であり、Q(ζ_n)/QはGalois拡大である。
L/Kを有限拡大とする。任意のα∈Lの最小多項式が重根を持たないとき、L/Kは分離拡大という。
体Kに対して、1を1に写すことで一意的に定まる環準同型f: Z→Kがある。fの像は整域だから、fの核はZの素イデアルである。fの核が(0)のとき、Kの標数は0であるといい、fの核が(p)であるとき、fの標数はpであるという。
F_2 = Z/2Zとする。F_2係数の有理関数体F_2(X)/F_2(X^2)は分離拡大ではない。
実際、XのF_2(X^2)上の最小多項式は、T^2 - X^2 = (T - X)(T + X) = (T - X)^2となり、重根を持つ。
L/KをGalois拡大、Gal(L/K)をGalois群とする。
K⊂M⊂Lとなる体Mを、L/Kの中間体という。
部分群H⊂Gal(L/K)に対して、L^H := {a∈L| 任意のσ∈Hに対してσ(a)=a}は、L/Kの中間体になる。
逆に、中間体K⊂M⊂Lに対して、Aut(L/M)はGal(L/K)の部分群になる。
次のGalois理論の基本定理は、L/Kの中間体がGalois群で決定されることを述べている。
L/KをGalois拡大とする。L/Kの中間体と、Gal(L/K)の部分群の間には、以下で与えられる1対1対応がある。
- H'⊂H⊂Gal(L/K)ならば、K⊂L^H⊂L^H'⊂L
- K⊂M⊂M'⊂Lならば、Aut(L/M')⊂Aut(L/M)⊂Gal(L/K)
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、#Aut(L/M)=[L : M]。つまり、L/MはGalois拡大
- 部分群H⊂Gal(L/K)に対して、#H = [L : L^H]、#Gal(L/K)/H = [L^H : K]
- 中間体K⊂M⊂Lに対して、M/Kが正規拡大(L/Kは分離的なのでM/Kも分離的であり、従ってGalois拡大)であることと、Gal(L/M)がGal(L/K)の正規部分群であることが同値であり、Gal(L/K)/Gal(L/M)〜Gal(M/K)。同型はσ∈Gal(L/K)のMへの制限で与えられる。
K=Q, L=Q(√2, √3)とすると、Gal(L/K)はσ√2→-√2とする写像σと、√3→-√3とする写像τで生成される位数4の群Z/2Z×Z/2Zである。
この部分群は{id}, {id, σ}, {id, τ}, {id, στ}, {id, σ, τ, στ}の5種類があり、それぞれ中間体L, Q(√2), Q(√3), Q(√6), Kに対応する。
中学高校の数学から、いわゆるユークリッド幾何学は廃止してよい。理由は単純明快で、何の役にも立たないからだ。
大学に入ったら、どの学部に行っても、「補助線を引いて、相似な三角形を作って〜」などと言ったパズルをやることは絶対にない。メネラウスの定理を高校卒業以降(高校数学の指導以外で)使ったことのある現代人はいないだろう。こういうことは、別に高等数学の知識の無い高校生でも、常識で考えて分かると思う。たとえば工学で、弧長や面積を測定する機器が必要になったとして、補助線パズルが適用できるごく一部の多角形などしか測れないのでは話にならない。現代の数学および科学技術を支えているのは、三角関数やベクトルや微分積分などを基礎とする解析的な手法である。
もちろん、たとえば三角比を定義するには「三角形の内角の和は180°である」とか「2角が等しい三角形は相似である」等のユークリッド幾何学の定理が必要になる。そういうものを全て廃止せよと言っているわけではない。しかし、余弦定理まで証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学の問題は解ける。また、実用上もそれで問題ない。したがって、余弦定理を初等的な方法で示したら、ユークリッド幾何学の手法はお役御免でよい。
これらはいずれも、高等数学を学ぶ際に欠かせない基礎となる分野である。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で使われるとしても、いくらなんでも微分積分などと同等以上に重要だと主張する人はいないだろう。
現在、これらの分野は十分に教えられていない。微分方程式と一次変換は現在(2020年5月)のカリキュラムでは教えられておらず、ベクトルは文系の範囲から除かれ、代わりにほとんど内容の無い統計分野が教えられている。また、高校生にもなって、コンパスと定規による作図みたいなくだらないことをやっている。本当に、どうかしているとしか言い様がない。
