はてなキーワード: 有川浩とは
おまえ本当に編集者だったのか? 白鳥士郎をBタイプの典型と思っているあたり全然わかってないといわざるをえない。
ラノベは、ある意味何でもありという懐の深さを持っていることもあり、たまに全然ラノベじゃないヒット作品やその種がまぎれこむことがある。
古くは小野不由美の「十二国記シリーズ」や有川浩の「塩の街」なんかがそうだ。浅井ラボの「されど罪人は竜と踊る」みたいなダークファンタジーや、うえお久光の「紫色のクオリア」とか桜坂洋の「All You Need Is Kill」みたいなハードSFがまぎれ込むこともある。
これらは、初速だけ出してあとはけちょんけちょんという普通のラノベとかは、根本的に違う売れ方をする。で、白鳥士郎の最新作はその典型例の作品だ。あれを「前作の人気が冷めないうちに出たから売れた」とか思ってるのだとしたら、お前の目は節穴もいいところだ。
大手メディアは本イベントの批判を「木がかわいそう」などとまとめていますが、実際は「震災の鎮魂と復興と再生のテーマにふさわしいイベントなのか」「実行までの不透明な過程」「主催者の二転三転する説明への不信」などが焦点になっています。
会期も終わり、クリスマスツリーとされた大木は、植樹と言われながら根付くことなく伐採されました。
自分の心を整理するため、主催者に被災者の鎮魂、復興と再生を謳ったイベントの主催としての誠意が全くみられなかった、という点について書きたいと思います。(他の面については他の方が証拠を揃えて書かれていますので、書きませんが、重大な問題だと思っています)
◆◆◆
神戸の街と人々は、22年前に地震という自然の力に否応無しに痛めつけられました。大切な物を喪い、傷つき、絶望した記憶は、街が復興を遂げたとしても癒えるとは限りません。中には望まずして愛する街を去らねばならなかった人もいました。
そのような人々に対して、健やかに山で生きていた大木を功名心とも思える動機で切り出して、にぎやかなイベントのアトラクションとして据えることが、鎮魂の象徴にふさわしいなどと、どうして思えたのでしょう。本来であれば、主催が説明をすべきことですが、彼らはいくら真摯な意見を受けても、説明する責任を果たしませんでした。主催の西畠清順氏は、会期中5回以上のトークイベントを設定しながら、このテーマについて語った言葉は数えるほどしかありません。関係者は説明から逃げ「嫌なら見なくていい」と放言したり、中傷されたと被害者ぶったり、わざわざ直接ではない言い方で「くだらない」「厄介な傷つきやすさのアピール」と侮辱をしたのです。
私には、否応無く採取と輸送で痛めつけられ半死半生で潮風にさらされる木が、150年以上にわたって自らを育んだ地から強制的に引き剥がされた木が、被災した神戸の人々に重なってなりませんでした。震災を経験した方の中にも、そのように感じ、つらい記憶が生々しく蘇って苦しんだ方がいらっしゃいました。それは、西畠氏が仕掛けた「この木への感情移入」に少なからず原因があったと思います。
また、何より許し難かったことは、被災地の子供たちに願いを書いてもらったオーナメントが無残に風にちぎれ飛ばされていたことでした。主催にとって、「鎮魂と復興と再生」というのが単なる都合の良い大義名分以上のものではないということを如実に示していました。
私は、悲愴な記憶を「もう○年前のことだから」「自分には権利があるから」と、踏みにじってもよいもの、利用してもよいもの、軽んじてもよいもの、として扱う鎮魂ビジネスを断固として拒絶します。
そしてその姿勢を是とした西畠清順、糸井重里、そら植物園、フェリシモ、神戸市等への不信感を決して忘れません。
いつか、東北や熊本で同じようなことを企む輩が出るかもしれません。震災に限らず、聞こえのよい大義名分のもとに、メディアに守られたならず者が土足で人々の思いを踏みにじることがあるかもしれない。
その時には亡くなった者、傷ついた者の尊厳を守るために断固として戦わなければならないと思いました。
参考)
有川浩さんのブログ https://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12336781681.html
いいなさんのブログ(本企画の時系列) http://iina-kobe.com/entry88/
有川浩の人気シリーズ「図書館戦争」の別冊Ⅱに水島というキャラクターが登場する。
郁の後釜で柴崎の同室となった女子。容姿は地味。性格は卑屈でコミュ障でKY。友達は少ない。真面目なだけが取り柄だがそのKYなまでの真面目さで柴崎からひたすら疎ましがられる。そして卑劣な犯罪に手を染め、供述で痛い勘違い女ぶりを披露し、誰からも共感されない惨めな悪役として終わる。
その散々な描かれ方に、水島気持ち悪い嫌いという声に混じり、同じく地味でコミュ障を自称する女性読者から「水島同情論」が聞かれたりする。(私もその一人だ。彼女達の発信を読むまでは、作中の嫌われ者水島に同情し柴崎に対して僻む自分を認めたくなく、「じ、自分はここまでじゃないし!…多分」と思い込もうとしていた)
しかしその同情論は、あくまで卑屈で真面目なだけに大それたことはできないはずの水島に対してであり、卑劣な犯罪に手を染めた勘違い女の水島に対してではない。正直私も、卑屈な筈の水島が自分が手塚に愛されてると思い込み、柴崎に対してあれ程固辞していた呼び捨てをしながら嫌悪と侮蔑を容赦無く露わにする様は、これまでの水島のキャラとちぐはぐな印象を与えた。「有川は嫌いなタイプをとかく貶めたいがためにキャラに合わなくとも悪者にすりゃいいと思ってんじゃないか」とすら思った。
でも水島の供述を読んでいると気づいた事があった。柴崎の言動全てを悪く受け取り、「柴崎はズルい」「美人だからって」「チャラチャラしている。手塚さんに相応しくない」と僻む様が、「真面目で不器用で善良な俺達がモテず、悪いイケメンヤリチンチャラ男DQNばかりがモテる」と僻む、ネットの自称弱者男性に重なったからだ。
水島は弱者男性の女性版だったのだ。いやもう、こんな言い方しないで弱者女性と言おう。
そう考えれば納得できる。「ネット上のおまえらと現実のおまえら」のように、水島も影ではいくら柴崎を悪し様に言えても貶められても面と向かってはおどおどするしかない。真面目なだけが取り柄で、恋愛面でも真面目に努力してきたつもりの彼女にとって、美人で簡単に近づける柴崎の存在は「ズルい」と思えたのだろう。
「若い女性に多い自殺願望☆地味な女子は負け?『別冊図書館戦争2』と座間9遺体・殺害された女性被害者について」
柴崎や手塚のような、顔が良くて優秀で皆に好かれる強者女性や強者男性は正しくて幸せになれて、一方水島のような弱者女性(や弱者男性)は悪役で惨め。残酷な程の対比は、水島タイプの弱者女性を益々卑屈にさせる。有川浩はこれに限らず、男女共に対してマッチョ主義な所がある。主要登場人物大抵顔が良いし。
弱者女性や弱者男性はその境遇ゆえにコンプレックスを抱え、性格がひねくれているかもしれない。好かれないのも仕方ない。弱者男性のお友達になると言ったエマワトソンも手に追えないだろう。では、彼ら彼女らが救われる方法はないのか?
若くて溌剌としてイケメンだったり美少女だったりする軍の指揮官、いいよな。好きだ。
でもこの2つを両立させるのは難しい。王子として生まれれば自動的に総大将になれた前近代ならいざ知らず、近代軍では元増田でも書かれてるように現実には20代の軍人なんてかなり優秀なやつが大尉になるのがせいぜいで、軍勢を率いるなんて無理だ。
だがフィクションの作者は色んなやり方で「近代軍の」「若い指揮官」という2つの萌え要素を両立させようと試みてきた。以下、思いつく分だけ列挙する。
典型例はみんな大好き『銀河英雄伝説』のラインハルト・フォン・ローエングラム、あるいは『タイタニア』のタイタニア一族。『A君(17)の戦争』の小野寺剛士もここに入るだろうか(いや魔王軍は近代軍なのか……?)