ユークリッド幾何学を教えるべきとする根拠の代表的なものは、証明の考えに触れられるというものだ。つまり、代数や解析は計算が主体であるが、ユークリッド幾何学は証明が主体なので、数学的な思考力を鍛えられるというものだ。
しかし、これは明らかに間違っている。別にユークリッド幾何学の分野に限らず、数学のあらゆる命題は証明されなければならないからだ。実際、高校数学の教科書を読めば、三角関数の加法定理や、微分のライプニッツ則など、証明が載っている。そもそも、数学の問題は全て証明問題である。関数の極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であることを定義に基づいて示さねばならない。数学的思考力を養うのに、ユークリッド幾何学が他の分野より効果的だという根拠は無い。
その概念の具体例だけでなく、「それには当てはまらない例」(反例)があって初めて理解が進むじゃないですか
たとえば「有理数」っていうのは整数の比で表される数ですよってだけでは初学者には理解ができない
1/2とか-4/7とか0とか1とかのことですよって言われただけでは不十分
円周率とかルート2とかは当てはまらないですよ、整数の割り算で表現できないからねって言うとようやくイメージが掴める
境界線の内側と外側を言ってもらえて初めて境界線が目に見えると言いますか
ところが法律、とくに刑法の解説では「こういう行為が刑罰になるんです!」ばっかり言うけど
なかなか「こういう事例はギリギリ大丈夫です、何故ならこういう理由で要件にあたらないから」って言ってくれないですよね
私が知らないだけで、市販の判例集とか見たら反例も載ってるのかな
少なくともそういう情報をネットで気軽に見れる解説ページとかで見たことないんですが、
https://www.youtube.com/watch?v=kX_LmAXYB2I
マイナー電子音系ですけど落ちついたしっとりさもある曲です。心の手の届かないところを撫でられる感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=hg4yM6dF1XI
https://www.youtube.com/watch?v=XGZkRbQSMms
上とは逆にこのリスト多数派のキュンキュンピリピリスピード電子音系。
少し離れていたので薄めですf(^_^; ボカロムーヴメント自体はだいぶ落ちついて、ある意味パターンが出切っちゃった感がありますが、一時の低迷から最近は抜け出して作者や再生が戻ってきてるみたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=URl7NLO95BI
https://www.youtube.com/watch?v=XogSflwXgpw
https://www.youtube.com/watch?v=bn_1jPIJEaM
15年はあまりボカロ聞いていなかったのですが、これはリズムが気持ちよくて好き
0.999…が1と等しい事がわからん中学生がいる、っていう増田のエントリ[1]があって、
それに対してわっと氏が「等しいのは公理だから」って返答[2]している。
[1] http://anond.hatelabo.jp/20161024040352
[2] http://watto.hatenablog.com/entry/2016/10/25/133000
ちなみに私は[1]の増田とは別人。
わっと氏の主張のどこが間違っているか述べる前に、
じゃぁ、0.999…=1となる本当の理由は何か、というのを先に書いておく。
そもそもなんとなくごまかして「0.999…」と書くことで9が無限に続いている事を表現しているが、
実際には人間の有限の寿命で無限個の数字を書けるわけもない(ヒルベルトの「有限の立場」)。
なんで、実際には有限個数であるn個の9を書いて、そのnをどんどん大きくしているのである。
で、nを大きくするたびに、0.999…が1に近づくというのが、「0.999…=1」の正しい数学的意味である。
高校数学をわかってる人向けに書くと、ようするにnを無限大に飛ばしたときの極限を考えているわけ。
で、わっと氏の何が間違っているのか。
おめー、0.999…=1が実数体の公理だってんなら、有理数体や複素数体の上では「0.999…=1」は
成り立たないってのか!?