星界シリーズの皇族もここに含まれるかなとちょっと思ったけど彼らに与えられている特権は少佐(十翔長)になるのがやたら早いというだけで佐官以上の昇進は完全実力主義なので含めなかった。
典型例は『双星記』の〈おそるべき子供たち〉や、『フルメタル・パニック!』のテレサ・テスタロッサ(軍というか傭兵部隊だから許されてる感もある。ただ〈ミスリル〉はその他のキャラの年齢と階級のバランスはやたらリアルなのでここに分類した。『踊るベリー・メリー・クリスマス』アニメ化してほしい……マデューカス中佐の勇姿を見たい……)
亜種として、「指揮官適合者を人工知能が勝手に選ぶので年齢とか関係ありません」型もある(『神無き世界の英雄伝』)
典型例は『銀河の荒鷲シーフォート』のシーフォート。アスターテ星域会戦時のヤン・ウェンリーもこのタイプかな。
典型例は星界シリーズのアーヴの皆様。嘘みたいだろ、50過ぎてるんだぜ、あれで……
典型例は『ストライクウィッチーズ』の隊長諸姉。ミーナさんじゅうはっさい。
典型例は『タイタニア』序盤で描かれたケルベロス星域会戦でのファン・ヒューリック、『双星記』のケイン・ラインバック。〈おそるべき子供たち〉はジェニファー・クローゼンヴァーグの肝煎りで出世してるからここに入るかも。
『双星記』に出てきた「戦時特例任命法」は良いソリューションだと思うのでみんなもっと参照するべき(貴族制時代に作られた「貴族様を指揮官にするための法律」が正式に廃止されていなかったことに気づいた奴がこれを利用して指揮官になった)
典型例は海原零『ブルー・ハイドレード』(ってこれわかる人いるのかな……?)
典型例は『魔法少女リリカルなのはStrikerS』とか『銀河英雄伝説』とか……
典型例は『銀河英雄伝説』のユリアン・ミンツ、『タイタニア』のファン・ヒューリック、『蒼き鋼のアルペジオ』の千早群像。共和政府を自称してるけどどう見てもただの軍閥だからね、仕方ないね。
https://anond.hatelabo.jp/20170724234904
さんざん田中芳樹作品をネタにしておきながら『七都市物語』を忘れていたとは不覚の極み……! あとカレル・シュタミッツは4だよね。
ごめんなさい(土下座)
Windfola スペオペ伝統の異星の小国の王女を助けて指揮官に…は近代軍じゃないか/未来人・天才科学者は3の亜種かな/クーデターや軍を興すタイプは11? 反乱軍のリーダーは熱血主人公か若きカリスマだよねやっぱり
クーデタや革命を起こす主体が正規軍だった場合は、新しく「クーデタや革命で若手が権力を握った」という類型を付け加えるべきだと思う。実際歴史を見てもクーデタ起こす主体として「青年将校」はよくあるので。カダフィ大佐もクーデタで政権を掌握したときは27歳の大尉だったらしいし(Wikipedia調べ)
nakex1 キャリア組の警察署長とかから連想すると,官僚的な仕組みが発達した国家なら若くして地方の指揮官になるのはありなのでは。
陸軍だと、だいたい大尉(できたてホヤホヤではないそれなりに歴史のある近代軍で20代のうちに到達できそうな一番上の階級)が中隊長になることが多いと思うんだけど、中隊って規模が百数十人なのね。普通はこの上に大隊、連隊、師団とあって、中隊が独自のユニットとして動くということはなかなかない。
ただ、『皇国の守護者』みたいに、ある地方に敵が攻め込んできた結果絶望的な防衛戦をすることになって、中隊長クラスが作戦の指揮を執る(あるいは押しつけられる)展開はアリかもしれない。実際新城直衛は中隊長ですらない中尉だったけど、中隊長の戦死で中隊を、大隊長の戦死で大隊を率いることになり、かつ野戦昇進で大尉になってるので類型4に当て嵌まるのかな。
あるいはものすごい小国で中隊長クラスでも数人しかいないとかになると類型2に当て嵌まるかしら。そういえば赤城毅『虹のつばさ』に出てくるメーアシャウム王国の陸軍は最高階級が少佐だったっけ。まあその作品では普通のおじさんだったけど。
戦争っぽいもので指揮を執る警察キャリアといえば、有川浩『海の底』に出てきた烏丸俊哉警視正がいたわ。年齢的に若いといえるかどうか疑問だけど(階級の割に若いけど、ラノベや漫画やアニメの主人公張れるほど若くはない、と思う)
https://twitter.com/arikawahiro0609/status/787131888397725696
多くの人が読書が嫌いなのは、明らかにただ読書がつまらない、面倒くさいものだからで
同じ話でも映画になれば見るし、映画が好きになれば原作もがんばって読むし、そこに読書感想文がどうこうという考えはほとんど入って来ない
有川浩は作家になるくらいだから、心底から読書を純粋に誰もが楽しめる娯楽だとでも思っているのだろうけど
はっきり言って小説の文章なんて読みにくくて面倒くさいだけで、物語はみんな漫画にしてくれりゃ良いのに、と思ってるのがまったくもって正常な感覚ですよ
「日本の歴史」が「漫画・日本の歴史」になった途端読まれるのはただ純粋にそれが文字でなく漫画になったからで
「漫画・日本の歴史」で感想文を書けと言われても、普通は読書感想文と同様にやっぱり面倒くさいけど、それでも「漫画・日本の歴史」を読みたくなくは、ならないよ
小説家として読書離れに危機感を持つ気持ちはわかるけど、ありもしない「読書感想文の弊害」論でいくら戦っても勝利は永遠に見えてこない
日本の没落が信じられなくて「中韓の陰謀」と戦い続けるネトウヨ並の狂気だと断言する
文字が大きくて、言葉の一語一語に強い吸引力がある、初心者向けの文学でもがんばって普及させるのが一番というか唯一の方法でしょう、文学が生き残るための
Web小説なぁ。ラノベ、買ってますよ。pixivとかで知ってる、好きなイラストレーターが書いてるのは。読まないけど。挿絵を見るだけ。
カクヨム、小説家になろう、なんだけど、絵がないじゃん。まず読む気にならない。ああいうWeb小説は、読んでる奴がますます読むためのツールであって、読まない奴が読むエントランスにならねーよ。どう考えてもpixivで絵がある小説のほうがまだ読む気になるんだけど。
プロが書いてるのはわかるけど、絵がないじゃん。絵がないラノベなんて価値ないじゃん。絵がつけられるWeb上で公開されているのに絵がないのも理解できない。頭大丈夫? 大勢のオトナが仕事でやってるんだろうけどさ、大本のところで全然わかってないじゃん。絵がないのに読むわけないから。絵があるからページをめくってるだけなんだよ、読んでないけど。絵がほしいから電子書籍は意味ないんだよね。その大人は気づいてるのか知らんけどさ。どうして絵がないのに売れる、絵がある本と同じ値段で売れると思ってんの? 絵がないんだったら買うわけないじゃん。あ、でも、ゼロ円でもいらない。読まないから。
有川浩がさ「サイン本を作って売る」みたいなニュースがあったけど、そんなんいらないから。イラストレーターのサインならすぐ買うけど。本を作ってる人たち、わかってないよ、ぜんぜん、文字、文章に価値なんてないから。絵だよ、絵。ほしくなる絵をつけてね。買うから。
有川浩が嫌い。
ストーリーセラー、阪急電車、そして自衛隊三部作を読んだけどどれも嫌いだった。
その正しさが「世間体から見て絶対的に正しい」から、何も考慮する暇を入れずにそれを振りかざして悪者をフルボッコにするところが最悪。
主人公はそれが本当に正しいのかを自分で考えることもせず、「世間」に託している。