当然そんなわけない。
つまり実数体の公理の中でもっとも重要な公理であるデデキントの切断公理が満たされないケース(有理数体)や
順序の公理が満たされないケース(複素数体)でも「0.999…=1」は成り立っているわけで、
「0.999…=1は実数体の公理」という主張はおかしい(注)。
じゃぁ何が重要なのか。
答えは実数体の「距離構造」である(更に弱く「位相構造」でも良い)。
先に極限の話をしたとき、0.999…の桁数nを大きくすると、1に「近づく」って述べた。
「近づく」ってのは「距離が小さくなる」ってことなんで、距離が関係しているわけだ。
わっと氏が触れているε-N0式の極限の定義でも、
0.999…は1に近づくとは限らない。
d(x,y) = 0 if x=y
d(x,y) = 1 if x≠y
0.999…は1に収束しない。
(注)もちろん、実数に関する性質を導くには必ず実数の公理を使うわけだから、
そういう意味では「0.999…=1」の証明に実数の公理を使うことにはなるんだけど、
そんなこと言い出したら「πは超越数」とか「5次方程式は解の公式を持たない」とか
実数に関する全ての定理は実数の公理を使っていることになるでしょ。
★追記
わっと氏の新しい記事を見て、わっと氏が何を勘違いしているのかわかった。
例えば
0.123456789101112131415....
という小数を考えたとき、この小数の桁数を無限に飛ばした極限の
実数(チャンパーノウン定数)が存在する事を示すには切断公理が必要となる。
しかし0.999...の場合は収束先の実数である1が存在することは
新記事の「これはデデキントを遠目で見てます」という記述を見る限り、
わっと氏は無限絡みで実数直線を2つにぶった切るときは常に切断公理が
必要になると思っているようだが、これは正しくない。
上述したようにこのケースはデデキント切断公理は必要ではないので。
デデキント切断公理は「実数直線を2つにぶった切るとどちらかに必ず端点が
まあこれだよね。もう少し数学っぽくいうと「解は a+bπ(a,bは有理数)として(一意に)表されるが, 解答としては a+3.14b の値を提示せよ」とかそんな感じかな
まあ自転車置き場の議論感はあるけど, 自転車置き場の議論は楽しいので許してほしい, と言い訳をした上で書く. くだくだしくどうでもいいことを書くのでお暇な方だけどうぞ. 私自身は円周率3.14で教えるべきか否か, というのには特に意見がない. それはそれとして, の話.
http://anond.hatelabo.jp/20160223212129
明確に間違いです。例えば円周率を3と近似した場合に、真値で半径11の円の面積は363.00000になってしまいます。
πには適用されません。同意します。それは、πが定数だからです。
しかし、3.14は違います。これは近似値です。近似値には有効数字、有効桁数は適用可能です。
(というか、適用しないといけません。)
ちなみに、ブコメで「有効数字が適用できるのは測定値のみ」と言っている人がいましたが、
それは違うと思います。(数学的には正しいのかもしれませんが、実学としてはイケていません)
実際に円周率を扱う際には、近似値を用いないと、有理数で表現することができません。
日常生活では無理数は扱いづらいので近似値で表します。そうすると絶対に有効数字はつきまとうはずです。
んで、なぜ実測値にしか有効数字が適用できないと考えている人が居るのか考えたのですが、
おそらく、計測するような人は、実測値の有効桁数が扱う桁数の律速になっているので、
円周率の近似値の有効桁数を意識せずに使っているというのが実際のところでは無いかと結論づけました。
「379.94は誤り」派の人はなぜ380が正解だと思ったのでしょうか。