本当に正しいのかを考えもせず、「普通に考えて正しいでしょう」というように思考停止をしてそしてそれに疑いもしない。
どの作品にも必ず「世間に照らし合わせて普通に正しくて善良な」主人公が出てくる。大体は定職についたり、努力をしてまっとうに生きている人。そしていかにも意地の悪いクソババアやガキなどの悪者が出てくる。そして悪者がネチネチと断罪される。「スカッと」解決される。
断罪の後は主人公は、大人しいけど芯の強い、時々ドジっ子な年下の女の子とくっつく。
本当に大嫌いだ。
よっぽど、「憎いから」、「嫌いだから」という理由を振りかざして悪事を働く悪者の方が自分で考えてる分だけマシ。
恋愛描写も全然キュンキュンしない。まず人物描写が2chみたい。
まっとうで正しい男と、大人しいけど芯の強い女と、朴訥で正しいことしか言わないじじいと、背筋のしゃんとしたばばあ。
主人公が何かをすると、じじいが「いかんことをした!」と怒る笑
2chのまとめかよ。
海の底では、養母が2人の兄弟に「亡くなった両親の遺産は、2人が結婚するまで取っておく」としれっと言うところ、
そして艦長や主人公の1人が独り身の潜水艦乗りのために女の世話をしていることなどがしれっと、さも親切心や感動を表すエピソードのように書かれている。キモすぎワロタ。
「正しい」主人公は悪事を働いても永遠に断罪されない。なぜなら「正しい」から。
電車で騒ぐババアはどう考えても「悪い」から、背筋のしゃんとしたしっかりしたババアは断罪する。
そこに乗り合わせた本が好きなもう1人の主人公は、隣からボソボソとはっきりした独り言を言う。「世間的にも常識的にも」どう考えても背筋ババアが「正しい」から援軍しているのだ。
1人に多勢で寄ってたかってフルボッコ、そっちの方が「悪い」気がする。
しかし「正しい」こととして正常に処理される。
「子供は欲しいか欲しくないか」
「住むところはどうしたいか」などの事柄について話題にしていたところ、
「まだよくわからないので普通にお付き合いしてみたい」という、アラサー婚活らしからぬふわっとした返答を得たため、話の流れで映画に行く事になった。
言いたいことは至極もっともで解るんだけどな。お互い時間のない社会人同士が用件があって顔付き合わせて時間使ってるんだし、空気読んでガツガツしててくれたらなあ…楽なのに。
とは言え映画に興味もない。以前に見た映画は『アバター』で数年前、それもまた別の見合い相手とだった。
彼女もあまり映画に興味もなさそうだったが、こちらの方が年上で婚活歴も上という事もあるから、無理にでもテンションを上げ「じゃ上映作品を調べておきますね」とサービスサービス。
仕事中のヒマな時間にネットで上映館と作品を探してメールする。
ど田舎の婚活はこういう時本当に大変だ。双方ともに上映館まで車で一時間半、私と彼女の距離も車で一時間。
現地集合で待ち合わせとなったが家を出る時間が出勤時間と変わらない。せっかくの少ない休日はもう少し寝過ごしたいものなのだが、そもそもそういう事を言い出すのであれば婚活自体がたいへん時間にも財布にも負担となっている事実が浮上してしまうのでやめておく。
女性の維持費は時間とお金と神経。そんなことくらい若い頃から解っていたけど、仕事という負荷がかかる状況下でその維持費を払い続けていくのは本当に大変だ。既婚者は皆偉いと思う。
若い頃は欲が溢れているからどうって事もなくそのハードルもクリアできるんだろうけど、年を取ると欲も薄れてくるので行動理由やモチベーションがなかなか出ない。
当然自分もではあるが、相手もまたかなり早い時間帯に家を出る事になるだろうと推測したので、映画待ちの時間にでも食べるかなと思ってお弁当を二人分作る。
早起きしてプレイしていた発売二日目の『龍が如く極』を止め、OP曲を流しっぱなしにして稲葉の歌声を背中で聞きながらお弁当を作る。
卵焼き、ウインナー、ミートボール、炒り卵とモヤシ炒め、ゆで卵という鉄板メニュー。ご飯は米が古いせいかあまり綺麗に炊けなかったので、ノリ巻きの俵むすびにしてごまかす。
卵焼きとか生まれて初めて作ったんだが意外に上手くできたので驚いた。そう言えば実家でも出てきた事ないな。
職場に持っていく弁当と比べると、全体的に薄味の弁当に仕上がった気がした。というか人の為にお弁当とか初めて作ったな、と完成してから気づく。くだらないロストバージン。
集合時間が早く、ジャスコの開店時間と同時刻だった。今はイオンか。
動かない自動ドアの前で他の客達と一緒に寒さにガタガタ震えながら待つ。
ようやく開場したので映画館に一番乗りするが彼女の姿はなし。待ち合わせ時刻を三分過ぎてからメール。遅れるとの旨。
おいおい、とも思うが、あまり気合いが入っていないようなので安心する部分もある。まあこちらも久々の休日、肩の力を抜いて映画見たい。
五〜六分くらい過ぎてから現れたが「すみません」程度で大仰な謝罪もない。まあこの辺りは長く勤めてきた職場の違いとかもあるだろうとスルー。後でわかったが大仰な謝罪は空気を壊すと思ってるタイプのようだ。
彼女の分の弁当を持ってきてたのでお腹空いてるかどうか訊ねると「家で食べてきました」との返答。
アラサーの子が三人とも地元就職して全員独身で家に居るので親がごはん作ってくれるらしい。まあ俺も実家のごはんは好きだ。自分より母の方が料理うまいし、生まれた時から食べてる味だし。
映画を決める為に上映作品のリストを眺めるが、やはりお互いあまり映画に興味がないので決めようがない。
決めてくれみたいな感じだったので当初話していたスターウォーズにしておいた。映画好きじゃない人がどの映画見たって毒にも薬にもならないが、大作はまあ外れがない。
ただしお互いストーリーもよくわからん。作品の前後関係もよくわからん。
まるで「聖書の研究会に途中から参加します」みたいな神妙な変な雰囲気になったまま、時間待ちにカフェでお茶を飲む。
本の話題でまあまあ盛り上がる。有川浩はそんなに好きなタイプの作家でもないが一応だいたいは読んでる。彼女は本を揃えているらしい。
私ももちろん読書は好きで年間大量の書籍を読むけど、他人の蔵書を尋ねる事にはものすごく興味がないという事に気づいたが、頑張って質問する。
お互い手探りみたいなぎこちないキャッチボールを続けているうちに上映時間が近づいたのでホッとしてシアターへ。
うわ、隣の座席座ってシアター暗くなったら速攻で足組んだぞこの人、と気づいたが、よく考えてみたら逆にイイなと思った。
肝心の映画はなんか全体的にストームトルーパーの中の人が弱いのに無双しようとしまくる感じのお話だったが、映像作品としては全く退屈しない二時間半だった。
だがストーリー展開が続きものだけに、加えて前後のお話もよく知らないので、映画の感想とか話をするのが難しかった。
ああなんかすごかったですね、でもお話がよくわからなかったですね、みたいなふわふわした会話をするだけで終わった。一人千八百円。二時間半。
まあこういう時間と金の無駄遣いも休日らしくていいか。見合いらしいかどうかはさておき。
弁当を気にしてくれたのか、フードコートへ持って行って食べようと提案してくれる。
えええフードコートで俺の手作り弁当食べんのかよ、と抵抗を感じたが他にないので仕方ない。
当初弁当を食べようと予定していた猫だらけの公園は、どうも雪が降ってきたためムリのようだ。
割と周囲の視線が痛い。そらそうだ。自作弁当食ってんだからなあ…。
弁当入れにカイロを仕込んでおいたのだがなぜか機能せず、弁当が冷えている。なぜだ。
二人で冷たい弁当を食べる。冷たくなっても食べられるのがお弁当ですよ、とフォローが入った。
食後もぽつぽつと会話。
と、ここで休日ながら俺の仕事(副業)が午後に入っていた為ここでお開き。
・スーツで来るなら上着着ろ
・あまり謝るな
職業柄あまり上着を着ない事が多くそのまま来ていたのだが、向こうの職場は上着必須らしく受け入れがたいとの事。
あまり謝られると居心地が悪いとの事。話題がないし向こうもあまり話さないから機嫌伺いくらいこまめにしているだけなんだがな。
というかこちらがダメ出しの一つもしないのに向こうがあれこれダメ出しするのかよ、とは思ったが要望と捉えて受け取っておく。
うーん、まあ、こんなもんか。世の既婚者たちは本当に偉いと思う。
>これのニュアンスって
>A.(おまえらが今読んでるような村上春樹とかではなくて)本当はこんな本を読んで欲しい
>B.(普段は書店員としてのしがらみとか立場とかあって紹介できないけど)本当はこんな本を読んで欲しい
>C.(女の子に面と向かって薦めるのは恥ずかしいんだけど)本当はこんな本を読んで欲しい
の3パターンかなと思うんだけど
全部違う
近いのはB
(販売データを分析すると書店に来る20代〜30代女子は文庫をあまり買ってくれない。そこで文庫女子フェアってのを開催してて、女性に売れそうな本を薦めてるんだけど)本当はこんな本を読んで欲しい
が正解。
有川浩とか辻村深月とか角田光代とか星野源とか「正直、ラインナップがイマイチ」なんだよなーと
確かに、ふだん文庫を買わないとか、東野圭吾と村上春樹しか知らないとか、そういう女性層にも売れそうだけど、本当にお勧めしたい本は違うんだよなー
銀の匙読んでたら、自分でやってみたいこといろいろ調べて人に聞いてとにかくやっていく、という描写が多くて、
自分はそれがなかなかできないなあとやや凹む。
八軒たちみんなキラキラしててなんか、自分もなんかやってみたいって気持ちにもなるんだけどね。
社会人にもなって、自分の判断でどこまでやっていいか、の勝手をなかなかつかめない。
いちいち責任を取りたくないのか許可を求めたくなる。
教官とイチャイチャしたいけど恥ずかしくってできない!みたいなことをいうヒロイン郁ちゃん(26)に対して、
ルームメイトの柴崎が言っていたのは、親が「婚前になんてはしたない!」って口にしてたのを幼いころから聞いているから、
知らずしてその貞操観念が染み付いてる、いわば親の呪縛から解き放たれていない・・・って言ってたくだりがありまして。
自分が、責任を取りたくない、とか、人の許可をいちいち取りたくなるのも、「親の呪縛」かなあって思った。
多分なんかすぐ怒られるから、怒られないように、って機嫌とって行動してたんだろうなあ。
もしかしたら、「子供のくせに余計なこと言うな」みたいな発言をされてたのか(あんまり思い出せないけど)、
その絡みでトラウマがあるのかもしれないし。
家庭内では、ビクビクしていたわけではなく、割とお調子者キャラで、気分屋でわがままって感じのキャラだった。
上の兄弟と父母がよくギャーギャー喧嘩してた時に空気の悪さを感じていたから、道化役を担っていたのだ(と今振り返ると思う)。
そんで、その道化ってのはその時のキャラであって、親から離れた時には切り替えて手放さなくちゃいけないってのを忘れていたんだろーなー
それって親や家庭内の空気に対する顔色伺いありきのスキルじゃん。結局自分で判断しないやつじゃん。
多分家族の中にずっと居てずっとそのキャラしていれば、慣れてて楽だったし、
結局自分の判断っていっても甘い両親が慰めてくれる、っていう魂胆もあったろう。
んで、職場にいるのにまだお父さんに怒られたらどうしよう、という恐怖を抱え込んでて、
お父さんなんて居やしないのに行動しなくて、
「あ、この人にお茶出したほうがいいのかな・・・でも余計なことして怒られたらどうしよう」
で、一人問答して、そのうちに 「新人はお茶も出せないのか」 という結論になってしまう。
お茶の件は喩え話ですけど。
要は、入れたほうがいいんだろうなーでも勇気が出ないなーって思ってる自分が悔しい。
その通り行動したらきっと褒めてもらったろうに、って。
あーーーーーまた褒めてもらいたいとか顔色伺ってる。
ここでがっかりされたくない、ってのは諦めるべき執着かなあ・・・・
また、たまに突っ走っちゃって間違いを起こすとそれがすごい怖い。
完璧主義気味。
よし分かった、人間関係が主じゃない女性作家の作品を挙げたらいいんだな。
とりあえずマンガを列挙するぞ。
キモはこれでもかと詰め込まれる神話・伝説・歴史エピソードとそのパロディ。
薀蓄詰め込んで嬉しいのって男性的だろ?
最近は「歴女」なんて言葉もあるが、敢えて「女」とつけるとおり、もともと歴史趣味は男の世界だった。
野鳥の行動にやや擬人化がすぎるかもしれないが、擬人化なんて男も大好きだろ?
あと、小説。
「自衛隊三部作」とも呼ばれる、ミリオタ御用達の「大人のライトノベル」。
二作目と三作目は怪獣映画のテイストも満載で、これまた男子の大好物。
さあどうだ。(何が
ここ10年、もしかしたら5年くらいの傾向として、一般小説のライトノベル化がある。
ライトノベル作家が一般小説に進出するという形で始まり、気づいたらかつてはラノベとして扱われていたような作品が一般小説として出版されるようになる。米澤穂信、有川浩、冲方丁、桜庭一樹などがここに当たる。今では彼らもラノベ作家とはみなされないだろう。そして次第に、かつてはライトノベルとして出てきたような作品が最初から一般小説として出るようになる。似鳥鶏、仁木英之、森見登美彦、機本伸司あたりは、世が世ならラノベ作家としてキャリアをスタートしていただろう。一般文芸から出た作家がライトノベル的な作品を、表紙がアニメ絵だったりキャラの立て方がライトノベル風だったりする作品を、文庫という形で出すことも増えてきた。
それと同時に、ライトノベルと定義される作品群は次第に先鋭化し、表紙はより萌え萌えになり、話はより典型をなぞるようになり、お約束化は進行していった。いわゆるコテコテのラノベというヤツだ。邪気眼で、中二病で、萌え萌えで、中身があまりないやつだ。
結果として、一般小説がライトノベルの一部を取り込み、「ライトノベル」の定義が狭まったのだ。かつてはライトノベルだった作品群が今ではライトノベルではない。そして、今ライトノベルと呼ばれる作品群の『ラノベ濃度』はますます高まっていく。
そういう状況を加味して、どこをさして「ラノベ」と言っているのかはっきりさせないと、議論のしようがない。
●ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?
上記のような境界領域の作品を好んで読みます。今のラノベは全然熱心に追ってない。
●ラノベファンはラノベを一般娯楽小説(定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?
「今のラノベ」は別物が多いけど、全てが別物じゃない。一般小説(境界を含む)で通用するような作品は今でも存在する。
●ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?
知らん。面白ければオッケー。